自分で言うのも何ですが、私は子供が大好きです。
子供に恵まれぬまま夫を早くに亡くしたこともあり、それ以来40年余の人生は全て、
幼稚園の保母として他人様の子に愛情を捧げることで過ごして来ました。
我が子がいたらどんな心持であったろうと時々夢想することもありましたが、もはや適わぬ夢。
子供達の笑顔を見ることだけを無上の喜びとして、職務に身を捧げて来たのです。
その天職とも思えた保母業も定年を迎えてしまいました。
子供と接する機会が失われ、心の張りがなくなってしまったような気がします。
今では、近所の公園で本を読みながら子供達が遊ぶ姿を眺めるのが、私のささやかな楽しみなのです。
そしてもう一つ………
今日も私は近くの公園を訪れ、片隅のベンチに腰掛けて、本を読み始めました。
そしていつもの通り、若い母親達が1人また1人とやってきて、子供を遊ばせています。
住宅街の中にあるこの公園は、母親達と子供の交流の場なのであり、
私の心のオアシスでもあるのです。
「だぁー、だぁー」「きゃっきゃっ」
まだ2歳弱くらいでしょうか、よちよち歩きの赤ちゃんが2人じゃれあっています。
見守る母親達も目を細め、育児の苦労などについておしゃべりしているようです。
他にもおもちゃで遊ぶ子や、まだ歩けず一生懸命はいはいする子などもいて、見ていて飽きません。
私も本を読む手を休め、しばしその光景に見とれていました。
そうする内に、母親達が子供を連れ、引き上げ始めました。
いつの間にか時計は12時を回っていたようです。お昼ごはんのために家に帰るのでしょう。
私も一旦帰ることにしようと思い、荷物を片付け始めた時でした。
「チィチィ、チィチィ」
小さな鳴き声が私の耳に聞こえてきました。
その声が聞こえた方向を見ると、草むらの中にうごめくピンク色の塊が見えました。
タブンネです。それもまだ身長30センチに満たないくらいの小さい子タブンネです。
この公園の近くにはタブンネが巣を作る森があり、時折親子連れのタブンネを見かけます。
人間をあまり恐れていないらしく、親子で姿を現わしては小学生達に可愛がってもらったり、
餌を与えられる姿も何度か見かけました。
「チィチィ?チィ?」
子タブンネは心細げな顔できょろきょろしています。母親とはぐれたのでしょうか。
私は胸の高鳴りを押さえつつ、荷物をハンドバッグにしまうと、微笑みながら子タブンネに呼び掛けました。
「タブンネちゃん、おいで。こっちにいらっしゃい」
私の声に気づいた子タブンネは笑顔を見せると、私のほうへよちよちと歩み寄ってきました。
怖がる様子がないところを見ると、人間に慣れており、友好的な生き物だと親に教えられているのでしょう。
私は子タブンネを抱き上げると、ベンチの上に座らせて頭を撫でてあげました。
「チィチィ♪」
ふわふわの尻尾を振り、青い瞳を嬉しそうに輝かせ、無邪気な笑顔を見せる子タブンネ。
まさに天使の笑顔です。
その頭を撫でながら、私はさりげなく周囲を見回しました。
母親達はみんな家に戻り、公園には誰もいません。この子タブンネの親らしき姿も見当たりません。
それを確認した私は、子タブンネの首に両手をかけてぎゅっと絞めつけました。
「キュッ!?キュゥゥ……!」
突然の仕打ちに子タブンネは驚きつつ、私の手を振りほどこうともがきます。
ですが、人間の力に子タブンネがかなうわけがありません。
私は徐々に手に力を加えてゆきます。静かに、ゆっくりと、笑みを絶やさぬまま。
そのまま持ち上げると、子タブンネは小さなあんよをバタバタさせて必死に抵抗しようとします。
「ンギュゥゥ!……クカッ…………カァァ……!」
苦しさのあまり舌を突き出し、首に食い込む私の手をぺしぺしと叩く子タブンネ。
涙が溢れるきれいな瞳が、「どうしてこんなことをするの」と訴えているかのようです。
しかし私がやめることはありません。手にひときわ力を込めました。
「ギュァァァ………!」
そしてもう一息。
「カ………ァ………!………」
子タブンネの全身がビクンと大きく痙攣しました。抵抗していた手の力が抜けていきます。
足がだらんと垂れ下がりました。揺さぶっても反応がありません。
ベンチの上にその体を横たえて、つついてみても筋肉にはもう張りがなくなっていました。
子タブンネの命は、たった今失われたのです。ここに転がっているのはもうただの肉塊でした。
そして私の顔は、いつの間にやら興奮で上気していました。
