第21話 「時の輪の交わる処」






 シルフィードに乗った一行は、やがて西日がきらきらと美しく光り輝く海を目にした。
「あそこです!あの白く、開かれた砂浜がある所がわたしの故郷、タルブの村です!」
 シエスタはそう言うと、草原の緑と海原の青に挟まれた、一粒の真珠の様に白い砂浜を指差した。
 大空から眺めるその神秘的な風景に、みんな息を呑んだ。
 海に興味はないと言っていたキュルケも、この自然が織りなす宝石の様な景観を前にして、その考えを改めざるを得なかった。
 シエスタは自分の村の説明を続ける。
「村自体は小さな所ですけれど、旅人達の間では『トリステインの真珠』なんて呼ばれて親しまれているんですよ。新鮮な海の幸が獲れるので、料理人や食通の人達も良く訪れますね」
 キュルケはふと疑問に思った事を口に出す。
「こんな貿易にも最適な良い場所があるのに、港町をつくらず、村のままだなんて。タルブって最近できた村なの?」
「いえ、確か五百年ぐらい前からある村のはずですよ」
「ごっ!?それってあたしの祖国のゲルマニアよりも長い歴史を持つじゃない!だと言うのにずっと小さな村っておかしくない?ここの領主って一体誰よ、まったくトリステインの貴族は目が節穴じゃない?大きな財産がここにあると言うのに五百年も気づいていないだなんて」
 キュルケは目線をルイズに移してそれとなく話しを振る。
「トリステインはどこぞのお金にがめつい成り上がり国家とは違うのよ。人の手を余計にいれたら、この自然の美しさも台無しになるわ。ここの領主様もその事を承知よ、きっと」
「確かにここは綺麗な所だとはあたしも認めるわ。でも、そんな綺麗事ばっかり言っているからトリステインはみるみると国力を減らして弱まっているじゃない。見た目を気にするのもいいけど、実益も兼ねそろえなければいけないのが領主の勤めよ。そういう意味ではここの領主の仕事ぶりは怠慢もいい所だわ」
「長い歴史と伝統を持たない野蛮な国出身のツェルプスト―にはわからないかもしれないわね。五百年間も代々領地を受け継いでいくってだけでも大変な事なのよ」
 ルイズとキュルケがお互いの国の統治方針をぶつけ合い始めた時、何か言いたそうにしていたシエスタがついに割り入った。
「あ、あの!実はタルブの村に領主様はいないのです!」
「えっ?」「えっ?」
 ルイズとキュルケは意図せず、ぴったりと声を合わせてしまった。
「あ、いえ。いる事はいるのですが、実際の領主様はもういないと言うか……」
「どっちなのよ?」
「ええとですね、領地としてはあまり大きくありませんが、タルブ村を含むこのヴィルゴ領一帯は今でもタルブ村の初代村長の領地なんです」
「未だに初代村長の、って……普通それって受け継いでいくものじゃないの?ねえヴァリエール、トリステインでは変わった世襲方法でも行っているの?」
 ルイズはキュルケの問いにただ首を横に振った。
 シエスタが自分でわかる範囲で話を続けた。
「わたしもあまり詳しくは知らないのですが、何でもとある功績で領地を頂いた時、初代村長は当時の国王陛下直々に永久領主にして貰うように約束を取り付けて貰ったそうです。なんでも死んでも自分の領は守り続けると言う事で」
「初めて聞くわ、そんな話」
 ルイズは怪訝な顔をする。トリステインに関する歴史は授業でも良く学ぶ題材であるし、自分でも一通り調べ上げた事もあった。
 しかし、当時の国王からその様な特殊な約束を取り付けられる程影響力を持った人物がいた事どころか、『タルブ』という地名すらどの本にも書いてなかった。
