シルフィードに乗った一行は、やがて西日がきらきらと美しく光り輝く海を目にした。
「あそこです!あの白く、開かれた砂浜がある所がわたしの故郷、タルブの村です!」
シエスタはそう言うと、草原の緑と海原の青に挟まれた、一粒の真珠の様に白い砂浜を指差した。
大空から眺めるその神秘的な風景に、みんな息を呑んだ。
海に興味はないと言っていた
キュルケも、この自然が織りなす宝石の様な景観を前にして、その考えを改めざるを得なかった。
シエスタは自分の村の説明を続ける。
「村自体は小さな所ですけれど、旅人達の間では『トリステインの真珠』なんて呼ばれて親しまれているんですよ。新鮮な海の幸が獲れるので、料理人や食通の人達も良く訪れますね」
キュルケはふと疑問に思った事を口に出す。
「こんな貿易にも最適な良い場所があるのに、港町をつくらず、村のままだなんて。タルブって最近できた村なの?」
「いえ、確か五百年ぐらい前からある村のはずですよ」
「ごっ!?それってあたしの祖国のゲルマニアよりも長い歴史を持つじゃない!だと言うのにずっと小さな村っておかしくない?ここの領主って一体誰よ、まったくトリステインの貴族は目が節穴じゃない?大きな財産がここにあると言うのに五百年も気づいていないだなんて」
キュルケは目線を
ルイズに移してそれとなく話しを振る。
「トリステインはどこぞのお金にがめつい成り上がり国家とは違うのよ。人の手を余計にいれたら、この自然の美しさも台無しになるわ。ここの領主様もその事を承知よ、きっと」
「確かにここは綺麗な所だとはあたしも認めるわ。でも、そんな綺麗事ばっかり言っているからトリステインはみるみると国力を減らして弱まっているじゃない。見た目を気にするのもいいけど、実益も兼ねそろえなければいけないのが領主の勤めよ。そういう意味ではここの領主の仕事ぶりは怠慢もいい所だわ」
「長い歴史と伝統を持たない野蛮な国出身のツェルプスト―にはわからないかもしれないわね。五百年間も代々領地を受け継いでいくってだけでも大変な事なのよ」
ルイズとキュルケがお互いの国の統治方針をぶつけ合い始めた時、何か言いたそうにしていたシエスタがついに割り入った。
「あ、あの!実はタルブの村に領主様はいないのです!」
「えっ?」「えっ?」
ルイズとキュルケは意図せず、ぴったりと声を合わせてしまった。
「あ、いえ。いる事はいるのですが、実際の領主様はもういないと言うか……」
「どっちなのよ?」
「ええとですね、領地としてはあまり大きくありませんが、タルブ村を含むこのヴィルゴ領一帯は今でもタルブ村の初代村長の領地なんです」
「未だに初代村長の、って……普通それって受け継いでいくものじゃないの?ねえヴァリエール、トリステインでは変わった世襲方法でも行っているの?」
ルイズはキュルケの問いにただ首を横に振った。
シエスタが自分でわかる範囲で話を続けた。
「わたしもあまり詳しくは知らないのですが、何でもとある功績で領地を頂いた時、初代村長は当時の国王陛下直々に永久領主にして貰うように約束を取り付けて貰ったそうです。なんでも死んでも自分の領は守り続けると言う事で」
「初めて聞くわ、そんな話」
ルイズは怪訝な顔をする。トリステインに関する歴史は授業でも良く学ぶ題材であるし、自分でも一通り調べ上げた事もあった。
しかし、当時の国王からその様な特殊な約束を取り付けられる程影響力を持った人物がいた事どころか、『タルブ』という地名すらどの本にも書いてなかった。
「わたしの村の中だけに伝えられている話ですから、実際は本当の話かはわかりません。今は領主が不在の領地というだけで、村の税金はちゃんと自分達で王室に収めていますし、小さな村なので問題が起きても大体自分達だけで解決している、他の小さな村とあまり変わった所じゃないですよ。でもずっと村と言う規模を維持してきたおかげで、隣接する領主の目も惹かず、貴族間の利権争いにかかわらずに済んでいるらしいですが」
