終章-前・地獄編
兄ンネは戸が開く音に気づいた。
「また何かくれるのかなミィ?」
埃が落ちて見やすくなったプラ面に顔を押し付けながら現れた人間に視線を送り、期待は一気に絶望となった。
「ギ…ギャアミィ!?!!」
あのフカマルが大きな口から涎を垂らしこちらに迫ってくるではないか。
他妹惨殺から立ち直りかけていた時に甦った恐怖は、僅かでも幸せを堪能したぶん反動は凄まじいだろう。
「寝てるから掴みやすいな。こいつにしよう」
人間が選んだのは 他兄 だった。
「ダメエエッ!ミィ!!」
兄ンネの必死の叫びは届くはずもなく、事態に気づいた他兄も「ヂーヂー」鳴きながら糞尿を撒き散らし抵抗したが、フカマルの眼前に放たれた。
ようやく気づいたのが妹ンネもその光景に絶句しガタガタ震え失禁までする始末。
小声で「他妹」と呟いている様子から妹ンネも兄と同じような感覚なのだろう。
「これ目ぇ怪我したのか?まったく。これでもいいか?フカマル」
「なあんでもいいよ」
顔というか体ごと上下に揺らし意を伝えるフカマル。目はキラキラ輝き、舌で歯を磨くような素振りまで見せていた。
「おうおうよかったなあ!さ、めしあがれ♪」
「めしあがる♪」
フカマルは他兄に飛びかかった。
「ミィーッッ!!やめてあげてミィ゛ィ゛ッ゛ッ!!」
「ミ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!ダでィブデボイアダダラビゥ(なにもみえないミィ!)」
兄ンネの叫びもむなしく他兄は見るも無惨な姿に変わり果てた。
片耳は皮一枚でぶら下がり、無事な目は眼球がほじくり出され、口も上下左右に鼻や頬まで裂けていた。
片腕は肩から食いちぎられ、もう片腕の指先はかじられたようにボロボロで、崩れた肉から骨が見えている。
腹も無事ではなく穴が開いた横腹から腸が飛び出し、裂けた部位から未消化の糞エサがこぼれ落ちていた。
尾は皮を剥かれたように骨が露出し、尾の先端にめくられた皮がまだ剥がれずにそのまま残る。
そして足の右太ももは既に食されたフライドタブンネのように骨だけになり、もう左足は今まさにかじられ始めたところだ。
「うまうま♪」
残った足を食い散らかすフカマル。前回より酷いがこれも遊びながら学ぶ一環なのだろう。
それでも絶命せず動くチビンネに大満足。
青い体も赤で染まっていった。
「や゛め゛でえ゛えー!ミィ!まだ…まだプレゼンドもわだじでないんだビィィィッ!!」
兄ンネはひたすら叫んだが、何が変わるのだろう?
「ミブュルルル゛ウ゛ウ゛ウ゛!ゴブルブブッ?!?」
喉から裂かれ露出したアバラをへし折られた他兄の最期の絶叫も血泡に遮られる。
この個体も体力に優れているのだろうか、それとも幸せへの執着が力を与えたのだろうか?
「ミィー!!み゛゛ああっ゛」
妹ンネはもう精神が限界らしくパニックを起こしたように走り回った。
それがいけなかった。
「活きいいなこれ。これでいいか?マスキッパ」
いつのまにか人間の背後にいたのは10日前に兄ンネが不気味に感じたあのマスキッパ。
ショップで人間が言っていたのはマスキッパだった。
10日前は丁度食事(フーズ)を終えたところで、次回でいいやと言った感じだった。
「ミィ!?いもうーッ!?」
必死に抑えようとする兄ンネなど無視し、人間は妹ンネに手をかけた。
「やめろミィーッッ!!」
兄ンネはその手にしがみつこうとしたが、足元の新聞に滑って叶わなかった。
「ミィギィッ!?おにいちゃああああ!」
「ミアアアアア!いもーーとンネーー!!」
ずっと一緒だった兄妹もついに引き離されてしまった。
「ほらよ、おめえの分だからな。ん?尾がねえな、あん時のやつか。まあいいだろ?」
マスキッパはどこ見ているかわからないような顔で、その口を開けた。
ニチャァッと糸ひくのは唾液や粘液の類いだろうか?人間はそこに妹ンネを食わせた、というより設置した。
モ゙チャッ!
