インスタントウォーマー
「はあ、」
と、息を吐く。白く光るそれを直接手に当てても、まあよくて一瞬。ようは焼け石に水。
冷たくて真っ赤になった左手が、自分のだというのに痛々しくて見てられない。
不覚だった、と言わざるを得ない。完全下校時刻まであと少しという夕暮れ時。不良に絡まれる常盤台の女生徒。
と、来れば。
「おっかしいなあ……」
それも常日頃、わりと慣れていること。悪い奴発見→電撃成敗の流れはちょっとした学園都市の名物みたいなものだ。
美琴的にはルームメイトのお小言もおまけつきで。
今日は運が悪かった。後ろに控えていたもんだからてっきり無能力者かと思ったらまさかの火炎能力者。
しかもそこそこのレベルの。油断していたことは認めよう。期末考査が終わって気が緩んでいたのは言い訳にならない。
「はあああ」
親指と人差し指の部分が消し炭になった左手用の手袋を摘んでかざす。避けきったつもりだったがわずかに掠ったらしい。
――頑張って作ったのになあ……
手の甲の部分にプリントされていたゲコ太のアップリケも三分の一以上が黒こげになっている。毛糸の手袋。
市販では子どもサイズしかないためわざわざ針仕事して自作したというのに。慣れない作業だったためかなり苦労した。
秋入りから初めて完成したのは冬入り間近。今や冬真っ盛りときた。もう、既製品を買うしか道はないだろう。
「チェェェェェェストォォォォォォォ!」
ドゴン! という強烈で鈍い音が雄叫びと共に冬の公園に響く。みな寒くて家に引きこもっているのか、人通りが少ないのが救いだ。
いつもの公園でいつもの自販機をいつもより少し強めに蹴っ飛ばしてみても苛立ちは消えない。
先ほど、手袋を台無しにしてくれた不良どもを通常よりも三倍増しで黒こげにした分を含めてもまるで足らない。
せめてあったかい缶コーヒー辺りで手を温めようにも、今日の自販機が吐き出すものといえば冷たいものばかりでそれも叶わず。
夏は夏でホットもんばっかのくせして。
美琴のイライラはちょっと危険区域。
で、えてしてそんなときに限って、
「おっす、ビリビリ」
件の彼奴はやって来てしまうわけであって。
「ウェェェェェェルカム・マァァァイ・サンンンドバァァァァァァァァッグッ」
美琴的にはもう鴨が葱背負ってきたとしか思えないシチュエーション。
この溜まったに溜まったフラストレーションのぶつけどころとしては打って付けとしか言いようのない相手。
「ま、まて。おかしい、キャラが違うぞ、おまえ」
カ行多めの笑い声を発しそうな美琴に上条は盛大にビビる。
「いいから勝負よ……今日はちょっとマジで手加減しないから……」
目を光らせて口から黒い何かを漏らしながら美琴はゆらりゆらりと全身から電気を発動させて上条に相対する。
「ちょ、声かけただけでそれかよ!? どんだけ不幸なん――」
わたわたと、それでも悲しいかな、その反則的な右手を最優先で前方に差し出しながら、上条は気付いた。
「おまえ、手袋どうしたんだ?」
「え? あ、いや……」
美琴は我に帰って裸の左手を後ろに隠す。相変わらず、目ざといというか何というか。
「お、お洒落よ! 最近は片方だけ手袋するほうが流行ってんの!」
上条には、なんだか自分が失敗した部分を見せてしまうようでプライドが許さない。
やや無理のある理由を挙げてみるけれど。
「……さっきさあ、ここ来る前に、不良どもが黒こげになってんの見たんだけど」
どうせあれ、おまえの仕業だろ、とため息を吐いて。
「んで、そん中に、俺も前にちょっとやり合った奴がいてさ。……そいつ、火炎能力者
なんだよな」
だらだらと汗が流れる、ような気がする。どうにもこうにも、看破されているようだった。
「ええ、そうよ! 油断しちゃったわよ! おかげで見てみなさいよ、これ!」
ずいっと、半こげ状態の手袋を上条に見せつける。
「そりゃ、まあ、ずいぶんと」
上条はその手袋が美琴にとってどれだけ大事か知っていた。なぜなら完成したばかりの頃はやたらに自慢されたから。
全っ然うらやましくなかったけれど(美琴的には、デザインがデザインだけに友人たちには大っぴらに自慢できなかった分余計に力が入ったらしい)、どれだけ思い入れがあるかぐらいは理解している。
「残念、だったな」
「ええもう残念過ぎるわよ! だ~か~ら~」
勝負! と、ばっと裸の左手を差し出して間髪入れずに電撃を放とうとする。しかし、
「ほいっと」
「うわ!? ちょ、ちょっと放しなさいよ」
あっさりと上条の右手で押さえ込まれる。正面から組むように握り合う形で。美琴が考える以上に左手は凍えていたらしい。
普段だったら、いくらなんでもここまで簡単には取らせたりはしないのに。
「離せ、離しな――」
「完っ全に冷え切ってるじゃねえか」
掴んだ左手を労るように、上条は力を抜いて摩った。
「んなっ、な、」
美琴は、もうパニック。いきなり捕まれた手を撫でられて、というかそんな真剣な顔をされて。
暴発ラインはとうに超えていたが上条の右手のおかげで漏電は起こらない。
「こんなんで勝負してもおまえもつまらないだろ? 送ってくから、帰ろうぜ」
早くしないと風邪行くぞ、と上条は地面に落ちていた学生カバンを拾って左肩に担ぐように持つと歩き出す。
もちろんのことまだ右手は、
「あ、あのあのあのっ、て、て、」
上条にされるがまま美琴も歩き出すが、捕まれていた左手はいつの間にか繋ぐように握られている。
その事実に思考回路がぷすぷすとうなりを上げていて、能力は封じられているというのに別の発熱が起きている。
「ああ、冷たいだろ? ご自慢の手袋ほどじゃないだろうけど、これで少しはマシになると思うんだけど」
マシになるどころか、肝心の末端部分は確かにまだ悴んで感覚が戻ってきていないけれども、それ以外の部分、というか左手を除いた全身は平均体温なんぞとっくに突破しているわけで。
「あ、わ、あ、」
「? ああ、」
言葉が見つからない様子の美琴を見て何を勘違いしたのか。上条は、
「やっぱ握っただけじゃダメだよな。これなら少しは暖かくなるか?」
「……っ!」
繋いだ手を、自らの上着ポケットへと導いた。美琴はもう思考する部分も言語部分も現状認識部分も全てショートしていて、
「あ、やっぱ嫌か、こういうの?」
「……っ、……っ」
首の皮が引きちぎれるほど全力で左右に振る。そ、そうか、そんなに冷たかったのか、と上条は相変わらず見当外れな感想を抱くばかり。
引き気味に。
「手袋のことは、残念だったな。でもまた作れるだろ? 御坂ならさ」
ポケットの中で二人きり、上条は美琴を優しく包み込む。美琴は辛うじて残っている理性の部分でどうして手の感覚が戻らないのかもどかしくて仕方がない。
なんとか少しでも感触を味わいたくてやわやわにぎにぎとしてみたり。
寒空の下、二人三手な帰り道は、上条が話題を振って、顔を真っ赤にした美琴が首の動きだけで相槌を打つという、なんとも奇怪な光景が寮の前に到着するまで見られた。
さて、美琴はその日からしばらく頑なに左手を洗おうとはしなかった。
たまに眺めては頬をとけきったように緩ませて「うへへへ」と気持ち悪い笑みを浮かべるので、周囲の人間は訳がわからず困惑したとか、なんとか。
――了