翌朝・・・。
ニューカッスルの外れにある礼拝堂で、
ウェールズは皇太子の礼服に身を包み、始祖ブリミルの像の前に立ち、
ブロントは式の立会人としてただ一人、列席に座って新郎と新婦の登場を待っていた。
皆、戦の準備に忙しく、その二人以外、他に人間はいない。
ウェールズも、速やかに式を済ませた後は、自分も戦の準備に駆けつけるつもりであった。
礼拝堂の扉が開き、
ルイズと
ワルドが現れた。
ルイズは浮かない顔で俯いて立っている。ルイズは戸惑っていた。
今朝方はやく、いきなりワルドに起こされ、ここまで連れてこられたのだ。
突然の事でルイズは心の準備も出来ていなかったが、ワルドはそんなルイズに、「ウェールズ皇太子と使い魔のブロントが既に式の準備をしている」と言ったので、ルイズは半ばワルドに流されるままに、礼拝堂までやってきた。
純白の新婦の冠とマントをワルドに成されるがまま、着飾られている間もルイズはワルドに反応も見せず、考えを巡らせていた。
今日死に逝く運命のアルビオンの皇太子も、自分の使い魔も、こうしてルイズのために式を用意してくれているのだ、
皆が望む事なのであれば、このままワルドと結婚すれば、皆認めてくれるのだろうか?『ゼロ』でなくなるのだろうか?
「では、式を始める」
皇太子の声が、ルイズの耳に届くが、頭の中をぐるぐる巡る考えが邪魔をして、何を言っているのか理解できていなかった。
「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか」
ワルドは重々しく頷いて、杖を握った左手を胸の前に置いた。
「誓います」
ウェールズはにこりと笑って頷き、ルイズに視線を移し、誓いの詔を読み上げる。
「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして夫とすることを誓いますか」
ルイズは思った。
確かにワルドは長年憧れた相手であったし、嫌いじゃない。どちらかと言えば好きなのであろう。
二人の父が交わした、結婚の約束ならば、ルイズの両親もこの場にいれば喜ぶ事であろう。
周りのルイズを見る目も大きく変わる事だろう。
しかし、周りからの評価が変わっても、ルイズ自身はどうなのか?
“何か”すら成し遂げていない”ゼロ”のルイズのままではないのか?
今まで自分を見つめる目を気にしていたが、本当に自分が成したい事は何なのだろうか?
この思いを理解し、支えてくれる人は・・・
「新婦?」
ウェールズがこっちを見ている、ルイズは慌てて顔を上げた。
ルイズが上の空になっている間にも式は続いている。
ルイズは戸惑った。
どうすればいいんだろう?こんなときはどうすればいいんだろう?
ふと列席に目を向けると、ブロントはルイズの目をじっと見つめていた事に気づいた。
「緊張しているのかい?仕方が無い。初めての時は、事がなんであれ、緊張するものだからね」
にっこりと笑って、ウェールズは続けた。
「まあ、これは簡単な儀礼にすぎぬが、儀礼にはそれをするだけの意味がある。では繰り返そう。汝はブリミルの名に・・・」
『この俺がお前の側を離れる事を知らない』
ルイズはラ・ロシェールでそう誓ってくれた使い魔の言葉を思い起こして、そして気づいた。
ルイズが選んだ道であれば、ブロントは何も文句も言わずついてくるだろう。
しかし、進むべき道まではブロントは決めてくれない、
何故ならば、”ゼロ”から”何か”になるためには、
ルイズ自身が自分で進むべき道を決めねばならぬからだ。
大きく深呼吸をして、ルイズは決心した。
「ごめんなさい、ワルド」
「ル、ルイズ?どうしたね、気分でも悪いのかい?日が悪いのなら改めて・・・」
「そうじゃないの。ごめんなさい。ワルド、まだ何も成し遂げていない今のわたしでは、あなたとは結婚できない」
いきなりの展開にウェールズは首を傾げた。
