がさがさと音を鳴らしながら、1匹のタブンネが草むらから顔を出し、あたりの様子を確認する。
安全あると確認できたのか、おそるおそる草むらから這い出し、大急ぎで別の草むらの中へと身を隠す。
このタブンネは人が住む街を目指している。
生まれ故郷である森を出て、住み慣れた土地を捨ててでも彼は人のいる場所を目指した。
ふわふわとした尻尾が草むらの中に消えていくと「ミィッ」という声がすると、
草むらが大きく揺れ、そのまま静かになる。
おそらく、待ち構えていた肉食ポケモンに襲われてしまったのだろう。
自然界におけるタブンネというポケモンはひどく弱い立場にある。
武器となる爪や牙をもたず、攻撃手段もほとんど持っていない。
そのため野生の肉食ポケモンにとって格好の獲物となってしまう。
草むらに生息する野生のポケモンの中で比較的大きめの体。よく目立つピンク色の体毛。
それらは身を隠すことにも向いていない。
動きは鈍く、空を飛ぶこともできないため、一度見つかってしまえば逃げることすら困難だ。
常に外敵に襲われることに震えながら、タブンネたちは生きている。
そんなとき、タブンネたちの間にある噂が広がった。その噂がどこから広がったのかはわからない。
ただ、一部のタブンネたちが人間のもとに行くことを決意する。
野生のポケモンに襲われることなく、安全な寝床が確保されるという人間のもとに。
あるものは草むらを揺らし、人の前に飛び出すようになった。
あるものは人の家の近くに巣をつくり、そこで暮らすようになった。
あるものは外敵のいない暮らしを夢見て、街を目指した。
ほとんどのタブンネが失敗して命を落とす結果となった。
それでも、ごく一部のタブンネのなかに成功するものが現れた。
これから始まるお話は、幸運をつかむことのできたごく一部のタブンネたちのお話。
……
…………
……………………
日が沈み、街の色が夜に変わろうとする時間。
その時間になるのを待っていたかのように1匹のタブンネが目を覚ます。
ここはとあるマンションの外に設置されている、鍵がかかるタイプのゴミ置き場。
このタブンネはマンションとゴミ置き場のわずかな隙間に体をねじ込んで巣にしている。
街に住む多くの野良タブンネは昼の間に活動する。
だが、このタブンネは、夜に活動したほうがいいと経験から判断していた。
明るい時間というものは人が活動している時間であり、ただ歩くだけでも人目に付いてしまう。
街に来た当初はそのことがわからず、飲食店のゴミを漁っているところを店の人間に見つかったり、
保健所の人間から駆除されそうになったりと散々な思いをしたものだ。
また、気候的な意味でも夜に活動した方がいいと学んでいた。
気温の高い夏の昼間に外で活動するのはひどく体力と水分を消耗してしまい、命を落としかねない。
逆に、気温が低い冬の夜に眠るということは、眠ったまま凍死してしまう可能性がある。
そのため、このタブンネは夜に活動することを選んだのだ。
それがほかのタブンネとの交流を絶つことになると知っていても。
タブンネは巣にしている隙間から這い出すと、近くの公園に向かって歩き始める。
体についた汚れや、寝ている間にぐしゃぐしゃになってしまった毛並みをきれいにするためだ。
公園に入ろうとしたタブンネだったが、そこは無人ではなかった。
公園には仲のよさそうな親子と、そのペットである飼いタブンネがいた。
タブンネが舌打ちをすると、飼いタブンネがその音で存在に気付いたのか、タブンネの方に手を振ってくる。
同じタブンネとしての仲間意識だろうが、野良であるタブンネにとって人に飼われているタブンネは敵だ。
自分が手に入れられなかった幸せを手に入れたやつと仲良くするつもりはない。
その感情は、敵意ではなく嫉妬という感情であることをタブンネは知らない。
飼いタブンネが手を振っているのを見て、飼い主の女の子がタブンネに気付いた。
「ダメだよ。あんなのに近づいたらタブンネまで汚くなっちゃうよ」
そう言うと、飼いタブンネと母親の手を引いて公園から出ていった。
飼いタブンネがチラチラとこちらを気にしているようだったので、歯を見せて威嚇する。
何はともあれ、公園からは誰もいなくなった。
タブンネは水道へと向かい、慣れた手つきで蛇口をひねる。
口をつけて水を飲むと、じょろじょろと出てくる水を浴びて、体についた汚れを落としていく。
季節は秋になろうとしており、水道の水も心なしか冷たい。濡れた体がぶるりと震える。
タブンネは体を震わせて水を飛ばすと、もう一度だけ水をのんでから蛇口をひねって水を止めた。
水浴びを終えたタブンネは今日の食事を確保するために公園を出て歩き出す。
このタブンネの普段の食事は24時間スーパーの廃棄食品になることが多い。
スーパーの夜のシフトに入っているアルバイトの人間が何かをくれることが多いからだ。
1年以上ご飯をもらいに行っていることもあって、タブンネのことはすっかり覚えられている。
もちろん、人によってはご飯をくれなかったり、追い払われることもある。
それでもこのスーパーが食料事情としてはもっとも安定している。
形の悪い唐揚げや、期限切れのパン。運が良ければ、ステーキ肉の切れ端をもらえることもある。
餌を求めてゴミ箱をひっくり返していた時期に比べれば、天国のような食事環境だ。
それでも、オレンやオボンを食べたくなる時がある。
2年以上食べていない木の実の味が懐かしくなる。
