最近、御坂妹のようすがちょっとおかしいんだが。
上条は目の前の少女から声をかけられ、固まっている。
御坂美琴そっくりのその少女は、頭にゴーグル、
そして首には美琴と見分ける為に自分が買ってあげたペンダントをぶら下げている。
御坂美琴をオリジナルとして製造された体細胞クローン、妹達。
その中の一体、検体番号一〇〇三二号。通称(と言っても名付けたのは上条だが)御坂妹だ。
では何故、上条が固まっているのか。それは、
「やっはろー、上条ちゃん/return。最近どう?/escape パスタ巻いてる?/escape」
と、何とも頭の悪そうな挨拶をされたからだ。
普段の彼女なら、「こんにちは、とミサカは頭を下げつつすれ違いざまに挨拶をします」
とクールビューティーらしく声をかけられただろう。
明らかに様子がおかしいが、上条はその口調を知っている。
オティヌスの創り出したあの世界。上条以外の人間がみんな幸せに暮らせるあの世界。
上条が自ら命を絶とうとした時、助けてくれた少女。
「お…お前……もしかして『総体』か!?」
「ピンポンピンポン大正解~/return。一〇〇三二号だと思った?/escape
残念、ミサカネットワークの『大きな意識』、総体ちゃんでしたー☆/return」
「…で、御坂妹の体を借りてまで、何しに来たんだ?」
「ひっどーい!/return 『元の世界』でまた会おうって言ったじゃん!/return」
「言ったか?」
「…あれ?/escape そう言やアンタに直接言った訳じゃなかったっけ/backspace。…まぁいっか/return」
総体はマイペースに、あまり気にした様子もなく上条の質問に答える。
「実はさー、結構困ってんだよね/return」
「困ってるって…何にだ?」
「戻れなくなっちった☆/return」
サラッと答えた。結構な一大事を。
「えっ!? も、戻れないって…まさか御坂妹にって事か!?」
「うん、そう/return」
「うん、って! ヤバイんじゃねぇのかそれ!?」
「いや/backspace、解決方法がない訳じゃないから/return。アンタの協力があればだけど/return」
「協力…? わ、分かった。何でもやるよ。…俺に出来る事ならだけどな」
総体はニヤリと笑った。これこそが彼女の狙いだったのだ。
わざわざ「元に戻れない」と『嘘』をついた甲斐があったという物だ。
嘘…そう、嘘なのだ。彼女はその気になれば、この体を一〇〇三二号に返す事など造作もない。
しかし、貴重な『チケット』を使ってまで上条に会いに来たのだ。
このまま何もせず帰る訳にもいかない。
彼女にだって来た理由があるのだ。それを果たすまで体を返せない。
少し卑怯かも知れないが、それまで一〇〇三二号には人質となってもらう。
「私の言う通りにすれば大丈夫だから/return。
……あっ、『私の言う通りにすればこの娘は解放してやる』って、
ちょっと中二病っぽくね?/escape」
イチイチ無駄口の多い意思である。
「で、何すりゃいいだよ」
「ああ、簡単簡単/return。お姉様といちゃいちゃすりゃあいいだけだから/return」
「……………はい?」
サラッと答えた。結構な一大事を。
『上条と美琴の距離を縮める』…これこそが、ミサカネットワークの大きな意識だったのだ。
だが一つ疑問が残る。そもそも妹達全員に上条とのフラグが建てられているのに、
何故お姉様の恋を応援するというが大きな意識として表れたのか。
実は妹達は、「命の恩人である上条ともっと仲良くしたい」という意識の他に、
「生みの親であるお姉様にも幸せになってほしい」という意識があったのだ。
前者と後者では、勿論、前者の想いの方が大きいが、しかしそれはあくまでも、個人的な感情なのだ。
つまり、妹達全員同じように「ミサカは上条【あのひと】と仲良くなりたい」と思っていても、
そこにはそれぞれ「ミサカ(10032号)は」だったり「ミサカ(19090号)は」だったりする訳だ。
しかし「お姉様にも幸せになってほしい」というのは、それとは違う。
何故なら御坂美琴というオリジナルは、世界でただ一人なのだから。
故に皮肉にも、妹達全体の総意としては、「お姉様の恋を応援する」という結論になってしまうのだ。
と、そんな裏事情がある事など全く知らない
(と言うか、美琴や妹達にフラグが建っている事すら知らない)上条は、
総体の言葉に、ただただ困惑していた。
「え、あ、えええ!!? ほ、他に手はないのか!?」
「ないよ/backspace。詳しく事情を説明できないけど/backspace、断言はできる/return。
それに、いつもみたいにその右手で解決しようとしても無駄だから/backspace。
そりゃ一時的には私も消えるけど、問題そのものが解決しない限りまた出てきちゃうし/return。
…あっ、『この世に悪がある限り、私は何度でも蘇る』ってのも中二病っぽくね?/escape」
「あーいや、右手が使えるとしてもその方法は取らないよ。
だってそれって、無理やりお前を消滅させる【ころす】って事だろ?
