三つの鎖 17 前編

506 三つの鎖 17 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/02/27(土) 00:14:27 ID:e4NiRrIP
三つの鎖 17

 出勤する父さんと京子さんを見送るために僕は玄関まで来た。
 父さんは僕を見て微かに眉をひそめた。
 「幸一。体調でも悪いのか」
 心臓の鼓動が少し速くなる。昨日、梓に外された肩が痛む。
 「そんな事ないよ」
 僕は平静を装った。父さんはそんな僕を無表情に見つめた。
 「何かあったらいつでも言いなさい。行ってくる」
 「行ってきまーす」
 京子さんは笑顔で言った。
 「行ってらっしゃい」
 僕はそう言って出勤する二人を見送った。
 父さんは相変わらずの無表情、京子さんはいつも通りの明るい笑顔。でも父さんは何か感づいている気がする。
 二人が家を出ると、僕はいつも通りの家事を行う。父さんと京子さんの部屋を軽く掃除し、布団を干す。
 掃除の終わった部屋を後にし、梓の部屋に向かう。
 梓の部屋の前で僕は掃除機を持って立ち尽くした。
 この部屋に梓はいない。いま梓はいつも通り下でシャワーを浴びている。
 僕は頭を振って部屋に入った。むせた空気。窓を開け換気する。いつも通り軽く整理して掃除機をかけた。
 リビングに下りると梓はもうシャワーから出ていた。頭を拭きながらアイスティーを飲んでいる。
 いつもならば僕が掃除を終えて降りてきてから梓がリビングに入る。梓の部屋の前でぼんやりした分だけ遅れたようだ。
 梓は僕を見て何かを僕に放り投げた。僕はそれを受け取った。ブラシ。
 「兄さん。お願い」
 そう言って梓はソファーに座った。シャワーを浴びたばかりでしっとりとした黒い髪。僕はブラシを受取ったままの姿勢で立ち尽くした。
 脳裏に浮かぶのは昨日の事。病院に運ばれた夏美ちゃん。洋子さんと雄太さん。夏美ちゃんを怪我させた事を告げる梓。僕に覆いかぶさり唇をむさぼる梓。
 唇に昨日の感触が蘇る。鳥肌が立つ。
 「兄さん?」
 梓は振り返って僕を見た。僕は首を横に振った。
 「梓。もうやめよう。梓の気持ちには応えられない」
 梓が期待するようなことはもうできない。してはいけない。
 「兄さん。私悲しいよ」
 そう言って立ち上がる梓。僕を見つめる瞳にはまぎれもない悲しみが浮かぶ。
 僕はその視線を受け止めたうえで言葉を紡いだ。
 「僕が女性として愛しているのは夏美ちゃんだけだ」
 梓の表情がゆがむ。
 「兄さん。私ね、本当に悲しいよ」
 僕にゆっくりと近づく梓。足取りはしっかりしているのに、どこか不安を感じさせる動き。
 「私ね、兄さんの事が好き」
 梓は僕の目の前でとまった。僕を見上げる。熱を帯びた視線。
 「あの女よりも兄さんを愛している」
 梓の腕が僕の頬にのびて触れる。柔らかくて熱い小さな手。鳥肌が立つ。
 「兄さんのためなら何でもするし、何をされてもいい」
 僕は頬に触れる梓の手に僕の手を重ねた。力を入れないようにつかみゆっくりと僕の頬から離した。梓はそんな僕を見上げた。瞳が奇妙な光を放ち僕を貫く。
 「僕は梓にそんな事は望まない」
 「私が望むの」
 梓は僕の手を握った。梓の体温が伝わる。
 「兄さんと手をつなぎたい。兄さんを抱きしめたい。兄さんとキスしたい。兄さんの料理を食べたい」
 梓は僕の手に口づけした。悪寒が走る。
 「兄さんを食べたい」
 そう言って梓は僕の指を口に含んだ。梓の舌が僕の指を舐める。梓の口の中の熱い温度が直に伝わり鳥肌が立つほどの嫌悪を感じる。
 僕はすぐに手を引っ込めて梓の口から指を抜いた。その動きにくっつくように梓の腕が迫る。
 「兄さんに抱かれたい。犯されたい」
 両足から重みが消え視界が反転する。梓に腰を払われ投げられた事に叩きつけられてから気がつく。体は自然に受け身をとるも、叩きつけられた衝撃で痛めた肩に鋭い痛みが走る。
 そのまま梓が覆いかぶさってくる。両腕を押さえられ動けない。上から僕を嬉しそうに見下ろす梓。その表情に感じる恐怖。
 実の兄に懸想する妹の顔。兄を男として求める女の表情。
 「ねえ兄さん。私を抱いて」
 「断る」
 僕は即答した。
 「あの女を抱いているのでしょ。私も抱いてよ」
