狂もうと 第17話

279 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:11:40.58 ID:Se9ETAW1
「……」

「……」
和室に見知った男性…テーブルを挟んだ所にその見知った男性は座っていた。
短髪で綺麗整えられた髪型に和服姿のその男性は、零菜が入れた緑茶をすすり何を語るでもなく団欒を過ごすように寛いでいる。

逆に俺は緊張の糸が張りっぱなしで、緊張の糸が解れてきているのが自分でもハッキリ分かった。

「あの…父さん…」
目の前に座る男性におずおずと言った感じで話し掛けた。
そう…俺の前に座るのは、俺達の父であり篠崎家当主になる篠崎 宗次。
この町の総管理者でもある父は、“篠崎”という根強い名の長になる地位に位置する。
簡単に言うと、町が家そのものみたいなもんだ。
他県にも篠崎の名は知れ渡っているらしく、よく官房長官だの議員だのテレビで見た事がある人物も度々家に訪れていた。
話す内容はよく分からないが、訪れた者達は皆父に頭を下げていたのを覚えている。

「最近どうだ?」

「最近ですか?……頑張ってはいます…」

「そうか…由奈も成人したからな。
そろそろ身の振りも考えないといけない歳だろ?お前も零菜も」

「はい…」
気まずい…父と会話するだけで何故こんなにも威圧感をぶつけられなくてはいけないのだろうか?


280 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:12:14.71 ID:Se9ETAW1
昔からそうだ…父は人と話す時は決まって蹴落とさんばかりに威圧する。
それが自分の息子であっても…。
零菜にもそうだったが、不思議と由奈には昔から優しかったような気がする。

何故だろうか?

「それと、仕事の話しだが……まぁ、不幸に巻き込まれたと思って諦めるしか無いな。まだお前は若いんだからスグに仕事も見つかるさ。なんなら私が探してやろうか?」

「いえ……有難いですが、仕事ぐらいは自分で探します」
父に頼めばすぐに就職先は決まるだろう。
給料が安定した公務員にでもなれるんじゃないだろうか?
だけど、父の目が届く場所で仕事なんて胃がいくつあっても足りないだろう。

「そうか…それならもう私は何も言わん」
それだけ言い放つと、また緑茶をすすりながら沈黙した。



「お兄ちゃーん?あ、こんな所に居たんだ」
後ろの襖から由奈が顔を出した。
これは本当に有り難い…父と二人きりという状況は、零菜と二人きりより辛い状況だ。

「どうしたんだ?」
父から目を離して由奈に目を向ける。

「空ちゃんが買い物まだ?って騒いでるんだけど……ただ、あの子ちょっとおかしいのよ」

「おかしい?何がだ?」


281 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:13:21.77 ID:Se9ETAW1
「頭がおかしいのは会った時から分かってたんだけど、顔赤くてフラフラしてるの」
コイツは一々人を罵倒しなきゃ話もできないのだろうか?
父に一度頭を下げて和室を後にした。

「あ…兄ちゃん…」

「空ちゃん、どうしたの?」
玄関に到着すると、壁にもたれ掛かって気だるそうに此方を眺めている空ちゃんが居た。

空ちゃんの隣に座ると、重たそうに頭を持ち上げて立ち上がった。

「それじゃ…水着買いに…」

「ちょっと待ちな空ちゃん。此処に座って」
靴を掴み、フラフラした体で靴を履こうとする空ちゃんの手を掴み段差に座らせた。
前髪を上げて右手を空ちゃんのオデコにピタッとくっつける。

「…熱い。由奈体温計持ってきてくれ」

「お父さーん、体温計持ってきてー?」
瞬時に由奈へ目を向け睨み付ける。
俺の視線に由奈は「なによ?」と惚けたように首を傾げた。

「体温計?ちょっと待て…。おい、体温計どこにあるんだ?」

「お父さん、自分であるとこ分からないの?はぁ…ったく」
父の返答に小さく舌打ちすると、立ち上がりリビングに歩いていった。
――由奈と父の会話はいつもヒヤヒヤする。
父にあれだけの口を聞けるのは由奈か母ぐらいのもんだ。


282 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:13:48.94 ID:Se9ETAW1
「兄ちゃん…デパート…」

