序章
「二度とくんなバカどもが!」
まだ薄暗い朝の静かな空気を壊すような罵声が響いた。
とある民家の軒先から蹴り出された二匹のピンクのカタマリ。それはおなじみタブンネ。
この夫婦は昨日の深夜にこの民家の庭で栽培されている木の実を盗んでいたところを家主に捕縛。
数回行っていたのだが昨晩ついに運は尽きてしまい、一晩中仕置きを受け解放されたところだ。
♀ンネは人間と目を合わせないよう必死に♂ンネを支えながら遠ざかっていった。
虐待、、、いや仕置き時の様子は割愛するが、二匹の被害はこうだ。
♀ンネ、呼称ママンネ、またはママとする
口内全火傷、両触角切除、手足ツメ全抜、尾切除、乳腺焼き。
♂ンネ、呼称パパンネ、パパ
尾、両耳両触角切除、両手は粉砕骨折、右目潰し、鼻潰し、歯+舌抜き、顎砕き、両足複雑骨折、おまけに顔の毛を全て刈り。
二匹とも殴られた顔は腫れ上がり、変形していると言えるくらいである。
ママはまだしもパパが生きているのは無駄な生命力の強さか。
苦悶の表情を浮かべつつ、二匹はまだ風が冷たい道を歩き続けた。最悪にも二匹は再生力も癒しの波動も持ち合わせていなかったのだ。
巣は民家から近くの林地にある小さな洞。近づくにつれママの瞳が涙が溢れだした。
地獄から生還し、愛する我が子達と再会できる。
まだまだやんちゃな息子チビンネ、色々なことに興味を示しだした娘チビンネ、そして乳児ベビンネ
皆大切な家族。
「ーーッ---ァー」
パパンネも残された目から涙をながし、顎を砕かれたことで閉まりがきかなくなかった口から大量の涎を滴ながら腕を巣に向けた。
舌も奪われ言葉を発することもできない姿は子供達にどううつるか?
ママンネも歯を食いしばり、普段は何ともない落ち葉や草の擦れる痛みを堪え必死に歩みを進める。
生物の部位は無駄などない。つまりはそれが一つでも崩れれば身体に思わぬ影響を及ぼす。
ママンネは下半身だけでも、バランスのための尾、ツメがなく、腹部の火傷痕は確実に体の負担を倍加させる。
それでも 数時間放置してしまった我が家に向かう為必死に力をふりしぼる。
人間に捕まってる間一瞬たりとも忘れず、地獄のような拷問に耐えたのは愛する我が子達のため。
二匹は穴を塞ぐ枯れ枝をよかし入り口を跨ぎ…
そしてママは巣の様相に絶句した。
子供達は寝静まってから出て、時間的にまだ寝ているものだと思っていたが、想像を上回る結果であった。
貯蓄食料のうち菓子にあたるものは全て無くなり、傍らで膨れた腹で寝息を立てる息子ンネ。
草のベビベッドにベビンネはなく、辺りには下痢便がたくさん撒き散らされていた。
「ベビぢゃん!?」
思わず叫んだママに反応してか、奥のチビ部屋から声が
「どこいってたミィのママー!ベビちゃんうごかなくなっ!?ミキャアアアア!!」
娘ンネが絶叫したのも無理はないだろう、両親はパッと見ればバケモノだ。
娘ンネは手にしていた瓶を落とすと、わずかな白い液体が地に染みていった。
「そればっ!?リユウッはあどミィ!ベビぃぢゃんん゛」
口内の火傷から発音がまともではないが、娘には伝わったようで急いで連れてこられたベビにママはさらに絶句した。
糞まみれの下半身と口と鼻から溢れる白い液は上半身をぐっしょり濡らしていた。
尻も真っ赤に腫れ上がり、必死に拭いたのだろう新聞紙の千切れカスがたくさん付着していた。
「ママ達がべっでごなくて゛ぇ…ベビがウンチしたがら拭ぃでぇもぉなぎやまなぐでミィ…お腹空いたとおもっでぇ…これのまぜだミィ…」
「がじえ!ミィ!ゲビギャ!べをばげでベギちゃ!」
泣きじゃくる娘からベビをひったくり、必死に吐かせようとするが首が前後にカクカクするだけだ。
