ショーケースの裏側で7

「ミィィ?」「ミィ?」

捕食者、いやそれ以上にタチの悪いケダモノを前にしているのというのに、チビママンネとお隣ンネはポカンと呆けていた
なにせニンフィアはイッシュには生息していないポケモンで、タブンネ達はその存在すら知らない
容姿から判断しようにも自分たちと同じ桃色の毛並みに青い瞳の容姿はタブンネたちに親近感を覚えさせる
その鳴き声は敵意や威圧感を全く感じさせない澄んだ優しげな声、
そして躊躇なく自分たちの前に姿を現す無邪気さ
これらによってタブンネたちが捕食者と見抜けないのも無理はなかった
つまる所勇者ンネと全く同じ勘違いである

「ミィミ?」

お隣ンネの巣の入り口から子タブンネが出てきた。あの一昨日兄貴分に蹴り飛ばされた子タブンネである
幸い大した怪我ではなく、お隣ンネの献身的な介抱の甲斐あって2日のうちにすっかり完治していた
お隣さんの声と知らないきれいな声がしたので気になって様子を見たくなったのだ

「フフィー♪」

蹴られンネが出てきたのを見るとシルフィはにっこりと笑い、スタスタと歩み寄った
それは獲物に飛びかかる獣と言うよりか、オモチャに駆け寄る子供とも言うべきなんとも無邪気な歩き方だった

「ンミ?」
「フィッフィ!」

体高が自分の身長の2倍程もある知らないポケモンが眼前にまで迫っているというのに、
不思議なことに蹴られンネは全く恐怖を感じていなかった
触覚からの波動のせいもあるが、そのあまりにも天真爛漫な仕草に警戒心を持てなかったのである
ポカンと呆けている蹴られンネを目の前にしてシルフィはとても嬉しそうに一鳴きし
まるで皿に盛られた餌でも食べるかのようにその耳にカプリと食いついた

「ヂギュピーーーーー!!!」
「ンミッ?」「ミミッ??」「チチッ!?」

あまりにも突然な激痛に蹴られンネは泣き叫び、成獣二匹は何が起きたかわからずただ驚くばかりだった
シルフィは加えたまま引っ張り上げ、ブルブルと首を振って蹴られンネを振り回す
手始めに耳を噛みちぎろうとしているのだ
兄貴分の蹴りにも勝る耳が千切れる激痛に蹴られンネの悲鳴はさらに大きくなる

「ミィッ、ミィーーーーッ!!」


わが子の危機に気づいたお隣ンネが全速力でニンフィアに向かっていく
片手間で出した波動では思う心からくる闘志を抑えきることは出来なかったのだ

「フィッ?」

その叫びにシルフィは軽く驚いてピタリと振り回すのを止め、うっかり口の力が緩んで蹴られンネを地に落としてしまう
そしてあろうことかその隙にお隣ンネに子供を奪還されてしまった

「フィッフューー!」

シルフィはムッとして高い声で吠えて威嚇したが、声が怖くないのでお隣ンネは意に関さず
子供を抱きかかえたまま巣の中へ飛び込むように潜り込む
逃げ場のない巣に逃げ込むのは愚策かと思われるかもしれないが、このお隣ンネに限ってはそうではない
お隣ンネはなかなか聡明なタブンネで、逃げ切れる作戦があった

夜の巣の中は月の光さえ届かぬ真の闇で、敵はこちらを捕捉することに難儀するだろう
巣の中はタブンネ臭で充満しているので、鼻が利く敵も自分たちを察知するのは困難だ
一方、自分たちは耳のレーダーを使えばある程度は暗闇の中でも自由に動き回れる
敵が巣の中で右往左往している隙にもう一つある出入り口からこっそり逃げ出し、仕上げに入口を塞いでしまう
こうすれば安全な場所まで逃げるのに十分な時間が稼げるだろう
この作戦は父タブンネから受け継いだ生き抜く知恵であった

「ミッグ… ヒグゥ…」「ミーミィ…」

グズグズと泣く蹴られンネを抱きしめて慰めながら、
お隣ンネは巣の中心部で聞き耳を立てあの捕食者が入るのを待ち構えていた
暗さゆえに分からないが、蹴られンネの右耳は幾つもの裂け目が入りズタズタだ
治ったとしても元の形には戻らないだろう

「ミ…?」

その予想に反し、謎の捕食者は何時まで経っても巣に入って来ない
諦めてくれたのならそれが一番だが、気配は未だ入口の前に居座ったままだ
こうなると外に出ることも出来ずただじっと待つしかない
親子で息を殺して耐えていると突然巣の中に甘い匂いがする風がヒュウと吹き込んできた
外は風もない筈なのに変だなと思ったお隣ンネだったが、
思慮する合間もなく体の風が当たっている部分に猛烈な痛みが走った

「ギギギギィッギ、ギィィ!!」「ギヂヂヂヂヂヂ!ヂヂィ!!」

その痛みはお隣ンネ親子にとって全く未体験の痛みだった
例えるなら、グラスファイバーの粉塵を肌の柔らかい所に擦り込まれるような
金属ブラシで全身をメッタ刺しされるような、そんな感じのチクチクした嫌さがある激痛だ

これはニンフィアが使う「妖精の風」という技で、
フェアリータイプのエネルギーを帯びた桃色の風を相手に吹き付けるという技である
しかし屋外や広い場所では相手に当たるまでにエネルギーが飛び散ってしまい
相手に当たる時には大した威力では無くなっている為に弱い技とされているが
このタブンネの巣のようなかなり狭い密室では話は別だ
風に乗ったフェアリーエネルギーが飛び散ることなく濃密なまま容赦なく襲いかかるのだ

「フューッ、フィー、フィ~」
「ググググッ!グググッ!ギギ…!」「フ… フィ…」

悲鳴から効果を確信したシルフィは、加減することなく妖精の風を巣の中に送り続ける
狭い巣の中では風が逃げ場なく全体に吹きわたり、さながら妖精の食器乾燥機といった様相だ
その地獄と化した我が家で、お隣ンネはわが子に覆いかぶさって風から守っていた

妖精の風が当たる箇所、すなわち背中全体は激痛と共に毛が抜け落ち、じわりと血が滲む
敏感な耳はそれにも遙かに勝る想像を絶する激痛に覆われ、お隣ンネの精神を幾度となく気絶寸前に追い込んだ
瞼にも風が当たって血が滲み、目を開けようものなら失明は免れないだろう
呼吸も満足にできない。一息吸っただけで肺に激痛が走ったからだ

