『きっと、壊れてる』第2話

526 『きっと、壊れてる』第2話(1/5) sage New! 2010/06/04(金) 00:16:38 ID:euytco2j
白石巧はパチンコ屋から出てくると、チッと舌打ちをして恨めしそうに振り返った。
「クソッ釘は良いのにあたりゃしねぇ」
時計を見ると、もうすぐ太陽が夕日になろうかという時間だった。
大学の講義をサボるのはこれが初めてではなかった。
入学する前はコンパだ、サークルだと期待に夢を膨らませていた巧も、
いざ入学してみれば、仮面をしているかのように真意を見せない周りとの感覚のずれにとまどい、
自身の協調性のなさもあり、孤立するのにそう時間はかからなかった。
今日もゼミの授業に出席するのが面倒になり、教科書を抱えたまま朝からパチンコ屋に入り浸っていたのだった。

行きつけのパチンコ屋から自宅近くにある本屋に向かうと、毎月楽しみにしている音楽関連の雑誌を手に取りレジに並んだ。
レジでは中年の女性が気だるそうに本を読み、巧が雑誌を置いてから4秒ほどして会計の準備をした。
「800円ね」
「えっそんな高かったっけ?」
不景気かインターネットの普及に伴う弊害か、巧のお気に入りの雑誌は今月号から100円値上がりしたようだった。
「ふざけんなよ。ちょうどしか持ってねぇよ。」
普段なら100円程度余分に持っているのが当たり前だが、今日の巧は最後の千円までパチンコに使ってしまい、
財布には雑誌代の700円しか入っていなかった。
ギャンブルで負けた上に、たかが800円の雑誌も買えなかった巧は、自分が情けなくなり、この世のすべてが嫌になるほど落ち込んでいた。

自宅に戻る途中、少しでも気分転換になればと考え、隅田川沿いのテラスを歩いていた。
隅田川は東京都北区の新岩淵水門から荒川と分岐し、東京湾へと流れている一級河川だ。
夏には大きな花火大会も開催され、昔から周辺住民に愛されていた。
巧もやはり川沿いの風景を気に入っていて、嫌な事があるとたびたびこの川沿いを歩き、慰められていた。
追いかけっこをしている無邪気な子供達や犬の散歩をしている老人を見て、巧はため息を一つついた。
「オレは何をしているんだ。」
元々頭は悪くない巧は小学校、中学、高校とそれなりの勉強でそれなりの成績を納めてきた。
「人生なんて簡単だ」「オレは頭がいい」そう思って生きてきた巧に大学での挫折は屈辱以外の何物でもなかった。
おそらく今の巧の悩みを他人に相談しても、ほぼ100%の人間が大学へ真面目に通うよう諭してくるのは明確だったが、
巧本人も理解している事だけに周りにそう言われるのが我慢できなかった。

少し薄汚れた長椅子に腰掛け、川の威風堂々とした流れを見ていた巧はふと横を見た時、時間を止める魔法を掛けられたように、目線を外せなくなった。
50mほど先の方から、一人の女性がこちらの方へ向って歩いてきていた。
袖つきの黒いワンピースを着たその女性は人形のような顔立ちをしていて、目線を外さない巧に目もくれず目の前を通り過ぎた。
「モロ好みだ」と巧は思った。
長くて透き通るような黒髪、細い手足、高すぎず低すぎない身長、長いまつ毛、見る者を飲み込むような綺麗な瞳。
すべてが寸分狂わず、巧の好みだった。
「あ、あの」
思わず後ろから声をかけると、女性は歩くスピードを落とさず、返事もせず顔だけ巧の方向を向けた。
「もしかして、モデルさんか何かかな?」
普段ナンパをよくしていた巧は自然に女性を褒める言葉を発していた。
最初友達に誘われナンパを始めた頃は、恥ずかしくて何を喋ってよいのかわからず空振り続けていた巧だったが、
行動した者勝ち、という考え方から恥も忍んで声を掛け続けた結果、数か月も経った頃にはそれなりの成功率を達成していた。
しかし、今回のような大人びた雰囲気を持つ女性に声を掛けるのは初めてだった。
「今ヒマなの?」
「・・・」
黒髪の美女は確実に聞こえている距離だが、反応を見せなかった。顔を前へ戻し、巧など存在しなかったようにそのまま歩き続けた。
無視される事も予想していた巧はそこまで驚きもせず、声を掛け続けた。
「オレさ、T大に通ってるんだけど今度サークルで映画を撮ることになってさぁ、君みたいな子探してたんだ。よかったら撮らせてくないか?」
もちろん嘘だった。自分の大学に映画サークルがあるかのかもわからなかったが、こんな美人から連絡先を聞き出すには普通に声を掛けただけではダメだと思い、
もっともらしい事を咄嗟に思いついたに過ぎなかった。後先を考えられないほど巧は一瞬にしてこの女性の虜になっていた。


