244 転生恋生 第九幕(1/5) ◆U4keKIluqE sage 2009/01/26(月) 00:03:45 ID:K+1IM184
翌日の月曜日、俺は自分の席に着くときに、これまでにないほど緊張した。まともに猿島の方を見ることができなかった。
猿島は既に登校していて、いつものように文庫本を読んでいた。俺に対して、特に注意を払うそぶりもない。
俺はクラスメートに対する朝の挨拶は欠かさない方だ。相手が誰であれ、朝初めて顔を合わせたら「おはよう」と声をかける。
普段どおりにしないといけない。ちょっとでもルーチンを壊したら、全ての歯車が狂ってしまう。
そう思いつつ、俺は席につきながら声を出せずじまいだった。軽く「おはよう」ということができなかった。
ちらちらと猿島の方を見ながら何も言い出せずにいる俺に、猿島の方から声をかけてきた。
「おはよう」
視線は文庫本から外さなかったが、その一言で俺は救われた。
「おはよう」
何とか声を出すことができた。
そのやりとりだけで、朝は全く猿島と会話ができなかった。猿島はひたすら文庫本を読み続けるだけで、こちらから話しかけるのを拒絶する雰囲気を漂わせていたし、俺も何を話題にしてよいのかわからなかった。
だけど、俺は不思議と気分が楽になっていた。他の人がいるところで「けいちゃん」の話題を出してはいけないということはわかっていたし、猿島との間でその他の話題はありえない。
それならいっそのこと、会話がない方がいい。どうせ普段も猿島と挨拶以外で言葉を交わしていなかったのだから。
やがて茂部先生が入ってきて朝のホームルームが始まり、通常どおり授業時間となった。
3時限目は体育で球技の時間だった。今は体育館に集まって、男女混合でバスケットボールのリーグ戦をやっている。
一応男女双方に先生がついていて、準備運動などは別々にやる。2人1組でやる柔軟体操を男女で組んでやるのは色々と問題があるからだ。
まあ、男子の方はウェルカムなので、主に問題があるのは女子の方だが。
女子の担当は草葉梢先生だ。中性的な顔立ちでありながら、ジャージ姿の上からでもわかるすらりとしたモデル体型ということもあり、男女双方から人気がある。
若くて新任であるせいか、生徒から「梢ちゃん」と呼ばれているのは教師としてどうかと思うが、べつに俺が気にすることでもないか。
「梢ちゃん、個人指導してくんないかなー」
「今から水泳の授業が待ち遠しいぜ」
「梢ちゃんハァハァ」
田中山は草場先生に対しても欲情している。あいにく先生は既婚なのだが、こいつらには関係ないらしい。「むしろ人妻萌え~」とか言っているし、実にフレキシブルな感性の持ち主だ。
もっとも、俺は準備運動のときからずっと、猿島のことが気になってしかたがなかった。
うちの学校の体操服は男女共通でTシャツとハーフパンツだ。そのせいで猿島の太ももは見えない。普段も猿島はスカートを規定どおり膝下10センチで穿いているから、おみ足を目にする機会には恵まれなかった。
日曜日の「けいちゃん」のミニスカートから伸びていた太ももは、俺の脳裏に焼きついたままだ。今の猿島は「けいちゃん」の面影を微塵も感じさせない地味な女子高生なのに、俺は猿島の中に「けいちゃん」の影を追わずにはいられなかった。
試合が始まってからも、俺は隣のコートで動き回る猿島の姿を目で追っていた。バスケットボールは攻守の切り替えが激しい競技だが、猿島は走り回ることはそれほど苦にしていない様に見える。
その一方で、ドリブルミスが多い。手先が器用ではないというより、球技が苦手なのかもしれない。
俺自身プレーに参加しながら、ちらちらと猿島を観察し続けていたが、その努力は突然報われた。
245 転生恋生 第九幕(2/5) ◆U4keKIluqE sage 2009/01/26(月) 00:05:13 ID:K+1IM184