正直に申し上げましょう。これが私のもう一つの、決して人には言えぬ邪な楽しみなのです。
もちろん初めてではありません。この子タブンネは3匹目の餌食でした。
1ヶ月ばかり前になりますが、私はその日も公園のベンチに座って子供達を眺めていました。
すると
「ミッミッ♪」
声のする方には、子タブンネを抱いた母親らしきタブンネの姿がありました。
その母親タブンネは、公園に小学生が数人いるのを見ると、草むらの中に子タブンネをそっと置きました。
「ミィ♪」「チィチィ♪」
おとなしく待っててねとでも言い聞かせたのか、子タブンネと何かしらの会話をすると、
母親タブンネは小学生達の方へトコトコ歩いていきました。
「あ、タブンネだ!」「かわいいー!」「おやつあげるね!」
「ミッミッ♪」
小学生に取り囲まれた母親タブンネは、笑顔で尻尾を振って可愛らしく踊り始めました。
きっとこうすることでおやつや木の実をもらえることを知っていたのでしょう。
いたずらな子供もいますから、念のため子タブンネは隠しておいたというところでしょうか。
その時の私は、その一連の光景を微笑ましく眺めていたのです。
「チィ、チィチィー!」
草むらに残された子タブンネが何やら鳴いています。
いつまでここにいればいいの、お母さん早く帰ってきてとでも呼びかけているのでしょう。
その愛らしい姿に私は思わず歩み寄り、草むらにしゃがみ込んで子タブンネの頭を撫でてあげました。
「チィ?」
人間の姿に驚いたようではありますが、逃げもせずおとなしくされるがままになっています。
その時でした。私の心の中に、ふとこんな声が聞こえてきたのです。
『もし首を絞めたら、この子は一体どんな表情をするのだろう?』
今までの私にとっては全く考えも及ばぬことでした。
ですが、あの時の私はその突如沸きあがった衝動に取りつかれ、止まらなくなってしまっていたのです。
私は子タブンネの首を絞めました。
「キュウウ!!」
ああ、その苦しむ表情の何と可愛らしいこと。もっと見たい、もっとその表情を私に見せて……
夢中になって絞め続け、気がつくと子タブンネは死んでいたのです。
途端に私は急激に熱が冷めたかのように我に返りました。何と恐ろしいことをしてしまったのでしょう。
慌てて周りを見回しましたが、幸い誰もこちらの様子には気づいていないようです。
子タブンネの死体をハンドバッグにしまうと、私はできるだけ平静を装ってその場を立ち去りました。
まだ踊っている親タブンネと、それを取り囲む小学生達を避けるように、家に帰りました。
帰ってはみたものの、私は途方に暮れました。
ハンドバッグから取り出した子タブンネからは体温が失われつつあり、もう生き返る訳がありません。
この期に及んでは証拠隠滅するしかないと決めた私は、新聞紙でそれこそ十重二十重にくるみ、
その上からさらにゴミ袋で何重にも包んで、台所の隅に置きました。
明日はゴミの日ですから、さりげなく捨てれば発覚することはないでしょう。
翌日、私は恐る恐るいつもの公園に行ってみました。
周りの親子の視線が気になりましたが、誰も私を奇異な目で見たりはしませんでした。
誰にも昨日の凶行は見られなかったのだと、私が一息ついた時でした。
「ミィ……!ミィ……!」
ピンクの毛皮はボサボサで、足元がふらつきながら、何かを探しているらしいタブンネの姿が目に入りました。
瞳からはとめどなく涙が流れ、鳴き声を上げすぎたのか、声がかすれています。
きっと私が命を奪った子タブンネの母親タブンネに違いありません。
おそらく、昨日から丸一日我が子を捜し続けていたのでしょう。
「ミィミィ……ミィ……ミ…………」
そしてよろめいたかと思うと、ばったりとタブンネは倒れてしまいました。
突然姿を消した子供を捜して、飲まず食わず不眠不休で走り回っていたのでしょう。
倒れたタブンネの周りには人垣ができ、やがてポケモンセンターの救急車がやってきて運び去りました。
その一部始終を遠目で眺めつつ、私は自分の両手を見つめました。
あの幼くいたいけな子タブンネを絞め殺した手ごたえが、まだ残っています。
ですが、私の心の奥から再び声が聞こえてきたのです。
「あの感触をもう一度味わいたい」、と。
2、3日の間、私は悩みました。内なる衝動とは別に、理性が問いかけてきます。
「私はタブンネだけでは飽き足らず、人間の子供まで手にかけるようになってしまうのではないか?
