太陽がギンギンに照り付ける蒸し暑い中、草むらの中を麦わら帽子を被り、手に虫取り網を持った少年が歩いています。
少年は数日前にカント―地方からこのイッシュ地方に家族と共に引っ越してきたばかり、
新しい家では両親は引越したばかりで忙しく、退屈になった少年は近くの草むらに虫取りに来たのです。
少年はカント―に住んでいた頃も虫取りが大好きで、よく森でキャタピー等を捕まえていました。
「この地方にはどんな虫がいるんだろうな~」
未知の土地に住む未知の虫に少年は心を躍らせています。
ガサガサッ
その時、少年の近くの草が揺れました。
「お、虫か?」
反射的にその部分に網を振り下ろした少年。
「チ、チィィ!チィィ!」
「…ん、何だこりゃ?」
網を持ち上げてみると、中にはピンク色をした小さなチビンネが入っていました。
「チィィィ!チュピィィ!」
初めて見るイッシュ地方のポケモンが珍しいらしく、少年は網の中でパタパタ手足を動かしてもがくチビンネをしげしげと見詰めています。
「何だろこれ…?虫、じゃないよな、尻尾あるし…」
網からチビンネを掴み出し、観察する少年。
「でも触覚みたいのもあるぞ」
と少年はチビンネの大きな耳の下にあるフニフニの触角を
つんつん引っ張ります。
「チィ!ヂィィー!ヂィィー!」
触角は相当敏感な器官なのか、チビンネは触角を押さえてさらに泣きながら暴れます。
「まっ、いいや、後で図鑑で調べてみよ!」
そう言って少年は持ってきた虫かごにチビンネを押し込み、蓋をしました。
チビンネの頭が天井に届くか届かないかの狭い虫かご…
当然チビンネは「ここからだして!」とばかりにアクリルの壁をペチペチとたたきますが、未知のポケモンを捕まえて若干興奮気味の少年にはそんなことは気になりません。
少年はチビンネを入れた虫かごを持って走って家まで帰りました。
「チビッ!フィ!ヂィィ!ヂギィ!」
その際チビンネは何度も何度も天井に頭をぶつけました。
「ねぇママ!ピンクのポケモンを捕まえたんだけどこれ何てポケモンだと思う?虫かな?」
新しい家の玄関に駆け込んだ少年は母親に見せるようにして手に持った虫かごを差し出します。
「ん、ちょっと今は忙しいから後にしてよ、あっ、あと虫の入った虫かごなんて汚いから家の中に入れないでよ!」
「ちぇーっ」
でも少年の母親は虫かごに目もくれませんでした。
仕方なく少年は虫かごを外に置いて家の中から図鑑を持ってきました。
しかし少年が持っているのはカント―の図鑑、当然タブンネのことは載っていません。
「あれ~…載ってないな、もしかしてこれ珍しい奴なのか?」
「チィチィ!」
すると、図鑑を眺める少年に対してチビンネが大き目の声で鳴きました。
少年が目をやると、チビンネは自分のポッテリした黄色いお腹を押さえて何かを訴えています。
「あぁ、腹が減ったのか」と少年はすぐにチビンネの言わんとすることがわかりましたが、何を食べさせれば良いのかわかりません。
「このピンクいのって何食べるんだろーな…全然わかんないや、キャタピーみたいに葉っぱとか草でも食べるのかな?」
少年はそのへんに生えていた雑草を無造作に引っこ抜くとそれを虫かごの中に入れました。
「チ!?チィィ!」
その際雑草の根っこについていた土が大量にチビンネの顔にかかりました。
「ヂィィ…ペッ!ペッ!」
青い瞳をゴシゴシ擦りながら小さな舌を出して口の中に入ってしまった土を吐き出すチビンネ。
ついでに少年はそのへんに落ちていたアイスのカップ(ゴミ)も拾い、そこに水を入れてそれも虫かごに入れました。
いきなり雑草を入れられてチビンネは少年の意図がわからず「チィィ…」と困惑します。
「腹減ったんだろ?餌と水だよ」
それを聞いてチビンネはこんなのたべられないよ!と鳴きますが少年は
「あー、ボクも腹減ったな~、おやつ食ってこよーっと!」と家に戻ってしまいました。
「チィィ…」
ガックリと項垂れるチビンネ、せめて喉を潤そうとアイスのカップを覗き込んでみます。
しかしカップの中の水は溶けたアイスの残りと土が混ざり合っていて、とても飲めたものではありません…
