『それじゃあ、行ってくるミィ!』
『いってらっしゃい!』『がんばるミィ!』
雪深く積もるセッカシティ。
その近くの森でタブンネたちの歓声があがる。
冬季オリンピックのために集められたタブンネたちと、その家族だ。
世界的な祭典に参加できるということで、どのタブンネたちも誇らしげな笑顔を浮かべている。
荷台にタブンネたちを乗せたトラックが出発し、雪の上から残されたタブンネたちがそれを見送る。
タブンネたちはお互いの姿が見えなくなるまで笑顔で手を振り続けた。
『おみやげ持ってくるミィーッ♪』
タブンネたちが出発して1週間後。
とある屋内のホッケーリンク。アイスホッケーの試合が行われている。
パックを打ち合い、ときには選手同士が激しく接触し、会場に集まった観客たちからは大きな歓声が上がる。
第1ピリオドが終了しインターバルに入ると、選手たちがリンクの外に出ていく。
激しい試合によって、リンクの上の氷はボロボロに荒れて、このままでは非常に危険だ。
リンクの上を整備するために整氷車が出てくる。
そして、その運転席に乗っているのはセッカシティから出発したタブンネだ。
「タブンネだー」「かわいー」「手、振ってー」
リンクを整備していくタブンネに会場が沸く。
その声に応えるように、タブンネは観客席に笑顔を向けると手を振り始めた。
およそタブンネとは思えない器用さに、会場からはタブンネに向かって歓声と拍手が巻き起こる。
しかし、実はこのタブンネはただ運転席に座っているだけで何もしていない。
おっとりしている傾向の強いタブンネでは、短いインターバルの間にリンクを整備するのは難しい。
そのため、人間が遠くからリモコンで整氷車を操作して時間内にリンクの整備を終わらせるようにしているのだ。
そんな手間をかけてまで、なぜタブンネを運転席に座らせているのか。
会社の宣伝のためだ。「タブンネでも簡単に操作できる高性能なマシンです」と宣伝するために。
さて、選手として選ばれたわけではなく、仕事のできない役立たずだと暗に言われているも同然のタブンネ。
しかし、腐った態度も見せず、しっかりと笑顔を浮かべている。
オリンピックという
スポーツの祭典に参加できるだけでもやはり嬉しいのだろうか。
しかし、よく観察してみるとおかしなことに気がつく。
タブンネは、笑顔を張り付けたかのように同じ顔のままで、その瞳からは生気が感じられない。
手を振っているときも、ときおりビクッと体を震わせ、どこか落ち着きがないようにも見える。
インターバルが終了する前に、タブンネを乗せた整氷車がリンクの上から去る。
選手たちがリンクに戻ってくると、いよいよ第2ピリオドが開始される。
さて、おかしいと思わなかっただろうか。
セッカシティからは何匹ものタブンネたちが連れて行かれたはずなのに、姿が見えるタブンネは1匹しかいない。
ほかのタブンネたちはどこに行ってしまったのだろう。
整氷車が裏に戻ってくると、スタッフたちが大急ぎで整氷車の点検と整備を始める。
第2ピリオドが終わるまでの間に、整氷車が問題なく動くようにしなければならないので、大忙しなのだ。
「おら! 早く降りろ!」
スタッフの1人が大急ぎでタブンネを運転席から引きずり下ろし、そのまま固い床の上に転がす。
床の上に乱暴に落とされたタブンネではあるが、痛みを気にすることなく、体をブルブルと震わせている。
「そこにいたら邪魔なんだよ!」
スタッフに蹴飛ばされると、タブンネは壁の方に行き、頭を抱えて再びブルブルと震えはじめた。
これから起こる光景を決して見ないようにと、ギュッと固く目を閉じて体を丸めている。
何人ものスタッフが整氷車の周りに集まり「せーの!」という掛け声とともに、整氷車の中から何かを引っ張り出す。
『ムグゥ……』『ンン……』『ンォォ……』
それはタブンネたちだった。
どのタブンネもぐったりとしており、声を出せないように口をガムテープで塞がれている。
中には、ひどいケガをして激しく出血しているタブンネもいる。
そう。セッカシティで集められたタブンネたちのほとんどは、製氷車の中に入れられていたのだ。
寒冷地に住むタブンネたちは、普通のタブンネたちに比べて体毛が太く量も多い。
そのため、そのふわふわの尻尾はリンク上の氷を磨き上げるブラシとしてもってこいなのだ。
もちろん、タブンネたちにとってはたまったものではない。
リンクを磨くときに、ブラシである尻尾が高速で回転するが、中に入っているタブンネたちもいっしょに回転する。
さらに、機械の回転に巻き込まれてケガをすることも珍しいことではない。
スタッフたちが、タブンネたちの尻尾を乾かして形を整え、ケガをしているタブンネにはきずぐすりを塗っていく。