527 『きっと、壊れてる』第2話(2/5) sage New! 2010/06/04(金) 00:18:22 ID:euytco2j
「映画?」
しかし、幸か不幸か、何か興味があるのか歩きながら黒髪の美女はやっと口を開き、想像通りの透き通った声を聞かせてくれた。
「そ、映画。メインヒロインだぜ。本当はサークル内か学内から選ぶのが普通なんだけど、君がオレの書いた脚本通りのイメージなんだ。」
「やめて」
「えっ?」
「"君"はやめて」
「あなたと私は他人でしょ?立場をわきまえて。」
黒髪の美女は多分相手がヤクザものでも同じ言い方をしたであろう、強い意思が込められた言い方で巧の方に向き直り、続けざまに口を開いた。
「あぁごめん、じゃあ名前教えてもらっ・・・」
「その映画って、どんなお話なの?」
巧の言葉に被せるように、黒髪の美女は口を開いた。
「あぁ、いや・・・恋愛物だよ!今ケータイ小説とかで流行っているだろ?」
おそらく女性なら恋愛物が好きだろうと思い、ついた嘘だったが、黒髪の美女はかけらの興味もなさそうに言葉を続けた。
「ヒロインの相手役は決まっているの?」
「えぇっと・・まだ決まってないけど」
「なら、その相手役を私が決めていいのなら協力するわ」
「えっ!マジで!?やった!」
たかが学生の自主制作映画にそんなに出したい人間がいるのか、黒髪の美女は意外にもOKを出した。
「あなた、なんていうの?」
「巧、白石巧」
黒髪の美女は「そう」と呟き、続けて巧に質問を投げかけた。
「あなた、世の中に不必要な物って存在すると思う?」
「えっ!?不必要な物?」
「そう、存在自体が邪魔な物」
黒髪の美女はさも当たり間の質問かのように言葉を紡いだ。
「さぁ?あるんじゃないかな?ゴミくずとか、犯罪者とか」
巧は心の中で『パチンコも大学も無くなってくれれば良いのに』とも思ったが、世間一般論では巧の存在の方が不必要な事を自覚していたため黙っていた。
「そう」
どんな答えが聞きたかったのか、黒髪の美女は無表情のまま川の方へ数秒顔を向けて、何かを考えているようだった。
その横顔には夕日の天然ライトアップが加わり、まるで有名な絵画や銅像のような崇高な美しさがあった。
「そろそろ行くわ」
黒髪の美女は巧の方へ顔を戻すと、声を掛けたばかりの時より少しだけ柔らかな表情を見せた。
「じゃ、じゃあ連絡先教えてもらってもいいかな?」
「あなたの番号を教えて。用がある時は私から連絡するわ。」
黒髪の美女は巧の魂胆など見抜いていたのか、予め準備していたかのように、猫のキャラがプリントされたメモ帳を取り出し、
巧が携帯電話を取り出すのを待った。
「あっああ、じゃあこれ、オレの番号」
巧は連絡先を聞けるものだとばかり思っていたため虚を突かれたが、一方的だとしても次回に繋がるラインができた事が飛び上がるほど嬉しかった。
いつの間に黒髪の美女は巧の携帯番号をメモしたのか、気づけば10mほど先に後ろ姿を見せていた。
結局名前を聞くのを忘れた事すら気づいていない巧は、まるで秘め事が終わった後の余韻のようにボーっと黒髪の美女の後ろ姿を見つめていた。
空は夕暮れから夜になりかけの中途半端な明るさで、テラスには既に巧しかいなかった。