そんな時は、オレンやオボンを狙った仲間のことを思い出すようにしている。
今の自分がどれだけ恵まれているかを思い出すのだ。
スーパーの裏にある商品搬入口。
暗闇の中で明るく照らされたその場所がタブンネが普段、食事をもらう場所なのだが……
「またお前か!」
そこにいたアルバイトがタブンネの姿を見た途端、大声で怒鳴りながらタブンネの体を箒で何度もたたいてきた。
今日はご飯をくれないアルバイトの日だったようで、タブンネは耳をガードするように押さえながら、
あわてて背を向けて退散した。
名残惜しそうにスーパーの方に目を向けるが、アルバイトはタブンネの方をじっと睨んでいる。
食い下がったところで、あのアルバイトはご飯をくれない。ならば、ほかの店をあたったほうがいい。
タブンネは頭の中で、近くで食事を確保できそうな場所を思い浮かべる。
廃棄をくれるコンビニ、
ミィミィバーガーのゴミ捨て場、ゴミが捨ててある公園……
二度あることは三度あると言うように、タブンネにはまたもや災難が訪れていた。
餌場に向かっているとガラの悪い格好した少年たちに囲まれてしまった。
タブンネは知っていた。彼らが不良という存在で、不良は二種類いることを。
タブンネに餌をくれるか。タブンネをいじめるか。
目の前にいるのは後者のようで、タブンネを見てニヤニヤといやな笑い方をしている。
一人がタブンネの体を軽く蹴飛ばす。体格差もあり、タブンネは地面に転がってしまう。
タブンネが倒れたのをみて、不良たちは集団でタブンネに蹴りを入れ始める。
タブンネは抵抗しようとも逃げようともしない。
頭を抱えて丸くなってひたすら耐える。
頭を踏まれても、耳をつかまれても、お腹を蹴られても、ただ耐える。
抵抗すれば、生意気だと言われてさらに痛い目に会わされてしまい、
逃げれば、おもしろがって追いかけてきておもちゃにされる。
相手が飽きてどこかに行くまで我慢するのが一番いい。
この街に来てタブンネが学んだことの一つだ。
しかし、タブンネのそんな様子が不良たちには不服だったようで
「もっといいリアクションしろよ」
そう言うと、それまで以上に容赦なくタブンネの体を痛めつけ始める。
顔をつま先で蹴飛ばされ、何か固いもので殴られ、尻尾をつかまれ引きずられる。
そんな暴行を耐え続けることなどできるはずもなく、やがてタブンネの意識は真っ暗になってしまった。
タブンネが目を覚ましたとき、最初に見えたのは何もない真っ暗闇だった。
次に、何か生ものが腐った時の臭いが鼻に入ってきて「ウェェ…」とえずく。
タブンネは積み上げられたゴミ袋の山に頭から突っ込まれていた。
そこから何とか出ようと思ってもがく。動くたびに全身にズクンズクンと鈍い痛みが走る。
痛みをこらえながらゴミ袋の山から脱出したタブンネ。
そのまま、路上に倒れ込みあおむけになる。
首を動かして空を見ると、遠くの空が少し明るくなっているのがわかった。夜明けが近いのだ。
明るくなる前に巣に帰らなくては。そう考え、痛む体にムチを打ち立ち上がる。
そのとき、捨ててあったゴミ袋がやぶれて出てきたのか、目の前にあるものを見つけた。
それはオボンの実だった。
誰かの食べ残しをすてたものなのか、ほとんど皮の部分しか残っておらず、しかも腐りかけだった。
しかし、タブンネはそれを信じられないという顔で見ると、おそるおそる口に入れる。
二度と食べることはないだろうとあきらめていた懐かしい味が口の中に広がる。
故郷の森での暮らしていたときの思い出が次々とよみがえってくる。
タブンネは泣いた。
肉食のポケモンに襲われることにおびえながらも、仲間や家族とすごした温かい日々を思い出して。
ほかのタブンネとの交流を絶ち、日々の食事を探すだけのみじめな自分の現状を思い知らされて。
タブンネがマンションにたどり着いた時には、街は朝の姿になろうとしていた。
会社に向かうサラリーマン。箒を動かす女のひと。ジョギングする若い男性。
タブンネはマンションとゴミ捨て場の間に体をつっこみ目を閉じる。
二度と手に入れることができない日々に思いを馳せながら。
「あー、これか」
とあるマンションのゴミ捨て場。老年の男が面倒くさそうにつぶやく。
「はやく片付けちゃいましょう」
老年の男の言葉に若い男性が答える。
この男たちはこの街の役所からの連絡をうけてやってきた清掃局の人間だ。
2人の視線の先にはマンションとゴミ捨て場に上半身を突っ込んでいるタブンネの死骸がある。
2人は手袋をつけてタブンネの体を引っ張り出す。
「うわー、ひどいなこりゃ」
引っ張り出したタブンネは全身にアザと傷があり、耳は片方がちぎれかけている状態だった。
尻尾は切り取られており、ハート形の肉球もズタズタになっていた。
「悪ガキにでもやられてここに逃げ込んだんですかね?」
「さあなぁ」
2人は回収用の袋に動かなくなったタブンネを入れ、清掃局のバンの荷台に放り込む。
荷台のドアを閉めると2人は掃除を始める。
掃除を終えると2人はバンに乗り込んで、マンションから去っていく。
そこにタブンネがいた痕跡は何も残っていなかった。
……
…………
……………………
人間のもとに行くという幸運をつかみとった一部のタブンネたち。
しかし、彼らの幸運は永遠のものではない
一度つかんだ幸運は彼らの手をすぐにすり抜けていってしまう。
それでもタブンネたちは人のもとを目指す。
そこには幸福な生き方が待っていると信じて。
(おわり)
最終更新:2015年02月18日 20:31