431 転生恋生 第八幕(1/5) ◆U4keKIluqE sage 2008/12/28(日) 23:01:51 ID:Q34fdWsJ
日曜日の午前中、部屋で漫画を読みながらだらけていると、携帯の着メロが鳴った。発信者名を見ると猿島だった。これは初めてのことだ。
「もしもし?」
「桃川君、おはよう。今日は暇かしら?」
「ああ、暇だけど」
「始業式の日に私の芝居が見たいって言っていたわよね?」
「おう、言った」
「用意ができたから、見せてあげるわ」
「そうか。わざわざすまないな」
猿島の演劇部での公演を撮影したビデオでも貸してくれるのだろう。特にすることもないし、暇つぶしにはちょうどいい。
「それじゃあ、午後1時にF駅の改札で待ち合わせしましょう」
F駅は俺たちが通っている学校の最寄駅だ。猿島も電車通学だったと思うが、たぶん俺の家とはF駅を挟んで反対方向にあるんだな。それで中間地点のF駅でビデオの受け渡しをするというわけか。
……いや、ビデオの受け渡しなら月曜日に学校でやってもかまわないはずだ。
「俺は急がないぞ。月曜日でもいい」
「学校では無理」
ビデオを渡すくらいがどうして無理なんだ? まあ、わざわざ時間を割いて貸してくれるというんだから、あえて逆らうこともないか。
「それなら、改札を出る前のところで落ち合うってことでいいか?」
改札を出なければ、運賃を払わずに済む。ちょっとせこいが、これも生活の知恵だ。
「うん、その方がいいわね」
猿島も小市民的感覚の持ち主らしい。
「じゃあ、F駅の改札のホーム側で、1時に」
「ええ、また後で」
それで電話を切ると、俺は午前中はだらだらと過ごした。おふくろに頼んでちょっと早めの昼食をとらせてもらってから、簡単に身だしなみを整えて12時20分に家を出た。
普段なら俺の外出には必ずといっていいほどついてくる姉貴は、今日は居間のソファでぐったりしていて元気がない。
「たろーちゃん、お出かけ?」
「ああ、ちょっとクラスメートにビデオを借りに行ってくる」
「AVだったら、一緒に見ようね」
「アホ!」
姉貴としてはAVを見て気分が盛り上がったところで禁断の姉弟愛になだれ込みたいところだろうが、こっちも手の内はわかっているから引っかからない。そもそも高校の演劇で性的興奮を覚えるやつがいるか。
432 転生恋生 第八幕(2/5) ◆U4keKIluqE sage 2008/12/28(日) 23:02:59 ID:Q34fdWsJ
悪態をついたが、俺は姉貴にいつものうっとうしい元気がないのに気づいていた。といっても、特に心配する必要はない。病気以外の原因だとわかっているからだ。
そう、健康な女性なら月が満ち欠けする度に必ず訪れる試練の日だ。姉貴もこの運命からは逃れられない。腕力で並ぶ者がいない姉貴が俺よりも弱くなり、そのために俺が貞操の危機を感じずに済む、月に1度の安息日だ。
「うー、今日は何もしたくないー」
姉貴は本当に辛そうだ。こればかりは気の毒だが、俺にはどうしようもない。
「でもいいの。将来たろーちゃんの赤ちゃんを産むための苦しみだと思えば耐えられるわ」
「……耐えなくていい」
キモい姉貴は放っておいて、俺は猿島との待ち合わせ場所に向かった。
F駅の改札に着いたのは午後1時ちょうどだった。猿島はまだ到着していないらしく、見当たらない。時間には正確そうだったから、ちょっと意外だ。
配信ゲームで時間を潰そうかと携帯電話を取り出したとき、俺を呼ぶ女の子の声がした。
「桃川くーん!」
声のした方を見ると、知らない人だった。茶髪のロングヘアで、下はミニスカートとブーツ、上はこざっぱりとしたシャツだが、ボタンをほとんどとめていないのでキャミソールが覗いている。
……誰だろう? 明らかに俺の方へ駆け寄ってくるが、人違いか? でも桃川なんて苗字はそんなに多くはないしなぁ。