「あぁ、まずは熱あるか確かめような?」
再度空ちゃんに視線を落として、頭を撫でた。

「はい、体温計」

「ありがとう。それじゃ、空ちゃん右腕上げて」
戻ってきた由奈から体温計を取ると、空ちゃんに手を上げさせて、脇に体温計を差し込んだ。
腕を下げさせて体温計を挟ませると、体温計が落ちないように空ちゃんの肩を掴んでしっかり固定する。


数分後、ピッピッと検温終了を知らせるブザー音が鳴った。
脇を上げて体温計を抜くと、温度が表示されるディスプレイに目を向ける。


「38.5℃……空ちゃん凄い熱…」

「この時期に風邪?珍しいわね」
季節は真夏…俺もこの季節に風邪なんて引いた事は無い。

「夏風邪じゃないのか?」
父が和室から姿を現した。
夏風邪か…確か夏風邪の症状としては高熱になることはあまり無いが、その分治りが遅いとか…。

「とにかく、病院に連れていくよ」
空ちゃんの手を掴んで、立たせようとする…が空ちゃんは座って身体を固めたように硬直させた。

「空ちゃん?」
優しく引っ張るが、空ちゃんは立とうとしない。
再度空ちゃんの目線になるように腰を落として問いかけた。


283 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:14:19.91 ID:Se9ETAW1
「病院イヤ…デパートがいい…」

「デパートには行くよ?でも今日は病院に行って見てもらわなきゃ」

「風邪治った!今からデパートッ…だぁあ…」
勢いよく立ち上がり腕を高らかに上げると、そのままふにゃふにゃと地面に座り込んでしまった。

「ほら、言わんこっちゃない……由奈、零菜から車の鍵借りてきてもらえないか?」
空ちゃんを抱き抱えると、由奈に鍵を借りてくるよう頼んだ。
一瞬物凄くイヤそうな表情を浮かべたが、何も言わずに二階へと上っていった。

「仕方ないな…病院には私が電話をしておこう」

「はい、お願いします」
そう言えば空ちゃんも父の子供なんだっけ…。
この家に来てから、空ちゃんが父と会話してるところを見ていないが、ちゃんと親子として父は接しているのだろうか?

いや…父の事だから家政婦に任せっきりなのだろう。
淡い妄想を頭から消し去り空ちゃんを膝に乗せてやった。
苦しそうに荒い息を吐き、汗が額から溢れている。


早く病院に行かないと…。

「……」

「由奈?車の鍵は?」
二階から降りてきた由奈に手を差し出し鍵を要求する。

「零菜さん…「私に関係無い事だからそちらで対処してもらえる?」だってさ」


284 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:14:51.49 ID:Se9ETAW1
苛立ったように両手を差し出すと、何も持っていないと言った感じのジェスチャーをして手の平を見せた。

「はぁ?なんだそれ?」
呆れたように苦笑いを浮かべて由奈に問いかけた。
何を考えてるんだアイツは?
空ちゃんは零菜の妹でもあるんだぞ?こんな時だからこそ姉として助けてやらないでどうするんだ。

「私に言われても知らないわよ……あの貧乳女、生理じゃないかしら?」
由奈も父の前だと言うことを忘れているんじゃないだろうか?
しかし、父は何事もなかったように病院に電話をしている。

聞こえていなかったよう目線を反らす父を見て、どこか寂しさすら覚えてしまった…。

「病院には予約した。名前を出せばすぐに診察してくれるだろう。
ほら、車の鍵だ。
この鍵で地下にある車はどれでも動くから勝手に乗っていけ」
それだけ言うと、父も和室へ引っ込んでしまった…。

「由奈、運転頼めるか?」
「うん、分かった。お兄ちゃん車ぶつけるの怖いもんね?」
鼻で笑うと、俺の手から車の鍵を取り玄関を出て地下に向かっていった。
確かに、父の車を傷つけるのは怖い。
由奈なら傷つけても謝れば許してくれるだろう…。


285 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:15:19.31 ID:Se9ETAW1
「…兄ちゃん?…早く水着…」
「あぁ、水着ね水着。それじゃ行こうか」
閉じそうな瞳で見上げる空ちゃんに笑顔を返して由奈の後を追った。



