三つの鎖 25 後編

284 三つの鎖 25 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/08/16(月) 20:49:54 ID:SQFJUipB
 いつもは学校を出る少し前まで家事をするけど、最近は時間に余裕がある。
 梓が手伝ってくれるから。
 「兄さん。洗濯物、終わったよ」
 洗濯物のかごを持った梓が言った。既にお父さんも京子さんも出勤している。この家には僕と梓の二人だけ。
 僕の担当の掃除も終わる。時計を見ると、学校に行く時間までかなり余裕がある。
 掃除機を片づけてリビングのソファーに座った。目の前のテーブルにコップが置かれる。顔を上げると、梓が僕を見ていた。
 「ありがとう」
 僕は礼を言ってコップを口にした。冷たい緑茶。おいしい。
 梓は僕の隣にちょこんと座ってコップを口にした。紅茶の香りが鼻孔をくすぐる。
 僕の腕に梓の髪が触れる。今日も梓は背中に垂らしただけの髪形。手入れはされているのか、長い髪は艶がありサラサラしている。
 最近、僕が梓の髪に触れる事は無い。手入れする事も髪形をセットする事も。
 「ポニーテールにはしないんだ」
 梓は笑った。輝くような眩しい笑顔。
 「兄さん、こっちの方が好きだもの」
 「そんな事ないよ」
 「嘘よ」
 僕にしなだれかかる梓。下から僕を見上げる。
 梓の瞳が奇妙な光を放つ。
 「兄さん、あの女の髪形が好きよね」
 「夏美ちゃんの髪はそんなに長くないよ」
 「違うわ。春子よ」
 梓の手が僕の頬に触れる。
 信じられないぐらい梓の手が熱い。
 「兄さん、いつもあの女の長い髪に見惚れているわ」
 梓は微笑んだ。笑っているのに、瞳は奇妙な光を湛えている。
 「確かにあの女の髪は綺麗だわ。烏の濡れ羽みたいに艶があって、それでいてラサラしているもの。でも、私だって負けてないわ」
 そう言って梓は僕の手を取って髪に触れさせた。
 柔らかくてサラサラしている梓の髪。
 手に春子の髪の感触が蘇る。梓と同じように長くて綺麗な髪の柔らかい手触り。
 僕はそっと梓の髪から手を離した。
 唇をかみしめてうつむく梓。
 「そうよね。兄さん、いつもあの女ばかり見ている。何で私を見てくれないの。私だってあの女と同じ髪なのに。何で私を見てくれないの」
 梓は顔をあげた。視線が僕を貫く。
 「あの女。許せない。私に隠れてこそこそして。苛々する」
 背筋に寒いものが走る。
 知っているのか。春子がお見舞いに来てくれた事を。
 「同じクラスだし、話しぐらいする」
 「気がついてないとでも思っているの」
 頬に触れる梓の手の温度が上がった気がした。
 「あの女、兄さんが臥せっている間に兄さんの部屋に来たでしょ」
 梓の瞳が奇妙な光を放ち僕を射抜く。
 「お昼休みに。毎日のように」
 梓は唇を噛みしめた。
 「許せない。あれだけ痛みつけたのに。まだ兄さんに近づくなんて。痛みつけるのが足りなかったのかしら」
 僕にもたれかかる梓。ふれる梓の体が、熱い。
 「兄さん」
 梓を引き離そうとした瞬間に、梓は僕に声をかけた。
 「何で私があの女を見逃したか分かる?」
 よく考えると、おかしい。
 春子が僕にちょっかいを出すなら、容赦しないと梓は言った。
 それなのに、梓が今回の春子を見逃した理由。
 「前に言ったよね。次に兄さんにちょっかい掛けたら、許さないって。本当ならあの女を徹底的に痛めつけてもいい」
 淡々とした口調の梓。それでも僕は知っている。
 梓が春子に暴力をふるった事を。
 「梓。お願いだから暴力は止めて」
 「兄さん次第よ」
 僕は面食らった。
 春子の事なのに、僕次第とはどういう事だろう。
