晩餐

謹賀新年。新たな一年の始まり。人もポケモンもこの日は体を休め皆が大いに年明けを祝う。
これはポケモンが大好きな一家によるお正月の様子である。
フキヨセシティの隅に構える小さな一軒家には、家族に溺愛されたタブンネが居た。
すなおな性格で愛らしい見た目のタブンネは、遠い3番道路の育て屋から譲り受けた卵から孵ったのだ。
まだ瞼すら開かず、小さく震える赤ん坊タブンネは当時6歳にも満たぬ娘がいたく気に入った。
両親は当時3歳で物心もついていない息子の世話に忙しかったのもあり、タブンネの面倒を見ていたのはほとんど娘であった。
幼い娘が慈愛をもって小さなタブンネの世話をする姿を見るのは、両親にとっても嬉しいもの。
命を預かるということは、簡単なようで難しいことだ。
両親はタブンネを育てることで、この姉弟が他人を思いやれる優しい子になってくれることを願っていた。

さて子供というものはまだ善悪の区別がはっきりとわかっていないため、悪意なく他者を傷つけることもある。
それは人としての成長に必要なものであり、人の心を学ぶ機会だ。
しかし今回、相手は人ではなくポケモンである。小動物を可愛がる幼い娘の姿はまだ、おままごとの延長でしかなかった。

「さあタブンネちゃん、ごはんですよ」

生後5か月になったタブンネは、生まれた時よりは随分と大きくなった。
ぽってりとした体にくりくりの瞳。ふわふわのしっぽをゆらすタブンネの顔は、現在苦痛に歪んでいた。

「みぃ、みひぃ…」
「こら、ごはんはちゃんと食べなさい」

タブンネの口に押し込まれているのは、マトマの実だ。非常に辛く、本来はそのまま食べるような代物ではない。
辛い食べ物が好きなポケモンも居るが、生憎このタブンネは辛党ではない。
無理やり口に入れられ、咀嚼させられたタブンネは口から火を吹くのではないかと思うくらいの悲鳴をあげた。


「ひぎゃあああああああああああああああぁあああ!!!?」
「ちゃんと食べれたね。えらいね」

…と、まぁこのような調子で、タブンネは生活していた。
この娘、基本的に明るく活発で愛らしい子なのだが、女としては少々乱暴で強引なところがあった。
そして所謂『ごっこ遊び』というものが大好きで、よくタブンネを相手に『ごっこ遊び』に興じていた。

「あらわれたなかいじゅうめ!いくぞ!ひっさーつ、らいだーきーーーっく!!」
「びぎぃ!!?」
あるときはヒーローごっこで腹を力いっぱい蹴られ、
「おまえがやったんだろう!?はけ! …こきょうの母さんがないてるぜ……」
「み、みひぃ…」
刑事ごっこで暴力的な事情聴取を受け、
「タブンネちゃん、なんびょういき止められるかな~?」
「がぼぼぼぼはhがsぼぼぼbb」
テレビで観たネタを真似し、ストップウォッチ片手に風呂の浴槽に顔を突っ込まれたりと(その時は母親に助けられた)散々な目にあっていた。

だが、普段はブラッシングをしてもらったり(普段からは考えられないほど優しいものだ)、普通に遊びまわったりもして、きちんと愛情は向けられていた。
少々愛が空回りしているだけで、娘は決してタブンネが嫌いなわけではなく、大切な家族だった。
こんなじゃじゃ馬娘に振り回されているだけあってタブンネもなかなかタフは体になりちょっとやそっとでは大したダメージは受けない。
その丈夫な体を生かし、少し成長してやんちゃ盛りな弟と相変わらずな姉に囲まれ騒々しくも楽しい毎日を過ごしていた。


「明けましておめでとうございま~す!」

年明けの瞬間、明るい声が二人分響く。同時に一匹の鳴き声も。お年玉を貰って上機嫌な姉弟にタブンネも嬉しそうな顔をする。
「タブンネにもお年玉をあげないとね」そう言って姉が手に取ったのはオボンの実。ポケモン達は皆大好きな、精のつく木の実だ。

