その他ネタとか



連結器

基本的に電車・気動車・客車・貨車、およびその新旧を問わず、自動連結器を採用している。
これは、「故障救援には機関車が妥当である」という考え方に基づいている。
国鉄や他社からの譲渡車も、全て交換が実施されている。

かつては伝統的に坂田式自動連結器を使用していたが、
旅客車については8000系電車を皮切りに密着自動連結器が採用され、
在来車も更新修繕の際に交換が実施された。

また、電車については307系電車からはブレーキ管連結器が併設されるようになった。
(ただし、電気指令式ブレーキ309系電車331系電車には装備されていない)

近年見られる簡易な小型連結器は採用していない。これは、DD43形牽引による中善寺線細尾町以遠乗り入れを考慮しているためである。

ただし、軽便鉄道線(762mm軌間)の旅客車では使用されている(機関車と貨車は除く)。
これ自体は通常の自動連結器と互換性を持つが、連結器取り付け高さは普通鉄道線(1067mm軌間)と異なる

一方、ユニット間連結では811系電車以来ボルト留め式の半永久連結器が採用されている。
またプッシュプル客車の500系では、この他にバッファアーム(車体間ヨーダンパーに類似するが別物)を装備する。



リターダ

補助制動装置(ブレーキ)としてのリターダは、常磐では、DD43形ディーゼル機関車と、キハ9200形気動車で、初めて採用された。
前者では流体式、後者では電磁式が採用された。
ただし1960年代の電磁式リターダは消費電力が大きく、間もなく冷房化の要求が出たため、キハ9200形も冷改と同時に流体式に換装された。

電車の発電ブレーキ回生ブレーキに相当する常用補助制動装置として採用したのは1984年に3速変速機への換装を実施したキハ181系気動車だが、
これは正式には変速機のトルクコンバーターにリターダの機能を持たせるコンバータブレーキである。

DD43形で後述のコンバータブレーキ式とせず、別ユニットの流体式リターダを搭載したのは、
当時の技術で変速機の強度が確保できるかという点で疑問があったため。


貨車ではコキ9001形貨車、続くコキ8940系貨車で採用された。
これは同形式が特殊小径車輪を装備したことから、従来のディスクブレーキだけでは高速度からの制動力が確保できないため、
ベアリング形永久磁石式リターダを装備することになったもの。

貨車用に永久磁石式リターダが選択されたのはぶっちゃけるとかつての電磁ブレーキ騒動のように専用の引き通し線なんぞつけたくなかったから

自体の動作そのもの電源供給が不要な上、指令も機械的に行えるため、特別に配線もいらず、
従来の自動空気ブレーキの系統で動作させることが可能。

2001年から本線用ディーゼル機関車や大出力機関もしくは2基以上のパワートレーンを持つ気動車にも、
安全対策としてリターダ取り付けが実施されるが、(キハ181系のコンバータブレーキを除き)全て永久磁石式が選択された
挙句DD43形やキハ9200形も永久磁石式に交換している
あと、C10形蒸気機関車にもすっとぼけてつけた


保存鉄道』?

旧阿波山線をSL動力保存運転路線とし、SL茨城線として事業計画も変更した際、「日本初の保存鉄道」とコピーが打たれた。

しかし、実際には第一種鉄道事業の継続に当たっては、事業計画の第一義を蒸気動力車による定期運行の保存維持としているものの
一般旅客営業も厳密には放棄しておらず、海外で一般的な保存鉄道の定義からは逸脱している。
(これは一定規模の保存鉄道自体が日本では認められにくかったことによる所謂"書類上の建前"ではなく、後述の茨大通学輸送が最大の原因である)

運賃上も、赤塚~上水戸(正式には阿波山線から移管された水浜線赤塚~上水戸を含む)のSL茨城線のみを利用する場合、一律\160の加算運賃を徴収する。しかし、
  • 元は中善寺線細尾町~中宮祠のみの利用に対して申請し認可されたものである。
  • 常磐高速度交通網の鉄道線との乗り継ぎの場合には適用されない。
  となっている。

また、沿線に茨城大学のキャンパスがあり最寄り駅も存在することから定期利用者も多く、この点でも保存鉄道の性格を削いでいる。



SL茨城線の運行開始まで

常磐では蒸気機関車の撤収は国鉄より遅れていて、1966年から本線用にDF60形ディーゼル機関車の投入が始まっていたが、
1976年の国鉄完全無煙化の後も、8620形C10形など中形機や、9600形D60形蒸気機関車など貨物機を中心に多く運用されていた。

1984年、西武山口線新交通システム化による蒸気運転廃止が持ち上がったことから、
鉄道産業の保持として代替になる蒸気運転専用路線が検討された。

対象路線として茨城交通から移管された路線が候補として上がったが、このうち水浜線は併用軌道もあり、
阿波山線(旧茨城交通茨城線)が選定された。

定期運転用の蒸気機関車は3505形程度の、古典的小型機を予定していた。しかし、阿波山線には最大25‰という、板谷峠に匹敵する急勾配があることから、
牽引定数を制限しても小形機での運転は困難であり、中型機で、粘着力を確保する軸重を持つC10形が選択された。

また、それまで水浜線列車が上水戸~赤塚を乗り入れていたが、運転系統を切り離すため、同区間を水浜線へ移管すると同時に、
路線設備を追加して単線並列に拡張した。

機関車の負担を減らすため、客車は京王帝都電鉄から17m級電車の廃車体を購入し600系客車として改造した。
当初は非冷房だったが、運用開始初年より冷房搭載の要望が強く、AU13形分散クーラーの取り付けが実施された。
この冷房用電源を確保するため、スハフ14形1両が併結されることになった。



最終更新:2013年10月18日 11:40