終の綾1

255 終の綾1 ◆5SPf/rHbiE sage 2007/11/10(土) 20:09:37 ID:IkxPkX1Z
「この街で、年にどれだけ人が死んでいるか、ですか……?」
縁からの突然の問いに、小夜子は眉をひそめた。
「知りませんけど……何でそんなこと聞くんです?」
「これから私が話すことに、少しでも説得力を持たせたいからだよ」
また少し紅茶を口に含んで、縁はにこりと笑った。
「私の話、聞いてもらえるかな? 夕里子ちゃんにも少し関わりのあることだから」
「はあ、かまいませんが」
ウェイトレスが小夜子の前に湯気の立つ紅茶を置いた。
「ごちそうするね。退屈な話になるかもしれないから、飲みながらでも聞いててね」
小夜子は軽く頭を下げて、ありがたくお茶をいただくことにした。
「さて、まずは日本全体の話からにしようか」
「……?」
「現代の日本で、年にどれだけの人が死んでいるか。全体で九十五万人ほど、うち不慮の事故は四万人程度、自殺は三万人程度」
「けっこう亡くなっているんですね」
どう言っていいものかわからず、小夜子は当たり障りの無い言葉を返す。
縁はさらに続けた。
「これらを人口十万人あたりの死亡率に直すと、それぞれおよそ七百六十人、三十一人、二十三人になるんだよ」
「とすると、私達の住んでいる市の人口は確か十万前後でしたから、年間に亡くなる人はそれくらいの人数ということですか?」
「うんうん。さすが夕里子ちゃんの従妹さん、話が早いねえ」
褒められても、小夜子は表情を動かさない。
それよりも、縁が何を言おうとしているのかが気にかかった。
「あの、これとユリ姉が、どう関係しているんですか?」
「ごめんごめん。話を進めるね。私達が住んでいる、この市の南西部は、人口としては二万人くらいの規模。そこでどれくらいの人が死んでいるのか、さらに詳しく見てみると、こうなってるんだよね」
縁はごそごそと足元の鞄を漁り、紙の束を取り出した。
「これは……?」
「この十年間で、南西部地区で亡くなった人の資料だよ」
その紙には、全死因での死亡者数、不慮の事故による死亡者数、自殺による死亡者数の三項目が、年毎に表にされていた。



256 終の綾1 ◆5SPf/rHbiE sage 2007/11/10(土) 20:10:34 ID:IkxPkX1Z


A市南西部地区


2005年 152 5  2 
2004年 178 19 14 
2003年 175 17 12 
2002年 141 6  4 
2001年 158 7  2
2000年 151 8   4
1999年 148 4  5
1998年 151 5  5
1997年 153 6  4
1996年 152 6  3





