turn_me_on 2
乗り越えるべき壁が現れたのなら乗り越えていけば良いだけの話であり、
それが出来ないなら記憶を失っても失う前の自分が動かしているのだと当たり前のように語った上条の隣には立てないだろうと考える。
「でも、今は無理。だって、ヤバイんだもん」
はふぅと甘い溜息が室内に消え、美琴は腹筋を使って起き上がった。
「まずは今日やるべき事をやらなきゃね」
それが御坂美琴だった。
風呂に入り肌を磨き体が火照っている内にしっかりとスキンケアをし、血行を良くする為にストレッチをし、読んでおこうと用意しておいた資料やニュースに目を通す。
普段の生活をこなすことが最善だと信じて。
ただこれまでと違う部分があるとするなら、それらをこなす合間合間にあの少年の姿や声が蘇ることだ。
あの少年、上条の姿が現れる度に頬が緩み、声を思い出すだけで少しだけボンヤリとしてしまう。
その度に負けるな自分と言い聞かせるのだが、努力も虚しく頬を緩めボンヤリとしてしまっていた。
「はぁ、今あの馬鹿は何やってんだろ」
『一端覧祭』の準備もあるから会えなくなるだろうけど、そこら辺は時間を作ればいいだけのことだ。と、美琴は頭の中に入れてあるスケジュールを組立て直す。
いつの間にか上条とどうすれば一緒にいられるのかとスケジュール調整をするだけに専念していた。
それに気付くのは、風紀委員の仕事から帰ってきた白井に飛びつかれるまでの数十分後。
とっとと風呂に入れと白井を押し込んでから無駄に時間を過ごしたことに気付き後悔し、もういいやとベッドに潜り込んだ。
世間一般で言われる自分の胸の中に現れた感情に改めて感心し、美琴は寝てしまおうと思った。
「明日、あの馬鹿に逢えるかな」
言ってしまってから無性に照れてしまい美琴はベッドの中で悶える。けれどそれはとても心地よく、すぐに現れた睡魔に身を預けるのだった。
・5
すでにファミレスから離れて随分経っていた。
色んな店を冷やかしたりしているうちに完全下校時刻が近づき始め、周りにいた中学生達の姿も少なくなっている。
風紀委員としての顔も見え隠れしている白井と初春は特に気にしていないような表情をしているが、
良く見てみれば付近でトラブルが起きていないか目を光らせていた。
佐天も最近の学園都市の異常に思う所が有るのか、そろそろ解散しましょうと自分から切り出した。
「そうですわね。最近、変な事件というか現象が多発しておりますの」
「私たち風紀委員も情報を集めていますけど、中々上手くいかない感じで」
「おそらく上から情報が降りてきていないのでしょうね。警備員の方々ですら全体を掴めていない様子ですし、何かきな臭いものを感じますわね」
佐天に応えるように初春と白井が風紀委員の内情を語った。
他人に聞かせるようなものではないだろが、佐天だって風紀委員の詰所に出入りしていてガードが緩いのだろうと美琴は思った。
おそらく上条が相手をしているのはそういう謎の集団や勢力なのだろう。
学園都市に突如現れた鋭く尖った翼のようなモノを持った正体不明の相手を『友達』と言い、黒ずくめの武装集団に追われていたり、
集中治療室から抜け出して来たようなボロボロの悲惨な姿で仲間を助けに行くのだと言い、
紛争が起きていると報道がされている海外の地域から科学的な知識を求めて電話をかけてきたり。
美琴はそれを白井達に知られるわけにはいかないと、何も知らないふりをした。
「お姉さまも、何かあってもご自分で何とかなさろうとせずに、助けをお求めになられて下さいまし」
白井から釘をさされてしまった。
そう、白井は美琴が何かを掴んでいると感づいている。
少なくとも、自分たち風紀委員が知らない情報を握っているのではと疑っているのを、