 考える。結論はすぐに出た。
 「僕に何を求める」


285 三つの鎖 25 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/08/16(月) 20:50:39 ID:SQFJUipB
 「ふふっ。さすが兄さんね。頭の回転が速くて助かるわ」
 嬉しそうに笑う梓。
 梓が見逃していた理由。
 僕との取引材料になるから。
 「本当なら夏美と別れて欲しいけど、兄さんは断るでしょ」
 梓の両手が僕の頬を包む。
 「私を抱いて」
 梓の瞳に浮かぶ感情。鳥肌が立つほどの劣情。
 血のつながった兄と一線を越える事を望む梓。
 絶対に受け入れられない。
 「断る」
 「だったらキスして」
 梓の顔が近い。白い頬は微かに朱に染まっている。柔らかそうな唇が艶めかしく動く。
 「私にキスして。触れて。触って。抱きしめて」
 妖しく輝く梓の瞳。
 血のつながった兄を見る目ではない。男を渇望する女の目。
 「それで今回の事は目をつぶってあげる」
 僕は唇を噛みしめた。
 血のつながった実の妹に口づけする。
 夏美ちゃんを裏切る行為で、禁忌を犯す行為。
 「何を躊躇っているの?何回もしたじゃない」
 うっとりとした表情で囁く梓。熱い吐息が頬にかかる。
 血のつながった妹とは思えない、甘い香り。女の匂い。
 思わず梓の肩を押して距離をとってしまった。
 「兄さん?」
 苛立った梓の声。
 「いいの?兄さんはあの女が大切じゃないの?私は別にいいけど」
 頬を晴らした春子が脳裏に浮かぶ。
 拒否すれば、梓は容赦しない。
 「…目を閉じて」
 素直に目を閉じる梓。
 梓の背中に腕をまわし、抱きしめる。細くて柔らかくて温かい。
 顎に手を添え上を向かせる。
 目を閉じた梓。綺麗なまつ毛。柔らかそうな唇。
 僕は梓にキスした。
 啄ばむように何度もキスする。
 「んっ、ちゅっ」
 柔らかくて温かい感触。
 梓の舌が僕の唇を舐める。
 「ちゅっ、んっ、ちゅっ」
 僕も舌を出して梓の唇をつつく。
 「んっ」
 震える梓。熱い吐息。
 梓は僕の後頭部に両手を添えた。
 絡まる舌と舌。ぴちゃ、ぴちゃと唾液の絡まる音が耳につく。
 梓はぼんやりとした表情で目を開いた。
 快楽に震える梓。うっとりとした表情で舌を絡ませる。
 その表情にどうしようもなくイラつく。
 僕は梓の唇を割って口腔に舌をねじ込んだ。
 「んんっ!?」
 驚いた様な梓の声。それを無視して口腔の中を舐めまわす。
 梓も必死に舌を絡ませてくる。
 「んっ、んっ」
 苦しそうな梓の吐息。鼻につく妹の匂い。
 その匂いが、信じられないほど甘ったるい。
 梓は唇を離した。
 「はっ、はっ、はっ」
 荒い息をつく梓。
 桜色の頬。艶のある長い髪が頬にかかっている。
 うっとりとした表情で僕を見上げる梓。


286 三つの鎖 25 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/08/16(月) 20:51:35 ID:SQFJUipB
 嬉しそうに僕の頬に触れる。
 「好き。大好き。兄さん。愛してる」
 愛おしげに囁く梓。
 「もっとキスして。もっと触って。もっと抱きしめて」
 頬を染め囁く梓。
 その表情にイラつく。
 僕は両手で梓の頬を挟んだ。
 そのまま梓の唇を奪う。
 「ん!?」
 梓の声を無視して口腔に舌をねじ込む。
 苦しそうにもがく梓。頬に挟んだ梓の顔を固定し、口腔の中を舐めまわす。
 小さくて震えている梓の白い手が、僕の胸を押す。
 梓は必死に僕を引き離そうとするけど、できない。その非力さに嗜虐心を感じる。