命を奪わずにはいられない獣になってしまったのではないか?」
しかしそれは杞憂でした。
それ以降公園に出かけて、人様の子供を見ても殺害衝動はまるで起きませんでした。
誰も見ていない公園の片隅で、母親とはぐれた子供が泣いていたのを見つけた時も、
首を絞めようなどという気持ちは欠片も起こらず、一緒に親を探してあげたくらいです。
なぜタブンネに対した時だけ、あのような残酷な心持ちになるのかはわかりません。
私のような者の眠っていた嗜虐心を呼び覚ます何かをタブンネが持っているから、としか言い様がないのです。
そしてそれは、間もなく証明されることになりました。
1週間ほど経ったある日、私は公園で新たなタブンネの親子を見かけました。
母親タブンネは、まだ生まれて間もないと思われる赤ちゃんを抱いており、その横に兄か姉らしき子タブンネがいます。
「ミッミッ!」「チィ!チィチィ!」
ですが、すやすやと眠る赤ちゃんを他所に母親タブンネと子タブンネは何やら言い争っている様子です。
「チィー!チィチィー!」
子タブンネはまるで人間の子供のように、地面に転がって駄々をこね始めました。実に可愛らしい姿です。
「ミッ!!」
母親タブンネは、もう知りませんとでも言う感じで、子タブンネを置いて歩き去ろうとしていました。
何となくその親子の会話の内容が私にはわかりました。子タブンネはすねているのです。
赤ちゃんが生まれて、母親がそちらにかかりっきりになり、自分が構ってもらえなくなったように思え、
癇癪を起こしたのでしょう。母親は母親で、育児の苦労をわかろうとしない上の子に機嫌を損ねたのです。
人間でもよくある光景、微笑ましい親子の姿でした。
しかしその時、私の心に囁く声がありました。『千載一遇のチャンスだ』と。
私はもうためらいませんでした。2~30メートル先を歩いている母親タブンネが振り向く前に、
子タブンネに素早く歩み寄って口を塞ぎ、そのまま連れ去ったのです。
「ンッ、ンン…!」
恐怖で目を見開いた子タブンネを抱いたまま、私は母親タブンネに見つからないよう木の陰に隠れました。
そして子タブンネの体を地面に置くと、声を出せないよう左手で口を塞ぎながら、右手で首を絞めたのです。
「ンンン~!………ンムゥ~!!……」
子タブンネが小さな手足をバタつかせる感触に私は酔いました。健気で無力な抵抗の感触に。
やはりタブンネを相手にした時のみ、私の嗜虐心は顔を出すようです。
「ンッ!………ク……」
口を塞がれたまま首を絞められたのではひとたまりもなく、子タブンネが絶命するにはさほど時間はかかりませんでした。
息絶えたことを確認し、前回と同じく、人に見られないよう子タブンネの死体を、私は持ち帰ろうとしました。
ですが、はたと思いついたのです。先程の母親タブンネは赤ちゃんを抱いていました。
もし、この子タブンネがこのまま姿を消してしまったら、先日の母親タブンネのように捜し回るのではないでしょうか。
そして同じように不眠不休飲まず食わずで倒れてしまったとしたら、罪もない赤ちゃんも死んでしまうでしょう。
だったら、あえて発見させてその死を認識させるのが、せめてもの情けではないかと私は思ったのです。
一方的に命を奪っておきながら、情けどころか身勝手極まりない、悪魔のひらめきとも言える発想でしたが、
その時の私はむしろ、うきうきするものを感じていたのです。
「ミーッ!ミィィ!?」
母親タブンネの声が聞こえてきました。子タブンネがついてこない事に気づき、引き返してきたに違いありません。
私は草むらから手頃な大きさの石を拾い、公園の遊歩道の端の方にそれを置き、子タブンネの頭を石に乗せました。
転んで頭を打って、死んだように見えるでしょう。私は木の陰に姿を隠して、様子を伺う事にしました。
「ミィー!ミィー……ミッ!?」
やがて、子タブンネを捜しにきた母親タブンネがそれを見つけました。慌てて駆け寄っていきます。
「ミィ……ミィ……?」
話しかけても反応がないと知り、赤ちゃんを地べたに置くと、恐る恐る触覚を子タブンネに当てました。
何も聞こえるはずはありません。
「ミ……ミィィィィィィィィィィィィィ!!」
母親タブンネは、子タブンネの亡骸を抱き締めて号泣し始めました。
お互い機嫌が悪かったからといって、ほんのわずか目を離したばかりに子供が頭を打って死んでしまった。
こんな事になるなら、もう少し我慢してこの子を甘えさせてあげればよかった……
取り返しのつかぬ事をした後悔の念に、母親タブンネは打ちひしがれている事でしょう。
そして自責の想いに打ちひしがれながら、生きていくしかないのです。
その悲痛な泣き声を聞きながら、私はゾクゾクするものを感じていました。
人為的に作り出された悲劇によって、母親タブンネが嘆き悲しむ姿を眺める事は、えも言われぬ快感だったのです。
その姿を見て、「気の毒」とか「可哀想」ではなく、「美しく可愛らしい」と感じたのです。
