邂逅◆F0cKheEiqE



“へノ参”地区。
帆山城が真北に伺える城下町の一角の小さな家屋で、
二人の男が囲炉裏を挟んで対峙していた。

片や、褐色の粗末な着物に身を包んだ大男である。
頭には屋内であるにも関わらず網代笠が乗っかっている。
笠の下の顔は・・・もの凄い。
総髪はぼうぼうに伸び、まるでヤマアラシのようだ。
ほおひげ、顎鬚、口髭、ことごとく伸び、顔を覆っているが、
みすぼらしくなく、むしろ独特の風格がある。
太い眉は、先が跳ね上がり、眼は大きく三角な三白眼、鼻梁は高い。
不動明王、なんとなくそんな言葉を連想する。
手には、隣の床の間に飾られていた打刀が握られている。

もう一方は、中肉中背の老人である。
年齢のほどは、60代以上であろう。
総髪を後ろで一つに纏めているが、その毛は悉く白だ。
頬は引き締まり、鬚が伸びた顎は尖っている。
目つきは鋭く、まるで剃刀のようだ。
鋭いのは目だけではなく身に纏う雰囲気もそうであるし、
仕立ての良い着物の下にある、
老人とは思えぬ鋼の様な筋肉もであった。
囲炉裏の自在鉤に掛けられた南部鉄器の鉄瓶が沸騰するのを
ジロリと見つめていた。

二人は無言で囲炉裏を挟んで対峙している。
不動明王、老人共に胡坐を組んで、
不動明王は老人を、老人は鉄瓶を凄まじい目つきで見つめていた。
部屋には、静かな殺気が充満していた。


不動明王こと、宮本武蔵玄信がこの兵法勝負の場に呼び出されたのは、
47歳、尾州公義直への仕官を失敗した直後である。
戦も望めぬ「元和偃武」以降の世の中で、彼に廻って来た最後のチャンスとも
言える好機を逃し、尾張を去ろうとした正にその時、
気が付けばあの「白州」に横たわっており、
また気が付けば何処とも知れぬ床の間に寝ていたのだ。
身を起こし坐禅を組み、武蔵はこれまでに起こった事を思い出す。
あの男、家紋から察するに柳生の男は、「御前試合」と言った。
そして、この兵法勝負に勝ち残ったものには、天下一の称号を与えるとも。
このご時世に、真剣を用いた武芸上覧。
正気の沙汰とは思われぬが、あれだけの武芸者を集め、
わざわざ人一人殺して見せた以上、本気ではあるようだ。
狂気の沙汰・・・・正しく狂気の沙汰だが、

おもしろい

武蔵はそう思ったのだ。
これはまたとない、恐らく人生最後の好機だと。

武蔵は29までに、佐々木小次郎との勝負を含む60余度の勝負を行い、
そのことごとくを勝ってきた。
しかし、その彼が得たものは・・・名声だけである。
仕官話もあった。剣術指南にならないかと、様々な家から誘いを受けた。

しかし、その給与はせいぜい石高三百石、多くても六百石が限度で、
それは武蔵の自負をとうてい満足しうるものではない。
これは仕方の無いことであろう。所詮、兵法など小手先の技術に過ぎない。
少なくとも、世間はそう考えている。
天下の剣法指南役、小野忠明ですら、最初に召し抱えられた時の石高は
二百石にすぎない。世間の剣法への評価などその程度にすぎないのだ。

されど、武蔵は将に成りたかった。三千石以上、すなわち侍大将になりたかった。
少なくとも、彼は小手先の剣技だけの男で終わるつもりはなかった。
自分の「兵法」は剣を軍配に持ち替えれば、万の敵を切り裂く「剣」になる。
そういう自負があったからこそ、彼は侍大将を望んだ。

しかし、世間はそうは考えない。
あくまで、武蔵を卓越した剣法の「技術者」として扱った。
「技術」で彼を買おうとした。
武蔵には、侍大将として取り立てるべき実績が無かったからだ。
武蔵が戦場に立ったのは生涯三度に過ぎず、
関ヶ原と大阪の陣は負け戦、島原の乱では下らぬことで怪我をし、
手柄を立てる間もなく戦線離脱と、戦果と呼べるものが何一つない。
この場に呼ばれたのは47歳の武蔵だから、
島原の乱を経験していないが、戦果が無いことには変わりない。
彼は生れてくる時代を間違えたのだろう。
もし、戦国の真っただ中に生まれていれば、
山中鹿之助や、真柄十郎左衛門や、真壁氏幹のように、
強力無双の武者として名を馳せていただろうに。
彼は自分の「兵法」を卜伝のように合戦の場で示す機会に恵まれなかった。

