とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

543

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

夢色の幻想 It_couldn't_happen_here.



「当麻、おはよう!」
 いつもの自販機に寄りかかっていると、ツンツン頭の少年が眠そうにあくびをしながら通りがかった。御坂美琴は大きく手を振って、ツンツン頭の少年こと上条当麻の隣に並ぶ。
「ああ、おはよう御坂。今日もお前は元気だな」
「むー、当麻ったらまた名字で私の事呼んでる! 私の事は美琴って呼ぶ事に決めたんでしょ?」
 上条の腕を取った美琴が頬を膨らませる。
「あ、ああ、悪りぃ悪りぃ。つい今までのくせで」
「ちゃんと直してよね。私は当麻、って呼んでるんだから」
「はいはい、わーってますよ」
 学生鞄を担ぎ直しながら、なおも眠そうに上条はあくびをする。
「もー、また夜遅くまでゲームしてたんでしょ。だめじゃない。宿題はやったの?」
「やったやった。答えが合ってるかどうかはわかんねーけど」
「まったく、私がいないとホントダメダメなんだから」
 美琴は小さく嘆息する。
「はい、これお弁当。ちゃんと感想聞かせてよね?」
 美琴は手にした袋から取り出した、ハンカチに包まれた二段重ねの箱を上条に渡す。
「お前の作ってくれるもんだったら何だってうまいって」
 ありがとう、と上条が包みを受け取って
「いつもお世話になってます。俺が作るよりうまいし、俺自炊する気なくなっちまうよ。毎日これが食べられれば幸せなんだけどなー」
「…………ねぇ。それって、どういう意味?」
 美琴は上目遣いに上条の顔をのぞき込んで様子を伺う。
「え? ……あーいやそうだな、何て言うか、その、ほら、ほめ言葉だよほめ言葉!」
 上条は慌てて言葉を取り繕う。
「むー、またそうやって当麻はごまかすんだから」
 美琴は上条と組んだ腕を軽く引っ張る。
「いや、はは、あはは、あはははは……。ほ、ほら美琴、そろそろお前も急がないと」
 この道を西に行けば学舎の園、東は上条の通うとある高校に続いている。
「あーあ、またここまで来ちゃった。それじゃ当麻、またね」
「ああ。またな美琴」
 上条が美琴に背中を向けたその瞬間、
「当麻っ!」
 美琴が上条の手を引き、振り向いたその頬に軽くキスをする。
「……えへへ、驚いた?」
「……驚いたって言うか、お前こんなとこでそんな事して恥ずかしくねーの?」
 頬に手を当てて、上条の顔が赤くなっていく。
「は、恥ずかしいわよそりゃ。でもしたかったんだもん。……良いじゃない別に」
 上条と同じくらいの速度で見つめ合う美琴の頬が赤くなる。
「……あー、ほら」
 上条は周囲をキョロキョロ見渡すと、人通りがないのを確認してから美琴の頬に軽く唇を押し付けた。
「……あ、アンタも恥ずかしい事してるじゃない」
「美琴。動揺すると俺の事を『アンタ』って呼ぶのは治らないんだな」
 やれやれと上条が軽く首を振る。
「ほら、行ってこい。本当に遅刻しちまうぞ?」
 上条は美琴の肩をポンと軽く叩いた。
「じゃ、じゃあ今度こそ、またね! 行ってきます!」
 美琴は元気よく手を振って、学舎の園に向かって駆け出した。

「………………何? 今の」
 午前七時のアラームと共に、険しい顔で美琴は起床した。
「あ、あ、……ありえないから」
 夢の中で美琴と上条は恋人同士で、
「……ありえないから……」
 仲良く一緒に通学して、美琴は上条にお弁当を作ってあげて、
「………………あり得ないからーっ!!」
 下の名前で呼び合って、行ってらっしゃいのキスをするなんて。
 バチバチバチン! と美琴の額に幾筋もの小さな雷が走る。
「……ふぁ……おはようございますおねえ……ってお姉様! 朝早くからバッチンバッチン言わせすぎですの! 寮内は能力使用禁止ですのよ?」
「……え?」
 無意識のうちに放電を始めていたらしい。
 白井黒子の悲鳴に、美琴はようやく我に返る。
「あ、ああ……ごめんごめん。朝から脅かしちゃって。もう大丈夫」
 美琴はごめんねと苦笑いして、ベッドから降りる。
「朝からどうなされましたの、お姉様? こんな事は今までありませんでしたのに」
「うー……ん、ちょっと夢見が悪かっただけよ」
 不安な顔をする白井に、『大丈夫だから』と美琴は笑顔を作る。
「でしたらお姉様、先にシャワーお使いになります?」
「んー、……、私はあとででいいや。黒子先に入っちゃいなさいよ」
「でもお姉様、そうしますと朝食の時間に……」
 間に合わないのでは? と言う白井の懸念に微笑んで
「ああ、大丈夫。私今日朝ご飯いらないって言ってくるから。……何か食欲なくってさ」
 美琴は自身の懐あたりを軽く押さえるジェスチャーをしてみせる。
「はぁ……そういうことでしたら」
 白井はクローゼットの中からお風呂用具一式を取り出し『お先に失礼いたします』と一礼してユニットバスに向かった。
 バスルームに白井の姿が消えたのを確認して、美琴はベッドの上に仰向けにひっくり返る。額に軽く右手の甲を押し付け、虚空を見つめながら
「……あんなの、認めないんだから。あり得ないんだから」
 その呟きは美琴自身の耳にも届かない。

