538 憑き人(つきびと) sage 2008/01/01(火) 22:45:01 ID:w+tElTVa
初夢に死んだ
姉さんが出てきた。
ベッドから起き上がり、ひどく重い肩を回して首を鳴らす。
「・・・・・・なんだったんだろ」
勉強机の上に置かれた写真立て。
その中で笑っている姉さんが死んでからもう一週間近く経つ。
雪の降ったクリスマス、
素敵な
プレゼントと一緒に会いに来ると言った姉さんはダンプに跳ねられて轢死した。
原型は留めてなかったらしい。
警察から届けられたぐしゃぐしゃの小さな箱と、
中に入っていた血が染みてほとんど読めない僕宛のクリスマスカード。
そして小さな指輪。
姉さんが伝えたかったことを知る術のない僕は、
せめてと思ってその指輪をいつもはめている。
不思議と、サイズは薬指にぴったりだった。
そのせいだろうか。
年明け一番の夢に、満面の笑みで僕へと抱きついてくる姉さんを見てしまったのは。
「重いなあ」
姉さんは絵に描いた完璧の文字が人になったような人物だった。
長身のモデル体系に記憶と発想に優れた頭脳。
両親の遺伝子を分割せずにそのまま足したような運動能力。
優しい、いつだって僕のことを気にかけてくれた性格。
ほんの少しだけスキンシップは過剰だったけど、
姉さんの弟に生まれたのは恵まれていたんだな、と今でも思える。
だからこそ胸に空いた穴は大きくて、
友人の励ましや両親の懸命に耐える姿、
落ち込んでいる自分を叱咤する声を幾ら投げかけても、その隙間を埋められない。
何をするにも手につかず、
大切な人の重さがなくなった時、こんなにも心がふわふわするのだと実感する。
風が吹けば今ここにいる自分が消えてしまいそうな浮遊感。
ずっと一緒に生きて来た相手を失って、
自分の一部を切り取られたように生きている感覚が薄い。
「おはよういっちゃん!」
そのせいで、ノックもなく開かれた扉から聞こえてきた声には本当に驚いた。
「は・・・?」
だって、それは確かに聞きなれた声で。
でも、それはその声ではあり得ない言い方だったから。
「いっちゃんいっちゃんいっちゃんいっちゃんいっちゃぁぁあああん!!」
腹部に衝撃。
ベッドに押し倒されて、視界に黒髪が舞う。
「・・・ハル?」
触れそうな距離に輝くような笑みを近づけてきたのは、妹。
垂れた長髪が僕の顔にかかる。
「あ~~、いっちゃんだぁ。この匂い・・・凄く久し振り。会いたかったよいっちゃん!」
539 憑き人(つきびと) sage 2008/01/01(火) 22:46:11 ID:w+tElTVa
?を頭上で乱舞させる僕をよそに、髪に隠れた額が胸に押し付けられた。
シャツ越しに高速で擦られ、妹のつむじの向こうでちょっと荒い鼻息が鳴る。
「えっ・・・と、ハル、どうしたんだ? いきなり」
理解出来ない状況に、素直に心情を吐露した。
ハル。僕の一つ下の妹。
少しブラコンの気があるのが兄として、少なくとも唐突にこんな真似をする奴ではない。
どちらかと言えば物静かで楚々とした佇まい、
黒髪を垂らして静々と歩くようなのが僕の妹のはずだ。
僕をいっちゃんと呼び、こんな言動を取るのはまるで────。
「私はハルじゃないよ、いっちゃん。忘れたの?
私はいっちゃんを世界で一番大好きな、たった一人のお姉────────あれ?」
急に。
見てる方が驚きそうになる勢いで顔を上げた妹は何かを言おうとして、
呆けた顔で動きを止めた。
「っ!」
かと思うと、その全身がぱっと輝いた────ように見えた。
反射で目を瞑り、目蓋を撫でる光が収まってからゆっくりと開く。
焦点の合ってない妹の瞳と目が合った。
さっきまでの陽気というか活気さが消えている。
ただ、何となく纏っている雰囲気がいつもの妹に戻っていて、
憑き物を落とされた直後みたいにぼんやりとしていた。
状況の理解に務めようと思考するうちに瞳の焦点が合い始め、
やがて妹がはっきりと僕と視線を絡める。
「き」
「え?」
一瞬、妹の顔が引きつって。
「きゃああああああああああ!」
思いっきり頬を引っ叩かれた。
「~~~~~~!?」
片頬が熱くなり、ついでに妹が飛び退いたせいでほんの少し後ろにあった壁に頭をぶつける。
「ななななな、一体何をしているんですか姉さん!」
そんな意味の不明な声を聞きながら、ちょっと意識が遠くなった。
それから暫くして。
今、僕は世間で言う超常現象と向き合っていた。
場所は依然として僕の部屋。
『────────と言う訳なの。ゴメンね? いっちゃん』
「本当にもう・・・姉さんは破廉恥過ぎます」
目の前には二人、と言っていいのだろうか?
見慣れた、いつも通りの言動に戻った妹のハル。
その横に立つ、いや浮いている今は亡き────はずの────半透明な姉さん。
540 憑き人(つきびと) sage 2008/01/01(火) 22:47:16 ID:w+tElTVa
「俄かには信じ難い話だね」
現状の説明に、あくまでも姉さんの言葉を信じて用いるならこうなる。
先ず、姉さんは死んだ。
次に、死んだけどこの世への未練が強すぎて幽霊となった。
幽霊にはなったものの特別な力が使えるでもなく、
ただ存在しているだけで退屈だった。
幽霊と言っても空想上のような便利な存在ではないらしい。
生きている時に出来なかったことが死んでから出来るようになるのは変な話、
とは姉さんの談。
なのだが。
「サンタや神が実在しているっていうのは」
姉さんを失ってから二度、僕は同じ願い事をした。
一度目はサンタにクリスマスで。
そして二度目は今日、新年の就寝前、神に初詣でで。
姉さんに戻ってきて欲しいと。
別にそれ自体はおかしなことではないはずだ。
頼りない藁よりは、たとえ空想でも神に縋る人間がいたっていい。
大切な人を失った僕が、丁度そういう時に神頼みをする、神に祈るのは不自然じゃない。
ただ、僕自身もまさかそれが叶うとは思っていなかっただけで。
『確率的には物凄く低いけど、
一年に世界でほんの少しの子供にだけ本物のサンタさんが願いを叶えてあげる対象の一人が、
今年はたまたまいっちゃんだったんだって。
でも、流石に死人を生き返らせるのはサンタさんの力じゃ無理だから保留にしてたんだけど、
いっちゃんが初詣での時に一生懸命に私のことを願ってくれたのが、
最近は全然真剣な願いがなくなったのに辟易してた天照大神様の目にとまったみたいなの。
それでまあ、クリスマスとお正月の願いを合わせてってことでね。
生き返らせるのはダメだけど、せめて私の姿がいっちゃんや家族に見えるように、
あと他人の体を借りていっちゃんに触れられるようにしてもらえたの』
妹の奇行は取り憑いた姉さんによるもので、
妹の体が光ったように見えたのは抵抗した妹が姉さんを体から弾き出したせいらしい。
ビンタに関しては不可抗力だとか。
「まさかねえ」
それにしても、そう感じてしまうのは仕方ないと思う。
そんな都合のいい話があるのか。
実際に姉さんは見えているし声も聞こえるので、集団幻覚でもなければ他に可能性はないのだけど。
『私だってびっくりしてるよ。でもそれ以上に嬉しいの。
だって、またこうやっていっちゃんとお話ししたり出来るんだもん! きゃー!』
言って、浮遊する姉さんが飛びついてくるのをハルの手が遮った。
やろうと思えばすり抜けられるのだろうけど、
生きていた頃の習慣なのか反射的に姉さんが止まる。
自分で自分の行動に驚いたような顔をした妹が、気まずい感じで一つ咳をした。
「と、とにかくそういうことですので、兄さんも外では出来るだけ普通に振舞って下さいね。
姉さんがどうしても兄さんとそ、その・・・・・・肌を合わせたい時は、
私が体を貸しますので。
さっきみたいに不意打ちでなければですけど」
姉さん、さっきは無断で実の妹の体を乗っ取ったのか。
541 憑き人(つきびと) sage 2008/01/01(火) 22:49:27 ID:w+tElTVa
『ごめんね、ハル。
でもハルって理屈屋だし、説明するよりは体験してもらった早いかなって。
・・・・・・ちゃんといい想い出来たでしょ?』
「う・・・それは、そうですけど」
顔を俯かせるハル。
その横で姉さんが微笑んだ。
『兎に角、いっちゃんは何も心配しなくていいからね?』
嬉しそうに、戻って来た幸せを噛み締めるように、にこにこと笑っている。
『いっちゃん達以外に私の姿は見えないし、だけど私から取り憑くことは出来るんだもん。
むしろ生きていた頃よりもずっと簡単に確実にいっちゃんを守れるよ。
いっちゃんには私が許さない限り誰も近づけない。
いっちゃんを困らせる人も、いっちゃんの言うことを聞かない人も、
いっちゃんを誑かす泥棒猫も、私が乗り移れば皆いっちゃんの言いなりだもんね?
邪魔になったら私と同じ死に方でもしてもらえばいいんだし。
これでもう、私は何も怖くないよ。
私はどこにも行かずに、ずっといっちゃんが死ぬまで一緒にいられる。
ううん。もしも死んだいっちゃんが幽霊になったら、永遠に一緒になれるかも』
「全く。姉さんばかり、いつもずるいです。
でも・・・相手が姉さんだけならまだ私も安心ですね」
姉さんとハル、姉妹揃って笑顔を向けてくる。
『あ』
どう反応すればいいのか考えていると、姉さんが思い出したように呟いた。
『そう言えばまだ言ってなかったよ』
「・・・何を?」
反対側が見える笑みで姉さんが僕を向く。
『うん・・・自分の体がなくなったのは残念だけど、おかげで色々と出来ることも増えたし。
それも、いっちゃんが一生懸命に私のことを想ってくれたおかげなんだから、
私ってどちらかと言えば幸せだよね?』
だからね、と一旦言葉を切って、姉さんが僕に近付く。
今度はハルも何もしなかった。
感触のない指が僕の両肩にかけられる。
姉さんは、気のせいか生前よりも綺麗になった顔で笑った。
『あけましておめでとう、いっちゃん!』
あけましておめでとう、姉さん。
最終更新:2008年01月08日 04:07