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上条さんと美琴のいちゃいちゃSS/11スレ目ログ/11-443 - (2010/07/21 (水) 19:32:19) の1つ前との変更点

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*心→こころ→ココロ→   → 2 #asciiart(){{{  今宵は三日月。  美琴は、車が一台ぎりぎり通れるくらいの細い道を一人歩いていた。人気がなく道の隣には質素な公園があり、手入れのされていない木々が青っぽく光っている。 (……、)  あの馬鹿が、他の誰かと頬を染めて笑っていた事が苦しかった。多分、あの大学生くらいの女を遠ざけたかったのかもしれない。  そんな事思う権利や資格なんて自分にはないのに。当然の事ながら、上条にだって誰かと笑って、誰かを選ぶ権利がある。  そもそも、あの馬鹿が本当に記憶喪失なら、こんな事を考えている事自体がお門違いだと美琴は思う。  優先順位が間違っているのだ。『それ』は二番目で、一番に考えなければならないのは彼の記憶をどうするかという事。  ―――しかし。  美琴にとってはどちらも同じくらい大切な事だった。ゆえに理性では間違っていると理解していても、心の根っこの部分ではどうしてもそれを割り切れない。理屈が通用しないこの気持ちに美琴はどうしていいのか分からなっていた。  足を止めて、歩いてきた道を振り返る。  そこにはやっぱり誰もいなくて、むかついて、思わず膝を抱えて泣きそうになった。  自分勝手に振り回せば嫌な顔をされ、かといって大人しく黙り込んでいれば他の女に頬を染める始末。 (せめて、私といる時は私だけを見ててよ……)  『それ』が素直な気持ちだった。  そして『それ』は、誰にも相談できない事柄だと美琴は思った。  『それ』を言ってしまえば御坂美琴がどんな人間で、どんな事を思って、上条当麻をどんな風におもっているかバレてしまいそうで。  出会い方はお世辞にも良いものではなかった。  ガキ呼ばわりされるし、ひょろひょろとしていけ好かない。あっちはこちらの事を出会い頭電撃をしてくる変な女とでも思っていただろう。  そのうち絶対進化計画という実験を知って―――、無駄だったけど色々な事をした。  あの頃は本当に、何もかもが怖かった。  味方がいなくて、理解者がいなくて。ルームメイトである白井黒子ですら、完全なる味方ではなかった。 『それがこの街の治安を脅かすなら、たとえお姉さまがお相手でも黒子のやることは変わりませんの』  白井は実験の事について何も知らない。そう、美琴を信頼しきっているからこそ出てくる台詞。当然、そんな事は分かっていた。  でも暴露してしまえば、そこは嘘でも『付いていく』と言って欲しかった。けれど、本音は押し殺した。一万人も殺しておいて自分だけ助けを求めるのは卑怯だと思ったから。そして何より、巻き込みたくなかったから。美琴は一人で決着をつける事を決意した。  そして、上条は現れた。 『―――それでも嫌なんだよ! 何でお前が死ななきゃいけないんだよ、どうして誰かが殺されなくっちゃならないんだよ! そんなの納得できるはずねえだろ!』  嬉しかった。  あの時言ってくれた言葉の一つ一つが、今の美琴を支えている。  実験は最弱であるあの少年が最強の被験者を倒すという形で幕を下ろした。  それから。少しずつ思い出を作っていって、僅かながら上条に近づけていったと思う。  努力したとは思わない。そもそも、何を成功させるための努力なのか分からないのだから。  それでも上条の事を考えていると、自然に顔の筋肉が緩んでいく。  人前では決してできない表情だったと思うけれど、内心とても心地よかった。  安心。安堵。まるで大木の下。  あの馬鹿は木のように固定されたものではないけれど、そんな表現が適切なのだろう。  それが記憶喪失という事実で汚されたような、リセットされてしまったような、全て嘘だったような虚しさ。  そこに自分の知らない、上条の日常。 (……って、何悲劇のヒロインぶってんだろ私。アイツが記憶喪失ならこんな事考えちゃダメなのに……こんなの馬鹿げてる)  美琴は己の考えを打ち消す。  客観的に今の自分を見てみると、勝手に上条を心配し始めて、勝手に上条のことで悩んで、肝心の上条は会ってみたらいつも通りで、誰かと楽しそうにしゃべっていて、その事実に勝手にうじうじして。  何だか物凄く惨めで、自分勝手で、幼稚だ。  こんなのはダメだ。  でも、こういう事に限ってどうにもならないもので。 (……アンタは私の事どう思ってんのよ。あの時、私を守るって言ったのも、忘れた記憶のうちなの?)  ついつい考えてしまう。分かっているつもりなのに。 (……、)  ……記憶喪失は本当なのか。何かの間違いではないのか。  果たして今の上条はどちらの上条当麻なのか。  いや、どちらではなく。『どんな』と言った方が正確なのかもしれない。  美琴はあの少年の名前を知っている。  能力を打ち消す正体不明の力を持っているのも知っている。運がない事も知っている。どこの高校に通っているかだって知っているし、携帯の番号とアドレスだって先日知る事ができた。  けれど、『上条当麻』を知らない。  その事実に心が大きく揺らぐ。 (本当の事、言ってよ……)  やっぱりダメだ。こんなのは性に合ってない。いっその事、あの時点で電撃の一つでもしておけば良かった。  でも、それもやっぱりダメで。  それにどちらの選択肢をとっても、自分はこんな風になっていただろうと美琴は思う。  何が気分転換だクソッたれ。  こんな気持ちになるくらいなら普通に黒子から芯を貰っておけばよかった、と美琴は地面を蹴った。課題もゲコ太もあの馬鹿の事も、何もかもがうまくいかない。 (やば……なんか泣きそう)  過ぎた事を悔いても仕方ない……のは分かっている。  『これ』が押し付けになる事も、何となく分かった。上条を思うなら、彼自身に負担をかけてはいけない。これが第一。こんな事で悩んでいてはいけない。  だから、『これ』は殺しておくべき感情。 「……なんでよ」  無意識のうちに、そんな言葉が口から出ていた。  こんなに弱い御坂美琴は、美琴の思い描いている御坂美琴ではなかった。その、たった一歩も踏み出せない、弱い存在。  美琴の知り合いに、固法美偉という女性がいる。  彼女は街の治安を守る風紀委員であるのにも拘らず、犯罪者である黒妻綿流という男を何かと庇っていた。それどころか彼のためなら風紀委員である己を捨てようとしていた。  『それ』が分からなかった。  何故そこまでして犯罪者の肩を持っていたのかが、美琴にはどうしても理解できなかった。それは今も変わらない。  しかしそれは何となく、自分にも言える事なのだと美琴は思う。  ただ、固法は自分の思いをきちんと理解し、その上でそれを彼にぶつけているようだった。  美琴の場合は自分の思いを理解できていない。気持ちの整理が出来ていないまま、『とりあえずの手綱』を握っておこうとあれだこれだとやってしまう。  そこが決定的に違う。  たったそれだけの違いで、年上の彼女がとても強く思えた。 (……、)  ―――相談してみようか。答えを知っているだろう固法に。  当然、不可能だ。  そういう意見は論外だと、美琴は瞬時に思った。確かに『それ』を誰かに相談したい、言ってみたいと思っている自分がいるのは事実だが、そんな事をしたら、と考えただけで顔が赤くなりそうになる。  だから、どうしようもない。一人でどうにかして、一人で解決するしかない。  それはきっと、辛い事だ。 (……ばか)  こうなると、割と止まらないもので。  水っぽい音。  それが自分の鼻を啜る音だと気付いた時には、美琴は唇を噛み下を向いていた。  二つの事実に胸が締め付けられる。  美琴は搾り出すように、 「……ちょっとくらい……、好きでいてよ。私は……、アンタの事が……」  口が固まる。