257 終の綾1 ◆5SPf/rHbiE sage 2007/11/10(土) 20:11:16 ID:IkxPkX1Z


「少し不慮の事故死者数と自殺者数が多い年があるのはわかるかな?」
二〇〇三年、二〇〇四年を順に指差して、小夜子を見た。
「どう?」
「多いですね、こちらも」
「そうそう。同じ年に、不慮の事故と自殺がそれぞれ増えてるんだよね」
二〇〇三年、二〇〇四年とも、事故死者も自殺統計から見た期待値と比べて三倍ほどの数字になっていた。
「あは。どう? ちょっと不気味になったりしない? 期待値よりも死人が四十人以上多いんだよ」
「事故や自殺が多い年もありうるんじゃないんですか? さすがに少し多い気もしますが……」
どこか嬉しそうに尋ねてくる縁に、小夜子は少し不快感を覚えながら答える。
だよねえ、と縁は気にした様子も無かった。
「ちなみに、この二〇〇三年と二〇〇四年に死んでいる人たち、私たちのこの街に住んでいた人たちだけど、死んだのはこの街とは限らないんだよね」
縁はテーブルの上に地図を広げた。
今度は何だと覗き見る小夜子の前で、素早く地図にバツ印を書き込んでいった。
六十二個のバツ印が、瞬く間に地図上に打たれていく。
「これは……?」
「それぞれの人の死体が見つかった場所だよ」
「何でそんな……」
「まあまあ。いいから見てよ」
縁の細い指が紙の地図をなぞった。
「この通り、私たちの住むA市南西部地区は、県境を挟んで二つの県と接しているわけだけど、二〇〇三年と二〇〇四年に死んだ南西部地区の住人六十二人のうち、およそ三分の一が県内で、さらに三分の一が西隣の県で、また三分の一が南隣の県で、死んでるんだよね」
「どういうことですか?」
「つまり、市役所でまとめられた、人口における死者数は統計から見た期待値の三倍だけど、街で起きた事故や自殺の、事件としての数は、例年の一.六倍程度の数字に抑えられているってことだよ。事件の件数は、それぞれ管轄を受け持つ県警が、独立して記録するからね」
小夜子は首を傾げた。
縁が何を言おうとしているのか、よくわからなかった。
「ねえ、こう、意図的なものを感じない? 三倍死んじゃったから、三つの県にばら撒いてごまかしましたって、そんな臭いがしない?」
「仰る意味がわかりません」
「つまり、この増えた分の死人は、みんな誰かに殺されたんじゃないかって、そう私は思ってるんだ」
小夜子は唖然としてしまった。
確かに、示された数字がどこか普通ではないことはわかるが、縁の発言はあまりに突飛なものに思えた。
「M事件、足利事件……警察は越境しての犯罪には弱いんだよね。広域指定がつかないと連携も取れないし」
「ちょっと待ってください、そんな……いえ、縁さんの仰っていることが正しいか正しくないかはこの際置いておきましょう。それを私に話して、どうしようと言うんです? それこそ、警察の方に言った方がいいと思いますけど」
「いやあ、警察に言って失敗したら、取り返しがつかないから」
困ったように縁は笑った。
「何がです?」
「人間関係が壊れるとさ。私だって、嫌われたくない人は居るんだよ」
「人間関係が……壊れる?」
「支倉君には嫌われたくないんだ。大切な友達だし。支倉君は優しい人だけど、さすがに証拠抜きで妹さんを殺人鬼呼ばわりしたら、怒っちゃうだろうし。だから、できることならちゃんと証拠を見つけてからにしたいんだ」
小夜子はようやく縁が考えていることを理解した。




