島……いや、既に崩壊が進み、外から見れば巨大な岩塊とも見えるその大地の中心部で、二人の剣士は対峙した。
剣を構える両者は無言。
卜伝としては目の前の相手が声を掛けるに相応しい剣士なのか未知数だ。
以前に軽くぶつかって腕と才はわかっているし、対峙して更に進んだ境地に入った事もわかったが、それだけでは卜伝には不足。
一方の沖田は、卜伝が望み得る最高の敵である事は、以前の手合せからも、今感じる剣気からも明らか。
だからこそ、言葉を交わして余計な情を持たれるよりも、剣のみで全てを決したいというのが沖田の想い。
結果、この御前試合最後の戦いとなる、いわば決勝戦は、静かな立ち上がりから始まる事となった。
互いに剣を正眼に構えたまま間合いを詰め、切っ先が接触するかと思われた瞬間、沖田が動く。
卜伝の剣と真っ向から押し合う事を避けて横に跳ぶ沖田……それも左右両方に。
気当たりにより分身したしぐれと同様だが、沖田の場合は、
柳生十兵衛との決闘で学んだ、心を二つに分割する技を応用している。
心まで分かれている為に心中を読まれても本体を見抜かれれる事はないし、心の幹は一つだから分身同士で完璧な連携が可能。
尤も、既に無限の分身したしぐれに打ち勝っている以上、卜伝にとっては二人に分身した程度は恐れる事ではないが。
卜伝の態度からそれを悟ったのか二人となった沖田は更に大技を繰り出して卜伝を挟撃した。
右の沖田は縦横円弧の三つの剣撃を同時に放ち、左の沖田は切り下げ・切り上げ・横薙ぎの三つを瞬間に繰り出す。
二種の燕返しを同時に放つ事で回避する事も受け切る事も不可能にする連携技。
だが、沖田が技を繰り出そうとする瞬間、卜伝は迷わずその場に寝転んだ。
別種の技ではあるが二つの燕返しは本質的な共通点を持つ。
しぐれとの闘いで無数の武術を体系的に捉える眼を養った卜伝には、それは同じ技の別側面に過ぎず、同時に対処可能な攻めであった。
卜伝の動きを見て咄嗟に身体を伸ばして剣を届かせようとした二人の沖田の剣先が接触して動きを鈍らせる。
哲学に差はあれど燕返しが飛燕を斬る為の技である以上、地を這われ剣の下を潜られれば追うのは困難。
体勢を崩した沖田を卜伝の下からの二人纏めて薙ぎが襲い、飛び退いて躱す沖田だが左の袖口に血が滲み、分身も消滅。
手首の傷は軽傷だが、燕返しのような精密さを必要とする連撃を放つのは難しいだろう。
となると、三段突きなどの片手技で攻めるか、さもなくば……
沖田はトンボの型に構えると気力を高める。
左手の傷は精密さを狂わせる可能性があるとはいえ、握力や膂力を発揮するのに支障はなさそうだ。
小手先の技が使い難いなら、無限の速度と全てを存在ごと消滅させる一撃で真っ向から押し切れば良い。
敵を地面ごと打ち砕くのが示現流の心意気とはいえ、やはり寝転んだ相手に斬り下ろしで掛かれば避けられる危険が出て来る。
故に卜伝が立ち上がった瞬間に斬り掛かろうと力を溜める沖田だが、卜伝は立ち上がると見せて低い姿勢から沖田に突進した。
示現流は新当流とは別の道で剣を追求する事にしたとはいえ、元を辿れば天真正を源流とする一派。
神道流の正統を継ぎ極限まで進展させた卜伝が沖田の構えを見て即座に本質を見抜いたのは、ある意味当然。
技が放たれてしまえば防ぐのは困難と悟った卜伝は、先手を取る事にしたのだ。
示現の太刀は雲耀の剣をそれに匹敵する足運びが支える事で成り立つ技だけに、急に間を潰されると修正に時間を要する。
その暇を与えずに間を潰したの卜伝は、沖田に距離を開く事を許さず、状況を大技の使えない超接近戦に持ち込む。
尤も、卜伝の本来の狙いは組み合い柔の技で制する事で、格闘戦に持ち込まれていれば沖田の勝ち目はなかっただろう。
其処までの苦境に追い込まれず済んだのは、必殺の一撃を放つ為に高めた気迫の賜物。
強烈な気組みが沖田の存在感を高め、武蔵戦で沖田が犯したのと同様に、卜伝も間合いを見誤ったのだ。
