いくつもの大岩が突き出す急斜面。
もはや崖といっても差し支えない急角度だ。
そんな崖のふちに、何匹もの大人のタブンネたちが立たされている。
タブンネたちの顔からは血の気が引いている。
貧血を起こしたのか、その場に座り込んでしまうタブンネもいる。
タブンネたちは今からこの崖を降りなくてはならない。
傾斜60度。高さ10m。
足を滑らせて落下すれば、無事では済まない高さだ。
途中の大岩にでも当たれば、最低でも骨折は免れないだろう。
ほとんどのタブンネはあきらめの表情だ。
本来、平地の草むらや森に暮らすタブンネに崖を移動する能力はない。
短い手足や短い指では、突き出した大岩を足場にしたり、手でつかんだりすることすら困難だ。
そのうえ、この『ダウンヒル』には制限時間が設けられている。
制限時間はたったの10分。
わずか10分ではこの崖を降りきることすらできない。
タブンネたちはどうすれば無事に降りることができるだろうかと考える。
しかし、タブンネたちに十分な時間など与えられるはずもない。
タァン!と乾いた音が採石場に響くと同時に、「のこり10分」という音声が流れる。
知恵も技術も、覚悟さえもない。
それでもタブンネたちはスタートしなくてはならない。
10分後、ゴールできないタブンネを待つのは「死」なのだから。
レースが始まってもタブンネたちは崖のふちから動こうとしない。
全員が恐怖に足をすくませ、そこから動くことができないのだ。
やがて、腹をくくった1匹がおそるおそるといった様子で降りはじめる。
そのタブンネに続くように、次々とタブンネたちが崖くだりに挑み始める。
意を決して崖を降りはじめたタブンネたちではあるが、そのスピードはひどく遅い。
タブンネの手足は短く、力も弱い。
岩や土を必死につかみ、近くの岩に、かろうじて足をつける。
1歩1歩確実に、ゆっくりと下っていく。
しかし、時間はタブンネたちを待ってはくれない。
「3分経過」
音声が流れ、タブンネたちは焦りの表情を見せる。
なにせ、ろくに進んでいないのだ。
下を見れば地面ははるかに遠く、上を見てみれば仲間の顔がはっきりと確認できるほどに近い。
タブンネたちは1mも降りていない。このままでは制限時間に間に合わない。
タブンネたちがペースを上げようとしたそのときだ。
「ミャアァァァァアァアァァァァッ!」
けたたましい叫び声を上げながら、1匹のタブンネが落下していった。
焦ったあまり、足場の確認をせずに手を離してしまったのだ。
転がり、突き出した岩にぶつかり、受け身もとれずに地面に叩きつけられる。
採石場の白い土が、落下したタブンネの体を中心に赤く染まっていく。
崖から飛び降りたタブンネたちは動くこともできずにうめき声を上げている。
いくら耐久性に優れたタブンネといえど、受け身も取らずに落下すればこうなるのは当然だ。
骨が折れたもの。内臓が破裂したもの。さらに、体の上に仲間が落ちてきて圧死したもの。
かろうじて動けるタブンネは必死にゴールを目指すが、思うように動かない体では、動くことができない仲間の体を
乗り越えて進むことができない。
やがて、最初に落下したタブンネが、這いずりながらも家族のもとに到達し、レースは終了した。
レースが終了し、敗者となったタブンネたちがダンプカーの荷台に乗せられていく。
まともに身動きできない体では抵抗できずに、ゴミのように乱暴に荷台に放り込まれていく。
タブンネたちを荷台に乗せ終わると、ダンプカーはどこかへと走り去ってしまった。
連れていかれたタブンネたちの家族が抗議の声をあげるも、鞭を振るわれ、すぐに大人しくなる。
がっくりと落ち込むタブンネたちであったが、その耳がある音をとらえた。
弱々しくはあるものの、連れて行かれたタブンネたちの声だ。
キョロキョロとあたりを見回し、声が出ているところを探す。
そして、その視線がある1点にとまる。
先ほどの崖よりもさらに高い崖の上だ。
崖の上には先ほどのダンプカーが、崖に対して後ろ向きにとまっている。
タブンネたちの見ている前で少しづつ、ダンプカーの荷台が持ち上がっていく。
そして、荷台からピンク色の固まりが次々と崖下に落とされていった。
崖を転がり、岩にぶつかり、地面に叩きつけられたピンク色の固まりはピクリとも動かない。
このとき、残されたタブンネたちの耳は、レースに負けた家族の最期の叫びをはっきりと聞き取っていた。
この断末魔の叫びは、残されたタブンネたちのこころに永遠に残り続ける。
死にたくないという家族の叫びを聞くことしかできなかった絶望として。
これにて本当に『ダウンヒル』が終了した。
タブンネたちに無謀な崖くだりをさせ、時間制限を加えることで飛び降りさせる。
動けなくなったタブンネたちを、残された家族に見えるように崖から落としてとどめをさす。
ここまでやることが『ダウンヒル』という競技。
参加したタブンネの生存率は1%未満という過酷な競技なのだ。
そして、その1%未満の幸運に恵まれたタブンネとその家族にも明るい未来はない。
全身のあらゆる骨が折れているため身動きが取れない。
神経を損傷しているため、体を自由に動かすこともできない。
歯が折れた口では、賞品である木の実を食べることもできず、破裂した内臓では栄養を吸収することもできない。
精神的にも肉体的にも消耗し、長い時間苦しんだ末に衰弱して死ぬ。
生き残ったタブンネには、生きることそのものに対する絶望を。
その家族には、何をしても助けることができないという絶望を。
感情が豊かで、家族の絆が強いタブンネだからこそ効果のある、精神的な責め苦。
『ダウンヒル』
それはタブンネたちにとって地獄の入り口にしか過ぎない。
参加したタブンネ自身には避けることのできない死が待っている。
そして、その家族には決して消えることのない絶望を深く刻みつけるのだ。
(『ダウンヒル編』おわり)
最終更新:2015年02月20日 17:03