 午前と午後の授業の境目、太陽が中天にかかる時刻。
 美琴はテラスでテーブルの上のサンドイッチを見つめていた。
 傍らには美しいカットを施されたグラスに注がれたオレンジジュース。
 グラスの表面にはうっすらと水滴が浮かび、太陽の光を反射して淡い虹を形作っている。
「お姉様、どうなさいましたの?」
 対面に席を占める白井が、サンドイッチを手にしたまま彫像のように動かない美琴を見やる。
「何やら食が進まぬご様子ですけれど」
「へ? ……あれ、私ぼーっとしてた?」
「ぼーっとしてた、ってお姉様……」
 白井は皿の上のサンドイッチを指差して
「先ほどから全く手が付いていませんですのよ? 今朝から何も口にされていないのではありませんの?」
 心配そうな瞳を向ける。
 お姉様の体調管理はわたくしの仕事ですの、とつけ加える事も忘れない。
「……うーん、黒子これ食べる?」
 美琴はサンドイッチの乗った皿を白井の方に軽く押す。
「何かお腹空かなくてさ」
「お姉様……」
 どこか心あらずの美琴に、白井は困ったような笑顔を向けた。
「せめてお手にしたその一切れくらいは口になさってくださいませ。いくら何でも倒れてしまいますわよ?」
「あ、うん。そうね、食べる食べる」
 美琴は力なく笑って、手にしたサンドイッチを口にする。
 水分が飛んでしまったぱさぱさのパンは、美琴の舌に何の味も感想も残さなかった。

「ふああああぁぁ、今日もつっかれたなぁ」
 美琴はあくびをしてベッドに腰掛ける。
 美琴がお疲れなのは単に授業という日課をこなした結果であり、何も天使の力を受け止めましたとか非合法な手段で学園都市のゲートを突破しましたとかローマ正教一三騎士団を一人で迎え撃ちましたとかそんな理由ではない。
 彼女が疲れた、と口にするのはどこかのとある少年が「不幸だ」という口癖と大差はない。
 美琴は運動部にも文化部にも生徒会にも属さない、いわゆる帰宅部の人間だ。
 いつもは暇をもてあまして街に繰り出し、ほんの余興で不良のお兄さん達とやり合ったりもするがそれは御坂美琴という人間の派手な一面をピックアップしただけであり、本来の彼女は約一名の天敵をのぞけば基本的には人畜無害に属する「いろいろなレベルがちょっと高いだけ」の普通の女の子だ。
「あーあ、どうしよっかなー」
 薄青のキャミソールに短パンと、あまり人様にお見せできないラフな姿で美琴はきるぐまーを抱きしめたまま自室のベッドをゴロゴロと転がる。
 一年三六五日昼寝が趣味の美琴としては、ぽっかり空いたこの時間を昼寝に当てようかと思ったが、一寝入りすれば夕食の時間を過ぎてしまう。寝るにも起きるにも微妙な時間をもてあまし、美琴はきるぐまーをぎゅっと抱きしめる。
「黒子も帰ってきてないし。退屈」
 夕食の時間は制服着用が原則だが、制服姿はベッドで寝転がるには不向きだ。変なしわがついてしまうのをいちいち気にはしたくない。
 美琴はシャワーを浴び終わったあとの姿のまま、制服を身につけずに暇だ暇だとぶつぶつ呟きながらベッドの上を転がる。
 ゴロゴロゴロゴロ、ゴロゴロゴロゴロ、ゴロゴロゴロゴロ。
「……暇だなぁ」
 今日はいつもの通学路であの少年に会えなかった。
 ――あの馬鹿に会いさえすれば、この怠惰な時間ももう少し有意義なものに変わったのに。
 最初は美琴の能力が効かない少年を何としても倒すと、見敵必殺のつもりで毎日のように探し続けた。腹が立つあまり一晩中追い回す事もあった。
 最近ではそのあたりの事情はどうでも良くなっていて、単純に少年と一緒にいる事が楽しいと思い始めている。そう思う理由については美琴が心の目を閉ざしてしまっているので深くは理解していない。
「なーんで今日はいないのよ、あの馬鹿。つまんないじゃない、つまんないじゃない、つまんなーい!」
 きるぐまーにパンチをバシバシとお見舞いして、またベッドの上を転がる。
「馬鹿。……なんでいないのよ」
 呟いて美琴は瞳を閉じる。