258 終の綾1 ◆5SPf/rHbiE sage 2007/11/10(土) 20:13:45 ID:IkxPkX1Z


「あなた……何を……」
「うん。私は、綾ちゃんが人殺しだと思ってるんだ。この街には人殺しがいて、それは綾ちゃんだと思ってる。
佐久間さんを犯したのも、佐久間さんのお母さんが死んだのも、森田浩史が死んだのも、全部綾ちゃんがやったんだと思ってる。
さかのぼると、梅雨にうちの生徒が鉄道事故で死んだのも、綾ちゃんの家に泊まってたっていう中学生が死んだのも、きっと綾ちゃんがやったんだと思ってるよ」
「馬鹿馬鹿しい」
小夜子は彼女に珍しく、苛立ちをあらわにして吐き捨てるように言った。
「綾はそんなことする子じゃありません」
「おかしいと思わないかな、今挙げた、今年に入ってからこの街で起こった事件や事故、その被害者に、みんな綾ちゃんが関わってるんだよ」
「別におかしいとは思いません。私たちも、少し距離が離れているだけで、それぞれの事件に関わりを持っているとは言えるでしょう」
「私は、夕里子ちゃんが死にかけたのも、綾ちゃんのせいだと思ってるよ」
「いいかげんにして!」
小夜子はテーブルを叩いた。
大きな音が喫茶店の店内に響き、幾人かいた客が二人の方を向いた。
「どうして綾をそんなに悪く見るんです!? 綾は好き嫌いのはっきりしたところはあるけれど、しっかりした、本当はすごく優しい子なんだから!」
テーブルを叩いた拍子に紅茶が袖にかかったが、そんなことは気にも留めず小夜子はまくしたてた。
「縁さんが綾と仲が良いといえないことはわかっています。だからって、言っていいことと悪いことがあるでしょう」
「いやいや、私怨とかじゃなくて、私なりに色々考えて言ってるんだよ」
と声を静めるように手で促しながら、縁は言った。
「確かに綾ちゃんはいい子だと思うよ。何でもできるし、可愛いし、人に対しては適度に厳しく適度に優しい。本当、すごい子だと思う」
「だったら……」
「でも、綾ちゃんが優しいのは、支倉君に近付かない人だけなんだよね」
自身で確認するように、縁は頷いた。
「ねえ、小夜子ちゃんは知らない? 綾ちゃんが、支倉君について、すごい執着を見せるってこと」
「それは……」
知っている。
かつて、理想の人は兄だと教えてくれたことがあった。
陽一以外の男は寄せ付けず、包丁を振るう姿を目にしたこともある。
アキラが家に泊まっていた時も、常に気を張ってイライラしていた。
「梅雨に死んだのは、支倉君の悪評を広めていた女の子。夏の初めに死んだのは、支倉君の家に押しかけた援助交際経験ありの女の子。
支倉君と付き合い始めたとたん、夕里子ちゃんの周りで次々と事件が起きて、人も死んで、夕里子ちゃんは追い詰められて、最後はあんなことになっちゃって……」
「ユリ姉の件は、森山浩史が……」
「ずっと姿を消していて、支倉君と夕里子ちゃんが別れたとたんに自殺? いいタイミングだねえ」
実際こうして並べてみると、綾にはあまりに濃く死の影がつきまとっていた。
「この、二〇〇三年と二〇〇四年の増えた四十人も、全員が綾ちゃんの仕業だとは思わないよ。
でもね、被害者のうち三人は、支倉君と綾ちゃんの出身中学の女子生徒だったんだよ。さらにその家族が十五人。これだけの人が綾ちゃんとどこかで接している……変だと思わない?」
見つめてくる縁に、小夜子は冷たい視線を返した。
陽一に対する綾の執着には思い当たる節はあったが、それでも縁の考えに賛同する気は欠片も無かった。




259 終の綾1 ◆5SPf/rHbiE sage 2007/11/10(土) 20:15:45 ID:IkxPkX1Z
「縁さんが綾を疑う根拠はわかりました。確かに、疑うに足る状況が、綾の周囲にはあるみたいですね。縁さんにとっては」
「小夜子ちゃんにとってはそうではないと」
「ええ。綾を知っている私からすると、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑えてしまう話ですね」
はあ、と縁はため息をついた。
素直に感嘆の意味でのため息だった。
「すごいね、小夜子ちゃん、綾ちゃんを信じてるんだ。あの怖い子を」
「いいかげんにしてください。不快です。時間の無駄ですから、もう帰ってもいいですか?」
「ごめん、小夜子ちゃんには話を聞いて、協力してもらいたいんだ。綾ちゃんを捕まえるために」
また怒鳴りそうになるのを呑み込んで、小夜子は努めて冷静に言った。
「残念ですが、遠慮させていただきます」
「でも、私が協力してくれる人を探して、この話を色んな人に話して回ったら、綾ちゃんのためによくないんじゃない?」
「……! 脅すわけですか……」
綾は他人の評判なんて気にしない。勝手に言っていろとばかりに、いつもと変わりなく振舞うことだろう。
(でも……)
自分の及ばないところで、縁が綾の悪評を説いて回る。
小夜子にとってそれは、我慢のならぬことだった。
「ね、逆にこれは、綾ちゃんが犯人じゃ無いことを証明して終わるだけかも知れないし」
悩む様子を見せた小夜子に、縁はさらに働きかけた。
「仮に綾ちゃんが犯人じゃなかったら、それが証明できて小夜子ちゃんとしてはいいことだよね」
「それは……」
「それに、仮に綾ちゃんが犯人だったとして、まだ生きている夕里子ちゃんを守るために、きっちり捕まえておくことはやっぱり小夜子ちゃんにとっていいことなんじゃないかな? 
さすがに顔を見られているだろうし、夕里子ちゃんが生きたままだと綾ちゃんは自動的に敗北だから、目を覚ます前にまた夕里子ちゃんに危害が加えられると思うんだけど」
「そもそもにして私は綾が人殺しだなんて思っていませんから、それは私にとっていいことではないし、縁さんに協力する理由にはなりません」
「うーん、見かけによらず頑固ちゃんだね。小夜子ちゃんにとっては夕里子ちゃんも大切な人なんだから、仮定として親友の綾ちゃんを疑っても、それは悪いことではないと思うよ」
小夜子は黙りこんで考えた。