 口腔を滅茶苦茶にする。唇をついばみ、歯茎を舐め、舌を絡ませる。
 「んっ!!んー!!んっ!!んんっ!!」
 苦しそうにもがく梓を押さえつけ、さらに蹂躙する。
 目に涙を浮かべる梓。苦しそうな表情に、背筋がぞくぞくする。
 血のつながった実の妹に口づけする背徳の行為と、いつも僕を力で支配しようとする梓を力ずくで押さえつける歪んだ悦び。
 気がつけば僕は梓をソファーに押さえつけてのしかかっていた。梓の両手を頭の上に押し付け、顎に手を添え頭を固定する。目に涙を浮かべ苦しそうに身をよじる梓を押さえつけ、口腔を蹂躙する。
 僕は梓の口に唾液を流し込んだ。
 「んんっ!?んーーーっ!!」
 苦しそうに声を漏らす梓。それを無視してさらに唾液を流し込む。
 梓の白い喉が苦しそうに動く。必死にこくこくと僕の唾液を呑み込む。
 苦しそうに身をよじる梓の目尻から涙がこぼれ落ちる。
 僕はゆっくりと唇を離した。僕の下で荒い息をつく梓。
 「これでも僕の事を好きって言えるのか」
 震える梓。脅えと悦びが混ざった表情。
 僕は梓の胸を乱暴に掴んだ。
 「いたっ!!いたいよ!!」
 身をよじる梓を押さえつけ、乱暴に胸を揉む。
 控えめな胸のふくらみを握り潰す。
 「やだっ!!ああっ!!ひっ!!」
 苦しそうに身をよじる梓の目尻から涙がこぼれ落ちる。
 上気した頬。荒い呼吸。押さえつけた細い腕。うるんだ瞳。流れる涙。白くて細い太もも。はだけたスカート。
 そこから覗く白い下着は見て分かるほど濡れていた。
 「乱暴にされてるのに感じているんだ」
 震える梓。
 僕に向けられる瞳に込められた感情。
 脅えと、紛れもない悦び。
 「私、兄さんになら乱暴にされてもうれしい」
 息も絶え絶えに囁く梓。
 「好きだもの。愛してるもの。兄さんにならどんな乱暴に扱われても嬉しい」
 嬉しそうに微笑む梓。その表情に、どす黒い負の感情が沸き起こる。
 僕は梓の胸を思い切りつかんだ。部屋に響く梓の悲鳴。
 梓に覆いかぶさり、唇を奪う。
 苦しそうに身をよじる梓を押さえつけ、胸を掴む。口腔に舌をねじ込む。
 柔らかい唇を舌でつつく。歯茎を舐める。舌を絡ませる。
 目に涙を浮かべ苦しそうに身をよじる梓の表情が目の前にある。
 梓の荒い吐息が頬にかかる。
 必死に舌を絡ませる梓。
 僕は再び唾液を梓の口に流し込んだ。
 苦しそうに飲み込む梓。白い喉が震える。
 梓の胸のふくらみを思い切り握る。梓の体がびくりと震える。
 頬を染めて僕を見上げる梓。目には涙が浮かぶ。
 その瞳に浮かぶ感情。痛みでも恐怖でもない。
 紛れもない悦び。
 理解できない。
 これだけ乱暴に扱っているのに、嬉しそうに微笑む梓が。
 僕は手を離した。体を起こし梓を見下ろす。
 乱れた艶のある長い髪。めくれたスカートからは細くて白い素足が覗く。


287 三つの鎖 25 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/08/16(月) 20:52:35 ID:SQFJUipB
 荒い息遣い。控えめな胸のふくらみが呼吸に合わせて上下する。
 頬を染めて僕を見上げる梓。脅えと紛れもない悦びの表情。血を分けた妹の、女の表情。
 「何で」
 不思議そうに僕を見上げる梓。
 「何でこんなに乱暴に扱われて、そんなに嬉しそうなんだ。いくら僕の事が好きでも、おかしい」
 嬉しそうに微笑む梓。
 「何がそんなに嬉しいんだ」
 「兄さんが私に夢中になってくれたから」
 梓の言葉が胸に突き刺さる。
 「夢中になって私に乱暴したじゃない。それが嬉しいの」
 苦しそうに身をよじる梓の表情が脳裏に浮かぶ。
 僕は、それを見てどう思った?