巧が黒髪の美女と出会った日の夜、村上浩介と玉置美佐は品川にあるダイニングバーで飲んでいた。
たまには違う場所もいいだろうと、美佐が探してきた店だ。
関係は変わっても、二人の付き合い方は何一つ変わっていなかった。
席に着いてしばらくはたわいもない話をしていた二人だったが、フッと一呼吸すると美佐が照れくさそうな顔で話題を切り出した。
「いや~ごめんね?この間は酔っちゃっててさぁ。」
「何が?」
「メールだよ!メール!まぁ気にしてなさそうだからいっか。」
美佐は浩介に送ったメールの内容に関して、謝罪しているようだった。
しかし、浩介はそれほど気にしていなかった。
そもそも件名こそ意味深だったものの、ごく普通のメールだった。

件名:またあの頃に戻りたい
本文:久しぶりに会えて楽しかったよ。また飲みに行こうね( ´ ▽ ` )ノ

というような当たり障りのない内容で、謝れる筋合い等ないと浩介は思った。




528 『きっと、壊れてる』第2話(3/5) sage New! 2010/06/04(金) 00:19:51 ID:euytco2j
「でも浩介って4年も経つのにまだアドレス変えてなかったんだね。」
「そういえば、そうだな。面倒だし、携帯の使い方がよくわからないんだ。」
「そっか」
そう言った美佐の顔が一瞬寂しそうな顔を見せたのは気のせいだろうか。
「でもいいの?しすてむえんじにあが携帯の使い方わからなくて。というか返信ぐらいしなさい!」
「あぁ悪いな。風呂に入ってそのまま寝てしまった。」
「もう!変わってないんだから。」
美佐は少しも怒っていなさそうな顔で文句を言うと、黒糖梅酒を店員に注文した。
一度手洗いに行き、戻ってくると美佐はまた新しい話題を切り出してきた。
「よくそんなに喋る事があるな」と浩介は感心したが、その辺も頭の良さと関係してくるのだろうと勝手に納得する事にした。
「最近ね、病院内での体制が一新してすごく忙しくなったの。人減らしてもお給料は上げないんだから嫌になっちゃう。」
「めずらしいな、美佐が愚痴なんて。」
付き合っていた当時はまだお互い学生だったためか、浩介は美佐の負の感情を本人から聞く事はほとんどなかった。
自分とは違い、そういう感情が生まれる生き方ではないのだと勝手に解釈していたからか、
浩介は美佐の本音を聞けたような気がして妙に嬉しかった。
「ちょっと!何嬉しそうにしてるの?」
「えっ、わかるのか?」
本心を突かれるとは思っていなかった浩介は、驚いた。
「わかるよ!浩介、嬉しい時は目が優しくなる。」
「・・・」
自分でも恥ずかしい事を言ったという自覚があるのか、美佐は少し恥ずかしそうに言葉を続けた。
「あ、あはは、何言ってんだろ私。また酔っぱらっちゃったみたい」
「そうみたいだな。そろそろ行くか?」
「・・・もうちょっと」
飲み足りないのか美佐は黒糖梅酒をいつの間にか飲み干し、メジャーな焼酎の水割りを頼んで、いつもの美佐の表情に戻った。
「浩介、七夕のお話って知ってる?」
ようやく昔付き合っていた頃の感覚を取り戻した浩介は、美佐の不意の質問にも驚かずにいられた。
「七夕の話?」
「そう、七夕」
「織姫と彦星が年に1度会う話だろ?」
それ以外に何かあるんだ、と思いながらも浩介は答えた。
「そうだけど~。もうちょっとロマンティックに言ってよ~!」
「1文で済むのをどうやってロマンティックに言うんだよ。」
「まぁいいやぁ。それでね、地球に住んでいる私達って、七夕の日に雨が降ると『あ~あ、年に一度なのに織姫と彦星かわいそう!』とか言うでしょ?」
「まぁ聞いた事はあるな」
「そう。でもそれっておかしいよね?私達の住んでいる所からだと、確かに空が雲で覆われてしまっていて、織姫と彦星が密会する場面は見れないけど、
実際はちゃんと天の川で二人は愛し合ってるんだよね?しかも、雲で地上は遮られていて、誰にも邪魔される事もなく。」
「・・・密会って」
浩介は予想以上に変テコな話題を振られたからか、苦笑いしながら美佐の相手をした。
「確かに美佐の言う事にも一理あるけど、別の観点で考えてみないか?彦星は年に1回必ず織姫に会いに行かなきゃいけないんだよな?
それって窮屈じゃないか?織姫の方だって、とっくに他の男ができて楽しく暮らしてるかもしれないのに。」
少し意地が悪かったかな?と思い、浩介は言い放った後でおそるおそる美佐の方を向いた。
「・・・い」
「ん?」
途中から俯いていた美佐に浩介が耳を近付けると、美佐の細い指が浩介の左耳に伸びてきて、掴んだまま反対方向へと引っ張られた。
「ほんっと夢がないわねっ!浩介は!」
「いてててっ!やめろ、おいっ!」
日常生活では滅多に感じる事のできない痛みに浩介は驚き、本気で注意したつもりだったが、
笑いながら耳を引っ張るのをやめない美佐を見て、いつのまにか浩介も楽しい気分になった。
二人は完全に恋人時代に帰っていた。
「じゃあいくか」
「うん」
少しじゃれあった後、気付けば他の客から白い目で見られている事に気付いた二人は、颯爽と店を出た。
恥ずかしさのためか、美佐はすっかりおとなしくなっていた。
駅まで一緒に歩いていた時、大学生の飲み会だろうか、若い人たちの群れに巻き込まれた。
一応酔っぱらいを連れだっているため後ろを振り返って姿を確認すると、美佐は意外にもしっかり浩介の真後ろにおり、
浩介は安心して前をみて歩き続ける事が出来た。
ふと、気付けば美佐の手が浩介の服を掴んでいたが、「離せばはぐれそうになるからだろう」と思い、気にする事はなかった。
しかし、その手は人混みを抜けても駅の改札に着くまで、離れる事はなかった。