ルイズは手に持った『始祖の祈祷書』にふと目をやった。
傍から見れば合理的ではない事も、疑問に思わず律儀に『伝統』として続けて行くところはまさしく伝統を重んじるトリステイン王国らしいと言えばらしかった。
例えそれが空白の本を読みあげる事だろうが、五百年もの間領主が不在のままの領の存在を黙認する事だろうが。
その時、一同を背中に乗せたシルフィードが短くきゅいと鳴いた。
シルフィードが横から飛んでくる一羽の黒鷲の姿に気がついたのだ。
「
ブロント、あれって確か……」
ブロントは黙って頷く。
黒鷲は大きくシルフィードの回りをぐるっと旋回すると、キーッと高く鳴きながら砂浜の方へと飛んで行った。
「何かしら?とにかく後を追ってあの砂浜に降りましょう、
タバサお願い」
キュルケがそう言われ、タバサは頷き、シルフィードの首元を撫でながら砂浜に降り立つように命令した。
海風が心地よく吹く真っ白な砂浜は広く、大型なフネが何隻でもすっぽりと収まりそうなほどただひたすらに広かった。
漁具らしき網や、小船が点々と置かれている中、先ほどの黒鷲が一行の来訪を出迎えるように砂の上に立ってシルフィードを見つめていた。
ルイズ達がシルフィードの背中から降りると、黒鷲は羽根を広げ、よちよちとその二本足でブロントに歩み寄った。
「クァッ!」
黒鷲なりのあいさつなのか、短くそう鳴くと、羽根を閉じてルイズ達一人一人に向けて頭を垂れる。
そこに、橙色の防塵眼鏡をかけた、金髪の青年がやってきた。
ウェントゥスだった。
トリステイン上空でルイズ達と別れた時着ていた王族用の服装とは違い、地味に濃い青一色で統一されていた厚手の布を織りこんだガンビスンを着ていた。
腰にさした杖は剣の様に鞘に納められ、見た目上では軽装の傭兵か、道中の自衛のために剣を持ち歩く旅人と言った風貌だ。
「やあ、使い魔を通じて何者達かが竜に乗ってこの村にやって来ているのは知っていたが、まさかここで友よ、君に会うとは思っていなかった。君達も奴等の足取りを追ってこの村までやってきたのかい?」
「ウェー…!じゃなくてウェントゥス様!」
意外な人物を意外な場所で出会ったルイズが真っ先に驚いた。
「ねえヴァリエール、確かこの方ってアルビオンでの任務の時の人よね?その人が何でシエスタの故郷にいるわけ?」
ウェントゥスは屈託のない笑顔をキュルケに見せる。
「アルビオン脱出の際に世話になったね。あの時君達に礼を言えずにすまなかった。それと君達の使い魔にもね」
ウェントゥスは自分の使い魔の黒鷲がした様に一人一人に向かって礼を言った。
風竜のシルフィードにも礼を言うと、シルフィードが嬉しそうにきゅいきゅいと鳴いた。
「わたし達はこのメイドのシエスタの里帰りのついでに来たのですが、ウェントゥス様はどうしてこちらに?」
「ふむ、そうか、その様子だと任務のためにこのタルブ村に来たという事ではなさそうだな。なに、私も物見遊山でふらりとここにやってきた海風の様なものさ」
ウェントゥスは冗談っぽく言って見せる。
「と、誤魔化したいところだが、ヴァリエール嬢とその仲間達には教えてもいいだろう。何か分かり次第伝えると言う約束でもあるしな。そこにいるメイドの彼女の故郷がここだというのなら、彼女にも知っておいてもらって問題はないだろう。まずこれを見てほしい」
ウェントゥスは真剣な顔をすると、懐から皺だらけになった紙を取り出して、それを一同に見せた。
何やら傭兵の募集をかけるための張り紙の様であった。
ルイズ達が見た所別段おかしな事は書かれてはいない、どこの酒場にも張ってあるようなものであった。
「良くある傭兵を集めるための張り紙ね、別段おかしな所はないわ」
軍人の家系のキュルケやギーシュから見てもそうだった。