妹ンネも抵抗したが口は閉じられた。それによって頭は入りきらず[――(頭)]のような形となった。
人間でいうなら寝袋に入ったような感じ。
「ミャアアアア!おにい!おにいぢゃああ!ごわあびいいい!!」
涙、涎、鼻水を撒き散らしながらも必死にもがいているのだろう。マスキッパの口がもぞもぞしているが、マスキッパは無言のままだ。
「ミあ…ミ…ああ……」
四つん這いのままの兄ンネの眼前に広がる世界。
笑う人間。泣き叫ぶ妹ンネをくわえたまま微動だにしないマスキッパ。
そして馬乗りになり顔面に何度も笑顔で拳を叩きつけるフカマル。他兄の体は血塗れの皮だけ、まるでカーペットのようだ。
ここは新居でも幸せになる場所でもない。想像を遥かに越えた 地獄 だった。
『みんなは幸せになれるミィよ』
ママンネの言葉が頭をよぎった。
「どうし どうしてミィ…ママ…」
涙を流しながらママへの疑問を口にしても誰も答えてはくれない。
それにではないだろうが、返ってきた言葉もろくなものではなかった。
「それにしてもきたねえな」
人間の言葉は床の血をベロベロ舐めるフカマルにではない。騒いだことで片付けた新聞紙が散らかったチビ達の水槽に向けてだ。
ポケットから袋を取りだし、手を入れるとそのまま手袋にようにし、兄ンネを無視し新聞を集め始めた。
そしてクシャクシャにまとめられていく新聞の塊は兄ンネが隠していたあの場所にきた。
「待ってミィ!それは!それはミィが二人に!!」
今度こそ!と言わんばかりに新聞紙にしがみつき必死に身を強張らせ抵抗したが、
「邪魔!」
思いきり払われ兄ンネは吹き飛び反対側に叩きつけられた。
「なんだこれ?巣でも作ってたのか?」
兄が隠していたのは、皿のような平たく折られた新聞紙に、散りばめられたちぎった新聞紙片。
それは兄ンネが、ショップでみたクッションベッドを羨ましがり、妹ンネの為に作っていた新聞紙ベッドだった。
正直いってベッドと呼ぶには小さすぎるが、それでも一生懸命作り、片方の作りかけのほうは他兄のぶんだった。
人間はそれをクシャクシャに丸め掴むと、袋を裏返しそのまま縛った。
「ミあ…あ…アギィっ!?ミィの…あんょ…あし…」
立ち上がった兄ンネが急に崩れ落ちた。意思とは違う方に曲がった右足、払われた際に骨折したようだ。
まだまだチビンネには片足で体を支えられる力はない。ハイハイするよう必死に前進するも痛みから踞ってしまう。
開かれた拳から僅かな新聞紙片が静かに落ちた。
「よし、全掃除完了。さあて帰るか、マスキッパはいつも通りだな」
人間とフカマルは部屋を後にしたが、マスキッパだけは部屋に残った。
そして足にあたる部分を器用に折り、膝のような部位につるの手をおいて正座するように座った。
兄ンネは痛みを堪え必死に叫んだ。
「お願いしますミィ!妹を離してくださいミィ!」
「…」
「おにいちゃあああ!熱い!あづいミィ!!ミあああああ」
消化が始まったのだろう、マスキッパは獲物を一日かけて消化する。
このマスキッパは超絶マイペースで人間が飼ってからもこんな調子だ。食事するときはこうして正座して座ったまま消化する。
この際は一晩以上動かない。
でも普段は家事をこなし、フカマルの面倒も無言ながら見て、人間ともこのように信頼しあっている。
今はマスキッパの詳細など重要じゃあないだろうから以後は語らない。
マスキッパに向け兄妹は必死に説得するも彼もまた捕食種、獲物を離すはずはない。しかしそれでも兄妹は叫んだ。
「いだっ……ミィ!おねがいじます!いもうどを!」
「…」
「いもおどををを!」
「……」
「熱いミィ!!ミアアアンッ!ンン゛ッン」
「………」
「いもお゛オ゛オ゛オ゛ー!!」
「……………」
「…ォ…あづぃ……ょ…」
「……………………………」
「おねが…しま…す…ミィ」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
マスキッパは正座し無言のままどこかを見ていた。
陽も落ちいつものように街頭の明かり差し込む夜の部屋。
