323
未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 00:55:27 ID:wd5BsQvP
ある晴れた休日の昼下がり。
駅前広場に面する雑居ビルの二階には、和風の喫茶店が設けられている。休日ということもあって店内はそれなりに混み合っていた。
からん、とドアベルを鳴らして女性が一人入店した。萌葱色のワンピースにサマーセーター、赤いリボンの婦人帽を被っている。なかなかの美人だが、最も目を引くのは右腕を吊る三角巾だった。左手には小振りなバッグを提げている。
割烹着を着た店員が応対する。何名様ですか、という問いかけに関して女は一名です、と柔らかく答えた。
「窓際の席をお願いします」
一つだけ空いていた窓際の席に案内される。向かい合ったソファの席で、窓ガラスからは駅前がよく見下ろせる。
女は少し考えてからわらび餅と抹茶を注文し、バッグからラジオのようなものを取り出してイヤホンを耳に装着した。
しばらく、何人かの客が店を出入りした後。
からん、とドアベルを鳴らして少女が一人入店した。水色のパーカーにジーンズという軽装で、中学生程度の背丈だった。動作のあちこちから活発さがにじみ出ている。
割烹着を着た店員が応対する。何名様ですか、という問いかけに関して少女は指をピンと一本立てて示した。
「窓際の席お願いしますっ」
「大変申し訳ありませんが、窓際の席はもう埋まっておりまして。中の方でしたら空席がございますが」
「えー、そこをなんとかおねがいしますよー。相席、相席でもいいですからっ」
「わかりました。少々お待ちください」
店員は四人掛けの席に一人で座っている三角巾の女まで出向き「大変申し訳ないのですが」と席の移動か相席の伺いを立てる。
女は相席を了承し、店員はほっとしながら少女を席に案内した。少女が女の向かいに滑り込むようにして座ってオレンジジュース(最安)を注文した。
「やー、お邪魔しまーす。ちょっと景色を見たいだけですからどうか気にしないでくださいね」
「あら、奇遇ですね。私もここからの眺めは気に入っているんです」
「あ、そーなんですか! いやー、いいですよね……えーと、角度とか」
「ええ、それに窓際のプランターで顔が隠れるのも素晴らしいですわね」
初対面ではあったが思いの外会話は弾んだ。
それからしばらくして、いよいよ店内が混み合いだした頃。
からん、とドアベルを鳴らして少女が一人入店した。長い髪をポニーテールにまとめ、Yシャツにジーンズ、腰にポシェットという服装。頬には一枚湿布が貼られている。
割烹着を着た店員が応対する。何名様ですか、という問いかけに対して少女は店内を見回してため息をついた。
「一名です。窓際の席がよかったのですが、空いていないようですね」
「申し訳ありません。奥の方でよければ、もう少しお待ちいただければ……」
「いえ、でしたら結構です……は?」
店内を見回していた彼女の動きが、窓際四人掛け席でぴたりと止まる。談笑していた少女と女も気付いて声をかける。
「優香さんではないですか」「優香ちゃんじゃないですか」
藍園晶と柳沢紫織に同時に声をかけられて、榊優香は目を丸くした。
324 未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 00:55:49 ID:wd5BsQvP
数日前。
「なあー、榊。合コンでもしねえか?」
「ごうこ……へっ?」
「適当にセッティングするからよ。たまには大学生のお
姉さんとぱーっと遊ぼうぜー?」
「いやいや待て待て柳沢。俺達高校生だぞ?」
「だからなんだよ。女遊びぐらい普通だろ」
「いやあー、そういうのって大学生からやるもんじゃないのか? ていうか知り合いいるのか……?」
「知り合いの兄姉とかまあそんな感じだよ。いいじゃねーかよ榊。盛大に振られた友達を慰めると思ってさあ」
「うーん、そりゃ、そうかもしれないけど……」
「別にお前の想像するようなことなんて何もねーと思うぜ? カラオケかゲーセン行って、後は飯でも食って終わりだろ」
「あ、そ、そうなんだ?」
「じゃ、いいな。あ、そうそう。俺達二人だけってのも難だし。榊の方で空気読めて顔がいい奴を一人誘っておいてくれよな」
「えー? うーん、どうしよっかなあ……」
数日後
「ちょっと待ってよ健太。合コンだってどういうことだよ、困るよ!」
「いやー、ごめん、マジごめんな明義。ちょっと他に思いつかなくてさあ」
