三つの鎖 1

428 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:25:03 ID:ugR8nC3i
朝4時30分。
 まだ日も昇らない暗いうちに僕はむくりと起きた。
 布団にもぐりこみたいのを我慢して着替え、階段を降り、顔を洗い、キッチンに向かう。
 手早く調理器具を取り出し、冷蔵庫から昨日のうちに下ごしらえした食材を取り出す。
 機能セットしたご飯が炊けているのを確認する。
 (炊飯器が壊れた時は大変だったな)
 あの時は朝昼サンドイッチにしたのを覚えている。
 みそ汁の出汁をとりながら家族四人分の弁当を作る。弁当には京子さんの好きな鶏のから揚げを入れる。
 続いて朝食の用意と晩御飯の下ごしらえを始める。
 晩御飯は妹の好きな鶏肉の料理にしよう。
 鶏肉を冷蔵庫から取り出し考えること一分、照り焼きに決め鶏肉を手早く切り分ける。
 下ごしらえの終えた食材を冷蔵庫に戻し、朝食を手早く作る。
 旬のカツオの切り身をフライパンで生姜焼きにする。血圧の高い父のことを考慮し、塩分は控えめ。
 みそ汁を味見していると京子さんが降りてきた。
 すでにスーツを着ている。とても父と同年代とは思えない瑞々しい肌。
 「幸一君おはよう」
 「…おはようございます」
 「いつもありがとうね。手伝うわ」
 京子さんはエプロンを付け、キッチンに入る。
 「ありがとうございます」
 特に手伝ってほしいことは言わない。それでも京子さんは手早く朝食を手伝ってくれる。
 次に父が降りてきた。すでにスーツに身を包み鞄を手にしている。
 「おはよう父さん」
 「おはよう。いいにおいだな」
 かすかに顔をほころばす父。魚の匂いに気がついたのだろう。
 朝食の準備も後はご飯とみそ汁をテーブルに並べるだけ。
 しかし最後の一人がやってこない。
 「幸一君、梓を起こしてあげて」
 京子さんがお椀を取り出しながら言う。
 「…分かりました。後はお願いします」
 僕はため息をついてエプロンを外した。
 妹の梓とはあまり仲が良くない。京子さんもそれを分かっているからあえて僕に起こしに行かせるのだろう。
 階段を上り梓の部屋の前でノックする。返事無し。
 「あずさー。入るよ」
 扉を開けた途端、むわっとした空気が流れる。
 まだ春先にも関わらず締め切られカーテンのかけられた暗くて空気の澱んだ部屋。
 僕はまずカーテンひらき窓を開ける。
 朝のまぶしい日の光が差し込む。相変わらず散らかった部屋。
 外の空気を吸い込みベッドに向かう。
 タオルケットから白い足がはみ出ている。
 梓はいつも締め切って熱くなった部屋で寝るので、春先でも平気で下着にシャツで寝る。
 起こしに行くといつも目のやり場に困るが、何度言っても直してくれない。
 床にある短パンをつかみ、梓をゆらす。
 「あずさー。起きて。もう朝御飯だよ」
 梓はむっくり起き上がった。
 長い髪が壮絶にぼさぼさになっている。
 眠そうな眼をしている。
 「すぐ行く。出て行けシスコン」
 きれいな桜色の唇からはいつものように罵倒が飛ぶ。
 僕は苦笑しながら短パンを渡し部屋から出ていく。
 部屋が散らかっていたから今度掃除してあげよう。