■■■■■■



「零菜様?私です、留美子です」
数回ノックの音が聞こえたかと思うと、扉の向こうから聞き覚えのある声が聞こえた。

「入りなさい」
机に座りながら、外を眺める…窓から空を抱き抱える優哉の姿が見えた。
空はそこまで酷い症状なのだろうか?
まぁ、どうでもいい事だけど…。

窓から目を反らす事なく、留美子に手を差し出した。

「あの…零菜様…これをどうするつもりで…」
「他人の貴女には関係無い事よ?さっさと渡しなさい」
今度は留美子の目を見て命令した。
留美子の手には封筒が一枚。
留美子から奪うように封筒を取ると、封筒を開けて中を確認した。

「……まぁ、こんなものね」
一通り封筒の中身に目を通すと、封筒を閉じて引出しの中へ放り込んだ。
これは最終手段…私の奥の手として必要なモノ。
この事実を知ったアイツはどんな顔をするのかしら?

私の心は小さく踊った。

「留美子、貴女弟が居るんですってね?」
「え?あっ、はい。今年、中学になる弟が一人います」


286 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:17:25.23 ID:Se9ETAW1
「貴女、弟は好き?」

「は、はい。家族ですし…たった一人の弟ですから」

「言い方を間違えたわ。貴女……弟を愛しているの?」
私の問い掛けに、留美子の表情が固くなった。
人間観察もここまでくると趣味が悪いレベルだと自分でも分かってる。
だけどこれはもう既に私の個性として身に付いたものだからどうしようもない。

「たった一人の…弟ですから…」

「……へぇ…貴女でもそんな表情するのね?」
留美子の顔…間違いなく女の顔をしていた。
私に指摘されてすぐに手で顔を覆ってしまったが、この反応……この女も由奈と同類。

「そう…頑張りなさい」
まぁ、私には他人事だからどうでもいい。
留美子は私の暇潰しには入っていないのだ。

私の暇潰しはあくまで家族内。


「…留美子」

「はい、なんでしょうか?」

「やっぱり、家族に他人がいるのって居心地悪いわね」
私の質問に留美子は答えなかった…。
いや…答えられなかったのだろう、これは経験者にしか分からない事。
返答に困る留美子を数秒間眺めた後、留美子を部屋から追い出してもう一度封筒を手に取った。
そしてもう一つ…優哉をどん底に突き落とすモノ…鍵の掛かった引出しにそれはある。


287 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:17:50.20 ID:Se9ETAW1
これを見せれば、家族は崩壊するかも知れない…いや、崩壊するだろう。
無論、私と優哉の関係も…まぁ、私と優哉の関係なんてあって無いようなものだ。
ただ、双子だから離れられないだけ。

離れる時は…どちらかが死ぬ時ぐらいだろう。

「ここまで拗れさせたのは優哉…貴方のせいなのよ?」
昔から、双子らしく同じ道を歩んでいればこんな事にはならなかったのに…。
でも、それはもう取り返しのつかないこと。
私だけ優哉の考えている事が分かるなんて不公平だ…私の悩み…苦悩…それをまったく感じない優哉は双子であって双子では無い。

欠けているのだ。

私は優哉の考えている事が手に取るように分かる…それが嬉しいなんて思った事は一度も無い。

だってそうでしょう?
優哉の痛みも私に流れ込んでくるのだから――由奈よりも先に優哉の痛みに気がついたのは私なのだ。

優哉は私の“痛み”を知る事ができない…私は優哉の痛みを知る事ができる。
この矛盾に私は怒りを覚えた。

だからなるべく優哉に近づかないようにしてたのに…。

「本当…“他人”が間に入ると鬱陶しい」
誰もいない部屋で一人呟いた。

周りを見渡すが、何の可愛げも無い部屋。


288 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:18:15.43 ID:Se9ETAW1
優哉と由奈の部屋は未だにそのままの姿で残っているのだが、私と二人の部屋には大きな違いが存在する。