だからこそ、だからこそせめて・・・
武蔵は考えるのだ。
将の道が望めぬのならばせめて、
剣では、剣だけはせめて最強でありたい。
そう武蔵が望む事は自然であろう。

武蔵はこの殺し合いに乗った。
最強を示すために。


老人こと、塚原卜伝高幹がこの兵法勝負の場に呼び出されたのは、
彼が三度目の最後の回国修行から故郷鹿島に帰ってきた直後である。
武者修行と言っても、鷹を三羽、馬を三頭、門弟百人余りを引き連れ、
京都に来た際には室町御所に居候し、
細川藤孝、十三代将軍足利義輝に新当流を教授したというから、
もはや新当流地方巡業といった調子である。

そんな悠々自適の旅から意気揚揚と鹿島に帰還したかと思えば、
晴天の霹靂、気が付けば天狗に攫われたがごとく、
あの白州にいたというわけである。

(わしも老いたか・・・・・)
人一倍用心深い自分が気がつく間もなく
このような場所に攫われてしまったとは、
正直情けないにもほどがあるだろう。
そんな事を考えながら、シュンシュンと音を
立てる鉄瓶に眼を向ける。湯が湧くのももう暫くか。

あの煙にのまれた後、卜伝は気が付けば
この囲炉裏の側の茣蓙の上に横たわっていた。
取り敢えず行李の中の物を確認し、
中に木太刀とお茶の葉があったため、
木太刀は傍らに置き、お茶の葉は囲炉裏の自在鉤に
掛けてあった鉄瓶に入れてお茶を沸かしていた。

取り敢えず、天狗に化かされたとしか思えぬ妙な状況の連続から、
茶でも飲んで頭を落ち着けようと思ったのである。
そんな時、

がらっ

奥の障子戸が開き、一人の男が入って来たのだ。
他ならぬ宮本武蔵である。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
双方言葉もなく、凄まじい殺気と沈黙で、
囲炉裏の空気が淀んでいるようにすら見える。
どちらも何気なく座っているように見えるが、
そのくせ一部の隙もないのだ。

若き日の武蔵が卜伝と邂逅したという逸話がある。
宮本武蔵が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込んだ際、
卜伝が囲炉裏の鍋の蓋を盾にしたとする物だが、
1571年に死んだ卜伝と1584年生まれの武蔵が邂逅出来る筈もなく、
これはあくまで卜伝のすごさを謳う伝説だが、
奇しくも、その伝説とよく似た状況が今、この囲炉裏で再現されていた。

ただ、シュンシュンと、鉄瓶から漏れる小さな音が響くのみの囲炉裏。
ほんの数分に過ぎないにも関わらず、まるで永遠とも思われる淀んだ
時間が過ぎた。

最初に動いたのは卜伝である。
傍らの木刀に、素早く手が伸びる。

しかし武蔵もさるもの、素早く立膝をつくと、
打刀を抜き打ちにしようとするが・・・

「!」

卜伝の木太刀の標的は武蔵でない。
木太刀の切っ先は囲炉裏の自在鉤を叩き、
鉄瓶が、武蔵の方へと跳ね飛んだ。
当然鉄瓶の中には熱湯があるわけで・・・

ドムッ

鉄瓶が武蔵に到達するより早く、今度は武蔵が跳ね飛んだ。
床が抜けんとばかりに床を蹴って飛ぶと、
左足は後ろの障子を突き破り、体は半分ほど床の間に入っている。
右手にはいつの間に抜かれたか、白刃が既に煌めいていた。

鉄瓶が床に落ち、内包物をぶちまける。
その時には、卜伝のほうもいつの間にか立ち上がって、
武蔵の方に木太刀の切っ先を向けている。

囲炉裏を挟んで、両者は再び睨み合った。
しかし、今度はその時間は実に短い物だった。

「若いの、命を粗末にするな」
卜伝は一言そう言うと、木太刀を下し、背を向け、
行李を付属していた背負子で背負うと、
民家を後にしてしまった。

武蔵はこれを黙って見ていた。
否、見ているしかできなかったのだ。
それだけ、卜伝の動きに隙が無かったのだ。


(危うかった・・・・・)
卜伝の背は、びっしりと冷や汗で濡れている。
それだけ、不動明王、武蔵は恐るべき使い手であった。
相手もこちらの事を警戒していたためか、
斬り合いにはならなかったが、果たして勝っていたのはどちらか。
あの様な男がいる事が、先の二階笠の男の言う事の真実性を
否応なく理解させる。

(生き残れるか・・・・今のわしに、この兵法勝負を・・・)
卜伝は顔を歪めてそう、苦悶する。
「卜伝百首奥書」の中で、

十七歳ニシテ洛陽清水寺ニ於イテ真刀仕合ヲシテ利ヲ得シヨリ、
五畿七道ニ遊ビ、真剣ノ仕合十九ケ度、軍ノ場ヲ踏ムコト三十七ケ度、
一度モ不覚ヲ取ラズ、疵一ケ所モ被ラズ、矢疵被ルコト六ケ所ノ外、
一度モ敵ノ兵具ニアタルコトナシ。
凡ソ仕合、軍ノ場トモ、出逢フ所ノ敵ヲ討取ルコト
一分ノ手ニカケテ二百十二人

