346 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:05:49 ID:1iMOg80Q
声が聞こえる。
どうしてこんな子を押し付けれるのかという大人のひそひそ声。
うるさい
幽霊女とけらけら嘲う子供の声。
うるさい
ざわざわ、がやがやと賑やかになって行く。
一様に、お前なんて要らないといっている。
うるさい、もう止めて
数え切れない声が重なり合い、一様に語りかける。
お前なんて要らないんだよ、けらけらけらけらけら。
うるさい、うるさい、うるさい
笑う影に拳を突き立てる、でもぽすんと軽い音がするだけ。
何度も拳を打ち立てる。
ぽすん、ぽすん、ぽすん
目が覚める、汗が張り付いて気持ち悪い。
息が詰まる、心臓の鼓動が煩い。
「大丈夫、お兄ちゃんは違う。」
私は言い聞かせる。
「お兄ちゃんは私を要らないなんて絶対言わない。」
347 名無しさん@ピンキー 2010/08/21(土) 20:07:37 ID:1iMOg80Q
久しぶりにとても嫌な昔の夢をみた、最悪の気分だ。
時計を見る、もう8時だった。
これでは朝食に間に合わない。
「ごめんなさい、お兄ちゃん、
姉さん。」
「おう、おはよう。
今日は塩鮭だぞ、ほれ、旨いよ。」
「おはよう、シルフちゃん。
珍しいね~、お寝坊さんなんて。」
居間の机には、塩鮭、ご飯、そしてわかめの酢の物が並んでいる。
座布団が三つ置いてあり、お兄ちゃんと姉さんがふたり仲良く座っている。
私はその向かいの開いてる場所に座った。
鮭を齧る、少ししょっぱ過ぎると思う。
お兄ちゃんは機嫌良くその鮭を食べる。
「やっぱり鮭ってのは塩が吹くくらい辛くないと食った気がしないんだよな。
最近はどこに行っても減塩ものばっかりで、腐ったらどうするんだよ、なあシルフ。」
「え、うん、私もそう思う。」
「兄さん、爺くさいよ~。
ついでに言うと、そこにさらに塩を振ろうとするのは正直どうかと思うよ。」
「余計なお世話だ、どうせ寝汗をかいてるんだからこれぐらい塩を取ったほうがいいんだよ。
塩とはサラリー、つまり金だ。塩の無い食事なんて貧乏臭くてしょうがない。
そんな貧相なもん朝から食えるかよ。いや、朝昼晩、三食ともご遠慮したいね。」
お兄ちゃんは少しでも目を離すと塩辛いものばかり食べる。
だから私がお兄ちゃんに作る料理はあまり塩を使っていない。
ひょっとしてお兄ちゃんは私のご飯に満足してくれてないのかな?
それに、やっぱり本当は今日みたいに姉さんの作る方が嬉しいのかも知れない。
そう思うと、朝の夢と相まってとても嫌な気分になった。
348 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:08:20 ID:1iMOg80Q
「兄さん、それはシルフちゃんへの当てつけかな。
シルフちゃんは毎日兄さんの健康を考えて料理を作ってくれているんだよ。
偶には早起きして自分で作ったらどうかな。
兄さんが朝食を作ってくれたのは何年前か覚えてる?