だがそんな拷問にもお隣ンネは子供を守るために歯を食いしばって必死に耐え続ける
激痛に震えながらも庇う姿勢は崩さず、床に敷かれた枯草の床から僅かな土臭い空気を吸って息を繋ぐ
蹴られンネもそんな母の強さを触覚から感じ取り、息苦しさと痛い隙間風を懸命に耐えた


「…ミ、ミ?」
「フィッフィ…」

反応が芳しくないのが気に食わず、シルフィは妖精の風を煽るのを止めた
巣の中では突然風が止んだことに親子でひとまずはホッとしたが、
お隣ンネは油断をせずにすぐに次の行動に移った
入口を完全に塞いで風を送れないようにしようと、床の藁をひと固まり手に取った瞬間である
その時、タブンネの親子は暗闇の巣の中で月を見た

一方、巣の外のチビママンネであるが、怯えるわが子を抱いたままでは攻撃する事もできず、
かと言ってピンチの仲間を見捨てて逃げることも出来ず
つまり何をしていいか分からずただうろたえながら見ているだけだった
その見てる前でシルフィの体が光り、何か光の塊のようなものを巣の内部に吐き出していく
そしてキーン、キーンと高い音がしたかと思うと、お隣ンネの巣の屋根がまるで電灯のようにパッと光った

「ミ、ミィ?!」

異常な事態に困惑し、恐れるばかりのチビママンネの目の前で屋根は6回も光った
この頃になると一応お隣ンネが攻撃されているということだけは分かっていた
光るたびに巣の中からお隣ンネの悶え苦しむ音が聞こえてきたから
もはや小ベビンネは関係なく、ただ恐怖で足が竦んで動けなかった

「フィフィー!」
「ミッ?!ミッミ!」

巣の反対側からガサガサと草を踏む音が鳴り、シルフィはタタタと小走りでそこに駆け寄り
チビママンネも距離を取りながらも焦ってその後を追った

「ミヒィ・・・!」「フフッフフィ~♪」
「グジィー グジィー…」


巣の中から這い出てきたそれが目に入った瞬間、チビママンネは戦慄し、シルフィはフィッフィと嬉しそうに笑った
居た、血と粘液に塗れた赤い肉の塊。お隣ンネのなれの果て、全身の皮を失った姿である
もちろん顔の皮も全て無くなっており、眼球もなく、折れた歯と歯茎を剥き出しにしたそれは何ともおぞましい
肘から先が無くなって白い骨が突き出た腕、ひん曲がって動かなくなった足で地面を這い、
地面に血の跡を残しながらゆっくりとではあるが逃げるように巣から遠ざかっていく

ここで説明しておくとシルフィの放った光の玉はムーンフォースと呼ばれる技だ
現在確認されているフェアリータイプの技の中では最も強力とされている技で
月から由来するエネルギーを炸裂する光弾として打ち出すという何とも美しい技だ
しかしシルフィのそれは見た目とは裏腹に余りにも残酷無比である

何の加減もなく闇雲に巣の中へ打ち出した光弾はお隣ンネ直撃はしなかったものの、
狭い巣の中での破裂は妖精の風のダメージを残していた半身の皮膚を容赦なく吹き飛ばした
その後のムーンフォースも直撃だけはしなかったものの、手足目耳、ついでに残ってた皮まで奪い去り
今の肉ダルマ状態になるに至ったというわけだ

「グジッ、グジッ、グジィィィィ」

お隣ンネ余りの負傷に恐慌して巣から逃げ出したかと思うだろうが、そうではない
この逃走は自分が食われているうちにわが子を逃がすという最後の作戦、哀しき最後の母の愛なのだ
だが誤算だったのはシルフィは食うために蹴られンネを襲ったのではない
タブンネで遊ぶために襲ったのだ

「フィフィフィッフィィ~」

お肉丸だしのお隣ンネを前にしてシルフィがやった事は捕食ではなく、妖精の風だった
コレにムーンフォースやったらすぐ死んで面白くないという悪魔的な判断からの技選択だ

「ガゥゴギュルブゲヂギギュビグバァァアアアアア!!!!」

全身急所となったお隣ンネの全身に妖精の風は万遍無く染み入り、
その激痛の上塗りにもはやタブンネの声では無くなった奇声を上げながら
グネグネと激しく体を捩らせたり転がったりしながら悶え苦しんだ
粘液まみれに体じゅうに枯草の切れ端が付着し、それはそれは悲惨なサマだ
暴れているうちに腹が裂けて腸が露出し、それにも妖精の風が当たって苦痛はさらに倍増した
血のあぶくを吐き散らし、はらわたを振り乱しながらのたうち回る様はこの世のものではない
夜の林の片隅に、一匹のポケモンによって地獄が体現していた

「フィフィフィフィフィフィーーーwwww」

シルフィはその命を尽くしたリアクションに興奮して大笑いし、
チビママンネはうずくまってその地獄から必死に目を逸らしていた、
大泣きする小ベビンネを抱きしめ、逃げるために震える足を必死に動かそうと心の中で頑張っているのだ

「ミィッ・・・ ミィッ… ウッミィィィィィィィ!!!」
「フィィ!フフフィ~♪」

リアクションも鈍り、終わりも近付いて来てるだろうという時に、
突然藪の中から蹴られンネが現れ、シルフィに突進していく
お隣ンネからも草むらに逃げ込んで動かないでと言いつけられていて、その通りこっそり抜け出して隠れていたのだが
母の悲痛な声を聞き、最後の家族を守るために戻ってきてしまったのだ

だが、庇われていたとはいえその体は無事ではなく
方耳は完全に千切れ、片手も手首から先を失い、体の所々で皮が剥がれ赤い肉が見えていて、
普通の子タブンネなら動けなくなる程の辛い怪我だろう
しかし、この蹴られンネはどんなに怖くとも痛くとも、最愛の母を見捨てるなんて出来やしないのだ
その悲痛な勇気と愛に、シルフィは小笑いしながらのムーンフォースで応えた

