夢でオチたら
とある真冬の午後。
美琴は爆発しそうな程に高鳴っている胸を抑え、落ち着く為に深呼吸をする。
吐く息は白く、その日の気温が刺すように寒い事を物語っているが、
それに反比例するように、美琴の体温は上昇中だ。
しかし美琴が緊張するのも無理は無い。今日は特別な日となるのだ。
これから先の人生、『今日』という日は二度と来ない程に、思い出に残る日となる。何故なら…
(う~…つ、ついに初めてのデート…かぁ……
あ~、もう! どうしよう! どんな顔でアイツを待ってればいいんだろ!)
という事だから。
美琴は、『初めて』好きになった人と『初めて』お付き合いし、本日が『初めて』のデートなのだ。
今までもデート『らしき』事は何度か経験があるが、
明確に『付き合ってからデート』するのは、これが初めてであった。
デート自体はこれからもするだろう。しかし『初』デートは、今日が最初で、そして最後である。
その事を自覚すると思わずふにゃりかけてしまうが、そんな事をしたらせっかくのデートも台無しだ。
ここはグッと我慢して、相手の到着を待つ。
相手は何かと不幸に巻き込まれる体質なので、遅刻を待つのも慣れた物だ。
むしろ今では、この待っている時間すら楽しく感じられる程、美琴は彼色に染まっていた。
それに待っている時間が長い程、
「ご、ごめん遅れた! えっと…ま、待った…よな?」
彼に会えたこの瞬間が、尚更嬉しく感じるのだから。
「あ、う、ううん。私も…今来た所だから……」
「そ、そうか? だったらその…いいんだけどさ……」
ぎこちなく会話する、初々しいカップル。
今までは周りから、そう思われていただけだったが、今日からそれは本当になる。
「じゃ、じゃあ行くか。いつまでもここにいても、始まんないし」
「う、うん。あっ! でもちょっと待って!」
そう言うと美琴は、
「っ!? み、美琴!?」
上条の右手の小指と薬指を、キュッ…と握った。
「い、い、いいでしょ!? もう私達…こ、ここ、恋人なんだから……
そ、それにホラ! 私、アンタと一緒にいる時に、無意識に漏電しちゃう癖があるから、
こうしておけば安心でしょ!?」
前半、思いっきり本音を言ってしまい、慌てて言い訳で取り繕う。
そんな美琴の様子に、上条はぷっと吹き出し、
「そうだな。そうしておけば安心だな」
と歩き出す。
「な、何よその顔っ! 信じてないでしょ!」
「はいはい、信じてますよー。ミコっちゃんの漏電癖も困ったもんですねー」
「その言い方ムカつく~!」
それは誰がどこからどう見ても、カップルがじゃれ合っているだけの構図であった。
上条は今まで、『ちゃんとした』デートをした経験は無い。
なのでリードしたまでは良かったが、その目的地は。
「……すんません…映画館とかベタな選択肢で…
上条さんの足りない頭を捻っても、ど定番なデートコースしか浮かばなかったんです……」
「そんなにへりくだらなくても…映画館いいじゃない。私は好きよ?」
それに美琴にとっては、上条が他の人とデートをした経験が無いという情報の方が嬉しい。
上条が自分の為に、デートコースを必死に考えてくれたという事も。
「けど、映画の内容も恋愛モノだぜ? 流石に我ながらどうかと思いますよ…」
「だから私は好きだってば! この映画の監督もファンだし。観たいと思ってた所だしね」
手にしている前売り券には、「監督:ビバリー=シースルー」の文字。
今注目の若き天才監督であり、ユーロ系恋愛映画の超新星だ。
「そう言ってくれると助かるよ」
上条は苦笑いを浮かべつつチケットボックスに並ぶ。
いよいよ本格的に、デートの始まりである。
◇
「全米が泣いた」という、よくある宣伝文句ではあったが、その文言に偽りなしの映画だった。
正直、上条はこの手の映画はあまり得意でなく、あくまでもデート用に選んだのだったが、
思いのほか感情移入してしまい、不覚にもウルッときていた。
そんな今の自分が恥ずかしくなり、誰に見られているでもないが、スクリーンから顔を背ける。
すると自然と隣に座っている美琴の方へと向いてしまい、
