『きっと、壊れてる』第8話

248 『きっと、壊れてる』第8話(1/8) sage 2010/10/02(土) 17:56:58 ID:SZbvIUdd

独白。
そういう言い方をすれば、まだ聞こえは良い。
実際に私は心の中で一人で喋っているし、今の所この胸中を誰かに打ち明ける気はない。
兄さんの所有権をめぐり、侃侃諤諤の議論ができれば、どんなに楽になれることだろうか。

玉置美佐。
兄さんの恋人。
4,5年前だったか、前にも一度兄さんにちょっかいを出してきた事があった。
その時は怪文書1枚でおとなしく引き下がった。
しかし、どういう因果か、兄さんと再会し再び付き合う様になった女。

あの人はどう思っているのかは知る由もないけど、私はある程度玉置美佐を認めている。
普通の女だったら、妹と如何わしい関係を持っている可能性がある男など、
二度と関わりたくない、と思うのが正常な思考回路だろう。

それにも関わらず、玉置美佐は今一度兄さんとの関係を築き、共に人生を歩んで行こうとしているらしい。
賞賛に値すると私は考えている。

玉置美佐は、兄さんの優しさや愛らしさ、儚さをしっかりと理解しているのだ。

いわば私達は同志。
もし、私に息子ができたら、ああいう物事の奥を見通せる女性にこそ、お嫁に来てほしいと思う。

しかし残念な事に、私はこのまま兄さんを渡すつもりは更々ない。
やっとここまで来たのだ。
鏡花水月な兄さんの存在が欲しくて。
我慢して、我慢して、やっとここまで辿り着いたのだ。

あのヘラヘラした男の報告で、玉置美佐も今度は本気である事がわかった。
悲しいかな、私は玉置美佐に正式に兄さんとの別れを打診しなければならないようだ。
道端で拾ったあの男を使って。
なるべく証拠が残る様な事はしたくなかったのだが、仕方ない。

が、今はまだその時ではないと私は判断した。
私にはもう少し時間が必要だからだ。

機が熟した時、私と玉置美佐の聖戦を始めよう。

      • あの人はもう枯れた。
きっと、動かない。
邪魔は入らない、玉置美佐と十分に雌雄を決する事にしよう。

      • 世の中には、残念ながら不必要な物があるのだ。




249 『きっと、壊れてる』第8話(2/8) sage 2010/10/02(土) 17:57:34 ID:SZbvIUdd
「お茶を頂けますか?・・・どうも」
茜はCAから温かいお茶を受け取り一口読むと、各座席に付与されているイヤホンを耳に着け、
持参した文庫本に目を通し始めた。
日本史上、最大の熊害(ゆうがい)である三毛別羆事件を題材とした『熊嵐』というドキュメンタリー小説だった。
横目でそれを見た浩介は、なんでこのタイミングで、と思ったが、
茜に話しかけると、浩介の肩にもたれ掛かって眠っている楓を起こしてしまいそうなので、見なかった事にした。

「・・すぴぃ」
楓は気持ち良さそうに眠っている。
昨夜も遅くまで勉強していたのだろうか、夜型なのは相変わらずのようだ。
浩介は楓に掛かっている毛布を掛け直すと、自分の座席のすぐ右側にある窓の外へ目を移した。
綿飴のような白く大きい雲が眼下に広がっている。
そのフワフワとしていそうな形状は、大人になった今でも「あそこで寝てみたい」と思わせるには十分だった。

朝の8時。
茜と楓、そして浩介は飛行機に搭乗し、空の旅を楽しんでいた。

「兄妹3人、再会を祝してどこかへ出掛けよう」

楓が1週間と少し前の夕食時に提案した事だった。
8月も中旬に入り、浩介は来週から土,日を合わせて9日間のお盆休みを取る事になっていた。
茜も急ぎの仕事はないらしく、楓も予備校の夏期講習の休みが4日間あるらしい。