429 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:27:08 ID:ugR8nC3i
 リビングでは湯気の上がる朝食が並んでいた。
 京子さんは調理道具を洗ってくれている。
 「京子さん僕がしますよ」
 「いいのよ。いつもおいしいご飯を作ってくれてるんだし。これぐらいさせて」
 京子さんはにっこり笑った。
 心臓がでたらめな鼓動を刻むのを、意志を総動員して抑え込む。
 梓はすぐに降りてきた。
 家族全員が椅子に座る。
 『いただきます』
 「…いただきます」
 妹だけ不機嫌そうに口を開く。これもいつものこと。
 静かな朝食が進む。
 「幸一君、今日もおいしいわね。腕を上げたかな?」
 「そんな事ないですよ。ありがとうございます」
 「幸一、このカツオはうまいな」
 「村田のおばさんがくれたんだ」
 父の質問に答える。梓の眉がぴくっと動く。
 「梓、高校はどうだ?」
 父さんが尋ねる。
 「…まあまあ」
 梓は不機嫌そうに答える。
 「梓は生徒会から勧誘されているんだ」
 「ほう。まだ入学したばかりなのにか」
 父さんは感心したように答える。
 「何度か手伝わされただけよ」
 梓は不機嫌に答える。
 朝食が終わり、緑茶を京子さんが入れてくれる。
 梓だけ冷たいお茶を渡す。梓は一気に飲んでリビングを出た。いつも通りシャワーを浴びるのだろう。
 お茶を飲み終わった二人が出勤するのを見送り、僕は家事を片付ける。
 朝食の洗い物を行い、僕と父と京子さんの部屋の布団を干す。ゴミ箱のゴミをまとめ軽く掃除する。
 梓の部屋に入り、ため息をつく。どうやれば二日でここまで散らかすんだろう。
 床は脱ぎ捨てた服や下着やシーツが散らばり、本が散乱している。
 僕は手早く服と下着とシーツを洗濯かごに入れる。こんな空気の蒸した部屋にいるせいか、散らかった服も下着もシーツもしけって感じる。梓が部屋を閉め切るせいで部屋はすごく暑い。
 梓は汗をかくとすぐに着替えるから部屋には服や下着が散乱する。暑がりな梓と全く逆の行動をいつも不思議に思いながら片付けを続ける。本を棚に入れ、アイロンと台を片付け、布団を干す。フローリングの床に掃除機をかけゴミをまとめる。
 掃除機を片付け風呂場に向かう。
 下ではすでに梓が制服に着替えて牛乳を飲んでいた。
 梓が無言でブラシを投げつけてくる。
 僕は受取り、梓の髪にブラシを通す。風呂あがりなためか梓の体温を熱く感じる。
 別に妹は髪の手入れをできないわけでない。面倒くさがり屋なのだ。ここで小言を言うと睨まれるので何も言わない。
 「梓、部屋を掃除したよ」
 梓の頭がぴくっと動く。
 「このシスコン。そんなに妹の部屋をあさるのが好きなの」
 「たまには換気しないとだめだよ。埃がたまりやすいし」
 梓は無言で髪止めのゴムを渡してくる。
 僕は手早く妹の髪をポニーテールにする。
 終わると梓は何も言わず鞄を持って出て行った。
 いつもの事だが少し悲しい。


430 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:28:02 ID:ugR8nC3i
 落ち込みながら風呂場に向かう。梓は風呂に入る前に洗濯機を回すように頼んでいる。僕の頼みをほとんど聞いてくれないが、これだけはちゃんとしてくれる。洗濯物を取り出し庭へ。
 洗濯物を干していると声をかけられた。
 「幸一君。おっはー」
 庭の外には知っている女の子が黒い犬と一緒にほほ笑んでいた。長い髪をまとめた女の子。
 女の子はどうでもいいが、この黒い犬はシロという。黒いのに。
 「おはよう春子。おばさんがくれた魚、お父さんがおいしいって喜んでいたよ」
 「本当?お母さんに伝えとくね。梓ちゃんは?」
 「もう学校」
 「ふーん。ねえ、一緒に学校に行かない?」
 「分かった。ちょっと待ってね」
 春子は手を振り隣の家に入った。
 待たしてはいけない。僕は残りの洗濯物を急いでほして制服に着替えた。
 弁当を取りにキッチンに行くと、二つあった。僕のと梓のだ。
 僕は二つとも鞄に入れた。


 春子と二人で学校に向かう。
 道すがらとりとめのない話をする。
 「相変わらず梓ちゃんに避けられているの?」
 「うん。嫌われているのかな」
 「しょーがないなー。お姉ちゃんが一肌脱いであげるよ」
 「ありがとう。期待しないで待ってるよ」
 春子と話すといつも不思議に思う。春子も小さい時からの知り合いだから気兼ねなく話せるのに、何で妹と話すと緊張するんだろう。
 靴箱でいったん春子と別れ梓のいる教室に向かう。
 こっそり教室をのぞく。梓は僕が教室に来ると怒るのだ。
 教室に梓はいなかった。
 「あれれー?お兄さんじゃないですか」
 後ろから突然声をかけられた。
 「またお弁当ですか?」
 見覚えのある女の子がにやにやしていた。
 「ええと…」
 誰だっけ。
 「中村です。梓の友達の。ひどいですねー。覚えてくれてないのですか?」
 「覚えているよ。中村夏美さん」
 今思い出したけどね。
 「梓見てない?」
 「あの子時間ぎりぎりまでどこかで時間つぶしていますよ」
 それは知っている。
 「申し訳ないけど、梓に弁当を渡してくれないかな」
 「うーん。私としては全然OKですけど、あの子私が渡すと不機嫌になりますよ。兄さんは私に弁当渡すのも嫌なぐらい会いたくないんだって」
 何その理不尽。
 「お昼休みに渡してあげてください。そっちのほうがあの子喜びますよ」
 「教室に行くと怒るのに」
 「そんな事ないですよー」
 中村さんはけらけら笑う。
 「分かった。お昼休みにまた来るよ」
 「伝えときます!イエッサー!」
 中村さんは何故かびしっと敬礼した。




