第12話 「いつか見た夢」






 ルイズの部屋に現れたアンリエッタ王女は、感極まった表情を浮かべて、膝をついたルイズを抱きしめた。
「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」
「姫殿下、いけません。こんな下賤な場所へ、お越しになられるなんて・・・」
 ルイズはかしこまった声で言った。
「ああ!ルイズ!ルイズ・フランソワーズ!そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい!あなたとわたくしはおともだち!おともだちじゃないの!」
「もったいないお言葉でございます。姫殿下」
 ルイズは緊張し畏まった口調で言った。
「やめて!ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる宮廷貴族達もいないのですよ!もう、わたくしには心を許せるおともだちはいないわ。昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」
「姫殿下・・・」
 ルイズは顔を持ち上げた。
「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの!泥だらけになって」
「・・・・・・ええ、お目下を汚してしまって、侍従のラ・ポルトさまに叱られました」
「他にも――」
 ルイズと王女は互いに昔の懐かしい思い出を語り合い始めた。
「ほう王女とフレンドなのか」
 ルイズが顔を上げたので、ブロントも顔を上げルイズに尋ねた。
「姫さまがご幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせて頂いたのよ」
 そこでアンリエッタは精悍な顔付きをしたブロントに気づいた。
「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら」
「お邪魔?どうして?」
「ああ、ルイズ・フランソワーズ。あなたが、こんな素敵な彼を恋人にしていたなんて、わたくしの事のように嬉しいわ。いやだわ。わたくしったら、つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をいたしてしまったみたいね」
「こ、こ、恋人ぉ!?いえ、そ、その、ち、違います姫さま!あれはただの使い魔です!・・・そう、ただの使い魔です・・・」
 ルイズは首をぶんぶん振って、アンリエッタの言葉を否定した。
「使い魔?ですが品評会で踊りをみせて頂いたあなたの使い魔は、この方とは・・・」
 ブロントは鎧を大きく鳴らしながらステップを踏んで、決めのポーズとり、その踊りで王女の疑問に答えてみせた。

――千の言葉より残酷な俺という説得力

「えっ、・・・・・・ええっ!?まさか、本当に彼が!?」
 ルイズは黙ってアンリエッタの問いに頷いた。
 アンリエッタは、目の前の凛々しい姿の男が、使い魔の品評会にて逞しい肢体を露わにして踊ってみせた者であった事を知り、驚きを隠せなかった。
 そしてアンリエッタはブロントの事をまじまじと見つめる。
「あの心に響く踊りを見せたのが彼だったなんて・・・ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていて、わたくしを驚かせてばかりいましたけれど、相変わらずね」
「この使い魔が勝手にやった事で、別にわたしがやらせたんじゃありません」
「あの時のゴーレム騒ぎがなければ品評会の優勝者は間違いなくあなたの使い魔だったわ、ルイズ。あの舞と演奏は王宮内でも評判になって、再び見てみたい、と言っている方々が多数おりますわ。ふふ、わたくしもその内の一人ですけど」
「姫さま、もしかしてその事を伝えるために?」
 途端、アンリエッタは憂鬱な顔をして深い溜め息をついて、ベッドに腰掛けた。
「ああ、毎日がその様な愉快な事だらけだったらどんなに良い事か・・・でも・・・・・・いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね・・・・・・あなたに話せる様な事じゃないのに、わたくしってば」
「姫さま、どうなさったんですか?あんなに明るかった姫さまが、そんな風に溜め息をつくという事は、何か悩みがおありなのでしょう?」
「唯一心を許せるおともだちを危険に送り込もうと思っていた自分が恥ずかしいわ、この事は忘れてちょうだい。ルイズ」
「いけません!昔は何でも話し合ったじゃございませんか!わたしをおともだちと呼んでくださったのは姫さまです。そのおともだちに、悩みを話せないのですか?」
 ルイズにそう言われ、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。
「わたくしをおともだちと呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 アンリエッタは決心したように頷くと、ルイズに悩みを打ち明けた。
 トリステイン王国と共に長い歴史を持つアルビオン王国が今現在レコン・キスタを名乗る貴族派達による反乱がおきている事。
 そしてそのレコン・キスタとはハルケギニア統一を目指しているため、現在圧倒的不利な立場にいるアルビオン王室が倒れたら、
 次にトリステインに侵攻してくるであろう事。
 それに対抗するためにトリステインはゲルマニアと同盟を結ぶ事を選び、そのためにアンリエッタ王女がゲルマニア皇室に嫁ぐ事になっていた事。
 しかし、王女は以前、アルビオン王家のウェールズ皇太子に一通の手紙を送っていた。
 その手紙にはゲルマニア側に知られれば婚姻を破棄されてしまうことは必須な事が書かれており、
 トリステインとゲルマニアの同盟を望まないアルビオン貴族派の反乱軍の手にその手紙が渡ってしまえば、
 すぐにでもゲルマニアの皇室に送り届けられるであろうという事。