言っておくけど、この前作ったフライパンの焦げはカウントしないからね。」
姉さんがお兄ちゃんを叱りながら、二杯目のご飯とお茶を差し出す。
「いや、それは…だな。」
しどろもどろになお兄ちゃん。
姉さんが私のほうへ崩れるように抱きつく。
……重い。
「ふふ、かわいそうなシルフちゃん。
炊事、家事、洗濯、全部押し付けられちゃって。
挙句には食事がまずいといびられて。
よしよし、あんな鬼舅には、お味噌汁にも塩をたっぷり入れてあげましょうね~。」
お兄ちゃんが楽しそうに鮭をご飯に載せて、お茶を掛ける。
ずずー、っとお茶漬けを啜る音、あ、おいしそう。
「その、兄さん、シルフちゃん。
何か言うことは無いかな~?」
「お茶漬け、旨いよ?」
「姉さん、暑苦しい。」
スルーされたと気づいたのか、姉さんは無言で空いた食器を台所に下げに行った、というよりも逃げた。
今日の姉さんは朝から上機嫌のようだ、ジョークは滑ったけど。
逃げ出した姉さんを白い目で追った後に、お兄ちゃんが申し訳なさそうに私の方を振り向く。
「ええっと、別にお前の食事がどうのって言う意味じゃないからな。」
「ううん、気にしないで。
それよりもっと注文を言ってくれたほうが遣り甲斐があるわ。」
「その、なんだ。いつもありがとうな、シルフ。」
そう言ってお兄ちゃんが笑ってくれる。
私はその優しい顔を見るのが大好き、心が落ち着くから。
349 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:09:05 ID:1iMOg80Q
私は御空路 思留風(みくうじ しるふ)、漢字だと変だからいつもはシルフで通している。
お兄ちゃんや姉さんとは血が繋がっていない、私だけ養子だから。
小さい頃に両親を失い、親戚に盥回しにされて、最後にお父さんの親友に引き取られた。
お父さんは日本人だけど、お母さんは欧州の小国出身。
容姿については、本当は言いたくないけど、お母さんと同じ、白い肌に、肩口で切った白に近い金髪、鳶色の目。
小さい時はその見た目から幽霊みたいと言われた。
今もその容姿のせいで周囲と壁ができている。
多分、私の事を受け入れてくれているのは御空路家の家族だけだと思う。
私はそれで十分だから何も構わないけど。
父さんと母さんはいつも海外に出ているので私達は殆ど3人で暮らしている。
お兄ちゃんは御空路 陽(みくうじ あきら)、姉さんは御空路 雪風(くうじ せつか)
2人は同い年で私より1つ上だけど、生まれた月は別々だ。
姉さんの姿は、色白だけど決して白すぎない肌、長くて綺麗な黒髪、黒い瞳。
明るくて、誰にでも大らかな性格。
大まかに言えば、私の上位互換だと思ってくれると分かり易い。
それからお兄ちゃんは姉さんに似ていると思う。
あと、背中にはずたずたに引き裂かれたような傷跡が残っている。
昔、私を救ってくれた時に出来た傷。
350 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:09:35 ID:1iMOg80Q
私はお兄ちゃんのことが大好きだし、
姉さんのこともちょっと苦手だけど、嫌いじゃない。
今、私は幸せだ。
欲を言えば、その、本当はもっと、できればお兄ちゃんと、って思うけど。
でも、それはこの安らげる場所を賭けること。
賭けに負ければ私はお兄ちゃんにきっと、見捨てられる。
そうしたら、ここに居られなくなる。
それはとても怖い、そんなのは嫌だ。
だから、私はずっとこのままでいい。
この日向みたいに暖かいお兄ちゃんの側にずっと居る事、それが私の幸せ。
351 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:10:32 ID:1iMOg80Q
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胴着姿の先輩と対峙していた。
彼女が私に向けて高速のストレートを放つ、多分、プロボクサー並みだと思う。
でも、放ち切った後の腕にちょっとだけ隙があるので、しゃがみこんで避け、そのまま腕を取って投げる、背負い投げ?
びし、と畳に貼り付けられるような音がした。
その音に周りの視線が私に集まる。
少し勢いを付けて投げすぎたのか先輩は、ごほごほ、と苦しそうに咽て立ち上がれないでいる。
これで22人目。
だから、今日の練習もおしまい。
「私は先に帰ります。
後の人も勝った人から帰ってください。」
短く挨拶をして、更衣室に戻った。
着替えを終えて部屋から出たところで声を掛けられる。
振り向くと、袴を履いた背の高い女子がいた。
私と同じ学科の人で、確か彼女も小さい頃から合気道をやっていたから一緒に入部したんだっけ。
「少し待ってくれるかしら、御空路『部長』さん。」
私はまだ一年生だけど女子武道部の部長だ。
女子武道部は色々変わっていて、どんな格好や戦い方をしても良いという事になっている。
だから私はいつも着替え易いジャージにティーシャツで練習している。
そして、一番変なのは現在の部長に勝った部員が新部長になるというシステムを採っている事だ。
私はその事を知らずに仮入部の時に腕試しの積りで前部長に挑んだ、強い人だったけど私が勝った。
そのままなし崩しで入部させられて私は部長に、元部長は再戦の為に修行中。
352 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:10:56 ID:1iMOg80Q
「あれ、今日は早かったんだ。」
「違うわ、言いたい事があるからちょっと抜けてきただけよ。
いくら部長だからって、こういうやり方は良くないと思わないの?