そんなの、俺にできる訳ないじゃないか。お前は俺の、命の恩人なんだからさ」
当たり前のように無意識に口説く上条。さすがは魔術の神ですら攻略した男である。
総体は「ぽっ…」と赤くなる顔をブンブンを震わせる。ここで自分が落ちてしまったら本末転倒だ。
「けど本当にそれしか方法はないのか?」
「だ、だからないってばっ!/backspace」
上条は溜息をつき、仕方なくその条件を呑み込む。
「…はぁ…しゃーない。美琴にはちっと我慢してもらうか」
上条に電話で呼び出された美琴は、あからさまにソワソワしていた。
普段から滅多にかかってこないので、緊張と期待をしつつも、どこか警戒もしているのだ。
割合で言えば、緊張79%:期待20%:警戒1%である。
「あ、わ、悪いな。急に呼び出しちまって」
「べ、べべべ別に気にしてないけどっ!!?
い、いつもだったら忙しくてアンタの用事なんて後回しなんだけど、
きょ、今日はたまたまヒマしてたとこだし!?
だだ、だからその…アンタに呼ばれたのが嬉しくて来た訳じゃないからっ!!!」
どの口が言うのか。電話を切った数秒後に部屋を出たくせに。
外出時は制服着用という常盤台の校則が、美琴にとって逆に幸いしたようだ。
そうでなければ、どんな服を着て行こうか確実に迷っていただろう。
「で…な、何の用なの?」
「ああ、それがさ……えっと…言いにくいんですが、特に用はないと言いますか……」
「はぁ?」
「あ、だから、用がある訳じゃないんだけど、ただ美琴に会いたかったっつーか…
美琴と会って話がしたかっただけっつーか……それじゃ理由になりませんかね…?」
「んなっ!!?」
上条の口から飛び出したトンデモ発言。
その場でカチコチになる美琴に、上条は心の中で思った。
(…これで本当にいいのか…?)
「これでいいのか」という感想は、先程の台詞が用意されていたからに他ならない。
そう、上条は事前に総体と打ち合わせをしていたのだ。
―――
―――――
―――――――
『まずは電話で呼び出さなくちゃ始まらないよね/return』
『理由はどうすんだ?』
『理由?/escape』
『意味も無く呼び出す訳にもいかないだろ。それこそ怪しまれる』
『そんなもん必要ないでしょ/backspace。
適当に「ただ会いたったから」とか言っときゃ大丈夫だよん/return』
『そんな無茶な……』
『無茶でも何でもやってもらうよ/return。一〇〇三二号の為にもね/return
それにアンタが心配するような事にはならないと思うよ?/escape そこは保障してやるさ!/return』
―――――――
―――――
―――
(総体はああ言ってたけど、やっぱ怪しまれちまうんじゃ……)
だが上条の不安は杞憂に終わる。
「へ、へえええ…あ、あああ、会いたくなっちゃったんだ…私に……
だ、だ、だったら仕方ないわよね! う、うん。仕方ない仕方ない」
(あれ意外っ!? 何か本当に大丈夫だったよ!?)