「では、姫さま、わたしに頼みたい事というのは・・・・・・」
「無理よ!無理よルイズ!わたくしったら、何てことでしょう!貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」
「何をおっしゃいます!たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫さまの御為とあらば、何処なりと向かいますわ!」
 ルイズは膝をついて恭しく頭を下げた。
「このわたくしの力になってくれるというの?ルイズ・フランソワーズ!懐かしいおともだち!」
 ルイズはアンリエッタの手を握り、熱した口調でそう言うと、アンリエッタはボロボロと泣き始めた。
「もちろんですわ!姫さま!このルイズ、いつまでも姫さまのおともだちであり、紛う事なき理解者でございます!永久に誓った忠誠を、忘れる事などありましょうか!」
「ああ!忠誠。これが誠の友情と忠誠です!感激しました。わたくし、あなたの忠誠を一生忘れません!ルイズ・フランソワーズ!」

 ルイズとアンリエッタが互いの手を握り合って、目に涙を浮かべて感動している間、
 デルフリンガーがブロントに囁いた。
「おい、相棒。扉の向こうにさっきから誰かいるぜ」
 ブロントはすかさずデルフリンガーを抜き放ち、部屋のドアへと投げ刺した。
 デルフリンガーはゴスッと音を立て、刃の根元までドアに刺さり、反対側に突き出た部分で聞き耳立てていた人物を出迎えた。
「よう!こんな時間にどーした気障っぽいにいちゃんよ?そんなとこで立ってると、部屋を出る奴にぶつかって危ねえぞ?用があるならちゃんとはいれや」
 部屋のドアがキィと音を立てて開いた。
 なんとそこには以前ブロントと決闘したギーシュ・ド・グラモンが立っていた。
ギーシュは固まった表情でデルフリンガーを凝視しながら、ドアノブにかけた手がぶるぶる震えていた。
「ギーシュ!あんた!立ち聞きしていたの?今の話を!」
「はは・・・いやね、薔薇のように見目麗しい姫さまのあとをつけてきてみればこんな所へ・・・・・・それでドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子を伺えば・・・・・・そこの剣に出迎えられたと・・・」
 ブロントが歩み寄り、ドアに刺さったデルフリンガーを引き抜いた。
「ドアの向こうで隠れていれば見破れないとでも思った浅はかさは愚かしい。またボコボコにされたいらしいな、知っていると思うが手加減できないし最悪の場合病室にまた行くことになる」
 そう言ってブロントはギーシュの胸倉を掴む。
「ちょ・・・ちょっと待ちたまえ!ブロント・・・さん!」
 ギーシュはブロントの手を振り解き、アンリエッタの前に素早く滑り込み、膝をつける。
「姫殿下!その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せつけますよう」
「グラモン?あの、グラモン元帥の?」
「息子でございます。姫殿下」
 ギーシュは立ち上がり、恭しく一礼した。
「あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」
「任務の一員に加えてくださるなら、これはもう、望外の幸せにございます」
 熱っぽい口調でギーシュはそう言った後、誰にも聞こえぬ小声で呟いた。
(と言うより、加えてもらわないと今ここでホトゥケの刑にあってしまう!)
 「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。ギーシュさん」

 デルフリンガーが愉快そうにケタケタと鍔を鳴らした。
「よかったな、にいちゃん。もし一員に入れて貰えなかったら、今頃相棒の手によって俺の錆びの仲間入りしてたな!」
 ブロントが、ポンポンとギーシュの肩に手を乗せた。
 途端、ギーシュの額から今まで我慢していた汗がぶわっと流れ出す。

 そんなやり取りには目もくれず、ルイズは真剣な声で言った。
「では、明日の朝、アルビオンに向かって出発するといたします」
「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族達は、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害をするでしょう」
 アンリエッタは机に座ると、ルイズの羽ペンと羊皮紙を使って、さらさらと手紙をしたためた。
 アンリエッタは、じっと自分が書いた手紙を見つめて、顔を赤らめると、
 決心したようにうなずき、末尾に一行付け加えた。それから小さい声で呟く。
「始祖ブリミルよ・・・・・・。この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を書かざるをえないのです・・・・・・・自分の気持ちに、嘘をつくことはできないのです・・・・・・」
 密書だというのに、まるで恋文をしたためたようなアンリエッタの表情だった。
ルイズは何も言わず、じっとそんなアンリエッタを見つめるばかり。
アンリエッタは書いた手紙を巻き、杖を振る。すると、手紙に封蝋がなされ、花押が押された。
「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」
 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡した。
「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」
 ルイズは深々と頭を下げた。
 そしてアンリエッタはブロントの手を取った。
「頼もしい使い魔さん」
「それほどでもない」
「わたくしの大事なおともだちを、大切な人を、これからもよろしくお願いしますね」