一方少年は、冷蔵庫の中からよく冷えたオボンの実を出して皮を剥き始めました。
シャクシャクと少年がオボンを食べる音をチビンネの良い耳がキャッチしました。
チビンネが音のする方を見ると、窓越しにオボンを食べる少年の姿が映りました。
「チィー!チィチィ!チィィー!」
チビンネをそれを指差して「それがたべたいよぅ!」と大声で鳴いて訴えますが少年は「よく鳴くポケモンだなー」と気付いてくれません。
結局少年はオボンをすべて食べてしまい、未だチィチィオボンを要求するチビンネの元へと戻ってきました。
「何だ、全然食べてないじゃん」
虫かごの中を覗いて少年は言いました。
「チィィ!チィチィ!」
チビンネは両手でオボンの形を作って必死に少年に伝えようとしています。
残念ながらそれも少年には伝わらず、少年はチビンネを虫かごから掴み出して食べさせようと口元に草を当ててきます。
「ヂィ~!チィィ!」
当然チビンネは顔をプイッと背けてそれを拒否します。
「食べないなぁ…」
「ピィィィ!」
少年がさらに草をを押し付けると、草の先端がチビンネの目に当たってしまいました。
悲鳴をあげて青い瞳を押さえるチビンネ、少年はその隙を見逃さず、すかさずその口の中に草をつっこみました。
「チギィ!?エッ、エッエッ!?」
喉の奥を突かれたチビンネは強烈な吐き気に襲われます。そして背中をプルプルと震わせながら朝に食べた木の実を吐き出してしまいました。
少年は驚いてチビンネを持つ手を放してしまいます。
自分の出した嘔吐物の上にペシャリと音をたてて落ちたチビンネはその酸っぱい臭いに顔を顰めながらもよちよちとした足取りで逃げようとしましたが、ヌルヌルした嘔吐物で足が滑らせて転んでしまいます。
「うわぁ、ばっちいなぁ…」
耳の先を摘まんでチビンネを持ち上げる少年。
チビンネは自分の耳に全体重がかかり、苦痛の表情を浮かべています。
「洗ってやんないとな」と少年はチビンネをバケツに放り込むと庭の蛇口がある所まで運びました。
蛇口の下にバケツを置いて水を出す少年。
「チ!?チィィ!チィィ!」
バケツにはどんどん水が溜まっていきます。チビンネはぴょんぴょん跳ねて短い手でバケツの縁につかまろうとしますがなかなかうまくいきません、例えつかめたとしてもそのままよじ登るだけの力はチビンネにはありません。
そうしている間にも水嵩はどんどん増していき、遂にチビンネの身長よりも高くなりました。
「チビィィ!ガボッガバッチプッ!ごボッ!」
沈んでは浮くを繰り返しながら必死に手を伸ばして鳴き、少年に助けを求めるチビンネ。
少年はチビンネを見ているだけで手を差し伸べようとはしません。
「チボ、チバッ!ごボゴボ……」
チビンネが意識を失いそうになった時、やっと少年の手がチビンネを救い上げました。
「よーし汚れ落ちたな!」
「チヒィ…チヒィ…ヂィィ…」
全身のフワフワの毛が濡れたことにより、体にピッタリとくっつき、苦しそうに肩でゼエゼエ息をしているチビンネ。
少年はそんなチビンネを再びあの狭い虫かごに戻しました。チビンネには最早抵抗をする体力も残っていませんでした。
「もしかして今は腹減ってないのかな?それともボクがいるから食べないのかな?じゃあしばらく昼寝でもしてこようかな」
少年が離れていった後も、チビンネは暫しの間動けませんでした。
しばらくして大分楽になり、濡れていた体もすっかり乾いたチビンネ、
しかしそんなチビンネを新たな苦しみが襲います。夏の灼熱の暑さです。
「チィ…チィ…」
虫かごの中の壁や天井の蓋は透明なので日光は通しますが風は通しません、まさに蒸されるような暑さです。
せっかく乾いた体も流れ出る汗でぐっしょりと濡れてしまいました。
喉も先程水を大量に飲んだのが嘘のようにカラカラです。
水を飲もうにも虫かごの中にはあの汚水しかありません。
「ヂィ~…!チィチィチィ…!!」
チビンネは窓越しに少年に向けて鳴きますが少年はクーラーの効いた部屋でぐっすりと眠っています。
「チィ……」
チビンネはしばらくアクリルの壁をたたき続けましたが状況は変わりません。