 楽しんでいたのか?
 「違う」
 「違わないわ」
 嬉しそうに微笑む梓。
 「だって私の兄さんだもの。血を分けた兄妹だもの。分かるよ。兄さんが考えていることも、感じていることも。嬉しかったんでしょ?楽しかったんでしょ?私を押さえつけていたぶるのが」
 楽しそうな梓。
 本当に楽しそうに話す。
 僕が、血のつながった妹をいたぶるのが、楽しいと。
 「違う!」
 気がつけば僕は叫んでいた。僕の声は虚しく響く。
 梓は何も答えない。愛おしげに僕を見つめるだけ。

 全速力で階段を駆け上る。
 何とか時間ぎりぎりに教室に滑り込む。既に教室は生徒でごった返している。
 「美奈子。ぎりぎりだよ」
 「ぜーはーぜーは」
 「…まあ落ち着いてね」
 クラスメイトと朝のあいさつを交わしながら自分の席に向かう。
 途中に夏美を発見。席についてうつむいている。超絶暗い。
 周りのクラスメイトが騒がしく話している中、ポツンとしている。
 あの日、夏美が爆発して以来、夏美はますます孤立するようになった。
 以前のように悪意のある孤立ではなく、腫れものに触れるような扱い。いえ、爆弾扱いといった方が近いかもしれない。
 それぐらいあの時の夏美は恐かった。
 いつもの明るくて少し子供っぽい夏美からは想像もできない恐ろしさだった。
 でも、私は空気を読まない女の子だから、普通に挨拶する。
 「なつみー。おはよう」
 「…おはよう」
 元気のない声。どうしたのだろう。
 さらに話しかけようとしたらチャイムが鳴る。
 すぐに担任が教室に入ってきた。
 私は慌てて自分の席に座った。
 出欠をとる担任。
 「加原は欠席か?」
 訝しげな担任の声。梓の席は空席になっている。鞄も置いていない。
 梓、どうしたのだろう。あの子は授業をさぼったりしないし、無断欠席もない。
 その時、教室の扉が開いた。
 「遅れてすいません」
 梓がニコリともせずに教室に入ってきた。
 「遅刻だぞ。次から気をつけるように」
 「はい」
 担任の注意に素直に答え、梓は席についた。
 気のせいだろうか。梓はいつも通りの無表情なのに、機嫌がいいように見える。
 そんな事を考えているうちに朝のホームルームは終わる。
 最初の授業は苦手な英語だ。私はため息をついて教科書とノートを広げた。

 チャイムが鳴った時に幸一がいなかった時は、体調不良がぶり返したのかと思ったで。
 幸一が遅刻して教室に入ってきた時はほっとしたわ。
 朝のホームルームが終わって俺は幸一に話しかけた。


288 三つの鎖 25 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/08/16(月) 20:54:19 ID:SQFJUipB
 「自分、今日はどないしたん?」
 「…ちょっと寝坊して」
 少し沈んだ表情の幸一。嘘やな。分かりやすい奴。
 ただ、本人がそう言うからには、聞かれたくない内容なんやろう。
 多分、梓ちゃんの事。
 「困ったら何でも言ってな」
 「ありがとう」
 そんな事を話しているうちにチャイムが鳴る。教師が教室に入ってくる。
 席に戻って教科書を広げる。
 一時間目は数学。このクラスは理系やから、数学が得意な奴は多い。
 俺は苦手やった。今は得意科目やけど。
 昔は俺も幸一も成績悪かった。幸一が赤点キング、俺が赤点エンペラーて呼ばれてた。俺の方が成績悪かった。
 幸一の場合は柔道に夢中で授業では寝てばかりだっただけ。俺の場合は両親への反発というガキ臭い理由だった。