431 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:29:18 ID:ugR8nC3i
 お昼休み。
 立ち上がるとクラスメイトの耕平が声をかけてきた。
 「こーいちー。飯にせえへん」
 「妹に弁当渡してくるから先に始めといて」
 「ああ。梓ちゃん弁当忘れたんや。オッケーオッケー。こっちは適当に始めとくわ」
 耕平は笑ってほかのクラスメイトと学食に向かった。
 「幸一君」
 今度は春子が声をかけてきた。
 「梓ちゃんの所に行くのでしょ。私も行く」
 「いいけど…。なんで?」
 「これを機に梓ちゃんとの仲を修復するの。私お姉ちゃんが一肌脱いであげる」
 胸をそらす春子。
 「さ、行きましょ」
 僕の手をつかみ歩き出す春子。温かい手に頬が熱くなる。耕平達と食事の約束が。
 「耕平君なら女の子のお誘いを断るやつは絶交じゃー、って言うと思うよ」
 「何で僕の考えていること分かるの」
 「何年目の付き合いだと思っているんですか」
 「分かったから手を離して」
 「えー?何で?」
 「その、恥ずかしいよ」
 「相変わらず恥ずかしがりやですね」
 春子はにこにこしながら手を放してくれない。さらに僕の手をにぎにぎしてくる。ドSだ。
 「何で僕をからかうときだけ敬語なのさ」
 「それはですね、私が幸一君のお姉さんだからです」
 たった1日なのに。
 「それに私は幸一君の料理のお師匠様だからです」
 「…わかりました師匠」
 「分かればよろしいです」
 梓の教室をこっそりのぞく。
 中村さんが目ざとく僕を見つけた。
 「おにーさーん!こっちです!」
 梓がものすごい形相で僕を睨む。怖すぎる。
 恐怖で教室に入れない僕を春子が押す。
 「ほら梓ちゃん。幸一君とお弁当をお届けにまいりました」
 「いらない」
 即答する梓。冷たい視線を僕に向ける。
 「まあまあ。ここはハルお姉ちゃんの顔に免じて一緒にご飯食べよ」
 「あ!私もご一緒していいですか?」
 姿勢よく挙手する中村さん。びしっという音が聞こえてきそうな勢いだ。
 「もちろん。梓ちゃんのお友達?私は村田春子っていうの」
 「村田先輩ですね。私は中村夏美といいます!夏美って呼んでください!」
 意気投合する二人。
 「なんか僕たちおいてきぼりだね」
 「珍しく兄さんと意見があったわ」
 取り残される兄妹。
 「はい梓。お弁当忘れていたよ」
 無言で受け取る梓。
 「こら梓ちゃん!幸一君にお礼を言わないとだめでしょ」
 「あーずーさー!お兄さんが可哀そうでしょ!」
 二人に攻められ梓は面倒臭そうに口を開いた。
 「…兄さんありがとう」
 胸にじわっときた。妹に礼を言われるのなんて何年ぶりだろう。
 「…うん。どうしまして」
 思わず涙ぐみそうなのをこらえる。
 そんな僕たちを春子と中村さんはにこにこ見ていた。