そう感じさせたのはやはりこれもまた、タブンネが持つ不思議な魔力のようなものなのでしょう。
そして母親タブンネは、片手に赤ちゃん、もう片手に子タブンネの亡骸を抱いてふらつくように去っていきました。
それからしばらくは、公園に行ってもタブンネと出会う事もなく、静かな日々が続きました。
あの感触が忘れられないという気持ちは抱えてはいましたが、かと言ってわざわざ
タブンネの森まで
獲物を求めて狩りに行くほど、私は血に餓えていたわけではありません。
あくまで、親とはぐれたりした子タブンネが目の前に現れた時だけ、それが「神の啓示」であると考えて、
手にかけてきたのです。まあ、「神の啓示」と言うより「悪魔の囁き」なのでしょうが……
そして今日、三度目の「神の啓示」があったというわけです。
私はベンチに横たわる子タブンネの死体を眺めながら、この後どうするべきかと思案を巡らせていました。
悪戯を計画する子供のように、頬に笑みを浮かべながら。
まず私は、子タブンネの首の周辺のふわふわの毛を整え、絞められた跡を隠しました。
少なくともタブンネの目では、死因が絞殺とはすぐにはわからないでしょう。
前回は頭を打って事故死したように見せかけたわけですが……
そこでひらめいたのです。死につながる何の形跡もなく、ただ死体が転がっていたらどうなるでしょう。
一目見たくらいでは死因はわからないでしょうから、果たして自然死と思うでしょうか?
それとも何者かによって命を奪われたと気づくでしょうか?
その困惑する様も楽しめるのではないかと考えたら、私はわくわくしてきたのです。
私は子タブンネの死体を近くの草むらの中に置きました。草むらから尻尾がはみ出て、すぐ見つかるような形にします。
時間は12時半近くになっており、もう公園には母子連れの姿はなくなりましたから、
第三者に見つかって騒ぎ立てられることもないでしょう。
私は元のベンチに座り、何事もなかったかのように、再び本を読み始めました。
「ミィー!!ミィー!!」
15分ほど経った頃、鳴き声と共に1匹のタブンネが姿を現わしました。
何かを探すような表情と声からして、子タブンネの母親タブンネに違いありません。
「ミィー!……ミッ♪」
草むらから顔を覗かせている子タブンネの尻尾に気づいたらしく、安堵したような表情で駆け寄ります。
ですが、当然のことながら子タブンネはぴくりとも動きません。
「ミッミッ♪ミッミッ♪」
『こんなところで寝ていたら風邪を引くわよ』とでも言いたげに、母親タブンネは子タブンネを揺り起こそうとしました。
ところが、その顔が見る見るうちに蒼白になっていきます。異変に気づいたのでしょう。
「ミッ♪……ミッミッ……」
母親タブンネは少し強く子タブンネを揺さぶりました。青ざめた顔がひきつります。
「ミミッ!!」
慌てて抱き起こして、触覚を胸に当てています。心臓の音はもちろん聞こえるはずはありません。
「ミィ……ミィミィ………ミィィッ!!」
私にはタブンネの言葉はわかりませんが、母親タブンネが何を言っているかはわかるような気がします。
『ねえ……ふざけてるんでしょ?……寝たふりしてるだけなんでしょ?……目を開けてよ、お願い!!』
しかし、子タブンネの目が開くことは二度とありません。その魂はとっくに肉体から飛び去ってしまったのですから。
「ミッ……ミッ…………ミェェェェェェン!!」
受け入れ難い事実に打ちひしがれ、母親タブンネは声を張り上げて泣き叫び出しました。
それを見ながら、私は筆舌に尽くせぬ満足感を感じていたのです。
何と悲痛で、何と美しい光景なのでしょう。
しばらく泣き続けた後、まだしゃくり上げながら、母親タブンネは辺りを見回しました。
子供を死に至らせた犯人、または原因を見つけたいと思ったのでしょう。
しかし昼下がりの公園には人影はありません。タブンネを襲うようなポケモンの姿もありません。
その母親タブンネと、私の視線が合いました。
母親タブンネは子タブンネの亡骸を抱きかかえ、私の方によろよろと近付いてきました。
「ミッ!……ミィィ……ミィミィ……!」
何ごとかを私に訴えかけています。少なくとも私を疑っている表情ではないようです。
きっと『この子に何があったか見ていませんか、誰か近付きませんでしたか』とでも尋ねているのでしょう。
ですが、その意図はわかったとしても、私が正直に答えるわけはありません。
先程も申し上げた通り、実際のところポケモンの言葉は通じないのですから、
ポケモンに話しかけられた普通の人間の対応で私は答えます。ごく自然に困った表情を作りながら。
「ごめんなさいねえ、私、ポケモンの言葉はわからないの。その子がどうかしたのかしら?」
傍目から見れば眠っているだけのようにも見える子タブンネの死体に目をやりつつ、私は答えました。
果たしてその答えは母親タブンネに通用するでしょうか?