 俺の両親。二人とも弁護士。かなりのやり手で、自分の事務所を持っている。息子の俺に事務所を継いで欲しいようで、勉強しろと口を酸っぱくして言われ続けた。それに反発して勉強をさぼっていた。
 今はそんなガキ臭い理由で勉強をさぼる事は無い。
 俺が勉強を真面目にするようになったのは幸一が変わってからや。触発されたんやと思う。理系に進んだんもその影響かもしれへん。
 ふと村田の席を見る。
 小学校も中学校も同じやったけど、一緒のクラスになる事は無かった。
 せやけど村田の事は知っとった。文武両道で美人やから有名やったし、幸一からよく話を聞いた。
 こいつら、絶対に付き合ってると思ってたのに。
 前を向いて授業を受けている村田。
 一目で分かった。こいつ、授業聞いてへん。
 心あらずの様子でぼんやりしとる。
 いつも真面目に授業を受けとるのに。どないしたんやろ。
 幸一を見ると、こいつもぼんやりとしとる。相変わらず沈んだ表情で。
 俺は高二になって幸一と村田と三人で同じクラスになった。
 まだほんの数カ月やけど、それなりに楽しく過ごしとる。
 その楽しい日々が、自分でも分からないぐらいのゆっくりな速さで浸食されている気がする。
 気がつけば幸一は元気が無いし、村田の様子もどこかおかしい。
 幸一の妹の梓ちゃんも様子がおかしい。突然幸一にべったりになったと思ったら、最近は不気味なほど怖い。
 夏美ちゃんの様子もおかしい。あれだけ元気な子やったのに、最近は暗い。
 一体何が起こっているのか、俺には分からへんかった。
 ずっと後になって考えてみると、分からない方が良かった。
 幸一が話せない内容なんも当然な事にこん時の俺は気がついてへんかった。

 お昼休みのチャイムが鳴る。
 にわかに騒がしくなる教室。僕は席を立った。耕平が近づいてくる。
 「幸一。飯は夏美ちゃんと?」
 「ああ」
 耕平は手をひらひらさせる。
 「女の子を待たせたらあかんで。行ってきい」
 僕は頷いてお弁当を片手に教室を後にした。
 今日は梓と僕でお弁当を作った。梓は自分が持つって言ったけど、断った。
 そうすると、また昨日みたいに梓が邪魔してくる。
 夏美ちゃんとの待ち合わせは屋上。風はふくし日差しは強いけど、その分人がいない。
 今日は暑そうだ。学ランを脱いで来れば良かったかもしれない。
 階段を上り屋上への扉を開く。
 そこに夏美ちゃんが立っていた。
 梓も立っていた。冷たい表情で夏美ちゃんを見つめていた。
 「兄さん」
 僕に気がついた梓が嬉しそうに駆け寄ってくる。
 「お昼、一緒に食べよ」
 嬉しそうに笑う梓。その後ろで夏美ちゃんが泣きそうな顔をしている。
 「梓。悪いけど夏美ちゃんと食べるから、席をはずしてくれないか」
 梓の表情が一変する。無表情に僕を見上げる梓。
 「何でなの」
 「夏美ちゃんと一緒にいたい」
 「私よりも」
 「そうだ」
 梓の表情が歪む。


289 三つの鎖 25 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/08/16(月) 20:55:28 ID:SQFJUipB
 「…じゃあ放課後は一緒にいて」
 僕は首を振った。
 「晩ご飯までには帰るから」
 梓はうつむいて唇をかみしめた。
 お弁当を持つ手が微かに震えている。
 「…何でなの」
 絞り出すように梓はつぶやいた。
 「何で夏美ばかり。私も兄さんの事が好きなのに」
 梓は顔を上げ夏美ちゃんを睨んだ。