その子は俺のすぐ傍まで来ると、ぱっちりした目を輝かせてニコッと微笑んだ。目元や頬、唇などうっすらと化粧をしており、かなりかわいい。
「ごめん、ごめん。待った?」
「いや……待つも何も……誰?」
「やだなぁ、けいちゃんだよ」
「けいちゃん?」
多分、俺は眉を寄せたと思う。彼女は左肩に提げていたショルダーバッグから手帳を取り出して俺に突きつけた。
「ほら、見て」
それは生徒手帳だった。氏名は『猿島景』と記入されており、教室で俺の隣に座っている地味な眼鏡の女の子の証明写真が貼ってある。
つまり、目の前の『けいちゃん』と猿島は同一人物ということらしい。
「え!? おまえ、猿島なの?」
あからさまに動揺した俺に、猿島は変わらずニコニコしている。
「けいちゃんだよ。そう呼んで」
「けい……ちゃん?」
物凄く違和感がある。だが、猿島は「よくできました」と言うと、いきなり俺の手を取った。
「髪を触ってみて」
言われるままに髪を指で梳いてみると違和感がある。どうやらウィッグらしい。すると眼鏡の代わりにコンタクトをしているわけか。
私服で化粧をしているということもあるけど、女は化けるっていうのは本当だな。
433 転生恋生 第八幕(3/5) ◆U4keKIluqE sage 2008/12/28(日) 23:04:01 ID:Q34fdWsJ
「わかった? じゃあ、行きましょう」
猿島は俺の手を取ったままホームの方へ歩き出した。
「え? どこへ行くんだ?」
「T駅よ。ほら、急いで」
てっきりビデオをもらって別れるものと思っていた俺は戸惑うばかりだったが、猿島の予想外に柔らかい手の感触に逆らえなかった。
言われるままに俺はT駅へ向かう電車に乗り込んだ。中は空いていて、俺たちはボックス席に向かい合って座ることができた。
「なあ、いったいこれはどういう……」
「せっかくの日曜日なんだから、遊びましょうよ」
猿島は楽しげに笑う。同じクラスになってから2週間だが、隣の席にいながら、俺はこいつの表情を1種類しか見たことがない。
普段はまるっきり無口で無愛想で無表情なこいつが、こんなフレンドリーな、悪く言えば媚びるような笑顔を持っているなんて夢にも思わなかった。
とりあえず、このまま誘いに乗ってみるか。貴重な体験だもんな。
気を楽にすると、俺は目の前にいる女の子をけいちゃんとして受け入れることにした。
T駅までは15分程度なのでさして話すこともなかったが、俺は何か場を持たそうと、彼女が着ている服を誉めてみた。
けいちゃんは素直に喜んだ。実際、よく似合っている。フェミニンでかわいらしいし、キャミソールの胸元の慎ましやかな谷間やミニスカートが作る絶対領域など、男心をくすぐる色っぽい要素も満載だ。
俺が特に目を奪われたのは脚というか太ももだった。細いというより、引き締まっている。そこそこ筋肉質らしい。猿島は本の虫という印象だったから、これは驚きだ。
「何か、普段運動しているの?」
「どうして?」
「脚が引き締まっているからさ」
「けいちゃんの脚ばかり見てたんだ。やーらしーな」
「あ……、ごめん。じろじろ見ちゃって……」
スケベと思われたか。せっかくの雰囲気を壊したか。
うろたえる俺を楽しむように、けいちゃんは右手の甲を口元に当ててクスクスと笑う。
「べつにいいよ。見せたくてミニを穿いてきたんだから」
「そうなのか?」
「女の子は男の子の視線を集めたいものよ」
「さし……けいちゃんもか?」
「そうよ。でも今日は桃川君の視線がほしいかな。だから、けいちゃんのことだけをいっぱい見つめてね」
何なんだ、この歯の浮くようなやりとりは。漫画やラノベの中でしか目にしたことのない台詞だ。まさか、俺の人生でリアルに体験できるなんて。
けいちゃんの説明によると、彼女はダンスのレッスンを受けているのだという。将来舞台女優になるための修行の一環だそうで、つまり猿島がそのような志望を持っているということか。