 「梓は僕の妹だ。僕は梓の兄だ」


507 三つの鎖 17 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/02/27(土) 00:17:08 ID:e4NiRrIP
 兄妹で体を重ねるなんておぞましい。
 「僕たちは、兄妹だ」
 梓は僕を見下ろしたまま笑った。
 「あははっ、あはははははっ、ふふっ、あははははははははっ」
 腹を抱え笑う梓。その姿に背筋が寒くなる。
 何がおかしくて梓は笑っているのか。分からない。血のつながった妹なのに、何も分からない。
 「あははっ、まあいいわ」
 そう言って梓は顔を僕の顔に近付ける。僕は顔をそむけた。
 頬に柔らかくて温かい感触。梓の唇。おぞましさに鳥肌が立つ。梓の舌が僕の頬を舐める。頬をはいずる舌が熱い。僕は嫌悪感を必死に耐えた。
 「んっ、兄さんっ、こっちを向いてっ」
 僕は梓の言葉を無視して顔をそむけ続けた。
 「兄さんっ、んっ、私を見てよっ」
 梓の囁き。僕は無視して顔をそむけ続けた
 頬の軽く噛まれる感触。梓の熱い息が頬にかかる。
 次の瞬間。頬に火を押し付けられたような痛みが走る。神経を直接火で焙られるような激痛。
 あまりの痛みに叫びそうになるのを必死に耐えた。体が震える。全身に冷や汗が出る。
 何が起きたのか。頬に走る痛みは一向に収まらない。
 「ちゅっ、じゅるっ、れろっ、ちゅっ、はむっ」
 梓の舌が痛みの走る部分を舐めまわす。頭がおかしくなりそうな激痛。
 「ちゅっ、れろっ、ごくっ」
 何かを飲み込むように梓は喉を鳴らした。
 僕は痛みをこらえて梓を見上げた。
 「あはは。やっとこっちを見てくれた」
 梓は嬉しそうに僕を見下ろす。
 頬に走る痛みは一向に収まらない。一体何が起きたのか。何をされたのか。恐怖に体が震えそうになるのを必死に抑えた。
 「ふふっ、あははっ、兄さんすごいわ。声一つ出さないなんて」
 嬉しそうな梓の声に体が震えそうになる。
 梓は嬉しそうに僕を見下ろしている。その口の周りは赤くなっていた。まるで血のような鮮やかさ。
 違う。
 今度こそ体が震えるのを抑えられない。
 あれは血。
 ようやく僕は頬から血が流れているのを感じた。そして痛みの原因も。
 「ふふふっ、あはははっ。兄さんのその表情も可愛いわ」
 そう言って梓は再び顔を近づけてきた。僕の頬を犬のように舐める。傷口に梓の舌が這いずり回る感触に気が狂いそうな痛みと嫌悪を感じる。
 「やめろっ!」
 肩が痛むのも無視して僕は暴れた。
 梓はしばらく暴れる僕を押さえながら頬を舐めていたが、やあって僕の上から離れた。
 僕は転がるように起き上り梓と距離をとる。震える手で頬を拭うと、拭った手の甲は血に染まる。
 そんな僕を梓は嬉しそうに見つめている。口周りの血をはしたなく舌でぺろりと舐める。その姿に耐えがたい悪寒を感じてしまう。
 「ふふふっ。兄さんおいしかったわ」
 梓が僕を見つめる。背中に壁の感触。気がつけば僕は壁まで後ずさっていた。
 「兄さん。あの女が大切なのでしょ。私の言っている意味、分かるよね」
 病人服を着た夏美ちゃんの姿が脳裏に浮かぶ。
 「今度は一日の入院じゃすまないわよ」
 脳裏に春子の姿が浮かぶ。僕を脅迫し、泣きながら僕にしがみつく春子。愚かで哀れな僕の姉。
 脅しに屈してはいけない。結局は問題の後送りに過ぎない。
 「断る」
 梓は楽しそうに僕を見た。その視線を僕は受け止めた。
 「ふふふっ。まあいいわ。今はこれぐらいにしてあげる」
 そう言って梓は背を向けた。
 「兄さん。学校に行こう。もうそろそろ出ないといけない時間だわ」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 兄さんは片手で靴をはいた。もう片方の手はハンカチで頬に添えられている。その紺のハンカチはよく見れば血の色に染まっている事に気がつくだろう。まだ血は止まっていないようだ。
 先程の事を思い出して私は頬が緩むのを止められなかった。兄さんの血も頬もおいしく感じた。だけど何よりも兄さんの表情が良かった。私に脅え嫌悪する表情が堪らなく愛おしい。
 本当に愚かな兄さん。血のつながった兄妹で体を重ねる近親相姦を恐ろしいと、けがわらしいと言う兄さん。
