エピローグ

解剖実験
<エピローグ>

戦争が終わってから何十年も経った。
戦後、イッシュ地方の医療技術は大幅に進歩していた。

「タブンネ、今日までおつかれさま。はい、これ」

ある町のポケモンセンター。
スタッフから渡された花束をタブンネが笑顔で受け取る。
イッシュではおなじみのナースタブンネ。その引退式が行われているのだ。

タブンネがナースとして活動する期間はおよそ1年とかなり短い。
引退後は野生に戻ったり、ほかの施設で過ごしたりとタブンネによってさまざまな道をたどることになる。

「それじゃあ、そろそろ行こうか」

スーツを着た男性がタブンネを呼ぶ。
このタブンネは、ポケモンセンターを引退した後も、ほかの施設で働くことになったのだ。

タブンネはポケモンセンターのスタッフや訪れていたトレーナーに手を振ると、男性のあとについていく。
ポケモンセンターの外に出たタブンネは空を見上げる。

そこに広がっているのは透き通るような青い空。
それは、とあるタブンネが願ったような「明るい空の輝き」がそこにあった。

男性が用意していたワゴンの助手席にタブンネは乗せられる。
やがてワゴン車が発進し、タブンネは窓から身を乗り出して、ポケモンセンターの方へ手を振る。
ポケモンセンターは徐々に小さくなっていき、そのうち、完全に見えなくなってしまった。

「いいところだったんだね」

ポケモンセンターが見えなくなったころ、ワゴン車を運転する男性がタブンネに声をかける。
タブンネは「ミッミッ♪」と笑顔でうなずくと、窓の外を流れる景色を楽しそうに眺め始める。

これから行くところはどんなとこなのかな?
自分はいったいどんなお仕事をまかされるのかな?

ワゴン車に揺られながら、助手席のタブンネはそんなことを考える。
そんなタブンネの考えを読んだかのように、運転席の男性が口を開く。

「医療技術はまだまだ発展途上だからねぇ。タブンネちゃんがお手伝いしてくれるのは助かるよ」

その言葉を聞いて、タブンネの中に嬉しい気持ちが広がる。
自分はまだ誰かの役に立つことができるんだ。
その気持ちはナースタブンネすべてが持つ、自分以外の誰かを思いやることができる気持ちだ。

嬉しそうに「ミッ♪ ミッ♪」と体を揺らしながら歌い始めるタブンネ。
その様子を見ながら、運転席の男性は微笑みを浮かべる。

人間に慣れたタブンネを騙すなんて簡単だ。

タブンネが「ミッ、ミッ」と話しかけ、男性が「へぇ」「そうなんだ」と適当に相槌を打って流す。
ポケモンセンターで働いていたタブンネは、タブンネの言葉が人間に通じないことはよくわかっている。
むしろ、相槌があるだけでも、自分の話を聞いてもらっていると思って満足してしまう。

だからタブンネは気付かない。気付けない。
男性の微笑みに悪意がふくまれていることに。

約1時間後、タブンネを乗せたワゴン車が目的の施設に到着する。
山を切り開いて作った施設。たまたま訪れる人がいないほど、山の奥に建てられた施設。

タブンネと男性はワゴン車から降りると、建物の入り口に向かって歩きはじめる。
新しいお仕事。それに対する期待に、タブンネの足取りはとても軽い。

男性が重たい扉を開け、タブンネの足がそこで止まる。
扉が開いた瞬間、建物の中からは、それまで聞こえていなかった音が聞こえてきたのだ。

ポケモンセンターで毎日のように聞いていた、怪我や病気をしたポケモンが苦しむ声。
しかも、その声は自分たち――そう、まるでタブンネたちが苦しんでいるかのような……。

「どうかしたのかな? 中には苦しんでいるポケモンたちがいるんだよ?」

男性に声をかけられ、タブンネは表情を引き締める。
誰かの役に立つ。そのために自分はここにきたのだから。

「ミィッ!」

力強く鳴き声を上げると、タブンネは建物の奥へと歩きはじめる。
その背後で、重たい扉がゆっくりと閉まっていく。

ゴゥン。

扉が閉まった瞬間、中から聞こえていたうめき声はまったく外に聞こえなくなる。
そして、この扉を通ったタブンネが、施設の外に出てくることは二度とない。


なぜ、イッシュ地方の医療技術が戦後に大幅に発達したのだろうか。
なぜ、タブンネたちは1年だけしかポケモンセンターで働かないのだろうか。

そもそも、この施設でタブンネたちは何をさせられているのだろうか。

あらゆる疑問は歴史の闇の中に飲み込まれていき、それが表に出てくることなどない。
それはタブンネたちが抜け出すことのできない深淵。

イッシュの闇は深い。

最終更新:2014年06月19日 23:12