紡ぐ言葉が見つからない。  ―――やがて、美琴の口は、彼女自身でも知らず知らずのうちにこう動く。 「す―――」  とそこに言い終わるよりも早く、 「お、いたいた」 「ぎなンだァッッッ!?!?!?!?!?」  どごわーっ!? と見た目ガチガチ、内面ドッカーン!! の美琴が、後ろからかけられた声にギギギギと古びたカラクリのような硬い動きで振り返ってみると。  ツンツン頭の少年がすぐ後ろに。  突然の出来事ににゃんでコイツがここにいるにょよどうしようどうしようというか私今にゃんて言ったあわわわ……と美琴が固まっていると、何顔赤くしてんだ? とツンツン頭の少年・上条当麻は、 「さっきは悪い。論文大変なのに、駄弁り長引かせちまって。この侘びはいつかする」  と、美琴的においしいかもしれない切り出し方をしているのだが、美琴は美琴で彼の言葉は一切耳に入っておらず、今の自分の心の状態を冷静に見てみて『あれ?』と首をかしげていた。  ……あんまり苦しくない。  さっきまでのモヤモヤが消えていて、少しホッと安堵している自分がいる。 (ど、どどどうなってんのよ私のこころぉぉぉ……さっきは変に苦しくなったり今はふわふわし始めたり……)  やーもーっ、と全身に熱を感じた美琴は自身の顔を両手で押さえて歩き出した。何となく、今自分の顔を上条に見られたら、とんでもなく恥ずかしい思いをするような気がする。  美琴に無視された上条は『え、無視? ちょっと待ってくれよ』とか言っていたらしく、少し後ろを追いかけるように歩いていた。  『す、少しだけ待って!!』と美琴は叫んで自分の顔を念入りにコネコネし、冷たい空気を十分に晒した後上条の顔をチラッと見て、 「……あ、あの女の人と働くんじゃなかったの? ど、どうしてこっちに来たのよ」 「え、あ、いや、どうしてっつーとあそこから一時間働くのは正直無理っぽかったからですかね。それとホレ、これ」 「え? あ」  上条がビニール袋をガサッと押し付けた。中身を覗いてみるとさっき選んだシャーペンとチョコレートが入っていた。  美琴に物を渡した後上条は、 「ついでに板チョコも買っといたから。良かったら食っといてくれ」 「……、」  いつも自分ならここでどんな反応をしていただろう? と美琴はふと、そんな事を考える。  しかし、ごちゃごちゃ考えるとまた『さっき』みたくなりそうなので美琴は考えるのすぐにやめた。  気分を変えるため上条の右手にぶら下がっている大きなコンビニ袋を見て、 「……そのゴツゴツした袋は何よ? 貧乏なのに衝動買いでもしたの?」 「ああこれ? これはインデ……、えぇとだな、八時間頑張った上条さんにご褒美です。まぁ売れ残りだけど」 「……こっちの道でいいの? 私はこのまま寮に帰るけど方向違うんじゃない?」  美琴は彼の住所を知らないが、普段の彼の行動パターンからだいたいの位置は予測できる。多分、第二十二学区らへんと踏んでいるのだが……。  上条はいやと、 「俺もこっちの方だ。分かれ道は……、多分ここから二キロくらいの所だな」 「じゃ、じゃあ常盤台からそんなに遠くないの?」 「んー、そうだな。駅二つ分くらいの距離だ」 「そ、そう。……あ、あの、さ」  ん? なんだ? と美琴を見つめる上条。  彼の顔を真正面から見た瞬間、心臓がバッコーンッ! と跳ね上がり、美琴は思わず口に手を添え、一歩引いてしまう。 「ぁ……や、やっぱり……何でもない、わよ……この馬鹿」 「? そうか。ま、あんまり無理すんなよ」 「……うん」    ……………。    それっきり、会話が途切れてしまった。  そうなると、あとはそれぞれの寮に向け、ただ歩くだけ。  辺りに人の姿は一切なかった。見渡してもここを歩いているのは自分たちのみ。  美琴は上条の顔を、そっと覗く。 (……、)  この何気ない、いつも通りの表情をしている少年は記憶喪失らしい。  下手にそのことを問い詰めて、無理やり相談に乗るという方法は、やはりこの場合は単に上条を傷つけるだけに終わる可能性がある。  大丈夫? と声をかけられないことがもどかしい。その上で上条に何もしてあげられない自分がもどかしい。 (どうして何も言ってくれないのよ……。アンタが何か言わないと、どう出ていいか分からない。……私は)  そう思う事そのものが美琴と上条の距離の遠さを明確にしている。  ……さっきはこの少年を自分の元に縛り付ける権利なんて、己にはないと思った。  今―――、上条の顔を見て、それらが欲しいと強く思った。  そして、この少年の悩みを聞いてあげて、言ってあげたい言葉があった。  やがて、できるだけ長く、上条の近くにいられる口実が欲しいと思った。  けれど、まるで巨大な時計を動かすのに必要な、最も重要な役割を果たす歯車が欠けているかのように、美琴の心はそこから先に動き出せない。  たった一つの歯車がないせいで、他の全ての歯車が動かないような感覚。  それでも、他の歯車は『それ』を動かそうと奇妙な動きをしている。個々のパーツが何とか『それ』を彼に、そして美琴自身に伝えようと動き始めている。  もどかしかった。  言いたくても言えない。言えないけど言いたい。言いたいけどよく分からない。  上条の記憶が失われているらしい事を知っていて、それでも何もできない事。  それとは別に、上条の記憶の問題について曖昧ながらも知ってしまった美琴自身が、彼を思う己の心にどう対処していいか分からなくなってきている事。  その二つは全く別の問題。  そしてその両方が全く進展しない事実。  余計なものを取っ払って一から考え直しても最後に残るのは結局この二つの問題だけで、それらを解決しようとしてもよく分からないストッパーのようなものが働き、何にも分からず仕舞い。  しかし不思議とどこか似通った二つの感情が混ざり合い……、美琴は胸の前で右手をキュッと握り締めた。 (……、)  せめてきっかけが欲しい。  たとえば。  コイツが記憶の事を打ち解けて悩みや不満を零してくれれば……、と美琴は思う。この少年の芯の部分を垣間見る事できっと見えない何かが解消される。 「お前さ」  唐突に上条が口を開いた。それだけの事なのに、自分の心を見透かされたように感じた美琴はビクッ! と全身を震わせる。  上条はちらっと美琴を見て、 「なんか悩んでんの? 顔色が悪いのですが? そういえばコンビニに来た時も相談したいとか何とか言ってたっけ?」  言いながら、彼はわずかに歩く速度を落とした。  ―――私が変に距離を置いたらアイツの負担になるかもしれない。  先ほど危惧したことが的中してしまいそうだったので、美琴は少し無理に笑い、 「……そんなもん、ないわよ。……アンタこそどうなのよ? 悩んでる事とか隠してることないの? 顔色悪いわよ」  別に顔色なんて悪くない、上の空な表情の上条は少し黙り、美琴を見て言う。 「え、俺顔色悪ぃか? 何もありませんが。しいて言えば今月七千円だけでやっていけるか心配だけど」  もしかしたら疲れたのかな俺、と上条はわざとらしくため息をした。  その動作があまりにも自然すぎて、美琴は少し前を歩いている彼をどこか遠くを見るように、 「……そっか。まぁ、あったらいつでも言ってね」 「??? あ、あぁ」 「??? あ、あぁ」  おかしい。美琴が女の子だ。  ……いや、性別的に女の子なのは分かっているが、なんかこう、違うのだ。  ニュアンス的には男気溢れる美琴に、女の子らしいイメージのある天草式の五和を足して二で割ったような、そんな感じである。  上条は一瞬だけ美琴をチラッと見た。何故チラッとでないといけないかというと『何チラ見してんのよこの馬鹿!』的な会話を展開されるのが癪だったためである。 (……論文で鬱になってる感じではないよな、コイツ頭良いし。思春期特有の……って言っていいのかこういうの)  うーん難しい年頃ですなぁと上条は頭を掻いた。 (察するに、友人関係の事とか恋愛の事とかコンプレックスの事だろう)  コイツに限って恋愛はないだろうけど、と上条はクスッと笑う。