いつも自分だけ早く帰って、他の事はみんな部員任せじゃない。
そんな事してるとみんなに嫌われちゃうって。」
「でも今日はお兄ちゃんと一緒に帰って、ご飯を作らないといけないから。」
私の言葉を聞いて彼女は額を押さえた、ちょっと失礼じゃないかなと思う。
「あ~もう、いつもお兄ちゃん、お兄ちゃんって!!
まあいいわ、それはもうあんたの場合今更仕方がないわ。
でも良いかしら、少し考えてみてよ。
あんたが大好きなお兄さんだって、あんたが皆から嫌われていたら嫌でしょ?」
「お兄ちゃんはそういう事を気にしないから、大丈夫。」
「大丈夫じゃないって!!
あのねえ、あんたの前では言わないけど、みんな今のやり方には不満を持ってるんだよ?
陰だと、その、酷い事いつも言われているんだよ?
そんなので本当に良いと思うの?」
「そう。」
多分、幽霊みたいだとか、白くて気持ち悪いだとか言われているんだと思う。
353 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:11:52 ID:1iMOg80Q
「だから、そう、じゃないっての!!
大体ねぇ、話を聞いているとあんたのお兄さんって絶対ろくでもない奴よ。
家事も、料理も、洗濯も全部あんたとお姉さんにやらせて自分は何もしないんでしょ?
単にめんどくさい事をあんたに押し付けてるだけじゃないの。
そんな奴、クズよ、ク・ズ!!」
その言葉が嫌だった。
「……お兄ちゃんじゃないのにどうしてそんな事が分かるの?
それに、おにいちゃんの事を何か知ってるの?」
「知らないけど、そうい……、!!」
お兄ちゃんの悪口を聞かされるのが嫌だったので、突きを喉元で寸止めさせる。
もし喋ったら、次は止めない。
こうするとみんな私の嫌な事を言うのを止めてくれる。
「何かまだ言うの?」
彼女の顔が歪んだ。
良く分からないけど、多分怒っているようだ。
「なんでもないわ、ええ良く分かったわ、それじゃあ私は練習に戻る。
言っておくけどね、あんた、そんな事だと本当に誰からも相手にされなくなるわよ!!」
そう言い残して、道場に帰っていった。
良くは知らないけど、あの子は嘘つきだと思う。
だって、お兄ちゃんと姉さんは絶対に私を見捨てたりなんてしないのだから。
昔からそう、私に力で勝てないって分かるとみんなで私に嘘をついていじめようする。
でも、初めから私はお兄ちゃんと姉さん以外の人の事なんて信じていないから意味がない。
だから、それ以外の誰かからどれだけ嫌われても、私は気にならない。
あ、いけない、少し遅れてる。
早くお兄ちゃんたちの所に行かないと。
……ところであの子、何ていう名前だったっけ?
354 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:20:31 ID:1iMOg80Q
私と姉さん、それからお兄ちゃんの通う大学にはぼろぼろの木造校舎がある。
その廊下の一番奥のドアの今にも取れそうなプレートには「多様性美術同好会」と書いてある。
私達とそれからお兄ちゃん達の幼馴染の神田さんと新林さんの5人だけの小さな同好会だ。
お兄ちゃんは姉さんに誘われて入会した。
初めは嫌がっていたが顧問の先生にお兄ちゃんを含めてあと4人入会したら、
先生の持つ授業の単位を24単位分くれると言った途端に私と新林さんを誘って入会した。
そして、すぐに新林さんを追って神田さんが入部。
でも、お兄ちゃんと新林さんは2年生にして首席候補と言われているような人達だ。
この前、それなのにどうしてと聞いたら、単純に授業に出るのが面倒くさいからと二人揃って言っていた。
因みに、私はこの大学に入れたのが奇跡の奇跡だって言われるくらいであまり成績は良くない。
そんな同好会だから実際に活動しているのは姉さんとお兄ちゃんだけ。
姉さんは絵が好きだから、お兄ちゃんはやってみたら意外と面白かったという理由で暇な時はよくここで絵を描いている。
そして、私を含めた他の人はみんな幽霊部員だ。
私は女子武道部に入部しており、神田さんと新林さんは剣道部。
たまにみんなで集まってお茶を飲んだり、合宿と称して出かけたりする程度だ。
355 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:22:18 ID:1iMOg80Q
ドアに手を掛けてドアを開く、途端に私の肩を目がけてナイフが3本真直ぐに飛んできた。
多分、パレットナイフだと思う。
何であんな形の物を真っ直ぐ投げられるんだろう?