試合中、ゴール前で猿島がパスを受ける場面があった。フリーで、3ポイントシュートが狙える位置だった。「猿島! 撃て!」というチームメイトの叫びに応じて、猿島が一瞬屈んで溜めを作ってから、大きくジャンプしてシュートを放った。
見事な跳躍だった。読書少女のイメージからは想像もつかないほど高いジャンプで、ボールは慌ててカットに入った相手チームのメンバーの手が届かない高さで放物線を描き、ゴールめがけて飛んでいった。やはり足腰は鍛えている。
惜しくもボールはリングに跳ね返されたが、俺にとってはどうでもよかった。
跳躍の瞬間、Tシャツの裾がめくれ上がり、猿島の臍のあたりが見えた。俺の予想通り、猿島のウェストは引き締まっていて、くびれがあった。
ほんのコンマ何秒という短い間のできごとだったが、俺は充分目に焼きつけた。
邪念の代償はすぐに訪れた。
自分が参加している試合のボールから目を離していたために、俺はパスが送られてきたことに気づかず、ボールをまともに鼻で受け止めた。
更に悪いことに、衝撃でよろけた拍子に転倒し、右足を挫いてしまった。ここまで無様な怪我の仕方も珍しいだろう。
「何やってんだ、ボケ!」
チームメイトの罵倒も甘んじて受けるしかない。傍から見ればボケているとしかいいようのない醜態だった。
とはいえ痛いものは痛い。尻餅をついて右足首を押さえている俺のところへ、草場先生が心配そうな顔で駆けつけてきた。
「桃川君、大丈夫?」
「……すいません。ちょっと休ませてください」
「保健室に行きなさい。無理は禁物よ」
草場先生はクラスの保健委員を呼んだ。保健委員は各クラスから男女1名ずつ選ばれているが、男子の委員(確か足利と言った)は陸上部の競技会で公欠を取っていたはずだ。
「私が保健委員です」
名乗り出たのは猿島だった。そうだ、女子の委員はこいつだった。
俺は猿島に付き添われ、右足を引きずりながら保健室へ向かった。
「肩を貸しましょうか?」
猿島はそう申し出てくれたが、猿島に触れるなんて、恥ずかしくてとてもできない。
保健室へ着いてみると、『養護教諭出張中 器具は保健委員が管理すること』という貼り紙が扉にしてある。つまり、猿島が俺の手当をしてくれるというわけだ。
「そこへ座って」
俺は言われたとおりに椅子へ腰かける。猿島は慣れた様子で棚から包帯と湿布を取り出すと、俺の靴下を脱がして右足首の手当を始めた。
「慣れてるんだな」
黙っていられなくて話しかけた。俺としては猿島を見下ろす形になるが、細いうなじが眩しくて、自分のために手当をさせることにくすぐったい気分がしてならない。
「よそ見をしているからよ」
猿島は意味のわからない言葉を返した。
「は?」
聞き返した俺に、顔を上げずに猿島がぶっきらぼうな口調で補足する。
「私の方を見ていたでしょう?」
気づかれていた。俺は頭に血が上る思いだった。
「何のことだ?」
246 転生恋生 第九幕(3/5) ◆U4keKIluqE sage 2009/01/26(月) 00:06:27 ID:K+1IM184
こういうときにすっとぼけようとするのが、平均的男子の見苦しいところなのかもしれない。
「バレていないとでも思っているの?」
猿島が手を止めて、俺を見上げた。眼鏡越しに冷たい眼差しを向けられて、俺としては断罪される罪人のような気分に突き落とされた。
「ごめん」
「素直に認めればいいのよ」
猿島は俺の足に視線を落として、手当を再開する。顔が見られなくなって、ちょっと残念な気もするが、手当をしてもらわないわけにはいかない。
「……昨日のことがずっと頭から離れない」
一旦認めてしまうと、自分の気持ちを吐き出さずにはいられなかった。
「猿島のことばかり考えていた」
「私じゃなくて、私が演じた役のことでしょう?」
猿島の口調に変化はない。相変わらず淡々としている。普段のこいつには感情がないのかと思ってしまうくらいだ。
「それもひっくるめて、猿島のことが気になる」