「……様? ……姉様? ……お姉様、起きてくださいませお姉様!」
 誰かにガクンガクンと肩を揺さぶられる不愉快な振動で美琴は目を覚ました。
「んー……うるさいなぁもぉ。……って、あれ、黒子?」
「お姉様、お休み中のところ申し訳ありませんの」
 美琴が目を開けると、天井灯を背にした白井が美琴に今まさに襲いかからんばかりの体勢で
「……ちょ、ちょっと待ちなさい黒子! アンタそこで何やってんのよ!」
 美琴は白井を突き飛ばし、ベッドの一番端まで飛び退る。
「あいたたたた……お姉様、あんまりですの……」
 下心はともかく、白井は派手にどつかれた右肩を押さえながら苦笑いする。
「……お姉様、お夕飯の時間になっても消灯の時間を過ぎても目を覚まされないのでその格好でお休みになるのはどうかと思いまして起こしただけですのに」
「……ふぇ?」
 美琴は起き上がって自分の服装を確かめる。
 学校から帰ってきてシャワーを浴びたあとの、キャミソールと短パン姿。
「……ありゃ、じゃあ私あれからずーっと寝てたのか」
 美琴はあー失敗したとばかりにボリボリと頭をかく。このあたりは何ともお嬢様らしくないが、同性の白井にそれを隠してもあまり意味はない。
「お姉様、お夕飯を召し上がりませんでしたがお腹は空いていらっしゃいませんの? 何か調達して参りましょうか?」
「んー、ありがと。お腹空いてないから大丈夫よ」
 午後一〇時を回ってるしこの時間に食べるのはちょっとね、と美琴は曖昧に笑う。
 カエル柄のパジャマに袖を通しながら
「ありがとね黒子。今日はもう寝るわ」
 ヘアピンを外し、美琴はルームメイトに微笑む。
「それではお姉様、お休みなさいませ」
 白井は壁のスイッチをパチンと押し、二〇八号室は静寂に包まれた。

「ねえ当麻。もうすぐ誕生日でしょ? 何か欲しい物ある?」
「うーん……美琴がくれるなら俺は何だって良いぞ」
 鞄を肩に担ぎ、くたびれた様子の上条は美琴を伴って夕暮れの日差しを浴びながら通学路を逆に歩いていた。
「それなら、当麻の誕生日は二人でパーティしない? 私ケーキ焼いたげる」
「……お前焼けんのか?」
「あー、ひっどーい! そりゃ私は学習中の身ですけど。腕前はお弁当で察して欲しいな」
 鞄を振り回し、美琴が全身で抗議する。
「ははは、冗談だって。でもそんなに気張んなくて良いぞ? 俺はお前といられりゃそれで良いから」
「……じゃ、じゃあさ。当麻の誕生日は……お泊まりしても良い?」
「……あの、美琴さん?」
「当麻の誕生日は……当麻がして欲しい事なんだってしてあげるわよ?」
「み、美琴。それは……」
 隣でゴクリとつばを飲み込む音が聞こえる。
「……当麻のえっち」
「いや待て! そ、そうじゃなくて俺はだな!」
 美琴のカマかけに引っかかった上条がわたわたわたわたと全力で掌を振る。
 そんな上条に、美琴はニコリと笑って
「当麻ってば、わかりやすーい」
 上条と組んだ腕を少しだけつねる。
「…………好きにしやがれ」
 美琴と、やけにぐったり上条を夕日が照らす。
「うん。好きにする。当麻は幸せよね、こんな可愛くて気が利く彼女がいるんだから」
「その一点に関しては同意してやるよ」
 ぼふん、と言う音と共に夕暮れよりも赤く美琴の顔が真っ赤に染まる。
「(ホントに好きにしちゃうんだから)」
「んー? 何か言ったか?」
「何でもないわよ、馬鹿」
 真っ赤になった美琴と、やけにぐったり上条を夕日が照らす。

「……ぜー、はー、ぜー……今の、何……?」
 草木も眠る丑三つ時に、髪を振り乱して美琴がベッドから飛び起きる。
 まただ。
 また、あの馬鹿が出てきた。
 しかも何か良い雰囲気どころかレッドゾーンに突入しそうな勢いで。
「あり得ない。絶対あんなのあり得ない……! 私はあんな媚びキャラでも尽くし系でもないわよっ!」
 両手で頭を抱えて夢で見たシーンを巻き戻して再生し、確認したところで美琴は枕に向かって頭を埋める。
「あり得ないわよこんなの。この間ちょっと『守る』とか言われたくらいで何意識しちゃってんのよ私は」
 美琴の脳裏に蘇るのは、夏休みの終わりにビルの谷間で起きたあの事件。
「アイツはレベル0で私はレベル5。守るなら私がアイツを――でしょうが」
 少年は鉄骨に囲まれて、たった一言『守る』と宣言した。
 何の根拠もなく。
 何の理由もなく。
 海原光貴に請われるままに、高らかに。
「……人のいないところで勝手に約束なんかすんじゃないわよ、あの馬鹿」
 枕を誰かの身代わりに、美琴はぎゅっと抱きしめる。
「……あの馬鹿って、ああいうタイプの女の子が好きなのかなぁ……」
 呟きを枕に埋めて。
 熱を持つ吐息をわずかに残して。

