終章-後
パチンペチン
室内に響くのはプラ面を叩く音だけ。兄ンネはひたすら叩き続けていた。
爪が欠け、指は腫れて歪み、普通なら泣きわめいて騒ぐのがチビンネだが、兄は妹を救うべく奮闘した。
折れて腫れ上がった足の痛みに何度も倒れたがそれでも諦めず、苦しむ妹の為に必死に戦う。
「…エッ…ァオッ……げッ…ミオブェッ!!」
バチャ!と落下したのは妹の口から吐き出されたおびただしい血の塊、妹も兄の為必死に戦っている証拠だ。
そんな様にもまったく反応せずマスキッパはただ天井を見つめていた。
16時、あれから丁度24時間。本来ならとっくに消化されているはずの妹ンネと思われたが、なんと生きていた。
目は虚ろだが僅かに口は呼吸の為に動いている。
兄ンネは水綿に吸い付き喉をならしていた。先ほど人間が新聞と水綿をおいていったのだ。
必死に人間に頼んでも目も合わせず去った。
その際マスキッパに声もかけずにいったが食事の邪魔になるからだろう。
涙を流しながら水綿に吸い付く兄ンネ。自分だけ飲んで…と後ろめたさからくる涙か。
だが兄ンネも妹ンネを心配する立場ではないことは確かだ。
折れた足はラグビーボールのような見た目になり、治療しないまま動いたから折れた骨が肉を裂いてさらなる内出血を起こしている。
給水後、必死に這いずりながら再びプラ面に手をつけた時だった。
「…………!」
微動だにしなかったマスキッパが震えだした。
急に立ち上がりすごい早さで水槽を覗きこみ
「ェ」ビチャッ
なんと妹ンネを吐き出したのだ。
解放したわけでなく、あまりにも消化出来ないから吐き出しただけであるが。
人は幼少時に肉を噛みきれなくて、何度も咀嚼してるうちに気持ち悪くなって吐き出した経験はないだろうか?ああいう感じ。
マスキッパはすっきりしたのか静かに部屋を後にした。
「い゛ッも゛オ゛ドォンデー!」
兄ンネは必死に場に這いずりながら進み、妹ンネにようやく触れる位置までたどり着いた。
「ミ゛も゛ホ゛オ…」
チビらしさを失った声で妹を呼ぶ兄だが、その体を見て声を失った。
首から下はもはや溶解と呼んでいいのかわからない状態だった。
溶けた毛と皮膚が剥き出しの骨や筋肉と癒着し、グズグズと溶け今にも流れだしそうな体となっていた。
今にも皮膜は裂けそうで、落下した際に崩れないのが不思議なくらいに。
指先も足先も腕から一本の棒状になり、剥き出しの肋骨からは膜一枚で肺と心臓の弱々しい動きが見える。
重さに耐えきれない内臓が脇腹の皮膜に浮き出していた。
兄の為に必死に耐えた代償はあまりにも大きかった。
「…の…ど……ヵヮ……ィ」
真っ赤な目を隠すよう閉じかけた瞼に涙を溢れさせ、兄を呼ぶ声に兄ンネは自身の涙を拭い水綿へ這った。
水を含み、あの時のように口移ししたが…
「ンゲホッ!ァ!…ミ…ヒッ!?」
飲み込む力も無いのは言うまでもない。水は口や鼻から溢れ、呼吸困難を招いた。
食道を通らず喉から水が体内のあらゆる場へ流れ込み、激痛が襲っているのだろう。
水は体内を蹂躙した後、痙攣から裂けた皮膜からこぼれだすと、その穴を押し拡げるように臓器も顔を覗かせた。
「ばぎだじでミ゛ィ!」
兄ンネが妹ンネの肩に思わず手をかけてしまった。
「ミボボルル!?ブジュッ!ボジュッ」直に肉を触られただけに激痛が妹ンネの全身を駆け巡ったはずだ。
剥き出しの肉や神経に触られたことで、周囲の残されていた粘液が滲みていく。
兄ンネもブニュッとした感触と熱さに手をひいてしまった。
のたうつことも、叫ぶこともできない妹ンネの苦しみは想像の範疇を超えているだろう。
「い゛っイ…も゛っモ゛」
もはや手を握ることも出来ない兄ンネは苦しむ妹ンネの姿にどうすることもできない。
尾のように傷を舐めてあげることすらできない。
こんな状態では再生力など意味もないのは明らかで、そもそも臓器が外気にさらされた時点でアウト。なんて理解できるわけもない。
水を運んだことで痛みを増した足が兄ンネをさらに深淵に追い込んでいき、
トドメとなったのは「自分の大すきな妹ンネを苦しめてしまった」という現実。
「ええ゛ッミ゛ぃぉうえあぁアイ゛ァ!」
血を吐きながら叫んだ兄ンネの声はもはやチビンネどころかタブンネのものですらない。
ママンネから離された時に見た不安な顔、なぜ不安な顔をしたのか、こうなることを知っていたのか?