不気味に照らし出されたマスキッパの口から顔だけ出し、脂汗を浮かべながら苦悶に満ちた妹ンネ。
変わらず必死に立ち上がり何度も妹ンネを呼び続け、マスキッパに許しを請う兄ンネの姿があった。
妹ンネはできるだけ身を縮めるよう体を強張らせ必死に消化液から耐えていた。
もがけばもがくほど消化液の分泌を促し、痛みや熱さが増すことに気づいたのだろう。
しかしそれでも液止まず、自分をジワジワと削る事になるだけであって、苦しむ時間が長引くだけだ。
水槽内ではパンパンに腫れ上がった足を引きずりながら必死に妹ンネを呼ぶ兄。
新聞紙も水綿すらも回収された何も無い空間は一匹になった分広く感じられ、それすらも兄ンネの心を追い詰めていた。
「熱い…あつぅいミィ……お兄ちゃん……」
「がんばってゲホン!がんばってミィ!!妹ンネゲホッ!」
叫びすぎてかわいた喉を潤すも水もない。喉から血が出てるような痛みにも耐えひたすら呼び続ける。
それだけじゃない。水槽さえ無ければマスキッパをよじ登ってでも助けに行くと言わんばかりに何度も何度もプラ面を叩き続ける。
「ごめんミィ!プレゼント間に合わなくてごめんミィ!!」
何度も何度もプラ面を叩き続けたが、安物でも生物用。そう簡単にはヒビすら入らない。
数時間がすぎ、街頭すら消え闇に包まれた深夜の室内。
あの部屋からはかつて二匹が唄っていたあの歌が静かに響いていた。
「ミーミ゛ミ゛ーミー……」
兄ンネはプラ面に背にし、座り込んだまましゃがれた声で唄う姿。
足と擦りきれて腫れた手、プラ面に付着した涙や唾液、手垢は必死に闘ったことを物語っていた。
闇で妹ンネの姿が見えにくくなり、声も聞こえなくなっても諦めなかった兄ンネの心も限界だろうか。
しかし
「ミーミ゛ミー……」「ー…ミィ……」
「ミえっ!?」
兄ンネは我に反った。たしかに今自分の歌に合わせるように
「ミーミミー…」
「妹ンネ゛!!」
妹ンネは生きていた。
「ミィ………」
それでもすぐに声は聞こえなくなった。
もう時間は無い、兄は唄い続けながら再びプラ面に手をつけた。
兄妹の語り継がれていたこの歌はタブンネ語にすれば、
「明るい明日、幸せな未来」という意味合いなのだがそれも今はどうでもいいだろう。
…………………………
「はっ!ミィ」
疲労やストレスもありからいつのまにか寝てしまった兄ンネが目を覚ますと既に陽は昇り、室内を明るく照らしていた。
「いた゛っ……妹ン゛ネは゛………ミキャアアア!しっ゛かり゛し゛てミィ゛!!」
痛む喉からしゃがれた声で必死に妹に呼び掛ける兄ンネ。
痛む体を起こし、視線を送った先では相変わらず正座したままのマスキッパ、そして顔だけだした妹ンネ。
熱さや痛みから一睡もしてないであろう顔は真っ青、逆に目は真っ赤になり、耳も垂れ下がり、口からは赤みを帯びた涎が糸をひいていた。
「………ぉ………ゃ………」
兄の声を聞いたからか妹の口許が微妙に動いた。
兄ンネはその様子を確認すると再びプラ面を叩き出した。
指が一本反り返ったようになっているのは骨折からだろう。
それでも歯をくいしばり、紫になった足を無理矢理立たせ目の前の壁を叩き続けた。
マスキッパはチビンネなら一晩あれば消化してしまうだろう。しかし妹ンネの再生力はそれを防いでいた。
溶かされた部分が時間で再生し、いずれは0にるが確実に命を繋ぎ止めていた。
その分苦しみは倍増している。毛をとかした消化液は次に皮膚を溶かし、直に肉に染み入る。
これを繰り返すような感覚なのだろう。
他兄のように危機に瀕した分より活性化しているのかもしれない。
もちろん組織崩壊が遅いぶんジワジワと味わうのは耐えがたく精神が持たないはずだ。
しかしそれを支えているのは兄ンネの存在と、他兄で目覚めた母性なのだろう。
さらにママンネは子供の為なら想像を絶するような苦痛にも耐えることができる、らしい。
♀である妹ンネはそれも要因かもしれないが、場が悪すぎる。
兄ンネがフカマルに食われるまであと10日。
その間に兄は妹の死ぬ姿と、自身の痛みに耐えなければならない。
地獄はまだ始まったばかりだ。
最終更新:2016年07月27日 19:03