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陽のあたる忘れ物 prologue ◆UFrJSLI6GU sage 2008/04/25(金) 17:08:16 ID:5ReFOynU
俺だって何もしなかったわけじゃない。
幼い頃は幼い頃なりに。
思慮分別がつくようになってからもその時の自分のできる限りのことをして、2人の関係の正常化に努めてきたつもりだ。
だが2人に(少なくとも1人は確実に)その気がないようなのだから、もとより俺のそんな努力が実るはずもない。
さらに家族としての形をなんとか保つことのできる程度の会話を、交わしていることもまずかった。
自分たちの日常が破壊されるほどの何かがなければ、革命的な変化は起こり得ない。
彼女たちは最低限の言葉を交わすことで、その何かをギリギリのところで回避し続けてきたのだった。
131 陽のあたる忘れ物 第一話 ◆UFrJSLI6GU sage 2008/04/25(金) 17:09:45 ID:5ReFOynU
俺が居間を後にして自室へ戻り、通学鞄の中身を確認しているところでドアがノックされた。
「どうぞ」
すぐにドアが開き、
姉さんがひょこっと顔を覗かせる。
「ようくん、そろそろ行こ?」
「うん、すぐ行くから先に出ててよ」
俺が高校に入学してから半年以上経つのに、彼女は顔をほころばせ子供のようにこくんと頷くと静かにドアを閉めた。
どうやら一緒に登校できることが嬉しいらしい。
出勤の準備を始めていた母さんにあいさつをしてから、姉さんの待つ玄関へ向かった。
玄関の扉をくぐるとひんやりとした空気に全身が包まれる。
季節のうつろいを感じていると、鞄を持っていないほうの腕にひしっと暖かいものが巻きついた。
「ふふー、寒そうにしてるようくんのために、お姉ちゃんが1日限定のあったか抱きカイロになってあげるね?」
そのぷにぷにの腕をいっそう強く絡ませ、身長が俺の胸の高さにも満たない小さな身体を俺にぴったりとくっつける、嬉しそうな姉。
茶色のブレザーとチェックの模様のついたスカートがよく似合っている。
「毎日してることは、1日限定なんて言わないよ……どちらかというと抱かれてるの俺だし」
「もー、ようくんは細かいんだから。そんなんじゃお姉ちゃんにもてないよー?」
「そこは女の子にって言うところでしょ?」
と冗談めかして言ったのだが……身体が後ろに引っ張られる。
振り返ると姉さんが少し顔を俯け、立ち止まっていた。
身長差から彼女の表情を窺い知ることはできない。
「どうしたの?姉さ…っい!?」
俺の腕が痛いくらいに締め上げられる。
彼女の唇が小さく開き、普段より少し低い声で言葉が紡がれる。
「ようくんは……私だけなんじゃないの?それとも………アレは嘘だったの?」
アレ……
姉さんがことあるごとに口にする言葉。
彼女が何よりも大切にしているもの。
でも俺はアレのことを覚えていない。
漠然と大きい存在だと考えていた姉さんは、本当は小さく脆いということを理解し、姉さんを守ろうと誓った日。
アレはその日に確かにあったことなのだろう。
しかし10年という長い時間の中で、忘却の彼方に埋もれてしまった。
「ごめん姉さん、俺が軽率だった。姉さんの気持ちも考えずに……本当にごめん、アレも嘘じゃないんだ」
俺はまた姉さんに嘘をつく。
己の愚かしさに吐き気がする。
なんのかんのと理由を付けて、大切なことを忘れてしまった自分を正当化しようとしている、要は姉さんに嫌われたくないだけなのだ。
姉さんに冷たい目で見られる、そう考えただけで身体の芯が冷たくなる。
なんて自分本位で浅ましい考えなのだ。
俺はどれだけ姉さんの想いを冒涜すれば気が済むのだろう?