急な話だった。
浩介は迷ったので、「予約が取れたら連れていくよ」と言った。
まずホテルの予約がこんなに急に取れないだろうと思っていたからだ。
しかし、最近の不景気で旅行者が少ないのか、ホテルと飛行機の搭乗券のパックが余っていたらしく、
あっさりと予約が取れてしまったのだ。
夏のボーナスが削られるのは痛かったが、約束した事を撤回するわけにもいかず、
茜と楓を引き連れて、2泊3日の北海道旅行へ出掛ける事になった。

先日浩介が美佐に、旅行に行く事と、『楓』というもう一人の妹がいて、現在家に居候している旨を伝えると、
「そんな設定聞いてない」と、美佐はもう一人の妹の存在に目を丸くして驚いた。
そして、「私も一緒に付いて行く!」と言い出し、同僚に休みを入れ替えてもらえるように連絡していたが、
代わりは見つからなかったようだ。
「1日2回、朝と夜に必ず定時連絡をするように!」
そう捨てゼリフを吐き、悔しそうな表情を見せた美佐を思い出た浩介は、誰にも気付かれないように苦笑いをした。

飛行機の中というのは、快適なようで、する事があまりない。
眠気がない浩介は、茜のように本を持ってくれば良かった、と後悔した。

浩介は楓を挟んで通路側の座席に座っている茜を見た。
本を読んでいる茜の長いまつ毛がピクリピクリと早いリズムで動いている。
浩介は笑いを堪えた。
滅多に見せる事はないが、昔から変わらない。
何かを楽しみにしている時に見せる、浩介だけが知っている茜のクセだった。

茜と二人で暮らしていた時は、旅行など行かなかった事を、浩介は思い出した。
学生の頃は慣れない生活に加え、勉学や生活費を捻出する為のアルバイトがあった。
社会人になってからも、日々情報技術のスキルアップを求め、休日も自宅で勉強する事が多かった浩介は、
こうして家事を仕切ってくれている茜に還元する事など無かったのだ。

茜への慰安旅行としても行く事にして良かった。
浩介は再度、窓の外に目をやった。

そして、近いうちに今度は両親も含め、家族全員を旅行に連れて行こう。

どこまで続いているのかわからない青い空を眺め、浩介はそう心に決めた。


250 『きっと、壊れてる』第8話(3/8) sage 2010/10/02(土) 17:58:09 ID:SZbvIUdd
9時半過ぎ、新千歳空港に着いた浩介達はまずレンタカーを借りる事にした。
北海道は広く、効率よく各所を回るためには車が必須の為だ。
シルバーのセダン車を選んだ。
ペーパードライバーの浩介はできれば運転は避けたかったが、
他に運転免許を持っている人間がいないため、我慢して運転席に乗り込んだ。

3人を乗せた車は、北海道の長い道を走る事になる。

とりあえず、3人無事に東京へ帰れる事が最優先。

気合を入れた浩介は、アクセルペダルを踏んだ。


「えーっと・・初日何処行くんだっけ?」

旅行ガイドブックを片手に助手席に乗り込んだ楓が、運転席の浩介と、後部座席に座っている茜を交互に見た。
「初日は旭山動物園に行って、旭川のホテル」
浩介を運転に集中させたかったのか、茜がいち早く口を開いた。
旭山動物園は茜が希望した場所だ。動物好きな茜らしい、と浩介は思った。
「2日目は?」
「旭川から富良野に行ってラベンダー畑、夜には札幌よ。最終日は小樽に行って夕方には新千歳まで戻ってくるわ」
「さすがおねーちゃん!暗記してるの?」
「暗記っていうか、みんなで決めたじゃない」
「とりあえず、いくら丼は絶対食べたいな」
「昨日はジンギスカンって言ってなかった?」
「うん!ジンギスカンも絶対食べる」
「蟹は?」
「もちろん!!えへへ、楓はおいしい物食べられればそれでいいや」
「もう、滅多に来れないんだからちゃんと観光もするのよ?」
「はーい」
「はははっ楓は昔から食いしん坊だったもんなぁ」
二人の話を聞いていた浩介は、思わず笑った。
「失礼だなぁ。楓はよく食べるけど、スタイル最高に良いよ?ボン・キュッ・ボンってやつ?」
「へぇ・・・」
浩介は「見た目は細いのにそうなのか?」と言いかけたが、後部座席に座っている人の事を考え、軽く流す事にした。
茜は女性としては背も高く、スレンダーでスタイルは良いと言えるのだが、やはり比較的一つ目のボンの部分が小さいからだ。