「雨宮だっけ? そんなピリピリしないでも、一日遊ぶくらいいいじゃねえか」
「いや、だって僕、彼女いるし……」
「だから? あのおねーさん達だって彼氏の一人や二人ぐらいいるだろ」
「え、あ、そういうものなの? 柳沢」
「当たり前だろ榊。まあフリーかもしれねえけど、お前女に幻想持ちすぎじゃね?」
「そ、そうかな……」
「とにかく、もう来ちまった以上は最後まで付き合ってくれよな。別に普通に遊ぶだけなんだしよ」
「う、うーん……まあ、わかったよ、柳沢君」
「――――来た」
「ほんとに来ましたねー。姐さん、何話してるか分かりますか?」
「待って下さいね……とりあえず自己紹介しているようです」
雑居ビルの二階にある喫茶店の四人掛け席から、三人は駅前広場を見下ろしていた。
榊優香は折り畳み式の双眼鏡で広場の六人組を観察し、柳沢紫織は目を閉じて盗聴器からの声を拾っている。藍園晶は二人からの報告を、かりかりとメモ帳にまとめていた。
偶然出会った三人だが、どうも目的が同じらしいと知って一時的に行動を共にすることになっている。
ちなみに紹介に関しては、共通の知り合いが優香だけなので彼女が行うことになった。曰く『元同級生のフリーター』曰く『柳沢先輩のストーカー』
当然双方から異論が出て結局お互いに自己紹介(曰く雨宮明義の恋人、曰く柳沢浩一の妻)をしたが、二人は波長が合ったのかあっという間に仲良くなった。
友人というよりはガキ大将と手下というような関係だったが、金持ちオーラでも感じ取ったのかもしれない。
一方、優香は紫織に対して警戒の念が強く、一定の距離を取っていた。拉致監禁された経験を思えば無理もないが、紫織の方は(肩を外されたことも含めて)全く気にしてないようだった。それはそれで不気味である。
ともあれ三人は、急造にしてはそれなりのチームワークで監視を行っていた。双眼鏡を除けば、ただの女友達三人組に見えたかもしれない。
「えーと、髪が黄色くて短いのがA、茶髪でミニスカなのがB,髪が黒くてゴスロリなのがCってことでいいですね」
「識別には十分でしょう。名前を覚える価値を見いだせない」
「皆さん、これからの予定を話していますわ。カラオケに行くみたいですわね」
「うっし、それじゃこっちも移動しましょうか」
「紫織さんは特に目立つので固まるのは避けましょう。ここは私が突出して尾行するので、二人は私に付いてきてください」
「では、お先にどうぞ。ここの払いは私が持たせて貰いますね」
「おお、姐さんゴチになりまーす!」
325 未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 00:57:27 ID:wd5BsQvP
俺達――――俺、明義、柳沢、それから大学生のお姉さん三人――――は、駅から少し歩いたところにあるカラオケボックスに来ていた。
最初、柳沢から話を聞かされた時は半信半疑だったけど、本当に年上のお姉さんが来てから俺は急に緊張し始めていた。化粧を決めた年上の女性というのは同年代とは全然違う。
俺の好きになった先輩も年上だったけど、思えばあの人に化粧っけは全然なかった。まあ、入退院を繰り返すぐらいなんだから当たり前か。
さておき。お姉さん達からは軽く自己紹介を受けていた。
短い髪を黄色く染めてウェーブをかけてるのがアケミさん。おへその出たTシャツにジーンズを履いて、シルバーのピアスやアクセサリをあちこちに身につけている。
シズカさんは長身をYシャツとミニスカートとハイソックスで包み、長い髪を茶色に染めている。タバコを吸っていて、いかにも大人の女性といった感じだ。
最後の一人のキョウコさんは、他の二人とは少し趣が違う。何しろ着ているものがゴテゴテしたドレスなのだから。髪も染めていなくて、ちょっと無口なタイプみたいだ。
とりあえず、三人とも年上で、化粧をばっちりしてて、優香よりは胸が大きい。
「まあ、今回は結構当たりだよな」
そんなことを、柳沢、俺、明義の三人で、なぜかトイレで話し合った。
いや、なんでトイレかというと部屋を取った後すぐ柳沢に連れ出されたからだ。
「当たりって……そういうのはちょっと失礼じゃないか?」
「おいおい、他に言いようがないだろうが。それに今頃向こうも同じようなこと言ってるぜ。で、榊は誰狙いだ?」
「だ、誰狙いって、さっき会ったばっかりだし……」
「とりあえずあのゴスロリは連れてこられた感じだな。誰か適当に相手してやらねーと。他はそれなりに手慣れてそうだから、そうだな。榊はアケミ、雨宮はへそ出しでどうだ?」
