幸せな2人の話 11

86 幸せな2人の話 11 sage 2010/11/12(金) 22:37:43 ID:jRqH3irF
かちゃかちゃ、ぶくぶく。
私と姉さんは二人でお皿を洗っていた。
お兄ちゃんは夕食に帰ってこなかった。
さっき電話があった、先生の指導が終わらないから先に食べていてくれって。
あれ、お兄ちゃんってそんなに絵に熱心だったっけ?
そういえば、いつもどんな物を書いていたのだろう?
姉さんに聞けば全部分かると思う。
でも、姉さんにお兄ちゃんの事を聞くのが何となく躊躇われる。
私だって恋人なのに……。
「ねえ、シルフちゃん?」
声を掛けあぐねている私に姉さんが声を掛けた。
「さっき兄さんから教えてもらったんだけど、
 シルフちゃんは兄さんと結婚するって約束をしたんだよね?」
姉さんが洗い物の手を休める。
「うん」
私は姉さんに顔を向けられなかったから、お皿を洗うふりをしながら答えた。
「どこで、兄さんは何て言ってたのか教えてくれるかな?」
「昔、私が家出をした劇場で、
 私が必要だって、愛しているって言ってくれた」
「ふふ、良い場所で、良い告白。
 あの兄さんにしては合格かな?
 良かったわ、ずっとシルフちゃんが大事にしてた想いが叶ったんだね」
「うん。私の気持ち、叶ったよ」
「本当に良かったわ。
 兄さんは鈍感だけど優しい人だから、
 シルフちゃんを幸せにしてくれるはずだよ」
「ありがとう、姉さん」


87 幸せな2人の話 11 sage 2010/11/12(金) 22:38:25 ID:jRqH3irF
「ふふ、姉さんもとっても嬉しいな。
 でも、ちょっとだけ寂しいかもね。
 これで私も兄さんにとって要らない女の子になるもの」
姉さんがポツリと呟いた。
私のお皿を洗う手が止る、慌てて姉さんへ振り向く。
要らない、私が一番よく聞いた、一番嫌いな言葉。
「姉さん、今、要らないって……?」
「うん、もう雪風お姉ちゃんは要らないね、って言ったんだよ」
姉さんは当たり前のように言った。
「要らなくなんて無い。
 姉さんはお兄ちゃんに絶対に必要な人だもの」
「ありがとう、シルフちゃんは優しい子だね。
 でも、兄さんにはもうシルフちゃんが居るでしょ?」
「私が居ても、姉さんはお兄ちゃんにとっては大事な人だよ」
「ん~、どうかな~、兄さんってね不器用だから大切な物って幾つも持てないの。
 多分、本当は一つ何かを大事にするのでやっとなんじゃないかな?
 その大事な何かを見つけたら、後は何も目に入らない。
 他の物はみんなどうでも良い何か、それが兄さんなんだよ」
「そんな事無いよ。
 昔からお兄ちゃんは皆に優しかったよ」
「そうだね、どんな人にだって優しかったね。
 でも、誰にだって優しいって言うのは、
 誰も特別じゃないっていう事だと思わないかな?
 ずっと兄さんはそうだったわ。
 それに、これからもそうであり続けるって本当は少し期待してた」
優しいけれど、寂しそうな目で姉さんは私を見つめる。
「でも、兄さんはシルフちゃんに夢中なんだよ?
 シルフちゃんだけを特別に思って、シルフちゃんだけの為に努力する。
 そうね、今の兄さんはシルフちゃんだけを愛しているわ。
 お姉ちゃんのお墨付きだよ?」



88 幸せな2人の話 11 sage 2010/11/12(金) 22:38:46 ID:jRqH3irF
くすり、と姉さんが笑う。
その様子はまるで自分自身を馬鹿にしているように見えた。
「くす、そういう兄さんを見ていると嫌でも分かっちゃうのよ。
 私の兄さんは遠くなっちゃたんだなって。
 もう、雪風よりも大切なものができちゃったんだな、って」 
「だったら、どうして私なんかをお兄ちゃんの恋人にさせようとしたの?」
そう、もしもあの時姉さんが背中を押してくれなかったら、
私たちはずっと兄妹のままだった筈なのに。
「ふふ、私にとって兄さんも、シルフちゃんも大切な存在だから。
 その大切な二人が両想いになれるって分かったからだよ。
 それに、いつか知らない誰かに兄さんを取られるよりは、
 シルフちゃんと結ばれた方がずっと良いって思ったの。
 でも、こういうのって覚悟していた以上に辛いんだね」
姉さんが苦笑した。
けれど、いつものふわふわとした暖かさは無い。
ただ寂しさを誤魔化すだけだっていうのが分かる、そういう笑いだ。
「姉さんは、お兄ちゃんの事をどう思っているの?
 それにお兄ちゃんの事で、……怒ってるの?」
姉さんの顔が強張る。
じっと私の顔を見つめる、ううん、睨み付けているんだと思う。
「シルフちゃん、お願いだから覚えておいてね。
 私はどんな形でも兄さんと一緒にいたいと思っているわ。
 例え、唯の妹としてであっても」
そう告げる姉さんの目には明らかな敵意が込められている。
「……シルフちゃんの質問は私の大事な物を壊すかもしれないよ?
 それでも、どうしても聞きたいのかな?」 
いくら私にだって、その意味は分かる。
私の居場所を奪うな、という警告。