529 『きっと、壊れてる』第2話(4/5) sage New! 2010/06/04(金) 00:20:54 ID:euytco2j
浩介が品川の駅で美佐と別れ、東海道線、東西線と乗り継ぎ最寄駅から徒歩12分の家に帰ると、
いつものように茜が出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
茜の顔見た時、美佐と会っていた事がバレてしまうか、と思った浩介だったが、
今日の茜は何も言う事はなく「お疲れ様」と声を掛けただけだった。
茜が湯船を入れてくれ、風呂に入った後、寝るまで少し時間が空いたため、浩介は居間のソファーで読書をする事にした。
いつの間にか家事を終えた茜もお気に入りのブックカバーで包んだ本を読んでおり、もう少しで夏になる季節の心地よい風が
少し窓を開けてあるベランダから部屋へと入ってきて、ほろ酔いの浩介にはとても心地がよかった。
「ねぇ、兄さん」
「ん?どうした?」
「もうすぐ夏ね」
「そうだな」
「風鈴買ってこなくちゃいけないわね」
そんな風流な事をなんで無表情で言うんだろう、と思った浩介だったが今に始まった事ではないのであまり気にしていなかった。
「家にはなかったかな。あれいくらするんだ?」
「安い物なら1000円程度よ」
「そのぐらいなら、明日俺が買ってこようか?」
「ダメよ。兄さんは適当に選ぶから。私が買ってくるわ」
「そうか。なら任せた」
正直風鈴の違いにあまり興味がなかった浩介は、茜の予想通り適当に買ってこようと思っていた。
見破られたのは、長年一緒に暮らしている家族としての経験か、それとも男と女の関係からの推察なのかは浩介にはわからない。
「じゃあそろそろ今日の分」
「なぁ茜」
「何?」
「その"今日の分"って言い方やめないか?なんか義務のような気がしてくる。」