そこでウェントゥスは同じものを更に数枚ほど懐から取り出す。
「これ自体は別に何でもない傭兵の募集だが、問題はこれが今トリステイン各地の酒場に張られていると言う事さ」
「アルビオンに備えて軍備を固めているんじゃないの?うちのゲルマニアでも今は正規兵、傭兵問わず、もしもの事に備えて兵を集めていると聞いているわ」
「軍の大部分が貴族のメイジが占めるトリステインでは少し不自然な事さ。出自も身分も分からない、金で動く傭兵を雇用するとはトリステインらしくないのだよ。その手口はどちらかと言えば今空のアルビオンにいる奴等と似ているのでね」
ルイズははっとした顔になった。
「まさか、レコン・キスタ!?」
ウェントゥスはうむ、と頷く。
「私もそう思って、こうして傭兵紛いに身をやつして、トリステイン各地に集められた傭兵団を渡り歩いて調査していたのだが、そこで募集官が必ずと言っていい程口にする地名が『タルブ』だったのだよ。詳しい目的まではわからず仕舞いだったが、王国が軍備を整えるために集める場所としてはおかしいと思ってね、とは言え奴等が本格的にトリステイン内部から攻略しようと言う規模にしては、酒場で集めた傭兵達程度では些か少なすぎる」
「それでタルブを調査して何かわかったんですか?」
ルイズの後ろでシエスタも真剣な顔で聞いている。
「いや、至ってのどかな村だよ。海が美しく、海鮮料理が絶品で、私の様な流れ者でも優しく持て成してくれる村人がいるだけで、軍事的に攻略する理由はないだろうな。地理的に言えば海に面したこの広い砂浜がここだけ特有の物であるぐらいか。ええと、シエスタ君だったかな?せっかくの里帰り早々に物騒な話をしてすまなかったね」
「いえ……でもわたし達で備えておける事はないでしょうか?」
自分の故郷が何やらきな臭い事に巻き込まれるのではないかと心配したシエスタが思わず聞いた。
「一応その『もしも』の場合を想定した心構えはして置くと良いと思う。人は予期せぬ驚きに対しては対処が遅れ、案外簡単に崩れ落ちるからね。それとなくこの事を村の皆に、村の者である君から伝えてくれるといいだろう。よそ者である私がふれまわるのではいらぬ混乱を与えるだけだろう」
「ええ、わかりました。でもそんな事が起きないといいですね」
「なに、単に私の杞憂で終わるだろうさ。不可侵条約が結ばれたばかりの時に奴等もそこまで愚かな真似をしないだろうし。一応この事は私の方から匿名でトリステイン高等法院のリッシュモンに伝えておくさ。政治家として長年トリステインに仕える彼なら、この傭兵の動向の意味が判断できるだろう。以前、王女もリッシュモンは信頼に足る人物と語っていたしな」
ウェントゥスは張り紙を重ねまとめると、それを再び懐にしまった。
先ほどまで強張っていた表情を緩めて、微笑む。
「私の方はそんなところだ、それより友よ、この子の里帰りの付き添いと言う割には、やや賑やかなようだな」
「それほどでもない」
ブロントはウェントゥスに皆で行った宝探しの事と、それが徒労に終わり最後にシエスタの故郷に遊びに来た事を説明した。そして村の寺院にある『誓いの口』をこれから見に行く所であったと。
「ほう、『誓いの口』か。私もここにタルブに来て数日いるが、その様なものがあったとはな。もし邪魔でなければ私も便乗させて貰うぞ」
そうして一行はウェントゥスを加えてタルブ村の外れにある寺院へと向かった。
その晩、予定よりも早いシエスタの帰郷、村の御神体の訪問、そしてルイズ達貴族の面々が一度にやって来た事により、シエスタの家族は盛大なもてなしを振舞う事になった。
キュルケやギーシュが騒がしく盛り上げたその日の夕食の時、ルイズはブロントが漏らした言葉を聞き逃さなかった。
他の誰も聞き取れないほどの、誰に向けて放った訳でもない小さな呟きだったが、その言葉はルイズの印象に強く残った。