「・・・懐かしい言葉ね。最近聞かないわ」
「・・・ははは、そうだな。でも函館も行きたかったなぁ」
やはり少し不機嫌そうな茜に気を使い、浩介は話題を変える事にした。
函館は日程的に回りきる事ができなさそうだったので、断念した場所だった。
「あっ楓、オルゴール館は行きたかったなぁ」
「あぁ確かに雰囲気良さそうだなあそこは」
「でしょ?オルゴールの奏でる音色がちょ~ロマンティック!!あっこの前友達がね・・・」
茜は今時の女子高生らしい言葉遣いで、オルゴールの音色の良さからいつの間にか友達の恋愛話を熱弁した。
茜と容姿がそっくりなため、とても違和感があるな、と浩介は思った。
そして、美佐と楓を会わせたらとてつもなく五月蠅くなりそうだ、と苦笑いした。

「あ~なんか話してたら本当に行きたくなってきちゃった。どうしても無理なんだっけ?函館」
「う~ん・・ちょっと無理だなぁ。削るとしたら今日のあさひや・・」

「動物園は駄目よ?」

「・・・また今度な」
「・・・うん」
茜の一言で、気持ちが盛り上がっていた浩介と楓は、一瞬で黙らざるを得なくなった。
本気で怒りそうな茜の気配を、しばらく離れていてもしっかりと覚えていた楓に感謝をしつつ、浩介は運転に集中した。


251 『きっと、壊れてる』第8話(4/8) sage 2010/10/02(土) 17:58:54 ID:SZbvIUdd
旭山動物園は行動展示と言われる、動物の生活や習性を来園者に見せる展示方法をいち早く取り入れ、有名になった動物園だ。
近年では北海道の代表的な観光地として、海外からも数多くの観光客が訪れているらしい。
浩介達は受付で入園チケットを購入し、園内に入った。

近年、北海道といえど夏場は30度を超える日もめずらしくなく、この日は最高気温32度の予報だった。
ふと、浩介は楓の格好が目に入った。
いかにも夏らしいTシャツにホットパンツ姿の楓は、健康的な美を振り撒いていて、
可愛らしいとは思った浩介だったが、ここは楓の貞操観念の欠落を危惧して、
注意しておかなければいけないと思っていたところだった。

「しかし・・・楓、その格好もう少しなんとかならなかったのか?」
「え?変?」
「茜、足出し過ぎじゃないのか?これ」
浩介は茜に同意を求めようと話を振った。
「兄さん、今の若い子はこれが普通よ」
そう言った茜は、どこかのお嬢様のようなゆったりとした白いワンピースに、黒い日傘を差している。
茜は昔から、ゆったり目のロングワンピースのような服を好み、色も地味な物が多い。
茜と楓で比較すると、どうしても浩介には楓の格好が、露出し過ぎているように感じてしまっていた。
「そうだよ。お兄ちゃんオヤジくさい」
「オヤ・・・」
女性陣に反論され、浩介は何も言い返せなった。
もう自分の世代と考え方が違うのだ、そう割り切る事にした。

