528 転生恋生 第六幕(1/4) ◆U4keKIluqE sage New! 2008/11/18(火) 22:00:51 ID:flLkkpfy
教室へ戻ると、既に他のクラスメートは帰宅したのか無人状態になっていたが、招かれざる客が来ていた。
「ご主人様ーっ!」
今朝の電波犬女だった。俺を見つけるやいなや、ダッシュして飛びついてきた。食後で頭も体も動きが鈍っていた俺はかわせなかった。
小柄とはいえ、勢いをつけて全体重でのしかかられると支えきれない。俺は押し倒されてしまった。今朝と同様に、顔中を舐めまわされる。
「やめろっ!」
なんとか顎を手で押しのけて、引き剥がすことができた。俺は上半身を起こしたが、相変わらず膝の上に乗っかられている。
「くそっ! 汚ぇなぁ、ったく」
俺はハンカチで顔についた涎を拭いた。
「なんなんだよ、おまえは!」
「ボクだよ、忘れたの? 犬井司!」
名前は覚えている。問題はそこじゃない。
「なんだっておまえは人の顔を舐めるんだ!」
「愛情表現だよ!」
「そんな愛情表現はいらん! つーか、おまえの愛情自体いらん!」
「なんでそんなこというのさー!」
犬井は見る見るうちに泣きそうな顔になる。ただでさえ童顔なので、俺の方がいじめているような気分になってしまう。
「とにかくだ! 人の顔を舐めるな! 俺はそんなことされたくない!」
「えー? ご主人様はボクが顔を舐めるのを喜んでたじゃないかー」
「知るか! おまえの記憶に関係なく、この俺は人に顔を舐められるのが嫌なんだ!」
「むー」
犬井は不満そうだったが、やにわに俺の腕をとった。
「じゃあ、こうする」
いきなり噛みつかれた。普通に痛い。ふりほどこうとしても離れない。こいつは見かけによらず顎の力が強い。
「今度は何だ!?」
「甘噛み」
本当に犬みたいなやつだ。
「やめろ! 痛いだろ!」
犬井は素直に離したが、ますます欲求不満が募ったようだった。
「ご主人様は腕が細くなったね。前はもっと逞しくて、これくらい平気だったのに」
「だから、知らんと言ってるだろうが」
いったい、こいつの知る前世の俺はどんなやつだったんだ? まあ、具体的に説明されても信じる気はないが。
529 転生恋生 第六幕(2/4) ◆U4keKIluqE sage New! 2008/11/18(火) 22:01:48 ID:flLkkpfy
「舐めるのも噛むのもダメだなんて、ボクはどうやってご主人様への愛情表現をすればいいのさ?」
「何もするな! あと、間違っても人前で『ご主人様』なんて呼ぶな! 俺はそんな趣味はない」
「じゃあ、何て呼べばいいの?」
「普通に『先輩』と呼べ」
「わかった! これからはなるべく『センパイ』って呼ぶね!」
カタカナ臭い発音なのが気になるが、これで妥協するしかない。
「それで……、犬井だっけ? 何の用だ?」
「司でいいよ!」
「じゃあ、司。いったい何の用でここへ来たんだ?」
「あのね、ご主人様に聞きたいことがあって来たの」
なんでも、司は俺と同じ部活に入りたいので、俺の所属を確認に来たのだという。
「俺は帰宅部だ」
「入部届はどこに出せばいいの?」
「アホ! 帰宅部ってのはどこにも入っていないってことだよ」
「えー、そんなのつまんないよー。一緒にどこかの部活に入ろうよー」
司は俺の胸倉をつかんで激しく揺さぶった。振動で酔ってしまいそうなので、手を引き離してやめさせる。
「俺にかまわずに好きなところへ入ればいいだろう。おまえは何かやりたいことはないのか? 中学では何をやっていた?」
「陸上部!」
「種目は何だった?」
「短距離走だよ! ボク、走るのが好きなんだ。だから陸上部がいい。センパイも一緒に入ろうよ!」
「嫌だ」
「どうして?」
実は陸上部にも体験入部したことがある。並の記録しか出せなかったが、部員は姉貴目当てで俺に入部を勧めた。それがわかっていたから入る気にならなかった。
「部活をやる気がしない。上下関係とか面倒だし、2年生から入ると色々と人間関係がわずらわしい」
この理由は司に対してまるで説得力を持たなかったらしい。
「ボクが一緒にいるからいいじゃない!」
おまえにつきまとわれたくないからだ、と言いそうになって思いとどまった。初対面のはずなのに、どうしてこいつは俺にこだわるんだろう?
もちろん前世がどうという話は信じられないが、司が俺に対してどういう感情を持っているのか、そこを確かめないと話が噛み合わないような気がしてきた。
「おまえさぁ、何だって俺にくっつきたがるんだ?」
「センパイがボクのご主人様だから!」
「前世で、か?」
「そうだよ! ボク、ずっとご主人様に会いたかったんだ。やっと会えたんだから、これからはずっと一緒にいるよ!」
迷いのない口調で言い切る。俺の都合なんかお構いなしだ。こういうところは姉貴とそっくりだな。電波女はどれも似たようなものらしい。
530 転生恋生 第六幕(3/4) ◆U4keKIluqE sage New! 2008/11/18(火) 22:02:38 ID:flLkkpfy
「だけどな、肝心の俺には前世の記憶とやらがない。だから、おまえに付き合うつもりもない。俺に冷たくされても、おまえは俺につきまとうのか?」
「そのうち思い出すよ!」
「どうしてそう言い切れる?」
「ボク、信じているもん!」
だめだ。自己完結しているから、俺の言い分はまるで取り合ってもらえない。言葉は通じても話が通じないというのは、実にイライラさせられるな。
「……結局のところ、おまえは俺にどうしてほしいんだ?」
「ボクのご主人様でいてくれればいいよ」
「彼氏になってくれってことか?」
「ご主人様はご主人様だよ」
わけがわからん。俺のパシリにでもなりたいというのか。
「ご主人様って、何すりゃいいんだ? エサでもやるのか?」
「んっとね、ボクはご主人様を守るから、ごほうびに優しくしてくれるの! それで満足だよ」
守るって、何からだ? 優しくするって、彼氏として優しくするというのと違うのか?