涙ぐんでいる自分の顔を見せまいと慌てて別の方向へと首を曲げようとしたが、
その必要がない事に気づいた。
「ひぐっ………ぐすっ………」
美琴は映画にどっぷりと集中しており、上条がこちらを向いている事に気づいていなかった。
ボロボロと大粒の涙を流しながら、
無意識なのか意識的になのか握っている手をギュッと強く握り返してくる美琴に、
上条はドキッとする。そして、改めて想うのだった。
(ああ…やっぱり俺、美琴の事が好きなんだな……)
と。
◇
「あ゛~…ずびっ…………えへへ…泣いちゃった……」
「ああ、泣いてたな。思いっきり」
シアターを出てからも美琴は涙が止まらず、ハンカチで目頭を押さえながら歩いている。
必死に照れ笑いを作っている所が、何ともいじらしい。
「じゃあ次はどこ行っか」
「あ、待って! 買いたい物があるの!」
美琴は映画館を出ようとする上条の裾を引っ張り、その歩みを止めさせる。
そして早足でストアへと向かった。
◇
しばらくして戻ってくると、その手にはパンフレットが握られていた。
「パンフ買ったのか?」
「だってせっかくだしね。
アンタとの初デートの映画だもん…思い出は一つでも多く増やしたいから…」
愛おしそうに思い出の品【パンフレット】を見つめる美琴に、上条は思わず顔を赤らめる。
そんな様子を悟られまいと、美琴を茶化す事でお茶を濁す。
「あ…あ~、そう言えばチケットの半券も大事そうに仕舞ってたな。
アレも思い出の一つにするのでせうか?」
だが茶化すように投げた問いかけは、
「そうよ♪」
と簡潔な肯定の言葉と、心底嬉しそうな笑顔で返ってきた。
上条は顔全体を上気させたまま、美琴から目を逸らし、一言ぽつりと呟いた。
「………負けた…」
「負けたって…『誰』に『何』を負けたのよ?」
不思議そうに首をかしげる美琴に、上条は、
「何でもないの! ほら、もう買い物も済んだんだし、そろそろ出ようぜ!?」
と言ってそのまま出口に向かう。
何か釈然としないが、美琴もそれ以上追求する事もなく、上条と一緒に映画館を後にした。
その際上条が小声で発した、
「……美琴センセーが可愛すぎて、上条さんの完全敗北ですよ~…っと……」
という告白は、館内の喧騒に紛れて、幸か不幸か美琴の耳には届く事はなかった。
外に出ると、強烈な寒さに二人は身を震わせた。
それもその筈だ。空を見上げれば、ちらほらと雪が降り始めていたのだ。
「うお、寒ぃいっ! んー……この後の予定も考えてたけど、雪降ってるしなぁ……
とりあえず、どっか店ん中でも入るか? ……あれ? 美琴さん?」
上条に話を振られるが、美琴は雪を見つめたまま何かをポケ~っと考えているようで、返事がない。
やがてその口を開くと、思いがけないリクエストをしてきた。
「……ねぇ…私、行きたい所があるんだけど………いいかしら…?」
「あ、ああ。美琴が喜んでくれないと、デートなんて意味無いしな。で、どこの店に―――」
「お店じゃないの」
「え…じゃあどこに? この天気だと、外を出歩くのはキツイだろ?」
上条の言葉に、美琴はゆっくり首を振りながら答えた。
「ううん。この天気じゃないと…そして今日じゃないと意味が無いから」
「…? えっと、それってどういう事―――おぅわっ!!?」
上条が言い終わるのを待たずに、美琴は彼の腕を引っ張って走り出していた。
これは神様からの粋な計らいなのか、それとも悪戯なプレゼントなのか。
いずれにせよ、美琴はこの奇跡を与えてくれた天に感謝するのだった。
◇
「ここ…は……」
上条が連れてこられたのは、見覚えのある鉄橋だった。
「ここ…覚えてる?」
「……当たり前だろ」
忘れる訳が無い。
8月の21。その日、ある実験を中止させる為に『死』を覚悟していた美琴を、
上条が止めたのだ。
戦わずに。立ち塞がって。
「私さ……あの日からなんだ。………アンタの事、本気で好きになったのって」
「え…………ふぁえっ!!?」
突然の告白に、上条は思わず変な声を出すが、美琴は気にせず続ける。
「気になり始めたのはもっと前…アンタは覚えてないだろうけど、きっと初めて会った時からだと思う。