「ねぇ、どこから回るの?」
3人は、動物の絵が描かれている入口近くの園内地図の前まで来た。

「白熊よ」

茜は地図をチラッと見ると、スタスタと浩介と楓を置き去りにするかのような勢いで、歩き始めた。
どうやら、最初から回る順番は決めていて、場所を確認したかっただけらしい。
茜の歩くスピードに唖然とした浩介は、隣でヤレヤレといった表情で立っていた楓に向けて口を開いた。
「・・・なぁ、アイツはここまで動物好きだったのか?」
「えぇ!?やだお兄ちゃん、知らなかったの!? 昔なんて週末になると、しょっちゅう一人で動物園行ってたんだから」
「一人で!?」
博物館や美術館、それに映画館やカラオケは、一人で行く人間の存在を知っていたが、
動物園は聞いた事がないな、と浩介は思った。

「うん。あぁお兄ちゃん週末も部活でいつも遅かったから、知らなくても無理ないかも。お姉ちゃん夕飯までには帰ってくるし」
「そうだったのか」
「それでね、帰りにはブサイクな動物のぬいぐるみ買ってくるの、必ず」
「なるほど、その為にバイトしてたんだな」
楓の話を聞いた浩介は、茜が高校の頃コンビニで週に1度か2度アルバイトしていた事を思い出した。
そして、『いつもどこで買ってくるんだ』と思っていた茜の部屋に置いてある、
ぬいぐるみ達の出身地がようやく判明した事に、不思議な達成感を感じた。

「言われてみればそうかもね。お姉ちゃん、自分の物は極力自分で買ってたみたいだから」
「でも当時は焦ったよ、茜が接客業やるって言い出すから」
「確かに。でも高校生のバイトって接客業ぐらいしかないしねぇ。ちゃんとできてたのかな」
「一度心配で見に行った事があるんだけど、一応形にはなってたぞ。営業スマイルはなかったけど」
浩介はコンビニのレジを無表情でこなしている茜の姿を思い出し、楓に気付かれないように微笑んだ。

「・・・」
浩介は楓が何か思いつめた顔をしている事に気付いた。
「楓?」
「・・ん?あぁちょっと思い出しちゃって!昔の事」
楓はそう言うと、浩介の腕に突然手を絡ませてきた。
フワッと楓の香りが浩介の無防備な鼻に届く。
茜と同じ香り。
浩介はその懐かしい香りに、嫌気が差した。
もう自分の心は決まっているのに、この香りを嗅ぐと決意が弱まる気がしたからだった。


252 『きっと、壊れてる』第8話(5/8) sage 2010/10/02(土) 17:59:28 ID:SZbvIUdd
「お、おい・・・どうした?」
なんとなく・・もうこれからは素直に甘える事が出来なくなるかもしれないから」
「??・・・別に大人になろうが、一緒に住んでなかろうが楓は俺の妹だろ?」
「それはそうだけどね。女の子には色々あるのよ。おねーちゃんにもよく言われない?」
「そういえば、何回か言われた事があるな。・・・とりあえず恥ずかしいから離してくれよ」
「やだ~」
楓は腕を組んだまま、浩介を引きずるように歩きだした。
「おいっ楓」
浩介が楓を説得しようとすると、注意された反抗期の中学生のような顔をした楓が浩介に振り返った。

「いいじゃん、兄妹なんだし」
「兄妹だから恥ずかしいんだよ」

浩介の本心、それは『茜に見られたくない』だった。
もう普通の兄妹を築こうとしている最中なのに、「それはおかしい」と諭されるかもしれない。
それでも浩介は、美佐と腕を組んでいる姿すらも、できれば見せたくなかった。
まだ完全にフッきれていないのだな、と浩介はお腹の中がまだ消化し切れていないような気分になった。

「だめ~。白熊の所に着いたら解放してあげるから!」
しかし、浩介の意向は無視するかのように、楓は腕を離さなかった。
そこまで、浩介と腕を組みたいのだろうか、楓の顔は真剣だ。