ならどうして「どうして守ってくれなかったミィ?」母が自分達を捨てた現実も突きつけられ、
様々な感情が入り交じり、頭のよい兄ンネだからこそ理解は限界を越え、もはや抗う術はない。
間もなく妹ンネは地獄以上であろう苦しみから解放された。
それは同時に兄妹永遠の別れでもあった。
その夜は様々な出来事ばかりだった日々が嘘のように静寂だった。
妹と他兄の寝息もない世界で独りぼっちになった兄ンネ。
妹ンネの死骸には新聞がかけられ、兄ンネは部屋の隅で生気を無くした瞳で排便した糞エサを機械のように口に運んでいた。
みんなでエサを食べたのが四日前。もちろん栄養は足りているが、腹には足りない。
妹ンネの頭の傍らには糞エサが供えのように置かれていた。
妹の死から三日。
兄ンネは何もせずただプラ壁にもたれかかったままだった。
濡れた下腹部は尿が垂れ流しになっている証。
さらに右足からは妹と同じような悪臭が漂い始めていた。
妹の死から五日。
兄ンネは生きているが、これを生きていると表現してよいのだろうか。
どこから入ったのかハエが数匹が垂れ流しの糞にたかり、妹ンネの死骸の新聞の隙間から白い小さなものが這い出してきた。
もちろん兄ンネの右足にも白いものが蠢いていた。
兄ンネはそれを摘まむとそのまま口に運んだ。
そして死から七日目。
「うっわ!!」
新聞、エサ、水綿をもって部屋を訪れた人間は現状に声をあげた
盛り上がった部分がどす黒くなった新聞紙、無数のウジ、ハエ、そしてもたれかかったままの兄ンネ。
すでに右足は壊死し、体から離れていた。
「どういうことだよもう…死体もいいっていうが、これじゃとてもじゃないが食わせる気になんねえよ…」
人間はゴミ袋に水槽から流し込むよう入れた。グチャグチャになった妹だけでなく、ウジ、ハエ、そして兄ンネもだ。
「ミゥ…?」
宙に浮く感覚に久しぶりに自意識を取り戻した兄ンネ。重みで全身に妹の残骸がまとわりついたが、兄ンネはそれを優しく抱いた。
腕の間から妹の一部が溢れた。
まもなく彼らは再び揺れる感覚に見舞われた。
最初のように宙に浮く感覚、そして暗く揺れる空間。
同じ事の繰り返しだが向かう場所に未来はないのは同じ。
タブンネ回収とかかれたトラック。
兄ンネの目は妹の溶けた一部に塞がれ何も見える状態ではない。
周囲に山積みの袋詰めされているチビやベビの死骸を見ずに済むのが唯一の幸運だろう。
食肉として管理されてきたとはいえ、まだまだ町中で野良チビベビが餓死していることが多い。
もちろん野良成タブもだ。衛生から生きているならその場で処分。
職員も経緯は聞かず、淡々と職務をこなしていくだけ。
車が揺れ、山の一部が崩れたことで丁度兄ンネの袋が挟まれるようになった。
さらに兄ンネの自身が潰される感覚は、またベビやチビたちの死骸が放り込まれたということ。
たくさんの仲間、揺られる感覚、、遮られた視界。先程から畜舎から連れ出された状況に酷似していた。
だがここにはかつての未来の幸福を信じていたチビ達はいない。
どんどん息は苦しくなり、兄ンネは意識を失いそのまま永遠に目覚めることはなかった。
これから何処へいくのか。それを知ることは ない。
「売りきれですか…」
「明日の正午過ぎには届いてますよ。うちの契約牧場は1レーンだけではなく、複数体制ですから」
「そうですか。どっちにしろ予定日はまだ先だしいいっすよ!なあ、ガバイト?」
フカマル、いやガバイトは笑顔で頷き、その後ろではマスキッパが草ポケ用フーズを抱えその様子を無言で見守っていた。
「ミー!やめてミー!ミィは仲良くしたぃ」
屋外では危険ポケに追い回されるチビンネ達が見えた。
重量ポケに踏み潰され煎餅のように食され、グルメな鳥ポケモンは生きたままチビの目玉のみをくりぬいて食していた。
危険エリアでもバチュル達が糸もまかずびっしりまとわりつき、体液を吸う。
唯一露出する手をピクピク震わせるチビンネだが間もなく動かなくなった。
毒エリアでは毒に冒され満身創痍のチビが息も絶え絶えに複数転がっており、それによだれを滴ながら近づくたくさんの影。
プールに投げ込まれたチビはキバニア達により数秒で皮膚片のみになった。
こうして今日もチビンネ達は未来が待つポケモン達の糧になっていくのだ。
兄妹達の過ごしたおうちがある棟では既に産卵を終え、卵を温めるママンネ達の姿があった。
兄妹のママンネも新たな卵温めているところだが、その表情は曇りを見せていた。
今更だがママンネ用タブンネに選ばれた個体は幼少時に触角を切除される。もちろん人間達の思惑が伝わらないようにするためだ。
だが稀にこのママンネのように、はっきりとではないが、子の行先に感づいてしまう個体もいる。
彼女が別れ際に見せた不安そうな顔がそれだ。
ママンネは知らないが、逆らえば食肉解体され妊娠ンネの補助食品にされる。
何も考えずただ人間の意向に従えばそれがママンネという選ばれたタブンネのみに許された唯一の幸せ。
このママンネは近い将来、人に異を唱え、上記のように他のママンネの一部になる。
そして兄妹ママンネ畜舎棟の隣の棟。
同じように仕切られた空間が並び、それぞれママンネと20以上はいるチビ達の声が響いていた。
その中の一つでは、ママンネが自身のチビ達に向けお話を始めたところだった。
「みんなは大きくなったらここから離れて幸せになるミィよ」
「やだミィ!ママといっちょがいいチィ!」
「しあわせってママより凄いミィ?」
「もちろんミィ。みんな離れ離れになってしまうかもしれないミィけど、大丈夫ミィからね!人間さんもそう言ってるミィ!」
この子ら、この棟のチビ達は、明日ショップに届けられる。
そうとは知らず期待や不安に騒ぐチビ達の輪から少し離れたところに二匹のチビが手を繋いでいた。
「ミィお姉ちゃんと離れたくないミィ!」
「大丈夫ミィ!ミィは絶対に離れないミィから」
姉ンネは震えるチビの手をしっかりと握りしめた。
終わり
最終更新:2016年07月27日 19:04