アレは嘘じゃない、本当だとようくんは言ってくれた。
彼だけは私の全てを受け入れてくれる、私だけを見ていてくれる。
この世界で唯一、心から信じることのできる存在。
分かってる、分かってはいるけれど時には確かめたくなるのだ。
ようくんは謝ってくれた、不安にするようなことを言ってごめんと。
許すよ、ようくん。
でもあまり不安にするようなことはしないでほしい。
不安になった私が何をしでかすのかわからないから。
自分自身が恐ろしい、ようくんにひどいことしちゃうかもしれない。
だけど私はそんな自分を御することはできないだろう、それほどまでに彼を想う気持ちは大きく育ってしまっているのだから。
返事をするかわりにようくんの大きな胸に顔をうずめる。
彼の身体は温かなお日様の匂いがした。
132 陽のあたる忘れ物 第一話 ◆UFrJSLI6GU sage 2008/04/25(金) 17:10:28 ID:5ReFOynU
「じゃあ…またお昼にね?」
「うん」
名残惜しそうに俺の腕を放した姉さんが隣の校舎に吸い込まれていく姿を見送り、俺も自分の教室に入る。
この高校には職員室や事務室、保健室などがあるA棟、2年生と3年生の教室があるB棟、1年生つまり俺の教室があるC棟の3つの校舎がある。
それなりに地元では名の通った学校ではあるが、公立の高校であるため設備の面では私立の高校に少々劣る。
自分の机の引き出しに鞄の中から取り出した教科書やらノートやらを放り込んでいると、誰かが俺の机の前に立っていることに気がついた。
「今日も愛しのお姉様とラブラブだったようだな、陽(あきら)」
「見てたのか……」
俺を本名である陽(あきら)とよぶ長身の男の名前は、倉橋 歩(くらはし あゆむ)。
俺の中学校へ通っていた時からの友人である。
成績は極めて優秀で試験では常にトップ5をキープしており、運動においても誰にも負けない天性の才能を発揮する。
特に彼の父が道場を営む、剣道は全国大会に数度出場するほどの腕前を誇る。
まさに文武両道を地でいき、さらに周囲からの人望も篤いときているのだから非のつけどころがない。
「往来の真ん中で腕をくんでいれば、いやでも目につくだろ」
まぁ、道理だな。
「やっぱり、姉さんと一緒に登校するのはまずいかな?」
高校生にもなって姉弟でそんなことをするのは、やはり変なのかもしれない。
「いや、大丈夫だろ。2人が姉弟だってことを知ってるやつなんてそういないんだし」
「そういや、そうか」
でも気をつけるに越したことはない、姉が弟にベタベタ甘えているところを見れば、異常に思うことうけあいだ。
「しかし、僕はお前の境遇が非常に羨ましいぞ。可愛い姉と美人な姉の2人と一つ屋根の下で、生活できる奴なんてそうそういるもんじゃない」
「………うん、まぁそうかな」
こいつは母さんのことを俺の姉だと思っているらしい。
訂正するのも面倒なので放っておくことにする。
「おーい、倉橋」
教室の前方で男子生徒がこちらに手招きをしている。
「ん、すまないが呼ばれているようだ」
わざわざ断りを入れてから、俺の席から離れる。
1人になった俺は窓際の席に座る幼なじみの少女へと視線を向けた。
彼女の名前は上家 泉(かみいえ いずみ)。
ある一件から彼女とはよく遊ぶようになった、しかし彼女は小学校を卒業すると同時に全寮制の女学校に入学したのだ。
そして1度も会うことのないまま3年が過ぎた。
そして昨日彼女はこの高校に転入してきたのである。
少し冷たい感じのする整った容貌と豊かな胸、身長は平均より少し高く髪はセミロングの彼女は妙な時期に転入したこともあり、周囲から明らかに浮いていた。
彼女はあのことを覚えていたから戻って来たのだろう。
やはり俺から話しかけるべきか、そうするとどんなことを話せばいいんだ?
などと考えていると彼女と目が合った。
慌てて目を逸らす情けない俺。
思い直し再び窓際の席を見ると、彼女は頬を紅くして俯いていた。
133 陽のあたる忘れ物 第一話 ◆UFrJSLI6GU sage 2008/04/25(金) 17:12:49 ID:5ReFOynU
私にとっての小学校での6年間は、ただの猶予期間だった。
でもそれは私を世間から隔離されたお嬢様学校に閉じ込めようとしていた厳格な父に、せめて幼い内だけは普通の子供と同じようにさせてあげたいと母が一矢報いた結果だったのだ。
そのことを私が知ったのは6年生の秋。
父に彼の書斎に呼び出され、小学校を卒業したらみんなとは違う学校に行くこと、その学校の寮で暮らすことになること、そこの付属大学を卒業するまで帰ってここには帰ってこれないことを教えられた。
私は愕然とした。
彼―――あきら君ともう少しでお別れしなければならない?
