60 :
Rescue me ◆hA93AQ5l82 :2011/06/07(火) 22:33:59.12 ID:7ZIFzAzD
5話 夏炉冬扇
運に限りがあるならば、僕の運はそろそろ尽きているのだと思う。
まさか選考を突破するとは。尊は喜んでいるけど、僕は頭が痛かった。
とりあえず、スレにイベント参加確定と書き込み、その日はパソコンを閉じた。
さて、イベントは一週間後、二月の初端。
後期テストが終わってすぐというのは、やはり辛い。
尊は本を千部刷ろうと言っているけど、それは無謀だ。
初めてなんだから五十部ぐらいがちょうどいいのだ。
その方があくせくしなくていいし、なにより売れ残った時に持って帰るのが楽だ。
当日は座りながら緩やかに回して、元が取れればいいな、
などと考えながら、イベント当日を迎えた。
しかしその肝心の同人イベントは、僅か一時間で終了してしまった。
少なめに刷ったオフセット本が、完売してしまったからだ。
正直、五十部でも多いと思ってたのに、これほどとは。
お陰で売り切れ後にやって来たお客に、
なぜもっと刷らなかった、と怒られてしまった。
家に帰ってきてからスレを確認したら、同じ様な事が書き込まれていた。
これって、僕が悪いのだろうか。なんか納得がいかない。
「佑、次こそは千部で行くからな」
「調子に乗るな。次は二百部ぐらいでいいんだよ」
「佑のケチ」
「愚痴を言ってる暇があったら新しいのを考えろ」
「ケチ」
「うるさい」
次は三月のイベントか。これも通ったら、笑うしかないな、本当。
「佑、それはフラグだぜ」
「人の心を読むの、止めてくれないかな、尊」
61 :Rescue me ◆hA93AQ5l82 :2011/06/07(火) 22:34:30.06 ID:7ZIFzAzD
三月のイベントには、尊の予想通り参加する事になった。
その時の事は日記に書いてあるので、詳しく説明する必要もないけれど、
短くまとめれば、出し惜しみするな、もっと刷れ、である。
それはともかく、春休みが終わり、新学期が始まった。僕と尊は二年に進級して、
姉は教養課程から専門学部に進級し、これで姉と授業でかち合う事もなくなった。
やっと健やかな大学生活を送る事が出来そうである。
家では夏コミに向けての原稿執筆で忙しいけれど、
それも生活に張りがあると実感できる瞬間だ。
まぁ、今は久し振りの授業に身を入れよう。前期テストはすぐなのだし。
僕は先生の授業に耳を傾けた。
同人誌が完成し、あとは結果が来るのを待つだけとなった。
その間、あまりにも暇なので、フィギュアを作る事にした。
唐突に思えるかもしれないけれど、これにはそれなりの理由があった。
色々なサイトを巡回していて、アマチュアの造形師の作ったフィギュアが、
オークションでかなりの高額で落札された、という記事を見かけたのだ。
値段の高低には、作り手の技術力が反映されているのは当然の事だ。
そう考えると、頭に電流が走った。
デザイン造形の本を読んで実践をしていた僕にとって、
自分の作ったフィギュアが、どれだけの価値で売買されるのか、
今の実力を知るにはいい機会だと思ったからだ。
早速材料を買い集め、作業を始めた。
作るのは今描いている漫画のヒロイン。
戦闘服の皺や武器の汚れなどの細部から、躍動感と肉感の両立に力を入れた結果、
完成に二ヶ月も費やす事になった。
アルバイトを仮病で欠勤してまで作り込んだそれは、尊曰く、本物みたい、らしい。
その尊の言葉通り、フィギュアはなんと三十万円で落札された。
嫌な仕事をしてお金を稼ぐ事が馬鹿らしいと思える程の落札値だった。
「尊、アルバイト止めようと思うんだけど、いいかな」
「佑の好きな様にすればいいさ」
その日を境に、僕はアルバイトを止め、フィギュア作りに専念する事にした。
新たなフィギュアを作り始めてから数日、一通の色付封筒が送られてきた。
それは夏コミ当選を知らせる物だった。
サイト立ち上げから約四ヶ月、初めての夏コミ参加と相成ったという訳である。