「はぁ……」
 美琴は一人、ぼんやりとうつむき加減で通学路を歩く。
 食欲はなく、両手に持った学生鞄は重く、足取りはおぼつかない。
「これはもうあれだ、ストレスだ。きっとそう、そうに違いないわよ」
 自身の症状を、美琴は一言で片付ける。
「それもこれもあの馬鹿がいないから……」
 いつか二人で喋りながら歩いたあの帰り道にあの馬鹿の姿はない。昨日も今日も。
「そうよ! あの馬鹿がいないから、全力で能力を使えなくてストレスがたまってんのよっ!」
 むん、と美琴は右拳を握りしめるが、針を刺された風船のようにその勢いはしぼんだ。
「何でいないんだろ、あの馬鹿」
 何とはなしに、美琴の思考はいつか見た夢をなぞっていく。
 美琴が見た事もない笑顔を美琴に向ける少年。
 頬を赤らめ、照れくさそうに笑う少年。
 美琴の名前を呼んで、隣にいるのが当たり前のように振舞う少年。
「……! だからあんなのあり得ない! あり得ないんだってば!」
 ブンブンブンブン!! と美琴は頭を高速で横に振り、心に宿る幻想を追い払う。
「そうよあんなのはあり得ない! ……あり得ないんだから……」
 否定の言葉は願望の裏返し。
 あまりにも幸せなその幻を、美琴は手放す事ができない。
 夢の中身を反芻し、気づいては否定し、また再生を繰り返し。
 気づけば時間はあっという間に過ぎていく。
「もうこの際誰でも良いから絡んできてくれないかな……」
 ――そうすればひとときでもあの忌まわしい幻想を忘れる事ができるのに。
 空の上の無慈悲な神は美琴の物騒な願いに応えない。
 混沌とする彼女の思いを救う『彼』は今日も現れない。

◆         ◇         ◆         ◇         ◆


 眠れない。
 気になって眠れない。
 寝言が気になって眠れない。
 隣のベッドから聞こえる寝言が気になって眠れない。
 上掛けを蹴飛ばし枕をどけて、白井黒子は宵闇の中で起き上がる。
「ん……う………ばか………やだ……ねえってば……」
 白井の鼓膜に甘く囁きかけてくるのは美琴の寝言。
 ただし、その寝言は白井に向けてのものではない。
 白井が気づいているだけでもう三日。いろいろな意味で白井の精神状態にとってこれは良くない。
「お姉様、またあの殿方ですの……?」
 白井は頭の中でツンツン頭のモンタージュを作成し、すかさず顔のど真ん中に空想の金属矢を叩き込む。
 白井はある情報――と言っても大したことはないのだが を握っている。白井が所属する第一七七支部は言うに及ばず、風紀委員であれば全員が共有する情報だ。
 それは、ここのところ絶不調の美琴を救うであろう特効薬。
 美琴が下校後まっすぐ寮に帰ってくるのは上条が街にいないからで。
 美琴が夜遅くまでで歩いたりしないのも上条が学園都市にいないからで。
 白井はいつでも美琴の幸せを願っているが、それがあの憎き類人猿がらみなら話は別だ。美琴がどれだけ頼んだとしても、白井はこの情報を美琴に渡すつもりはなかった。
 八月三一日。
 あの日を境に美琴は激変した。
 ――あの日、美琴と上条の間に何かがあった。
 美琴は事もあろうに上条と寮の前で逢引し、そのまま上条を連れていずこかへと立ち去った。あのあと二人に何があったのか、想像するだけでも白井の心は千々に乱れる。
「……お姉様。お姉様の味方になりたい人間ならすぐおそばにいるんですのよ? 何故あの殿方なのですの? どうしてあの類人猿をお姉様は……」
 そっと。
 白井は隣のベッドで眠る美琴に歌うように語りかける。
 夢の中でも上条を追う美琴の姿に、無理矢理な作り笑いを浮かべて。

「あー……黒子悪い。このお皿も下げといてくれる?」
「お姉様、お食事はちゃんと摂ってくださいませ! もう四日もまともに物を口にしていないではありませんの!」
「いやー……ほら、最近能力を使う機会がないからカロリーも消費してませんって奴? ここんとこ全然お腹空かないのよね、私」
 晩夏の太陽にさらされたテラスの一角で、少しやつれた美琴がその質量のほとんどを消費されなかった昼食を押しやりあははと笑う。
「こうなりましたら強制的にお姉様の胃袋にこの海藻サラダをテレポートいたしましょうかしらね」
 手のつかなかったサラダをウェイトレスが運ぶように手首を曲げて掌の上に乗せ、白井が美琴をねめつける。
「馬鹿ね。丸のまま食べもんテレポートされたらそれこそ消化不良で胃が悪くなるわよ。ごちそうさま、気持ちだけもらっとくから」
 昼休み終了のチャイムに誘われるように、美琴は席を立ちひらひらと掌を白井に振る。
「お姉様、そろそろご自身の状態にお気づきになってくださいませ。お姉様の食欲がないのは能力を使っていないからではなく……」
 恋わずらいという不治の病に冒されて、以前より細くなった美琴の後ろ姿に白井は臍を噛む。
 世界はいつだって、白井にとってに最も承伏できない形で最適な解を用意する。