260 終の綾1 ◆5SPf/rHbiE sage 2007/11/10(土) 20:17:03 ID:IkxPkX1Z
(協力……すべきなのかしら)
これまでの会話で縁の口の巧みさに気付いていた小夜子は、自分がただ流されていないかが不安だった。
綾を守るために協力するのはともかく、いいように使われるのはごめんだと思っていた。
ここで協力することで、縁から綾への風評被害を防げるなら、それは綾のためだ。
協力した結果綾の疑いが晴れれば、それも綾のためだ。
小夜子はあくまで綾を信じていたが、盲目的になることの愚かさも十分にわかっていた。
(盲目的に信じるだけでは、私自身が信じることはできても、他の人を信じさせることはできないものね……)
やがて小夜子は頷いて、口を開いた。
「わかりました。正直あなたには不快に感じる部分もありますが、協力させていただきます」
「わ! 良かった。ごめんね、私も必死で。断られたらどうしようかと思ったよ」
嬉しそうに手を叩く縁に、小夜子は「ただし」と付け加えた。
「あくまで私は、綾のために協力するのであって、縁さんのために協力するわけではありません。何を、どんな意図でするのか、その都度きちんと話してくださいね。綾の不利益になるようなことは避けたいので」
「あはは。その都度も何も、最初に一回説明するだけで終わりだよ。もう簡単簡単」
「……?」
「支倉君をゲットして、殺されるかどうか試してみよう!」
小夜子は唖然としてしまった。
親友の兄を誘惑しろと、つまりはそういうことだ。
「ただし、殺される時は絶対に綾ちゃんが犯人であるという証拠を残して殺されること。あるいは、証拠を得た状態で逃げること。そうじゃなきゃ、今までと何も変わらないからね」
「……素朴な疑問ですが、縁さんご自身でやらないんですか?」
「私は臆病だから、死にたくないんだ」
小夜子は先ほど揺らしてしまったティーカップを持ち上げ、冷めた紅茶を飲んだ。
敬愛する従姉を支えてくれていた、目の前の少女。
これまでは、感謝や尊敬に似た感情を抱いていたが、今は違う。
(この人は……どこかおかしい)
朗らかなようで陰湿。
下手だが強引。
何とも言えぬ違和感が感じられた。
「警察も、使える段階になったら使うからね」
「子供のおつかいのように言うんですね」
「私はね、自分が解決できないことを、他の人が解決できるなんて、思わないんだ」
この人の目的は何なのだろう、小夜子は考えた。
夕里子のためか、陽一のためか、あるいは自分のためなのか。
聞けば模範的な回答が返ってくるだろうと思えたが、その無意味さもわかっていた。
(結局わたしはいいように使われようとしているのかもしれない……でも……)
悩んだところでわからないものはしょうがない。
宇喜多縁の妄言から綾を守る――小夜子はそれしか考えていなかった。
喫茶店を出ると、身を切るような初冬の風が容赦なく吹き付けた。
冬の訪れだった。
「綾……」
大好きな親友の名を呟く。
少女の瞳には、強い決意の色が見て取れた。


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最終更新:2011年10月27日 23:58
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