その悩みとやらが妹達絡みの事についてだったとしたらあまり笑ってはいられないが。 『……そっか。まぁ、あったらいつでも言ってね』  上条は、美琴の先ほどの言葉を思い出し、少し思考を空白にした後、 (……まぁ、ここはこう言うのが礼儀だろう。全く……、人の心配なんかしてないでまずは自分の悩みを解決しろっつーの)  何だかちょっぴり切ない気持ちになる。元より、今日の美琴が少しおかしいのは分かっている。  上条は不器用に笑って、 「お前もあったらちゃんと言えよ」  細い一本道を抜け、学生寮が建ち並ぶエリアに出た。ここ半径一キロは、学生が生活する上で必要最低限な施設しか存在しない。  学園都市は最先端―――、とは言ってもチューブのような管の中に車が走ったり、キノコのような形の家があったりはしない。車は普通に地面を走るし、彼女たちが歩く道の側面に建ち並ぶ寮は、普通のコンクリートでできた四角い『箱』だ。  寮の周りを小さく取り囲む草や植木の隙間に設置されている照明ライトの発する真っ白な光が、コンクリートでできている寮の無機質さを強調し、どことなく不気味なものを連想させる。  本来騒がしいはずの第七学区でも、ここはそういう沈黙に守られていた。せいぜい、近くのコンビニに買い物に行く学生がチラホラ見える程度にしか人の気配がない。  先ほどの上条の台詞に美琴は頬を染めながら、 「(さっきの不覚だったわ……ナチュラル過ぎ)そ、そういえばどうしてバイトなんてしてたのよ? 仕送り足りないわけじゃないでしょ?」 「あぁ、ある事柄を除けば足りてっけど……ちょっと外行った時に財布落としちまったみたいでさ。今日だけ働かせてもらってたのですよ」 「外ってアンタ……、前にも同じ事やってたみたいだけど、今回はちゃんと許可もらったんでしょうね?」 「んー? まぁな」 「……なんか誤魔化してる気がするんだけど」 「まぁ、気にしなさんなって。こうしてここにいるわけだし、人様の迷惑になるような事はしてないし」 「……それは……、そうだけどさ……私はアンタの事が……」  ブツブツと口を濁らせる美琴。  ちなみにこの何日か後に美琴自身も無断で(しかも事もあろうに戦闘機をハイジャックして)ロシアに行くわけだが、一寸先は闇である。 「お前こそ、なんであんな遠いコンビニに来たんだ? その辺で売ってるだろ」 「……、えーと」  言葉に詰まる。まさかゲコ太ストラップを探して二時間近く浮浪していた、なんて言えない。世間はこの手の趣味に冷たいのだ。かといってアンタの事で悩んでいたから、なんてもっと言えない。  あ、あれよあれと美琴は言う。 「散歩、かな」 「あんな遠くまでかよ? あれか、若さの力か」  つか、と彼はおき、 「じゃあお前に買ってやったそのシャーペンは何の意味もねーわけ?」  上条が不満そうに口を尖らせ、美琴の右手からぶら下げられているビニール袋を指摘した。  美琴は俯き、ポツリとこう言う。 「……ある」  は? と上条がポカーンと口を開けた。  刹那、美琴は、 「――――じゃなくて、……ない」 「え、あ、あぁ、そう。???」  信号機の標識が、赤く光っていた。  彼らが今目の前にしている交差点は、第七学区最大のものだ。端から端までおよそ三十メートル近くあり、それが正方形、まるで巨大な剣道場に見えなくもない。足の不自由な老人や歩くのが遅い子供のために、中間地点に一息置けるスペースがあり、それがやはり大きな交差点である所以だろう。  この交差点は国道と接続されているため、本来この時間帯でも外からの輸入品を運ぶトラックが大量に走っているはずなのだが、右を見ても左を見ても車一つ見当たらない。それどころか人の気配もまったく感じられない。まるで大晦日に一人で街の商店街に行ったような空虚感を覚えさせられる。  これも九月三十日の出来事の影響だろう。外部からの不法侵入を防ぐため、チェックが厳しくなっているのかもしれない。 (コイツと二人きりなわけだけど……、二人きりって感じじゃないのがなんかなぁ……)  二人きりというよりは一人ぼっちに良く似た感覚に美琴は胸が痛んだ。さっきから無言の事もあり、なんか寂しい。  赤色に光る信号機の光に照らされる美琴と上条。 「(帰ったらまず風呂。次にインデックスの飯。そのあと期末テストの勉強でもすっかな……次赤だったらかなりヤバいんだろうなぁ……これは自分の責任だから不幸とは言えねえ……不幸だ)」  とか何とかブサクサ呟いている上条を尻目に美琴は、 (……なんで記憶喪失になんてなっちゃったのよ)  しかめっ面になって、しばし後、チラチラと上条の顔を覗き始める。  と、美琴は、向かい側の信号機の下に、自転車に二人乗りして楽しそうに喋りながら、信号機が青になるのを待っている一組の男女に気づいた。  カップルだ。  後席に乗っている女の方は黒く長い髪をみつあみにしていて、歳は美琴と同じくらいだろう。中性的でどんくさい印象を受けるが、全体的に柔らかいイメージがある。  胴を女にホールドされている男の方は眼鏡をかけていて、理数的な印象を受ける。背は馬鹿(上条)よりおそらく高く、普段なら一見冷徹なイメージを受けるだろう。が、今はそういう印象を受けない。笑っているからだ。  かなりあからさまに、私たちいつもは真面目だけど今日は門限破っていちゃいちゃしちゃってます、的なオーラが出る。何だあれ? ハートみたいのが出てるというか……。  美琴はカップルを見て、思いっきり舌打ちする。 (ったく、見せ付けやがって……門限破ってんじゃないわよ)  門限云々は全く人の事を言えない美琴である。  標識が青に変わった。カップルは『それ行くぞ』『ちょっ、早いって! 怖い!』とか何とか言ってじゃれ合いながらフライング気味で進み出し、一方の美琴と上条は無言で歩き出す。  ざけんじゃねえぞゴラ。  なんとなく意味不明の怒りにブチブチと美琴がイラついている間にも、カップルは楽しそうにしゃべっている。  カップルの自転車は二人乗りのため最初はグラグラと不安定な走りをしていたがそのうち勢いがつき結構な速度に到達した。  やがて、すれ違う。  カップルの生んだ弱々しい風にそっと茶色の髪を撫でられた美琴は、 (……、)  瞬間、突き抜けるようなものを感じた。  それが何故か、くやしいというか行き場のない感じのもので、眉間にしわを寄せる。  美琴は足を止め、彼らの後を目で追ってしまう。それに気付いていない上条は美琴に構わず先を行った。 (恋人か……)  カップルなんて街を歩けばどこにもいて、いつもなら何とも思わない街の風景の一部、のはず。  しかし、今の美琴はそうは思わなかった。  先を行く上条の背中を見て、もう一度カップルの後ろ姿を見つめなおし、 (もしかして……カップルがいるのってすごい事なんじゃ……?)  一人絶句する。  当たり前のことだが、彼らはそれなりの手順を踏んで、どちらかが勇気を振り絞って告白し、苦難の果て結ばれて、それでああやって幸せそうに笑っている。  当然、美琴もそんな事は理解しているが実際にそれを見せ付けられると、なんかこう、表現できないような気持ちになる。  本当に何となく、ちょっとだけ、美琴は思ってしまった。 (……いいなぁ)  しばしの沈黙の後、視線を上条のほうに戻し、下唇をかむ。  ―――そして。  美琴が歩き出そうとした時。立ち止まっている美琴を不審に思ったのか、上条が『勢い良く振り返り』、  消えた。  いや、消えたのでなく美琴の視力が失われただけだった。  原因は光。  暗闇に慣れていた美琴の瞳は突然の強烈な光に反応しきれず、まぶたをきつく閉じていた。  次の瞬間、まるで巨大な動物の鳴き声のように野太く、地鳴りするほどの大きな音。街中に響き渡っているだろうその音に、美琴はビクッ!! と肩を大きく振るわせる。  轟音の中、上条が何かを叫ぶがよく聞こえない。  やがて、美琴の体から発せられている微弱な電磁波が猛スピードで近づいてくる何かを察知し、美琴は己の生存本能がぶるりと大きく震え上がるのを感じた。 (あ……)  そう気付いた時には、もう――――。    聳え立つ壁のように巨大なトラックが、寸前の所まで迫っていた。 「御坂ッッ!!」  名前を呼んだが、耳に響く強烈なクラクションの音にかき消された。  上条はスウィーツの入っているビニール袋を放り投げ、七メートルほど後ろで立ち竦んでいる美琴に向かって走り出す。  荷台が小型の車ならニ、三台余裕で入りそうなくらい巨大で、タイヤにいたっては一.五メートルほどもありそうなその大型トラックは、思えば、最初から様子がおかしかった。  けれど、トラックが走っている車線の信号機は赤のままで、上条たちが渡っている信号機の標識はまだ青色で。  だからどんなにスピードを出していようとも直前には止まると思い、大して気にならなく視線を離してしまった。が、なんとなく視線を戻してみるとトラックはスピードを緩めていなく、忘れていたかのように今になってライトをつけだした。それがまるで、標的をロックオンするような動きに見えて、  危険だ。  そう感じた時には、巨大なトラックはすぐそこまで迫っていた。 (チィッ!!)  標識が、チッチッチッと点滅し始める。  彼は目を極限まで見開いた。  汗が頬を伝う感覚。  その間にも、大型のトラックはクラクションの音を響かせながら猛スピードで突進してくる。  ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!! と地面が揺れるほどの轟音が、より一層ボリュームを上げた。 (……っ!)  トラックが美琴に衝突する直前で、上条は彼女の元に突っ込んでいた。そのまま勢いを殺さずに、低く身を屈め、両手を美琴の細い腰に回すようにして低く跳ぶ。 「あう!」 「……っ!」  跳んでいる間の僅かな時間で、上条は美琴の腰に回している左手を、今度は彼女の脇から頭を包み込むに抱きしめ、右手を彼女の背中に回す。  地面はコンクリート。頭を擁護しなければ、突き倒された衝撃で頭を強打し、最悪それだけで死ぬ可能性がある。  とっさにそこまで判断した上条はトラックのフロントガラスを睨みつける。しかし角度が悪いのか、フロントガラスは黒く光っているだけで中が見えなかった。  相変わらず、鬱陶しい重音を反響させながら走行しているトラックに、本物の殺意を覚える。  ただの前方不注意か。飲酒運転か。  ―――それとも『上条勢力』を潰しに来た魔術師か。  クラクションを鳴らした事、そして殺害方法にトラックを選んだ事。これらから推測するに魔術師の可能性は低いだろうが、どちらにせよ、今の彼はそれどころではない。  腕にかかるだろう衝撃に備え、彼は歯を食いしばる。  次の瞬間、ドダッ!! と上条と美琴は地面に倒れこんだ。  それにほんの少しだけ遅れて、トラックの前輪が上条たちの後ろを通過する。接触はしていない。ただ、余波の風が激しかった。それにまだ後輪が残っている。巨大なタイヤに足を踏みつけられそうで恐ろしい。身を捩って前に進もうとするがうまくいかなかった。  せめて、上条は美琴を力の限り抱きしめる。  轟音は、最後まで街中に響き渡っていた。 「…ぐっ、……だ、大丈夫か御坂? どこか痛くねーか!? ……チッ、前見て走れクソ運転手ッ!! 赤だったろォがッッ!!」  美琴に覆いかぶさっている上条が、逃げるように去っていったトラックにそう吠える。 (は―――――、)  美琴は動けなくなっていた。今になって妙な寒気がし、胸の辺りから込み上げてくる吐き気に近い感情。  死。  美琴は、そのたった一文字の単語に恐怖していた。  上条を見る。  そして、良かったと安心した。  ……どこも痛くはない。ただ、地面に押し倒された瞬間、肺の酸素が叩き出されるように外へ排出され一瞬息が詰まった。  しかしそれも大した事はない。上条の右手がクッション代わりになっていたからだ。  結果として、美琴と上条は道路の左車線に抱き合うようにして倒れている。  上条の左手は美琴の後頭部に、右手は彼女の胸の後ろに、  美琴の両手は上条の背中に回っている。  間一髪だが、轢かれはしなかった。  太ももが冷たい地面に当たって、生きている事を再確認する。  上条の体温と重みがじかに伝わって、振るえがゆっくり止まっていく。  しかし、生存の余韻に浸る時間もそうはなく、 (わ、あああ、わ、ななな、ちちがち近いっ!!)  絡まるように重なっている互いの足と、五センチ上にある上条の顔、下半身を重心に密着している体は、美琴の心拍数をいたずらに上昇させた。  その内、口がパクパクと震えだし、言葉をうまく紡げなくなる。パチパチと目を瞬きし、目の前の光景に身をよじった。  美琴のその様子を見て、上条の顔にどんどん余裕がなくなっていく。 「おい! 大丈夫か!? くそ、救急車呼ぶか!?」  異常がないか、凸凹がないかを探るため、上条は美琴の後頭部を擦り始めた。  後ろ髪をくしゃくしゃにされていく美琴は、少年の背中に回している腕の力を強め、 「ぁ、わ、あ、えと、だ、大丈夫……。ど、どこも痛くない……」  伝えた。  それを聞いた上条は、美琴の顔を覗くように顔を近づけてきて、しばしの沈黙の後、はぁーと安堵の表情をした。  彼は言う。 「ほ、本当に大丈夫かよ? あと一秒遅かったらマジで死んでたぞ……」  度アップで映る少年の顔に、美琴は違う意味で硬直した。  それに臨死体験した事と上条に圧し掛かられている事が上乗せし、心臓がバクバク高鳴っている美琴は、 (ああわ、なんああ、わわわわ……っ!)  だんだん、少年の唇に目がいってしまう。  美琴の顔がどんどん赤くなっていく。それに気付いた上条は、車道で体を密着させている事が色々まずいものに気が付いたのか、 「あ、す、すまん……とっさの事だったから」彼は信号を見て、「ほ、ほら、信号赤だから。……腕離してくれ。これじゃ立てない」顔を遠ざけてながら言った。   しかし、美琴は美琴で色々なものと戦っている最中であり、思うように体が動かせなかったりする。  ふと、彼女は普段より真剣みの増したツンツン頭の少年の黒い瞳の中を覗いてみると、 (あ……、わああ、わあわわあ私が……っ!)  美琴自身が映っていた。彼女はほんの少しだけ思考を空白にした後に、 (ううああわわあ……っ! なんなあなんでこんな事でちょっとドキッとしてんのよ私ッッ!?)  上条の瞳から目を逸らして、今度は視線を少し下にずらすが、 (あ、ああわあああ、くくああうくう口が……っ!)  彼の唇がすぐそこにあり、己の唇を再びパクパクさせてしまった。  今度は視線を上に……と何度も何度も同じ事を高速で繰り返す。  ならばいっその事目を瞑ってしまえと美琴はぎゅううと硬く目を閉じ、上条をきつく抱きしめた。  言った事と真逆の反応をされ、三センチ上から上条が心底気まずそうに囁く。 「あの……、御坂さん? う、腕を離していただきたいのですが。……車来ちゃいますよ」  彼の声にハッとした美琴は、慌てて腕を自分の胸の前にしまいこんだ。 「あ、ご、ごめん……っ」 「い、いや、いいんだけどさ。というか早く歩道に戻ろーぜ。今轢かれたら文句一つ言えねーぞ」  立てるか? と上条は先に立ち上がって美琴に聞いた。 「だだだッ大丈夫……」  美琴は上半身を起こし、上条に己の状態を伝えるが、  ストンと。  立ち上がれない。 (あ、あれ……?)  立とうとした瞬間、腰が僅かに宙に浮いたと思ったら、力なく地面に尻がついてしまった。 (……うそ)  何度立とうとしても、立ち上がれない。  その様子を見て上条は困惑した。  彼は美琴を見下ろす形で、 「おい、まさか……腰抜けたのか?」  美琴は申し訳ないと心の中で引け目を感じながら上目遣いで、 「あ、あははは…………そ、そうみたい……」  そう言うと上条は少し唸った後、美琴から離れていった。 (……? えーと……)  自分で何とかしろという事だろうか。  これ以上彼に迷惑もかけられない。かといって歩く事はできそうにないので、美琴がどうしようかとそわそわしていると、  ビニール袋を手に添えて戻ってきた上条が、美琴の前に屈みつつ背中を向け、両腕でVの字を作り、こう言った。 「ったく。……ほら」