「あーあ、何かだっるいなー。これじゃ今能力使えって言われても砂鉄の剣はおろか雷撃の槍も飛ばせないわね」
 美琴は薄っぺらなカバンを肩に担ぎ、けだるげに放課後の街を歩く。
 別にダイエットをしているわけでないが、どうも食欲が湧かない。調子が出ない。
 足元がおぼつかなくなって、手近な自販機に寄りかかる。
「ふぅ……」
 美琴は空を仰いで、夕方の日差しを遮るように右腕を額に差しかけ軽く目を閉じる。
「何かもう夢でも良いから会いたくなってきたわよ、アイツに」
 まぶたの裏にだんだん輪郭がぼやけていくツンツン頭を思い浮かべて
「勝負とかどうでも良いから、せめて声だけでも聞けたらな……」
「あれ、御坂? お前こんなとこで何やって」
「……そこかあーっ!」
 聞き覚えのある声に呼応するように、美琴の前髪から全力の雷撃の槍が飛んだ。
「ぬぅおうわあああああァぁぁぁぁあっ!?」
 ツンツン頭の少年はとっさに右の拳を頭上に突き出し、避雷針のように構えて槍を打ち消す。
「……い、い、いきなりにゃにすんれすか御坂センセーっ?」
「アンタが悪いのよっ!」
「久しぶりに会ったってのに何だって逆ギレで迎えられなくちゃならないんだよ!」
 俺が一体何をした! と涙目で上条当麻が無罪を訴える。
「アンタが私に何にも言わずにどっか行っちゃうからでしょっ!」
 こちらも涙目で美琴が不幸な被告人にもの申す。
「何も言わずに、って……」
 久しぶりに会う美琴に目を細めつつ、やれやれと上条は肩をすくめる。
「そりゃそうだろ。お前同じ学校じゃないんだから」
「当たり前の事言うんじゃないわよっ! アンタ、私に内緒でどこ行ってたのよ! 一から一〇まできっちり説明してもらうわよっ!!」
 ぎゃあああっ! と美琴が両手を振り回して叫ぶ。
「……あのさ、俺が広域社会見学に行くのに何でいちいちお前に許可もらわなくちゃなんねーの?」
「……へっ? こう……いき……?」
「そうだよ。お前だって今月頭に学芸都市に行ってただろうが。うちの学校は常盤台とほぼ入れ替わりで広域社会見学だったの。っつーてもお前らお嬢様学校と違ってこっちは日本の古都巡りだったけどな」
 わかったか? と片目をつぶって腕を組み美琴を見やる上条に
「は、はは、何だ、広域社会見学か……。私は、また、てっきりアンタが……アンタがやっかいな……事件に……」
 美琴の足が力なく一歩前に踏み出され、そこで操り人形の糸がぷつりと切れたかのように膝から崩れ落ちる。
「御坂? おいっ?」
 上条はとっさに前に踏み込むと両腕を限界まで伸ばし、美琴の両脇に差し入れる。美琴の膝が地面に付く一五cm手前で上条の腕が美琴の肩を引っかけ、体の落下を防いだ。
「お、おいどうした御坂? しっかりしろ? どっか具合悪いのか?」
「…………で……電池切れ。というより…………ガス欠かも」
「…………………………………………………………はあ?」

「『珍種、はらぺこ超電磁砲発見!』なんて今時どこの学校の学級新聞でも取り上げてくんねーぞ。ほれ」
 上条は美琴の前にチキンバーガーセットの乗ったトレイを差し出す。
 あのあと上条は美琴を手近なファーストフード店に担ぎ込み、適当な席に座らせると『ちっとここで待ってろ』と言ってレジ待ちの行列に並び、美琴の分のチキンバーガー、ポテト、アイスティーのセットと自分の分のコーラMサイズを買って戻ってきた。
「それ食え。お前の口に合うかどうかはわかんねーけど、ないよりマシだろ」
 上条はチキンバーガーの包みを開くと美琴の手に握らせて
「夕飯の時間まで持たないほど腹が減るならダイエットとか気にしないで何か食った方が体のためだぞ?」
「あ…………うん」
 高カロリーの固まりを持ったまま、美琴はぼんやりと上条を見つめる。
「えっと……これ」
「お前にゃホットドッグおごってもらってるからな。それのお返しにもなんねーけどとりあえず食っとけ。ったく、お前まではらぺこキャラの仲間入りは勘弁してくれよな」
 上条には何か食生活で深いお悩みでもあるのだろうか。
 コーラのストローをくわえてズルズルと啜る上条を見ながら、美琴は『いただきます』と言って両手に握らされたそれにかわいらしくかじり付く。
「あそこで俺に会わなかったら、お前行き倒れてたのか? しっかりしろよ常盤台中学のエース様?」
「うーん……ここんとこ何だかずっと食欲なくてね。別にダイエットとかじゃないんだけど。たっ、たまたまアンタに会って雷撃の槍使ったらそこでいろいろ使い果たしちゃったみたい」
「そっか。けどよ、出会い頭に電撃とかは勘弁してくれ。そりゃ学園都市に帰ってきた気分には浸れるけど、俺の命も同時に底なし沼に浸っちまう」
「うん。……ごめん。つい条件反射で」
「もはや憎しみではなく習性で迎撃かよ! ……あー良いからそれ食え食え」
 上条は腕を伸ばし、チョップの代わりに美琴の頭をポンポンと軽く叩く。
 私を子供扱いするなっ! と思いつつ、上条の手の感触がうれしくて美琴は小さく微笑む。そうして小動物のようにチキンバーガーを口に運びながら
「そう言えばさ、アンタの広域社会見学ってどのあたりを回ってきたの?」
「あん? 俺達は京都・奈良・大阪だよ。大仏見たり鹿見たり寺見たり? 一体何年前の修学旅行って感じだよ。まるで社会見学って言うよりありゃ先生達の慰安旅行みたいだったぞ? どこに行っても団体行動ばっかだし、つまんねーったらありゃしねえ。あ、そうだ。お前に土産買ってきたんだよ。ほれ」
 上条は胸のポケットから小さな紙袋を一つ取り出し、美琴の前に差し出す。美琴は食べかけのチキンバーガーをトレイに置くと、両手でそれを受け取った。
「気に入るかどうかはわかんねーけど……あああっ!?」
 紙袋が上条の手から美琴に渡った瞬間、上条は美琴の右肩のあたりからやや上を見て、頭を抱えてテーブルに伏せた。
「何? どしたの?」
「ああ、いや、えっと……どうしたものかな」
 上条は美琴の視線を避けるように、頭を抱えたまま美琴の頭を指差して
「? 私おでこキャラじゃないんだけど」
「……いや、おでこがどうとかじゃなくてだな」
 頭を抱えたままああやべえどうしようしまったなどとぶつぶつ呟いている。
 美琴は?マークを頭上に浮かべたまま紙袋を開き、中身を滑らせて掌に落とした。
「……………………あれ?」
 紙袋の中から出てきたのは、ヘアピンが二本。
 一本ずつ、それぞれに五つの花弁に分かれた白い花の飾りがつけられている。
 ちょうどそれは、美琴が今髪を留めている物と同じ形で
「……………………うがー」
 上条は謎の唸り声を上げ、美琴の髪を指差したまま顔をテーブルの上に伏せる。

