こまきと一馬 第1話

303 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage 2008/02/18(月) 23:03:14 ID:nT/H4NyN
朝ももう十一時というのに、十九歳になるこまきはまだベッドで眠りこけていた。
「まだ、朝かあ―」
こまきにとっては、午前は苦痛の時間に過ぎない。
学生というわけでもなく、仕事をしているわけでもない。
こまきは、高校を卒業した後、一年程こんな生活をしている。
彼女の意思で何もしていない、早い話がニートである。
一度は、一張羅のスーツを作って「大手企業に就職するんだ」といきこんだが
人見知りのせいで面接を全てはねられてしまい、今やすっかりやる気をなくしてしまった。
「一馬、はやく帰ってこないかなあ」
父親は単身赴任、母親はパートなので日中は家にいない。
弟の一馬が高校から帰ってくるまで、家にはこまき、ただ一人。

「どうしよっかなあ、きょうは」
ごそごそと寝床から起き出すこまき。台所に行き、ボサボサのボブショートの髪を掻きながら、冷蔵庫から牛乳を取り出す。
牛乳が大好物なので、背は168㎝と女の子としては高い方である。
「そういえば冷蔵庫に、卵が残っていたな。今日こそは頑張って、料理でも作ってみるかあ。弟君のために」
牛乳を飲むとあくびが出そうになった。
「まだ十二時かあ」
パジャマ姿のまま伸びをし、自分の部屋に戻る。

机には「時間はたっぷりあるから」と、先週から編み始めた一馬のために編み始めたセーター。
しかし、編かけで放り出されていた。
「時間はたっぷりあるのよ…」と自分勝手な言い訳をする。
そんなセーターのことなど忘れ、こまきはパソコンの電源を点け、ネットサーフィンを始める。
「一馬、はやく帰ってこないかなあ」
と言いながら、きょうも人様のブログに突っ込みを入れる。
弟が帰ってくるまで、ぼんやり過ごす生産性のない姉。



304 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage 2008/02/18(月) 23:03:49 ID:nT/H4NyN
「ただいま―」
一馬が帰ってきた。こまきは、軽やかな足取りで一馬に駆け寄る。
「おかえりい!」
「姉ちゃん、仕事見つかった?」
「ん―」
「とぼけるのもいい加減にしなよ。姉ちゃんなんて、負け組の中でも負け組なんだからね」
「だって…」
「結局、ハロワにも行ってないんでしょ?」
つい先日、こまきは「これからは、仕事を見つけて一馬のために頑張る」って大見得を張ったのだ。
一日目には張り切って、ハローワークを覗いたもの、元来人ごみの苦手なこまきは
三十分もしないで家に帰ってきてしまい、一馬から説教を食らった所だった。

「だって、一馬がいないと寂しくて何も出来ないんだもん」
「オレがいないと、何も出来ないだけだろ。ねえ、いいかげんパジャマ、着替えたら?」
「……」
一馬はこまきに冷たい一言を浴びせ、そのまま台所に向かう。
冷蔵庫を開けて麦茶をごくごくと飲む。
一馬は牛乳嫌いなので牛乳は一口も飲まない。背は男の子としては低く160㎝ほどしかない。
背の高いこまきは、上から一馬の顔を覗きこんでニコニコしながら話しかける。
「きょうは、学校で何かあった?」
「別に」
「それくらい、教えてよ」
「委員会があった。クラスの美貴ちゃんと資料を印刷してた!以上」
つっけんどんな弟に姉は少し悲しくなった。

「おなか空いたなあ。一馬、晩御飯何だろう」
「きょう、母さん残業だから、姉ちゃんとなにか店屋物でもとれって」
「だめよ、店屋物なんか。栄養が偏るでしょ、きょうはお姉ちゃんが作ってあげるから」
「ムリムリ」
「むー」
こまきは、口をつむった。



305 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage 2008/02/18(月) 23:04:19 ID:nT/H4NyN
夕方六時過ぎ。こまきは台所にいた。一馬は一人でゲームをしている。
パジャマにエプロン姿という不思議な格好で料理をしているこまき。
「小学生のころは『神童』って呼ばれてたんだからね」
卵を割る音が聞こえる。ボールに割った卵を入れてカチャカチャとかき混ぜている。
「姉貴のオムレツはおいしいぞお」
独り言を呟きながら、こまきは次々と卵を割る。