白井なりの優しさで包んだセリフに乗せてこう言っているのだ。
お喋りになられないと助けられませんの。
美琴は「ええ、そうね。最近、物騒だもんね」としらを切り、白井は意に介してない態度で見事に受け流した。
お姉さまと慕っていればこそ、美琴の為になるのなら逆の態度だってとってみせる。美琴は大した女だと感心した。
そのまま白井と初春は佐天を送っていき、美琴は先に寮へと戻ることになった。
『一端覧祭』の準備もあれば普通の生活を送らなければならないという事情もあった。
普段の生活をキチンとして周りに御坂美琴を示してみせるからこそ何かあった時に動きやすくなる。
周りの自分に対する評価を利用することでたまの朝帰りも噂程度で終わってしまうのだ。
御坂様が朝帰りをしている。
そんな噂もしばらくすれば消えて無くなるもので、常盤台の女子生徒達も別の噂でささやかな楽しみを得るのだ。
「ま、別に騙してはいないし、気にしないけどね」
寮まではまだまだ遠い繁華街。そこは数日前に上条と過ごした所で、運が良ければ上条がふらりと姿を表すのではと
美琴はきょろきょろと辺りを確認しながら歩いた。
携帯には上条の電話番号やメルアドが登録されてるのだから連絡を取ればいいのだが、
そのあたりは自分からは出来ないという常盤台のお嬢様教育で得た奥ゆかしさだ。単に恥ずかしいだけともいうが。
「居ない……わよね。流石に偶然会うってのもないわ……って?」
カエルの顔の形をした携帯電話が鳴り、美琴は誰からだろうと手に取った。
自分からかけてみようとしてすっかり見慣れてしまった電話番号と、その番号の持主の名前が表示されている。
「……ふにゃ。って、ダメダメ」
切れない内に早く出なきゃとわたわたして電話に出ると、何やら風が強いらしくビュービューと音がしている。
美琴の頭の中には、似たようなパターンが過去にあったと警告する。例えば、こんな時には決まって海外から――
『あー御坂か? 今、ロシアなんだけど』
何も言わずに力いっぱいに通話ボタンを押して電話を切ると、気分を切り替えるために上条の声を忘れて歩き出した。
すぐにまたカエル顔の形をした携帯電話が震えて知らせる。
『あーゴメンな。流石に学園都市製の携帯でも、ロシアのこの吹雪だとまずかったか』
「マズいマズくない以前に、ロシアから電話かけてくる事自体がマズいってんのよ! 携帯が電波悪くて切れたんじゃなくて、私が切ったのよこのド馬鹿!」
周りの通行人達も、あこがれの常盤台のお嬢様を見つけ眼福眼福という視線を送っていたが、
急に電撃をビリビリッと発生させて電話相手に怒りだしたので逃げ出して行った。
美琴は人気のない公園の方へと足を運びながら、携帯の向こうでビュービュー吹き荒れている吹雪の音を聞いていた。
よくよくしっかり聞いてみれば、吹雪に混じって女の子の声が聞こえているようにも思える。それも一人ではなく複数。
『ねぇカミジョウ。使えない学園都市の女よりも、私達で何とか出来そうよ』
聞こえるようにも思えるどころではなく、はっきりと聞こえる女の子の声。『上条』の発音から外人が日本語を使っているようなイントネーションを感じる。
ということはロシア娘だろうか。
「ちょっと待ちなさいよアンタ。あの銀髪シスターだけじゃ飽き足らず、今度はロシア女をひっかけてんの!?」
『違う、案内役を頼んだんだよ! って、おいレッサー、あんまり男の子のバッグを漁らないでー』
『年頃の男のバッグとか、あんな本やこんな本がどっさり一杯詰まってるに決まってるじゃなーい!』
「なななな何やってんのよーっ! ロシア娘といちゃいちゃしてるのを見せつけるために国際電話なんてしてきたのかこの馬鹿!」
『これは関係ないんだ! 金が無いから古い車を借りたんだけど、ナビも古くてさ。それでナビの使い方を知りたいんだ』
