京常電車松戸事件(けいじょうでんしゃまつどじけん)は、1971年12月14日8時24分頃、千葉県松戸市の京常急行電鉄京常線松戸市駅構内で発生した置き石を原因とした列車脱線多重衝突事故である。
京常線松戸市駅構内で、約15分遅れで運行していたK5012列車(柏発 - 品川行き・急行列車)が、構内通過中にU字溝を踏み、先頭4両が脱線。先頭車両がラッシュ時間帯と列車遅延のため混みあったホームに乗り上げ199人の死傷者を出した。
京常線は5時12分頃に松戸市駅構内で発生した人身事故のため、全線にわたって約10分から60分の遅れが発生していた。同列車は柏駅を約12分遅れて発車。途中停車駅が少ないことから、制限速度まで速度を出して運行していた。 同駅では通常、速度を約75km/hまで減速することになっていたが、これは制限速度ではなく、あくまでの万が一のための減速としていたため、同列車の運転手は、制限速度である90km/hまで速度を出していた。 同列車が同駅3番線に進入する直前に、流山市内在住の中学3年生4人組グループが線路上にU字溝を線路上に置き脱線させた。 さらに、脱線した先頭車両は衝撃で跳ね上がり、ホームに乗り上げ10M進み階段に衝突して止まった。 この事故により、死者52人・重軽傷者約1945人を出す大惨事となった。
中学生グループおよび保護者に対して京常急行電鉄は賠償請求をした。京常急行電鉄側は裁判を起こさず、話し合いで解決を試みたが、交渉は難航。 結局、中学生グループおよび保護者に対して、総額10億5000万円の損害賠償訴訟を起こした。結局、1人1億5000万円を支払う事で和解が成立した。
事故の被害者団体は、京常急行電鉄に対して総額20億9000万円の損害賠償請求を起こした。 被害者団体側は、京常急行電鉄側が駅進入速度制限を設けなかった事が被害を拡大させたと主張した。地裁は一審・二審とも京常急行電鉄側に4億3500万円の支払うよう判断が出たが、京常急行電鉄側は不服とし、高等裁判所に上告。高裁は地裁の判決を覆し、京常急行電鉄側には責任はないとし、一審・二審ともに被害者団体の訴えを退けた。 その後、京常急行電鉄は和解による解決を模索。結局、1億5000万円を支払ことで和解が成立した。