 朝もやの中、
 ルイズとブロントとギーシュは馬に鞍をつけ、出発の準備をしていると、
 ギーシュは困ったように言った。
「お願いがあるんだが・・・ぼくの使い魔をつれていきたいんだ」
「使い魔?あのジャイアントモールを?」
「おいで、ヴェルダンデ」
 ギーシュは足で地面を叩くと、モコモコと地面が盛り上がり、小さなクマほどもある巨大モグラが顔を出した。
 ギーシュはすさっ!と膝をつくと、そのモグラを抱きしめた。
「ヴェルダンデ!ああ、ぼくの可愛いヴェルダンデ!」
「これからアルビオンに行くのよ。地面を掘って進むジャイアントモールを連れて行けないわよ」
 ルイズは困ったように言うと、ギーシュは地面に膝ついた。
「お別れなんて、つらい、つらすぎるよ・・・ヴェルダンデ・・・」
 その時、巨大モグラが鼻をひくつかせた。ルイズの前でピクピク鼻を動かした後、比べる様に次はブロントの前でくんかくんか、と鼻を鳴らし、ブロントに擦り寄る。
「おいィ?何盾を嗅ぎ回っているわけ?」
 巨大モグラはブロントに抱きつき、モグモグと嬉しそうにブロントの盾に鼻を擦り寄せた。
 ミスリル鉱とダーク鉱を鋳造し合わせた合金に、アダマンチウムの板で表面を補強し、
 黄金と白金で「生命力」を表す紋様が施されたブロントのケーニヒシールドは、
 貴金属や宝石を好むジャイアントモールのヴェルダンデにとっては、
 その甘美なる金属の匂いの魅力に抵抗する術はなかった。
「ヴェルダンデは貴重な金属の香りが好きだからね。どうやらその盾はかなりいい素材を使っているみたいだね」
 ギーシュは腕を組んで眺めていた。
「おい、やめろ馬鹿。あんまりしつこいとバラバラに引き裂くぞ」
 ブロントはヴェルダンデと取っ組み合いになり、ブロントは巨大モグラの両脇を腕で挟み込むと、
 そのまま巨大モグラを持ち上げ、投げ飛ばした。
 巨大モグラが飛んで行った先にいた人影にぶつかると思った瞬間、一陣の風が舞い上がり、
 モグラをまたあらぬ方向へと吹き飛ばされた。
「誰だッ!ぼくのヴェルダンデになにをするんだ!」
 朝もやの中から、一人の長身の貴族が現れた。羽帽子を被ったグリフォンに跨っていたあの貴族だった。
「僕は敵じゃない。姫殿下より、きみたちに同行する事を命じられてね。そこにいるルイズが僕の婚約者であると姫殿下に伝えたら、是非ともきみたちに同行するようにと僕が指名されたというワケだ」
 長身の貴族は、羽帽子を取ると一礼した。
「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。モグラの事はすまない。突然飛んできてぶつかりそうになったので、咄嗟に吹き飛ばしてしまった」
「ワルド様!?」
ルイズが思わず叫んだ。
「久しぶりだな!ルイズ!僕のルイズ!」
 ワルドは人懐っこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄り、抱え上げた。
「お久しぶりでございます」
 ルイズは頬を染めて、ワルドに抱きかかえられている。
「相変わらず軽いなきみは!まるで羽のようだね!」
「・・・・・・お恥ずかしいですわ」
「彼らを紹介してくれたまえ」
 ワルドはルイズを地面に下ろすと、再び羽帽子を目深に被った。
「あ、あの・・・・・・ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のブロントです」
 ルイズは交互に指差していった。
「きみがルイズの使い魔かい?人とは思わなかったが、なかなか頼もしそうじゃないか。ぼくの婚約者がお世話になっているよ」
 ワルドが握手を求める手を差し出した。
「何いきなり話かけて来てるわけ?」
 ブロントは腕を組んだ姿勢のまま、ワルドをじっと見つめるだけで、握手に応じる気配がない。
「ハハッ、使い魔君には早速嫌われてしまったようだ。ルイズの婚約者としてその使い魔とも仲良くやって行きたいのだがね」
「汚い本能的になにかきたないと感じてしまっている」
 ワルドの何かがブロントを不愉快にさせていた。ブロントの気持ちに共鳴するかの様に、腰に差したデルフリンガーまでもがカタカタと震えている。
「会ったばかりだというのに、えらく酷評だね。この旅を通じてその感覚が単なる誤解である事と理解していただいて欲しいね」
 ワルドは差し出した手を引っ込めると、口笛を吹いた。
 すると、朝もやの中からグリフォンが現れた。
 ワルドはひらりとグリフォンに跨ると、ルイズに手招きした。
「おいで、ルイズ」
 ルイズはちょっと躊躇う様にして俯いて、しばらくモジモジしていたが、ワルドに抱きかかえられ、グリフォンに跨った。
 ワルドは手綱を握り、杖を掲げて叫んだ。
「では諸君!出撃だ!」
 グリフォンが駆け出し、ブロントとギーシュも馬に跨り、後に続いた。