「ミミーーーーッ!!」
「……!!!」

チビママンネは叫んで蹴られンネを止めようとしたが既に遅く
光弾は胴体の真ん中に直撃し、驚く間も悲鳴をあげる間もなく
蹴られンネは閃光とともに赤い霧となって消えた
骨や肉の破片がポタポタと降り注ぎ、枯れかけた草むらをおぞましい赤い斑点で飾った

「グジィーグジー、グジュグギュルルァゴギィギュググググググググ…」

その時、糸が切れたようにお隣ンネはその命を終えた
耳も目も既に無いというのに、どういう訳かわが子の死がわかったのだろう
その死に顔には安らぎなど一切なく、妖精の風責めの苦悶にも勝る歪みきった絶望の表情だった

「フィッフィ♪ フィッフィ♪」

対照的にシルフィは笑顔で小躍りするように跳ねて大喜びだ
ママ(社長)から禁止されてる妖精の風やムーンフォースもこっそりたくさん使っちゃった♪
でもまだまだまだ遊びたい、こんどはちっちゃい子と遊びたいなぁ
たとえばあのちっちゃい子!

そうしてシルフィは、泣き崩れたチビママンネの腕の中の小ベビンネに熱い視線を向けるのだった

「ミィィィ…」

シルフィと目が合ったその時、チビママンネはガクガクと震えだした

悪い人間たちの元からからやっとの思いで我が家に帰ってこれて、
最後に残ったベビちゃんと、仲良しのお隣さんと平和に暮らせると思ってたのに…
あっというまに仲良しのお隣さんは赤ダルマに、可愛かったその子供は赤い飛沫となって消えた
冒険の終わりに待っていたのは平穏などではなく、血に飢えた捕食者
いや、捕食者ですらない、あまりにも残虐極まる桃色の皮を着た悪魔である
そして今、その凶悪な眼差しはこの腕の中で震え泣く幼いわが子に向けられているのだ

「ウッ、ウミィ… ウミィィィィィィィィ!!!!!!」

チビママンネは恐慌して泣きながら走り出し、ただガムシャラに木々の隙間を逃げ続けた
足がが震えてもつれ、何度も転びそうになったがその足は止まらない
母親の恐怖の感情を感じ取って小ベビンネは大泣きし、
シルフィはそれを頼りに足に余力を残しながら悠々と追ってくる
それはまるで幼児と大人の鬼ごっこの如き圧倒的な差だ
命を掛けた追いかけっこの間、シルフィの頭に浮かんでいたのは
母親の前で赤ん坊をいたぶり、その反応を見て楽しむという邪悪極まりない遊戯である

「フミミン!フミミン!ンミーーーッ!!!」
「フィッフィッフィ~~♪」

どんなに頑張ろうとも両者の距離は詰まっていき、それが1メートル半にまで縮まった次の瞬間…

「ンミミッ?!」

「バチッ」と破裂したような音とともにチビママンネの両腕が突然軽くなり、
そこにあって然るべきはずの小ベビンネの姿が忽然と消えた
掌と腕にヒリヒリと痺れるような痛みだけを残して
チビママンネには知る由もないが、電光石火という技をシルフィが仕掛けたのだ

「ヂィィィィー!!! ヂィィィィー!!!」
「ン、ンミィィィィィィィィィーーーーッ!!」

悲鳴にハッと振り返ったチビママンネの目に映ったのは、
見ただけで気絶してしまいそうな有りうべからざる光景だった
一番の甘えっ子で、いつもチィチィとママに甘えてきたあの子が
どんなに情けない姿を見せても、最後までママだけを頼ってくれたあの子が
自分のベビも、友達のベビも、知らないべビもみんな奪われて、
優しい人間のお陰で最後にたった一匹だけ守りぬけたはずのあの子が
悪魔に足を銜えられ、ヂーヂーと泣き叫びながら逆さ吊りのままじたばたともがいているのだ
しかも噛まれた所からタラタラと血が流れ、お尻と尻尾の一部を赤く染めている

「ミミーッ!!ビィィーッ!!」

チビママンネは大慌てで取り返そうと両腕を掴んで引っ張るが、シルフィも口を離すことなく引っ張り返す
もちろんその引っ張り合いの負荷は小ベビンネの体に掛かることになり
足首の噛み傷はさらに広がり、両肘はコキリと脱臼してしまう

「ウゴバァァァァァァーーーーー!!!」
「ミッヒ?!」

小ベビンネはさらに増した激痛に泣き叫び、それにチビママンネはハッと気づいて手を放した
ここが南町奉行所のお白洲ならばチビママンネは子供を取り返せていた所だが
残念なことにこの小さな林に大岡越前はいない

「ミィ… ミィ… ミィ…!!」

祈るように返してほしいと涙ながらに懇願するチビママンネだが、
それに対する悪魔の返答はまるでぬいぐるみを弄ぶかのように小ベビンネを振り回しながらの拒否であった

「フミ、フミ、フミ~~~ン」

その挑発に対するチビママンネのリアクションは、涙ながらに額を地面に何度も叩きつけての連続土下座であった
母親なら激怒し、反撃に出て然るべき暴挙ではあるが、恐怖する心がそれを止めていた
先の出来事からも判るように、チビママンネは母性が強く子供のために辛苦に耐え抜く強い心はあるのだが
どうしても暴力だけには滅法弱いのである

「フィッフィw」

そのブザマな有様はシルフィを大いに喜ばせ、笑いで顎が緩ませる、
その時、小ベビンネは牙から解放され地に落ちた
叫びすぎて喉を傷めたのであろう。その母に助けを求める鳴き声はガラガラに濁っていた

「ヂイヂィ! ヂィヂイ!」
「ミミミミィ~~~!!!」

情けない歓喜の声を上げ、ペタペタと地面を這いずり小ベビンネに手を伸ばしたチビママンネ
しかし手が触れるよりより早くシルフィは再び小べビンネを銜え上げてしまう。今度齧った所は右耳だ
再び返してと懇願するチビママンネをシルフィは首をプルプルと振ってそれを拒否した
小ベビンネは振り回され、耳を根元から裂く激痛の悲鳴が夜の林に響く

「フィッ!!」
「ンミッ!?」

ベビの耳は弱く、遠心力でブチッとた易く体から離れ、
小ベビンネはその勢いで70センチほど吹っ飛び土の上に投げ出された
あまりの痛さにもはや泣き叫ぶ事もできず
うずくまって痙攣しながらグミッ、グミッ、としゃっくりにもにたうめき声で泣き続けている
生き血が滴る千切れた耳はシルフィがコリコリと食べてしまい
その始終を見たチビママンネはガクガクと震え戦慄した