「あのさ、そんな風に分けなくたってみんなでワイワイ楽しめばいいんだろう? なるようになると思うけど」
柳沢の生臭い提案を、明義がスパッと切り落とした。乗り気じゃないようだった友人も、少しは前向きに考えるようにしたらしい。
それにしても流石彼女持ちだけあって、明義は特に緊張もせず気遣いをしている。あるいは年上女性の相手は慣れたものなのかもしれない、晶ちゃんは年下だけど。
結局、男女含めてこの中で一番緊張しているのは俺だった。全く自分が情けない。
けど、いったい何をどうしたらいいのか、わからないんだから仕方ないじゃないか。
326 未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 00:58:00 ID:wd5BsQvP
「ねー、姐さん。わたし達ってぶっちゃけそんなに魅力ねーですかね?」
「いえいえ。あんな女性達には決して負けてませんよ、晶さん」
「客観的に見るのなら、並み以上の水準にはありますよ。まあ私=紫織さん>藍園さん=ABCという順列でしょうか」
合コン組を追跡した三人は、時間を置いて隣の部屋に入っていた。既に隣では歌が始まっている。
もちろん彼女たちが歌うわけではないが、音響機器を利用するため優香が盗聴器を繋げているところだった。この手の工作に関しては彼女が最も長けている。
手持無沙汰になった晶はグレープジュース(フリードリンク分)をちびちびと吸いながら紫織と駄弁っている。
「けどそれならデートするのにこっちを誘ってくれればいいのに、どーしてこんなことしてるんでしょう」
「全く、あの方々にも困りますわね。いくら浩ちゃんが魅力的な男性でも、こういう真似をしてもらっては私の立場がありませんわ」
「え、そういう認識なんすか? つーかどう見ても柳沢先輩が首謀……」
「藍園さん、それ以上言及すると血を見るわよ」
頬の湿布を撫でながら優香が合の手を入れる。作業する手は止まっていない。腕まで折ったが、紫織の病気は全く治っていないようだった。
実のところ優香は、この期に及んで紫織が柳沢浩一の姉であることすら気付いていない。単なるストーカーだと思っていた。
「とにかくですね、あのABCにあってわたし達にないものって何なんでしょう」
「そうですわね。私はともかくとして、貴女方にとっては……プロポーションでしょうか」
「きしゃー! 胸かー! やっぱりそれか、それがいいんかー!」
「くっ……!」
歯噛みする女子高生二人に、オホホと笑う女子大生。紫織の胸は合コン組を含めて最もボリュームがある。例えて言うならD+。
自分の胸部をさすりながら、晶が恨みがましい声をあげる。
「あーもー、全くどうしてくれようかマイダーリンは。こーなったら裸エプロンでもかましてやりましょーかね」
「ぶふっ。ほ、本気ですか藍園さん?」
「当たり前じゃないですか、同棲までしてるんですから。優香ちゃんもやればいいんですよ」
「できるわけないじゃないですか、私はまだ告白もしてないんですよ」
「全く、優香さんは遅れてますわね。奥手過ぎるのではないでしょうか」
「ストーカーに言われたくはないっ!」
優香は二人の茶々を適当に退け、音響機器のスイッチを入れた。ざりざりというノイズがスピーカーから溢れるのを、チューナーで修正していく。
やがて隣室の音楽と歌声が、部屋の中に流れ始めた。その音楽は三人の内二人には聞き覚えがなく、歌声は一つではなく二つ。即座、晶が悲鳴とも付かない罵声を上げた。
「きしゃー! 誰だわたしのダーリンと歌ってやがるのはー!」
「ああ、これ雨宮先輩なんですか? 上手ですね」
「えーえーそうですよ、わたしここじゃないけどカラオケ勤務ですからね。店員割引でデートは大抵カラオケなんです。散々仕込んだのが裏目に出るとはー!」
「それにしても聴いたことがない歌ですわね」
「それはわたしの趣味っす」
327 未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 00:58:58 ID:wd5BsQvP
「くしゃみすればどこかでっ、森で蝶が舞う~♪」
「君が、まもーる、ドアのかぎデタラメ~♪」
壇上でキョウコさんと明義が声を揃えて、あるいは互い違いにテンポよく歌っている。さっきから何度目かのデュエットだけど、二人の調子は結構合っている。
ていうか、明義が何でこんなにアニソンが上手いんだよ?