「はい、タブンネちゃん。明けましておめでとう、今年もよろしくね」
「みひぃみひい!」

タブンネは満面の笑みでオボンの実を受け取り、そのままかぶりついた。コフー、コフー、と少々苦しそうな鼻息が耳障りだ。
オボンを持つタブンネの両手は丸々としており、木の実を貪るその顔は本来なら可愛らしいものであっただろうに、『醜い』という表現がピッタリだった。
くりくりした海色の瞳が少し細くなり、控えめにぽっこりとしていた腹には段ができている。
家族の愛を受けて育ったタブンネの姿は、幸せ太りと言うには無理があるほどの体型になっていた。
元々非常に愛らしい顔をしていただけに、脂肪で大きくなった顔に残ったその面影は、醜さに拍車をかける。
この一家にとっては可愛い可愛いタブンネちゃんだが、外に一歩出ればただの豚だった。
一先ず無事に新年を迎え、冷めぬ興奮を抑えて眠ることになる。タブンネの寝床は姉弟の部屋に置かれた大きな籠だ。
籠といっても、この大きなタブンネの体を支えるのは木製のおしゃれな籠には無理な話で、鉄製の籠であった。
ふかふかの毛布が敷き詰められた籠に、よっこいしょと体を動かし寝そべるタブンネ。その動作がどこか辛そうに見えたのは気のせいではないだろう。
タブンネは最近ほとんど運動をしていない。太ったこともあるが、姉弟は今はそれぞれ友達と遊び、タブンネと外で遊ぶこと自体がほぼなくなったからだ。
そのくせ家族が全員タブンネに必要以上の餌を与えるため、太る一方だった。
可哀想ではあるが、所詮ポケモンも獣であるため、出された食事は本能に従い全て美味しく頂くのだった。


そしてとうとう事件が起こった。年明けからそのまま一晩、ぐっすりと眠り元気一杯な子供達の横で、タブンネは気怠そうに体を起こす。
早速朝食の時間だ。お正月の定番おせち料理。家族皆で新年早々騒ぎながらも、楽しく食事をする。
タブンネはいつもと変わらず、別に不味くも旨くもないポケモンフーズだ。楽しそうな家族達を尻目に、多めに盛られたそれを食べる。
美味しいものが食べられるに越したことはないが、体の大きさに合わせて胃も大きくなったタブンネにとっては少しでも腹を満たすことの方が重要だ。
皿まで舐め終えたタブンネは食卓を囲む家族に目を向ける。豪華な料理に舌鼓を打つ様子を見て、タブンネは久々に走った。

「みぃみひい!」

それ、わたしも食べたい!タブンネは必死に自分の存在をアピールした。手を合わせ前にやり、腰を振っておねだりをする。
可愛らしい自分が甘えれば、家族はなんでもホイホイとくれた。
だか今回は違った。

「ごめんねタブンネちゃん。これは人間の料理だから、ポケモンちゃんには食べられないような物も入っているの。
タブンネちゃんが食べちゃったら、病気になったり、苦しい思いをするかもしれないの。だから我慢してね」

いつも優しい笑顔を浮かべている母親が、申し訳なさそうな表情をして言う。
タブンネに甘い家族達はいつもタブンネの望むものを与えてきたように見えるが、実際はそうでもなかった。
ポケモンにとって毒になる食べ物は与えず、タブンネが食べ物を欲しているようならポケモン用のお菓子や木の実を与えていた。
人間の食べ物は、基本的にはポケモン達の体には良くない。それくらいの勉強はしていた。可愛いタブンネを自分の不注意でつらい目に合わせたくはなかったから。
そしてタブンネにもその気持ちは伝わった。ヒヤリングポケモンのタブンネは人の気持ちを読み取る力を持っている。
今は醜い姿をしていても、本来優しい性格であり家族が大好きなタブンネは大人しくそれに従う。
母の手に触れていた耳の触覚を放し、大人しく窓際に座り日向ぼっこを始めた。少し寂しそうなその姿に、母はモモンの実をタブンネにやる。
みぃ、と嬉しそうに鳴いたタブンネはいつものようにがっつくことなく、ゆっくり味わって甘いモモンの実を食べた。


正月の定番料理と言えばもう一つ、お雑煮がある。姉弟はこれが大好きだった。
よく伸びるお餅は食べごたえ満点で、おせちなんかよりよっぽど好きらしい。これにもタブンネは手を伸ばした。
まだまだ腹は満たされておらず、美味しそうな匂いを漂わせた食べ物を、大好きな姉弟が目の前で食べていれば自分も欲しくはなる。
両親なら決して与えなかっただろう。だがこの二人はまだ子供だ。実は、タブンネの食事に気を使っていたのは両親だけの話だった。
この姉弟には、そもそもどれを食べさせていいのか、どれは食べさせてはいけないのかの区別もつかない。
ただ、自分達がお菓子を食べていて、それをタブンネが欲しがっていても、それをやることはなかった。
その理由はタブンネのことを考えていたわけではなく自分のおやつが減るからだ。結果的にそれがタブンネの身を救うことにもなっていたが。

「タブンネちゃん、おもち食べたいの?」
「ぷひぃぴひぃ!」

どうする? 私自分の分へるのやだよ でもまだおなべにはたくさんあるし さっきはおせちもらえなかったしね…
子供達の内緒話。母は長電話、父はトイレ。今は絶好のチャンスだった。