即ち、沖田の仕掛けが卜伝に全く無効ではないという事……卜伝が紙一重の差を絶対的な優位に変える老練さを持つとも言えるが。
どちらにせよ、極端に狭い間合いでの立ち回りは天然理心流に豊富な型があり、沖田も十分に学んでいる。
鍔迫り合いの体勢から何とか左手を外すと、腰の鞘を掴み居合の柄打ちの要領で卜伝に叩き付けた。
無論、卜伝とてただ打たれる筈もなく、片手を刀から離して防御し、同時に沖田が腰を廻す為に緩めた足を蹴って体勢を崩す。
両者が片手を鍔競り合う剣から離し、体勢も崩れた事で噛み合う刃が滑り、火花が散って沖田の無限刃が発火。
「!?」
思い切り気を叩き付けて炎を卜伝の側に吹き付けると、流石に不意を衝かれたか、卜伝は大きく後に退く。
ここで時を与えれば別の手で攻められると読んだ沖田は、下がった卜伝を即座に追撃しようと試みる。
鞘を半ば抜きかけたのを利用し、無限刃と鞘の二刀の構えで追い込もうとし……手の中から鞘が消えているのに気付く。
沖田の気が無限刃と炎に逸れた瞬間に卜伝が奪い取っていたのだ。
あまりに自然な動きで抵抗なく奪われた為、いざ使おうとする瞬間まで沖田も気付けなかった。
傷の痛みで怯まない為に左手の感覚への注意を意識的に薄くしていたのを逆用したのか。
新陰流の護身の為の無刀取りとは全く異なる、相手の隙を狙い積極的に武器を奪い取る、いわば攻めの無刀取り。
抜こうとした鞘がなくなっていた事で攻めに転じようとした沖田の動きが止まり、その刹那の隙を卜伝は見逃さない。
卜伝の手から放たれた鞘が凄まじい勢いで沖田を目掛けて飛ぶ。
鈍器とはいえまともに受ければ只では済まないし、木製だけに剣で払えば食い込んで動きを妨げる。
咄嗟に沖田は、着物の袖で眼前に迫った鞘を絡ませ、払い落とす。
だが、顔を狙った攻撃を袖で防いだという事は、袖により沖田の視界が塞がれるという事。
同時に卜伝が再び突進してくる気配を感じた沖田は、気配に向けて砂利を蹴り上げた。
砂を蹴上げての目潰しは土方が得意としていた喧嘩殺法だが、卜伝相手にそんな手が通じる筈もないのは織り込み済み。
沖田が砂を舞い上げたのは、砂と身体がぶつかる音と気配から、卜伝の存在をより濃く感じ取る為。
無論、この方法で位置や動きを読んでも、その精度は眼で直接確認するのには遠く及ばない。
沖田は、砂で卜伝の身体を把握しようとしたのではなく、気配で卜伝を感じる事で、心を共鳴させようとしたのだ。
柳生利厳との決闘、特にその終盤で感じた不思議な感覚……あの時、闘う二人の心は溶け合い、何時しか一つになったと感じられた。
一つの心に二つの身体を持って舞い、型が完遂した時、我に返った沖田は、利厳が倒れ何時の間にか一人になっていた事に気付く。
極度の興奮状態が生んだ錯覚とも取れるが、沖田はその実在するかもわからぬ境地を再現しようと試みる。
生死の境に身を置く事で研ぎ澄まされた精神が想像の中で沖田の心が卜伝の心を絡め取り、一つに溶け合う。
死地の中で限界まで深く沈めた心の中で、一閃の光を見たように、沖田は感じた。
それが妄想か否かを確かめもせず、直感に従って沖田が身をずらせた直後、正に先に見た軌道を卜伝の剣が振り抜いて行く。
二度、三度とその調子で卜伝の攻撃を凌いだ沖田は、それで稼いだ僅かな隙を使って反撃の準備を整える。
卜伝の一撃を回避した勢いで刀を引いた沖田は、零距離からの三段突きを繰り出す。
この至近距離では突きの回避はまず不可能。
かと言って三段突きを受けるのは
宮本武蔵も相当に苦労したように、卜伝にとっても容易ではない筈。
三段突きは以前に見られているが、その後に大幅に進化し、既に別次元の技になっているのだし。
だが、沖田の渾身の突きは、卜伝によって紙一重で回避される。
通常なら零距離からの突きは回避不能だが、突きの軌道を事前に読み切っていれば話は別。