「悪りぃ御坂。土産かぶっちまった」
「え?」
「何を見てもピンと来なかったんだが、それ見た瞬間お前に似合うだろうなと思って買ってきたんだ。そうか、一目見て『これだ』って閃いたのはお前がそれをつけていたところを広域社会見学に出る前に見てたからだったのか。道理で手に取った瞬間納得したわけだ。ということで悪りぃ御坂、それ返してくれ。今度別の何かをプレゼントすっから土産の事は……御坂?」
 上条の言葉が耳に届いていないのか、美琴は無言で自分の髪からヘアピンを外すとそれぞれを片手に乗せてしげしげと見比べる。
 美琴が今身につけているのは、花飾りの部分が光沢のある白で色づけられている。
 一方上条が贈った物は、花飾りが光の加減によって色合いが変わるパールホワイトで彩られ、花弁の中央から外周にかけて一筋、目をこらさねばわからぬほどに淡いピンクが差し色として使われている。よく見ると花弁の造形もやや違っていて、上条の土産の方は若干緩いカーブを描き、より立体的な雰囲気を醸し出す。
「あのー、御坂? 今度時間がある時に何か代わりの物を捜しとくからそれは……」
 美琴は何度も何度も二つのヘアピンを見比べて
「アンタは……これが私に似合うと思って買ってきてくれたんでしょ?」
「……そうだけど?」
 テーブルに突っ伏したままの上条が両手で頭をかばいながら視線を上げる。
「だったら、これで良い。……これが良い」
「お前、怒ってねーの? それ同じ物じゃんか」
「何で怒るのよ?」
 美琴は上条から受け取ったヘアピンを使いパチン、パチンと髪型を整える。掌で最後にサイドの髪をかきあげると
「似合う?」
 茶色の髪を流すように留めたヘアピンを上条に指差して見せる。
「似合う? って言われても同じ物つけてんだから……」
「どうなのよ?」
 美琴が泣き出しそうな目で上条を見つめる。
 上条ははいはいわかったよと言うように
「……少なくとも俺はそれ、似合うと思うぞ」
「……ありがと。これ、大事にするね。アンタが似合うって選んでくれた物だから」
 美琴は小さく安堵の息を漏らすと、自分が持っていた方のヘアピンを紙袋の中にしまい、小さく折りたたんでポケットに収めた。
「……、気に入ってくれたなら買ってきた甲斐があったよ。んじゃ俺、そろそろ晩飯の支度があるから行くぞ。またな」
「あ! ちょっと待ってよ広域社会見学の話を……」 
 美琴の声は周囲のざわめきにかき消され、上条の耳には届かない。
 上条は振り返ることなく階段を降り、一階の出入り口からファーストフード店を後にした。
「……って、行っちゃった。……あーあ、久しぶりに話する機会だったのに」
 美琴はトレイの上の冷めかけたポテトを一本つまんで口にする。
「似合う、か…………アイツから初めて言われた、そんなこと」
 直後、美琴は片手でガバッと口元を押さえ頬を指で思い切りつねった。
 自然に緩んでくる顔の筋肉を何とかしてコントロールしようと思うのだがうまくいかない。
 夢より美琴の心を揺さぶる本物の声が、美琴の耳の中でリフレインする。
「似合う、って……照れるじゃない。馬鹿」
 放課後のファーストフード店、二階のノースモーキングフロア。
 そこに、夢で見た二人の姿を否定した美琴はいなかった。