仕方なくチビンネは少しでも日光を避けようと少年の入れてくれた葉っぱや草の影に入りました。
そのまま日が暮れて夜になりました。
二日目
「ヂィィ…」
夜は暑さが大分マシだったものの、慣れない環境であまりよく眠れなかったチビンネ、目の下には大きな隈ができています。
その上昨日はほとんどまともな食事に有り付くことができなかったので黄色いお腹は絶え間なく鳴っています。
少年がチビンネの様子を見にきました。
「あっれ~…、やっぱ全然草食べてないぞ…?」
「チィ…チィチィ!」
チビンネはアクリルの壁をカリカリと引っ掻きながら少年に向けて可愛らしい声で鳴きます。
その表情からは「もうここからだして!」「ちゃんとしたたべものをちょうだい!」という思いが窺えます。
「ん~、コイツ肉食なのかな?よし、じゃあ今日はこのピンクの餌を探そう!捕まえた場所の近くを探せば見付かる筈だ!」
「チィィ?」
餌を探してくれると聞いてチビンネの顔に微かに期待の色が浮かびます。
さっそく少年は虫かごを持って昨日チビンネを捕まえた付近を散策してみました。
少し歩いてみると道路に突き当たりました。
車もあまり通っていない様子だったので渡ろうとする少年。
すると、焼けるように熱くなっているアスファルトの地面に恐らく車に轢かれたのか、ペチャンコに潰れて死んでいるフシデを発見しました。
「あっ、虫が潰れてる…肉食ならもしかしてこれ食うかな?」
アクリル越しに触角で少年の考えていることを知ったチビンネはフルフル首を振ってイヤイヤしています。
「うわッ!痛っ!」
フシデの死骸を拾おうとした少年が悲鳴を上げました。
フシデの毒の棘が無造作に拾おうとした少年の掌に刺さってしまったのです。
「痛ぇな…何だこれ…?」
棘の刺さった部分は腫れ上がり、ジンジン激痛が走ります。
「う…気分も悪くなってきた…」
そのうち頭もクラクラとしてきました。相当強力な毒だったようです。
そんな少年とは対照的にチビンネは虫かごに潰れた虫を入れられる危険を一時的に回避できてホッと胸を撫で下ろしています。
パァァ…
「ん…?あれっ?」
急に少年の気分が楽になりました。手の痛みも引いていくのがわかります。
どうやらチビンネの特性いやしのこころが発動して少年の毒を治したようです。
掌の腫れも治り、不思議そうな顔をしている少年はチビンネに目を向けました。
「これ、もしかしてお前の能力なのか?」
不本意ながら少年の毒を治したチビンネはコクリと小さく頷きました。
「へぇーっすげぇな、何て技使ったんだろ?やっぱポケモンってすげぇな!」
結局その後、少年は器用に木の枝を使い、フシデの死骸の一部を千切って虫かごに入れました。
「食べるかなー?」
興味深そうに虫かごを覗く少年。
「チィィ…」
もちろんチビンネは毒のあるフシデの死骸など食べることはできません。
いやしのこころは他人の毒は治せても自分の毒は治せないのです。
そもそも本来タブンネはオレンやオボン等の甘い木の実を好むポケモンで、虫の死骸や草など食べられたものじゃありません。
しかしその夜、遂にチビンネの飢えと渇きは限界に達しました。
二日間何も飲まず食わずで泣いたり汗をかいたりしたのだから生命力の強いタブンネと言ってもさすがに無理はありません。
かなり抵抗はありましたが、仕方なくチビンネは二日間まったく手を付けなかったアイスのカップの水を口にしました。
「ヂィィ~…」
土の混ざった生温かい水はとても不快な味でした。
チビンネの口の中では細かな砂がジャリジャリと音をたてています。
そして一心不乱に草も口に突っ込みました。
「チィ…ヂブッ、チゲッ…フィィ…」
何度も何度も嘔吐きながらチビンネは草を噛み続けました。
三日目
「ヂィィ…チュピィ…」
チビンネは朝から酷い腹痛に苦しめられていました。
虫かごの端で体をキュッとエビのように丸めてお腹を押さえているチビンネ、どうやら昨夜の食事がまずかったようです。
「チィ~、チィ…チィ…」
チビンネのお尻からはドロドロの排泄物が流れ出て白かった尻尾を茶色く染めています。
いつも尻尾には気を使っていたチビンネ、いつもならうんちをした時はママンネが舐めて拭き取ってくれるのですが今はそれを気にしている余裕はありません。