「新婦は、この結婚を望まぬのか?」
「そのとおりでございます。おニ方には、大変失礼をいたす事になりますが、わたくしはこの結婚を望みません」
ワルドの顔に、さっと朱がさした。ウェールズは困ったように、首をかしげ、残念そうにワルドに告げた。
「子爵、誠にお気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ」
ワルドはルイズの手を取った。
「緊張しているだけだ。そうだろルイズ。きみが僕との結婚を拒むわけが無い」
「ごめんなさい。ワルド。昔は憧れていたわ。恋だったかも知れない。でも、今は違うわ。一人の男性としてのあなたをまだ良くも知らないのに、子供の頃の記憶だけを頼りに、いきなり結婚はできないわ」
するとワルドは、ルイズの肩を掴んだ。
その目はつり上がり、表情も氷のように冷たい。
熱っぽい口調でワルドは叫んだ。
「世界だルイズ!僕は世界を手に入れる!そのためにきみが必要なんだ!きみの能力が!きみの力が!」
豹変したワルドに怯えながら、ルイズは首を振った。
「わたしには、そんな力ないわ」
「きみには始祖ブリミルに劣らぬ才能が眠っているんだ!なぜそれに気づかない!世界をも手に入れる事ができる力を持っていることに!」
ルイズにあれ程優しかったワルドが、こんな顔をして叫ぶなんて、ルイズは夢にも思わなかった。ルイズは後ずさった。
「わたし、世界なんていらないわ!」
ルイズに対するワルドの剣幕を見かねたウェールズが、間に入って取り成そうとする。
「子爵、きみはフラれたのだ。いさぎよく・・・・・」
が、ワルドはその手を跳ね除ける。
「貴様は黙っておれ!」
ウェールズはワルドの言葉に驚き、顔をしかめて、立ち尽くした。
ワルドはルイズの手を握った。ワルドは優しそうに笑みを浮かべるが、その目は暗く、怪しく輝き、ルイズは背筋が凍るほどにとてつもなく嫌なものを感じた。
「さあ、ルイズ。考え直してくれ。きみの力を、僕に。そして世界を」
ルイズはワルドの手を振り解こうとするが、物凄い力で握られているため、振り解けない。
「そんな結婚、絶対死んでも嫌よ!あなたはわたしの事を愛しているんじゃない。やっと、わかったわ、何であなたのわたしを見る目が、どこか遠くを見つめる様な目だったのは。わたしを、その自分勝手な野望のための、道具としてしか見ていなかったからよ!ひどいわ。そんな理由で結婚しようなんて」
ルイズは手を振り解こうと必死に暴れる。
「ルイズ、きみの事は愛しているさ」
ワルドのその言葉は誰が聞いても判るほどに嘘で塗り固められていた。
列席から飛び出したブロントが、ワルドの手首を掴みかかろうとした瞬間、ワルドは咄嗟に手を離しルイズから飛び退った。
ブロントはワルドを睨み付ける。
「そこまでだなお前のような欲望丸出しなやつはもう誰も相手にしない。今回のアワレな姿を晒したお前が必死顔になってそんな事を言っても念仏状態。今後そんな事言ってもここの皆はもうお前の事を知っているので人工的に淘汰されるのが目に見えている」
「ブロント!」
ルイズはすかさず、ワルドから隠れるようにブロントの後ろにすがりつく。
それを見てワルドは、両手を広げて笑う。冷たい笑い声が礼拝堂に響く。
「なるほど、やはりその使い魔のせいか。僕の婚約者でありながら自分の使い魔に恋慕するとはな」
「そんなのじゃないわ!あなたと違って、ブロントはどんな事があっても、わたしを守ってくれると誓ってくれた、わたしの事を理解してくれている、信頼できる大事な使い魔よ!」
ワルドは不敵な笑みを浮かべながら、ルイズからゆっくりと後ずさる。
「ハハハ、まさか伝説の使い魔『ガンダールヴ』に、こんな事まで邪魔されるとはな。まあいい、こうなっては仕方が無い。ならば目的の一つは諦めよう」
「目的?」
ルイズは首を傾げた。
「そうだ。この旅における僕の目的は三つあった。その二つが達成できるだけでも、よしとしなければな」