「ただいまー。黒子、今日は帰りが早いのね」
 自室に灯る明かりでルームメイトが先に戻ってきている事を知った美琴は、威勢良く二〇八号室のドアを開けて学生鞄をベッドの上にポン、と放り出す。
「お帰りなさいませお姉様。ええ、今日は特に書類仕事もなかったものですから……あら?」
 机に向かって何やらノートパソコンのキーを叩いていた白井が振り向いて立ち上がり、美琴を迎え入れた。白井は何か違和感を感じたのか、空間移動して頭の先からつま先までジロジロと微に入り細に入り美琴を観察する。
「な、何? 黒子、私どっか変?」
 上条からもらったヘアピンが見つかりませんようにと、心の中で冷や汗をかきつつ半歩身を引く美琴に
「変、と言いましょうか……。お姉様のお召し物は今朝とどこも違ってないのですけれども何かどこかが違うような……はて?」
 白井は人差し指の先をこめかみに当ててうーん、と唸る。
 上条が美琴に贈ったヘアピンは、美琴が元から所有している物とほぼ寸分違わぬサイズのため、じっくり観察しなければその違いを見抜く事はできない。
 美琴ウォッチャーであり美琴のストーカーを自認する白井が美琴を一目見て微妙な違いに気づき、違和感の元が何であるかまでたどり着けなかったとしても、そこは誇りこそすれ悩むような問題ではない。
 ……誇られても美琴にしてみれば良い迷惑だが。
 白井は違和感の正体について捜索する事を断念し、
「そう言えばお姉様、今朝よりだいぶ顔色が良いご様子ですけれど。何かお口にされたんですの? まさかおかしな物を召し上がったわけではありませんのよね?」
「あ、うん。えっとハンバーガーをあの馬鹿……じゃなかった、久しぶりにお腹空いたんで外で食べてきた。あはは、あははは……」
「食欲が戻られたのは結構ですけれども、そのようなジャンクフードはお肌に良くありませんのよ?」
 渋い顔をして、壁に掛けたカレンダーの日付を確認する。
 今日は上条の学年が広域社会見学から戻る日だ。
 風紀委員は学園都市内の治安を守る都合上、各校のイベントスケジュールなどを相互に交換し合い、把握して活動に役立てている。今日はどこどこの学校で発表会が行われるから付近のコンビニが混雑するだろうということで道路清掃のチェックを、とかどこどこの何学年が広域社会見学に出発するので風紀委員の人数が減るから周辺の見回り強化、と言った具合にである。
 そしてこのタイミングで美琴の復調だ。美琴が今日上条と何らかの接触を持った事は白井でも容易に想像できる。しかし何があったのかは、美琴の上辺から知り得る事はできない。
(よもやお姉様があの類人猿とお肌つやつやになるほど密接なスキンシップでも図られたという事ですの?)
 実際は、美琴が久々に高カロリーのジャンクフードを口にしたので脂肪分が一気に体内に吸収されただけなのだが、そのあたりの背景を知らない白井にしてみればあれやこれやの妄想が一気に頭を駆け巡ってしまっても無理はない。
 というより自分を基準にしてスキンシップなどという妄想に持ち込んでしまう白井の脳内回路がそもそも何か間違っているんじゃないだろうか。
(お姉様があの類人猿と、お姉様があの類人猿と…………おのれ許すまじあのクソ若造がァああああ!!)
「もしもーし? 黒子? ねぇ黒子ったら。いきなり部屋の真ん中で固まってアンタ一体どうしたの?」
 怒りで目を血走らせたまま一切の動作を止めた白井の前で美琴がパタパタと手を振るが、脳内で上条を惨殺中の白井にそんなものは見えていない。
 世界はいつだって、白井にとってに最も理解しがたい形で最適な解を用意する。

 カエル柄をちりばめた半袖のパジャマに着替え終わった美琴が、パチンパチンとヘアピンを茶色の髪から外し、二つ揃えて壊れ物を扱うようにそっと机の上に置いた。わずかに残された学習灯の光を吸い込んで、パールホワイトの花飾りが暗闇の中で淡く揺らめく。
(お土産とはいえ、アイツから初めてのプレゼントか……)
 誰も見ていないのに、自然とほころぶ口元を隠しきれず美琴は慌てる。
(い、いや別にアイツは特に深い意味は考えてなくて、ただ単に広域社会見学のお土産って事でヘアピンを買ってきたんだから。そうよ、アイツは私にとって倒さなきゃならない敵。越えなきゃいけないハードルであってそこに深い意味なんてない! ないんだから……)
 灯りを消し、ベッドに戻って浅く腰掛けた美琴がとてつもないスピードで百面相を始める。白井はここ数日のあれやこれやな疲れがたまったのか、珍しく美琴に背を向けて先に寝入っている。
(でも似合うって言ってくれた。初めてアイツがほめてくれて)
 美琴は両手で赤くなる顔を覆い、
(それって、私があのヘアピンを選んでつけた時『似合う』って言ってくれたのと同じって事よね)
 両足を床から浮かせてジタバタと振り、
(…………どうしよう。アイツにほめられちゃった)
 そのまま背中からベッドにぱたりと倒れ込む。
(あーもー、こう言うの何て言ったらいいか……わかんないわよ)
 美琴は枕を頭の下に差し入れて、右足の親指を使ってくしゃくしゃになった上掛けを引き寄せ、頭からすっぽりとかぶる。美琴はその場でスキップしたくなるような、浮き足立つような、じっとしていられない感覚に身悶えし、枕を抱えて左右にゴロゴロと転がる。
(明日からはアイツも学校だし、これで退屈しないですみそうね。待ってなさいよあの馬鹿、明日こそは……けっちゃく………)
 二〇八号室に、女の子の浅く小さな寝息が二つ。
 朝の日差しがその窓を叩くまで。夜の闇が静かにその場を立ち去るまで。
 彼女たちの眠りを、夢が包み込む。