そんなのいやだ、でも私はその気持ちを口にすることはできなかった。
幼い頃の私には父の言葉は絶対だったのだ。
野々原 あきら君、彼を初めて1人の男の子として意識したのは2年前。
その日、私は間近に迫った父の誕生日の
プレゼントを買うために両親に内緒でデパートにきていた。
そしてその帰りに道に迷った。
思ったよりプレゼントを選ぶのに時間がかかったらしく、辺りは既に真っ暗になっている。
そんな夜道を迷いながら1人で歩いている時に彼に出会った。
「あれ?上家さん?」
「あ……野々原…君」
「こんな時間にどうしたの?…泣いてるけど何かあったの?」
彼も自分の家に帰るところだったのだろう、だけど私が道に迷っていることを伝えると自分が送ると言ってくれた。
「ほんとうにいいの?」
「うん、そんなに離れてないし。じゃあ行こう」
「あ……ありがとう」
私たちは手をつないで歩く。
彼の手はとても温かくてなんだか心が安らぐようだった。
しばらくすると私の家とその前に立つ父の姿が目に入る。
父も私たちに気がついたようで近づいてきた。
お父さんただいま。
そう言おうとした私を遮るようにして、父は野々原君を大声で叱りつけた。
父は彼が私を連れまわしていたと勘違いしているようだ。
野々原君は何も悪くないよ、そう言いたかったけど声がでない。
私は初めて見るそんな父の姿に恐怖を感じていたのだ。
一通りの叱責を終えた父は、私の手を引いて家にはいる。
後ろから野々原君の「ごめんなさい…」という小さな声が聞こえた。
134 陽のあたる忘れ物 第一話 ◆UFrJSLI6GU sage 2008/04/25(金) 17:13:13 ID:5ReFOynU
その翌日、私は学校に行きたくなかった。
親切にしてくれた野々原君になんて酷いことをしてしまったのだろう。
嫌われてしまっただろうな、でも謝らないといけない。
私は学校に着くとすぐに野々原君に駆け寄った。
「あ、あの…野々原君!」
「おはよう、上家さん。昨日はお父さんに叱られなかった?」
「う、うん。怒られなかったよ」
「そっか、良かったね」
父に叱られたのはあなたなのに……どうしてそんな穏やかな表情をしていられるの?
「あの、き…昨日はごめんなさい。お父さんが勘違いしちゃって……」
「ううん、全然気にしてないから」
その言葉の通り、彼はその後も私に対する態度を変えなかったのだ。
それから気がつくと彼のことを目で追うようになっていた。
そしてその2年後、私とあきら君は近所の公園にいた。
彼は私がここを離れるという話を聞き終わると「泉ちゃんはそれでいいの?」と私に問う。
「いいも悪いもないよ…お父さんがそう決めたんだもの」
「でも言いたいことがあるならきちんと伝えなきゃだめだよ?それができるのが家族なんだから」
「そうなの?」
「うん。僕の家にもうまく自分の気持ちを伝えられない人がいるんだけど、その人と僕のお母さんは家族に見えないから……」
彼は少し悲しそうな表情でそう言った。
「そうなんだ、じゃあその人にも伝えなきゃって教えてあげたの?」
「その人は僕から教えてもらわなくてもいつか自分で気づくと思う、だからそれまでは僕がその人を護ろうって決めたんだ」
「そっか……じゃあ、私も自分の気持ちをお父さんに伝えられるようにがんばる。だからそれまで待っていてくれる?」
「わかった。僕、泉ちゃんが戻ってくるまで待ってる」
「ありがとう、あきら君」
私のあなたへの想いを伝えるのも帰って来てからにしよう、だからあなたも待っていてくれるよね?
そして3年をかけて父を説得して彼のもとに戻ってくることができた。
でもずっと願い続けた彼との再開を果たすことができたというのに、昨日は彼に話しかけることが出来なかった。
怖かったのだ。
もし彼が私のことを覚えていなかったらどうしよう……。
胸が締め付けられる。
そんな時、彼と目が合った。
恥ずかしさから思わず顔を伏せる。
ううん、こんなことじゃいけない。
震える足に力を注ぐ。
さぁ、立ち上がろう。あの時の誓いを果たすために
最終更新:2008年04月27日 21:08