「じゃあ、ちょっとだけね」

姉の持つ椀から白いお餅が取り出される。ほかほかとした餅は重力に従い少し下に伸びる。
ちょっとだけとは言ったが、姉がタブンネにやったその餅はまるまるひとつ分であり、子供達ですら食べるのに手こずるのだ。
両親からはしっかりと噛んで、少しずつ食べなさい。そう言われていた。
きちんと噛んでいないと喉につまって、息ができなくなって、最悪死んでしまうらしい。
その話を聞いて二人は食事はよく噛んで食べる癖がついた…という話は置いて、タブンネがそれを知っているのだろうか。知っているはずがない。
そして普段タブンネはあまり噛んで食べない。のんびり噛んでいないで、急いで腹の中に食べ物を詰め込みたいという欲求があるからだ。


いつかと違い、口の中に優しく放り込まれた暖かいお餅。その触感を少し楽しんだタブンネは、満足し…飲み込んだ。
食道を伝っていくのがわかる。このまま大きな胃の中に迎えられ、消化されるのを待つだけだったのだが……。

「う゛っ!?ん、ん゛ぐぅ、う、ぅう…!!?」

満面の笑みで餅を味わっていたタブンネの顔が歪む。どこにあるんだかわからない喉に太い手を添え、咳き込む。

「だ、大丈夫!?タブンネ、どうしたの!」
「く、くるしそうだよ」

あまり解させれなかった餅はタブンネの細い喉に詰まってしまった。苦しそうなタブンネの背中を擦る弟と、必死にタブンネに呼びかける姉。
急に騒がしくなったリビングに、父親が慌てた様子でやってきた。
そしてタブンネの姿を見て、急いで背中を叩いてやる。タブンネは何度も咳き込み、餅を喉から吐き出そうとする。

「まさか、タブンネに餅を食べさせたのか?」
「う、うん…、食べたがってたから」
「ポケモンに父さんたちの食べ物は食べさせたら駄目だっていっただろう!」
「ごめんなさい!でも今はそれよりタブンネを…」

あまりの騒々しさに母親も、電話を切りやってきた。小さく悲鳴を上げた母親は、姉と同じようにタブンネに声をかけ続ける。
タブンネ、頑張って、死なないで、頑張って、頑張って吐き出せば大丈夫、頑張って、大丈夫!


タブンネは呼吸をしていない。少し前までは元気に食べ物をねだっていたのに。
冷たくなった体は、今はポケモンセンターの医療用ベッドに横たわっている。顔には白い布がかけられていた。
あの後、タブンネはなかなか餅を吐き出せずぐったりしてきたので、急いでポケモンセンターに運ばれ緊急手術が行われた。
しかし来るのが少し遅く、タブンネが助かることはなかった。あと数十秒来るのが早ければ、もしかしたら助かっていたかもしれない。
私の力不足です、と小さく謝罪するジョーイさん。隣に立つ看護婦タブンネは、同胞の死に静かに涙を流していた。
声を押し殺して泣く母親、溢れ出そうな涙を堪えながらジョーイさんに礼を言う父親。無表情の姉弟。
特にまだ4歳の弟は、タブンネがもうこの世に居ないことすらよく理解していないんだろうか。無表情というよりは、いつもどおりの顔をしている。
何故、お餅なんかを食べさせたんですか。何故もう少し早くに来てくれなかったんですか。確かな怒りを含ませながらジョーイさんは言う。
その怒りは患者を救えなかった自分と、こんなにくだらなく、悲惨な事件を起こした一家に向けられているのだろう。
おめでたいこの日に、落とさなくていい命を落とした一匹のタブンネが居た。

タブンネは庭に埋められた。狭くて小さな庭だが、狭い分だけ家族との距離も近い。
たったの1年だ、タブンネが生きたのは。卵の殻を割り、まだうまく瞼を開けない小さなタブンネの姿が鮮明に思い出せた。
どうしてこうなってしまったのだろうか。何が間違っていたのか。全て間違っていたのか。
タブンネを可愛がりすぎたのか。もっと普通に育っていれば。食に意地汚くなっていなければ。子供達にもっと言い聞かせていれば。
どれほど後悔してもタブンネは帰ってこない。
静かになった部屋に姉弟は居た。今朝はここの隅に置かれている籠でタブンネは目覚めた。しかしもうここでタブンネが寝ることはない。
…薄暗い部屋の中でトウコは言った。

「次はもっと可愛い子がいいな……」

彼女の目に映るタブンネの姿はもう既に、ただの醜い豚だった。
最終更新:2014年12月26日 02:08