おちびちゃんの耳は一生元に戻らない。どうしてこんな事に…
涙を流し続けた小さな母の下瞼はヒリヒリと赤みを帯びていた
今日という日ほど、青い瞳が乾かぬ一日はなかっただろう…

「ミィッ… ミィッ… ミィ!!」

哀れな母親は投げ出されたわが子に駆け寄る、
しかし、素早く回り込んできた悪魔にいとも簡単にと赤ん坊を奪われてしまった
次に噛みつかれたのは尻尾だ
またもシルフィは首を振って振り回すが、先ほどよりもかなり動きが激しい
肉が千切れる感触と飛んでいくのが面白かったのだろう
さっきのような事故ではなく、今度は意図的に千切ろうとしているのだ
しかし尻尾は耳に比べて流石に丈夫でどんなに振り回してもなかなか千切れない
その為シルフィはベビをいっそう強く振り回し
チビママンネは取り返そうとそこに手を出したものの
手に顔に激しくわが子を叩きつけられて指は数本折れ、鼻血は出る
それでも諦め事無く何とか掴もうと頑張るが取り返せる気配はまるでない

「ンギ゙ィィィィィィィィィーーーー!!!!!!」
「ン゙ミ゙ィ!!?ミ゙ィ!」

「バチン」という太いゴムが切れるような大きな音と同時に、小ベビンネは再び飛んで落ちた
すかさずチビママンネはトタトタと痛めつけられたわが子に駆け寄るがその目前にまで近づいた途端…

「ギッオゴゴゴグオッシュ!ゴブギャァァァァァァ!!!!」
「ンミッ??!」

どういう訳か、小ベビンネが今まで聞いたこともないような激しい濁った声での悲鳴を上げたのだ
ハッとして小ベビンネをよく見てみると、ピンクの肉が露になった血まみれの無残な尻から
グニャグニャした紐のような物が伸びているのだ
そしてそれを自分が踏んでしまっている事に気がつく
チビママンネはこれが何なのか知る由も無いが、皆さんはお判りであろう。これは小ベビンネの腸である
千切れる際に尻尾の周りの皮が下の方に裂けて肛門を巻き込み
吹っ飛ぶ際に尻の皮と共に肛門が取れてしまっていたのだ

「フミミ、ミィ!!」

痛がってる様子から一応は体の一部だということだけは理解できたチビママンネ
慌てて足をどけ、下半身が赤く染まりきったのわが子を素早く抱き上げる
ようやく悪魔の牙からわが子をその手に取り戻す事が出来た
しかし、安らげるはずの母の腕の中にいる小ベビンネは苦痛に顔をゆがませ
口をぱくぱくとさせながらクィー・・・クィー…とか細い苦しそうな声で鳴き続けている
その声は母に救いを求める声だとチビママンネは痛いほど理解できていたが
飛び出したはらわたが地面に触れ夜風に晒され、母親に踏まれるという想像も出来ぬほどの苦しみに
癒しの波動も使えぬ未熟な母タブンネが出来ることなど何一つなかった

「フィッフィッフィ?」

一方、悪魔シルフィはというといまいち状況が掴めず、尻尾がついた血まみれの肉片を口にしながらポカンとしていた
そして母の腕に抱かれた玩具から伸びる紐のような物に興味が移る
それは網の目のような血管に赤い血が流れ、ヒクヒクと鼓動する小さな腸
肉食獣の本能のためだろうか、人間には気味悪く嫌悪するであろうそれに強く惹かれ
何の気なしに前足でその先端ををベシベシと叩いて玩具にし始めた

「ゴギュウルルルグボボッ!!グギギィグギギグゥ!!!」

シルフィが叩くのに同調して、小ベビンネは腕の中で激しく暴れまわる
大腸が1メートル半も離れた小ベビンネに導線のように激痛を直に伝えて来るのだ
苦痛のあまり、小ベビンネはここが母親の腕の中だということも忘れたように荒れ狂う
口の端に赤みの混じった泡を吹きながらヘドバンの如く頭を四方八方に振り回し
それが何度も母親の顔面に当たり痣を作らせた

「ミーミ!ミーミミィ!」

チビママンネは自分の痛みも忘れて必死に宥めようとするが、
小ベビンネが感じている苦痛はそんな事で和らぐような甘いものではない
遂には赤ん坊とは思えないほどの大暴れによって抱きしめる腕が滑り、再度地面にわが子を落としてしまう
シルフィはその時のドサリという音に気をとられ少しだけ腸遊びを止めた
小ベビンネは普通なら痛がって大泣きする所だろうが、地面に横たわったままハァ、ハァと大きく息を吐き続けている
弄るのを止めたことによって苦しみが和らいだからである
落ち葉が積もる地面に打ち付けられる痛みなど、獣にハラワタを直に弄ばれる地獄の責苦に比べたら愛撫にも等しい

「キィッ!!ピィッ!!クキィィィィィィ!!」
「フィッフィwフィッフィw」

シルフィが再び腸で遊び始めたのだ
もはやどうしたらいいかわからなくなっている母の眼の前で小ベビンネはビクンビクンと激しく悶え苦しみ、
泣きわめき白目を剥きながら落ち葉の上をのたうち回る
腸の先端を刺激される度に身をよじらせながらバタバタと暴れる構図
それはまるであのポンプを握ると跳ねるカエルの玩具の様である

「ミ、ミィ・・・
 ミィミィ!ミィミィ!ミーミ、ミッミ、ミミミ、ミィ!!…」

命がけの大冒険の末にたった一匹守り抜いた小さなベビンネ
その命よりも大切なわが子が無残にも玩具にされる様をあまりにも間近で目の当たりにし、チビママンネは思い、叫び訴えた
ベビちゃんがこんなにも苦しんでいるのに、どうしてあなたは喜んでるの?
怖いくらいに遠くへ遠くへ連れ去られて、悪い人間にひどい目に遭わされて、兄弟もお友達もいなくなって…
それでも、優しいひとに出会って助けられて、ようやくこのお家にまで帰ってこれたんだよ
ぴこぴこした小さなお耳も、ふんわりしたちいちゃな尻尾も、お空とおんなじ色のお目目も
とっても、とってもとっても可愛いのに、どうしてそんな酷い事が出来るの?
あのお母さんも男の子も、おちびちゃんも、だれも何も悪いことなんかしてないよ…