最初にマイクを回した時、大体の人は最近~やや古のポップを歌ったけど、キョウコさんだけはアニソン一択だった。
正直浮いていたけれど、それを気遣ったのか二週目からは明義もアニソンで、その内デュエットまでするようになっていた。
アケミさん曰く
「キョウコはね。いつもこういうのに中々出ないから今日は無理矢理引っ張ってきたんだけど、趣味が合う人がいてよかったわ」
とのこと。最初よりは表情もずっと柔らかくなって、明義とはよく喋るようになっていた。くそう、羨ましくなんてないぞ!
柳沢の方は、シズカさんの隣に座って何かと話しかけている。とはいえ彼女の方にはあまり気がないようで、自分の番が回ってきたらさっと歌ってさっと戻る。
後は歌っている人間を見ていたり、携帯をいじったり、柳沢の話に適当な相槌を打ったりしている。歌うのを何回かパスしてるので、合コン自体にあまり気乗りしてないかも。
それじゃあ柳沢は一体何を話してるのかと、ちょっと耳をそばだててみた。
「でさあ、優香ちゃんはホントにいい子でさあ。なんつーかこう、クールなようでいて情熱的ってのが……」
「ふーん……」
うおい!
思わず大声を上げそうになってしまった。いや、失恋したのは分かるけど、そういうことを合コンで女性に話すだなんて有り得ないって俺にも分かるぞ?
道理でシズカさんも興味なさげな顔をしているはずだ。
ともあれ、曲がりなりにもそんな風に組が分かれたので、必然的に俺はアケミさんと喋るようになっていた。
とりあえずわかったことは、アケミさんは歌がめちゃくちゃ上手い。プロ?と思うぐらい上手い。英語の歌を多く歌うので内容はさっぱりだけど、上手いのは分かる。
俺はさっきから拍手係と化している。といっても、それは俺自身の歌のレパートリーが尽きそうだからなんだけど。仕方ないだろ、カラオケなんてほとんど来たことなかったんだから。
聞いてみると、大学のサークルではバンドのボーカルをやっているらしい。
「へえー、すごいですね。いや、ホント上手いですから納得です」
「あはは、じゃあよかったら今度見に来てよ。たまーに、小さなライブハウス借りて演ってるからさ」
話してみればアケミさんはすごく気さくな人だった。はきはきしていて面倒見がよく、少しせっかちなタイプ。
まあ面倒見に関しては俺が年下だからかもしれないけれど、ぱっと見の印象よりはずっと親切な人だった。
「……でも少しは安心したかな」
「ん? 何がですか?」
「浩一君のことなんだけどね。最近元気なかったけど、合コンするくらいには立ち直ったかなって」
「ああ、確かに……あれ?」
柳沢が優香に振られてひっそりと落ち込んでいたのは事実だけれど、それをどうしてアケミさんが知っているんだろう?