でもそれまでは、あくまでも『ちょっと気になる、いけ好かない変な奴』って印象だったわ」
「……割と散々な印象だな…」
「あはは! そうね…でもあの日がきっかけで、それが変わっちゃったの。
それが『恋』だったって自覚したのは、それから2ヶ月ぐらい経ってからなんだけどね。
もっともアンタにとってはその時の私なんて、
『たまたま救えた人達の中の、更にその一部』だったんでしょうけど…」
「っ! そんな事は―――」
「いいのよ。アンタがそういう奴だって事は分かってるんだから。
…それに…そういう奴であるアンタを、私は好きになったんだから……」
「…っ! な、何か今日の美琴、やたらと素直だな…調子狂っちまうよ……」
「ふふっ! このシチュエーションがそうさせてるのかもね。
……私ね。昔、雑誌のインタビューで、
『初デート、行くならどこがいいですか?』って聞かれた事があるのよ」
「インタビューか…レベル5【ゆうめいじん】も大変なんだな。…で、何て答えたんだ?」
「『雪が降ってる桟橋とかロマンチックでいいかな』…ってね。
だから映画館を出たら雪が降ってたからビックリしたわ。同時に『ステキ…』ともね。
アンタと『一つ目の夢』が叶っちゃったから…
ま、学園都市には海が無いから、桟橋の代わりに鉄橋にしたんだけど、
これはこれで…ううん、むしろこっちの方が、私達的にはロマンチックじゃない?」
「っ! …ああ、くそ! 今日の美琴さんは色々と反則ですよ!」
「アンタ、顔真っ赤よ?」
「寒さのせいです! …そう言えば、『一つ目の夢』って事は、他にも夢があるのか?」
「…っ! ま、まぁ…それは……ある、にはある…けど……」
「何か歯切れが悪いな……言いにくい事なら、別に言わなくても…」
「あっ、そういう訳じゃないんだけど……その…わ、笑わない…?」
「笑わねーよ」
「……さっき言った雑誌のインタビューで…ね? こんな事も聞かれたの…
『結婚するとしたら、どのような結婚式を挙げたいと思っていますか?』…って、さ」
「……それで美琴は?」
「『海が見える素敵なチャペルとかで、ゲコ太みたいな神父さんに祝ってもらいたい』…
とかなんとか…言ってみたり……しまして…」
「そっか……」
「な、何よ! 笑いたければ笑えばいいじゃない!」
「笑わないっつったろ? けどその代わりに、今から俺が言う事も笑うなよな」
「えっ…あ、うん…?」
「あと他にも先に断っておくぞ! ホントは今日は『まだ』、こんな事言うつもりは無かったんだからな!
今日の美琴が、何か変に素直で可愛いから、上条さんも変な気分になっちゃったんだからな!」
「か、かわっ!!? …へへ……えへへへへへ~…」
「あ~もう、そういう所がっ!
ゴホンッ! あのさ、美琴。
その…ゲコ太似の神父は保証できないけど、それ以外は何とかするから…さ、
だから……美琴のその夢さ、俺にも叶えさせてくれない…かな…?」
「………え…………えっ! あっ! そっ! あ、の…そ……それって…つ、つまり…?」
「だから、つまり! しょ、将来、俺と―――」
と、ここで美琴は目を覚ました。同時に、長い夢からも覚めたのだった。
寝起きでぼんやりとした頭を動かす為に、顔でも洗おうかと思った時、
「おーっす、はよー美琴。よく眠れたか?」
冷蔵庫を開けて麦茶を出している男が話しかけてきた。
「俺あんま寝れなくてさー! やっぱ緊張してんのかな…」
「ウソ! アンタ深夜にイビキ掻いてたわよ!」
「えっ、マジで!?」
「ったく、しっかりしてよね! 今日は特別な日なんだから!」
「はいはい、分かってますよ。
でも、どっかの誰かさんが、『海の見えるチャペルがいい』なんてワガママ言うから、
挙式の準備も大分手間取っちゃったよな~」
「なな、何よそれ!? 私が悪いの!? その約束は昔からして…って、そうだわ。
それで思い出したんだけど、私さっき夢見たのよ」
「夢? どんな?」
「それがさ、初デートの時の―――」
そこには、出会った頃と変わらない関係の、ツンツン頭とビリビリがいた。
本日『二つ目の夢』を叶える、二人の『上条』の姿が―――