手足の痛みを堪え必死にベビを抱き、さらに口内の痛みと戦いながら必死に鼻や口をなめるママ
先ほどの白い液体といい、この味は ミルク だと気づく。
娘が手にしていたのはミルクビン。間違いなくあれは四日前にパパが狩って(盗んで)きたミルクだ。
ママは以前に冷たいまま飲み腹を下した経験があり、飲み方模索中と閉まったまま放置していたのだ。
娘ンネはこれを見つけ、ベビに与えた結果はこれだ。
四日前の腐った冷たいミルクにベビは下痢嘔吐、さらに人間用に調整されたミルクは基本野性動物には害。
温める以前の問題ではない。
「ならおっばいのんげミィー!どうじでおっばいででぐぜだいミィーッッ!!」
昨日までは押せば母乳が滴るくらい張っていた乳だが、いくら押しても摘まんでも一滴たりともでない。
間もなくベビは下痢嘔吐による激しい脱水症状と体温低下、おまけに呼吸困難と乳児地獄フルコースで死亡した。
「ゲビヂャアアアアア!」
「ェゥー ァィー」
夫妻は再び涙を流した。
「ミェェン!!ベビちゃああああん!ごめんなさミィィィッ!」
「なんの騒ぎミィ?」
騒ぎに目を覚ました息子ンネだが状況が飲み込めずしばし唖然としていた。
太陽がてっぺんにくる時間。人間で言う正午。
一家の巣は普段なら昼食時の賑やかさを見せているはずだが今日は嘘のように静かだった。
巣の入り口近くに盛られた土とその傍らで顔を隠して座り込んでいる息子の姿。
巣の中ではベッドに横たわり苦しそうに呼吸するパパ。横で水に浸したボロ布をしぼってはパパの額にのせるを繰り返す娘。
痛みに耐えきれず、力む度に傷口からしみでる血液を拭こうにも触るだけで苦悶を浮かべる姿に、幼い娘にはどうしていいかわかるはずけもない。
これらをやった人間は止血など医療技術などは持ち合わせておらず、爛れた面はやきごてによる止血だった。
娘も「ベビを死なせたのはミィ」と自責にかられ、せめてもかパパの看病をするができることなどたかが知れている。
癒しの波動すら使えないチビンネのすることなどママゴトでしかないのだから。
ママは貯蓄食料を前に体と頭両方を痛めていた。
菓子が根こそぎ息子に食い尽くされ、今あるのは残飯レベルの野菜クズや腐敗しかけた木の実。
結局ママは息子を叱ることはできなかった。
物を掴む度に激痛の走る指、歩く度に激痛の走る指。腹部火傷痕の激しい痒み。
くせのように耳の下に手を当てるもそこにあるはずの触角は無い。
溢れだした涙を拭い視線を送った先には小刻みに震え苦悶を浮かべる夫。
涙を流している場合ではない。死んでしまったベビのぶんまで二人の子供を幸せにしなければならない。
夫よりまだはるかにマシな自分が一家を背負わなければならない現実。
狩りをする♂がこんなになってしまったからには野生に生きる者とすれば正直荷物、枷にしかならない。
そんな考えを振り払うようママは使われなくなったベビベットを見つめ静かに呟いた。
「パパとみんなはミィが守るミィ。ベビちゃんみんなを見守っててミィ」
ママは立ち上がり巣の入り口を跨いだ。自分が頑張る、、、と
厳しい自然界の掟はなにもこのママンネにだけ適応されるものではない。
今を生きるすべてのタブンネに共通したことであり、何もこの一家だけが特別でも悲惨なわけでもないのだから。
あれから3日が過ぎた。
一家は朝食をとっているところだが、やはり以前のような賑わいは無かった。
マット代わりの段ボールに並ぶのは萎れて黒ずんだ木の実をちぎったものや、よくわからない穴の空いた葉と黄色くなった野菜クズ。
それを一切文句を言わず無言で食う兄と妹。
以前は今と比べ物にならないくらい豪華な食事だった。