 「何でなの。何で夏美ばかり」
 夏美ちゃんは脅えたように一歩下がった。
 「ずっと一緒にいたのに。私の方が兄さんを愛しているのに」
 「…違うよ」
 夏美ちゃんはぼそりと呟いた。
 梓はきっと夏美ちゃんを睨んだ。
 「何が違うのよ」
 「私だって、私だってお兄さんを愛してるよ!!」
 屋上に夏美ちゃんの声が響く。
 「私だって好きだよ!!お兄さんを愛してるよ!!お兄さんだって好きって言ってくれた!!」
 夏美ちゃんの瞳に光るものがたまる。
 「梓はお兄さんの妹でしょ!?一緒に住んでるじゃない!!それなのに何でよ!?何で梓はここまで来るの!?お兄さんが呼んだのは私だけだよ!!来ないでよ!!私とお兄さんの目の前からいなくなってよ!!」
 「夏美ちゃん。落ち着いて」
 僕は夏美ちゃんの両肩に手をそっと置いた。びくりと震える夏美ちゃん。
 「今のは言い過ぎだよ」
 僕の言葉に夏美ちゃんはうつむいた。
 「梓に謝って」
 「…お兄さんは梓の味方をするのですか」
 夏美ちゃんの様子がおかしい。顔から血の気は引き、寒いのを耐えるかのように震えている。今にも涙がこぼれそうな瞳は見た事もない光を放っている。
 「何でですか。何で梓の味方をするんですか」
 夏美ちゃんの声は震えていた。
 「確かに梓は呼んでもいないのについてきた。でも、夏美ちゃんも言い過ぎだよ」
 夏美ちゃんが口を開こうとした瞬間、屋上の扉が開いて女子生徒が出てきた。
 ショートヘアの活発そうな女の子。どこかで見た事があるような気がする。
 「あれ?お邪魔でしたか?」
 全く申し訳なさそうな口調で僕に話しかける女の子。
 「ま、いいや。なつみー。化学の中本先生が呼んでるよ。理科準備室まで来いだって」
 女の子は僕が答える前に夏美ちゃんに話しかけた。
 随分マイペースな子だ。
 「…中本先生が私に何の用なの?」
 「さあ。この前の実験さぼったから何か話しでもあるんじゃない?」
 夏美ちゃんはちらりと僕を見てすぐに視線を逸らした。
 「お兄さん。行ってきます」
 「…うん」
 夏美ちゃんは僕達に背を向けて屋上を去って行った。
 小さな後ろ姿が目に焼きついて離れない。
 「あずさー。よかったらお兄さんに紹介してよ」
 面倒くさそうに女の子を見る梓。紹介するつもりは無いようだ。
 「もー。梓のクラスメイトの堀田美奈子です」
 「梓の兄の加原幸一です。妹がお世話になっています」
 聞いた事のある名前。夏美ちゃんと仲のいいクラスメイトだったと思う。
 「加原先輩」
 僕を見上げる堀田さん。真剣な表情。
 「夏美、最近疲れているみたいなんです。だから支えてあげてくださいね」
 堀田さんの言葉が胸に突き刺さる。
 今日の朝、脅されたといえ僕は梓に口づけした。胸を触った。
 一線を越えないにしても、性行為と言える事を梓とした。
 夏美ちゃんという恋人がいるのに。
 「失礼します。さよなら」
 堀田さんはそう言って去って行った。
 手に柔らかくて熱い感触。


290 三つの鎖 25 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/08/16(月) 20:56:36 ID:SQFJUipB
 梓が僕の手を握っていた。
 「兄さん。お昼を食べよう。そんなに時間もないし」
 頬を染め嬉しそうに微笑む梓。
 「梓。これだけは言っておく」
 僕は梓を見つめた。
 「僕が女性として愛しているのは夏美ちゃんだけだ。梓の気持ちには応えられない」
 梓の表情が凍る。