不意にある想像が浩介の頭の中を走った。
急に二人の兄妹がいなくなり、これまでの数年間楓は寂しかったのかもしれない。
そう考えると、ここで断るのも不毛に終わりそうな気がしてくる。楓はおそらく甘えたいだけだ。

浩介は抵抗する力を弱めると、楓の頭を撫でた。
「えっ!?何?」
「・・・何でも。じゃあ熊の所までな」

浩介の急な心変わりに驚いたのか、楓は真面目な顔を崩さず、何かを考えている。
こうして真剣な顔をしていると、本当に茜とソックリだ、と浩介は思った。
浩介は楓を見ながら、後ろを振り向きもしないで、白熊の所へ急いで歩いている人物の事を考えた。
「・・うん!!じゃあ白熊までね!!」
楓は最後には嬉しそうな表情を見せ、浩介の腕に改めて抱きついた。
意外に力が強く、抱き枕にでもするかのように、きつく浩介の腕を抱いている。

車中で楓が言っていた事は本当かもしれないと浩介は思った。
浩介の腕に当たる女性特有の柔らかさは、茜や美佐よりも確実に勝っていた。

何くだらない事を考えているだ俺は。

浩介は雑念を振り払うかのように、歩きだした。
遠く前方を歩く茜を見る。様子は変わっていない。

周りを見渡す。やはり家族連れが多く、皆楽しそうに園内を歩いている。
自分達3人も、傍から見ればただの仲の良い家族に見えているだろうか、と浩介は思った。

そうでなくてはいけない。

浩介は密着して隣で楽しそうに歩く楓を見た。何も欲情は湧かない。
それは茜の異質さの再確認だった。

もう終わった事だ。考えるのはやめよう。

浩介は歩く速度を速めた。
茜に気付かれてしまったとしても、何も困る事などない、それが普通なんだ。

途中で楓に文句を言われるまで、浩介は、歩幅を大きくして歩いた。
結局、白熊のエリアに着くまで、茜がこちらを振り返る事はなかった。


253 『きっと、壊れてる』第8話(6/8) sage 2010/10/02(土) 17:59:57 ID:SZbvIUdd
夕方になり、予約していた宿に到着した。
航空会社が経営している、市内でも比較的大きいホテルだ。
3人はフロントで受付を済ますと、エレベーターに乗り込んだ。
途中一緒に乗っていた中年の男性が降り、エレベーターの中が浩介達だけになると、
楓がガラス張りになっている後面に走った。
おそらく外が見渡せるようにガラス張りに設計されたのだろう。旭川の街並みが夕日と重なって美しく映っていた。

「すごいよ、おねーちゃん!見て!ちょ~綺麗!!」
「高い所は苦手」
楓が茜の手を引っ張ろうとすると、茜は逃げるように浩介の陰に隠れた。

「そうなのか?茜、高所恐怖症だったんだな」
浩介は意外そうに後ろを少し振り返り、茜の顔を見た。
割と真剣な顔をして、隠れている茜は本当に高い所が苦手なようだ。

「だって・・・落ちたらどうするのよ」
仕方ないじゃない、といった顔で口を尖らせる茜を見て、浩介は茜の数少ない弱点を発見した気がして微笑ましくなった。

「おねーちゃん、たまにボケるよねぇ」
「でも子供の頃は平気だったよな?」
これは間違いないだろうと浩介は思った。
遊園地で、高い所に上るアトラクションに乗っていたのを覚えていたからだ。

「そうね、鳥に憧れた時期もあったわ」

茜は旅行を満喫して気分が良いのか、めずらしく冗談を織り交ぜ、浩介の問いかけに答えた。

廊下を渡り自分達の部屋に入ると、値段の割に広々とした光景が目に入った。
シングルベッドが3つ並んでいる。
浩介の本音では、また茜を意識してしまうかもしれない自分が恐ろしく、できれば別々の部屋が良かった。
しかし楓がもし『何も知らなかった』場合、なぜ兄妹なのに別室にするのか、と不振に思いそうなので同室にしたのだ。