分かってる。上条が自分から美味しい思いを出来るわけがないということくらい。
きっと、何か事情があってロシアでレンタカーなぞ借りて行きたい所があることくらい、そんなことくらい分かってる。
「ナビって、メーカーとか何か情報は無いの?」
冷静になれ美琴。
そう言い聞かせて待っていると、吹雪の音に紛れてまた別の女の子の声がした。
『あんっ、カミジョウ狭いんだから』
甘ったるい声。これは相手が男だからと「作った媚び声」に間違いない。
『おっとっと、悪い悪い。えーと、どこを見ればいいんだ御坂』
「モニターの周りの縁にでも書いてるんじゃないの!」
『何を怒ってるんだ? って、上条さんロシア語読めないんですが』
「知らないわよそんなの」
急に脱力した美琴は近くに立っていた外灯に背を預け、この電話もう切っちゃうかと真剣に悩んだ。
『みんなはこれ読める?』
電話の向こうでは一緒に同車している何人かの女の子にロシア語を読ませているらしく、
美琴は彼女たちの声だけできっと美少女なのだろうと思った。というか確定した。
あの銀髪のシスターだって思い出してみれば、思いっきり美少女の範疇に入る顔立ちで可愛らしかったのだ。
それの亜種なのだろうから美少女じゃないわけがない。
『ねぇカミジョウ。電話の相手は日本に置いてきた彼女なの?』
レッサーと呼ばれた子だろうか、一番子供っぽい声がして、美琴は電話の向こうの女の子は明らかに自分に挑戦しているのだと思った。
上条に聞いているのではない、電話を通してロシアから日本にいる美琴への挑戦状だ。
『は? 御坂はすごいヤツなんだよ。電気を使う能力者でさ、頭も良いんだぜ? 俺なんかの彼女になるわけないだろ』
イラッときた。
凄くイラッときたが、それは今の自分なら当然だろう。何のアピールも積極性も出してないのだから、こんな評価なら上出来だろう。
けれど、分かって良てもイラッとすることにはかわりない。
『んふ。じゃあチャンスありですねー。命を救ってもらったんだし、多めに恩を返しちゃったりしちゃったり?』
『んおおおっ。上条さんの太ももに小悪魔的な尻尾が絡みついて、良い感じにギュッギュって締められて!?』
『あ、ふくらはぎを掴まないで……レッサー程度の力ならまだ良いけど、男の子の腕力でそんな風に揉まれたら……あぁっ!』
『ベ、ベイロープが見たことない感じにエロエロにテンパってる!』
もう良いよね。
美琴はすぅと思いっきり空気を吸い込んだ。
「またアンタは誰かのピンチに駆けつけて、いつの間にか夢中にさせて虜にしちゃってるクチかあああああああああああああっ!
ロシアの吹雪に凍らされてしまって、数百年後に解凍されて、未来の技術でその体質を改善してもらいなさいっ!!」
怒りで放電されたスパークで外灯の明かりが消え、カエル顔の形をした携帯も待ち受け画面に変わっている。
通話を切ってしまってから、ナビの件はどうしたものかと持ち前の世話好きが顔を出した。が、そんなものはすぐに押さえ込んで別の部屋へ押しやり鍵をかけた。
何も聞かなかったし何も知らない。
ロシアに居るんだ。と星と月の位置からロシアの方向の空を眺め、美琴はくしゅんとくしゃみをした。
すでに十月も中旬を過ぎ、街の気候も秋の様相を見せている。
「あーもう。たった数ヶ月で私は変わっちゃったなぁ」
もう一度携帯へ目を落とす。早くかけてきなさいよと呟くと、それに合わせたようにカエル顔の形した携帯が着信を知らせた。
まるで気持ちが通じ合っているような出来事に美琴は泣きそうな笑顔を浮かべ、電話に出た。
『あぁ御坂か? ホントごめんな電波が悪くて! って、暖房を一番強くしても暖かくならないからって、抱きつかないでくれますか!!