「達成?二つ?どういうこと?」
ルイズは心の中で、真実であって欲しくないある想像が急激に膨れ上がる。
ワルドは小さく後ずさりながら、右手を掲げると、人差し指を立てた。
「まず一つはきみだ。ルイズ。きみを手に入れることだ。しかし、これは果たせないようだ」
「当たり前じゃないの!」
次にワルドは、中指を立てた。
「二つ目の目的は、そこの使い魔に待たせている、
アンリエッタの手紙だ」
ルイズははっとした。
「ワルド、あなたは・・・」
「そして、三つ目・・・!」
いつの間にか距離を詰め寄られ、ワルドの『アンリエッタの手紙』という言葉で、すべてを察したウェールズが、杖を構えた。
しかし、ワルドはその二つ名『閃光』と呼ばれる所以に違わず、素早く杖を引き抜き、呪文の詠唱を完成させた。
ワルドは、風のように身を翻らせ、青白く光る杖をウェールズに向けて、突き出す。
「・・・貴様の命だ!ウェールズ!」
「おい、やめろ馬鹿!」
ブロントは右手の平をワルドに向けて、素早く神聖魔法を詠唱する。
「<フラッシュ>!!」
ブロントの右手から眩い光が、ワルドに向かって矢のように飛んで行き、その目に纏わりつく。
ワルドはぐっ、と呻き声をあげながら、眩まされた目で、そのままウェールズの胸を杖で貫いた。
「き、貴様・・・・・・、レコン・・・」
ワルドが狙っていた心の臓をわずかに逸れ、肺を貫かれたウェールズの口から赤い鮮血が溢れでる。
ワルドはウェールズの胸から光る杖を引き抜くと、笛の音に似た、不吉な音を立てながらその胸から血とともに空気が噴出す。
ワルドは目を手で抑え、聞こえる音を頼りに杖をルイズ達の方向に向ける。
「『ガンダールヴ』め、余計な事を。下手に手を出さなければ、ウェールズも無駄に苦しまずにすんだものを」
呼吸を断たれたウェールズは苦しみにもがき、どくどくと血が胸と口から流れ出る。
「このワルドは早くも終了ですね」
ブロントは横飛びを混ぜながら一気にワルドに駆け寄ると、引き抜いたデルフリンガーで、ワルドを一刀の下に斬り捨てた。
しかし、引き裂かれたワルドは煙の様に手ごたえなく、霞となって消えた。
そしてブロントの背後にいたルイズが悲鳴をあげる。
「やはり、近寄らせると手ごわいようだな。さすがは伝説の使い魔『ガンダールヴ』と言ったところか」
ブロントは振り向くと、仮面を被ったマントの男がルイズの首に腕を巻きつかせて拘束していた。
そして礼拝堂の柱の影からワルドが三人飛び出し、ブロントから一定の距離を離して取り囲む。
「お前・・・幻影使えるのはずるい」
ブロントは仮面の男を指差し、鎧をガシャと乱暴に鳴らす。
「ただの『幻影』ではない。風のユビキタス(偏在)だ。風は偏在する。風の吹くところ、何処となくさ迷い現れ、その距離は意思の力に比例する。貴様『ガンダールヴ』の力量を幾度となく計った所、一人で相手するのは少々骨が折れるのでね」
男は仮面を取り外すと、その下にはワルドの姿があった。
「仮面のメイジがあなただなんて、あなた、アルビオンの貴族派だったのね!ワルド!」
ルイズはワルドに締め付けられるようにその身を拘束されながらも、わななき、怒鳴った。
「そうとも。いかにも僕は、アルビオンの貴族派レコン・キスタの一員さ」
「どうして!トリステインの貴族であるあなたがどうして!?」
「我々は国境を越えて繋がった貴族の連盟さ。そして我々の手でハルケギニアは一つとなり、始祖ブリミル所縁の『聖地』をエルフどもの手から取り戻すのだ」
「何が、何があなたを変えたの?昔はそんな風じゃなかったわ・・・ワルド・・・一体何が・・・」
「全てを話せば長くなるから語らぬが、ある時から僕の胸の中で囁く、己の声に従ったからだ。今まで己の声を信ずるままに行動したお陰で、魔法衛士隊隊長という力まで手に入った。そして、このままいつか世界すらも手に入るだろう。だから、だから共に世界を手に入れようと言ったのだ!」