「楓は窓側~」
楓は入り口から一番遠いベッドまで小走りで駆け寄り、体を投げ出し大の字に寝転んだ。
「茜は?」
「私はどちらでもいいけど・・お金を出した人が真ん中に寝れば?」
そう言うと、茜は一番手前のベッドに腰掛け、荷物を整理し始めた。

茜の機嫌は特に悪くはなさそうだった。
昼間、楓と腕を組んで後ろを歩いていた時、いつ茜が振り向き、その視線が腕に向くのか、
浩介は実質脅えていたが、結局茜は白熊に夢中で気付かなかったようだ。

「ねぇお風呂行こうよ。汗かいちゃった」
いつの間にか起き上がっていた楓は入浴の支度をしていた。
旅行用のシャンプーやトリートメントが入っている小さなポーチを取り出し、同意を求めるかのように茜を見た。
「そうね、夕食までまだ少しあるし。兄さんはどうする?」
「俺はもう少ししたら行くよ。どうせ風呂は男の方が早いしな」
浩介は携帯電話を取り出すと、メールの作成画面を開いた。
美佐に連絡を取るためだった。

「そう、じゃあ楓、先に頂いてましょう」
「ねぇ、おねーちゃん。なんでお風呂も『頂く』って言うの?」
「ご馳走だからよ」
姉妹は他愛もない話をしながら、部屋を出ていった。
浩介はベッドに寝転がり、メールの文を考える。

う~ん、なんて書けばいいんだ。美佐はまだ仕事中だろうし・・。

浩介は普段あまり使わないメールの文章に悪戦苦闘したが、結局『お土産は何がいい?』という一文を送信する事にした。
3分と待たず帰ってきたメールの文章は『スイカ熊が欲しい』という、浩介には理解できない謎の文章だった。


254 『きっと、壊れてる』第8話(7/8) sage 2010/10/02(土) 18:00:46 ID:SZbvIUdd
茜と楓が風呂に行ってから約1時間後、浩介は窓の外の旭川の街並みを眺めていた。
茜と楓が部屋を出てから10分後、浩介も大浴場に向かった。
部屋のキーの事もあり、あまり長湯はしているつもりはなかったが、
久しぶりに広い風呂に直面した浩介は、普段よりはゆっくり浸かったつもりだった。
それでも茜達よりかは出てくるのが早かったようで、安心していたところだ。

コンッコンッ

控えめなドアを叩く音に気付き、浩介がドアを開けると、そこには茜がいた。
まだ遠目から見ると楓との判別は付けにくかったが、この距離なら間違える事はない。

「遅かったな、あれ?茜だけか?」
少し身を乗り出して廊下を見ても、楓の姿はなかった。

「えぇ、ゲームをやってから戻るって」

茜は湯上り姿で、顔には赤みがさしており、濡れた髪からは普段よりも強く茜の香りがする。
スレンダーの身体に浴衣もよく映えていて、浩介は直視できずに目を背けた。
「ゲーム?」
「ほら、大浴場の近くに小さいゲームセンターみたいなのがあったじゃない」
「子供か・・あいつは」
楓は少し幼いような気がする。高校3年ならもう少し背伸びしようとしていてもいいのでは、と浩介は少し心配になった。

「フフッ体は成長したのにね」
茜はそう言いながら微笑むと、部屋の中に入り、自分のベッドに腰掛けた。
姉としては放っておいても大丈夫だと考えているのか、
確かにそこまで深刻な話でもないか、と浩介は深く考えない事にした。

「しかし・・良い所だな北海道は。食べ物もうまいし、なにより空気が綺麗だ」
浩介は窓の外を見ながら、ガラス越しに茜に語りかけた。
空は、そろそろ夜の帳が下りそうだった。