89 幸せな2人の話 11 sage 2010/11/12(金) 22:39:45 ID:jRqH3irF
「ううん、聞きたくないわ。
 私が知る必要なんて無いよね。
 忘れて、姉さん」
「うん、忘れようね。
 それから、怒ってなんていないから安心して良いよ。
 だって、大好きな兄さんの為だから」
姉さんはいつもの優しい顔に戻る。
そんな姉さんを見て胸が抉られるような思いがした。
姉さんはお兄ちゃんに対して私と同じ想いを抱いている。
だから、私が幸せになったら姉さんは幸せになれない。
ううん、例え私がいなくても姉さんの願いは叶わない。
それはとても辛い事だと思う。
そんな辛い中で姉さんはいつも今みたいに明るく笑ってて、
私やお兄ちゃんを見守っていてくれた。
でも、私は自分の事しか考える事しか出来なくて、
姉さんのそんな気持ちになんて全然気付いていなかった。
「……ごめんなさい」
「どうしてシルフちゃんが謝るの?」
「私は、私だけ幸せになって、
 姉さんの気持ちなんて考えた事も無かったのに」
姉さんがそっと私の頬に右手を当ててくれた。
「そんなの、シルフちゃんが気に病む事じゃないわ。
 シルフちゃんはずっと辛くて、寂しい思いをしてきたんだよね。
 何度も何度も傷ついて、落ち着けるただ一つの場所をやっと見つけられたんだよ。
 そんなシルフちゃんがどうして謝らないといけないのかな?
 もし、シルフちゃんが幸せになるのがいけない、
 なんて言う人が居たらお姉ちゃんは許さないわ。
 だから、絶対にそんな事考えちゃ駄目だよ?」
姉さんの真剣な目線が私に向けられる。
「ごめんなさい」
「もう~、だから謝っちゃだめだよ~」
姉さんが手を離し、その手を自分の口元に移し、困ったようにくすくすと笑った。
私は思う、やっぱり姉さんは優しい人だって。
私なんかじゃ、違う、例えどんな人だって足元にすら及ばない。
なのに血が繋がっているから、
ただそれだけの理由でお兄ちゃんとは結ばれない。




90 幸せな2人の話 11 sage 2010/11/12(金) 22:40:19 ID:jRqH3irF
もし、姉さんが私と同じ養子だったら、お兄ちゃんはそれでも私を選んでくれたのかな?
そんな事はありえない。
もし姉さんの血が繋がってなかったら絶対にお兄ちゃんは姉さんを選ぶ。
そして、私と居るよりももっと幸せになれる。
その光景は簡単に浮かぶ。
悲しいけど、私とお兄ちゃんが愛し合う姿なんかよりもずっと自然。
私みたいな要らない子が居る場所なんて絶対に無い。
だから、入り込む余地も無い私が幸せな二人の姿を見ながら、
唯の家族として無理に笑っている自分の姿も簡単に想像できる。
きっと、寂しさと、悲しさと、醜い嫉妬で胸をいっぱいにしながら。
今の姉さんよりももっと下手な笑顔で。
「でも、一つだけ教えて欲しいんだけど良いかな?」
今の私が姉さんの為にできる事ならどんな事でもしたい。
だから、どんな事でも正直に答えよう。
「うん、言って」
私は力を込めて応えた。
「兄さんは、どうしてシルフちゃんだけを愛しているの?」
か細い声で姉さんはそう言った。
「え?」
頭が真っ白になった。
それは全く予想外の質問だったから。
姉さんの言っている事の意味が分かるのに、意味が分からない。
どうして、今までお兄ちゃんに愛されるのが嬉しすぎて、
そんな単純な事をずっと忘れていた。
「あ、え、どうして?、え?」
「ごめんね、別にシルフちゃんを困らせたいわけじゃないんだよ……。
 ただ、私は誰よりも兄さんを知っていて、
 誰よりも兄さんに尽くせるって思ってきたの。
 さっきはあんな風に格好を付けて言ったけど、
 どうしてシルフちゃんじゃないと駄目なのかな?
 どうして兄さんは私の事が要らないのかなって、本当は分からなくて……。
 要らなくなっちゃたら、私は兄さんの側に居られなくなっちゃうの?」
姉さんが不安を振り払おうとするように喋る。
口調だけは軽くしようとするから、余計に悲しげになる。
嫌だ、こんな姉さんなんて見たくない。