ブロントは剣の切っ先をルイズを掴んで離さないワルドに向けた。
「婚約者を裏切って人質にとるとか恥知らずな風使いがいた!汚いなさすがワルドきたない」
ブロントがぎりりっと歯を噛み締める。
「俺はこれでワルドきらいになったなあもりにもひきょう過ぎるでしょう?ルイズの婚約者だから俺は中立の立場でみてきたけどやはりお前は汚いだけという事が判明した。ワルドはウソついてまでルイズの力を確保したいらしいがルイズに相手にされてない事くらいいい加減気づけよ。俺はお前よりも高みにいるからお前のイタズラにも笑顔だったがいい加減にしろよ」
ワルドはブロントの言葉を気にする風もなく、不敵に笑う。
「目的のためには、手段を選んでおれぬのでね。『ガンダールヴ』、そこまで言うのであれば、貴様の主人を離してもいいぞ。貴様が持っている手紙との交換でだ」
「だめよ!ブロント!姫さまの手紙を渡しちゃ!これは命令よ!」
ブロントは黙ったまま、しばらく何かを考えた。
そして、決心がついたのか、カバンから一枚の丸めた羊皮紙を取り出した。
「やはり使い魔なら主人の安否を優先するか!賢明な判断だな。よし、その手紙を床に置いて十歩下がれ。貴様の間合いはすでに把握している。十分間合いの外まででれば、ルイズを離してやる」
ブロントは言われたとおりに紙を床に置くと、ワルドをじっと睨み付けながら、じりじりと後ずさった。
ブロントが手紙から十分離れたのをみて、ワルドはルイズを手放し、手紙を拾った。
ワルドの束縛から解かれたルイズは一目散にブロントに向かって駆け出した。
懐に手紙を仕舞うと、ワルドは楽しそうに笑い、杖をルイズに向けた。
「そんなに、使い魔の所に行きたいのなら、送ってやろう!」
風の魔法が飛ぶ。<ウィンド・ブレイク>。ルイズを紙切れの様に吹き飛ばした。
「おいィ!?」
ブロントは咄嗟に強化魔法の<プロテス>を唱えルイズを光の壁で包んだ。
光の壁で多少衝撃は和らげたとは言え、ルイズは強く壁に叩きつけられ、うめき声をあげた。そしてその目から涙が零れる。
「貴様、剣技以外にも何かあるな。コモンマジックの<ライト>ではなく、光そのものを操る何かがあるようだな。もしや先住魔法か?それともマジックアイテムか?どちらにせよ、剣に頼るぐらいだ、くだらぬ小細工しか使えないようだな」
「・・・マジふざけんなよ」
ワルドがブロントに向けて杖を構えると、他の三体の偏在のワルド達もブロントに杖を向ける。
「言う事を聞かなくなった小鳥は、首を捻るしかないだろう?なぁ、そうだろ、ガンダールヴ」
その瞬間、ブロントの中で何かが弾けた。
その手はぶるぶると震え、両の目には憤怒の炎が燃え上がる。
礼拝堂中にその音が響くと思われるぐらいに心臓が鼓動し、
全身の血が一気に毛の先にまで流れんばかりに頭に昇る。
デルフリンガーを強く握った左手がバチバチと激しく電撃を迸る。
「お前らは一級使い魔のおれの足元にも及ばない貧弱一般人。その一般人どもが一級使い魔のおれに対してナメタ真似をすることでおれの怒りが有頂天になった。この怒りはしばらくおさまる事を知らない!」
「ほざけ!伝説といえども、所詮ただの使い魔だ!その思い上がりと共に、貴様の伝説もここで終わらせてやる!こい、ガンダールヴ!」
ワルドとその偏在達が同時に呪文を唱え、<ウィンド・ブレイク>を四重に重ねた魔法の豪風がブロントを襲う。
礼拝堂を吹き抜ける突風が甲冑を着たブロントを軽々と吹き飛ばした。
壁にぶち当たり、石造りの壁がバラバラと砕ける。
「どうした、ガンダールヴ?剣の間合いの外ではこの一般人に手も足もでないか?貴様の怒りとやらはそんなものか?」
ニタニタと残忍な笑みを浮かべながら、遠巻きにワルドが嘲笑する。
その時、デルフリンガーが叫んだ。
「この心の震え・・・懐かしい感じがすると思ったら!思い出したぜ!」