ひょっとすると、俺は生まれて初めての彼女を持つチャンスを目の前にしているのかもしれない。それでも、心が沸き立つ感じはなかった。
「たとえばだ。俺がご主人様としての役目を果たしていたら、俺がおまえの他に彼女を作ってもかまわないのか?」
「妾を持つのは男の甲斐性だよ!」
いや、妾って何だよ。
「ボクはご主人様を守れれば、それでいいから。……あ、でも家来の中ではボクが一番だからね!」
また微妙に難しい注文を出すなぁ。彼女っつーか、妾と家来、彼氏とご主人様の違いがよくわからん。
「とにかく、ボクはご主人様を守るから! 昔みたいなことがないように、敵を近づけないからね!」
「敵って、どんなのだ?」
「ご主人様を誑かす悪いやつ」
どうにも具体性に欠ける答えしか返ってこない。犬並の頭だから、論理的説明ができないんだな。呼び方も『ご主人様』に戻ってるし。
やはり俺はこいつを恋愛対象として見ることはなさそうだ。まあ、小学生といっても通じる外見の時点で対象外なんだが。
何にしても、こいつの扱い方を考える必要がある。ご主人様云々の話に合わせた上で理屈をこねないといけない。
「話を戻すぞ。俺が一緒の部活に入らないのは、おまえのためだ」
「ボクのため?」
意外な言葉だったらしく、司は明らかに面食らった。
「そうだ。おまえはどういうわけか俺にくっつき過ぎる。同じ部活に入ったら、おまえは友達を作らずに俺にべったりになるだろう。それはおまえのためにならない」
なんだってこんな説教じみた話し方をしているのか、自分でもよくわからなかったが、今は司を言いくるめるのが最優先だ。
「おまえにはおまえの高校生活が必要だ。これは俺の親心だと思え」
親って何だよ? 自分で自分に突っ込まざるをえない。
「わかった! ご主人様はボクのことを思ってくれてるんだね!」
司はこんな説得が通じるほどに単純な頭の持ち主だったようだ。なんだか、かわいそうな子に見えてきた。
531 転生恋生 第六幕(4/4) ◆U4keKIluqE sage New! 2008/11/18(火) 22:03:20 ID:flLkkpfy
「じゃあ、ボクは陸上部に入って頑張るよ。大会に出たら、応援に来てくれる?」
「おう、それくらいはかまわんぞ」
どうせ夏休みは暇だし、それくらいはいいだろう。
「休み時間は会いに来るから!」
「毎回は困るけど、まあ俺が暇なときなら話相手くらいにはなってやる」
これからは、休み時間はなるべく教室から離れるようにしておこう。留守なら、こいつも諦めて帰るしかないだろうからな。
それが二度三度続けば、避けられていることに気づくはずだ。俺としてはこの電波犬女の始末に、ある程度時間がかかることを覚悟せざるをえなくなっていた。
「それじゃあ、早速入部してこようっと!」
司は俺の膝の上から立ち上がった。やれやれ、やっと解放される。司の体重は軽いが、ずっと乗っかられていたので足がしびれた。
「あ、そうだ! もう一つ大事なことがあった!」
「何だ?」
「舐めるのも噛むのもダメなんでしょ? どうやって愛情表現すればいいの?」
「だから、そんなものやらんでいいと……」
「思いついた!」
人の話を聞いちゃいねぇ。
「今度から、こうするね!」
柔らかくて湿った感触が鼻を襲った。キスされたのだと気づいたときには、司は廊下を駆け出していた。
「バイバイ! またねー!」
天真爛漫としか表現しようのない笑顔を見せながら、司は走り去った。
「……唇でなくてよかった、な」
俺としては自分にそう言い聞かせるしかなかった。
その後は図書室で姉貴と合流して、二人とも適当に選んだ本を読んで夕方まで過ごした。さすがに読書中は姉貴もおとなしくしていた。
ちなみに俺が読んだのはアガサ・クリスティーの短編集だ。読み終わらなかったので、借りることにした。
姉貴はギリシャ悲劇の『オレステイア』を読んでいた。こちらは何度も読んでいるらしく、特に借りようとはしなかった。
雉野先輩とのことがあったせいか、姉貴はいつにもまして帰り道で俺にくっついてきた。
普通は新学期第1日なんて、あっさり終わってしまって、大して印象に残らないもんだが、今日はやけに1日が長く感じた。
明日から授業が始まるから、落ち着いていつもの日常に戻るだろう。そうだ、今日だけが非日常だったんだ。
俺は何度も自分に言い聞かせた。何故か、自分が平凡な生活から逸脱するような予感がして、それがたまらなく不安になっていた。
最終更新:2008年11月23日 22:25