「わたしの村の中だけに伝えられている話ですから、実際は本当の話かはわかりません。今は領主が不在の領地というだけで、村の税金はちゃんと自分達で王室に収めていますし、小さな村なので問題が起きても大体自分達だけで解決している、他の小さな村とあまり変わった所じゃないですよ。でもずっと村と言う規模を維持してきたおかげで、隣接する領主の目も惹かず、貴族間の利権争いにかかわらずに済んでいるらしいですが」
 ルイズは手に持った『始祖の祈祷書』にふと目をやった。
 傍から見れば合理的ではない事も、疑問に思わず律儀に『伝統』として続けて行くところはまさしく伝統を重んじるトリステイン王国らしいと言えばらしかった。
 例えそれが空白の本を読みあげる事だろうが、五百年もの間領主が不在のままの領の存在を黙認する事だろうが。
 その時、一同を背中に乗せたシルフィードが短くきゅいと鳴いた。
 シルフィードが横から飛んでくる一羽の黒鷲の姿に気がついたのだ。
ブロント、あれって確か……」
 ブロントは黙って頷く。
 黒鷲は大きくシルフィードの回りをぐるっと旋回すると、キーッと高く鳴きながら砂浜の方へと飛んで行った。
「何かしら?とにかく後を追ってあの砂浜に降りましょう、タバサお願い」
 キュルケがそう言われ、タバサは頷き、シルフィードの首元を撫でながら砂浜に降り立つように命令した。
 海風が心地よく吹く真っ白な砂浜は広く、大型なフネが何隻でもすっぽりと収まりそうなほどただひたすらに広かった。
 漁具らしき網や、小船が点々と置かれている中、先ほどの黒鷲が一行の来訪を出迎えるように砂の上に立ってシルフィードを見つめていた。
 ルイズ達がシルフィードの背中から降りると、黒鷲は羽根を広げ、よちよちとその二本足でブロントに歩み寄った。
「クァッ!」
 黒鷲なりのあいさつなのか、短くそう鳴くと、羽根を閉じてルイズ達一人一人に向けて頭を垂れる。
 そこに、橙色の防塵眼鏡をかけた、金髪の青年がやってきた。
 ウェントゥスだった。
 トリステイン上空でルイズ達と別れた時着ていた王族用の服装とは違い、地味に濃い青一色で統一されていた厚手の布を織りこんだガンビスンを着ていた。
 腰にさした杖は剣の様に鞘に納められ、見た目上では軽装の傭兵か、道中の自衛のために剣を持ち歩く旅人と言った風貌だ。
「やあ、使い魔を通じて何者達かが竜に乗ってこの村にやって来ているのは知っていたが、まさかここで友よ、君に会うとは思っていなかった。君達も奴等の足取りを追ってこの村までやってきたのかい?」
「ウェー…!じゃなくてウェントゥス様!」
 意外な人物を意外な場所で出会ったルイズが真っ先に驚いた。
「ねえヴァリエール、確かこの方ってアルビオンでの任務の時の人よね?その人が何でシエスタの故郷にいるわけ?」
 ウェントゥスは屈託のない笑顔をキュルケに見せる。
「アルビオン脱出の際に世話になったね。あの時君達に礼を言えずにすまなかった。それと君達の使い魔にもね」
 ウェントゥスは自分の使い魔の黒鷲がした様に一人一人に向かって礼を言った。
 風竜のシルフィードにも礼を言うと、シルフィードが嬉しそうにきゅいきゅいと鳴いた。
「わたし達はこのメイドのシエスタの里帰りのついでに来たのですが、ウェントゥス様はどうしてこちらに?」
「ふむ、そうか、その様子だと任務のためにこのタルブ村に来たという事ではなさそうだな。なに、私も物見遊山でふらりとここにやってきた海風の様なものさ」
 ウェントゥスは冗談っぽく言って見せる。
「と、誤魔化したいところだが、ヴァリエール嬢とその仲間達には教えてもいいだろう。何か分かり次第伝えると言う約束でもあるしな。そこにいるメイドの彼女の故郷がここだというのなら、彼女にも知っておいてもらって問題はないだろう。まずこれを見てほしい」
 ウェントゥスは真剣な顔をすると、懐から皺だらけになった紙を取り出して、それを一同に見せた。
 何やら傭兵の募集をかけるための張り紙の様であった。
 ルイズ達が見た所別段おかしな事は書かれてはいない、どこの酒場にも張ってあるようなものであった。
「良くある傭兵を集めるための張り紙ね、別段おかしな所はないわ」
 軍人の家系のキュルケやギーシュから見てもそうだった。
 そこでウェントゥスは同じものを更に数枚ほど懐から取り出す。
「これ自体は別に何でもない傭兵の募集だが、問題はこれが今トリステイン各地の酒場に張られていると言う事さ」
「アルビオンに備えて軍備を固めているんじゃないの?うちのゲルマニアでも今は正規兵、傭兵問わず、もしもの事に備えて兵を集めていると聞いているわ」
「軍の大部分が貴族のメイジが占めるトリステインでは少し不自然な事さ。出自も身分も分からない、金で動く傭兵を雇用するとはトリステインらしくないのだよ。その手口はどちらかと言えば今空のアルビオンにいる奴等と似ているのでね」
 ルイズははっとした顔になった。
「まさか、レコン・キスタ!?」
 ウェントゥスはうむ、と頷く。
「私もそう思って、こうして傭兵紛いに身をやつして、トリステイン各地に集められた傭兵団を渡り歩いて調査していたのだが、そこで募集官が必ずと言っていい程口にする地名が『タルブ』だったのだよ。詳しい目的まではわからず仕舞いだったが、王国が軍備を整えるために集める場所としてはおかしいと思ってね、とは言え奴等が本格的にトリステイン内部から攻略しようと言う規模にしては、酒場で集めた傭兵達程度では些か少なすぎる」
「それでタルブを調査して何かわかったんですか?」
 ルイズの後ろでシエスタも真剣な顔で聞いている。
「いや、至ってのどかな村だよ。海が美しく、海鮮料理が絶品で、私の様な流れ者でも優しく持て成してくれる村人がいるだけで、軍事的に攻略する理由はないだろうな。地理的に言えば海に面したこの広い砂浜がここだけ特有の物であるぐらいか。ええと、シエスタ君だったかな?せっかくの里帰り早々に物騒な話をしてすまなかったね」
「いえ……でもわたし達で備えておける事はないでしょうか?」
自分の故郷が何やらきな臭い事に巻き込まれるのではないかと心配したシエスタが思わず聞いた。
「一応その『もしも』の場合を想定した心構えはして置くと良いと思う。人は予期せぬ驚きに対しては対処が遅れ、案外簡単に崩れ落ちるからね。それとなくこの事を村の皆に、村の者である君から伝えてくれるといいだろう。よそ者である私がふれまわるのではいらぬ混乱を与えるだけだろう」
「ええ、わかりました。でもそんな事が起きないといいですね」
「なに、単に私の杞憂で終わるだろうさ。不可侵条約が結ばれたばかりの時に奴等もそこまで愚かな真似をしないだろうし。一応この事は私の方から匿名でトリステイン高等法院のリッシュモンに伝えておくさ。政治家として長年トリステインに仕える彼なら、この傭兵の動向の意味が判断できるだろう。以前、王女もリッシュモンは信頼に足る人物と語っていたしな」
ウェントゥスは張り紙を重ねまとめると、それを再び懐にしまった。
 先ほどまで強張っていた表情を緩めて、微笑む。
「私の方はそんなところだ、それより友よ、この子の里帰りの付き添いと言う割には、やや賑やかなようだな」
「それほどでもない」
 ブロントはウェントゥスに皆で行った宝探しの事と、それが徒労に終わり最後にシエスタの故郷に遊びに来た事を説明した。そして村の寺院にある『誓いの口』をこれから見に行く所であったと。
「ほう、『誓いの口』か。私もここにタルブに来て数日いるが、その様なものがあったとはな。もし邪魔でなければ私も便乗させて貰うぞ」
 そうして一行はウェントゥスを加えてタルブ村の外れにある寺院へと向かった。

 砂浜と草原が交わる所にひっそりと建つ寺院はどこか見覚えがある造りであるとブロントは感じ取った。
 ヴァナ・ディールのサンドリア王国にある大聖堂とは比べ物にならないほど小さいが、でも石造りの拵えがそっくりだった。
「タバサ、あんたやっぱり入って見てみない?中に幽霊なんて別にいなかったわよ」
 先に寺院の中に入って見て回ったキュルケが寺院の外にいるタバサに声をかけた。
 だがタバサは首を横に振って、自分の風竜と共に外で待っているとでも言いたげであった。
「おいィ?何いきなり掴んできてる訳?」
 ルイズはブロントのサーコートの裾をちんまりと掴んでいた。
「そ、その、使い魔が迷子になったら困るじゃない」
 心なしかルイズの声が震えている。
「ミ、ミス・ヴァリエール。こ、ここは迷子になるほど中は広くありませんよ」
 シエスタも声が上ずっている。
「そういうシエスタも何いつの間にかブロントの腕に掴まっているのよ」
「だってわたしここ苦手なんですよ!一人では絶対に来ませんよ!?」
 そうして恐る恐る寺院の中に入ると、外から見るよりは中は広く感じる造りであった。
 とはいえ質素な石造りで、大した飾りも無く、古ぼけた数列の長椅子と簡素な祭壇があるだけだった。

「何もでてこないわね。あら、これが例の『誓いの口』かしら?」
 寺院に真っ先に入ったキュルケが祭壇の壁に貼り付けられたもの見つけた。
 質素な寺院とは逆に、繊細な細工が彫り込まれた金属製の楯であった。
 普段から手入れが行き届いているのか、年月によってくすんでいる祭壇と違い、その黄金に輝く楯は磨かれたように差し込む光をテラテラと反射した。
 青い宝珠が八つ埋め込まれ、楯の中心には目を見開き、口を開けた、人の顔の様なものが彫り込まれていた。
「結構立派なものじゃない、今に動き出しても不思議じゃないわね」
 キュルケは何気なく壁に掛けられた『誓いの口』を指でなぞった。
 試しにその『口』に指を入れてみたが、特に何も変化はなかった。
「まあ、所詮迷信よ……ね……?」
 ふとキュルケは楯の『目』がキュルケの方を見つめている事に気がついた。
(……あれ?最初からこっち向いていたかしら?)
 キュルケは突然背筋がぞくぞくとして、二、三歩程後ずさる。

「ツェルプスト―!何勝手に弄っているのよ」
「別にいいじゃない、減るものじゃないんだから」
 キュルケは再び楯に目をやると、その無機質な目は真っすぐ正面を見据えていた。
(気の性だったかしら?)
 ルイズは寺院内を見回すとほっと息を吐いた。
「やっぱり幽霊なんていないじゃない。ま、別に怖かったわけじゃ…」
「あああああーー!!!」
 突然デルフリンガーが叫んだため、ルイズとシエスタがびくっと飛び上がった。
 ギーシュも驚いて長椅子に躓いて転んだ。
「てめ!こんな所にいやがったのか!
 デルフリンガーは鍔を激しく鳴らして誰かに向かって怒鳴っている。
「俺様は質屋に流れたってのに、てめは…むぎゅ!」
 ブロントがデルフリンガーを鞘に押し込んで黙らせる。
「な、何よいきなり……驚いたわ……」
 気丈に振舞って見せるが、ルイズは心臓をバクバク言わせていた。
 ブロントはそんなルイズをよそに、壁にかかった楯をしきりに眺め回している。
 黄金に輝く楯に見とれたブロントは、思わずデルフリンガーを抑えていた手を緩めた。
「ぷはぁ!おい相棒!人が話してる時に黙らせるのをやめろ!ま、人じゃねえが……ってそうじゃねえ!もうちょっとで鍔を噛むと思ったぜ」

『五百年の時を経ても、そちは相変わらず騒々しいのう』

 何処からともなく、寺院内に威厳にあふれた声が低く響く。
「やあねギーシュ、あんた声がかれているわよ」
「いやキュルケ、僕は何も言っていないよ」
 ギーシュはすっ転んで蹴飛ばした長椅子を元の位置に戻していた。
「あんな口調でしゃべるのはあんたぐらいしかいないじゃない」
 ウェントゥスがキュルケとギーシュの肩を叩いて、壁にかかった楯を指差す。
「どうやら意思を持った武具と言うのは、我が友の剣だけではないようだ」

 デルフリンガーがいつにも増して興奮しているのか、鍔がガタガタ揺らしながら寺院の楯に向けて怒鳴る。
「へっ!てめは相変わらずお高く気取っているな!俺よりも若造のくせによ!なあ?イージス」
 デルフリンガーに『イージス』と呼ばれると、楯に彫り込まれた顔が意思を持ったかの如く動き出し、表情を作った。
 そして、意思を持って語るデルフリンガーと同じく、『イージス』も語りだした。
「時の差なぞ、容易く埋まるものだと言うのに。そちが作られてから今では六千年だかは知らぬが、それに未だこだわるとは、そちは相変わらず未熟じゃのう。まあよい、それより久しいのう、よくぞここまで辿り着いたブロントよ」
 ルイズ達は一斉にブロントの事を見た。
 ブロントも眉をひそめた。ヴァナ・ディールでは『神楯』と呼ばれる伝説の盾イージスの存在は聞き及んでいたが、それが何故ブロントの事を知っているのだろうか?
「俺はお前の事知らないのだが。何で俺の名前知っているわけ?」
「おお、そうであったな、今のそちでは私を覚えておらぬのも無理ない事。よかろう、今一度我が名をそちの記憶に刻もう。……苦しゅうない、近う近う……」
 ブロントは寺院の壁にかかった楯に歩み寄る。
 寺院に差し込む光の中、黄金に輝く神楯と白い騎士が絵になるほど神々しい状況に、ルイズ達一同は息を呑んだ。
「我が名はイージス。不朽にして不壊なる神楯じゃ。……私は、かつてのごとく人々を護るために掲げられることになろう。さて、そのためには継承の儀式が必要じゃな。ブロントよ、そちのルーンが刻まれた左手で私に触れよ。前の所有者に会わせてしんぜよう」
 ブロントは左手の篭手を外し、恭しくイージスに触れる。
 左手に刻まれたカンダールヴのルーンが眩く光り、それに呼応してイージスが白く輝く。
 その光の中から、ある人物の姿が浮かび上がる。
 その人物の姿を見て、ルイズが思わず「あっ」と声を漏らした。
 ルイズが夢の中で出会った深紅のローブを着た女性であった。
 そして夢の内容が現実のものであれば彼女は……。
「卿が新しいイージスの所有者であり、 イージスのしもべという訳ね……」
 ローブの女性の声は全てを包んで守ってくれそうな程優しく、聞く者に安らぎを与える。
 ブロントに微笑むと、ローブの女性がブロントの顔へと手を差し伸ばす
「ふふ、見違えるようなその姿でもお姉さんにはすぐわかったわ。久しぶりねブロント。まさか五百年経ってから貴方に会えるとは思っていなかったわ。後でタブナジア侯国が囮として利用されて壊滅したと聞いて、貴方もその時亡くなったのと思って悲しんだのだから」
 ブロントは二十年前記憶を無くした時、確かにヴァナ・ディールのタブナジア近郊にいたらしい事を知っていた。
 もっともタブナジアと呼ばれた所は大爆発によって消し飛ばされており、自分自身なぜその跡地にいた事かも覚えていない。
「悪いが俺の記憶には何も無いな。俺は二十年前タブナジアにいたらしいんだが」
「なるほどね……ここハルケギニアの五百年は、貴方がいたヴァナ・ディールの二十年。ヴァナ・ディールで一年が過ぎると、ここでは瞬く間に四半世紀も過ぎてしまうわけね。今まで確信は持てなかったけれど、時の流れまでもが違うとすると、ここはやっぱりヴァナ・ディールとは別世界のようね」
 キュルケ、ギーシュ、シエスタは不思議そうな顔でお互い見合わせる。
 ブロントが遥か遠く東方から来たと聞いていたが、時の流れが二十五倍もの差で流れる『別世界』と言われてもピンとこなかった。
 その時、ルイズは自分が見た夢が本当の事かどうかを確かめるべく、ローブの女性に聞いた。
「あ、あの!もしかして貴女はわたしの使い魔ブロントのお姉さんなのでしょうか?」
 女性の姿が揺らめくと、ルイズに優しく微笑みかけた。
「ふふん♪そうよ、如何にも私がブロントのお姉さん、そしてここタルブ村初代村長のセラーヌ・イ・ヴィルゴよ。弟は昔の事をすっかり忘れてしまってるようだけど、その主人のルイズちゃんが知っていてくれて助かるわ。やっぱり人の枕元に立ってみるものね」
 セラーヌが悪戯っぽく笑って見せる。
「とすると、私が見た夢は本当にあった事なんでしょうか?」
「貴女が弟の夢の何を見たのか、私はわからない。でもあの香りにはあらゆる意味で人の心を繋ぎ合わせ、留める事ができるようね。それによって本来このイージスから離れられない私もあの部屋を訪れる事ができ、貴女は弟の記憶奥深くに眠る記憶を覗き見る事ができたのかもしれないわ」
「確かに本来使い魔とその主人は感覚を共有すると言われているわ」
自分でそう言って、ルイズはふと思った。
自分がブロントの記憶を夢として見ている時、ブロントもまたルイズの過去の記憶を見ているのかもしれない。
「ブロント。あんた……夢で何かわたしの事見ていないよね?」
 ブロントはしばらく上を向いて考えて、答えた。
「それほどでもない」
「それほどでも、って見てるんじゃない!」
「お互い姉の夢をたまたま見てしまう事は結構良くある事らしい」
「お姉さまの!?どっちの方を見たのよ!」
 ルイズが必死になってブロントに詰め寄りつつも、それを事もなく受け流すブロントを微笑ましくセラーヌは見つめている。
「ふふふ、貴方達を見ていると、五百年前に私がここハルケギニアに召喚された時の事を思い出すわ」
「ヴィルゴ様も、ブロントさんみたいに使い魔だったのですか?」
 シエスタはセラーヌに敬う様に頭を下げている。
「そうよ、使い魔として召喚されたわ。私の主人もルイズちゃんみたいに意地っ張りで、ちょっと泣き虫で、何でも自分でやってしまうブロントと違って、出来の悪い弟みたいでかわいかったわ。でも、最後にあの子は皆があっと言う程、立派に咲き誇ったけれどね……ふふ、そう畏まらなくてもいいわよ、シエスタちゃん。『様』なんて呼ばれる程大した事はやっていないのだから。セラーヌさんでいいわ」
「いえ、そういうわけには……」
「ふふ、あのやんちゃだったシエスタちゃんも随分と落ち着いたわね。ちょっと前まで漁の網に悪戯したとかでお父様にここまで連れられて、もう悪さしないって誓いを立てられていたっけ」
「そ、そんな事までも見ていたのですか!?」
「もちろんよ。タブナジアの海の様に美しいこのタルブをずっと私が守って行くとあの子と約束したものね。子供がいなかった私にとって、このタルブの村の皆が私の子供みたいなものよ、皆の事はちゃんと知っているんだから」
 セラーヌは得意げにふふん、と鼻を鳴らす。
「相変わらずお節介焼きのようだな、姉御」
 デルフリンガーがカチカチと鍔を鳴らす。
「五百年経っても相変わらずその口は治って無い様ね、ええっと、誰だっけ」
 セラーヌがやや冷やかな態度を取る。
「ひっでえなあ姉御。俺だよ俺、姉御の相棒をやっていたデルフリンガーだよ」
「そうね、デルフだったわね。お節介焼きなのは私の勝手でしょ?何、それを馬鹿にする気?そうなら……」
「いや、ちょっと待って!そこまで言ってないだろ!姉御、落ち着けって!」
 ブロントの手をあてられたイージスがやれやれ、といった表情をつくる。
「セラーヌ、そやつと遊んでおる程の暇はないぞ」
「あら、ごめんね、イージス。大事な継承の儀式の時に、再会の挨拶と別れを言っておきたいって無理を言ったのは私なのにね。もっと話したい事もあったけれど、儀式をすませましょうか」
 セラーヌの優しそうな雰囲気が突如変わり、毅然とした態度を取った。
 そして真剣な表情でもってブロントを見つめた。
「ブロント、卿は、卿を召喚せしその方の主人、そして多くの仲間に信頼をされているようね」
 セラーヌは寺院に集まったルイズ、シエスタ、キュルケ、ギーシュ、ウェントゥスの一人一人を見渡した。
 そしてちらりと寺院の入り口へと目をやった。異変を感じたタバサはキュルケ達の事が心配になったのか、恐る恐る中を覗いていた。
 セラーヌはふっと笑みをこぼす。
「人は国難を迎えた時こそ、その友情の真価が問われるもの。ペルセウス様より預かりしこのイージスに選ばれた卿は、これからもその友情を大切にし、身を削り命にかえても仲間を護りぬくこと」
セラーヌが両手を差し出すと、イージスが壁から離れ、ブロントの手へと渡った。
「かつての、私がそうだったように、それがイージスを掲げる者、そして左手にそのルーンを宿いし者の宿命……」
 セラーヌが左手を差し伸ばすと、イージスを持つブロントの左手に触れた。
 触れられる感触は無いが、少しばかりブロントの左手が暖かく感じ、ルーンもそれに呼応して光る。
 イージスが威厳を込めて口を開く。
「これで晴れて私はブロント、そちの楯じゃ。そちが仲間を護るのであれば、私はそれを阻まんとする敵の爪を折り、刃を避け、魔を防ぐ、揺るぎなき安全をそちに保障しようぞ。そちがどこに向かおうと私が必ず護る故……」
 イージスの所有者がセラーヌからブロントへと変わった瞬間、ブロントの左手にズシリと重さが加わった。
 その時、セラーヌの姿がうっすらと透けていった。
「そろそろ時間のようね。継承者がブロント貴方でよかったわ。今は記憶が無くても、こうして最後に会えたのだから。お姉さん安心したわ」
 ブロントは少し考えこみ、言いにくそうに一言だけ口にした。
「姉さん……」
「ふふん♪そう呼ばれるのも久しぶりね。イージス、私が出来なかった分もしっかりブロントの面倒見てあげてね。それじゃあね、ブロント。ルイズちゃんを、皆を、しっかり守って行きなさいよ」
「うむ。セラーヌ、そちには長らく世話になったな。これからはゆるりと休むがよい。いずれまた弟に相まみえるその日まで」
 イージスが放つ光が弱まり、セラーヌの深紅色のローブの色があせてゆき、姿が見えなくなってしまう。
 ブロントは消えゆくセラーヌ他に何か言葉をかけたがったが、記憶を幾ら探っても出てこない自分にもどかしく感じつつも、何も言えなかった。

『どんな花を咲かせるのか、お姉さん楽しみにしているわ』

 その言葉を最後に、セラーヌはルイズ達から消え去った。
「ブロントよ、そちもそう気負う事はない。そちの姿を一目拝めただけでもセラーヌは喜んでおったわ。記憶の有無など、この際大した事ではない。そちが健在であればいずれ取り戻すであろう事、セラーヌは承知じゃ」
 静かな寺院にしんみりとした空気が流れる中、デルフリンガーが口を挟んだ。
「にしてもよ、イージスばっかり何かこう立派でずるいな。俺の時は継承の儀式も無く、百エキューで買われただけだぜ?お、そうだ!良い事考えた!相棒、俺達もここで継承の儀式を……うげっ!」
 デルフリンガーはブロントの金槌の様に振り上げられた拳に強く叩かれて、おいそれと引っ張っても抜き出てこない程に鞘の奥深くに押し込められた。
 それを見たイージスが溜め息を吐く。
「デルフや……そちはもう少し場をわきまえる術を学んだ方が良いのう……」
 意思を持った武具同士の滑稽なやり取りを見ていて、ルイズ達はある程度明るさを取り戻す。
 召喚される前のブロントを知るその姉にやっと会えたと思った矢先、別れが来てしまう。
 時を越えてやっと会えた姉に、訳が分からぬ内に別れてしまう事を自分の二人の姉に当てはめると、ルイズは心が締め付けられそうだった。
 ルイズはブロントを見た。
 その顔は真剣で、決意を見せた表情だった。
 新しく受け継がれたイージスをしっかりとその左手で握りしめていた。
「ブロント……」
 ルイズは何か言葉をかけようとしたが、この場合なんて言えばいいのか思いつかなかった。
「……腹が減ったな。海鮮料理がでると聞いてこの村にやって来たんだが、それが楽しみで仕方がなかった」
 ブロントは右手で優しくルイズの頭を撫でた。
 自分が慰めようと思っていたら、逆に慰められてルイズは戸惑った。
「そ、そうね!ねえシエスタ、この村名物の料理ってど、どんなのかしら?」
 思ったより自分の使い魔が落ち込んでいる様子ではなかったので、ルイズは安心した。
 しかしブロントの言葉の端々がどこか無理している感じにも受け取れた。
「え、えーとですね。まずタルブ村を代表する料理と言えばタルブ村風サラダですね。人参、カブ、菜っ葉を細く刻んで、そこにその日獲れた魚や貝の身を色々織り交ぜて……あと、漁がうまくいった日にはキャビアもはいるんですよ!それにリンゴで作られた酢をかけて食べるんです。知ってます?これは実はとうもろこしを薄く伸ばして焼いた生地に挟んで『タコス』にもできるんですよ!これはぜひ皆さんに食べて頂きたいですわ。他にも……」
 そうしてシエスタによるタルブ村の数々の料理の話を聞かされて、一行は腹を鳴らしながら寺院を去った。
 村に着いた時、寺院の御神体が持ち出された事に一時騒然となったが、五百年もの間誰にも口を開く事無かったイージス本人が「構わぬ」と一言発した事により、村人達は納得せざるを得なかった。
 村の掟が何であろうと、御神体自身がブロントに持ち出される事を望むのであればそうさせるしかなかった。それどころか村の老人の何人かは「ありがたい」、と言ってイージスを携えたブロントを拝んで行く始末となった。

 その晩、予定よりも早いシエスタの帰郷、村の御神体の訪問、そしてルイズ達貴族の面々が一度にやって来た事により、シエスタの家族は盛大なもてなしを振舞う事になった。
 キュルケやギーシュが騒がしく盛り上げたその日の夕食の時、ルイズはブロントが漏らした言葉を聞き逃さなかった。
 他の誰も聞き取れないほどの、誰に向けて放った訳でもない小さな呟きだったが、その言葉はルイズの印象に強く残った。

――『ただいま』





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最終更新:2009年10月25日 21:01
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