「うるさい、気が散る。一瞬の油断が命取り」
「いいから聞け!俺は昔、おめに握られてたぜ、ガンダールヴにな。あれから何年だ?五百年は経つか?懐かしいなあ」
ブロントは体勢を低くして、ワルドの偏在に突進するが、ワルドは一定の距離よりブロントが詰め寄るのを許さず、風の魔法で吹き飛ばす。
「幾つもの店を点々と渡り、こうしてガンダールヴが現れるのを待つこと五百年、長かったぜ!そうとわかりゃ、こんな格好している場合じゃねえな!」
叫ぶなり、デルフリンガーの刀身が光り出す。
ブロントの『光』の小細工を警戒していたワルドは、身を翻らせて距離をとり、
三体の偏在に任せ、ブロントをめがけて追い討ちの突風を送った。
「無駄だ!そんな目眩ましはもう通用せんよ!その剣もまとめてへし折ってやろう!」
ワルドが叫んだ。
また吹き飛ばされると思い、ブロントは身構えた。
だが次の瞬間、偏在が繰り出した風がデルフリンガーの刀身に吸い込まれる。
そして、デルフリンガーは濡れた刃の如く、鋭く、光り輝いた。
「デルフん、お前・・・」
「相棒!これが俺の本来の姿さ!すっかり忘れてたぜ!前の相棒に銅貨一枚で売られちまって、他の奴に買われる位なら、ってテメエの体を変えたんだった!何かの冗談で、またすぐ引き取りに来ると思って待ってたら、五百年経っちまったがよ!」
「確実にナイトは本来のデルフんを手に入れたら高確率で一番最強になる」
「おうよ!奴にそれを見せてやれ!」
ブロントは鋭く研ぎ澄まされた片刃のデルフリンガーの姿を見て、ヴァナ・ディールの東の国から伝来する凄まじい切れ味を誇る『刀』を連想した。
その刀を扱う、東方の武術を極めた『侍』を、ブロントは一時経験していた事があった。
昔封印したその時の経験が、左手のルーンからブロントの頭に流れ込んでくる。
ブロントはデルフリンガーを持ち直すと、切っ先を突き出して、星眼に構える。
頭の先まで煮えたぎるワルドに対する怒りを、静かに刀身に投影し、
高鳴る心の荒波を抑え、一点の曇りも無い、明鏡止水の境地に立った。
そして、目を閉じる。
「血迷ったか!戦いの場で目を瞑るなど!」
ワルドはブロントの隙を見逃さず、<エアー・カッター>を飛ばす。
しかし、ブロントは構えを崩さず、心の眼で見切ると、すっと体を少しだけ横に反らせ、髪一本程の距離をあけてワルドの風の刃を避ける。
そして、かっと目を見開くと、塞き止めた怒りが激流となり、ブロントの左手から激しい電撃がデルフリンガーに流れ込む。
「いいぞ、相棒!っしゃあ!きたきたきたきた!みなぎってきたぜ!伝説の使い魔の突き技!」
心の震えを三倍程までに蓄積したブロントはまるで稲妻となってワルドの偏在に突進した。
蒼く迸る雷撃をデルフリンガーに纏わせ、ワルドが反応すらできる間も与えずに、偏在一体の腹を貫く―
『<雷之太刀・轟天>!』
偏在がうめき声も立てずに消滅する。
「き、貴様・・・・・・!」
ワルドはすかさず数閃もの<エアー・カッター>をブロントに向けて唱える
「恥知らずなくだらねえ魔法は全部、俺が吸い込んでやるぜ!この『ガンダールヴ』の右・・・もとい左腕、デルフリンガーさまがな!」
ブロントはデルフリンガーを横薙ぎに振るって、ワルドの魔法をデルフリンガーで吸い込ませて、そのまま頭上高く振りかぶる。
「相棒!こいつに返してやれ!」
デルフリンガーが眩く光り、唐竹割りに振り下ろされて、切っ先から真空の刃が地走る。
『<風之太刀・回天>!!』
ワルドの偏在は唖然とした表情で、綺麗な縦一文字に引き裂かれる。
「くそっ!これほどの俊敏さを隠しもっていたとは!だが、何も貴様にあわせ、地に着いている必要はない!空こそが『風』の領域だ」
ワルドは残る一体の偏在に<レビテーション>をかけ、駆ける地がない空中からブロントを攻撃すれば、素早い動きを取れないと算段した。
が、それは間違いであった。