「ミィーッ!!ミィーッ!ビィーッ!!」
「フィ~w」

チビママンネが声の限り叫ぶの心からの訴えを、シルフィは鼻で笑って流した
たかが使い捨てのオモチャ風情が何を訴えようとマトモに聞いてやる気などないのだ

「ギョグァァァアアアアアアアアア!!!!キハァァァァァァァァアアアアアアアアアアーーーーーーババババババブァ!!!!!」

そしてその必死さを煽るように腸を噛みしめながら引っ張り、小べビンネに一際大きな悲鳴をあげさせる
それは、普通に生きていたら一生出すことはないであろう声の、赤ちゃんが絶対に出してはいけない声の、
口からはらわたを吐き出すが如き狂気と苦痛を孕んだ凄絶な絶叫だった

「フィフィ~ン♪フィィ~~♪」
「ミ、ミィ…」

その叫びにシルフィは大いに喜び、腸を銜えたまま嬉しそうに鼻歌を歌い
チビママンネあまりの光景には泣くことも喚くことも出来ずにガクガクと震えながらただただ絶句していた
そんなチビママンネに、シルフィは腸を口にしたままニッコリと笑いかけた
リアクションが思ったのと違うのでさらに挑発を重ねようというわけだ

「ミィィィィ… クィィィィ…!」

その効果は覿面で、恐怖により縮み上がっていたチビママンネの怒りが再びふつふつと湧き上がってきた
どうしてあんな悲しい苦しい叫び声を聞いて、笑っていられるの?
こんなに可愛いベビちゃんを苦しめて痛めつけて、ズタズタにして泣かせるのがそんなに楽しいの…?
べビちゃんが死んじゃったら、みんなが悲しむんだよ!
わたしも、ここにはいない優しい人間も、いつかここに帰ってくるパパンネも・・・
女子社員と夫ンネの顔が頭に浮かんだ瞬間、怒りとは別の熱いものが湧き出してきた
それは立ち向かう勇気である

「ギィーッ!グミ゙ィィーーーッ!!!」

咆哮を上げ、チビママンネは目の前の悪魔に捨て身の突撃を仕掛けた
それは昔のポケモントレーナーによって「捨て身タックル」と名づけられた技で
本来ならチビママンネの錬度では使えないはずの技だ
だが、心体の全力を以て真っ直ぐ怨敵に突撃するそれは奇しくも技であるそれに一致していた
その勢いにシルフィは突き倒されて腸を放し、チビママンネもまた反動でドンと強く尻もちをついてしまった

「ミ、ミィ!」

倒れた事で一瞬安心して、わが子に注意を移したのがいけなかった
シルフィが素早く立ち上がりチビママンネに飛びかかってきたのだ
チビママンネは慌ててそれを受け止めて喉笛を噛みちぎられる事だけは避けることができ、
結果的に両者は押し合いの体制になった

体躯も膂力も大分負けているはずだが、チビママンネは何とか地面に押し倒されずに踏ん張っている
子を思う母の心
その奥底から湧き出る怒りによって小さな母の身躯には普段の何倍もの力が漲っていた
愛の力を以てしても押し倒されずに踏んばるのが精一杯なのが悲しいところだが

「ンミ…! フミィ…!」

組み合っている最中、チビママンネの耳はシルフィの心の奥底にあるもの
この鬼畜以下の所業を笑いながら為す邪悪な心の元、その正体を感じ取っていた
それは何の珍しくもない、肉食の生物が持つありふれた狩猟本能、そしてポケモンとしての闘争本能
発散される事無く心の底でドス黒く凝り固まったそれらが、シルフィの心を醜悪極まる悪魔に歪めているのだ

チビママンネに判るのはこの程度の事だが、ここで少しシルフィが何故このような残忍な性格に成るに至ったのか
その来歴をもう少し踏み込んで説明しておこう
元々シルフィはアローラ地方・アーカラ島の野に生きる幼いイーブイであった
それがトレーナーであった社長の妹に捕獲されて彼女の島巡りの旅に加わったのだ
社長の妹は姉とは違い、本当に優しく思いやりがある性格であり
時を待たずしてシルフィは仲間のポケモンたちと同じように戦いを以てトレーナーの助けになりたいと思っていたのだが
扱いはその思いとは真逆の物であった

幼さゆえの力不足、そして愛くるしい見た目のため無理な実戦投入を躊躇われ、
学習装置やリゾートアイランドのアスレチックといった安全な手段で
戦わずして力をつけていくという悶々とした日々を過ごす羽目となる
それでも社長の妹の事は大好きで、可愛がられていくうちに仲良しになりニンフィアに進化し、
地味な努力の結果練度も上がり十分に実践に耐えうる力を身につけた
だがその時には既に遅く、社長の妹は既に島巡りの旅を終えてしまっていた

社長の妹は旅を終えた後はリーグに挑戦せずに普通の生活を選び
シルフィもまた戦いとは無縁の日々を送ることとなる
そしてある時社長が実家を訪れ、可愛らしさに一目ぼれしたため譲り渡されたというわけである
その後のペット暮らしは言わずもがな平和だが退屈なものだ
美味い飯も暖かな寝床も上等な玩具も十二分に与えられ、新しい飼い主とも気が合う
だが、シルフィは常に飢えていた

上に述べた境遇だけではこのような凶悪な性格には成るに至らない
シルフィを狂わせたのは、他でもない社屋で飼育されている子タブンネ達であった
もちもちふっくらとした餅かマシュマロのような柔らかさを思わせる体系、
心に残るミィミィチィチィとか弱く何所か切なさを含んだ鳴き声、
思わず飛びつきたくなるぴこぴこフリフリと扇情的な耳と尻尾
ケージの格子越しにあるその愛くるしい肉の塊は、シルフィの捕食者としての本能を容赦なく焚きつけた
アローラのイーブイとその進化系は人の管理の下でも本来の獣性を大いに残している
何代にも渡るブリーディングによって野性を失いかけている他の地方のそれとは大いに違う
これは地方毎のポケモン図鑑の表記の違いを見比べても判る事だ