「私の芝居を気に入ってくれたのは光栄だけど、普段の私には関心を持たないでほしいわ」
「どうして?」
「素の私のイメージが弱いほど、芝居の印象が強くなるからよ」
猿島の頭には芝居のことしかないのだろうか。
「べつに、普段の猿島と親しくなったっていいだろう? おまえだって、普通に友達だっているんじゃないのか?」
「……桃川君は私にとって観客の一人よ」
俺と親しくなる気はないということか。この言葉に俺は打ちのめされた。どうしてかわからないが、ひどくがっくりきた。
「でもさ、あんな凄いの見せられたら、猿島に興味を持たずにはいられないよ」
「……終わったわ」
猿島は立ち上がった。俺の手当が終わったという意味だ。今度は椅子に座っている俺が見下ろされる位置関係になる。
「何にしても、あんな欲望丸出しのケダモノみたいな目で女の子を見るのは感心しないわね」
返す言葉もない。耳まで赤くなっていくのが自分でもわかった。
「ごめん、本当にごめん」
謝るしかなかった。猿島の気分を害してしまって、これから二度とまともに口を利いてもらえなくなるかもしれないということが無性に怖かった。
「男の子だからしょうがないかもしれないけど、やっぱりエチケットは守ってほしいわ」
声も表情も変化はない。俺が思う以上に猿島が精神的に大人なのか、それとも本当に感情の起伏がないのか。
「言い訳かもしれないけど、俺だって誰に対してもじろじろ見つめたりはしないよ。猿島のことが気になってしょうがないんだ」
猿島は左手で眼鏡のつるの位置を直した。
「桃川君、自分が何を言っているか、わかっているの? まるっきり私を口説いているように聴こえるんだけど」
247 転生恋生 第九幕(4/5) ◆U4keKIluqE sage 2009/01/26(月) 00:07:22 ID:adaHZjGU
「え!?」
俺はうろたえた。そんなつもりはなかったんだが……、いや、確かにさっきからの自分の発言を振り返ってみると、確かにそう取られかねないことばかり言っていたような気がするが……。
待て待て、それより何より……、猿島は不愉快に思っているのか? それが問題だ。まるで表情が変化しないから、判断がつかない。
とりあえず、俺に邪念はないことをわかってもらわないと……。
「猿島は迷惑か?」
何を言っているんだ、俺は? これじゃあ、まるで……、本当に口説いているみたいじゃないか。
それとも、俺自身が猿島のことを好きになってしまったんだろうか? 猿島みたいな接し方をしてくる女の子は初めてだから、単に舞い上がっているだけかもしれない。
もう、何が何だかわからなくなってきた。一つはっきりしているのは、俺が今顔を真っ赤にしているということだ。
「……悪い気はしないわね」
それって、OKってことか? いやいや、待て待て。いつの間にか、俺が猿島に言い寄る構図になっているじゃないか。
「でも、学校での私にはあまり馴れ馴れしくしないでほしいわ。目立ちたくないの」
「悪かった。もう余計なことはしないから。とにかく戻ろう」
俺は左足だけでバランスをとりながら立ち上がった。一刻も早くこの場から、猿島と二人きりの空間から逃れたかった。頭が熱くなって溶解してしまいそうだ。
だが、猿島は自分から俺の右腕を担ぐようにして、肩を貸してきた。
「無理しないで。右足を安静にしないと、治るものも治らないわよ」
「ああ……」
しかたなく、俺は右半身の体重を猿島に預けるようにして歩き出した。草場先生からは、直接教室へ戻るように指示されている。
保健室を出て廊下を歩いている間、当然のことながら俺は猿島の体に触れていた。上半身だけなら、俺が猿島の方を抱いているようにも見えかねない体勢だ。
猿島の体からはコロンと汗が混じったような酸っぱい匂いがした。心臓の鼓動が倍速になるのを止められない。
教室へたどり着くと、俺は机に手をついて体を支えながら、自分の席に座った。