それは生活感…。

私の部屋には傷は愚かシミ一つ無いまっさらな部屋。
それに対して二人の部屋は傷と汚れが目立つ部屋。

二人の部屋は生活感に溢れているのだ。
幼い頃、それが嫌でワザと壁に傷をつけた事があったけど使用人が見つけてすぐに傷を消して見せた。

まるで私が見えないように勝手に入ってきて――

だから私はこの部屋をモデルルームと思うことにしている。
自分の本当の部屋を持てたら目一杯汚せばいい…子供ながらにそんな小さな夢を抱いていた。
それも大人になった今では色褪せている。
いや…汚すなら部屋では無く自分を追い込んだ人間を汚せばいい…私の脳は純粋な夢を歪んだ現実に変えてしまったのだ。
ただ、私はこれを悪いことだとは思っていない。
夢と現実の違いをハッキリと区別できるし、今の自分を嫌いだとも思わない。

ただ、この若さで世間の汚れを見すぎたのかも知れないとは思う…なんでも客観的に見る癖がついてしまった。
全てが他人事のように進んでいく…自分自身の事でも、何故かもう一人の私となって斜め上から自分を観察している。


289 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:18:39.34 ID:Se9ETAW1
だから私は決めた。
観察するなら人の上に立つ人間になればいい。
そうなれば私の苛立ちも綺麗に消えるはず…。苛立ちの根元は分かっているのだ。
そして、その苛立ちを消すにはこの二つのモノが必要となる。

「そうねぇ…まずは、優哉の心から…」
引出しの鍵を開けて、中から二つのビデオテープをとりだした。

二本とも古いビデオテープ…数十年前のビデオテープなので見れるか不安だったけど、昨日の夜一人で確認した。
鮮明にハッキリと映っていたので優哉にも分かるだろう。
これを見たら由奈の行動や嫉妬なんて可愛く見えるんじゃないだろうか?

「ふふ…楽しみね…」
ビデオテープを優しく指で擦りながら、一人微笑んだ。
これを見た優哉はどんな表情を見せてくれるだろうか?
由奈に見せるのもいいけど、あの子は違う意味で壊れる可能性がある。
だからまず優哉から…一人一人潰していく。

私の暇潰しはまだ始まったばかりだ。


290 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:19:04.02 ID:Se9ETAW1




■■■■■■

「いやぁ、元気な子ですね」

「すいません!本当にすいません!」
お兄ちゃんが目の前に座る白衣を着た男性に何度も頭を下げる。
私はそれを斜め後ろで眺めていた……眺めているだけなのに、疲労感が体を襲う…。


――今私達は町にある一番大きな病院に来ていた。
理由は空ちゃんの高熱……お兄ちゃんが病院に連れて行くと言うので仕方なく連れてきたのだけど…。

「……グスッ」
お兄ちゃんの膝に座る…いや、お兄ちゃんに後ろから羽交い締めにされるチビスケのおかけで診察+点滴で三時間近く掛かってしまった。
今やっと点滴の針を外して一息ついた所なのだが、病院に連れて来た時は殺されるかのように泣きわめき、お兄ちゃんの手から逃れようとしたのだ。
お兄ちゃんから手を繋がれて引き剥がそうとする理解不能な行動に後ろから蹴り飛ばしてやろうかと思ったのだが、この子……病院が極端に怖いらしい。
と言うか注射が怖いらしい。

病院に着くとお兄ちゃんに向かって「嘘つき!」と泣きわめき、引きずられるように診察室へと入ると診察しようとする医者を殴るわ蹴るわ唾飛ばすわ…。


291 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:20:06.33 ID:Se9ETAW1
仕方なく…本当に仕方なくお兄ちゃんが後ろから空ちゃんを抱き抱えて無理矢理診察させたのだ。
本当に精神的に疲れる数時間となってしまった…。

「それじゃあ、熱冷ましと風邪薬を五日間出しておくので、熱が下がらなかったらもう一度来てください」

「はい、分かりました。ありがとうございました」
お互い頭を下げて、立ち上がる。
何故医者も立ち上がるのかと思ったのだが、そう言えばここも篠崎の息の掛かった病院だった。

「それで…宗次さんには…」
案の定、お兄ちゃんを呼び止め何か言いたそうに腰を屈めた。

「あぁ、大丈夫ですよ。ちゃんと父には良く言っときますんで」
お兄ちゃんも慣れたように、笑顔を浮かべて返答した。
この町に居る以上、この対応は昔も今も変わらないだろう…。