「・・・???義務よ?」

背筋が凍るような気がした。
発言にではなかった。
体が茜の言葉に反応するかのように共鳴し、男性器に血が集まっていたからだった。
俺はいつの間にか茜に支配されていた。
だが、悪い気はせず"一生このままでも良い"という気分にもなってくる。
どこで俺達は間違えたのだろうか。
年齢的な事もある。茜は将来どうする気なのだろうか。
いや、愚問かな。茜はもう腹を括っている。
俺は常識的な世界と非常識な世界で揺れ動いている。
      • どっちも捨てれない。
非常識な世界も捨てれない・・。
きっと俺は壊れてる。

今日は茜の部屋で息を荒げる。
基本的には殺風景な部屋だが、ブサイクなカエルのぬいぐるみが本棚の上に飾ってあった。
「ンッンッ兄さん、気持ちいいわ」
背後から突いて、茜の背中の真ん中の筋を舐める。
「ン~!!」
敏感な妹の背中をそのまま舐めながら、恥部を指でなぞる。
「ンッ兄さん今日はいつもより積・・アンッ!アンッ!」
日常生活より喋っているであろう茜の口を封じるため、俺は腰の回転をより速くした。
「イくっ!ン~~~~~~!!!!!!!!」
「茜!ウッ・・・」
浩介は茜の中に情欲を注ぎ込み、グッタリとして茜を潰すように倒れこんだ。


530 『きっと、壊れてる』第2話(5/5) sage New! 2010/06/04(金) 00:22:10 ID:euytco2j
全裸のまま、茜のベッドで二人寄り添っていた。
浩介の腕枕で包まれ、茜は浩介だけに判る幸せそうな顔をして上目遣いで浩介の方を見上げた。
「そういえば、兄さん」
「ん?」
今日はよく喋るな、と思い茜の方へ顔を向けると、恋仲の顔から妹の話に耳を傾ける兄の顔で茜の眼を優しく見つめた。
「東野圭吾の『新参者』っておもしろいのかしら?舞台がここからそう遠くないでしょ?とても興味があるわ。」
茜は小説によくわからない理由で興味を持つものだな、と思いながらも、浩介は答える。
「今、テレビかなんかでドラマもやっているやつだよな。今度俺が買うよ。東野圭吾はよく読むし。」
「本当?じゃあ兄さんが読み終わったら貸してもらえる?」
「あぁ」
ちょうど新しい小説を買おうと思っていた浩介は妹と新たに約束をして、自分が読んでいた小説に目を向けたが、茜の声がそれを中断させた。

「・・・何か私に言う事はないの?」

      • やはり気付いていた。
浩介は動揺を悟られぬよう、頭の中で「特にやましい事はなかったな」と整理してから茜の方に顔を向けた。
「今日、美佐と会ったよ。」
心を落ち着けて発言したにも関わらず、少し震えた声だった事に浩介は自分でも驚きを隠せなかった。
「品川のバーで飲んだ。その後はまっすぐ帰ってきた。」
仕事の時のように事細かに今日の行動を伝えると、茜は「そう」とだけ言い残し、明日浩介が会社に着ていくスーツのアイロンをかけ始めた。

昔から茜はそうだ。俺が美佐等と会ったり、付き合っていた頃セックスをして帰っても、茜は何も言わなかった。
ただし、会った事を隠していたり、嘘をついて旅行などに出掛けると、何を考えているのか、
幼稚園の先生が子供を優しく叱るように、微笑みながら事情を聞いてきた。
いつもの無表情からは想像できないようなその微笑みに、俺はいつも洗いざらい喋らざるを得なかった。
俺には茜が何を考えているのかはわからない。
いつ俺と男女の関係を望むようになったのかも知らない。
普通の恋をした事があるのかも知らない。

ただ一つ言える事は、きっと茜も壊れてる。

浩介は自分でもよくわからない気持ちになり、「そろそろ寝るわ」と言いながら、逃げるように寝室へと向かった。
ベッドへ潜る間際に見た月はとても美しく輝いていて、この街に暮らす浩介以外の人間をすべて照らしているように浩介には映った。


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最終更新:2010年06月06日 20:38
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