「お見事」
崩れ行く岩塊の上に寝転び瞑目する沖田の耳に、聞き覚えのある声が響く。
「
沖田総司殿……貴殿をこの御前試合の勝利者として認めよう」
地より湧いて出た朧な人影……その陰々たる声は、前にも聞いた主催者、沖田はその名までは知らぬが、確かに果心居士のもの。
要らぬ手出しで闘いを台無しにしておきながら、勝利者として認めるも何もないものだ。
斬ってやろうかとも思ったが、果心の姿を見て止める。
一目見て、果心が何程の力も人格も持たない、消えかけの亡霊か幻影の如き影でしかないと気付いた故に。
それに、果心に剣客の心が理解できないように、果心にも沖田には理解できない目的があってこんな事をしたのだろうし。
沖田の様子には構わず……いや、それを察知する機能すら持っていないのだろう、影は勝手に言葉を継ぐ。
「これは果心があらかじめ潜めおきし分身。羽虫程の力も持たざれども、我が知る全ての術を記録して御座います。
影は貴殿の天下無双の武力を魔力に変換し術を発動させ、貴殿の如何なる望みをも実現させるでありましょう」
(如何なる望みをも、ねえ……)
と言っても、卜伝との勝負を、或いは武蔵や近藤達との勝負もやり直す、などという事は出来ないだろう。
妖術で道を究めた剣客の行いをも覆す事が出来るなら、理解も出来ない剣客を核にした儀式など行う必要もなかったのだし。
ではどんな事ならば可能なのか、などという事は素人の沖田にわかりようもない。
一つだけ、果心の妖術でも可能と沖田にわかり、且つ沖田の望みに沿う事があるとすれば……
(これは……何だ?)
剣士は胸中で呟く。
突如、霧の中に迷い込み、歩いていると何時の間にか周囲に幾十もの気配が現れていた。
しかも、気配からはそれらが、比類なき人斬りである彼にも匹敵する、一流の武芸者ばかりである事が感じ取れる。
彼が感知するのとほぼ同時に霧は急速に晴れて行き、周囲の者達の姿と様子が明らかになって行く。
全員が彼と同じ突出した武術家だというのは先に感じた通りだが、武人としての在り方は大きな差異があるようだ。
佇まいからして行儀良く道場で筋目正しい技を学んだらしい者、血と硝煙の臭いを纏い先刻まで戦場を疾駆していたらしい者……
更には、それが恐ろしく精巧な仮装でもなければ、明らかに人間とは異質な姿形をした者まで含まれている。
共通しているのは、誰もが手練れの遣い手である事と、皆が一様に戸惑いや警戒の感情を表している事。
……ただ一人の例外を除いて。
「やあ、皆さんお揃いですね」
背後から近寄り、来やすく声を掛けて来たその少年に、人斬りは迷わず抜き打ちを叩き付けていた。
一人だけ事情を知っている態度からして、この少年が現在の異常事態に何らかの形で関わっているのは明らか。
尤も、だからと言って普通はいきなり本気で斬り付けたりはしないが。
何の目的で、如何なる手段を以て自分達を集めたのか、他に仲間はいるのか、此処は何処か等々……
問い質すべき事が幾らもあるのに、いきなり殺しに掛かるのは、一般的には賢明とは言い難い行動。
しかし、敵と見定めたならば余計な誰何などせず即座に仕留める……この信条に従って、彼は種々の死闘を勝ち残って来たのだ。
必殺の刃は神速で少年に迫り……見事に跳ね返された。
剣を弾かれた勢いで人斬りは数歩後退し踏鞴を踏む。
決して膂力で打ち負けた訳ではない。
こちらの攻撃の軌道に的確に合わせられた為に、少年の剣力を一点で受ける破目になり、勢いを保てなかったのだ。
今までにこんな剣士と斬り合った記憶はないし、ほぼ我流の彼の剣筋を他の方法で知る事は出来ない筈。
ならば、目の前の相手は、幾多の難敵を葬った人斬りの居合を初見で見切り、完璧な返し技を放ってみせたという事か。
精緻な技を見せ付けられて人斬りの目は鋭くなり、静観していた武芸者達もざわめき、一気に少年に視線が集まる。
注目されているのを感じた少年……沖田総司は、満足そうに微笑むと、本人的には厳かなつもりで宣言した。
「それでは……野試合を開始します!」
結局、沖田が果心に望んだのは、嘗て為した事、即ち無数の世界から最高の武人を集めての試合を再び開催する事。
一つの試合を勝ち抜いた沖田は、終わる事のない永劫の闘争こそが己の意に適うと悟ったのだ。
既に
塚原卜伝という最高の剣客がない以上、無限に蠱毒を続けても、誰も完全の域に達する事はできないのかもしれない。
全ての宇宙の最終的な目標となるべき卜伝を失い、既に宇宙やその住人の存在する意義は無に帰したとするのは合理的考えではあろう。
だがそれでも、剣客達の闘争は続く。
武道の終着たるべき「完全」が失われたという事は、果てなき荒野を永遠に好きな方向に進む自由を得た、というのと同義。
完成とは別の理想を見つけるのか、理想や意義など気にせずにただ無限の闘いを楽しむのか……
ともかく、剣客達の永劫に続く殺し合いの連鎖が一つ、以上の経緯で始まったのである。
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最終更新:2015年12月29日 15:22