不思議に思って聞いてみると、今度は彼女が「あれ」と首を傾げた。
「知り合いよ。彼のお姉さんと私が高校の時の友達だったのよ。聞いてなかった?」
「え、いや全然。あいつは適当に知り合いを集めてみるって言ってましたけど」
「それやったの私じゃないっ!」
328 未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 00:59:53 ID:wd5BsQvP
憤慨したアケミさんが、席を移動して柳沢をぽかりと叩いた。そのままガミガミと説教を始める。内容を聞くに、どうも合コンの(レベルの高い)セッティングというのは想像も付かない程の難行らしい。
こっちに避難してきたシズカさんが、くわえていたスティックキャンディーを取り出して苦笑した。
「お互いダチには苦労してるみたいだね」
「そうですね。まあ、柳沢はあれでもいい奴ですよ」
「そう? 個人的には喋りすぎで話のチョイスが意味不明って感じだけど」
「あはははは」
笑って誤魔化す。確かに柳沢は会話の主導権を握りたがるタイプで、正直俺もたまに五月蠅く感じる。話題に関しては全般的に奴が悪い。
当の本人と言えば、普段の生活態度にまで及び始めたアケミさんの説教に、悪ガキのようにぶーたれてはビシビシとデコピンを食らっている。その様は姉弟みたいだった。
この合コンだって、アケミさんが柳沢を励ますためにわざわざセッティングしてくれたんだし、本当に思いやっているんだろう。
いや、というか、もしかして……
声を潜める。
「あの、シズカさん。もしかするとアケミさんって柳沢のこと……」
「ん? いや、それはないっしょ。私もそうだけど、あの子彼氏いるし」
「え、あ、そうなんですか?」
「うん、バンド仲間だかにね。この中でフリーなのはキョウコだけのはずだよ」
「ああ、そっか……そうなんだ」
シズカさんの話を聞いて
俺は、がっかりするのではなく、むしろ肩の荷が下りたようにほっとした。
「あれ、Aは姐さんの知り合いなんすか?」
「ええ、アケミさんとは高校時代の御学友でしたわ」
「紫織さん。何故それを最初に言ってくれなかったんですか」
「あら、言うと何か変わるのですか?」
「ゲエー! 姐さん知人だろうが何一つ容赦するつもりがない、そこに痺れる憧れるう!」
三人が詰める隣室ではだらけた空気が漂っていた。机の上には注文したポテトや揚げ物の紙が散乱し、各自思い思いの姿勢でソファにもたれている。
カラオケボックスで部屋を借りながら歌うでもなく、スピーカーからは隣室の音楽と会話が流れ続けていた。
当初は盗聴器からの会話に神経を尖らせていた三名だったが、危惧したような男女の会話は今のところ縁がなかった。柳沢の会話内容のせいで、優香が紫織からじっと睨まれた程である。優香はそのたびに弁明しなければいけなかった。
参加者の過半数が彼氏持ちであることが暴露されてからは、その雰囲気は更に強まった。少なくとも優香は露骨に溜息をついた。
恋人がフリーの女性と仲良くデュエットを歌っている状態の晶だけは、危機感を持続してしかるべきだったが。彼女はソファに寝そべって、天井を見上げながらじっと考え事をしている。
明義とキョウコはすっかりうち解けたのか、席に戻った後も会話を続けている。話題は概ねアニメや特撮で、キョウコの知識量に明義が相鎚を打つという形式だった。
そんな会話を聞いていて、ふと不安になった優香は晶に声をかけてみた。
「藍園さん、大丈夫ですか?」
「んー……優香ちゃん、姐さん」
「はい、何でしょうか、晶さん」
「浮気って何処まで許せます?」
329 未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 01:00:15 ID:wd5BsQvP
部屋の空気がいきなり重くなったような気がした。
が、そう感じたのは優香だけだったらしい。晶の口調はあっけらかんとした物だったし、紫織は当然のことを述べるように気負いなく即答した。
「浩ちゃんは浮気なんてしませんから」
「ああ、姐さんはそうでしたねー。変なこと聞いて済みませんでしたー」
「……相変わらず頭がおかしいですね」