ブロントは、ぐぐっとしゃがみ込むと、床を蹴り、空高く飛ぶ偏在に向けて、光の羽根の様な軌跡を残しながら跳躍する。
デルフリンガーを偏在の股から切り上げ、返す刃で続けざまに二の太刀を肩口から浴びせた。
『<唯一無二之太刀・有頂天>!!!』
最後の偏在が雲散霧消となって散る。
ワルドは言葉も発せずにたじろぐ。
「おっととグーの音も出ないくらいに凹ませてしまった感。お前調子ぶっこき過ぎてた結果だよ?」
「クソ・・・この、『閃光』がよもや後れを取るとは・・・このまま貴様を討ち果たすのは難しいようだな」
「怒りのパワーの力が全快になったからおまえもう謝っても遅い」
ワルドが不気味ににやりとする。
「ならば、せめて貴様の主人に一太刀浴びせてやる!」
ワルドはその二つ名の如く素早さで、杖を抜き放ち、倒れているルイズに向け、呪文を詠唱する。
しかし、ワルドの『閃光』よりも一瞬早く、ブロントは魔法の詠唱を完成させ、ワルドの胸に目掛けて神速の光球を叩き込む。
「生半可なナイトでは扱えない<ホーリー>!」
光球がワルドにぶつかり、弾けると、ワルドの胸が服ごと焼け爛れる。
「く、ぐぉお・・・!」
「ヨミヨミですよ?お前の作戦は。恥知らずは死ねマジ死ね」
ワルドはシューシューと音をたてる胸を抑え、よろめきながら後ずさって、口笛を吹く。
するとワルドのグリフォンが礼拝堂の窓を打ち破って飛び入ってくる。
「おのれガンダールヴ。どうやら伝説の力を見くびっていたようだ。だが、当初の目的の二つは果たせたのだ、私がここで命を賭してまで貴様と戦う必要は無い。どのみちここは、今にも我がレコン・キスタの大群が押し寄せる。私が手を下さずとも貴様等はここで果てる運命よ!」
ワルドはグリフォンの背に身を預けると、グリフォンが羽ばたく。
その時、遠くで何かが爆発する音がした。
「どうやら城の方は片付いたようだな。流石の伝説も三百を蹂躙する軍に対して、どれほど相手になれるかが見れないのは残念だが、ガンダールヴ!貴様はここで愚かな主人ともども灰になるがいい!」
焼けた胸の痛みに顔を歪めながら、ワルドは飛び去った。
ブロントは飛び去るワルドの後を追いかける素振りも見せず、礼拝堂に倒れている二人の状態を確認した。
ルイズは所々、服が破け、擦り傷ができていたが、気絶しているだけで大事はなかったようだ。
しかし、血の海の中にいたウェールズは、呼吸も心臓の鼓動も止まり、顔も薄青紫色をした、絶望的な状態であった。
だが、その虚ろな目には、吹けば消えてしまいそうな程小さいものだが、命の灯火がまだ辛うじて残っていた。
そのとき、ルイズが横たわった隣の地面が盛り上がったと思ったら、ギーシュの巨大モグラが顔を出した。
ギーシュの使い魔はルイズを見つけると、モグモグと嬉しそうにルイズの手をまさぐった。
穴からギーシュが顔をだした
「ヴェルダンデ!一体どこまでお前は穴を掘るつもり・・・ってきみたち、ここにいたのかね!」
ブロントは何も言わず、ウェールズの前で祈る様な姿勢で膝をついている。
巨大モグラは、フガフガとルイズの指に光る『水のルビー』に鼻を押し付けている。
ギーシュはそれを見て、うんうんと頷く。
「なるほど、僕の可愛いヴェルダンデは貴重な宝石の香りも大好きだからね。その匂いを追ってここまで掘ったんだね。あれ?ブロントさん、盾はどうしたんだい?」
「お前はここに五万の軍勢がくるのに話したりする余裕があるのか?」
「え・・・ご、五万だって!?」
ブロントは立ち上がると、ルイズをまさぐる巨大モグラを押しのけて、ルイズを抱え上げて、ギーシュに預ける。
「ルイズを連れてここを早く去るべき」
ギーシュはルイズを背負い、ふと床に倒れているウェールズに目をやった。
「彼は・・・誰だい?何かその・・・死んでいるみたいなんだけど・・・」
「・・・俺のフレンドだ。とにかく早く行かないと後悔する事になる」
「わ、わかった。
キュルケ!