心を読まれ攻撃を連続して躱された卜伝だが、卜伝程の剣豪がただ読まれるままになっている筈がない。
精神の共鳴を逆用し、沖田の攻撃を先読みしたのだ。
本来、片手平突きは外されてもすぐに薙ぎなどの次の攻撃に繋げられるのが最大の利点。
しかし、沖田が放ったのは、全く同じ軌道を行く連撃である三段突き。
しかも最後に放った三段目の突きが最初に届いて回避されたとなれば、追撃は至難の業。
それでも渾身の反撃をあっさり躱されてしまえば、技を出した直後の隙を衝かれて斬られる事になるのは明らか。
沖田は咄嗟に回避される寸前の一段目と二段目の突きの軌道をぶれさせ、紙一重で躱した卜伝の顔面に掠らせる。
思わぬ手傷を負った卜伝が怯んだ隙に沖田は後退して体勢を整えるが、実は消耗は負傷した卜伝より沖田の方が大きかった。
三段突きは、全く同じ軌道の突きを連続して、後には同時に放つ技として沖田が練り上げたもの。
同じ動作の反復だからこそ、身体への負担を最小限にして超高速の挙動が可能となるのだ。
それなのに速度を変えず動きをぶれさせるのは、身体へまともに負担がかかる、明らかに剣理から外れた行為。
突きの途中で骨や筋が己の限界を超えた動きの負荷により破壊されて不発になっていてもおかしくなかった。
まあ、そんな理に反した本能的な動きであったからこそ、卜伝の読みを外して危地を逃れる事が出来たのだが。
三段突きが沖田にとって慣れ親しみ最も熟練した技であったからこそ、筋道を外しても破綻だけは免れたのだろう。
だが、目に見えた損傷はなくとも、過度の負荷により体力が限界に近付いていると、沖田は理解している。
そして、自分の身体では、体力の限界まで戦い続ける事は出来ないであろう事も。
力を出し切る前に、身体が持たず血を吐いて倒れるかもしれない……この懸念が沖田の頭を離れる事はない。
故に、消耗を自覚した時点で乾坤一擲の勝負に打って出るのが、沖田の流儀なのだ。
沖田は持てる限りの気組みを集中させると、それを一本の刀と化して卜伝目掛けて撃ち出した。
嘗て柳生石舟斎が見せた、己の剣気を矢と化して敵を射る不可思議な技。
尾張柳生と江戸柳生の精華を学んだ今の沖田ならば、応用して再現する事も十分可能。
尤も、石舟斎の技を思い出したのは、最後の瞬間に吐血して力尽きた桂ヒナギクが己の未来の姿に重なって感じられたからだが。
対する卜伝は強烈な気を真っ向から受ける愚は避け、横に一歩動いて回避する。
その一瞬の隙を狙って、沖田は全速で突撃。
無論、これだけの気を一度に放った時点で、沖田が持久戦を捨て決戦を挑む気になった事は卜伝にも明白。
気の飛刀を回避しつつ、己の持てる最強の技、一ノ太刀を放つ構えを取りつつある。
卜伝の構えを見た時点で、沖田にはその凄味の一端がはっきりと感じられていた。
この奥義に対して勝ちを狙うならば、持てる力を限界まで、いや、限界を超えて発揮させなければ勝負にすらなるまい。
だが、それをすれば間違いなく連戦で疲弊した沖田の肺は破れ、死に至るであろう。
それでも、沖田は万一の可能性に賭けて加減なしの全力を振り絞る事を選んだ。
万に一つ、身体が壊れても、斃れる前に最後の一撃を振り切る事が出来る可能性に賭けて。
例え決着の数瞬後に死ぬとしても、先に相手を仕留める事が出来れば勝負は沖田の勝ち、沖田本人はそう思っているのだ。
沖田が突撃して斬り付けるのが早いか、卜伝が体勢を整えて奥義を放つのが早いか、速度の勝負。
或いは、勝負が決するよりも潜んでいた病魔が沖田の身体を食い破るのが早いか……
疾風の如く突進して旋風の如く剣を薙ぐ沖田。
対する卜伝は、大上段に振り上げた剣を真っ向から振り下ろすという、極めて単純な、故に剣技の頂点に在る奥義で迎え撃つ。
二人の剣が交錯し、すれ違うと同時に血が飛沫く。
そして……
「……これは、ないなあ」
地に倒れた沖田は、言わずにはいられなかった。
この局面に到って漸く気付いたのだ……己の内に潜む病が取り除かれていた事を。
果心居士はこの御前試合を、一種の蠱毒として構築している。
蠱毒に於いては集めた毒虫の類を食い合わせ、全ての毒を勝ち残った一匹の身体に集める事で最高の毒を作り出す。
御前試合に於いても同様で、闘い合う事で互いの技や業を融合させ、より高めさせるのが目的。
ならば当然、参加者に戦い以外の原因で脱落されては困る訳だ。
戦闘以外での死、例えば自害や、事故や……或いは病死で。
武芸者ではない果心に、全ての闘いが丸一日で終わるとは予測できなかっただろう。
参考にした聖杯戦争では、七騎のサーヴァントの闘いが決着するのにかなりの時日を要するのが通例だったのだし。
行李に食料を入れて支給した上に島の各所に酒食を配置していた所から見て、長期戦になる可能性も考慮していたと考えるべき。
そうなった場合に沖田の戦いを阻害し得る要因を取り除いておく、果心が病を癒した思惑としてはそんな所か。
道具を渡したり記憶を操作したり、果心は参加者達が全力を発揮できるよう幾つも手を打っており、これもその一つなのだろう。
だが、この処置を沖田に力を発揮させる為に為したのであれば、果心の剣客というものへの無理解を示す何よりの証左。
天然理心流の教えでは、剣に於いて最も重要なのは技でも力でもなく気組みだと唱えていた。
気迫で圧倒すれば技で優る敵に打ち勝つ事も容易だし、気が高まれば集中力洞察力も上昇しより効率良く剣技を吸収できる。
そして、近藤や斉藤が見せたように、死の淵に身を置き避け得ぬ死を見詰める事で、剣士の気組みは爆発的に増大するのだ。
即ち、自身の中に死病が潜んでいる事は、沖田にとって障害であるよりはむしろ強さの源。
立ち合う剣客達を驚嘆させた、沖田の若さに似合わぬ剣の冴えは、己が若さより先に命を失うと悟っていた故にこそ手に入った強さ。
多くの者が沖田の才が完全に花開けばどれ程の名人になるかと夢想したが、実態は未完に終わる事が約束された故の破格の才能。
果心は沖田を補助するつもりで、実際には沖田の剣才の核となる要素を取り除いた事になる。
もし沖田が本来の状態ならば、病に最後の一撃を妨げられる事なく、且つ一ノ太刀に打ち勝てる確率は億に一つという所であったろう。
一方、病を取り除かれそれを覚ってしまえば沖田の剣の鋭さは損なわれ、その場合、卜伝に勝てる可能性は零だ。
現実には病が癒えていると知らぬままに振るった沖田の剣が、健康な身体により完璧に動き切り、一ノ太刀より早く卜伝を切り裂いた。
だが、それは己が既に健康体でありながら、死病に冒されていると思い込んだ故の、いわば錯誤の勝利。
病が癒えたと知ってしまった今、恐らくあの速度は二度と出せまい。
病が癒えた事で伸びた寿命の全てを費やしても、卜伝がいた境地に辿り着けるか、増して剣術を完成させるなどとても……
実戦では常に強い者が勝つとは限らず、素晴らしい達人が詰まらぬ偶然に足を掬われ散る事はよくある。
この程度の道理は沖田も重々承知していた事だが、それでも何処か、世界を楽観的に見ている部分があった。
個々の対戦結果は錯誤により決まる事があったとしても、最後は真に強い剣士が勝利し全てを丸く収めるだろうと。
無論、自身がその真の強者になり全ての技を修得できればそれが最高の結果だが。
しかし実際は錯誤により己を上回る剣士に勝利し、しかも最後の技はもう再現できない。
沖田にとって、また関わった多くの者にとって不本意な結果だが、確定した結末を覆す事は不可能。
この御前試合は、
沖田総司の勝利という形で終結したのだ。
【塚原卜伝@史実 死亡】
【残り一名】
【剣客ロワイヤル優勝者 沖田総司@史実】
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最終更新:2023年09月10日 11:54