91 幸せな2人の話 11 sage 2010/11/12(金) 22:41:23 ID:jRqH3irF
「お姉ちゃんは見捨てられるのかな?
 あはは、本当にただの妹になっちゃうのかな?」
「違うわ、お兄ちゃんはそんな人じゃないよ」
「うん、シルフちゃんにとってはそんな人じゃないけど……」
「お兄ちゃんはそんなひどい事、姉さんにだって、絶対にしない」
「ふふ、そうだよね。
 シルフちゃんの兄さんはそんな人じゃないよね」
姉さんは何かを諦めたように一瞬、儚げな表情になった。
「……それでも私は兄さんの側にずっと居たいな。
 邪魔かもしれないけど、兄さんとシルフちゃんの側に居てもいいかな?
 居るだけで良いの、それ以上は何も望まないから」
姉さんが縋るような目で私を見つめる。
全然姿は違うのに、その寂しい目が、声が、
まるで過去の私自身が語りかけているように錯覚する。
「ね、姉さんは要らなくなんて無い。
 私にも、……お兄ちゃんにだって必要な、大切な人だよ。
 だから、ずっとお兄ちゃんの側に居て、お願い」
それは姉さんを思い遣る気持ちだけから出た訳じゃない。
姉さんを見捨てる、そんな事をするお兄ちゃんを考えるのが怖かった。
だって、姉さんを捨てられるなら……、
「ありがとう、シルフちゃんは本当に良い子だね。
 お姉ちゃん、大好きだよ」
姉さんは泣きそうな顔で笑っていた。
私は洗いかけのお皿を急いで水で濯いで、台所を逃げるように去った。
もう姉さんの側に居るのに耐えられなかった。




92 幸せな2人の話 11 sage 2010/11/12(金) 22:41:58 ID:jRqH3irF
部屋の扉を慌てて閉める。
ばさっ、と大きく音を立てて私はベッドに倒れこんだ。
さっき姉さんと話してから、気分が悪い。
「姉さんが、要らない」
そんなはずは無い、姉さんは私より綺麗だ、
私より料理が上手い、私よりも頭だっていい。
そして、誰よりもお兄ちゃんの事を知っている。
でも、その姉さんが言ったんだ、姉さんはもうお兄ちゃんには必要ないって。
姉さんが必要ないなら、どうして私なんかがお兄ちゃんに必要なの?
私なんかを愛してくれるの?
分からない、姉さんも分からないって言っていた。
お兄ちゃんは私に何を望んでいるのか分からない。


じゃあ、私もいつか分からないままにお兄ちゃんに見捨てられる時が来るの?
姉さんみたいに?


もしも、あくまでもしもの話。
お兄ちゃんにとって私が要らなくなってしまったら、私よりも大切なものが出来たら。
私を見捨てたら。
違う、お兄ちゃんは絶対にそんな事しない!!


93 幸せな2人の話 11 sage 2010/11/12(金) 22:43:21 ID:jRqH3irF
けれど、もし私がお兄ちゃんにとって一番大事な存在でなくなってしまったら?。
その姿が嫌なのに頭の中に湧き上がる。
泣きそうな笑顔を作る私の姿がさっきの姉さんと重なった。
でも、私は、姉さんじゃない。
姉さんみたいにお兄ちゃんのことが分からない。
だから、必要なくなったら、もう妹としてだって居られなくなる。
あの何回も体験した大切な人がいなくなる感覚が虫のように体を這いずる。
その度にぞくりとする。
そんなの嫌だ、こんなにお兄ちゃんの近くに居られるのに。
またお兄ちゃんが遠ざかるなんて、そんなの嫌だ。

お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん。

心の中でお兄ちゃんを呼ぶ声が止まらない。
帰ってきたお兄ちゃんがいつもみたいにぎゅってしてくれる。
そうしたらもう怖くなんてないんだ。
私はただその事だけを考え続ける。
早くお兄ちゃんに帰ってきて欲しい。
ベッドの上で丸まりながら、私はそれだけを願っていた。

それなのに、お兄ちゃんはいつまでも帰ってきてくれなかった。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年11月15日 20:53
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。