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ただ、あなたとともに ~みらいがたり~ (1/3) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/03/26(木) 06:41:21 ID:Ne204A2G
「やっと着いた。相変わらず此処は遠いなあ」
独り言を呟きながら、私は手に持った水桶を地面に置いた。
此処は、私の暮らす村から遠く離れた、岩塚だけしかない山林の奥地。
この塚は、過去の『かみかくし』の主犯、鬼神(おにがみ)さまの塚らしい。
私は死んだ母のいいつけを守り、毎月一度は此処を訪れている。
母は、ある日突然、父と共に自ら命を絶ってしまった。
もう数年前のことなので、私にもその理由はよくわからないままだ。
「早く此処を綺麗にして、弟の許に帰らないといけないね。
あの子もそろそろ、畑仕事から家に帰ってくる頃だから」
私の住む村は、有り体に言って、廃村の憂き目にあっている。
まるで呪われたように、新しく子供が生まれず、跡を継ぐ若者がいないのだ。
その理由として、村に伝わる『かみかくし』の伝説が、関係しているらしい。
その昔、村の若者に恋する鬼神さまによって、村の半数の人間が斬殺された。
村人が若者になにかしたせいで、鬼神さまの怒りを買ったための惨劇らしい。
村を襲った鬼神さまは、若者と夫婦になると、病で死ぬまで幸せに暮らした。
鬼神さまの没後、村ではどの夫婦も、なかなか子宝に恵まれなくなったという。
まるで、鬼神さまが若者を奪おうとした村人を、呪い続けたかのように。
そしてこの塚には、その鬼神さまの遺骨と魂が封印されているそうだ。
だから私以外の村人は、此処には近寄ろうとさえしないのだ。
別に此処に来ても、何も怖いことなんてないというのに。
そんなことを考えながら、ふと塚の本体に触れたとき、変化が起きた。
岩でできているはずの塚が、まるで砂のように崩れ出したのだ。
「あれ……えっ、何なの? 私、何かしたのかな……?」
驚く私を尻目に、塚が完全に崩れ落ちた後、そこには何かが、居た。
ぼんやり浮かぶ、美しい女性の姿。着物姿の艶やかな、人外と思しき存在。
「あのぅ……貴女が、村に伝わる、鬼神さまなのですか?」
私の問いかけに、彼女は私の心の中に直接語りかけてきた。
「あら、村ではそのように語られているのですね、私は。まあ別にいいけれど。
それより貴女。どうやら私の姿が見えるらしいけれど、何者かしら?
私の姿が見えるのは――私を見てくれるのは、あの人だけで構わないのに。
さあ答えなさい。貴女は、何故私が見えるの?」
そんなことを聞かれても困るので、私は自分のことを全部話すことにした。
私は村では唯一の若い娘で、両親が没して、齢の近い弟しか家族がいないこと。
村では、過去の事件を『かみかくし』と称し、それを代々語り継いでいること。
殺戮の犯人を『鬼神』と蔑み、若者を『守神(もりがみ)』と崇めていること。
今現在、村では『しきたり』の準備がされ、次は私がそれに参加すること。
それを聞いた鬼神さまは、私の顔を覗き込みながら、何か考えている。
「ふぅん、『しきたり』ねぇ――本当にくだらないわね、彼奴らは!!」
鬼神さまから突如溢れ出した、殺意――呪詛の如き黒い感情の嵐。
周辺にいた、山林に住まう小動物たちが、一斉に逃げ出した。
私は――不思議と、彼女のことが、怖くなかった。
51 ただ、あなたとともに ~みらいがたり~ (2/3) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/03/26(木) 06:45:00 ID:Ne204A2G
「あのぅ……鬼神さま? 貴女は『しきたり』が何か、知っているのですか?」
実は私も、『しきたり』の内容は知らされていなかった。
数日後に迫っていて、村長(むらおさ)から、参加するように命じられただけだ。
「いいえ。でも貴女の話と、昔からの村の風習を合わせると、簡単に予想できるわ。
多分貴女のご両親も、その『しきたり』に関わるいざこざで、自決したのね。
内容は――口にしたくもないわ。胸糞悪いもの。貴女も参加しちゃ駄目よ」
そう言われても、少し困るんだけどなぁ。私も村の者だから、逆らえないもの。
逃げるには、村を出ればいいけれど、私は村の出口の場所を知らされていない。
それに、弟と一緒に逃げないといけないし、先立つ資金も持ち合わせていない。
「まあ、その事はおいおい話すとして、私は貴女にお願いがあるの。聞いてくれる?」
考え事をしている時に、急に鬼神さまに話しかけられた。
ものすごく真剣な顔をしている鬼神さま。本当に美人な顔立ちの人だ。
「私を、村の中まで連れて行って欲しいの。私一人じゃ村に入れないのよ。
もしできるなら、その『守神さま』のところまで、案内して欲しいのよ。
ああ、別に村人に危害は加えないわ。彼奴らなんて、どうでもいいもの。
ねえ、お願いできないかしら? 私もあの人に逢いたいの――お願いします」
結局、私は断りきれずに、彼女を村の『守神の石碑』まで案内することにした。
その道中、私は鬼神さまといろいろなお話をした。
鬼神さまと守神さまの、結婚してから十数年間の、仲睦まじい夫婦生活。
守神さまが隣の国に旅立っていた時の、異国の知識と暮らし方の又聞き話。
村人が生前の守神さまに、村から旅立つことを決心させた、いざこざの話。
そして、鬼神さまの死後、守神さまから引き離された、孤独な数十年間の話。
村の敷地内には、案外あっさり侵入できた。
鬼神さま曰く、通常は結界があるせいで入れなかった、とのこと。
守神さまの加護が弱っているのだろうか。少し心配になった。
けれど、鬼神さまはあまり心配していないようだ。
「ああそうだ。あなたの言うところの守神さまだけど、結構いい男なのよ?