432 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:30:45 ID:ugR8nC3i
 四人で机を囲み弁当を開く。僕と梓が向かい合う。
 「さすが兄妹。中身は一緒だー」
 中村さんが僕と梓の弁当を見てはしゃぐ。
 「お兄さん」
 「何?」
 「鶏からいただきます!」
 中村さんが僕の弁当から鶏の唐揚げをひょいとつかみ口に運ぶ。
 「私も弟子の進歩を確認しよーっと」
 春子も僕の唐揚げをひょいとつかむ。
 「うんめー!お兄さんうますぎですよ!」
 さらに一つ食べる中村さん。あれ?から揚げ弁当がご飯と野菜弁当になっちゃったぞ?
 「結構なお手間です」
 春子はにこにこしながらサイコロステーキを一つ僕の弁当に入れてくれた。さすがお金持ち。
 「お兄さんこれどーぞ」
 中村さんがミートボールを僕の弁当に入れる。唐揚げとは釣り合わない気がする。
 「ありがとう」
 食べようとしたら梓が素早くサイコロステーキとミートボールを奪い口に詰め込む。
 呆然とする僕を冷たく見つめながら梓は飲み込んだ。
 「シスコンの兄さんには勿体ない」
 結局僕はご飯と野菜だけの昼食となった。


 「えええー!?お兄さんが弁当作っているのですか!?」
 中村さんの大声が教室に響く。
 「夏美うるさい」
 「ちょっと梓!お兄さん料理の鉄人?」
 「私が料理を教えたからね。これぐらい当然なのです」
春子は胸を張る。中村さんは思わず春子の揺れる胸を見つめ自分の胸に手を持って行った。
 「春子先輩!ししょーと呼ばせてください!」
 「幸一君は朝昼晩とご飯を作り洗濯掃除もこなす自慢の弟子なのです。一家に一台幸一君なのです」
 二人ともネタが古い。
 「お兄さん何者ですか?家事万能ですか?」
 「あのね中村さん」
 「ノンノン!私のことは夏美と呼んでください」
 「ええと夏美ちゃん、梓も手伝ってくれるから」
 「お兄さんいい人過ぎ!梓!お兄さんもらっていい?」
 梓は手で顔をあおぎながらうっとうしそうに口を開く。
 「夏美、ひとつ言っとくけど、兄さんはいつもあられない格好で寝ている私に鼻息荒く近づいて鼻の下伸ばしながら起こしに来るのよ。妹の髪をとかしながらウットリして、妹の部屋を掃除と称して荒らす変態シスコンよ」
 「いやいやいや」
 僕は慌てて否定する。
 「えー。それはちょっとドン引きですね。妹の髪ととかしてウットリとか。お兄さん、そんなに梓ちゃんの髪が好きなのですか?」
 中村さんが僕から距離をとる。
 「ふふふ。夏美ちゃん分かってないですね」
 春子がにこにこ笑う。嫌な予感がする。
 「梓ちゃんは面倒臭がり屋だから幸一君にさせているだけなのです」
 「梓そうなの」
 「まあね」
 「どんだけお兄さんをこき使ってんだYO!」
 あっさり認める梓に突っ込む中村さん。
 「幸一君覚えていますか?女の子の髪の手入れの方法がわからなくて私に教えてと頼んできたのを」
 春子が自分の長い髪をなでながらウットリささやく。無論ほかの二人に丸聞こえ。戦慄が走る。
 「春子待って」
 「何回も私で練習させてあげましたよね」
 「春子先輩!その言い方はなんかエロいっす!」
 梓の視線が絶対零度より低くなる。
 「ふーん。そんなことあったんだ。シスコンじゃなくて幼馴染好きだったんだ」
 梓は手で顔をあおぐ。怒りで熱くなっているんだろうか。


433 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:31:56 ID:ugR8nC3i
 「幸一君。今度女の子の髪の扱いが上昇したかテストさせてあげます。私を満足させたら合格です」
 その言い方はやめて!
 「お兄さん。その、あの」
 中村さんが頬を染める。
 「今度私もお願いしていいですか?」
 机の下で梓が僕のすねを蹴った。許してください。