シルフィもまた同じく野性を心の隅に置いたままであるが、彼は自分が人に飼われている身分ということをよく理解している
あれらを傷つけるなどしたら飼い主に迷惑がかかってお叱りを受けるであろう事を察し
格子の向こうに決して手を出すことは無かった

辛抱の日々の中、シルフィは子タブンネたちを狩り殺す様を妄想する事で自分を慰めていた
現実で満たされる事無く妄想だけを続けていくうちに、その内容は日々過激さ、陰惨さ、残酷さを増していく
脳内に悪魔を植え育てるが如きその行為は、人知れぬうちにその心までも闇に染めていった

社長に木の実や菓子などを与えられた時、わざわざ第一飼育室にまで持って行って子タブンネたちの目の前で食べることがあった
貧相な餌しか与えられぬ子タブンネたちに御馳走を食う様を見せつけての憂さ晴らしかと思われるだろうが、真実はなお悪い
この時、シルフィは妄想の中でタブンネを喰っていたのだ
目の前のオボンを、ポフィンを、血に塗れて悶え苦しむベビンネに見立て乱雑に千切り喰らう
傍目には餌をやや乱暴に遊びながら食べているようにしか見えないが…
甘味に飢えた子タブンネ達にとっては羨望極まる光景だが、その実は蒲焼の匂いだけで白米を食うが如き惨めな食事であった

そしてある時、シルフィの夢は唐突に叶った
あの子タブンネの反乱に困り果てた男二人に呼び込まれた時である
生きたベビンネを目の前にして、もはや理性も忠義も何もかもが吹き飛んでしまった
思う様目の前の肉を引き裂き喰らい、必死に仇を討たんとする小さな愛と勇気を腹ごしらえに蹂躙した後
シルフィの心に訪れたのは束の間の満足と喜び、そして地の底よりも暗く深い嗜虐への飢え
この喜びを大好きな飼い主と分かち合いたく、ベビンネを銜えて社長のもとへ走った

あの時の勇者ンネと餌食となるベビと出会った事が切欠で、理性という殻を破って魔獣シルフィが現世へと産まれ出たのである

チビママンネがその悪魔と組み合うこと2分弱、動けぬ間にも小ベビンネの命の灯火は刻々と小さくなっていく
しかしチビママンネは何もできない
少しでも力を抜こうものなら眼前にあるこの牙が己の喉に向かう事が容易に想像出来るからだ

一方、シルフィの方はというと次の一手、この遊びのフィナーレに相応しい強烈な一撃を思いつき
何の躊躇もなくそれは実行に移した

「ミミッ!!?」

シルフィの顔面がチビママンネのそれに当たりそうな程に近づいたかと思うと
チビママンネの視界は月に覆われた

その光により目が眩んでいる隙に、シルフィは身を翻してチビママンネから離れる
チビママンネは何のつもりなのか分かりかねたが、間もなくぞわぞわとした胸焼けのような不快感に襲われた
ふと自分の胸を見てみると、提灯のように赤く光っているのが見て取れる
口から体内にムーンフォースを撃ち込まれたのだ

「ンミ… ンミ? グィィィィィィィ??!!!! ジビーーッ!!!」

疑問に思う間もなく不快感は熱さへ、熱さは激痛へと胸の中で目まぐるしく形を変え
食道をゆっくりと下に降りながらチビママンネの体内を蹂躙していく
想像を絶する激痛にのたうち回り、両手で胸を加減なく�惜き毟る
その胸は古木のささくれの様に皮膚がめくれ血の合間に剝き身の胸肉を覗かせ
�惜き取られた無数の桃色の毛玉がタンポポの綿毛の様にふわふわと宙に舞う
胸の中にある苦痛の元を素手で掻き出さんとしているのだ
余りの激痛に気が狂い分別がつかなくなった事による、正しく狂気の沙汰であった

ブリュリュリュィビチチチィ!! ジビビビビビビ グロロロロェ!

全身が悲鳴を上げ、崩壊しかけているチビママンネの身体から逃げ出すようにあらゆる物が外へと躍り出る
大便、小便、屁、胃液と胃の中身、汗、涙、涎、鼻水。いずれも血の赤みを帯びていた
ムーンフォースの光の塊は止まることなく、五臓六腑を蹂躙しながら体内を下っていく
今度は腹を裂かんばかりに掻き毟るが傷ひとつつかない
既に手の爪が全て剥がれ落ちてしまっていたからだ
一時も頭から離れなかったわが子の姿が、声が、露と消えるほどの苦痛
先ほどまでの母としての覚悟など最早消し飛んでしまっていた

「ギッヒ… ギィィィィィィ!!!!グビィィィィィィィ!!!!」

狂乱の末、チビママンネが最後に取った体勢は
中腰で前かがみにしゃがむ和式便器に跨っているかのような排便の姿勢であった
意外に思えるかもしれないが、物凄く腹が痛い時に取る体勢と考えれば自然な事だろう
とにかくもう、この光の塊を何としてでも体外へひり出してやろうとしているのだ

「キィィィィィィィィィィィィ!!!!!アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」

「ボムッ」という爆発音、そして閃光と共にチビママンネの姿はシルフィと小ベビンネの前から消えた
ムーンフォースが尻の中で炸裂し、その勢いでで吹き飛んで行ってしまったのだ
まるで屁が爆発して吹っ飛んだ様なコントのオチの如き最後である
彼女がいた筈の場所には夥しい血痕と骨と皮が付いた肉片、そしてズタズタになった両足だけが残されていた

「…… フィ…?」

小べビンネはあまりに凄惨な光景に身を硬直させ、泣くこともできなかった
大好きで信頼しきっていた母親が目の前で苦しみ抜い末に無残にも消えうせるという始終
それを余すところなく見てしまった絶望は痛みすら忘れさせるほどだ
対照的にシルフィはスッキリとした満足げな笑顔である、こんな派手な遊びは又と出来まい

一瞬の静寂の後、近くの木の上の方がガサリと鳴り、何かが落ちてきて木の枝が折れた所に突き刺さった
それは変わり果てたチビママンネである
全身血と汚物にまみれ、腰があるべき所には血が滴る内臓がぶらりと垂れ下がっていた