 私たち二人が近親相姦の結果なのに。
 この事を知ったら兄さんはどうなるだろう。考えるだけでぞくぞくする。
 玄関を出て片手で鍵を出そうとするのに手間取る兄さんから鍵を取り出し私が鍵をかけた。兄さんはそんな私を無表情に見つめるけど、その瞳には苦悩が渦巻いているのが見て分かる。


508 三つの鎖 17 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/02/27(土) 00:19:13 ID:e4NiRrIP
 私は鍵を兄さんに渡し、兄さんの腕に自分の腕をからめた。兄さんのたくましい腕の感触が心地よい。
 「梓」
 兄さんが渋い顔で私を見た。私は無視してそのまま歩きだした。
 「大通りまでだから」
 そう言って家の敷居を出たところに、春子が立っていた。
 厳しい表情で私を見つめている。
 「梓ちゃん。兄妹でそんな事をしちゃダメだよ」
 口調こそいつも通りだけど、その声には強い感情を感じさせる。
 「もう兄妹でべたべたしていい年じゃないよ」
 兄さんが私の腕を振りほどこうとするのを、私は兄さんの腕にぶら下がるように体重をかける事で防いだ。兄さんの顔に微かに汗がにじむ。昨日、私が外した肩が痛むのだろう。
 「梓ちゃん。幸一君が痛がっているよ。やめてあげて」
 春子は私を睨んだ。
 私は春子を無視して兄さんの頬に触れた。兄さんの頬を撫でる。鳥肌が立っているのが分かる。私は兄さんの汗に濡れた指を口に含んだ。兄さんの味。
 ぎりっという歯軋りの音。春子が顔を歪める。いつものんびりした春子からは想像もできない表情。私に向ける視線には隠しきれない敵意。
 「いい加減にして!」
 春子は叫んで私の腕をつかみ引きはがそうとした。肩に響くのか兄さんの顔が微かに歪む。可愛い顔。
 兄さんの顔に気が付き春子は慌てて手を離した。兄さんはその場に膝をついた。微かに上下する肩。額にはびっしりと汗が浮かんでいる。そんなに痛いのだろうか。私は脱臼した事がないから分からない。
 「こ、幸一君、その、お姉ちゃんね、そね、ご、ごめん」
 春子は泣きそうな顔で兄さんに寄り添う。春子の髪から覚えのある匂いが漂う。どこかで覚えのある匂い。
 おろおろする春子に兄さんは微笑んだ。いつも通りの笑顔だけど無理をしているのが一目でわかる。
 兄さんは立ち上がった。微かにふらつく足元。
 「学校に行こう。遅刻するよ」
 そう言って歩き出す兄さん。もうすでに足取りはしっかりしている。その後ろを春子が泣きそうな顔でついていく。
 私は春子の後ろを歩いた。春子の髪から漂う覚えのある匂い。
 思い出した。夜遅くに帰ってくる兄さんから時々する匂い。
 何でなの。何であの時の匂いが春子からするの。
 私は学校への道すがらその事を考え続けた。
 兄さんは一言も喋らなかった。喋る余裕も無い様子だった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 授業中、幸一君はずっとつらそうだった。
 幸一君を梓ちゃんに何があったかは盗聴器からの音声から把握している。多分だけど梓ちゃんが幸一君の関節を必要以上に痛めたのだと思う。
 午前最後の授業が終わると同時に私は幸一君に近づいた。頬にガーゼをテープで留めている幸一君。表情こそいつも通りだけど、額には微かに汗が浮かんでいる。
 「幸一君。生徒会準備室に行こ」
 幸一君は私を見上げた。疲れ切った眼差し。
 耕平君が心配そうに私達を見た。
 「こーいちー。どないしたん。えらいつらそうやで」
 幸一君は微笑んだ。喋るのもしんどいようだ。
 私は幸一君の耳元に顔を近づけた。
 「肩の治療をするから」
 幸一君は微かに頷き立ち上がった。その手をつかんで引っ張りたいのをぐっと我慢して生徒会準備室まで歩いた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 お昼休み開始とともに私は梓に近寄った。
 「あの、梓。よかったら一緒に食べない?」
 梓は私を冷たく一瞥しただけで教室を出て行った。私はため息をついた。朝からこの調子だ。
 「なつみー。梓と喧嘩でもしたの」