 魔法学院を出発してからもう既に半日ほど、一行はラ・ロシェールの港町に向かい疾駆していた。
 途中、ブロント達は駅で二回、馬を交換しながら何とかワルドのグリフォンの後を追いかけていたが、ワルドのグリフォンは疲れを見せずに走り続ける。
 その間、ワルドに抱き寄せられるようにグリフォンに跨っていたルイズはふと気が緩み、
 心地よいグリフォンの揺れでうつらうつらとワルドの腕の中で寝入ってしまった。




   ◆      ◆      ◆      ◆

 夢の中でルイズは幼き頃の姿になっており、トリステイン魔法学院から、馬で三日ほどの距離にある、
 生まれ故郷のラ・ヴァリエールの領地にある屋敷の中庭を逃げ回っていた。
『ルイズ、ルイズ、どこに行ったの?ルイズ!まだお説教は終わっていませんよ!』
 そう言って騒ぎながらルイズの事を探し回るのは、母であった。
 ルイズは母に見つからないように、身を隠しながら、彼女自身が『秘密の場所』と呼んでいる、中庭の池に向かう。
 あまり人が寄り付かないそこは、ルイズが唯一安心できる場所だった。
 中池には小船が一艘浮いていた。舟遊びを楽しむための小船であったが、二人の姉達は成長し、魔法の勉強で忙しく、
父も母も舟遊びには興味がなく、中庭の池とその小船はルイズ以外には忘れ去られていた。
なので、ルイズは叱られると、決まってこの中庭の池に浮かぶ小船の中に逃げ込むのであった。
ルイズは小船の中に忍び込み、用意してあった毛布に潜り込むと、
中庭にかかる霧の中から、一人のマントを羽織った立派な貴族が現れた。
『泣いているのかい?ルイズ』
 つばの広い、羽根帽子を深く被り、顔が見えなかったが、彼が誰だか、ルイズはすぐわかった。
 十年程若い姿をしているが、ワルド子爵だ。
 晩餐会をよく共にした憧れの子爵の姿を見て、父と彼の間で交わされた約束の事を思い出し、ルイズはほんのりと胸を熱くした。
『子爵さま、いらしてたの?』
 幼いルイズは慌てて顔を隠した。みっともないところを憧れの人に見られてしまったので、恥ずかしかった。
『今日はきみのお父上に呼ばれたのさ。あのお話のことでね』
『まあ!いけないひとですわ。子爵様は・・・』
『ルイズ。ぼくの小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?』
『いえ、そんなことはありませんわ。でも・・・。わたし、まだ小さいし、よくわかりませんわ』
 ルイズははにかんで言った。帽子の下の顔が、にっこりと笑った。そして手をそっと差し伸べてくる。
『子爵様・・・』
「ミ・レィディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって。もうじき晩餐会が始まるよ」
『でも・・・』
「また怒られたんだね?安心しなさい。ぼくからお父上にとりなしてあげよう」
 ルイズは頷いて、立ち上がり、その手を握ろうとした。
 その時、風が吹いて貴族の帽子が飛んだ。
『あ』
 現れた人物の姿を見て、ルイズは当惑の声をあげた。
 見覚えが無いエルフの少年の姿だった。
 いつのまにか辺りの風景もガラっと変わっており、ルイズはそのエルフの少年に抱きかかえられ、エルフの少年は港町を駆けていた。
 美しかった街並みも、今ではいたるところに火がついており、あちこちから煙がもうもうと上がっていた。
 獣のような恐ろしいうめき声や悲鳴がいたるところから響いていた。
 そして、街の通りには人の死体の様なものが転がっていたが、ルイズはそれらをよく見る事が怖くて、目をそむけた。
 ルイズは動こうにも、体がまるで根が張ったかのようびくとも動かせず、エルフの少年に抱えられるままであった。
『約束したんだ・・・姉さんと・・・』
 少年が呟き、ルイズはその声に聞き覚えがあった。
(亜人の港街でのわたしの声!?)
 エルフの少年は、ルイズを抱きかかえたまま、街の一角の物陰へと滑り込んだ。
『こいつが、咲き開くまで、必ず守り通すって約束したんだ!』
 ルイズは、その少年に守られるように抱きしめられたまま、何もできずにいた。
(もしかして・・・この子・・・っ?)
 その時、遠くでうねる様な衝撃音がした。
 ルイズは音がした方向に目をやると、白い閃光が球体となり、急速に大きく広がっていく。
『―――っ!』
 ルイズは「逃げて!」と叫ぼうとしたが、口が塞がれているのかうまく声がだせない。
『―――っっ!』
 閃光がもう数十メイルというところまで肥大していた。
 ルイズは全身の力を振り絞って叫んだ。