 お昼休みも終わりが近づき僕と春子は一年生の教室を後にした。
 去り際に中村さん、いや夏美ちゃんが「いつでも来てくださーい!」と元気いっぱい手を振ってくれた。梓は相変わらず不機嫌そうだった。
 自分の教室に戻ると耕平が声をかけてきた。
 「その様子だと珍しく梓ちゃんと昼飯食べたみたいやな」
 「うん。行けなくてごめん」
 「何言っとんねん!妹とはいえ女の子の誘いを蹴るようや男とは絶交やで!」
 耕平が笑う。その台詞は春子が予想していました。
 「で、どやって梓ちゃんを飯を食ったんや?」
 耕平が好奇心丸出しで訪ねてくる。
 「ふふふ。それは私のおかげなのです」
 胸を張る春子。耕平は思わず春子の胸に視線が行く。大きいもんな。
 「っと俺としたことが。ハルの姐御すいません」
 「ふっふっふ。見るだけならいいですよ。哀れなチェリーボーイが私の胸に興奮するのは仕方ないのです」
 「姐御サーセン!」
 頭を下げる耕平。
 僕は苦笑する。春子は面倒見がいいしノリも意外といい。けど少しオヤジ臭い所がある。
 「幸一君」
 春子は僕の顔をのぞく。顔が近い。
 頬が熱くなるのがわかる。
 「梓ちゃんとご飯食べて楽しかった?」
 僕はうなずいた。
 「春子のおかげだよ。ありがとう」
 春子は微笑み、背伸びして僕の頭をなでた。春子も身長は高いが、僕はそれ以上だ。
 「ちょっと恥ずかしいよ」
 「ふっふっふ。存分に恥ずかしがれなのです」
 耕平は指をくわえて見ていた。
 「ええなー。あねごー。俺の頭もなでてーな」
 「今すぐ大気圏から消え失せて」
 「ひどっ!」
 耕平は頭を抱えて絶叫する。クラスメイト達は生暖かい目で見ていた。




434 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:32:56 ID:ugR8nC3i
 放課後。耕平はHR終了と同時に飛び出した。今日はバイトらしい。
 春子は生徒会に向かった。
 僕も帰ろうとしたところ、靴箱で梓と夏美ちゃんに会った。
 珍しい。梓は人ごみが嫌いだからすぐに帰ることはしない。
 「おにーさーん。今から帰りですか?」
 「うん。夏美ちゃんも?」
 「一緒に帰りましょう。いいでしょ梓?」
 梓が渋い顔をする。
 「ええと、やっぱり遠慮しとこうかな」
 「何言ってるのですか。梓もうれしそうですよ」
 この子はどこを見ているんだろう。
 「ほら、行きますよ」
 夏美ちゃんが僕と梓の手を一緒に握りひっぱる。
 梓と夏美ちゃんの手の暖かさが伝わりどぎまぎした。
 「変態シスコン」
 梓がぼそりとつぶやく。
 「え?梓なんて?」
 「夏美。この変態シスコンは妹と後輩の手にドキドキしているのよ。妹として恥ずかしいわ」
 「えー。お兄さん本当ですか?」
 「ええと、女の子に触れるのが苦手なんだ」
 「ほら夏美。否定しないでしょ」
 「お兄さんって恥ずかしがり屋ですね」
 そんな事を話ながら帰る。
 分かれ道で夏美ちゃんは手を放し、放した手を大きく振って去った。
 周りは帰る学生や買い物の主婦でごった返している。
 梓は不機嫌そうに顔を手であおぎながら立ち尽くして動こうとしない。
 理由を僕は知っている。人ごみが嫌いな理由も。
 「梓」
 僕は梓に手を差し伸べた。
 梓が冷たい視線を僕に向ける。
 「何?後輩の手の温もりが無くなったから妹の手の温もりがほしいの?」
 「うん」
 梓はそっぽを向く。
 「このシスコン。まあいいわ。兄さんが女の子にふれる練習にもなるし今回は付き合ってあげる」
 梓は僕の手を握った。僕も握り返す。梓の手は燃えるように熱い。
 「練習って。まあいいや」
 「私が練習に付き合ってあげないと春子にお願いするかもしれないでしょ。女の子にふれるのが苦手だからってそんなことしたら私が恥ずかしい」
 相変わらず不機嫌そうな梓。
 そこから何もしゃべらず僕たちは帰った。話しかけて梓をこれ以上不機嫌にすることはないと思った。