62 :Rescue me ◆hA93AQ5l82 :2011/06/07(火) 22:35:03.46 ID:7ZIFzAzD
夏休み中は怒涛のイベントラッシュで、流石に疲れてしまった。
夏コミ以外のイベントにも、新刊を描いて参加したので、
僕も尊も、口も動かせなくなるほど、気力を使い果たしてしまった。
そうなるまで頑張った分、得られた物も大きかった。
尊は、このまま商業出版を目指す、などと豪語していた。
その時は窘めたけれど、正直なところ、
尊と一緒ならどこまでも行けそうだ、と思っている自分もいた。
なんか、怖い。頭の中にあったロボットを作っている自分や、
本に囲まれて論文を書いている自分の像がぼやけ、漫画やフィギュアなど、
サブカルチャー方面で活躍している自分の像が明確になってきている。
これが、変わるという事か。そんな事を思いながら、僕は目を瞑った。
夏休みが明け、後期授業が始まった。
正直、授業よりも冬コミの準備に力を入れたいけれど、大学の方も疎かに出来ない。
二年の後期授業という事もあり、内容も複雑な物になっている。
今までのような騙し騙しの勉強では限界が来てしまう。
そこで僕と尊は、毎週授業が終わり次第、図書館で二時間の自習をする事にした。
自習、と言っても、尊はあまり乗り気ではなかったけど。
「尊、プログラミングの本なんて読んでないで、ドイツ語の勉強しろよ」
「いやさ、これ結構面白いんだよ。これで簡単な奴から複雑なゲームも作れるし」
「今は勉強の方が大事だろ。明後日には小テストがあるんだから、
ちゃんとやっておかないと」
「そんな目を血走らせるほど難しい物じゃねーだろ。
佑だって、大して勉強しなくたって普通に高得点取ってたし、俺だってそうだし……」
「そうやってのんきに構えていると足を掬われるぞ」
「掬われるほど軟弱な鍛え方はしてないよ」
万事この調子である。これで本当に成績優秀学生なのだろうか。
「……そうかい、分かったよ。
じゃあこっちも遠慮なく本を読ませてもらうから。邪魔しないでくれよ」
「そうこなくっちゃ」
なんだか、馬鹿らしくなってきた。
真面目にやり続ける事自体が馬鹿らしいのかもしれない。
そんな事を考えながら、僕は本棚の間を行き来した。
本棚に目をやりながら歩いていたせいか、
目の前に人がいる事に気付けず、ぶつかってしまった。
「あぁ、すみませっ……」
息が止まってしまった。ぶつかった相手が、姉だったからだ。
淀みきった瞳が僕を見つめていた。
「ねっ……
姉さん、ごめ……えっ……」
慌てて立ち去ろうとすると、手を握られ、そのまま引っ張られた。
「ちょっ……、姉さん、どこに行くの!?」
呼び掛けも空しく、連れて行かれたのは男子トイレの一番奥だった。
63 :Rescue me ◆hA93AQ5l82 :2011/06/07(火) 22:35:36.10 ID:7ZIFzAzD
「ねぇ、佑ちゃん。どうして帰ってきてくれないのかな?
あんなにたくさんメールや電話をしたのに。無視したの?無視したの?
佑ちゃんがそんな事をする訳がないよね?なにかあったの?ねぇ、聞いてる?
もしかして、耳がおかしくなっちゃったの?
だから無視したの?ねぇ、ねぇ、ねぇ……」
鍵を閉められた密室の中、僕は姉に迫られていた。
両肩を強い力で握られ、逃げようにも逃げられない。
見つめる姉の淀んだ瞳が怖い。怖くて、歯の根が合わない。
僕は姉を見つめる事しか出来なかった。
「あぁ~、やっぱり駄目になっちゃったんだ。だから無視したんだね。
分かった。お姉ちゃんよ~く分かったよ」
口を半月の様に歪めて笑う姉が、ポケットからなにかを取り出した。
「そんな耳はもういらないよね。私がここで切除してあげるよ」
暗がりでもよく分かった。それは一本のメスだった。
まずい。このままじゃ、本当に耳を切り落とされてしまう。
僕は、恐怖で回らない舌を、ひたすら動かした。
「携帯を……、替え、た、時、番号も、全……部変えた、んだ。だから……」
「そうなんだ、じゃあなんで一番に私に報告しなかったの?