と謳われた豪傑卜伝だが、もはや年齢は六十を越え、
男の盛りを過ぎてずいぶん経つ。
それでも、肉体は老人の物とは思えぬ強靭なものであるし、
剣の腕も相変わらず凄まじいものではあるが、
それでも、老いは確実に卜伝から力を奪っている。

(だが・・・・・・)
だからと言って尻尾巻いて逃げるか?
否、断じて否。
新当流流祖の名が、剣聖の名が、何より剣の道に生きてきた
自分自身の矜持が、逃亡を許さぬ。
無論、勝つかどうか危うい相手から逃げをうった事が無いわけではない。
危ういと思った相手を言いくるめ、琵琶湖の小島に置き去りにした事もあったが、
これと今とでは状況が違う。
口だけでどうにかなる状況ではない。
合戦のまっただ中に放り込まれたに等しいのだ。

しかしだからなんだと。
今まで合戦で悉く生き延びた自分が若造どもに後れをとる?
ふざけるな、俺は塚原卜伝だ!

この兵法勝負を見ているという何れかの貴人よ。

見ているがいい、老いても尚盛ん。
新当流塚原卜伝、推して参る。

【へノ参 城下町/一日目/深夜】

【塚原卜伝@史実】
【状態】:健康、城下町を移動中
【装備】:木刀
【所持品】:支給品一式
【思考】
1:この兵法勝負で己の強さを示す
2:勝つためにはどんな手も使う
【備考】
※人別帖を見ていません。


卜伝が出て行ってからしばらくの間、
武蔵は右手に白刃を握ったまま、
宙に眼を彷徨わせて上の空の様子であった。

「ふくくくくく」
突然、武蔵の口から声が漏れる。
「くくく、くくく・・・・フハハハハハハハハハッ!」
それは凄まじい哄笑であった。

情けなきかな、宮本武蔵。
あのような爺一人易々と斬り捨てられぬようで
何が最強か、笑わせるにも程がある。
哄笑は自嘲の高笑いであった。

そのまましばらく自嘲の哄笑を上げていた武蔵だが、
その哄笑はぴたりと止まった。

武蔵の眼には凄まじい殺気が宿っている。

宮本武蔵、これまで60以上の決闘を戦ってきたが、
勝負をしたのは確実に勝てる相手とだけである。
これは仕方の無い事だ。
帰るべき故郷も、知行も持たない剣一筋の武蔵には、
一度の敗北はそのまま人生の破滅を意味するからだ。

しかし武蔵にはもはや失うものは無い。
ここで死ぬか、さもなくば生き残って最強を証明するか、
取るべき道は一つに二つ。
負けることは絶対に出来ぬが、勝負から逃げる事も許されぬ。
かつてない過酷な道だ。

しかし行かねばならぬ。さもなくば、自分に未来なし。

武蔵は、床の間の行李をひん掴むと、
民家の外へ飛び出した。
足跡を辿り、老人の姿を探す。

いたっ!
武蔵は老人の姿を発見すると、
素早く気配を殺して民家の影に隠れた。

あの老人。名は解らぬが恐るべき使い手である。
平素ならば、挑まずに素通りすべき相手。
しかし、ここではそれは許されぬ。
相手が如何なる使い手とて、己の手で倒さねばならぬ。
あのような爺一人斬り捨てられないで、何が最強か。

さすればこの追跡はかの老人を倒すためのもの。
あの老人の後を追い、あの老人の太刀筋、悉く見切るためのもの。
あの老人の太刀筋を見切り、尚かつ倒せば、
己の剣はさらに高い領域に踏み込めるはず。
武蔵にはそのような確信があった。

そうでなくても、あの老人は自分の手で倒さねばならぬ。
武蔵の誇り高さは、ある種の狂気すら帯びている。
その彼が、あそこまで虚仮にされて、黙ったままでいるはずもない。

月下の城下、奇妙な追跡劇が始まった。


【へノ参 城下町/一日目/深夜】

【宮本武蔵@史実】
【状態】:健康、塚原卜伝を追跡中
【装備】:打刀
【所持品】:不明
【思考】
最強を示す
1:老人(塚原卜伝)を倒す
2:その為に、老人(塚原卜伝)を追跡し、
太刀筋を見切る。
【備考】
※人別帖を見ていません。




時系列順で読む

投下順で読む


試合開始 塚原卜伝 頑張る女達/師匠と弟子/盟友の誓い
試合開始 宮本武蔵 頑張る女達/師匠と弟子/盟友の誓い

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年02月15日 23:05