「えぇ、良い所。欲を言えば飛行機は避けたかったのだけど」
「??高所恐怖症は飛行機も怖いものなのか?」
素朴な疑問。
飛行機嫌いな人は聞いた事があったが、高所恐怖症とは結びつくものなのか、浩介にはよくわからなかった。
「えぇ、そうね。とても怖いわ」
「そっか、悪かったな。でも行く前に言ってくれれば良かったのに」
「ううん、気にしないで。今回は楓が主役だから」
「あぁ、そうだな」

10分程度経っただろうか、茜と二人で静かな時間を過ごした。
最近は楓が居候しているので、久しぶりの静寂。
浩介にとって、長年変わらないこの茜と二人きりの静かな時間は、とても居心地が良かった。

ふと、浩介は文庫本を読んでいる茜に視線を移した。
透明なビンに入った白い液体を飲もうとしている。

「牛乳?」
「えぇ、さっき買ったのよ。お風呂出た所にあったでしょ?売店」
茜はそう言うと、コクコクと喉を鳴らし、ビンの約3分の1程の牛乳を飲み干した。
「なんでまた」
浩介は茜が牛乳を飲んでいる姿など見るのは、小学校の時以来だった。
嫌いなわけではないだろうが、買ってまで飲む物でもない。

「・・・もう少し、グラマラスになろうかと思って」
「?」


255 『きっと、壊れてる』第8話(8/8) sage 2010/10/02(土) 18:01:18 ID:SZbvIUdd
「兄さんは、大きい方が好きみたいだから」

浩介は、自分の見通しの甘さに愕然とするしかなかった。
車中でこの話が出た時は、何も反応をしなかった自信があるし、実際に心の中でも何とも思っていなかった。
茜は、動物園で浩介が一瞬だけ見せた、隙ある心理状態の事を皮肉っていた。

気付いていた。
自分の後ろで楓と浩介が腕を組んで歩いていた事を。
しかし、それだけなら、歩く茜の前にガラスなどの反射する物があれば確認する事も不可能ではない。

浩介が一番驚いた事。それは茜の洞察力と注意力。
気付いていた。
浩介が、一瞬だけ楓と茜の身体を比較し、男性特有の感情を出した事を。

茜はベッドから立ちあがり、浩介の目の前まで来た。
浩介の頬に掌をそっと添えると、何かを確認するように浩介の目をじっと見つめた。

「フフッ冗談よ。そんなに脅えた顔しないで?」
そして、愛おしそうにゆっくりと頬を撫で、この世の物とは思えないほど美麗な微笑みを浮かべた。
浩介は何も言えず、ただ立ち竦んでいただけだった。

茜はしばらく浩介の頬を撫でると、「牛乳だけで成果が上がるなら苦労しないわ」と呟き、寝る準備に戻っていった。
楓が部屋に戻ってきた後も、浩介は茫然としていた。
無理もないかもしれない。
浩介は考えてもみていなかった事だ。
しかし、茜の言動、なにより先程の目や仕草を加味すると、疑わざるを得なかった。

茜はまだ浩介を一人の男として認識している。

二人が兄妹に戻った日から、まだひと月経つか経たないかだ。
茜も割り切れていないだけだろうか。浩介はその可能性は低いと思った。
先程の目、茜の切れ長で作り物のように壮麗な目。
それは深く深く黒かった。
絶対的な自信。
それがあの目には宿っていた。

ベッドの中で浩介はふと、この間行った鎌倉での出来事を思い出した。

美佐もだった。
美佐もあの時、浩介の頬を愛おしそうに撫で、微笑みを浮かべていた。
茜も昔からやっている動作だ。

二人とも、同じ仕草で同じように微笑み、同じように浩介を愛でる。

根拠はない。
ただ、浩介は『宿命』と『運命』の存在を信じた。

第9話へ続く

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最終更新:2010年10月04日 01:03
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