『ブロントーーーーーー!!!』

 ルイズの叫びが上がった瞬間、少年の周りに無数の花びらが包む様に舞い上がった。
 舞い散る花びら一枚一枚には、様々な人物の顔や風景が鏡のように写りこんでいた。
 その中にはルイズが夢で見たエルフの女性の姿が映りこんだ花びらが何枚かあった。
 エルフの少年は抱きしめているルイズの事をじっと見つめると、微笑んだ。
『よかった・・・咲いたんだ・・・』
 そして、二人は白い閃光に飲み込まれた。
 辺りに舞う花びらが一枚、また一枚と閃光によりかき消される。
 懐かしいと思った顔も、美しいと思った風景も、楽しいと思った記憶も、
 閃光は一つ一つ飲み込んでいき、無情に消し去っていく。
 遂に、周りの風景が完全に白く塗りつぶされて、少年姿のブロントだけが残されても、
 ルイズはしきりに叫んだ。

『ブロント!ブロントーーーー!!!』

 何も無いその世界で、
 ルイズの声だけが少年の、ブロントの耳に届いていた・・・

   ◆      ◆      ◆      ◆


「ルイズ!大丈夫かい?」
 ワルドに呼びかけ、肩を揺らされ、ルイズはハッと目が覚めた。
「ワルド!?ごめんなさい、わたしったら任務中なのに眠りこけてしまって」
 ルイズはあたふたと慌てた。先ほどグリフォンの上で雑談交わすうちに、
 昔の丁寧な口調でしゃべっていたルイズだったが、ワルドの要望により普段の口調に戻っていた。
「可愛い婚約者の寝顔が見れたのだ、いいってことさ。疲れてしまったのかい?僕のルイズ。でも、ラ・ロシェールまで止まらずに行きたいんだ」
「ええ、わたしの事は気にしなくていいわ。少し気が緩んでしまっただけよ」
 ルイズは恥ずかしさのあまり顔を赤くして俯く。
「寝言できみは使い魔君の名前を何度も呟いていたが、もしかして彼はきみの恋人かい?」
 ワルドは笑いながら言った。
「こ、恋人なんかじゃないわ。ただの使い魔よ」
「そうか、ならよかった。婚約者に恋人がいるなんて聞いたら、ショックで死んでしまうからね」
「お、親が決めたことじゃない」
「おや?ルイズ!僕の小さなルイズ!きみは僕のことが嫌いになったのかい?」
 ワルドはおどけた口調で言う。
「嫌いなわけないじゃない」
 幼い頃、親同士が決めた『婚約』の意味はその頃のルイズにはよくわからなかった。
 ただ憧れの人とずっと一緒にいられる事だと教えてもらって、なんとなく嬉しかった。
「よかった。じゃあ。好きなんだね?」
 ワルドは、手綱を握った手で、ルイズの肩を抱いた。
 『好きなのか』と問われてルイズは答えに詰まった。
 ワルドは確かに憧れの人ではあった、しかしここ数年会わずにいた相手を思い出の中の記憶だけで決めるのもどうかと思った。
 今でもワルドに対して好感は持っていたが、それがほんとうに好きなのかどうかまだよくわからない。
 ルイズは答えを出せないまま、後ろで馬に跨るブロントの姿をじっとみつめていた。




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最終更新:2009年08月08日 03:38
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