車両内部に付着したタブンネの体液や血液を洗い流し、何度も動作確認をする。
次のインターバルまでに車両整備を終わらせなくてはいけないので、その作業には焦りの色が見える。
「タブンネ1匹死んでます! ケガ治りません!」
どうやら1匹のタブンネが死んでしまい、きずぐすりが効かないようだ。
出血したままの状態だと、整備のときにリンクを汚してしまう可能性がある。
スタッフたちはあわてて代役のタブンネを探す。
『もうすぐ帰れるミィ……。おみやげにオボンをたくさん持って帰るミィ……』
壁際でブツブツと口を動かすタブンネ。先ほどまで運転席に座っていたタブンネだ。
スタッフたちはそのタブンネを羽交い絞めにすると、口にガムテープを張り付けて整氷車のなかに押し込む。
『ンンッ!? ムググッ!? ンーッ! ンーッ!』
ガムテープによって叫び声を出すことができなくなったタブンネ。
あとから押し込まれたタブンネたちと目があう。
言葉を出せないタブンネたちだったが、その瞳からは明確なメッセージが伝わってくる。
『地獄へようこそ』
奥から連れてこられた新しいタブンネが運転席に乗り込む。
ガチガチと歯を鳴らす顔は恐怖に歪んでいる。
「第2終わったぞ。早く行け! ……笑顔だって言ってんだろうが、この馬鹿!」
頭をはたかれ、運転席のタブンネは無理やり笑顔をつくる。
人間には聞こえない、整氷車の中のタブンネたちのうめき声を聞かされながら無理やりに。
『お父さんたち、まだ帰ってこないミィ?』
『オリンピックは終わったからそろそろ帰ってくるはずミィ。』
『おみやげ持ってきてくれるかなぁ……あ、人間さんのトラックが来たミィ!』
ブロロロと音を立てながら、トラックがセッカシティ近くの森にやって来る。
その音を聞きつけたタブンネたちがトラックの周りに集まる。オリンピックに参加したヒーローたちを出迎えるためだ。
2人の人間がトラックから降りてくると、荷台のタブンネたちを次々と地面に落とし始める。
群れのヒーローたちに対するぞんざいな扱いに、出迎えに来ているタブンネたちから抗議の声が上げる。
しかし、2人はその声を無視して作業を進め、荷台からタブンネたちを落とし終わると、さっさと運転席に戻っていく。
まだまだ深い雪の上に落とされたタブンネの数はわずかに4匹。
『……ミィ?』『これだけミィ?』『お父さんがいないミィ……』
徐々にざわつき始めるタブンネたち。
旅立ったはずの家族が帰って来ていないのだから当然だろう。
そんなタブンネたちに人間が声をかける。
「こいつらの血や油で機械がダメになっちまったんだよ。修理代が稼げるまでこっちで働かせとくよ。
まあ、いつになったら修理できるだけの金が稼げるかはわかんないけどな」
タブンネたちの動きが一瞬とまり、再び抗議の声を上げようとする。
しかし、あることに気付いたタブンネたちの動きが止まる。
荷台から落とされたタブンネたち。
その体の下の、真っ白なはずの雪が赤く染まっていることに。
オリンピックに参加したタブンネたちの毛皮がはぎ取られ、全身から血を流していることに。
『ミィィィーッ!?』『ひどいケガだミィ!?』『これはどういうことだミィ!?』
異常な事態に気付いたタブンネたちが慌てふためく。
タブンネたちの様子を見ながら人間たちは「あっはっは」と笑いながら言う。
「そいつら働いて稼ぐのを嫌がったからさ、かわりに毛皮を売って金を作らせることにしたんだよ。
そいつらの姿を見たおかげで、ほかのタブンネたちは素直に働くことを了承してくれたよ。
本当ならタブ肉になって食卓に並ぶところをわざわざ持ってきてやったんだ。感謝しろよ?」
それだけを言うと、人間たちはトラックに乗り込む。
エンジンをかけて発車する直前、「ああ、そうだ」と言って窓を開けると、タブンネたちに向かって何かを投げる。
それは尻尾だった。ボロボロになって黒ずんではいるが、それは紛れもないタブンネの尻尾だった。
「実は大会中に1匹死んじまってさ。それ、そいつの形見。
どのタブンネのかはわかんないけど、お前らみんな同じような顔してんだし、誰のでもいいだろ」
「じゃあな」という言葉を残してトラックは去っていく。
瀕死の状態で帰ってきたわずかなタブンネと、「家族は帰ってこないだろう」という絶望に立ち尽くす群れを残して。
雪の上に投げ出されたタブンネのうち1匹が口を開く。
『ただいまだミィ……おみやげ……たくさん持ってきたミィ……
たくさんオボンの実をもらったミィ……今夜はごちそうだミィ……』
焦点の合っていない目でブツブツと言葉を紡ぎ続けるタブンネ。
空中に差し出された小さな手には、おみやげなど何も握られていなかった。
(おしまい)
最終更新:2014年06月29日 14:02