*心→こころ→ココロ→   → 2 #asciiart(){{{  今宵は三日月。  美琴は、車が一台ぎりぎり通れるくらいの細い道を一人歩いていた。人気がなく道の隣には質素な公園があり、手入れのされていない木々が青っぽく光っている。 (……、)  あの馬鹿が、他の誰かと頬を染めて笑っていた事が苦しかった。多分、あの大学生くらいの女を遠ざけたかったのかもしれない。  そんな事思う権利や資格なんて自分にはないのに。当然の事ながら、上条にだって誰かと笑って、誰かを選ぶ権利がある。  そもそも、あの馬鹿が本当に記憶喪失なら、こんな事を考えている事自体がお門違いだと美琴は思う。  優先順位が間違っているのだ。『それ』は二番目で、一番に考えなければならないのは彼の記憶をどうするかという事。  ―――しかし。  美琴にとってはどちらも同じくらい大切な事だった。ゆえに理性では間違っていると理解していても、心の根っこの部分ではどうしてもそれを割り切れない。理屈が通用しないこの気持ちに美琴はどうしていいのか分からなっていた。  足を止めて、歩いてきた道を振り返る。  そこにはやっぱり誰もいなくて、むかついて、思わず膝を抱えて泣きそうになった。  自分勝手に振り回せば嫌な顔をされ、かといって大人しく黙り込んでいれば他の女に頬を染める始末。 (せめて、私といる時は私だけを見ててよ……)  『それ』が素直な気持ちだった。  そして『それ』は、誰にも相談できない事柄だと美琴は思った。  『それ』を言ってしまえば御坂美琴がどんな人間で、どんな事を思って、上条当麻をどんな風におもっているかバレてしまいそうで。  出会い方はお世辞にも良いものではなかった。  ガキ呼ばわりされるし、ひょろひょろとしていけ好かない。あっちはこちらの事を出会い頭電撃をしてくる変な女とでも思っていただろう。  そのうち絶対進化計画という実験を知って―――、無駄だったけど色々な事をした。  あの頃は本当に、何もかもが怖かった。  味方がいなくて、理解者がいなくて。ルームメイトである白井黒子ですら、完全なる味方ではなかった。 『それがこの街の治安を脅かすなら、たとえお姉さまがお相手でも黒子のやることは変わりませんの』  白井は実験の事について何も知らない。そう、美琴を信頼しきっているからこそ出てくる台詞。当然、そんな事は分かっていた。  でも暴露してしまえば、そこは嘘でも『付いていく』と言って欲しかった。けれど、本音は押し殺した。一万人も殺しておいて自分だけ助けを求めるのは卑怯だと思ったから。そして何より、巻き込みたくなかったから。美琴は一人で決着をつける事を決意した。  そして、上条は現れた。 『―――それでも嫌なんだよ! 何でお前が死ななきゃいけないんだよ、どうして誰かが殺されなくっちゃならないんだよ! そんなの納得できるはずねえだろ!』  嬉しかった。  あの時言ってくれた言葉の一つ一つが、今の美琴を支えている。  実験は最弱であるあの少年が最強の被験者を倒すという形で幕を下ろした。  それから。少しずつ思い出を作っていって、僅かながら上条に近づけていったと思う。  努力したとは思わない。そもそも、何を成功させるための努力なのか分からないのだから。  それでも上条の事を考えていると、自然に顔の筋肉が緩んでいく。  人前では決してできない表情だったと思うけれど、内心とても心地よかった。  安心。安堵。まるで大木の下。  あの馬鹿は木のように固定されたものではないけれど、そんな表現が適切なのだろう。  それが記憶喪失という事実で汚されたような、リセットされてしまったような、全て嘘だったような虚しさ。  そこに自分の知らない、上条の日常。 (……って、何悲劇のヒロインぶってんだろ私。アイツが記憶喪失ならこんな事考えちゃダメなのに……こんなの馬鹿げてる)  美琴は己の考えを打ち消す。  客観的に今の自分を見てみると、勝手に上条を心配し始めて、勝手に上条のことで悩んで、肝心の上条は会ってみたらいつも通りで、誰かと楽しそうにしゃべっていて、その事実に勝手にうじうじして。  何だか物凄く惨めで、自分勝手で、幼稚だ。  こんなのはダメだ。  でも、こういう事に限ってどうにもならないもので。 (……アンタは私の事どう思ってんのよ。あの時、私を守るって言ったのも、忘れた記憶のうちなの?)  ついつい考えてしまう。分かっているつもりなのに。 (……、)  ……記憶喪失は本当なのか。何かの間違いではないのか。  果たして今の上条はどちらの上条当麻なのか。  いや、どちらではなく。『どんな』と言った方が正確なのかもしれない。  美琴はあの少年の名前を知っている。  能力を打ち消す正体不明の力を持っているのも知っている。運がない事も知っている。どこの高校に通っているかだって知っているし、携帯の番号とアドレスだって先日知る事ができた。  けれど、『上条当麻』を知らない。  その事実に心が大きく揺らぐ。 (本当の事、言ってよ……)  やっぱりダメだ。こんなのは性に合ってない。いっその事、あの時点で電撃の一つでもしておけば良かった。  でも、それもやっぱりダメで。  それにどちらの選択肢をとっても、自分はこんな風になっていただろうと美琴は思う。  何が気分転換だクソッたれ。  こんな気持ちになるくらいなら普通に黒子から芯を貰っておけばよかった、と美琴は地面を蹴った。課題もゲコ太もあの馬鹿の事も、何もかもがうまくいかない。 (やば……なんか泣きそう)  過ぎた事を悔いても仕方ない……のは分かっている。  『これ』が押し付けになる事も、何となく分かった。上条を思うなら、彼自身に負担をかけてはいけない。これが第一。こんな事で悩んでいてはいけない。  だから、『これ』は殺しておくべき感情。 「……なんでよ」  無意識のうちに、そんな言葉が口から出ていた。  こんなに弱い御坂美琴は、美琴の思い描いている御坂美琴ではなかった。その、たった一歩も踏み出せない、弱い存在。  美琴の知り合いに、固法美偉という女性がいる。  彼女は街の治安を守る風紀委員であるのにも拘らず、犯罪者である黒妻綿流という男を何かと庇っていた。それどころか彼のためなら風紀委員である己を捨てようとしていた。  『それ』が分からなかった。  何故そこまでして犯罪者の肩を持っていたのかが、美琴にはどうしても理解できなかった。それは今も変わらない。  しかしそれは何となく、自分にも言える事なのだと美琴は思う。  ただ、固法は自分の思いをきちんと理解し、その上でそれを彼にぶつけているようだった。  美琴の場合は自分の思いを理解できていない。気持ちの整理が出来ていないまま、『とりあえずの手綱』を握っておこうとあれだこれだとやってしまう。  そこが決定的に違う。  たったそれだけの違いで、年上の彼女がとても強く思えた。 (……、)  ―――相談してみようか。答えを知っているだろう固法に。  当然、不可能だ。  そういう意見は論外だと、美琴は瞬時に思った。確かに『それ』を誰かに相談したい、言ってみたいと思っている自分がいるのは事実だが、そんな事をしたら、と考えただけで顔が赤くなりそうになる。  だから、どうしようもない。一人でどうにかして、一人で解決するしかない。  それはきっと、辛い事だ。 (……ばか)  こうなると、割と止まらないもので。  水っぽい音。  それが自分の鼻を啜る音だと気付いた時には、美琴は唇を噛み下を向いていた。  二つの事実に胸が締め付けられる。  美琴は搾り出すように、 「……ちょっとくらい……、好きでいてよ。私は……、アンタの事が……」  口が固まる。紡ぐ言葉が見つからない。  ―――やがて、美琴の口は、彼女自身でも知らず知らずのうちにこう動く。 「す―――」  とそこに言い終わるよりも早く、 「お、いたいた」 「ぎなンだァッッッ!?!?!?!?!?」  どごわーっ!? と見た目ガチガチ、内面ドッカーン!! の美琴が、後ろからかけられた声にギギギギと古びたカラクリのような硬い動きで振り返ってみると。  ツンツン頭の少年がすぐ後ろに。  突然の出来事ににゃんでコイツがここにいるにょよどうしようどうしようというか私今にゃんて言ったあわわわ……と美琴が固まっていると、何顔赤くしてんだ? とツンツン頭の少年・上条当麻は、 「さっきは悪い。論文大変なのに、駄弁り長引かせちまって。この侘びはいつかする」  と、美琴的においしいかもしれない切り出し方をしているのだが、美琴は美琴で彼の言葉は一切耳に入っておらず、今の自分の心の状態を冷静に見てみて『あれ?』と首をかしげていた。  ……あんまり苦しくない。  さっきまでのモヤモヤが消えていて、少しホッと安堵している自分がいる。 (ど、どどどうなってんのよ私のこころぉぉぉ……さっきは変に苦しくなったり今はふわふわし始めたり……)  やーもーっ、と全身に熱を感じた美琴は自身の顔を両手で押さえて歩き出した。何となく、今自分の顔を上条に見られたら、とんでもなく恥ずかしい思いをするような気がする。  美琴に無視された上条は『え、無視? ちょっと待ってくれよ』とか言っていたらしく、少し後ろを追いかけるように歩いていた。  『す、少しだけ待って!!』と美琴は叫んで自分の顔を念入りにコネコネし、冷たい空気を十分に晒した後上条の顔をチラッと見て、 「……あ、あの女の人と働くんじゃなかったの? ど、どうしてこっちに来たのよ」 「え、あ、いや、どうしてっつーとあそこから一時間働くのは正直無理っぽかったからですかね。それとホレ、これ」 「え? あ」  上条がビニール袋をガサッと押し付けた。中身を覗いてみるとさっき選んだシャーペンとチョコレートが入っていた。  美琴に物を渡した後上条は、 「ついでに板チョコも買っといたから。良かったら食っといてくれ」 「……、」  いつも自分ならここでどんな反応をしていただろう? と美琴はふと、そんな事を考える。  しかし、ごちゃごちゃ考えるとまた『さっき』みたくなりそうなので美琴は考えるのすぐにやめた。  気分を変えるため上条の右手にぶら下がっている大きなコンビニ袋を見て、 「……そのゴツゴツした袋は何よ? 貧乏なのに衝動買いでもしたの?」 「ああこれ? これはインデ……、えぇとだな、八時間頑張った上条さんにご褒美です。まぁ売れ残りだけど」 「……こっちの道でいいの? 私はこのまま寮に帰るけど方向違うんじゃない?」  美琴は彼の住所を知らないが、普段の彼の行動パターンからだいたいの位置は予測できる。多分、第二十二学区らへんと踏んでいるのだが……。  上条はいやと、 「俺もこっちの方だ。分かれ道は……、多分ここから二キロくらいの所だな」 「じゃ、じゃあ常盤台からそんなに遠くないの?」 「んー、そうだな。駅二つ分くらいの距離だ」 「そ、そう。……あ、あの、さ」  ん? なんだ? と美琴を見つめる上条。  彼の顔を真正面から見た瞬間、心臓がバッコーンッ! と跳ね上がり、美琴は思わず口に手を添え、一歩引いてしまう。 「ぁ……や、やっぱり……何でもない、わよ……この馬鹿」 「? そうか。ま、あんまり無理すんなよ」 「……うん」    ……………。    それっきり、会話が途切れてしまった。  そうなると、あとはそれぞれの寮に向け、ただ歩くだけ。  辺りに人の姿は一切なかった。見渡してもここを歩いているのは自分たちのみ。  美琴は上条の顔を、そっと覗く。 (……、)  この何気ない、いつも通りの表情をしている少年は記憶喪失らしい。  下手にそのことを問い詰めて、無理やり相談に乗るという方法は、やはりこの場合は単に上条を傷つけるだけに終わる可能性がある。  大丈夫? と声をかけられないことがもどかしい。その上で上条に何もしてあげられない自分がもどかしい。 (どうして何も言ってくれないのよ……。アンタが何か言わないと、どう出ていいか分からない。……私は)  そう思う事そのものが美琴と上条の距離の遠さを明確にしている。  ……さっきはこの少年を自分の元に縛り付ける権利なんて、己にはないと思った。  今―――、上条の顔を見て、それらが欲しいと強く思った。  そして、この少年の悩みを聞いてあげて、言ってあげたい言葉があった。  やがて、できるだけ長く、上条の近くにいられる口実が欲しいと思った。  けれど、まるで巨大な時計を動かすのに必要な、最も重要な役割を果たす歯車が欠けているかのように、美琴の心はそこから先に動き出せない。  たった一つの歯車がないせいで、他の全ての歯車が動かないような感覚。  それでも、他の歯車は『それ』を動かそうと奇妙な動きをしている。個々のパーツが何とか『それ』を彼に、そして美琴自身に伝えようと動き始めている。  もどかしかった。  言いたくても言えない。言えないけど言いたい。言いたいけどよく分からない。  上条の記憶が失われているらしい事を知っていて、それでも何もできない事。  それとは別に、上条の記憶の問題について曖昧ながらも知ってしまった美琴自身が、彼を思う己の心にどう対処していいか分からなくなってきている事。  その二つは全く別の問題。  そしてその両方が全く進展しない事実。  余計なものを取っ払って一から考え直しても最後に残るのは結局この二つの問題だけで、それらを解決しようとしてもよく分からないストッパーのようなものが働き、何にも分からず仕舞い。  しかし不思議とどこか似通った二つの感情が混ざり合い……、美琴は胸の前で右手をキュッと握り締めた。 (……、)  せめてきっかけが欲しい。  たとえば。  コイツが記憶の事を打ち解けて悩みや不満を零してくれれば……、と美琴は思う。この少年の芯の部分を垣間見る事できっと見えない何かが解消される。 「お前さ」  唐突に上条が口を開いた。それだけの事なのに、自分の心を見透かされたように感じた美琴はビクッ! と全身を震わせる。  上条はちらっと美琴を見て、 「なんか悩んでんの? 顔色が悪いのですが? そういえばコンビニに来た時も相談したいとか何とか言ってたっけ?」  言いながら、彼はわずかに歩く速度を落とした。  ―――私が変に距離を置いたらアイツの負担になるかもしれない。  先ほど危惧したことが的中してしまいそうだったので、美琴は少し無理に笑い、 「……そんなもん、ないわよ。……アンタこそどうなのよ? 悩んでる事とか隠してることないの? 顔色悪いわよ」  別に顔色なんて悪くない、上の空な表情の上条は少し黙り、美琴を見て言う。 「え、俺顔色悪ぃか? 何もありませんが。しいて言えば今月七千円だけでやっていけるか心配だけど」  もしかしたら疲れたのかな俺、と上条はわざとらしくため息をした。  その動作があまりにも自然すぎて、美琴は少し前を歩いている彼をどこか遠くを見るように、 「……そっか。まぁ、あったらいつでも言ってね」 「??? あ、あぁ」 「??? あ、あぁ」  おかしい。美琴が女の子だ。  ……いや、性別的に女の子なのは分かっているが、なんかこう、違うのだ。  ニュアンス的には男気溢れる美琴に、女の子らしいイメージのある天草式の五和を足して二で割ったような、そんな感じである。  上条は一瞬だけ美琴をチラッと見た。何故チラッとでないといけないかというと『何チラ見してんのよこの馬鹿!』的な会話を展開されるのが癪だったためである。 (……論文で鬱になってる感じではないよな、コイツ頭良いし。思春期特有の……って言っていいのかこういうの)  うーん難しい年頃ですなぁと上条は頭を掻いた。 (察するに、友人関係の事とか恋愛の事とかコンプレックスの事だろう)  コイツに限って恋愛はないだろうけど、と上条はクスッと笑う。その悩みとやらが妹達絡みの事についてだったとしたらあまり笑ってはいられないが。 『……そっか。まぁ、あったらいつでも言ってね』  上条は、美琴の先ほどの言葉を思い出し、少し思考を空白にした後、 (……まぁ、ここはこう言うのが礼儀だろう。全く……、人の心配なんかしてないでまずは自分の悩みを解決しろっつーの)  何だかちょっぴり切ない気持ちになる。元より、今日の美琴が少しおかしいのは分かっている。  上条は不器用に笑って、 「お前もあったらちゃんと言えよ」  細い一本道を抜け、学生寮が建ち並ぶエリアに出た。ここ半径一キロは、学生が生活する上で必要最低限な施設しか存在しない。  学園都市は最先端―――、とは言ってもチューブのような管の中に車が走ったり、キノコのような形の家があったりはしない。車は普通に地面を走るし、彼女たちが歩く道の側面に建ち並ぶ寮は、普通のコンクリートでできた四角い『箱』だ。  寮の周りを小さく取り囲む草や植木の隙間に設置されている照明ライトの発する真っ白な光が、コンクリートでできている寮の無機質さを強調し、どことなく不気味なものを連想させる。  本来騒がしいはずの第七学区でも、ここはそういう沈黙に守られていた。せいぜい、近くのコンビニに買い物に行く学生がチラホラ見える程度にしか人の気配がない。  先ほどの上条の台詞に美琴は頬を染めながら、 「(さっきの不覚だったわ……ナチュラル過ぎ)そ、そういえばどうしてバイトなんてしてたのよ? 仕送り足りないわけじゃないでしょ?」 「あぁ、ある事柄を除けば足りてっけど……ちょっと外行った時に財布落としちまったみたいでさ。今日だけ働かせてもらってたのですよ」 「外ってアンタ……、前にも同じ事やってたみたいだけど、今回はちゃんと許可もらったんでしょうね?」 「んー? まぁな」 「……なんか誤魔化してる気がするんだけど」 「まぁ、気にしなさんなって。こうしてここにいるわけだし、人様の迷惑になるような事はしてないし」 「……それは……、そうだけどさ……私はアンタの事が……」  ブツブツと口を濁らせる美琴。  ちなみにこの何日か後に美琴自身も無断で(しかも事もあろうに戦闘機をハイジャックして)ロシアに行くわけだが、一寸先は闇である。 「お前こそ、なんであんな遠いコンビニに来たんだ? その辺で売ってるだろ」 「……、えーと」  言葉に詰まる。まさかゲコ太ストラップを探して二時間近く浮浪していた、なんて言えない。世間はこの手の趣味に冷たいのだ。かといってアンタの事で悩んでいたから、なんてもっと言えない。  あ、あれよあれと美琴は言う。 「散歩、かな」 「あんな遠くまでかよ? あれか、若さの力か」  つか、と彼はおき、 「じゃあお前に買ってやったそのシャーペンは何の意味もねーわけ?」  上条が不満そうに口を尖らせ、美琴の右手からぶら下げられているビニール袋を指摘した。  美琴は俯き、ポツリとこう言う。 「……ある」  は? と上条がポカーンと口を開けた。  刹那、美琴は、 「――――じゃなくて、……ない」 「え、あ、あぁ、そう。???」  信号機の標識が、赤く光っていた。  彼らが今目の前にしている交差点は、第七学区最大のものだ。端から端までおよそ三十メートル近くあり、それが正方形、まるで巨大な剣道場に見えなくもない。足の不自由な老人や歩くのが遅い子供のために、中間地点に一息置けるスペースがあり、それがやはり大きな交差点である所以だろう。  この交差点は国道と接続されているため、本来この時間帯でも外からの輸入品を運ぶトラックが大量に走っているはずなのだが、右を見ても左を見ても車一つ見当たらない。それどころか人の気配もまったく感じられない。まるで大晦日に一人で街の商店街に行ったような空虚感を覚えさせられる。  これも九月三十日の出来事の影響だろう。外部からの不法侵入を防ぐため、チェックが厳しくなっているのかもしれない。 (コイツと二人きりなわけだけど……、二人きりって感じじゃないのがなんかなぁ……)  二人きりというよりは一人ぼっちに良く似た感覚に美琴は胸が痛んだ。さっきから無言の事もあり、なんか寂しい。  赤色に光る信号機の光に照らされる美琴と上条。 「(帰ったらまず風呂。次にインデックスの飯。そのあと期末テストの勉強でもすっかな……次赤だったらかなりヤバいんだろうなぁ……これは自分の責任だから不幸とは言えねえ……不幸だ)」  とか何とかブサクサ呟いている上条を尻目に美琴は、 (……なんで記憶喪失になんてなっちゃったのよ)  しかめっ面になって、しばし後、チラチラと上条の顔を覗き始める。  と、美琴は、向かい側の信号機の下に、自転車に二人乗りして楽しそうに喋りながら、信号機が青になるのを待っている一組の男女に気づいた。  カップルだ。  後席に乗っている女の方は黒く長い髪をみつあみにしていて、歳は美琴と同じくらいだろう。中性的でどんくさい印象を受けるが、全体的に柔らかいイメージがある。  胴を女にホールドされている男の方は眼鏡をかけていて、理数的な印象を受ける。背は馬鹿(上条)よりおそらく高く、普段なら一見冷徹なイメージを受けるだろう。が、今はそういう印象を受けない。笑っているからだ。  かなりあからさまに、私たちいつもは真面目だけど今日は門限破っていちゃいちゃしちゃってます、的なオーラが出る。何だあれ? ハートみたいのが出てるというか……。  美琴はカップルを見て、思いっきり舌打ちする。 (ったく、見せ付けやがって……門限破ってんじゃないわよ)  門限云々は全く人の事を言えない美琴である。  標識が青に変わった。カップルは『それ行くぞ』『ちょっ、早いって! 怖い!』とか何とか言ってじゃれ合いながらフライング気味で進み出し、一方の美琴と上条は無言で歩き出す。  ざけんじゃねえぞゴラ。  なんとなく意味不明の怒りにブチブチと美琴がイラついている間にも、カップルは楽しそうにしゃべっている。  カップルの自転車は二人乗りのため最初はグラグラと不安定な走りをしていたがそのうち勢いがつき結構な速度に到達した。  やがて、すれ違う。  カップルの生んだ弱々しい風にそっと茶色の髪を撫でられた美琴は、 (……、)  瞬間、突き抜けるようなものを感じた。  それが何故か、くやしいというか行き場のない感じのもので、眉間にしわを寄せる。  美琴は足を止め、彼らの後を目で追ってしまう。それに気付いていない上条は美琴に構わず先を行った。 (恋人か……)  カップルなんて街を歩けばどこにもいて、いつもなら何とも思わない街の風景の一部、のはず。  しかし、今の美琴はそうは思わなかった。  先を行く上条の背中を見て、もう一度カップルの後ろ姿を見つめなおし、 (もしかして……カップルがいるのってすごい事なんじゃ……?)  一人絶句する。  当たり前のことだが、彼らはそれなりの手順を踏んで、どちらかが勇気を振り絞って告白し、苦難の果て結ばれて、それでああやって幸せそうに笑っている。  当然、美琴もそんな事は理解しているが実際にそれを見せ付けられると、なんかこう、表現できないような気持ちになる。  本当に何となく、ちょっとだけ、美琴は思ってしまった。 (……いいなぁ)  しばしの沈黙の後、視線を上条のほうに戻し、下唇をかむ。  ―――そして。  美琴が歩き出そうとした時。立ち止まっている美琴を不審に思ったのか、上条が『勢い良く振り返り』、  消えた。  いや、消えたのでなく美琴の視力が失われただけだった。  原因は光。  暗闇に慣れていた美琴の瞳は突然の強烈な光に反応しきれず、まぶたをきつく閉じていた。  次の瞬間、まるで巨大な動物の鳴き声のように野太く、地鳴りするほどの大きな音。街中に響き渡っているだろうその音に、美琴はビクッ!! と肩を大きく振るわせる。  轟音の中、上条が何かを叫ぶがよく聞こえない。  やがて、美琴の体から発せられている微弱な電磁波が猛スピードで近づいてくる何かを察知し、美琴は己の生存本能がぶるりと大きく震え上がるのを感じた。 (あ……)  そう気付いた時には、もう――――。    聳え立つ壁のように巨大なトラックが、寸前の所まで迫っていた。 「御坂ッッ!!」  名前を呼んだが、耳に響く強烈なクラクションの音にかき消された。  上条はスウィーツの入っているビニール袋を放り投げ、七メートルほど後ろで立ち竦んでいる美琴に向かって走り出す。  荷台が小型の車ならニ、三台余裕で入りそうなくらい巨大で、タイヤにいたっては一.五メートルほどもありそうなその大型トラックは、思えば、最初から様子がおかしかった。  けれど、トラックが走っている車線の信号機は赤のままで、上条たちが渡っている信号機の標識はまだ青色で。  だからどんなにスピードを出していようとも直前には止まると思い、大して気にならなく視線を離してしまった。が、なんとなく視線を戻してみるとトラックはスピードを緩めていなく、忘れていたかのように今になってライトをつけだした。それがまるで、標的をロックオンするような動きに見えて、  危険だ。  そう感じた時には、巨大なトラックはすぐそこまで迫っていた。 (チィッ!!)  標識が、チッチッチッと点滅し始める。  彼は目を極限まで見開いた。  汗が頬を伝う感覚。  その間にも、大型のトラックはクラクションの音を響かせながら猛スピードで突進してくる。  ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!! と地面が揺れるほどの轟音が、より一層ボリュームを上げた。 (……っ!)  トラックが美琴に衝突する直前で、上条は彼女の元に突っ込んでいた。そのまま勢いを殺さずに、低く身を屈め、両手を美琴の細い腰に回すようにして低く跳ぶ。 「あう!」 「……っ!」  跳んでいる間の僅かな時間で、上条は美琴の腰に回している左手を、今度は彼女の脇から頭を包み込むに抱きしめ、右手を彼女の背中に回す。  地面はコンクリート。頭を擁護しなければ、突き倒された衝撃で頭を強打し、最悪それだけで死ぬ可能性がある。  とっさにそこまで判断した上条はトラックのフロントガラスを睨みつける。しかし角度が悪いのか、フロントガラスは黒く光っているだけで中が見えなかった。  相変わらず、鬱陶しい重音を反響させながら走行しているトラックに、本物の殺意を覚える。  ただの前方不注意か。飲酒運転か。  ―――それとも『上条勢力』を潰しに来た魔術師か。  クラクションを鳴らした事、そして殺害方法にトラックを選んだ事。これらから推測するに魔術師の可能性は低いだろうが、どちらにせよ、今の彼はそれどころではない。  腕にかかるだろう衝撃に備え、彼は歯を食いしばる。  次の瞬間、ドダッ!! と上条と美琴は地面に倒れこんだ。  それにほんの少しだけ遅れて、トラックの前輪が上条たちの後ろを通過する。接触はしていない。ただ、余波の風が激しかった。それにまだ後輪が残っている。巨大なタイヤに足を踏みつけられそうで恐ろしい。身を捩って前に進もうとするがうまくいかなかった。  せめて、上条は美琴を力の限り抱きしめる。  轟音は、最後まで街中に響き渡っていた。 「…ぐっ、……だ、大丈夫か御坂? どこか痛くねーか!? ……チッ、前見て走れクソ運転手ッ!! 赤だったろォがッッ!!」  美琴に覆いかぶさっている上条が、逃げるように去っていったトラックにそう吠える。 (は―――――、)  美琴は動けなくなっていた。今になって妙な寒気がし、胸の辺りから込み上げてくる吐き気に近い感情。  死。  美琴は、そのたった一文字の単語に恐怖していた。  上条を見る。  そして、良かったと安心した。  ……どこも痛くはない。ただ、地面に押し倒された瞬間、肺の酸素が叩き出されるように外へ排出され一瞬息が詰まった。  しかしそれも大した事はない。上条の右手がクッション代わりになっていたからだ。  結果として、美琴と上条は道路の左車線に抱き合うようにして倒れている。  上条の左手は美琴の後頭部に、右手は彼女の胸の後ろに、  美琴の両手は上条の背中に回っている。  間一髪だが、轢かれはしなかった。  太ももが冷たい地面に当たって、生きている事を再確認する。  上条の体温と重みがじかに伝わって、振るえがゆっくり止まっていく。  しかし、生存の余韻に浸る時間もそうはなく、 (わ、あああ、わ、ななな、ちちがち近いっ!!)  絡まるように重なっている互いの足と、五センチ上にある上条の顔、下半身を重心に密着している体は、美琴の心拍数をいたずらに上昇させた。  その内、口がパクパクと震えだし、言葉をうまく紡げなくなる。パチパチと目を瞬きし、目の前の光景に身をよじった。  美琴のその様子を見て、上条の顔にどんどん余裕がなくなっていく。 「おい! 大丈夫か!? くそ、救急車呼ぶか!?」  異常がないか、凸凹がないかを探るため、上条は美琴の後頭部を擦り始めた。  後ろ髪をくしゃくしゃにされていく美琴は、少年の背中に回している腕の力を強め、 「ぁ、わ、あ、えと、だ、大丈夫……。ど、どこも痛くない……」  伝えた。  それを聞いた上条は、美琴の顔を覗くように顔を近づけてきて、しばしの沈黙の後、はぁーと安堵の表情をした。  彼は言う。 「ほ、本当に大丈夫かよ? あと一秒遅かったらマジで死んでたぞ……」  度アップで映る少年の顔に、美琴は違う意味で硬直した。  それに臨死体験した事と上条に圧し掛かられている事が上乗せし、心臓がバクバク高鳴っている美琴は、 (ああわ、なんああ、わわわわ……っ!)  だんだん、少年の唇に目がいってしまう。  美琴の顔がどんどん赤くなっていく。それに気付いた上条は、車道で体を密着させている事が色々まずいものに気が付いたのか、 「あ、す、すまん……とっさの事だったから」彼は信号を見て、「ほ、ほら、信号赤だから。……腕離してくれ。これじゃ立てない」顔を遠ざけてながら言った。   しかし、美琴は美琴で色々なものと戦っている最中であり、思うように体が動かせなかったりする。  ふと、彼女は普段より真剣みの増したツンツン頭の少年の黒い瞳の中を覗いてみると、 (あ……、わああ、わあわわあ私が……っ!)  美琴自身が映っていた。彼女はほんの少しだけ思考を空白にした後に、 (ううああわわあ……っ! なんなあなんでこんな事でちょっとドキッとしてんのよ私ッッ!?)  上条の瞳から目を逸らして、今度は視線を少し下にずらすが、 (あ、ああわあああ、くくああうくう口が……っ!)  彼の唇がすぐそこにあり、己の唇を再びパクパクさせてしまった。  今度は視線を上に……と何度も何度も同じ事を高速で繰り返す。  ならばいっその事目を瞑ってしまえと美琴はぎゅううと硬く目を閉じ、上条をきつく抱きしめた。  言った事と真逆の反応をされ、三センチ上から上条が心底気まずそうに囁く。 「あの……、御坂さん? う、腕を離していただきたいのですが。……車来ちゃいますよ」  彼の声にハッとした美琴は、慌てて腕を自分の胸の前にしまいこんだ。 「あ、ご、ごめん……っ」 「い、いや、いいんだけどさ。というか早く歩道に戻ろーぜ。今轢かれたら文句一つ言えねーぞ」  立てるか? と上条は先に立ち上がって美琴に聞いた。 「だだだッ大丈夫……」  美琴は上半身を起こし、上条に己の状態を伝えるが、  ストンと。  立ち上がれない。 (あ、あれ……?)  立とうとした瞬間、腰が僅かに宙に浮いたと思ったら、力なく地面に尻がついてしまった。 (……うそ)  何度立とうとしても、立ち上がれない。  その様子を見て上条は困惑した。  彼は美琴を見下ろす形で、 「おい、まさか……腰抜けたのか?」  美琴は申し訳ないと心の中で引け目を感じながら上目遣いで、 「あ、あははは…………そ、そうみたい……」  そう言うと上条は少し唸った後、美琴から離れていった。 (……? えーと……)  自分で何とかしろという事だろうか。  これ以上彼に迷惑もかけられない。かといって歩く事はできそうにないので、美琴がどうしようかとそわそわしていると、  ビニール袋を手に添えて戻ってきた上条が、美琴の前に屈みつつ背中を向け、両腕でVの字を作り、こう言った。 「ったく。……ほら」

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