タバサ!聞いたかい?すぐにも逃げるよ!」
ギーシュのすぐ下にキュルケとタバサもいるのか、穴から「えー?折角アルビオンにきたばっかりなのに?」というキュルケの声がした。
ギーシュは倒れているウェールズの側に佇むブロントを見て気になった。
「おーい、ブロントさんも早く!」
ブロントは「後からいく」と素っ気無く答えたので、ギーシュはそそくさと穴に潜った。
礼拝堂に一人残ったブロントは両手の平を天に向け、気を集中し、呪文を唱えた。
アルタナの女神に祈り、その祝福を願い、慈悲を乞いた。
焦る気持ちを抑え、呪文を間違えぬよう、ゆっくりと、正確に魔法を詠唱する。
長々と魔法を唱えるブロントの全身から光が生じ、それは右手に集まる。
ブロントは全ての魔力をその手に集めると、それを虫の息のウェールズに向ける。
「・・・・<レイズ>・・・ッ!」
光の塊はブロントの手を離れ、ウェールズに降り注ぐ。
すると、ウェールズの胸の傷がみるみると塞がり、その顔の血色も良くなってゆく。
魔法の光がウェールズの体をふわりと持ち上げ、その足に立たせると、光は消えていった。
「がはっ、がはっ!」
息を吹き返したウェールズはよろめき、膝をつくと咳き込み、肺に溜まっていた血を吐き出した。
「ごほごほ、友よ、君がここにいると言う事は、私は・・・生きているのか?それとも、君もあの逆賊に討たれたのか?」
「黄金の鉄の塊で出来ているナイトが布装備のワルドに遅れをとるはずは無い」
「ふっ、そうだな。流石だな、我が友」
風のメイジであるウェールズは聞き耳を立てると、遠くから王党派を打ち破った貴族派の軍勢が迫ってくる音を聞き取った。
「そうか、我々はすでに負け、終わっていたのか・・・」
衰弱しきったウェールズは思わず床に崩れ落ち、大の字になって天井を見上げる。
「友よ、最後に君に会えてよかったよ。だが、早く逃げるといい。間も無く叛徒どもがこの礼拝堂にやってくるだろう。このアルビオン皇太子、ウェールズ・テューダはここで最後を飾らせてもらう」
「・・・何も聞こえないな。俺の耳にはウェールズの声が届いてこないようだが」
ウェールズ怪訝そうな顔をして、首を上げ、ブロントを見る。
ブロントはウェールズを掴み上げ、その腕を自分の肩にまわす。
「友よ、離してくれ。王家の血が流れる私はここで王国とともに果てなければいけない責務があるのだ」
「ウェールズはすでに死んでいるんだが?」
「だが、私は現にこうして・・・!」
「ウェールズ・テューダは汚いワルドに殺されてここにはただ一人
ウェントゥスだけが残った」
「ウェン・・・トゥス?」
ブロントはにこりと微笑む。
「ちなみにこの話は実際にあった内容で俺の言葉でいうと『風』という意味」
ウェールズは戸惑った様子でブロントに聞く。
「この私が・・・ウェントゥスだと?」
ブロントは頷く。
「お前がただ一人の人間で、俺のフレンドのウェントゥスなのは確定的に明らか」
「だが・・・しかし・・・私は」
ウェールズは悩んで、俯く。
「『ただ一人の人間なら一人の女性を守り生き抜くのも悪くないと』と言ったの覚えていないのかよ?完全に論破して終了したのでこの話しは終了」
ブロントは強引にウェールズを引き摺られながら、ウェールズははっとした顔になった。
「まいったな、友の言葉はめちゃくちゃだ。だが、なぜかな、とても魅力的な言葉に聞こえるよ」
ウェールズはふぅとため息をついた。
ふと脳裏にアンリエッタ王女の笑顔が思い浮かんだのだ。
今まで気が付かなかったが、なぜかその笑顔が、自分が守ろうとしていた王家の誇りより何倍にも大事なものであると思えた。
ウェールズは決心したような面持ちで顔を上げ、
先程まで自分が倒れていた血に染まる床を見つめた。
「よかろう、私に流れる王家の血はここに全て流れ出た。これよりはただ一人の風のメイジ、そしてブロントの親友、ウェントゥスだ」
その言葉を聞いて、ブロントは頷き、カバンから何かを取り出した。
橙色のレンズがはめ込まれた防塵眼鏡を、ウェントゥスにかける。
「これは・・・?」
「お前の顔は死んだウェールズとまれによく同じ顔になったりする」
「そうか、そんなにアルビオン皇太子と似ているか!それは困ったものだな」
二人は楽しそうに笑うと、礼拝堂の外が何やら賑やかになる。
王党派を破った貴族派の一部隊が礼拝堂を取り囲んでいた。
「友よ!奴らが来たぞ!」
礼拝堂の扉が音を立てて打ち破られ、貴族派の兵士やメイジ達が飛び込んできた。
その頃、ルイズ達はギーシュの使い魔が掘った穴を伝い、大陸の真下でキュルケ達がアルビオンまで乗ってきたシルフィードとともにブロントがくるのを待っていた。
「ちょっと、本当に大丈夫なの?ブロントさん全然こないわよ」
タバサの使い魔シルフィードに跨ったキュルケは「五万の軍勢がやってくる」とギーシュから聞いてあせっていた。
「わからない。もしかするとぼくたちのために足止めになっているのかもしれない・・・」
ルイズはギーシュに運ばれている途中、意識を取り戻し、自分の足で立っていた。
何も声が聞こえてこないリンクパールをその手に握り締めて伝ってきた穴を見つめていた。
何度かパールに呼びかけたが、返事が返ってこない。
聞き耳を立てて警戒していたタバサがぽつりと呟く。
「来た」
「ブロントさん来たの?」
タバサは首を横に振る。
「違う、兵隊」
確かに耳を澄ますと、穴の奥から「ここに穴が開いてるぞ!」「この先に逃げたかもしれない、確かめろ」といった兵士達の怒号が聞こえてくる。
「ヴァリエール!早くシルフィードに乗りなさい!ここで犬死なんて洒落にならないわよ!」
キュルケは叫んだ。
ルイズは首を振る。
「そのまま!もう少し待って!」
「もう待てないわよ!」
穴の中からする貴族派の兵士達の声が次第に大きくなる。
今にも穴から兵士が飛び出てきそうなぐらいに、無数の足音が響き渡る。
「ヴァリエール!」
ルイズはブロントの事が気になっていた。命を捨てるような事をしないと約束してもらったばかりなのだ。それをこんな所で破るはずが無い。
必ずブロントは生きてやってくると、ルイズは信じていた。
穴からがらっと石が転げ落ちる。
「奴ら来たわよ!」
キュルケが杖を穴に向けて構える。
「遅れてすまにい」
どこからともなくブロントの声がすると思ったら、何もない空間からブロントと肩を貸した誰かが姿を現した。
ブロントは自分とウェントゥスにかけたプリズムパウダーを手で払っていた。
「ブロント!それに・・・そのお方はウェ・・・」
ブロントの肩にもたれかかる様に死んだはずの皇太子が、何やら色眼鏡をかけてそこに立っている。
ブロントは咄嗟にルイズの口を手で塞ぐ。
「俺のフレンドのウェントゥスなんだが?」
「でも、だって、ウェー・・・」
「誰かに似ているようだが、私はウェントゥスだ」
ブロントとウェントゥスは顔を見合わせて笑う。
「あんた達、話しは後にして、急いでここから離れるわよ!」
キュルケが叫ぶと、ルイズ達は急いでシルフィードに乗った。
「いいわよ、タバサ!」
六人を背中に乗せ、その口に巨大モグラを咥えたシルフィードが苦しそうに悲鳴を上げた。
「食べちゃダメ、トリステインまで頑張って」
タバサは自分の風竜にそう囁き、頭を撫でる。
シルフィードがアルビオンから飛び立つと、穴から続々と兵士達が流れ出る。
飛び去るルイズ達に向かって、何か罵声の様な言葉を飛ばし、矢を放つが、そのどちらも届かない距離へとルイズ達は遠ざかっていった。
風竜に乗り、アルビオンから吹きすさぶ風がルイズの頬に当たる。
後ろを振り返ると、アルビオン大陸が徐々に小さくなっていく。
思い起こせばアルビオンに一晩しか過ごしていないが、もう何月も滞在したような気持ちだった。
数々の命や思いが今まさにあの浮遊大陸で踏みにじられ、散り、消えていった。
あそこに残していたものは、ただの幻影となって人々から忘れ去られてしまうのだろうか?
そう思うと、ルイズに何か寂しい気持ちが沸き起こった。
しかし、風竜に乗る自分の使い魔と仲間達の姿を見て、このままどんな場所にも、どんな困難にも、立ち向かえそうな勇気が湧いた。
そうして安心したルイズは、ブロントに寄りかかるようにして、意識を手放して、眠った。
最終更新:2009年09月06日 22:53