 他のクラスメイトに私はあいまいな笑顔で応じた。何があったかは言えない。
 今日の朝、梓は遅刻ギリギリに教室に入った。お兄さんにも会わなかった。
 梓の事は私が入院してしまってから何も話しあっていない。
 そうだ。約束していないけどお兄さんに会いに行こう。
 私はお弁当を片手にお兄さんの教室に走った。
 「なつみちゃーん!」
 聞き覚えのある声。振り向くと耕平さんがいた。
 「もしかしたら幸一に会いに行くん?」
 「はい」
 耕平さんは手をひらひらさせた。良く分からない仕草。
 「あいつ教室におらんで。生徒会準備室に行くて言ってたわ」


509 三つの鎖 17 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/02/27(土) 00:22:18 ID:e4NiRrIP
 「分かりました!ありがとうございます!」
 私は礼を言って生徒会準備室に走り出した。後ろで耕平さんが何か言っていたような気がするけど、まあいいや。はやくお兄さんに会いたい。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 生徒会準備室で私は幸一君をベッドに座らせシャツを脱がして上半身を裸にした。鍛え上げられた筋肉。見とれそうになるのを我慢。今は治療が先。
 私は上半身を観察した。両肩、特に左肩に痛めた跡がある。
 幸一君の肩に触れ腫れの具合を確かめた。幸一君の表情が微かに歪む。
 「脱臼したの?」
 頷く幸一君。喋るのもしんどいようだ。
 私は用意してあった救急セットから痛み止めを取り出して幸一君に渡した。
 「痛み止め。飲んで」
 市販品だから気休めにしかならないけど、無いよりはまし。
 それなのに幸一君は黙って首を横に振る。
 「普通のお薬だから」
 幸一君が疑うのは仕方がないけどやっぱり悲しい。お薬を突き付けるとしばらくして幸一君は黙って飲んでくれた。
 私は幸一君の上半身を丹念に調べた。どこの筋を痛めているのか。腫れはどれぐらいなのか。そのうえでテーピングを使い肩周りを保護する。
 脱臼程の怪我をテーピングするのは久しぶりだ。テーピングは間違えると逆効果にしかならない。特に肩周りは複雑だ。私は肩周りを注意深く調べた。
 その時、ドアが開いた。
 「お兄さん!ハルせん、ぱ…い」
 夏美ちゃんが茫然と私達を見つめる。口元を押さえ震える。目が見開き表情が驚きから悲しみに変わる。両目から涙がぽろぽろ落ちた。
 何も言わずに夏美ちゃんは背を向けて走り出した。立ち上がろうとする幸一君を私は押さえた。こんな状況で走るのは危険すぎる。
 「待っていて。絶対走っちゃダメ」
 私は生徒会準備室を出て夏美ちゃんを追いかけた。
 「夏美ちゃん!待って!」
 夏美ちゃんは顔だけ後ろを向けようとして盛大に転んだ。
 私は夏美ちゃんに駆け寄り膝をついた
 「夏美ちゃん大丈夫?」
 夏美ちゃんは転んだまま起き上がらない。しゃくりあげながら体を震わす。
 私は夏美ちゃんの体を起こした。夏美ちゃんの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
 「ひぐっ、ううっ、ぐすっ」
 見ているだけで胸が締め付けられるような悲しい表情。
 微かに胸が痛む。私は夏美ちゃんを材料に幸一君を脅している。覚悟はしていたのに。
 「ひうっ、はるせんぱひっ、ひどひですっ」
 「夏美ちゃん。落ち着いて」
 夏美ちゃんは激しく頭を振った。涙が飛び散る。
 「あのね、誤解だから」
 何が誤解なのか。
 「幸一君は知ってほしくないと思うけど、幸一君は怪我をしているの。私はその治療をしようとしているだけ」
 夏美ちゃんは鼻をぐすぐすいわせて私を見上げる。
 「とりあえず来てほしいな。夏美ちゃんも手伝って」

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 春子が夏美ちゃんを連れてきた時はほっとした。
 本当は起き上って追いかけるべきだけど、体の調子は予想以上に悪い。
 原因は肩を外された事だけではない。梓に迫られた事だ。昨日はほとんど眠れなかった。自分でも信じられないほど疲れている。僕にのしかかり唇をむさぼる梓を思い出すだけで悪寒が走る。
 春子は真剣な顔で僕の左肩にテーピングを巻く。夏美ちゃんは心配そうに僕を見ている。目が合うと夏美ちゃんはにっこりと笑った。励ますような笑顔。
 最後に春子は三角巾で僕の左腕を首に吊った。
 「どうかな」
 左肩は痛くない程度に固定されている。腕を三角巾で吊るすことによりずいぶんと楽になった。
 「悪くない」
 掠れた声しか出ない。夏美ちゃんはペットボトルのお茶を蓋を外して渡してくれた。僕は礼を言い受け取り口にした。喉が潤う。
 「右腕は外れてないから大丈夫だけど、あまり動かさないでね」
 春子は道具を片づけながら言った。
 「ハル先輩ってテーピングも知っているのですね」
 「昔に勉強したの。以前に幸一君が痛めた時に覚えたよ。テーピングは場所によっては一人だとできないしね」
 感心した風の夏美ちゃんに春子は淡々と語る。
 昔は春子によくお世話になった。柔道で痛めた時はいつも春子がテーピングを手伝ってくれた。
 「じゃあお姉ちゃん行くね」


510 名無しさん@ピンキー 2010/02/27(土) 00:24:27 ID:xCpadtlD
しえn


511 三つの鎖 17 前編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/02/27(土) 00:24:27 ID:e4NiRrIP
 春子はそう言って立ち上がり背を向けた。
 「お昼の時間もあまりないから早くご飯を食べてね」
 生徒会準備室を出えいく前に春子は僕を見た。寂しそうな瞳。春子は去って行った。
 「あの」
 夏美ちゃんはうつむいている。
 「その、ごめんなさい」
 そう言って夏美ちゃんは頭を下げた。
 「私の早とちりでした。本当にごめんなさい」
 「気にしないでいいよ。誤解されても仕方がない状況だったし」
 本当は誤解でも何でもない。
 肩の傷が霞むぐらい罪悪感に胸が痛む。
 「その、本当にごめんなさい。私、お兄さんの事を信じられなくて」
 夏美ちゃんの目尻に涙がたまる。
 「私、不安で仕方がないのです」
 涙をぽろぽろ落とす夏美ちゃん。
 その姿に罪悪感が募る。
 「お兄さんにはハル先輩みたいな素敵な幼馴染がいて、ハル先輩は美人で、身長が高くて、胸も大きくて、賢くて、お料理も得意で、物知りで」
 夏美ちゃんの足元に涙がこぼれる。
 何も知らない夏美ちゃん。春子が僕を脅迫し抱くように強制している事も、僕と春子が何度も体を重ねている事も。
 全てを言いたい。ぶちまけたい。この罪悪感から解放されたい。
 でも、そんなことは言えない。
 「夏美ちゃんは春子の事を尊敬しているんだ」
 夏美ちゃんは首を縦に振った。
 「ハル先輩のおかげでお兄さんに告白できました。ハル先輩は私の恩人で尊敬する人です」
 夏美ちゃんのまっすぐな瞳。
 言えない。本当の事は。
 絶対に。
 「さっきもハル先輩だったら仕方がないって思っちゃいました。ハル先輩だとお兄さんの隣にいても仕方がないって」
 僕は固定していない手で夏美ちゃんの頬に触れた。涙にぬれた頬。
 「傍にいたいのは夏美ちゃんだけだ」
 びっくりしたように僕を見上げる夏美ちゃん。
 「傍にいてほしいのも夏美ちゃんだけだ」
 夏美ちゃんの頬がみるみる赤く染まる。
 「僕は夏美ちゃんが好きだ。明るい笑顔に僕は何時も励ましてもらっている。勇気をもらっている。この世に生れて一番感謝しているのは夏美ちゃんに出会えた事だと思うぐらいだ」
 恥ずかしそうに顔をそむける夏美ちゃん。耳まで真っ赤だ。
 「お兄さんの言っている事痛すぎです。お父さんより恥ずかしい事を言っています」
 夏美ちゃんの言葉が胸に突き刺さる。別の意味で胸が痛む。
 「でも」
 頬に添えた僕の手に夏美ちゃんの手が上からかぶせられる。小さくて温かい手。
 「そう言ってくれるのは嬉しいです」
 夏美ちゃんはそっぽを向いたまま恥ずかしそうに言った。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年03月07日 20:44
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。