その頃、少年は蒲団の上で体温計を脇の下に挟んで横になっていました。
「あら、微熱みたいね、今日一日蒲団で横になってなさいよ」
「えーっ、これくらい平気だよママーっ」
少年は夏風邪をひいてしまったようです。
「あーあ、暇だな~…」
退屈を持て余す少年。子供にとって一日中何もしないでただ寝ているだけというのはかなり苦痛になるようです。
夜にしっかりと睡眠をとってしまったので眠ることもできません。
「…あっ、そうだ!」
思い出したように起き上がった少年は、窓の外に置いてある虫かごからチビンネを出しました。
「チュ、チィィ!?」
ティッシュを取って乱暴にチビンネのお尻と尻尾に付いた排泄物を擦り取った少年はチビンネに言いました。
「なぁ、昨日ボクが気分悪くなったのを治したあれで風邪を治してよ」
「チィィ?」
首を傾げるチビンネを少年はそのまま部屋の中に入れました。
部屋はスーッとクーラーが効いていて、チビンネが気持ちいいなと思ったのも束の間、少年はチビンネを持ったまま布団に入ります。
「チッチィ、チィチィ!?」
驚いて蒲団から抜け出そうとするチビンネを少年は押さえます。
自分の体に(チビンネを)密着させた方が効果があると思っているようです。
「ヂィ~、チィチィ!チュィ~!」
暑苦しく、息苦しい蒲団の中でバタバタもがくチビンネ、少年はそんなことはお構いなしです。
「まだ治んないなー、昨日はすぐ治ったのに」
「チィィ!チィィ!」
もちろんいやしのこころでは毒は治っても風邪は治りません。
純粋にチビンネの能力は悪い症状を治せるものだと思っている少年にチビンネが説明する余地はありません。
そのうえ腹痛も重なり、チビンネにとっては二重の苦しみです。
「あ、蒲団汚すなよ!」
チビンネの様子に気付いた少年はチビンネの肛門にティッシュを詰めました。
「チィ!チギュィィ!ピィィ…」
チビンネはお尻に手を伸ばしてティッシュを取ろうとしていますが短い手ではなかなかうまくいきません。
腸の中で行き場を失った排泄物が溜まり、チビンネのお腹にはさらに激痛が走ります。
「フィィ…フィィ…」
外側からも内側からも責められ、チビンネの意識はボ~ッと遠退いていきます。
この地獄は、少年の母親が気付いて注意するまで続きました…
「フィィ…フィィ…」
夜になり、何とか自力で肛門のティッシュを取り除くことのできたチビンネ、
腹痛は治まりましたが、ぐったりと横になってハァハァ喘いでいます。
顔を真っ赤にして大量の汗を流している様子から察するに、チビンネは少年の風邪を移されてしまったようです。
長時間一緒にくっついていたのだから無理はありません。
「ヂィィィ…チィ…」
もうチビンネの命は消えかけていました。最早自力で立つことすらできません。
「ミィ!」
その時、チビンネの耳が成体タブンネの鳴き声を捕らえました。
その鳴き声をきいて、チビンネの力なく垂れ下がっていた大きな耳がピクリと反応します。
チビンネは虫かごの外に目を向けました。
チビンネは、ぼやける視界に映ったその顔を見て、パァッと顔を輝かせました。
それは、チビンネの母親でした。チビンネの鳴き声をききつけてここまで助けに来たのです。
「チィ…!チィチィ…」
アクリルの壁に手を付いて母親に向けて鳴くチビンネ。
「ミィミィ!ミィ~~!」
お母さんタブンネは慌ててチビンネを虫かごから出して、いやしのはどうをしてあげます。
お母さんタブンネの優しい波動のおかげで体力の回復したチビンネは大分気分が楽になりました。
「ミィ、ミィィ~!」
お母さんタブンネは泣きながらチビンネを抱き締めます。
くすぐったかったのか、チビンネはひさしぶりに「チィィ♪」と笑顔を見せました。
「あれっ、ピンクがいなくなっちゃった!」
翌朝、少年が目にしたのはひっくり返った空の虫かごでした。
チビンネはきっとお母さんタブンネと一緒に森に帰ったのでしょう。
チビンネと過ごした三日間は、少年にとって良い一夏の思い出になったことでしょう。
おわり
最終更新:2014年09月12日 01:43