タブンネは人間の心臓の音で感情を読み取るとか。私の嘘は見破られるかもしれません。
そう考えると、少し胸が高鳴ってきたようです。ああいけない、これではばれてしまうかも……
「ミィ……」
しかし母親タブンネはがっくりとうなだれました。騙し通せたようです。
普通の時ならいざしらず、気が動転している今は、まともに私の心を読み取れなかったのでしょう。
目の前の人間の老女に言葉が通じなかったと思って、それ以上は疑念すら抱かなかったようです。
「ミッ…」
母親タブンネは私に背を向け、
夢遊病者のような足取りで歩き去ってゆきます。
私はうっすらと額に浮かんだ冷や汗をハンカチで拭いながら、その後ろ姿を見送りました。
さすがに今日はちょっと冒険が過ぎたようです。
でもおかげで、悲しみに暮れる母親タブンネの泣き顔を、間近で堪能する事ができました。
気がつけば時計はもうすぐ1時になろうとしていました。
私の本来の目的である子供達を眺めようにも、お昼寝の時間になってしまいましたから、
当分は母親達ともども公園に出てくることはないでしょう。
私も家に戻り、昼食にしようと腰を上げかけた時でした。
車の急ブレーキの音と、ドンという何かが激しくぶつかる衝撃音が聞こえてきたのです。
音は公園の外の道路から聞こえてきたようです。私はそちらへと小走りで急ぎました。
「もしや……」
その予感は的中しました。
駆けつけた私が目にしたものは、停車している大型トラックと、その10メートルほど先に
血だるまで倒れているタブンネの姿でした。先程の母親タブンネに違いありません。
そのさらに3メートルほど先には、投げ出された子タブンネが転がっていました。
これも母親同様に血まみれになっており、もはや本当の死因などわからないでしょう。
「俺が悪いんじゃねえよ!あのタブンネがふらふら出てきやがったんだ!」
集まってくる野次馬に弁解でもするかのごとく、青ざめたトラックの運転手が叫んでいます。
私は母親タブンネに近寄ってみました。既に息絶えているようです。おそらく即死だったでしょう。
我が子を失い茫然自失状態でトラックに気づかなかったのか、
それとも悲嘆のあまり自ら死を選んだのか……
私はしゃがみ込んで、その死に顔を覗き込んでみました。
まだ涙が溢れる青い瞳は、虚ろに見開かれていました。死の瞬間、この目には何が映っていたのでしょうか。
その哀れな姿に、私は言い知れぬ満ち足りた気持ちを感じたのです。
そして母親タブンネにそっと囁きかけました。
「よかったわね、これで天国で再会できるわね。幸せに暮らしなさいな」
子供を亡くして失意の内に生きるよりは、むしろこうなった方が幸せではありませんか……
次第に人だかりも多くなり、パトカーもやってきたようです。私は静かにその場を去りました。
あれ以来、公園でタブンネの姿は見かけていません。
いつも通り、私は指定席のベンチに腰掛けて、無邪気な子供達の姿を目を細めて眺めています。
ですが心の奥底では、新たな可愛らしい獲物が姿を現わすのを心待ちにし続けているのです………
(完)
- おばあさん怖いな -- (名無しさん) 2016-09-07 06:35:51
最終更新:2014年06月19日 23:02