夕陽のヒーロー

冷たい秋風が吹き、夕陽が地平線に沈もうとしている。
轟音を立てて通過してゆく電車が通過する鉄橋の下の川原に
1匹のタブンネが倒れていた。
タブンネ狩りに遭ったのである。
全身から血を流し、触覚も尻尾も引き千切られ、息は絶え絶え。
もう時間の問題なのは明らかであった。

タブンネのすぐ近くには、30センチほどの大きな石が転がっている。
その下からは小さな手が見えており、石の周辺は血飛沫が飛び散っていた。
さらにその隣にはグシャグシャに潰された卵の残骸があった。
子供と卵の変わり果てた姿を見つめるタブンネの瞳から涙が溢れ出る。

(わたしは……何のために生まれてきたんだろう……)

思い起こしてみても、いい事などほとんどなかった。
母親の顔は記憶になく、物心ついた時にはトレーナーの下で育っていた。
バトルに厳しく、使えない者は次々始末されていったので、
嫌々ながら技を覚えたが、それでも足手まといだと殴られてばかりいた。
仲間と恋に落ちて子供を作ったが、「勝手なことをするな」と夫は殺された。
既に2匹目の子供がお腹にいたので、ベビンネを連れて逃げ出して
自力で卵を出産したものの、餌を採る事もできず、ベビンネは痩せ細るばかり。
そして今日、理不尽な狩りに遭遇し、ベビンネも卵も無残な最期を遂げてしまった……

また一陣の冷たい風がタブンネに吹き付ける。だんだん意識が遠のいてゆく。
だがその時、何者かがタブンネの前に立った。
「………」
霞む目で見上げたタブンネの目に映ったのは、まんまるな顔に赤い服と茶色のマント。
誰もが知っているヒーローの『彼』であった。

だが、いつもは愛嬌に満ちているその丸顔は、悲しみで翳っていた。
『彼』はここをたまたま通りかかっただけで、タブンネ親子の悲劇に何の責任もない。
多少心が痛もうと、目を逸らして通り過ぎてしまえばいいだけの話である。

しかし『彼』にはそれはできなかった。
一人でも多くの人を笑顔にしたい、苦しみから救いたいと願っている彼には
行きずりの者の不幸であっても、目をつぶる事はできないのである。
世界は広い。自分一人で全ての人に手を差し伸べることなど不可能とわかっている。

だけど、それでも………

タブンネがヒュー、ヒューと苦しげに息をついた。いよいよ最期の時が来たのだ。
『彼』はタブンネの前に膝を付くと、自分の顔の一部を千切った。
「お食べ……」
そしてその欠片を、タブンネの口の中にそっと入れた。
混濁する意識の中、タブンネはそれを咀嚼する。口の中に甘いあんパンの香りが広がった。

「……おいしい………こんなおいしいもの………初めて食べた……」
「そうかい、よかったね……」

タブンネは『彼』に向けて微笑み、そして静かに目を閉じた。呼吸が止まっていた。
『彼』の頬に一筋の涙が流れ落ちる。
お腹を空かせていて、『彼』の顔を食べた者は誰もが笑顔に変わる。
だが、死から呼び戻すことなどまではさすがにできなかった。

「ぼくは……無力だ……」
『彼』の目からまた涙が零れ落ちた。

タブンネの墓を作りながら、『彼』は自問自答する。

(あと10分早くここを通っていれば、助けられたかもしれないのに)
(そんなのは結果論だ、10分だろうと1時間だろうと救えたとは限らない)
(せめて最後の一瞬だけでも、苦痛を和らげることができたのならいいじゃないか)
(それは単なる自己満足ではないのか?子供を失った心の痛みまでは救えない)
(もうヒーローなんかやめてしまったらどうだ、辛い思いをするだけだろう)
(逃げ出す口実が欲しいのかい?卑怯だね)
(だったら、どうすればいいんだ……)

いくつもの声が心の中を飛び交う。どれも『彼』の本心だった。

タブンネ親子の亡骸と卵の破片を埋葬し、川原の石を墓碑代わりとした。
「ごめんね、もっと早く来てあげられなくて」
その簡素な墓に手を合わせつつ『彼』は呟く。
「ヒーローなんて、やめてしまえば………」
その時だった。

「助けて……!」
風に乗って声が聞こえた。誰かが自分を呼んでいる、助けを求めている。
『彼』はすっくと立ち上がった。行かねばならない。

答えが見つからないならそれでいいじゃないか。見つかるまで続ければいいのだ。
何の為に生まれた?何をして生きる?
その答えがわかる日まで、人を助け続けよう……!

「待ってて、今行くからね!」
マントを翻して、彼は飛び立った。タブンネの墓に一瞬だけ視線を送る。
そして夕陽が沈む地平線の彼方にその姿は消えていった。

(終わり)
最終更新:2015年02月11日 15:22