変更したんだったら、真っ先に私に伝えるのが当然でしょ?」
メスの動きが止まった。でも、これからどうすればいいのだろう。
下手な事を言ったら、耳から命に標的が変更してしまいそうで、迂闊にはしゃべれない。
だからといって黙っていたら、耳を切り落とされてしまうに決まっている。
どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば。
「姉さんから、自立したかったからなんだ!」
「えっ……」
気付いたら、自分でも訳の分からない事を口走っていた。
呆然とする姉を他所に、回り始めた舌はもう止まらなかった。
「変わりたかったんだ、僕は。僕はいつも姉さんに頼り切りで、
自立も出来ない子供だった。最初はそれでもいいと思ってたけど、
大学生になって、尊と出会ってから、このままじゃいけないと思い始めたんだ。
尊のルームシェアの話に乗って姉さんから離れたのも、
携帯を新しいのにした時に、あえて教えなかったのも、全部そのためだったんだ!」
よくこんな嘘っぱちが言えるものだと自分でも内心驚いた。
本当の理由は、どす黒すぎて、口に出したら穢れてしまいそうなぐらい酷い物なのに。
ちゃりん、という音が響いた。それはメスが落ちた音だった。
「……佑ちゃん、いつの間にかそんな事が考えられるようになっていたんだ。
……ごめんね、いつまでも子供扱いしちゃって」
抱き締められていた。メスを握っていた手がそのまま僕の頭に乗せられた。
髪を梳くような手付きで撫でられながら、これで耳は守れた、と僕は一安心した、
「でもね……」
けど、その安心を砕くような声が耳を貫いた。
腐った果実のむせるような甘ったるさと、
節足動物が背中を這い回るようなおぞましさを内包した声が、僕の脳を犯した。
「大人になる方法は、なにもそれだけじゃないの。例えば……」
姉に手を掴まれ、強引に導かれた。
「私のここ、濡れてるでしょ。ここに、あなたのおちんちんを入れるの。
そうしたら、あなたも立派な大人になれるのよ」
姉のそこはショーツの上からでも分かるくらい熱く、湿っていた。
「うっ……うあァああアアアァ!!!」
気が付いたら、僕は姉を突き飛ばし、トイレのドアもぶち破って逃げ出していた。
64 :Rescue me ◆hA93AQ5l82 :2011/06/07(火) 22:36:34.55 ID:7ZIFzAzD
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
訳が分からない意味が分からない理解できない。
図書館を飛び出し、尊の家に逃げ込んだ僕は、ひたすら手を洗っていた。
手に付いたヌルヌルは落ちたのに、その感触が全く消えない。
そのぬめりが、僕を括り付けようとする姉その物に思えてならない。
なんであのような事を姉が。僕と姉は血の繋がった実の姉弟のはずだ。
こんな事があっていいはずがない。
セックス、姉弟同士では近親相姦だ。
古来から近親相姦は、犬畜生にも劣る行為として忌み嫌われてきた物だ。
そんな事、天才である姉ならば百も承知のはずだ。
一体、姉はなにを考えているのか。天才じゃない僕に分かる訳がない。
「もう……、嫌だ……」
これ以上耐えられない我慢できない理性の限界だ。
「いっそ……んっ……」
呟きは、携帯の着信音に遮られた。尊からだった。
「佑、どこにいるんだ?なかなか帰ってこないから、図書館中を探したんだぞ」
「ごめん……。ちょっと用事があって、先に帰らせてもらったよ。
悪いけど、荷物を持ってきてくれないかな」
「それは別にいいけど……。……どうしたんだ、佑?元気がないぞ?」
「……ごめん……。……尊、しばらくの間、授業を休むって、
先生達に言っておいて欲しいんだけど、いいかな?」
「佑、本当にどうしたんだ?なにかあったのか?」
「大した事じゃないから、気にしないでよ。
……じゃあ、冬コミに出す新刊描いてるから、そっちはお願いね」
携帯を切って、僕は原稿に向かった。
こっちを見つめるヒロインの目が、姉とダブって、吐き気がした。
この後、冬コミに当選し、二千部の新刊を売り出した。
今までの様に完売はしたけど、スレの評判は最悪だった。
ストーリーはいいけど絵が酷い、生気が感じられない、
期待していたのに裏切られた、と散々に扱下ろされていた。
スランプだった。僕はそのスランプの原因も分からないまま、
二回目の新年を迎える事になった。
最終更新:2011年06月09日 01:10