ダンサーは皆筋肉質だから、猿島も見かけに寄らず引き締まった体をしているということになる。見た感じウェストが細いし、おそらく腹筋も割れているんだろう。
434 転生恋生 第八幕(4/5) ◆U4keKIluqE sage 2008/12/28(日) 23:05:07 ID:Q34fdWsJ
電車がT駅に着いた。改札を出るとすぐにショッピングモールが広がっている。けいちゃんは通り抜けるついでにウィンドウショッピングがしたいと言った。
女物のアクセサリーの店には、姉貴に無理やり引っ張り回されて入ることが多い。俺はいつもうんざりさせられるんだが、けいちゃんと一緒に彼女に似合うアクセサリーを探すのはとても楽しかった。
それから帽子屋とジーンズショップに入った。けいちゃんが試着して見せてくれたが、どれもかわいかった。コスメショップにも入ったが、ランジェリーショップはスルーしてくれたので助かった。
ショッピングモールを抜ける頃には、けいちゃんは自然に俺と腕を組んでいた。腕に当るけいちゃんの体の控え目な感触が心地よい。
この街には近隣の高校生が遊び場にしているアミューズメントパークがある。ゲームセンターやボーリング、ビリヤード、カラオケといった安い遊びが詰まっていて、金はないけど時間はあるという学生が遊ぶにはもってこいの場所だ。
俺たちはビリヤードをやった。俺はこれが人生3回目のビリヤードだったが、けいちゃんは初めてだそうで、まるでうまくできなかった。どうやら手先は不器用らしい。
けいちゃんはミニスカートなので、台に乗り出して球を打つとき、俺は他の客にスカートの中身を見られないよう、ガードする位置に立つことを心がけた。
「桃川君は紳士だね」
けいちゃんはそう言って笑ったが、俺自身がけいちゃんを他の男どもの邪な視線に晒したくないという気持ちになっていた。
次にクレーンゲームをやった。俺はけいちゃんが欲しいというぬいぐるみを取るのに挑戦したが、成功しなかった。千円を投資して失敗したところで、けいちゃんが止めたのだ。
「そんなに無駄遣いしちゃダメだよ。申し訳なくなっちゃう」
これでますますけいちゃんに対する好感が高まった。男に金を使わせるのが女のステータスだと思い込んでいるやつらに、けいちゃんの爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
クレーンゲームのお返しということで、けいちゃんのおごりでプリクラを撮った。過去にグループで撮ったのは別として、女の子と二人でプリクラを撮るのは初めてだった。
姉貴には無理やり撮らされたことがあるが、もちろんそんなものはカウントしていない。
それほど新しい機種ではなかったが、手書きの文字を書き込める機能がついていた。
「ねぇ、何て書こうか?」
「けいちゃんに任せるよ」
そんなやり取りを経てけいちゃんが書き込んだのは、「ふたりの初デート記念」という一文だった。
印刷されたプリクラを見ると、俺の顔は真っ赤になって写っていた。
あっという間に夕方になった。最後に、けいちゃんの願いで観覧車に乗ることにした。
係員に誘導されて二人で乗り込み、向かい合うように座った。夕日の赤い光に照らされるけいちゃんの顔は文字通り輝いて見えて、眩しかった。
またこんな風に二人で会いたい。そう口に出そうとしたとき、けいちゃんは自分の髪をゆっくりと引き剥がした。
ウィッグを外した後には、黒髪ショートヘアの無表情な女の子が残された。
「今日はお疲れ様」
猿島は普段教室でそうしているように、無機質な口調で俺をねぎらった。
ああ、そうか。目の前にいるのは猿島なんだ。シンデレラタイムはもう終わりというわけか。
俺は自分でも不思議なくらい冷静に気持ちを切り替えることができた。