正直、飽き飽きしている。


「それで…篠崎家御長男の貴方に一つ提案がありまして」

「提案?なんでしょうか?」

「もし…もし差し支え無ければ一度私の娘と会っy「それ以上耳障りな言葉を並べると、貴方は家庭も職業も失う事になるわよ?」
お兄ちゃんの反応に安堵した医者は、自分勝手な提案をお兄ちゃんに持ちかけようとした。

だから遮り話す事を中断させた。


292 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:20:48.70 ID:Se9ETAW1
お兄ちゃんから私に視線を移動させる医者。
どこか不満を持ったような目をしている。


「今の話は聞かなかった事にしてあげる。
だけど口の聞き方と視線の向け方には十分気をつけることね?
あまり弱い身分が調子に乗ると、飛び火して貴方だけじゃなく家族や親類にも燃え移る事を覚えておきなさい」
医者の目をまっすぐに見据えて、言い放った。

「……申し訳ない」

私の言葉の意味を理解したのか、私を見ていた視線を下にずらして頭を深々と下げて謝罪した。

「それじゃ、今日は帰りますね?また熱が下がらなかったり来ますのでよろしくお願いします」
項垂れる医者にお兄ちゃんはわざわざ頭を下げて、診察室を出た。
後を追うように私も診察室を後にする。

「由奈…有り難いけど、あれぐらいなら俺でも大丈夫だったぞ?」
空ちゃんを抱き抱えながらスタスタ歩くお兄ちゃんのすぐ後ろを私も歩く。

「そう?でもあれぐらいは言わないと、次来た時は娘連れてくるわよ?」
あの類いの人間はすぐに懐に入り込もうとするのだ。
だから早い段階で潰す。

「娘が来るも何も、あの医者の後ろに居た看護婦居ただろ?」

「ん?あぁ、居たわね」


293 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:21:14.82 ID:Se9ETAW1
研修生か何かだと思うけど、辿々しい手つきで医者の身の回りの手伝いをしていた気がする。

「あれが娘さんだよ」

「え?そうなの?てゆうかなんでお兄ちゃん分かったの?」

「う~ん…雰囲気だけど、最終的に気付いたのは名札だよ名札。医者と名字が同じだったし、かなり距離も近かったしな。
それに医者も気が気じゃないって感じで看護婦見てただろ?かなり心配そうに見てたからな…あれは父親の目だ」
最後は冗談混じりに答えたが、よくそこまで人を見ているものだ。
純粋に感心する。

私はただの他人として見ていたから、まったく気がつかなかったけどお兄ちゃんはよく周りの異変や変化に気がつきやすいほうだと思う。
それもお父さんの顔色ばかり伺っていたからだと思うけど…。


「分からなかったのは仕方ないけど、娘さんが居る前であんな事言ったら父親としての威厳が潰れるだろ?だから一度周りを見てから発言しなさいって事だよ」

「まぁ、次からは気をつける」
此所で反論すると変な言い合いになってしまうかも知れない。
疲れきった今、言い合いしてもお互い体力を奪うだけだろう。

お兄ちゃんもそれきり私に何か言ってくる事はなかった。


294 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:23:09.30 ID:Se9ETAW1
病院内にある受付カウンター前の長椅子に腰かけると、名前を呼ばれるのを待った――。
周りを見渡して思うのだが、今年は夏風邪が流行っているのだろうか?
マスク姿の年寄り子供がやたら目立っている。
風邪か…私が風邪引いたらお兄ちゃんは何をしてくれるだろうか?
食事と着替えは勿論の事、身体を拭いてもらって下着を変えてもらって、汗をかくために一緒に寝て、色々乱れて次の朝お兄ちゃんが私に「由奈…おはよう……愛しているよ」なんて耳元で囁いて、朝から抱き合ってそのまま――

「由奈……突然、ニヤけるのはやめろ」

「へ?私はいつでも大丈夫よ」

「はぁ?何が?」

「ぇ?あっ…いや……なんでも無い」
私とした事が…幻想に脳を持っていかれてしまっていた。
しかし、想像しただけで頬が溶けるかと思うほど、蜜のような甘味が身体全体に流れ込んできた…。