でもね、惚れたりしたら、承知しないからね。まあ心配してないけれど」
ちょっぴり怖いことを言う鬼神さま。大丈夫ですってば。
私は弟以外に、村のどの男たちも、好きだと思ったことはないもの。
そうこう言っているうちに、守神の石碑の前に到着した。
そこには既に、おぼろげな何者かの姿があった。
近づくと、どこか鬼神さまに似た、美しく精悍な顔立ちの男性だった。
たぶん、この人が伝説の『守神さま』なんだと、
なんとなく思った。
「――ああ、ついに来たのか。
姉さん、久しぶりだね。
村の結界は、少し前に弱めていたから、そろそろだと思ったよ」
守神さまの言葉に私は驚いた。鬼神さまは、守神さまの姉だったのだ。
ということは、鬼神さまと守神さまは、姉弟で契りを交わしたの?
――ナンテ、ウラヤマシイ。
一瞬の思考の陰り。まるで無意識から来たような心の慟哭。
「あ、あれ? 私は今、何を考えていたの?」
姉と弟で契ることができた二人が、羨ましい?
そんな……私は……あの子を、そんな邪な目で――
52 ただ、あなたとともに ~みらいがたり~ (3/3) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/03/26(木) 06:51:35 ID:Ne204A2G
「別に恥じることではないのよ。人を好きになることは。
ただ相手が、近しい人だっただけのこと。それだけだもの。
貴女は、自身が信じた道を進めば、それでいいの。わかった?」
そう――なのかな? 幸せなら、愛してもいいのかな?
そう言われてみれば、守神さまに逢えた鬼神さまは、とても幸せそうだ。
鬼神さまに逢えた守神さまも、なんだか救われたような、満ちた顔をしている。
「ねえ、姉さん。僕は――僕はもう疲れたんだ。
僕はこの村を、ずっと見守り続けてきた。本当は守り続けるつもりだった。
でももう駄目だ。あんな『しきたり』を妄信する人たちなど、守りたくない。
アレのせいで、自ら命を絶った人間を、たくさん見てきた。もううんざりだ。
だから姉さん。僕と共に逝こう。そして共に彼岸で暮らそう」
「ええ、わかったわ。本当にありがとう、私の愛しい弟……」
どうやら、鬼神さまと守神さまは、この村から離れ、彼岸へ渡るしい。
私は、彼らの最期の結び役になれたことが、少しだけ誇らしく思えた。
「ひとつ、いいことを教えてあげる。この村からの抜け道よ。
私はこの村から出られなかったから、弟を追い出した村人を殺したの。
でも貴女の体力なら、弟さんを連れて、この村から出られるでしょうね」
鬼神さまが、成仏する前に、私にそんな言葉を掛けてくれた。
後ろで守神さまも、ほんの少し苦笑しながら、頷いてくれている。
「村の『しきたり』、貴女が従う必要なんてどこにもないのよ。
貴女は貴女の愛する人だけを愛し、結ばれ、交わればいいの。
村のことなんて忘れて、他の国に旅立ちなさいな。わかった?」
鬼神さまが、守神さまと手を取り合い、共に天界へ昇った次の日の夜。
私は弟を連れて、長く暮らしていた村から抜け出した。
「姉ちゃんがそうしたいなら、僕もついてく。行こうよ」
不安げながらも、そうしっかり言ってくれた弟を、私は力一杯抱きしめた。
そして、その日のうちに準備を済ませ、村が寝静まった頃、密かに出奔した。
ちなみに資金に関しては、鬼神さまが生前の家宝(現・村の神宝)の刀を譲ってくれた。
「向こうの国で売っちゃいなさい。結構高価だから、しばらくは生活できるからね」
「ちょっと惜しいけど、餞別がわりにあげるよ。あとはちゃんと働いて稼ぎなよ?」
悪戯っ子のように微笑んだ、鬼神さまと守神さま。本当に、ありがとうございました。
まだほんの少し幼い弟には、多少苦しい道のりだったが、2人とも無事に切り抜けた。
ついでに、追っ手や馬鹿な人攫いを封じるため、村を繋ぐ道を斬り崩しておいた。
吃驚した弟の手を繋ぎ、その日一番の笑顔を浮かべて、その場を離れたのが2日前。
さて、あとはこの山道を抜ければ、まだ見たことのない国に辿りつける。
私と弟が暮らす新天地。私が弟と幸せになることのできる、桃源郷。
少し眠そうな弟を、背に負ぶって歩きながら、私は彼に語りかける。
「ねえ弟? 私ね、貴方に教えてあげたいことがあるの。
山を降りて他の国に着いたら、楽しみにしていて頂戴ね」
――この数年後、村は滅んだらしい。それはかの惨劇の日から、丁度百年後のことだったそうだ。
~終劇~
最終更新:2009年03月29日 21:38