受け入れがたい現実が起こった時、認識を歪めて対処する。それが紫織の返答だった。いや、彼女にはそれを行っているという自覚さえない。
その歪みが是正不能なレベルまで来た時、彼女は暴力的な衝動で問題を『解決』する。それらのパターンは全て無意識のレベルで行われており、外見に反して彼女は感情が占める割合の多い人間と言えた。
「わたしとしてはですねー。まあ浮気でも本気でも、最終的に戻ってきてくれるなら許すだろうなー、って感じです」
「本気でも……ですか」
「そうですか? 好いた人が言い寄られたら雌猫をお仕置きしたくなりませんか?」
「姉さんのそれ致死量じゃないっすか。まー、腹が立たないかって言われりゃ嘘になりますが。人生における最終的な勝利条件ってのは、そういうことじゃないすかね」
対して晶は、これもまた子供っぽい外見に反してかなりのリアリストだった。最終的な目的のためには、目先の屈辱も受け入れることができる。
辿ってきた半生がそうさせるのか、彼女は最低限しか望まない。端から見てもっと幸せになっても良いと思えても、晶自身が幸福を貪欲に求めることは有り得なかった。
紫織と晶は感情と理性の割合が極端に正反対だったが、だからこそ馬が合っているのかもしれない。
そして優香は
「優香ちゃんはどーっすか?」
「そうですね……」
「段階に応じて両手両足の骨を順番に折っていくとかそういうことでしょうか」
「そういう問題ではありません」
この三人の中では、感情と理性のバランスは優香が最も取れている。しかしだからこそ、悩むことも多い。
煮えたぎる感情と強靱な理性の葛藤が、彼女の最大の長所であり弱点だった。
本気だとしても構わないと断言した晶のように、自分は我慢できるのか。
絶対に許さないと決めてかかっている紫織のように、自分はリスクを冒せるのか。
もしも兄に恋人ができたとして
それでも自分は、そこにいるのだろうか。
「その時…………その時次第です」
「ああ、その時の気分によってお仕置きの方法を変えると言うことですね、わかります」
「激しく違うと思いますが。ま、優香ちゃんがいいならそれはそれでいいんじゃないですかね」
盗聴器から流れていた、歌と音楽が途切れる。
どうやら、今日はこれでお開きのようだった。
330 未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 01:00:42 ID:wd5BsQvP
「んじゃ、そろそろ出ようぜ」
「そね。あ、ゴミはこの袋に入れてね」
「ういっーす」
「相変わらずマメだよな、アケミ」
「えーと、この荷物は誰のでしたっけ?」
「あ、それ私です……」
そうして、時間が来たので部屋を引き払う。カラオケ屋の店先に出た頃には、もうすっかり日も暮れていた。
ざっと四時間も歌っていたことになるわけで。持ち回りだったとはいえ、流石に喉が痛いし、なにより疲れた。
時間的には食事をしても良かったけど、多数決の結果、今日はこれで解散ということになった。
ただ、最後に
「健太君、メアド交換しない?」
「えっ!?」
「せっかく知り合ったんだしさ、いいでしょ?」
アケミさんがそんなことを言い出したけど、この人には彼氏がいる。だから別に期待するようなことなんかなくて、ただ友達としての意味なんだろう。
彼女はいい人だ。それにバンドを見に行くと約束もしている。そういうことをすんなり受け入れて、じゃあ、とアドレスを交換した。
横では柳沢がシズカさんに同じような頼みをしてバッサリ断られてる。だからあの話題のチョイスはないって……
あ、明義とキョウコさんはメアドを交換したみたいだ。趣味も合うみたいだし、あっちは良い友達付き合いができそうだな。
「それじゃ、今日はお疲れ様でした」
「「「「「お疲れ様ー」」」」」
そうして解散した。
帰り道、途中まで柳沢と一緒になる。あれこれと雑談しながら、歩いた。
「今日はどうだったよ、榊」
「ああ、楽しかったよ。って柳沢、みんな彼氏持ちって最初に言えよな」
「レベル高かったからいいじゃねえか。アケミに頼んだんだから中身までわかんねえって」
「やっぱり……アケミさんにお礼しとけよな」
それに、柳沢のための合コンだったような物だし。やっぱりこいつはお礼をしておくべきだろう。