「……」

タブンネの生命力はかくも強く、このような状態になっても意思を失う事は無かった
片目には視力が、血に汚れた両耳には聴覚が辛うじて残されている
しかしこの深手である。それらが命とともに消えうせるのは時間の問題であろう
シルフィは落ちてきたそれを死んだものと思いこんで興味を向けず
小ベビンネは変わり果てたそれを愛する母だと認識できなかった

「チィ… チィ…♪」「フィー?」

チビママンネの目の前で繰り広げられるそれは、あまりにも信じがたい光景だった
愛するベビが腸を引きずりながら悪魔の足に縋りつき、甘え声を出しているのだ
チビママンネの心は再び震えわが子の元へ向かい止めようとした、
が、声は出ず、手は動かず、両の足は何処にあるのかすらわからない

この時、小ベビンネはあまりの絶望で既に心が壊れていた
「ママが死ぬはずが無い、いなくなるはずがない」と思い込むあまり、
あろうことか目の前にいる悪魔を母親だと認識してしまったのだ
桃色の毛皮に青い瞳、間違える要素も無くもないのだが

「フィッフィッフィ~」「チィ… チィ…」

意外なことに、シルフィは座ってから前足で小ベビンネを優しく抱きよせた
自分を母親だと思い込んでいる事を何となくではあるが理解していたのだ
優しそうなポケモンに無邪気に甘える光景に、チビママンネは気の迷い程度に安堵した
ベビちゃんの可愛さに負けて改心し、もしかして助けてくれるのではないか、と
その時、小ベビンネの無事な方の耳の触覚が不意にシルフィの胸に触れた

『これからたくさんもがき苦しんで死んで あたちを楽しませてほしいな♪』

「チピャァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」

それは、この世に生まれ落ちて34日にして生きる希望を全て断たれた赤ん坊の、あまりにも悲壮な慟哭であった

そしてシルフィは己を母と慕う子を嗤いながら痛めつけ始めた
耳を千切り取り、足を噛み折り、突き出して許しを乞う小さな両手を容赦なく噛み千切る
両目は爪で潰された後にほじくり出され、上唇に噛みついてから額にかけて顔の皮を剥ぎ
全身まんべんなく妖精の風を浴びせ、最後に爪で胴を裂き動く内臓を露にしてシルフィの責苦は止まった
口が無事な間、小ベビンネは泣き叫んでいたが、
それは助けを求めるというよりか、母に許しを乞いているような泣き方だった
小ベビンネにとって目の前のピンクは未だに母であり
愛する母に八つ裂きにされるという絶望感は余りにも計り知れない

「…ァ …ァ」

何よりも守りたかったわが子が、守らなければならなかったわが子が、目の前で肉塊にされる
この世で最後に見る光景にしては、余りにも無慈悲が過ぎている
怒ろうが悲しもうが手も足も動かず、祈ろうにもチビママンネは神を知らない
もはや苦しまずに安らかに眠ってくれと願うことだけが、チビママンネが出来る唯一の愛情だ

「フィッフィッフィ~♪」

そんな切ない母の願いを冒涜し嘲笑うかのように、シルフィは瀕死の小ベビンネに更なる追い討ちをかける
悪魔が選んだトドメの一撃は、剥き出しの内臓に目がけての放尿であった

「ヂュブルルルルルルン!ボルンッ!!」

肺に肝臓に心臓に肺にジョボジョボと放尿され、
湯気が立ち上ると同時に動かなくなりかけていた小ベビンネの身体は激しく痙攣しだす
やがてそれも弱弱しくなり、小便が止まるのを待たずして小べビンネの命の音は完全に消え去った
赤ん坊の消えかけた命の灯火を、母親の目の前で小便でかき消すという邪悪極まる暴挙

それは、チビママンネの心を肉体が滅ぶより早く死に至らしめるのに十分な殺傷力を持っていた



「フィッフィ~♪」

静まり返った林でシルフィはただ一匹歓喜の声をあげた
小便の湯気が立つ血肉の塊と吊られたズタ袋はそれに何の反応も示すことはない

チビママンネの愛と勇気も女子社員の慈悲と友情も
悪魔によっていとも簡単にズタズタに踏みにじられ、汚辱と絶望に塗れながら打ち捨てられた
もし、チビママンネが女子社員が受け入れてたら、女子社員がベビを運ぶ役を買って出なかったら
小ベビンネが怖い女に売れていたら、社長一行がシルフィが逃げ出したのに気づいていたら…

この胃の物がこみ上がって来るような最悪の結末は避けられていただろう
一旦その牙を剥いた運命というものは、血に飢えた獣よりも残酷なのかもしれない



「…残っちゃったですね」
「ミィィ…ミィ」「ミッミッ」

ここで場面は再びデパートに移る
イベントは終わって後片付けもひと段落し、
女子社員は檻に集められた売れ残った子タブンネたちをぼんやりと眺めていた
会場を桃色に埋め尽くす程沢山いた子タブンネも、売れ残ったのは19匹
いずれも人見知りしたり人間を怖がってたりしている消極的な子タブだった
皆一様に怯えきっていて、抱き合ったり丸まったりしながらすし詰めの檻の中でプルプルと震えている
心優しい女子社員も、この子タブンネ達にとっては人間という恐ろしい生き物のうちの一匹でしかないからだ

「きっとこの子たちにも優しいお母さんがいたのだろう」「この子たちはどこに連れて行かれるんだろう」
女子社員は子タブンネ達の切なさと行く末を案じ、気持ちを落ち込ませていた

「この子たちは、これから何所に行くのでしょうか…?」
「う~ん、まだ決まった訳ではないざんすけど、
 ここに入っているポケモンショップに移してそこに販売するざんすかね~」
「そうなのですか…」

まあ納得できる返答ではあったが、心のもやつきはさらに大きくなる
この子たちはもはやどうあろうと商品でしかないという冷酷な事実を改めて認識させられたからだ
救われる道は優しい飼い主に買ってもらう以外にないのは分かっているが
こんなに怖がってる子が売れるのだろうか
いや、売れたとしても人間と共に暮らして本当に幸せになれるのだろうか…?