435 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:34:17 ID:ugR8nC3i
 家に着き、僕たちは分担で家事を行った。
 布団をたたみ、カバーを付ける。
 梓は洗濯物をたたみアイロンがけと風呂掃除。いつもは僕が行うことも多い。
 そして二人で晩御飯を作るのと明日の下ごしらえを行う。普段は梓が帰ってくるのはもっと遅いので僕一人で作ることが多いが、今日は珍しく二人で作った。
 梓の料理の腕前は僕より上だ。春子の言うとおり梓は面倒くさがりだが、やればいくらでもできる。
 この家の子供の夜ごはんは早い。父さんと京子さんの帰りはいつも遅いし、今日は柔道の練習がある。
 「いただきます」
 鳥の照り焼きを口に運ぶ。おいしい。梓は無言で食べるが、心なしか頬が緩んでいる気がする。
 梓はやっぱり鳥料理が好きなんだなと実感する。僕は父さんに似て魚が好きだけど、梓の好みに合わせて晩御飯は鳥料理が多い。安いし。
 食後、僕は食器を洗う。
 梓はのんびり僕が入れたアイスティーを飲んでいた。暑がりな梓はいつも薄着で家では特に顕著だ。今も短パンにシャツ一枚と目のやり場に困る格好だ。
 僕も食後の緑茶を飲み一息つく。
 そのまま無言が続く。本当なら気まずいはずだが、僕はもう慣れてしまった。そのことが少し悲しかったりする。
 コップを流しに置いて、鞄を持つ。中に道着と帯があるのを確認し、梓に告げる。
 「梓、行ってくる」
 梓は無言。
 いつものこと。僕は家を出た。

 僕が向かったのは市民体育館。ここで週に何回か柔道の練習が行われる。
 ここの練習は短いが濃い。集まっているのが大学の体育会や現役の警察官ばかりだからだろう。本当なら僕のような高校生が来れる場所では無い。警察勤めの父の口添えがなければ無理だっただろう。
 へとへとになりながら着替えを終え体育館を出る。そこに春子がいた。
 「幸一君お疲れ様」
 春子は微笑んだ。春子はこの市民体育館で行われる合気道の練習に参加している。僕の参加しているのとは反対に、子供中心ののんびりした練習だ。
 「一緒にかえろ」
 僕が返事をする前に僕の手をつかみ歩き出す。
 頬が熱くなる。
 「春子」
 「手は離しませんよ」
 にこにこする春子。いや、にやにやしている。
 「なんか最近手を握ること多くない?」
 「へー。お姉ちゃんと手を握るのが不満なのですか。おじ様おば様ごめんなさい。春子は幸一君の教育を間違えました」
 「いや、その、今日は二回目じゃない」
 「三回目でしょ」
 え?
 「帰り道に夏美ちゃんと梓ちゃんと」
 気のせいだろうか。僕の手をつかむ春子の手が冷たく感じる。温かいのに。
 春子がにこにこしながら握る手に力を入れる。
 そのまま僕たちは無言で歩く。
 「幸一君。何か反応してよ」
 「えっと、なんて言っていいかわからなくて。怒ってる?」
 「まさか」
 春子がにっこり笑う。
 「今日の練習で子供たちが『ハルお姉ちゃんのカレシが女の子二人と手をつないで帰ってた』と聞いた時は幸一君も立派になったと思ったのです」
 空気が弛緩する。
 「帰り道に見られたのかな。人多かったし」
 「情報を提供してくれた子供たちには丁寧に指導しちゃいました」
 舌を出す春子。何をしたのだろう。
 「私びっくりしたよ。梓ちゃんが人の多い時間に帰ってるの久し振りに聞いたし」
 「夏美ちゃんに引っ張られたのだと思う」
 春子は梓が人ごみを嫌う理由を知っている。
 とりとめのないことを話しながら帰った。時々僕の手をぎゅっと握ってくるのにどぎまぎした。
 春子の家の前で手を放し別れる。春子の家の犬のシロがわんと吠えた。
 「おやすみ幸一君」
 「おやすみ春子」
 「また明日ね。困ったことがあればいつでも言ってね。お姉ちゃんはいつでも幸一君の味方だよ」



436 三つの鎖 1 sage New! 2009/11/07(土) 00:35:03 ID:ugR8nC3i
 父さんと京子さんは食事を済ませてお風呂も終えていた。
 僕は道着を洗濯機に入れシャワーを浴びる。
 復習予習を軽く済ませて寝間着に着換えた。
 歯を磨こうと洗面所に向かうと水音がする。梓がシャワーを浴びているのだろう。
 仕方なくキッチンで歯を磨く。
 磨き終えて戻ろうとしたらキッチンに梓が来た。僕は無言でコップに牛乳を入れ渡す。
 梓は無言で受け取り無言で飲み無言でコップを返して踵を返した。
 「おやすみ」
 梓は何も言わない。

 ここで自己紹介をしておく。
 僕は加原幸一。
 高校二年生。
 好きなことは柔道。
 悩みは妹に嫌われていること。
 詳しい話はこれから語っていくと思う。

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最終更新:2009年11月08日 18:35
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