あれを味わえるのは…

「どうした?お前も熱か?」

「ふふ…ちょっと熱っぽいかな?」
やはりお兄ちゃん以外ありえないだろう。

私の最終目的はお兄ちゃんと一緒になる事…その言葉通り、私のすべてをお兄ちゃんの為だけに使うのだ。
その時はお兄ちゃんも私の気持にまっすぐ答えてくれるはず。


295 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:23:35.46 ID:Se9ETAW1

「降崎さ~ん、降崎 空さ~ん?」
受付の看護婦が空ちゃんの名前をマイク越しに呼んだ。
立ち上がり、受付へと歩いていく。
薬の説明を聞いて薬を受け取ると、そのまま病院を後にした。

「空ちゃん、少し熱下がったみたいだね」
空ちゃんをおんぶするお兄ちゃんが空ちゃんの顔を横目で見て呟いた。

点滴の効果だろうか?
空ちゃんの顔色が見るからに良くなっている。

「もう頭は痛くないよ。病院も余裕だったな」

「「嘘つけ」」
お兄ちゃんと一緒にハモると、空ちゃんはケラケラ笑いながらお兄ちゃんの背中から飛び降りた。

「それじゃ、約束通り水着買いに行こう!」

「今日は辞めて明日行こうよ」

「明日はダメよ?明日から私は仕事あるもの」

「由奈姉ちゃんは帰っても大丈夫だよ?兄ちゃんと二人で行くから」

「あんた一人でいきなさいよ。今日お兄ちゃんは私と一緒に帰るの。決定事項よ」
お兄ちゃんをこんな場所に一人置いていける訳が無い。

零菜さんも居るし…。

と言うか零菜さんが一番危ない。
今日の朝、顔を見たけど雰囲気がいつもと違った…。


296 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:25:45.43 ID:Se9ETAW1

「まぁ、由奈に迷惑かける訳にはいかないしな。それじゃ、今から買いに行こうか?」

「やったー!」
大きく手を上げて喜ぶと、大袈裟にお兄ちゃんに抱きついた。
私から見たらただ、抱きつきたいだけなんじゃないかと…。

まぁ、いい。
どうせ夏休みが終われば、空ちゃんは強制的に実家に戻され学校に行かなきゃいけなくなる。
そうなれば数時間かけてわざわざ会いに来たりしないだろう。(私は毎日会いに行ってたけど…)

それに私は夏休みが終わる頃にはあのマンションを払って引越しを考えている。
理由は単純に零菜さんやお父さんに住んでいる場所がバレたから。

それに空ちゃんの存在。
やはり私は姉になる気なんて微塵にも無い…。
空ちゃんには悪いが、お兄ちゃんとの繋がりを切らせてもらう。
どうせ、一年会わなければどうでも良くなっているはず。

また元の生活に戻るだけだ。
空ちゃんの姉は零菜さんがなってあげればいい。

お兄ちゃんの妹は私一人。
お兄ちゃんに愛される資格を持っているのも私だけ。
だからお兄ちゃんとの絆をより深くしなければいけない…。

「由奈姉ちゃん早く来いよ!」
空ちゃんが私に向かって手を振っている。


297 名前:狂もうと ◆ou.3Y1vhqc [sage] 投稿日:2011/08/28(日) 12:26:11.93 ID:Se9ETAW1
ずっと引っかかっていた事なのだが、零菜さんが言ってた「あの子の変化を見逃すと、周りの女は痛い目を見る」と言う言葉。
あれの意味がなんとなく分かった気がする。




この子――降崎 空は間違いなくお兄ちゃんを自分のモノだけにしようとしている。
まだ幼いから“甘える”事でしか自分を表現できていないが、間違いなく女の武器を理解している。

依存色や独占欲が強い女は年齢なんて関係無い。
これは自分自身にも当てはまる事だから断言できる。

――奪う時は全力で奪いに来るはず。
妹から女に開花する前にこの子は切るべきだ。


「今行くわ」
作った笑顔を顔に張り付けると空ちゃんに軽く手を振り、お兄ちゃんの隣に並んで歩き出した。


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最終更新:2011年10月01日 19:03
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