「お疲れ……。というか、今日のは何だったんだ?」
「桃川君が私の芝居を見たいと言ったから、ご要望にお答えしたまでよ」
化粧はそのままなのに、まるっきり猿島だ。そうとしか言いようがないほどに淡々とした口調で、熱のない視線を俺に向けている。いつもと違うのは眼鏡がないことだけだ。
435 転生恋生 第八幕(5/5) ◆U4keKIluqE sage 2008/12/28(日) 23:05:50 ID:Q34fdWsJ
「今日のは全部芝居だったのか」
「そう。いつもの私とは違うキャラクターを演じて見せたの。ご感想は?」
「凄いな。本当に別人だった。……でも、どうしてこんな手の込んだことをしたんだ?」
俺はてっきり、過去の公演を録画したビデオでも貸してくれるものと思っていた。まさかこんな長時間にわたる実演になるとは思ってもみなかった。
「芝居は生で見るものよ。ビデオで見たって、何も伝わらないわ」
「そういうものか?」
「そうよ」
猿島はきっぱりと言い切った。芝居とは役者の演技に対する観客の反応がその場で役者にフィードバックされ、その後の演技を左右する。それを繰り返して一回限りの空間を作り上げるものだという。
だから、自分の演技をチェックする以外の目的で、ビデオで芝居を見ることなど意味がないというのだ。
「桃川君は理想的な観客だったわ。私の芝居にのめり込んでくれたから、私も役に入り込むことができたもの」
ちょっとだけ猿島の言葉に熱がこもったような気がしたが、気のせいか。
「最初は面食らったけどな」
「無理もないわね。どんな舞台でも、幕が上がってから観客をその世界に引き込むまではタイムラグが生じるわ」
猿島がウィッグを付け直した。いつの間にか観覧車が1回転して、俺たちの入っているボックスが地表に戻ってきていたのだ。
茶髪のロングヘアに戻っても、もはや俺の目にはけいちゃんではなく猿島以外の誰にも見えなかった。
猿島自身も、これ以上芝居を続ける気はないらしく、いつもの口調で話し続けた。
「芝居は自分と全く違う人間になれるから、楽しいの。今日のキャラクターはオリジナルだから、作るのに時間がかかったわ。桃川君の目から見て、どうだったかしら?」
「けいちゃんの感想ってこと?」
「そうよ。鼻の下を伸ばしていたみたいだけど、わりと気に入ってもらえた?」
「ああ……、凄くかわいかった。普段もあんな風にしたら、男は9割方落ちると思う」
「それは無理。日常生活でまで芝居を続けていたら、体と心がもたないわ」
田中山は見たがると思うが。
「猿島の芝居が見たいって言ったら、今日みたいなことをまたやってくれるのか?」
「新しいキャラクターができたら、私の方から見てくれるようにお願いするかもしれないわね」
その口ぶりからすると、けいちゃんは今日限りで見納めらしい。
「ああ、そうそう、念のために言っておくけど、今日のことは黙っていてね。中山田君たちに知られると面倒くさいから」
確かに、連中に知られると「濡れ場」までリクエストしかねない。
帰路に乗る電車の方向が反対向きだったので、猿島とはT駅で別れた。猿島は一度も振り返らなかったが、俺はその後ろ姿をひたすら見つめ続けて、目に焼きつけた。
一人きりになった帰りの電車の中でも、俺は目を閉じてひたすらけいちゃんの姿を思い起こした。
姉貴は相変わらず体調不良だったから、今日の俺はのんびりと風呂に入ることができた。浴場で俺はけいちゃんの裸を妄想して抜いた。
その後もけいちゃんのことが頭から離れなかった。胸が焼けつくような感じがして、就寝時間まで悶々として何も手につかなかった。
なかなか寝つけなかったので、もう1回抜いた。自分がとてつもなく下らない男に思えて、切なくなった。
それでも体が疲労したせいか、やっと眠れることができた。
最終更新:2009年01月06日 20:33