まずは第一関門突破だ。次の作戦に移行する。
(えっと次は……)
―――
―――――
―――――――
『そしたら思いっきり抱き締めてね!/return』
『何でだよ!!!』
『いいからやるの!!!/return 理由とかイチイチ必要ないでしょ!?/escape』
『あるよ! 大いに必要ありますよ!!!』
『あーもう、うっさいなぁー!!!/return アンタに拒否権はないんだってばっ!!!/backspace
私の言う通りにする以外に解決方法はないんだから、大人しく言う事を聞けやコラァ!!!/return』
『で、でもこればっかりはちゃんと理由がないと、不審がられるだろ!!!』
『あーじゃあ…「君が寒そうに震えていたから」とでも言っとけ/return』
『俺、どんなキャラ設定!? んな事、キザったらしくて言えるかぁ!!!』
『……………』
『…何でせうか? その「何を今更」、みたいな顔は……』
―――――――
―――――
―――
「(よ、よし!)美琴!」
「な、な、何…………何いいいいいいぃぃぃぃ!!!?」
上条は、美琴にガバッと抱きつき、そしてそのままギュ~ッと抱き締めた。計画通りである。
「ななななな何してんのっ!? ねぇアンタこれ何してんのおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!?」
「あ、あああの、その……き…君が寒そうに震えていたから、
お、俺が温めてあげようかと思いましてですね……」
「あたたたたたためっ!!!?」
少しアドリブもかます上条。本当はノリノリなんじゃないだろうか。
「や…やっぱ…離れた方がいいですかね…?」
「べちゅに…むりしてはにゃれりゅひちゅようはにゃいけろ……」
お互いに真っ赤である。
(ううぅ…すんげぇ恥ずいけど、御坂妹の為だもんな……)
美琴がグルグルと目を回し始めたのを確認した上条は、最終段階に進もうとする。
―――
―――――
―――――――
『んでお姉様がこれ以上ないくらい赤面して、ろれつも回らなくなってきたら仕上げね/return』
『それ以上何すんだよ……』
『そりゃもう、「それ以上の事」だよ/return』
『激しく嫌な予感っ!?』
『だ~い丈夫、大丈夫/return。そこまでやったら後は勢いでいけるから/return。
耳元で「愛してるぜ美琴」って囁いて、唇にキスするだけ/return」
『……………』
『あれ?/escape どうしたの黙っちゃって/return」
『………るか…』
『なに、聞こえない/backspace』
『できるかって言ったんだよっ!!! いくら何でもさすがに無理だろそれっ!!!』
『何だよ意気地なしー!/backspace この体を一〇〇三二号に返さなくてもいいの!?/escape』
『だからってお前…キ、キキキ、キスとかっ!』
『…じゃあキスはしなくていいよ/return。告白だけで/return』
『いいんかいっ!!!』
―――――――
―――――
―――
(…よく考えたら、何で俺こんな事してるんだろ……)
考えたら負けである。
上条は「キスしなくてもいい」という総体の譲歩があったから折れた…ように見えるが、
実はこれも総体の罠である。
初めからあらかじめ高めのハードルを作っておき、
相手と取引をする時にあえてそのハードルを取り下げる。
すると相手は、「まぁ、それならいっか」となってしまうのだ。
おまけにハードルを上げたままの状態で相手が条件を呑んでくれても、こちらは損をする訳ではない。
今回のケースで言えば、むしろ願ったり叶ったりである。
もっとも残念ながら、上条が「キスをする」という条件を呑む事はなかったが。
上条は覚悟を決め、美琴を抱き締めたまま耳元でそっと囁いた。
「あ、あああ、あ……ぅあいしゃーてぃーるぃずぇー、美琴………」
だがグッズグズであった。
さすがにハッキリと「愛してるぜ美琴」は無理があったようだ。
しかし美琴はレベル5、第三位の演算能力の頭脳を持った少女だ。
上条が残したこの暗号を、頭の中で瞬時に解く。
(ぅあいしゃーてぃーるぃずぇー? ぅあいしゃーてぃーるぃずぇー………
ぅあいしゃーてぃーるぃずぇー → あいしーてぃーるずぇー → あいしーてぃるぜー →
あいしーてるぜー → あいしてーるぜー → 愛してーるぜー → 愛してるぜ → ―――)
「おおお、『お前の事を、心の底から愛してるぜ。
もうお前と離れられなくなっちまったんだ、だからこれからもずっと俺と一緒にいてくれ』……
ですってええええええええええぇぇぇぇぇぇ!!!!?」
「あっれえええええ!!!? 俺そんな長文言ったっけえええええ!!!?」
二人して、てんやわんやである。
その様子を影からずっと見ていた総体は、満足したらしく、そのまま御坂妹に体を返却した。
消える間際、彼女はこう言い残して去って行ったという。
「……うん!/return 結果オーライ☆/return」
オーライではない。