「ハハハ、やったなテイツ君、大成功じゃないか!」
「あっ、どうもこんな所までお疲れさまでざんす!
 いや~お陰様で200以上いたチビちゃん達も今やこの通りざんすよ!」

憂いの女子社員とは対照的に、やたらテンションが高い中年男性が催事場に現れた
このデパートの本社の社長である
言うまでもなく上機嫌の理由はイベントの大成功によるものだ

「おお、君はショーの司会をやってくれてた子だね!いやー結構な名司会だったよ!」
「それ以外にも早出してトラブルを解決してくれたりお世話も泊まり込みでやってくれましたざんすよ
 今回の一番の功労者と言っても過言ではないざんすね~」
「…ありがとうございます」

せっかくの店長から直々のお褒めの言葉であるが、女子社員はあまり嬉しさを感じられなかった
作り笑いで愛想は尽したが、その心内では憤りすら感じている
タブンネたちの涙を知ろうともせず、ただ数字だけを見て手放しで喜んでいるこの二人にに

「この成功ぶりなら他の支店でもやる事になりそうだよ、クリスマス前あたりに、ここでも来年の夏あたりにもう一度くらいやりたいねぇ」
「…子はいつか必ず親から離れていくもの。このタブンネたちはそれが早まっただけだよ」

あまりにも言い訳じみた暴論。だが確かに聞いたはずの女子社員は俯いたまま口を紡ぐ
不思議なことに、その心はこの屁理屈に反論するどころか無理に納得しようとしているのであった
それは、小売の平社員の自分からしてみれば雲の上の存在である本社の社長の言葉という事と
自分が許される理屈を探していた心の弱さのためなのだろう
どんなに心正しくあろうとしようが、
彼女も仕事だからと言い訳してタブンネを傷つけた者たちの一員に変わりはしないのだから

一息程の沈黙の後、女子社員は顔を上げ、最後の反論を喉の奥から絞り出した

「それでも、突然に家族とお別れするのは悲しすぎるのです…」

女子社員は幼少期に母親を事故で喪っていた
それ故、あの母性溢れるチビママンネにあれ程まで入れ込んでいたのかもしれない



またまたところ変わって高級住宅街にあるお屋敷と呼んで差し支えない程の大きさの小奇麗な一軒の家
そこには実業家の夫妻と大学生の娘が暮らしていた
こう書くと何不自由なさそうな裕福な一家だが、夫婦は娘のことで深刻な悩みを抱えていた

「そういえば、アルマ(娘)はどうしてる?」
「デパートに行って帰って来てから部屋に閉じこもってますよ」
「また例のお化け趣味か… 変なポケモンは飼い始めるし全くどうなってるんだ…」

高校まで何の問題もなく優等生そのものだった娘だが、大学に入ってからオカルト趣味に凝り始め
今ではすっかりオカルトマニアと化していた
そんな娘の部屋からは、防音部屋にも関わらず子タブンネの悲鳴が漏れている

「ンビィィィィーーーッ!!ンビィィィィーーーッ!!」
「フフフ、もっと遠慮なく怖がっていいのよ♪」「ムキュウウ♪」

お屋敷の2階の一室、魔道書やまじないの道具などオカルトグッズに飾られた部屋
そこに全身紫ずくめの女と小さなムウマ、そして籠の中で泣き叫ぶ子タブンネの姿があった

娘とはデパートにやってきたあの怖い女で、ムウマはそのペット
そして泣き叫ぶ子タブンネは言わずもがなあの勇者ンネである

「ヒッ?!ヒッ!ヒィッ!!ヒギャァァァァァァァ!!!」

しかし、ここから出してと籠の格子を掴んで揺らしながら泣き叫ぶ姿に、もはや勇者の面影はない
両耳には3本ずつ大きな銀色のピアスが通され、腹と背には大きな魔法陣の焼き印がこんがりと押され
尻尾は溶かした蝋で固められ、左足には鎖鉄球つきの小さな足かせがガッチリと嵌められている
ここに連れてこられた時には勇者ンネは必死に暴れ抵抗していたが
怖い女によって縛りあげられ、上記の装飾が施されると一変して怯えるばかりになった

終の棲家になるであろうゴシック調の装飾を施された大きな黒い鳥籠は比較的まともではあるが
問題はその中に床材として敷かれている物で、それは無数の子タブンネやベビンネの頭がい骨である
ポケモンの頭蓋骨はオカルトショップで各種売っていて、その中から小さいタブンネのそれだけをまとめ買いした物だ
どういう訳だかタブンネの物だけ他のより異様に安かった為に思いついた装飾である
人間がそうであるように、勇者ンネもまた足もとに敷き詰められたそれに本能的な恐怖を覚え震え上がった

「ムキュッキュッキュ~♪ ムキュキュッキュ~♪」「ふふふ、美味しそうねぇ… どんな味がするのかしら?」

勇者ンネが泣き叫ぶ様に笑顔で大喜びのムウマ。
赤い玉を光らせながらくるくると宙返りして喜びを表現している
ここでの勇者ンネの役割は、前述の扱いが示すとおり愛玩ポケモンなどではない
では何かというと愛しき悪霊への生贄、すなわちムウマの餌である
恐怖を餌とするムウマの腹を満たすために、命尽きるまで心を搾取されるというのが勇者ンネの運命だ

「ハァ、ハァ、ハァ… ハァーッ… ハァ・・・」
「あらぁ、もう限界?」

あまりに泣き叫び過ぎたために疲れ果て、膝をついてゼェゼェと息を切らす勇者ンネ
怖い女はそんな哀れな勇者に情けをかけることなく
「これで元気を出してね」と尻尾の先端にライターでカチリと火をつけた
蝋で固める際に予め蝋燭の芯を仕込んでおいたのだ

「クピャアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーッ!!!!!!」

自らの尻尾が燃えているという事実に恐怖し、勇者はとうに枯れ果てた喉で泣き叫び髑髏の上を転げまわる
火は小さいので毛皮に燃え移るということは無かったが、
チャームポイントであるしっぽを焼かれるという精神的ダメージは人間が思うよりもずっと大きい

「フフフ… 元気になったみたいね。…でもこの仔はなんでこんなのを怖がるのかしら?」

先ほどから勇者ンネを泣かせていたもの、それはノートパソコンに映る動画であった
動画サイトで映画の恐ろしい怪物やら肉食ポケモンの捕食シーンやらいろいろ見せていたのだが
その中で一番怖がったのは、女にとってはまるで意外なことに
手違いで再生したニンフィアが餌を食べるだけの可愛らしい動画であった

つづく
最終更新:2017年08月20日 20:47