盗品の綺麗な木の実、盗品の砂糖たっぷりの菓子、まだ新鮮な生ゴミの野菜クズとタブンネからすればご馳走をほぼ毎日食べていた。
それだけパパの狩り、いや窃盗技能は高かった。
絶好の狩り場であったあの民家で今まで発見されなかったのは少量であったためで、ここ連日食べ盛りの子の為に大量に窃盗したことが原因。
さらに荷物持ちにママを連れていったこともだ。
菓子は木の実にたかる小さな害虫をとってくれる鳥ポケモン達に家主が用意してあるものを強奪した。
生ゴミは少し離れた集落のゴミ捨て場からだ。
そんな偉大な父は今や寝たきり状態。奥の寝室では寝たきりのパパにママが食事を与えていたところだ。
顎を砕かれ歯を抜かれ咀嚼できない不自由なパパのためにママが用意するのは、実や野菜を細かくし水でふやかしたオジヤのようなもの。
それを手で少しずつ口に流し込んでの繰り返し。最初は舌の傷に当たったり、むせさせてしまったが。
言葉や意思疏通が不自由でも夫婦は互いに協力し、痛みを堪えながらなんとか食事できるまでとなったのだ。
介護される情けなさから涙を流すパパの目尻を、手の甲でぬぐう笑顔のママ。
栄養不足からか一家は痩せだし、さらに傷の治りも悪くなる一方で、パパの切断面の傷は少し臭気を放ち出してきた。もちろん骨もよくなるはずもない。
ママもまともに治療せず指を酷使したからか爪の付け根が紫に変色し、再生する気配を見せない。
腹の傷を掻くツメが無いのは幸運なのかはわからないが、葉で擦るように掻いたからかすっかり毛は禿げ上がっていた。
傷だらけの腹部を晒すことに羞恥なんてしている場合ではない。
こうして大きく変わった食事風景だが、一家の確かな絆がそこにあった。
振り返ったママの視界にあったベビベッドに供えられた小さな実の欠片が揺れた気がした。
「ベビちゃんもおいしいミィ?」
介護や子達の食事が終わるとママは自身の食事だ。
しかしそれらは実や野菜の芯、そして油や調味料が染みたティッシュというゴミ同然の品。
決して足りるわけではないが、ママは現地調達できることから何とか保てている。
ママが食事してる間に
後片付けをするのは息子で、娘はパパの排泄物の始末。
糞を葉で包み、運んできた土に尿を吸わせてボロ布で臀部を拭く。誰もやりたくないようなことでも、娘はベビに対する自責から文句ひとつ言わず行っている。
片付けを終えた息子は、ゴミから出たゴミを捨て、離れすぎないよう近場から手頃な葉を集めてくるのが二つ目の仕事。
ママは子それぞれが仕事を済ませせたのを確認すると今日の狩りに出掛ける。
初めはついていこうとする兄妹だったが、今は「おうちとパパを守る」為の留守番を理解し、ママも安心して出れる。
朝のこの時間は人がゴミを捨て、回収車が来るまでの時間に獲物を狩らねばならない。
痛みも引き、ようやくバランスもとれだしたママは今日もゴミ捨て場に向かう。
貯蓄食料はとっくに腹の中どころか、糞として排泄済み。今日の糧は今日得るしかない。
行きたくは無かったが、生活の為と向かったあの散々窃盗していた民家はあの日以来電磁柵が設置されていた。
実際に掌に火傷を負い理解したことだ。
届かなくなったからこそ目の前の宝の山がとても輝いて見える。
しかし近づけないもどかしさに合わせ呼び起こされるあの夜の狂行。
ママは涙を堪え木の実に背を向けるとゴミ捨て場に歩みを進めた。
こうして一家はそれぞれの出来ることをしながら、ベビ以外すべてが元通りになることを信じ今日を生きる。
もう一度言うが、この一家だけ特別なわけではない。あくまでも多数にある
タブンネ一家のうちの一つでしかないのだから。
序章終わり
最終更新:2016年12月01日 23:05