とはいえ、それに本人が気付いてるのかいないのか。レベルがどーとか言ってるし。
まあ失恋中なのは俺も同じだけど、確かに気分転換にはなったと思った。女の子と遊ぶだけの効果は侮れない。
「んじゃー、また今度合コンでもするか? 今度は女子高あたりに話をつけてさ」
「ん、いや、もう当分合コンはいいよ」
「そっか? 楽しかったんじゃねーのか?」
「うーん……」
普通の男子なら柳沢の提案には飛びついていたんだろう。恋人ができるかもしれない機会なんだから。
けれど俺は、アケミさん達に恋人がいるとわかって、がっかりするのではなくホッとした。そういう関係が有り得ないと分かったから楽しめたんだと思う。
確かにあの人達は俺より年上で美人だったけど、俺はもっと
――――好きな人が、いるんです――――
……少なくとも今は、彼女を作るとかそういう気にはなれなかった。
331 未来のあなたへ7.5 sage 2009/06/04(木) 01:03:54 ID:wd5BsQvP
「さてと」
「終わりのようですね」
「じゃ、わたし達も撤収しましょーか」
「何を言ってるんですか藍園さん」
「お仕置きの時間がまだ済んでいませんわ」
「え、まさか今から襲うんですか? 別に危惧したようなことはなかったと思うんすが」
「それはそれ、これはこれです。最低でも交換したアドレスは奪わないと」
「知ってますか? 歯を抜いた死体は豚さんが綺麗に食べてくれるんですよ」
「ひでえー! いやいやいや、さすがに殺人はリスクとリターンが合っていません」
「多少痛めつけた際に携帯電話を奪い取る程度でいいでしょう。男性陣の携帯は各自処理で」
「仕方ありませんわね、それで我慢しますわ」
「ははあ、ナチュラルに強盗ですが具体的には?」
「待ち伏せです。私が最後尾のCを不意打ちで路地裏に引き込んで絞め落とします。残りの二人が立ち止まったら紫織さんが通行人に紛れてBを麻酔注射で一撃。
藍園さんはBを親切に介抱する振りをして、Aが119のために携帯電話を取り出したらスタンガンで気絶させてください。奪った携帯は川に捨てる。以上です」
「承りました。アケミさんに見つからないように変装が必要ですわね」
「わたしが前衛張るのに納得行かない気もしますが、まあ了解です。てか、今回この中で禍根を残しそうなのは我が家だけっすからね。マイダーリンのフラッガーめ!」
「ではさっさと済ませましょう」
成功した。
「ただいまーっす」
「おかえり晶ちゃん。ご飯、できてるよ」
「やーやーやー、家事はわたしの仕事なのにすみませんでした、明義さん」
「いや、気にしないでいいって。むしろ普段のお礼したいぐらいだからさ。ああ、母さんもありがとうね」
「いいのよ、明義。たまには親子水入らずで食事に行くのもよかったけどね」
「いや、だから晶ちゃんは遅くなるだけだって電話があったんだからさ」
「あははー、どーもありがとうございますお義母さん」
「気にしていいのよ藍園さん。何なら今すぐにでも」
「あはははは、あんまり笑わせないでくださいよー」
「ただいま、浩ちゃん」
「おーう。遅かったな姉貴、どうしたんだ?」
「ちょっとゴミ掃除をね。それより浩ちゃん、ご飯にしましょ。あーん」
「口開くのはええよ! んじゃ暖め直すからちょっと離れてくれよな」
「うん。お姉ちゃんはずっと待ってるからね、浩ちゃん」
「ただいま」
「おかえり、優香。遅かったな」
「ええ。友達と偶然会って、お茶をしてました」
「なんだ、てっきりデートでもしてるかと思ったぞ」
「…………」
「いたたたた痛い痛い痛いっ! 折れる折れる!」
「よりにもよってその口でそういうことを言うんですかそうですか」
「冗談に決まってるだろ! なんでいきなり怒るんだよ!」
「……兄さんこそ合コンなんてしてたじゃないですか」
「ぶふっ!? ゆ、優香、なんで!?」
「駅前で件の友達と話していたら、見知らぬ女性陣と会話する兄さん達が見えただけです」
「うごごご……いや、優香誤解するなよ? あの人達とは普通に遊んだだけで……」
「わかってますよ、兄さん」
「お、おお」
「相手にもされなかったんですよね。私は兄さんのモテ無さを心の底から信じていますから」
「しくしくしくしく……」
最終更新:2009年06月07日 22:10