ええっと、まず1本目のナイフを体を反らして避け、残り2本のナイフの刃をそれぞれの手で摘む。
「お見事~、さっすがシルフちゃん。
サーカス団みたいだよ~。」
姉さんが椅子に腰掛けてぱちぱちと手を叩く。
「姉さん、頼むから私がここに来る度に物を投げつけるのは止めて。」
「いいじゃない、シルフちゃんなら楽勝でしょ? これぐらい。」
「……他の人だったらどうするの?」
「大丈夫よ~、ここのぼろ校舎を音も無く歩けるのってシルフちゃんと沙紀だけだもん。
2人とも簡単に避けられるでしょ?」
姉さんは悪びれずに言った、実際に悪気なんて全く無いんだろうけど。
「いい? 姉さん、次にやったらお兄ちゃんに叱ってもらうから。」
「分かった次からは止めるわ、兄さんには怒られたくないしね。
ところでシルフちゃんも今日は部活動でしょ。
まだ1時間も経ってないんじゃないかな~?
いくら部長さんだからってズル休みはいけないよ。」
「大丈夫、今日も総当り戦をして全員に勝った人から抜けて良いってルールにしたから。
私もちゃんと勝ってからここに来たよ。」
「あははは、そうなんだ。
相変わらずシルフちゃんは強いね~。」
そう言って姉さんが笑う。
部屋の中を見回すが姉さん以外の人が居ない。
「あれ、お兄ちゃんは?」
「兄さんなら、圭さんと一緒に先に出て行ったよ。
今日は男子同好会員の定例会なんだって、2人しか居ないのに。
だから夕飯もいらないって。」
姉さんが詰まらなそうに答える、私も詰まらなくなった。
「そう。」
「どうする?
今日は私達だけだけど、偶には姉さんが何か作ろっか?」
「私が作る。」
即答する。
「お願いだから姉さんは何も作らないで。
お兄ちゃんが居ないと、ろくなもの出す気がないでしょ。」
「あれ、先月の事まだ根に持っているのかな?
流石にあれは悪かったと思ってるよ~。」
暢気そうに笑う姉さん。
356 名無しさん@ピンキー sage 2010/08/21(土) 20:22:43 ID:1iMOg80Q
あれを悪かったの一言で片付けられる姉さんの神経は太すぎると思う。
あの日の夕飯は白いご飯と、姉さんがちょっと前に鯵の開きと間違えて買ってきたくさやが一人3枚。
当然私は拒否したが、姉さんの好き嫌いは許さないという的外れなお説教と強引な押しに負けてしまった。
……次の日から私達は自主休校した。
あと、帰宅したお兄ちゃんは私と顔を会わせた瞬間、回れ右して出て行った。
そのまま新林さん、圭さんの事、の家から1週間帰って来てくれなかった。
臭いの所為で、お兄ちゃんに汚物を見るような目で見られたあの時の気持ちはとても言葉にできない。
こっそり自分だけ隠れていた姉さんの首を締め上げて軒先に吊るしてしまおうかと本気で考えた。
でも、そんな事をしたらお兄ちゃんに嫌われると思って必死に耐えた。
「ほら、兄さんあの臭い大嫌いだから居るときには焼けないし。
換気扇回しておけば何とかなるかな~なんて。
大丈夫よ~、今日はちゃんと作るから安心してね。」
姉さんが軽そうに謝る、どう見ても反省していないと思う。
姉さんはこんな人だ。
私よりも何でも出来るのに、お兄ちゃん以外の事はいつもいい加減。
最終更新:2010年08月30日 04:24