 僕の手を握る梓の小さな手が震える。
 「…そんな事、言わないで」
 弱弱しい声。泣きそうな表情。僕を見上げる梓の双眸に光るものが溜まる。
 その表情に胸が痛む。
 でも、梓の気持ちには応えられない。
 僕と梓は兄妹だから。
 「…お弁当にしよう」
 そう言うのが精いっぱいだった。
 二人でベンチに座り、無言でお弁当を食べる。
 僕と梓で作ったお弁当。
 おいしい。特に梓が作ってくれたおかずが、僕好みの味付けでおいしい。
 二人でお昼ご飯を食べていると、屋上の扉が開いた。
 耕平だ。僕たちを見つけた耕平は早足に近づいてきた。
 「幸一。夏美ちゃんがすごく暗い表情で歩いてたで。大丈夫なんか?」
 心配そうな耕平。
 「夏美ちゃん、先生に呼ばれただけだよ」
 夏美ちゃんが元気の無い理由とは違うけど、本当の理由は言えない。
 「先生に?」
 不安そうな表情の耕平。
 その表情に、何か良くない予感を感じる。
 「…その先生ってまさか中本やないやろな。一年生に化学を教えている」
 「何で知っている?」
 言いづらそうに沈黙する耕平。やがて意を決したように口を開いた。
 「クソみたいな噂や。誰が言い出したんか知らへんけど」
 耕平が言うには、授業を真面目に出席していた夏美ちゃんが中本先生の授業をさぼったのは、中本先生に父親の面影を見ていて、父親を思い出してしまうからだと。
 それを知った中本先生は、夏美ちゃんを狙っていると。
 「中本はもともと女子生徒に嫌われとる。ええ年して女子をいやらしい目つきで見るからや。その中本が昼休みに夏美ちゃんを呼びだすなんておかしいで。授業をさぼった関係やったら、担任が担当やし」
 「梓はその噂を聞いた事ある?」
 「無いわ」
 首を横に振る梓。
 「耕平。その噂はどれぐらい広まっているんだ」
 「俺の感触やと、そんなに広まってはないみたいや。ただ、この手の噂は登場人物を嫌う奴に伝わりやすいから、何とも言われへん」
 悪い予感が大きくなる。
 僕は立ち上がった。
 「中本先生はどこに?」
 「多分理科準備室や。案内するわ」
 「梓。行ってくる」
 「私も行く」
 手早くお弁当をしまい立ち上がる梓。
 耕平を先頭に階段を下り、廊下を走る。
 だんだん人気が少なくなる。お昼休みに理科室や隣接する理科準備室に行く生徒はいない。
 「ここや」
 理科準備室のプレートが掲げられた教室。
 僕はノックせずにドアを開けた。
 そこに夏美ちゃんがいた。
 呆然と立ち尽くしていた。
 乱れた制服の胸元。腫れた頬。
 「夏美ちゃん!」
 僕は夏美ちゃんに駆け寄った。
 「大丈夫?」
 返事もなく呆然としている夏美ちゃん。
 夏美ちゃんの胸元と頬を確認する。胸元の制服のボタンが外れて、白いブラジャーが微かに覗いている。頬は微かに腫れている。
 大した怪我ではない。


291 三つの鎖 25 後編 ◆tgTIsAaCTij7 sage 2010/08/16(月) 20:57:36 ID:SQFJUipB
 僕は学ランを脱いで夏美ちゃんの肩にかけた。
 「…おい幸一」
 耕平は僕の後ろを指差した。
 振り向いた足元に、中年の男が倒れていた。
 白衣を着た太った男。
 その頭から血が流れていた。



タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年08月30日 04:21
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。