いや、柔らかくていい匂いで、外人美少女に四方から抱きつかれる素敵イベントなんて大歓迎ですが、今はナビを操作する方が先だーっ!!』
『カミジョウ、照れる照れないの問題じゃなくて、ロシアの実力を見誤った格好で乗り込んだ私達の失敗!?
まさかこんなに寒いなんて思わなくて、これじゃ冷凍車の中に居るより寒い感じで、フリーズドライになっちゃうわけで?』
あぁ今の私って良い感じにブチ切れてるわ。と、自然に放出されていたスパークによって消えていた外灯に電気が供給され、ビッカーと辺りを照らした。
『み、御坂! 頼む、携帯のカメラで画像送るから、ナビの扱い方を教えてくれ。お前だけが頼りなんだ!』
美琴はスパークを出し続けるが、その意味合いが反転する。
お前だけが頼りなんだ。
上条の必死な凍えていて震えた声は嘘偽りないということで。
『……御坂、頼む』
上条の訴えかけるような真剣で真摯さ満点の声に、美琴は一度ブルりと体を震わせて、携帯を落とさないように両手で支え大切に扱った。
『……御坂』
「ちょっと待って。すぐにメーカーと機種を判別するから」
美琴は何を言ったのか自分でも分からないくらい慌てていた中、なんとか貸し一つだからと約束を取り付けると、
ナビの操作方法と設定を教え目的地の入力と日本語ナビへの切り替えを済ませた。
美琴にとっては、頭の中にあるマニュアルを読み上げるかのような、至極簡単な仕事で上条との約束をとりつけれたのだから儲けたものだ。
電話を切った後、ステップするような軽い足取りで常盤台の寮に帰ると、わずか数日前と同じように寮監がメガネを光らせ立っていた。
前回とは違い門限ギリギリということでもなく、美琴は軽く頭を下げると足早にその場を去ろうとして、
「どうした御坂。随分と機嫌が良いようだな」
「は、はい?」
門限は守っているだけになぜ呼び止められたのか分からない。
寮監は自分の前まで戻ってくるように美琴に言うと、少しだけズレていたのかメガネの位置を直した。
身長差があるために自然と美琴は寮監を見上げる形になる。
「さて、御坂。なぜ呼び止められたか、分かるか?」
「さ、さて、なぜでしょうか」
尖ったメガネがギラリと瞬く。
「先程な、ある噂が耳に入ってきたのだ」
「うわさ?」
「そうだ。なんでも繁華街から近い外灯の下で怒りながら携帯をかけスパークを撒き散らす発電能力者がいると。
そして、その能力者は桁外れの力を意識せずに使え、常盤台中学の格好をしていたそうだ」
寮監から一歩後ずさろうとして、「動くな!」と一喝された。
「なぁ御坂。私は常々言っているな? 常盤台の、そしてこの寮の名に恥ぬ立ち振る舞いを行えと」
「は、はい!」
ならば大人しく首を差し出すことだ。とポキポキ手を鳴らしながら寮監は近づくと、美琴が反応する前に首に手を回した。
「御坂、何か言い残すことはあるか?」
「出来れば優しくしていただけると……うげっ」
そんなお嬢様らしくないカエルが鳴くような声をあげ、美琴の意識は途絶えかけた。
完全に意識が無くなる寸前、寮監の「まったく、思春期で浮かれおって」という羨ましそうな声だけがやけに美琴の記憶に残った。
寮監に引き摺られ部屋に帰ってきた美琴を見た白井は、御坂の世話をしてやれとの命を受ける。
「気を失っていらっしゃるのに、どうしてこれほど幸せそうなお顔をなさっていたのでしょう。……はっ、まさかお姉さまったら、M(そっち)の気がおありになって!?」
生暖かいハァハァと音を立てる風を頬に受けぼんやりと覚醒した美琴は、風の吹く方向を見ずに電撃をお見舞いするとしっかり枕を引き寄せ改めて眠りについた。
せめて夢のなかくらい素直になれたらと、枕をあのツンツン頭の代わりにして。
<了>