一馬がひょこっと顔を出す。
「何、やってるの?」
「へへへ。今日は特製オムレツだよ。一馬はオムレツ大好きでしょ」
「…姉ちゃんさあ、出来もしない事、始めるのやめようよ」
「なによ。それ」
「姉ちゃんって、なんでも中途半端なんだからさ、出来る事だけやろうよ」
こまきは、すこしムッとしながら卵をかき混ぜる。
「きっと、姉ちゃんのオムレツなんか形にならないじゃね?」
弟の一馬は、器用な方で学校の成績もよい。少しぐうたらな姉をバカにしている気もある。
「なによ、中途半端って。わたしは、一馬のために…」
こまきは続けて卵を割ろうとするが、力が入って潰してしまい、思いっきり殻までボールの中に入れてしまった。
「ほら、オレがいないと姉ちゃんだめなんだからさ…」
あきれた一馬が卵と殻の入ったボールを奪おうとすると、こまきはさっとボールを隠す。
「ほら、姉ちゃん。オレがやるから」
カッとなったこまきは、一馬の額に向けて卵を投げつけた。
一馬の額から黄身が流れる。
「ちょっと…」
一馬が声をかけたときには、こまきは台所を出ていた。
「しょうがないなあ」
顔中卵まみれの一馬は、顔を洗い姉が放ってしまった料理を仕方なく続けた。



306 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage 2008/02/18(月) 23:05:17 ID:nT/H4NyN
その頃こまきは、自分の部屋のベッドでごろんと転がって泣いていた。
ベッドの脇には編みかけのセーターが置いてあった。
弟のためにと思って、オムレツ作ったりセーター編んだりしたけれど、どれも中途半端。
「わたし、姉失格かな…」
小さい頃は、親から「お姉ちゃんだから」って言われてしっかりする事を押し付けられた。
その頃は、不器用でも大人がきちんと見守ってくれた。
しかし、もうすぐ、こまきも大人。そんな事を言っていられる年でもない。
本当は不器用なのに「お姉ちゃん」という役を演じていただけかもしれない。
「一馬がいなかったら、わたしもっとダメになってたかなあ」
枕をぎゅうっと抱いて、一人で呟く。

「姉ちゃん、ご飯できたよ」
下の階から、弟が呼ぶ。こまきはあんまり動く気にならない。
「もー、ご飯だって!」
しびれを切らした一馬が、こまきの部屋に来る。こまきは依然として寝転んだまま。
「はじめから、店屋物にすればよかったんだよ。姉ちゃんが余計な事をするから」
無言で起き上がるこまき。ベッドのふちに腰かけ、一馬を見上げる。
(いつの間にか、一馬って男っぽくなったなあ)
「ご飯冷えるよ」
踵を返した一馬の後ろを見たこまきは、自分も立ち上がり一馬の後を追う。
二階からの階段から降りると、すぐ玄関がある。
玄関のホールでこまきが話しかける。
「わたしはね、不器用かもしれないけど…一馬の事はとっても大好きだよ」
こまきは一馬を後ろから抱きしめ、弟の髪に顔をうずめた。
小柄な一馬は、姉に動きを封じ込められた。
「姉ちゃん―、何言ってるの…」
「小さい頃、こうしてもらうの、大好きだったもんね。ホント、お姉ちゃん子だったんだから」
「やめてよ…」
「何にも出来ない穀潰しのわたしだけど、一馬をオトナにしてあげることぐらいはできるんだよ」



307 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage 2008/02/18(月) 23:05:38 ID:nT/H4NyN
「もう、お姉ちゃんの事バカにしない?」
「バカにしてないよ…」
「ウソ。だって、一馬はモテモテさんだし、何でも出来るもんね。それに比べてわたしは…」
弟に対して劣等感を感じていた姉。いきなりの挙動に驚きを隠せない弟。
「じゃあ、キスしよっ」
次の瞬間こまきが、一馬の耳に熱い息を吹きかける。
「熱い…」
一馬はとろけそうになる。
小さな弟を上から覗き込む姉。姉のさくらんぼのような唇が、弟の唇に優しく触れた。
(生まれてはじめての味がする…)

こまきは、イチゴのような弟の味の余韻をかみ締めた。
「あしたから、お姉ちゃん頑張るから。約束のキスだよ」
「姉ちゃん…」
「わたしも、一馬もほんのちょっとオトナになったかな―」
「…もういいから、ご飯たべようよ」
二人がダイニングに向かうと、あんまり形の良くないオムレツが二つ並んでいた。

翌日、一馬が学校から帰ると姉がふてくされて、自分の部屋のベッドでうつ伏せになっていた。
ベッドの下にはこまきの一張羅のスーツが放り出されている。
「…まったく。姉ちゃん、きょうも仕事探さなかったの?」
「リクルートスーツが入らない…。もうだめ…」
こまきはいつもゆるいパジャマを着ていたので、太った事に気付かなかった。
あきれた弟は、何も言わずに部屋を後にした。


おしまい。

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最終更新:2008年02月24日 19:23
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