 美琴が『常盤台中学内伝おばーちゃん式ナナメ四五度からの打撃による故障機械再生法』を叩き込むいつもの自販機に寄りかかっていると、ツンツン頭の少年が眠そうにあくびをしながら通りがかった。
「おっ、おはよっ!」
 御坂美琴は大きく手を振って、ツンツン頭の少年こと上条当麻の隣に並ぶ。
「ああ……おはよう御坂。今日もお前は元気だな。何だ、今朝は待ち伏せか?」
 学生鞄を担ぎ直しながら、なおも眠そうに上条はあくびをする。
「別に待ち伏せじゃないわよ。たまにはゆっくり歩いて学校まで行こうと思ってここで時間をつぶしていただけ。んで、アンタは相も変わらずローテンションね。また夜遅くまでゲームでもしてたの? 宿題はちゃんとやった?」
 美琴は言葉を交わしながらさりげなく上条の隣を占め、歩幅を合わせようとする。
「やったやった。……何でお前がそこまで俺の生活を把握してるんだ?」
 まさかそんなところが夢の通りだったとは言えず、美琴は口ごもる。
「……まあ何だって良いか」
 上条はどことなく美琴の機嫌が良い事を訝しみつつ、朝っぱらから電撃が飛んでこないなら平和だねなどと考える。美琴が隣で早足気味に歩くのを見て、上条は歩く速度を隣の少女にそっと合わせた。
「き、昨日は……その、ありがと……」
「? 何かあったっけ?」
 すぐ隣を歩きながら上条に聞き取れないくらいの小さな音量で何かをぶつぶつ口にする美琴に、上条はもしかしてこれって平和なんかじゃなくて本当は激発三秒前ですかと自分だけの不幸な現実(パーソナルリアリティ)を予想しつつ右手を準備する。
「べ、別に何もないわよ。何も……」
 否定するように振られた頭に合わせて、美琴の茶色の髪に留められたパールホワイトの花飾りが揺れる。
「そっか、何もないなら平和で結構」
 上条はふう、と安堵のため息をついて鞄を肩に担ぎ直す。
「ああ、ボケっと歩いてたらもうこんなところか。そろそろお前も急がないとまずいんじゃねーの?」
 二人が歩くこの道を西に行けば学舎の園、東は上条の通うとある高校に続いている。
「んじゃな御坂。飯は好き嫌いせず食うんだぞ? たくさん食って大きくなれよ?」
「私は別に偏食もダイエットもしてないってば! ちょっとすたすた学校行かないで人の話を聞きなさいよこらーっ!」
 上条はああはいはい聞こえてますよと言うそぶりでひらひらと掌を振り、美琴に背中を向けた。
 自分より大きな背中を見つめていた美琴がいつもの道へ足を踏み出すその瞬間、美琴は夢と同じように右足を大きく踏み込んで半身を翻し、右手を伸ばして上条の腕を取る。

 ……あと一歩が届かなかった右手は、ついさっきまで上条が存在していた空間を掴んだ。
「当……麻……」
 知らず、美琴の口から呟きが漏れる。
「夢と同じようには、行かないか。はは、そうよね。私ってば何やってんだろ」
 空を切った右手でグーとパーを作る動作を繰り返し、一人切なく笑って美琴は視線を上げる。
「……ホント何やってんだろ私。アイツを呼び止めて何がしたかったのよ? あれは夢であって現実じゃないんだから。現実じゃ……ないんだから」
 遠くなる背中。
 決して振り向かない背中。
 美琴は、小さくなっていくその背中を見据えて、
「アイツは……私が倒さなきゃいけない相手であって……」
 ――違う。
「人の話を聞かない、ホントムカつく奴で」
 ――そうじゃない。
「ひと、を、ばかに、して……」
 夏休みが終わる日に初めて感じた美琴の中心軸を揺さぶる何かが、美琴の言葉を否定するように再び暴れ出す。蒸気のように出口を求めて吹き出そうとする『それ』をもう一度押さえねばならない苦痛で美琴の頬がゆがんでいく。
 何故上条を見ているとこんなにも胸がざわめくのか。
 あと何回上条に会ったら、この正体不明の苦しさを乗り越えられるのか。
 ……馬鹿げてる。アイツの存在が自分だけの現実に影響するなんてあり得ない。
 薄っぺらいカバンを担ぎ直し、首を大きく横に振ると大きくため息をついて美琴は学舎の園への道を一人歩きだす。
 停留所前を通り過ぎると学バスを降りた生徒達が一人、二人と美琴を追い越してそれぞれが挨拶や会話に興じる。美琴は少女達の声を聞き流し、学生証を取り出すとゲートにかざして通過した。
 ここから先は男子禁制乙女のエリア。野郎の影など数えるほどしか見いだせない。
 ゲートをくぐり抜けると、九月の太陽が朝の光を美琴に投げかける。
 雲一つなく晴れ渡った空を見上げて、美琴は思う。
 上条は、自分にとって何なのだろう。
 あの背中のように手を伸ばせば届くようでいて、届かない存在。
 美琴だけがムキになって追いかけるが、上条が自ら振り向くことは一度としてない。
 ――自分は、上条にとって……
「……バッカじゃないの、私。アイツはいつか私が倒すんだから。そんで学園都市第三位の実力を思い知らせてやんのよ。あんな奴は……別に……何でもなくて……」
 世界はいつだって、美琴にとってに最も遠い場所で最適な解を用意する。
 あの日上条当麻が心に点した切ない痛みを抱きしめて、御坂美琴は茶色の髪をまとめたヘアピンと共に風を切って歩き出した。
 今日もまた、常盤台のお嬢様の平和で騒々しい一日が始まる。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー