とある秋の日常風景 2
目的地は意外にも釣堀と言う訳ではなく、自然の湖だった。
今回の釣る対象は研究品と言うから最悪は水槽みたいなものを想像していたが、行動研究と言うだけあって自然なデータが欲しいのか湖に魚を放流しているらしい。
どうやってデータを取っているのか知らないが、そんな事して天然自然物と混ざったりしないのかとか思うが、細かい事を気にしても仕方がない。
第21学区は学園都市最大の水源として貯水池が多く、自然公園などもある。
科学最先端な学園都市の中にあって緑が多い地区だ。
ただ今実験中です。などと言われなければ、ここだって景観は悪くないし、ともすればデートスポットになったって良いくらいである。 とはいえ、実際に今日この場所で行われているのは実験の一環であり、さらに言うなら魚釣りだ。
上条の様な特殊な事例を除けば一般的に言って実験品の魚を食いたいとか思わないだろうから、周辺にいるのは釣りが趣味の方々だろう。
その上条は徒歩で来るつもりだったので途中で昼飯を食べてから到着と考えていたのだが、美琴が付いて来た為に予定が大幅に変更され現在時刻はまだ10時半といった所だ。
実験、魚釣り、更に朝。と色々揃った為、ありていに言って人出はそんなに多くなかった。
係りの人から道具一式を貰ってきた上条と美琴は適当なポイントに移動する。
データを取るのが目的だからか、釣具も随分色々な種類が用意されているようだが、ぶっちゃけ素人なので何がどう違うのかとか、どんな場所を選ぶべきなのかとかはさっぱり分からないので、本当に適当でいいやとか思って美琴が歩いていると
「………?どしたのアンタ?なんか挙動不審なんだけど?」
横を歩いている上条がなんだか落ち着きがない、チラチラとあちこちを気にしていると思ったら唐突に口を開いて言った。
「はぁ……不幸だ」
「はぁ?いきなり何よ?私に喧嘩売ってるの?」
「どちらかというと、上条さんが喧嘩を売られそうなんですが……」
「……は?いつ私がアンタに喧嘩売ったっていうのよ?」
「会う度にビリビリ撃って来るのはどこのどなたでしたっけ?って、待て待て待て待てーー!?違う違う!いや違わないけど、今は違う!?ともかく今の喧嘩売られそう云々はアナタ様に対して言った訳ではないですからしてビリビリはしまって下さい!?」
「じゃあ、一体何だってのよ?」
「い、いや……分からないなら気にしない方が身の為だと思うぞ。うん」
「アンタ、さり気なく私を馬鹿にしてない?そんな事言われて気にならない訳ないじゃない」
むしろ逆に気になるに決まっている。
美琴が空気を帯電させ、さっさと言わないと撃つわよという無言の意思表示を行っていると、上条は何か悩んでいた様だが渋々といった感じで口を開いた。
「……あのな、お前は自分の服装を気にした事がないのか?」
しかし出てきた言葉は予想外のものだったので、美琴は慌てて自分の服装を見やる。いつもの常盤台の制服だ。
別にどこか汚れているとか、乱れているとかいう訳でもないよう見えるが、改めて言われると気になって仕方がない。
ちょっとした皺を伸ばしてみたり、服装とは関係がないが、なんとなく髪を手櫛で整えてみたりする。
「えっ!?ど、どこかおかしい……かな?せ、背中に何かついてるとか?」
「別におかしな所はねーよ。そういうのでは無くてですね。お前が着てるのは常盤台の制服だよな?」
「は?今更何言ってんの?」
「……つまりお前はお嬢様なわけだよな?」
「…………そう…だけど。……えっと?何言ってるの?」
確かに常盤台中学は学園都市内でも『5本指』に数えられる屈指の名門であり、更に言うなら世界でも有数のお嬢様学校として知られている。
従って、お嬢様という言葉が似合う生徒は確かにいる。
しかしながら、美琴自身はそんな事を気にした事はないし、上条の前でお嬢様らしい言動をした事もない気がする。
大体にして、上条が美琴に向かってお嬢様と言う時はむしろ粗雑な行動を取っているのを諦めた風な意味合いで引き合いに出す事が多い訳だが、今の台詞はそういうのとはなんだか違う気がする。
美琴は上条の意図する所がさっぱり分からずにキョトンとした顔で聞き返すが、対する上条は全く分かってくれない美琴に焦れたのか叫び声を上げた。
「だーーーーー!!一般的には常盤台の生徒ってのはお嬢様なんですっ!一部には憧れのとかつきそうな!つまり今、俺はお嬢様を連れて歩いている様に見られているわけで!くっそ、これが『中学生に手を出したスゴイ人』っていうやつか!?さっきから視線がいてえぇぇぇぇぇぇ!?」
皆無とは言わないが、カップルで釣りを行う様な人達はどちらかというと少数派だろう。
周囲にいる人達は概ね独りで釣っているし、二人以上で来ている人もいるにはいるが、男女のペアはほとんどいない。
そんな所に常盤台の生徒を連れて歩けば目立つ事この上ない訳で、至極当然の結果として上条は視線の集中砲火を受けていた。
――ちなみに上条が気にしている様な『中学生に手を出したスゴイ人』とかいう謎の成分が入っている訳ではなく、純粋に『女連れ。それも常盤台の』という視線である。
「えっと……えぇ!?あの、それってその!こ……いや、その…ぁぅ」
上条の台詞から周囲からどの様に見られているかを理解した美琴の頬が赤く染まる。
その場の感情と勢いで付いて行くとか言ってしまったが、よく考えたらデートという単語が頭を過ぎり美琴は更に冷静さを奪われる。
「う゛っ!?み、御坂さん?お……怒らないんですか?いやっ!?怒って欲しいという訳ではないのですが、そんな反応も出来ればやめて欲しいと言いますか!?」
「なななな何よ!?わ、私は普通よ!?フツー!!」
上条からすると、美琴の上条に対するスタンスの認識としては、『どちらかというと嫌われている様な気がするが、基本的に善人でお人好しなので何だかんだ言いつつも付き合ってくれているんだろうな』という微妙なものだ。
何せ、上条的にほぼ初対面な8月20日、白井から密会と言われた際には『このヘンテコが私の彼氏に見えんのかぁ!?』と言われた位だ。
その為、今回もカップルと見なされている事が分かれば怒るに違いないと思っていた訳だが、予想に反してごにょごにょ言いながら指先をもじつかせている美琴に上条はどう対処していいのか分からない。
「そ、そうか?い、いや、な、なんでもねぇ!普通ならいいんだ!えっと、その、なんだ!?と、とりあえず釣りしないか!?」
「そ、そそそそそうね!」
突然発生した桃色な空気に迂闊に触れては危険だと判断して当初の目的を提案する上条と、同じくどう対応していいのか分からないから何か間を持たせる物を欲して提案に乗ってみる美琴。
こんな状態で釣りなんぞやっても気まずくなるに決まっているのだが、思考が無駄な方向に高速回転中の二人に分かる訳がなかった。
さて、釣りと一口に言っても色々あるが、今回の場合はオーソドックスに釣り針に餌を付けて投げるという物で良い。
微妙な空気を引きずったまま二人は適当な地点で準備を整える。
「み、御坂。ほら餌」
後は釣り針に餌を付けて投げるだけといった段で、未だにぎこちない感じで上条が餌が入っていると思われる箱を示した。
美琴は美琴でテンパっていた為に普段から考えれば、素直に受け取ろうとしたのだが、
「あ、ありがと………う゛!?」
ヒキィ! と音が出るくらいの勢いで美琴の表情が引きつった。
美琴は所謂、練り餌を想像していたのだが、餌といっても色々ある。
――結論から言うと生餌だった…………虫の。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
うぞうぞと蠢いている小さい虫の群を認識した瞬間に美琴の背筋に悪寒が駆け上がり、思わずあんまり女の子らしくない悲鳴を上げて思いっきり上条から距離を取ってしまう。
「……御坂?……ははーん。さてはお前…」
「うっ!?な、何よ!?」
先程までの妙な空気はどこへやら、上条がニヤリと言った感じの笑いを浮かべる。
美琴はこれはマズイと思ったが、相手がアレでは分が悪いのは分かりきってはいる。
しかしだ、普段の関係からしてそんな簡単に上条に弱みを見せるのは憚られる。絶対、後々までからかわれる気がするし。
だが、妙な雰囲気から脱出したかった上条はこれこそ天の助けとばかりに美琴を攻める。
「まさか、あの美琴センセーが虫を苦手にしているとはなぁ。いやぁ、驚きですよ」
「そ、そんな事ある訳ないじゃない!?」
「ほほう?では姫。もう一度これをじっくりとご覧下さい。隅から隅までずずいーっと」
「や、やめろ来るな馬鹿!!そ、それ以上こっち来たら酷いわよ!?」
美琴は精一杯の虚勢を張ってみるが、もう一度あんなのを見るなど御免被りたかったのですぐに敗北を宣言する。
超電磁砲を装填、何時でも撃てます。とばかりに美琴は全身全霊で拒否を示す。
……といっても、こんな冷静とは程遠い状態でまともな威力が出るのかは分からなかったが、どうせ全力で撃っても目の前の馬鹿には効きはしない。
だが、どんな手段を持ってしてもこれ以上の敵の侵攻はなんとしても食い止めなければならないのだ。
「待て待て!?そんなの撃ったら弾け飛んでばらまかれるぞっ!?」
上条は当然だが利き手である右手で餌箱を持っている。そこに超電磁砲をぶち込んだらどうなるか?
上条は右手で打ち消すだろうが、当然ながら消されるまでに右手に持った餌箱は消し飛ぶ。
中身ごと完全に消滅してくれればまだいいが、下手をすると超電磁砲の余波で発生した衝撃波で飛び散りかねない。
美琴は必死の抵抗を敢行した先に待つであろうその惨劇を想像して蒼白になった。
単純に電撃で攻撃すれば黒焦げになるんじゃないのか?とかそんな事を考える余裕はない。
そもそも左手に箱を持って、右手でガードしつつ進軍されたら美琴に為す術はない。完全な王手である。
上条はだんだん近づいて来る。
「いーーーやーーーー!?ちょ、やめて!?それだけはホントダメだからこっち来るなぁ!!」
打つ手がなくなった美琴はパニックに陥ったが、上条はあっさり美琴を素通りしてから言った。
「そこまで嫌がってるのに見せたりしねーよ。練り餌とかに取り替えてもらって来るわ」
「ふぇ……!?よ、良かったー……」
緊張から解放された美琴はそのまま力なく座り込んでしまった。
そんな美琴を見た上条はやや呆れたような調子で話しかけてくる。
「俺ってそんなに嫌がらせしそうに思われてんのかね?信用ねーっつか、上条さんの繊細な心はちょっと傷つきましたよ」
「そういう訳じゃないんだけど……いや、でもアンタ!取り替えてくるっていうなら、最初からそう言えばいいじゃない!無言で近づいて来たって事はちょっとはそういうつもりだったんじゃないの!?」
「うっ!?……普段はお前に散々振り回されてるんだから、たまにはいいじゃねぇか」
「……なんで目を逸らすのよ!?やっぱり嫌がらせだったんじゃないの、このバカーー!!」
実は上条は嫌がらせ云々に対してとぼける為に視線を逸らした訳ではなく、美琴の状態そのものから視線を逸らしたのだが、今の自分の状況がどんな風に見えるのか分かっていない美琴には上条がすっとぼけたとしか映らなかったので報復の為に電撃を飛ばす。
――ちなみに美琴は(虫の一件の性で)ペタンと地面に座って涙目だったり、(恥ずかしさとか怒りの性で)頬が赤かったり、(座っている為に)上目遣いだったりと上条にとっては凶悪な姿になっていた。
「うぉ!?やめろ!?…ったく、御坂の女の子らしい一面を初めて見たとか思ってちょっと感心しかけたらすぐこれだ。もうちょっと可愛らしい状態を持続できないのかお前は?」
何だか良く分からないけど可愛らしいと言われたのは内心凄く嬉しいが、美琴としてはそれよりも聞き逃せない一言がある。
今初めて女の子だと認識しました。とでも言うのかこの馬鹿は。
「ちょっと!?それどういう事!?アンタは私を今まで男だと思ってたってのかーーー!?」
「あーもう面倒だしそれでいいや。とにかく、ちょっと餌変えて貰って来るから大人しくしてろよ?」
「ふざけんなこらぁぁぁぁぁ!!真面目に相手しなさいよーーー!!」
上条はへーへーそれはまた後でな。とかぞんざいな返答をしつつ、さっさと係りの元へと行ってしまった。
またスルーかあの野郎とか、また子供扱いかとか思ってイライラするが、思い返してみると確かにあんまり女の子らしい反応を返した事はない気がする。
それにしても虫嫌いな点が初めての女の子らしいアピールポイントっていうのはあんまりだと思う。
その印象の抱かれかたは美琴としてはちょっと嫌なので、もう少し違うポイントで上書きしておきたい所ではあるのだが、一体どうすれば良いと言うのか。
考え付く事柄はそれはもう夢一杯という感じであるにはあるのだが、想像するだけで赤くなったり青くなったりと忙しい美琴が簡単に実行できれば苦労はしない。
あまり直球に攻めるのは恥ずかしすぎるので出来れば遠回りに攻めて行きたいとか思うのだが、しかしそれでは今までの経験からしても上条は気付かないだろう。
どうやったら鈍感馬鹿にそれとなくアピールできるのかを必死になって考えていると
「……御坂?何か唸ってるけど大丈夫かお前?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
いつの間にか戻って来ていたらしい上条にいきなり声を掛けられて美琴の肩、というか全身が跳ね上がる。
突然の事に動転しきっているが、先程まで考えていた内容を悟られたくなくて美琴は上条を威嚇する。
「な、なななな何!?何の用よ!?つまらない用だったら張り倒すわよアンタ!!」
「ええーー!?変えて貰った餌を渡そうと思っただけなんで面白いかと言われると非常に困るんですけど張り倒されなきゃならねぇのこれ!?」
「え?あ、あー!餌ね!餌!さっさと渡しなさいよ!」
上条は何でコイツはこんなに怒ってるんだ?俺なんかしたっけ?とか呟き、美琴の剣幕に若干引きつりながらも箱を差し出す。
勢いで言ってしまったが、美琴は先のおぞましい情景を思い出して恐る恐るといった感じで箱の中身を見た。
……非常に有難い事にちゃんと練り餌だった。
怒ったと思ったら酷くびくびくしながら餌を受け取った美琴に上条は笑い出した。
「く、くくくく……お、お前、そこまで嫌いなのに、なんであんなに強がるんだよ?どんだけ負けず嫌いなんですかー?」
「う、うるさいわね!ほっときなさいよ!」
「しかしまぁ、貴重な御坂が見れたな。お前、変な所でお嬢様らしいのな。虫を見たこともない箱入りお嬢様とかってイメージから程遠いんだが、何か理由でもあるのか?」
「別に何も無いわよ。良く分からないけど生理的に受け付けないのよ。ただ気持ち悪いの」
「いやいや、あの美琴センセーが怖がるからには深刻な理由があると見たね。そういやお前って努力で低能力者から超能力者になったんだよな?」
「だから理由なんて無いつって――――……はぁ?そうだけど、いきなり何よ?」
美琴は話題の繋がりの無さにいきなり何言ってんだコイツは?とか思うが、上条の顔にはあんまり良くない感じの笑みが浮かんでいる。
絶対ロクでもない事を考えてるに違いないと警戒していると
「つまりお前はあれですか?能力覚えたての低能力者の頃に、夜に火花散らしてキレーイとかやってたら光に釣られて虫がわさわさやって来たので、追い払うのに更に能力使うけど低能力の電流じゃ虫も死んでくれない上に更に一杯群がって来て大パニック!で精神的外傷を負ったという訳ですね?それで負けず嫌いな御坂たんとしては、虫を追い払えるように努力して超能力を得たと?うっわ!可愛いーー!」
などと上条が恐ろしく曲解した意見を述べたので美琴は爆発した。
「なななな!?何を馬鹿な事を言っちゃってんのよこの馬鹿は!?んな事ある訳ないでしょうがーーー!!」
怒りやら妙な感想を抱かれた恥ずかしさを乗せて雷撃の槍が上条に襲い掛かる。
「いいじゃねぇか、可愛らしく擬人化した御坂たん萌えー?」
上条は雷撃を打ち消しながらにやにや笑いを止めない。
美琴は生理的に虫を受け付けないだけであって、そんなお茶目なエピソードはない………ないったらない。
大体そんな理由で可愛いとか言われても嬉しくもなんともない。むしろムカツク。
だと言うのに、迂闊にも晒してしまった弱点を更に突付こうかという構えの上条に美琴の中の何かが切れた。
「また擬人化とか言うか!?アンタは私を何だと思ってんのよ!?このクソ馬鹿がぁぁぁぁぁぁ!!」
ヒートアップした美琴から放たれる雷撃の威力が増し、辺りに轟音が響く。
「うぉ!?ちょっ、待てお前!?当たったら洒落にならねぇんですけど!?」
「うるさいこの馬鹿!!人を散々からかってくれちゃって!一辺死んで来いやぁぁぁぁ!!」
…………一通り追い掛け回して若干疲れた頃には既に昼前になっていた。
水辺で電撃を放つ鬼ごっこなどを展開したものだから釣師の皆様はすっかり避難されている。
データ取りが目的な主催者側――係りの人の目線が痛い。
無駄に疲れた二人はほとぼりを冷ます意味も含めて、一度、昼食を摂りに外に出ることにした。
「何の為に電車使って早く着いたんだか分からなくなったな……」
「ア・ン・タ・が悪いんでしょうが!!大体アンタ、この痛々しい空気の中で釣りしようっての?私にはできないわね」
「はいはい。御坂に可愛げを求めた上条さんが馬鹿でした」
「アンタやっぱり私に喧嘩売ってるでしょ!?ほらっ!いいからさっさと歩く!」
来る前は振り回そうと決心していたのに蓋を開けてみれば振り回されっぱなしの午前中だった。
何だか釈然としない美琴は諸々の怒りなども若干込めて上条を引っ張る。
午後こそは!とか生来の負けず嫌いが祟って何か当初の目的から逸脱している美琴は気付いていない。
二人の力関係は対等に近いのだ。
同じ重さのものが片方を振り回すと遠心力を味方に付けたもう片方にむしろ振り回されるはめになる事を……
――秋の空はどこまでも高く、日が落ちるのが早くなっている事など今は感じさせなかった。