「もう大丈夫だよ。世話になったな」
時計を見ると、授業はまだ15分ほどある。猿島の性格からして、一応体育館へ戻るんじゃないかと思った。
だが、猿島は俺の隣の席にそのまま座った。
「戻らなくていいのか?」
「戻るわよ。でもその前に、さっきの話の続きをするわ」
何だろう? 何か期待していいのか。
「桃川君の好みのタイプって、どんなの?」
「そんなこと聞いてどうするんだ?」
「役作りの参考にするわ」
また何かデートしながら演じてくれるってわけか。それはそれで楽しみだが、やっぱり素の猿島としては接してくれないのかな。
「あのさ、どうしてそうまでして演じることにこだわるんだ? 普段の自分を見せるのがそんなに嫌か?」
「嫌よ」
猿島は即答した。
248 転生恋生 第九幕(5/5) ◆U4keKIluqE sage 2009/01/26(月) 00:08:12 ID:adaHZjGU
「どうして?」
「嫌なものは嫌なの」
要するに、自分で自分が好きになれないんだな。俺も自分の平均値ぶりにうんざりしているから、わからなくもない。
だけど、俺と違って猿島はかなり個性的で、他人より抜きん出た技能を持っているんだから、もっと自信を持っていいと思うんだが。
「私は、自分と違う人間になりたいから、芝居に打ち込んでいるの。桃川君が好みのタイプをリクエストしてくれたら、演じきってみせるわ」
昨日のけいちゃんみたいな女の子らしい女の子でも、もう少し大人っぽいお姉さんキャラでも、あるいはお淑やかなお嬢様でも。
それは何とも魅惑的な申し出だった。猿島一人と付き合うだけで、ちょっとしたハーレム気分が味わえるわけだ。
でも、俺はどうにもすっきりとしないものがあった。それはそれで楽しいだろうが、やっぱりもどかしい。
「あのさ、昨日俺はけいちゃんの脚に見とれていただろ?」
「ええ、そうね」
「あれは猿島の脚じゃないか。今日だってそうだった。猿島は芝居以外でも、自分自身の魅力を持っていると思う」
だから、普段の猿島と仲良くなりたい。そういう意味で言ったんだが、猿島は何を思ったか、立ち上がって右足を椅子の上に乗せた。
「そんなに私の脚が気に入ったの?」
そう言って、ハーフパンツの裾をめくって太ももを露にした。いきなりのことで、俺は息を呑んだ。
「新体操部の子の方がきれいな脚をしていると思うけど」
「猿島の脚はきれいだよ」
「触ってみる?」
返事をする暇もなく、俺は猿島に手を取られて、太ももを撫でさせられた。引き締まっているだけではなく、すべすべしていて、表面は柔らかかった。
「どう?」
こんなことしてもまるで表情に変化がないというのが信じられない。それでも俺の手は勝手に太ももの上を這い回ってしまう。
「俺は触らせてもらって嬉しいけど、いいのか?」
俺の指が内股に触れた瞬間、猿島が体をびくりと震わせた。
「ごめん!」
俺が慌てて手を引っ込めるのと同時に、猿島は椅子から右足を下ろす。裾が落ちて、太ももが見えなくなった。
「……今日はここまでよ」
猿島の息が少し乱れている。目元もほんのりと赤い。
「次もあると期待していいのか?」
我ながら余計な一言だったと、口に出した直後から後悔した。猿島は「どうかしらね」と呟きながら眼鏡を直した。
そのまま何も言わずに教室を出て行った。授業へ戻ったんだろう。
調子に乗ってやり過ぎたか。気分を害してしまったのか。俺は気持ちが沈んだ。
チャイムが鳴ったのは、それから1分とたたないうちだった。
その日はそれからずっと、猿島は俺が声をかけてもそっぽを向くだけで、応対してくれなかった。
俺に顔を向けていなくても、耳が赤くなっているのが見て取れたが、怒っているのか照れているのかまるでわからない。それでますます不安がかきたてられる。
唯一救いになったのは、陸上部員が公休ということで司が昼休みに現れず、久しぶりにゆっくりと昼食を取れたことだ。
最終更新:2009年01月29日 20:44