パラドックスの確率 2
午後八時。
上条と美琴(仮)はとある河原に立っていた。
「言われた通り呼び出したけどよ、お前がアイツと会ったらまずいんじゃねえの?」
「さっきは確かにそうだったんだけど、今なら大丈夫。もうすぐ私は消えるから」
「……消えるとか、嫌な言い方すんなよ」
美琴(仮)の言葉に上条が眉をしかめると
「仕方ないもん。この時代にとって、私はいちゃいけない人間なんだからさ」
美琴(仮)は苦く笑う。
上条に話しかけられている間、美琴(仮)はずっと空を見上げていた。こうやって空気中の『情報』を読み取って、帰るための時が来るのを待つ。
ここへ来るまでに何度も美琴(仮)は何度も演算を繰り返した。
方程式の値を入れ替え、検証し、確信を持って元いた時代へ帰るための準備は整った。
あとはあの子が現れるのを待つだけ。
「……来たわね」
美琴(仮)は自分と同種の電磁波を感じ取り、土手の方を振り向くと
「……お待たせ。アンタに言われた通り来たけどさ。何? アンタはこの女といるところを私に見せつけたいの? それとも何か目的でもあんの?」
常盤台中学の制服を着た、御坂美琴が現れた。
美琴(仮)の一〇年前の姿で、
頭から湯気が噴き出しそうなくらいに怒った顔で、
全身から断続的に火花を散らして。
美琴(仮)は笑いを堪えながら
「来てくれてありがとう、御坂美琴さん。早速で悪いんだけど、あなたとちょっと話がしたいのよ。……当麻、少し席を外してくれる?」
「……大丈夫か?」
上条が不安そうな眼差しを美琴(仮)に向けると
「大丈夫よ。この子は私だもん。扱い方くらい分かってるわ」
「……あのさ、私を除け者にして勝手に話を進めないでくれるかし……らっ!」
美琴の額から美琴(仮)に向かって、挨拶代わりに雷撃の槍が飛ぶ。
「……おっとっと。相変わらず気が短いのね」
美琴(仮)が笑って槍を受け止める。
雷撃の槍は美琴(仮)の腕を通り抜け、わずかな間に霧散した。
「おいビリビリ! いきなり雷撃の槍なんか飛ばすなよ! 危ねえだろ!?」
美琴は腰に手を当てると、ニヤリと笑って
「……この女が電撃使いってのは分かってんのよ。威力を押さえた雷撃の槍程度じゃ通用しない……そうでしょ?」
「ご名答。さすが学園都市の第三位。……当麻はちょっと離れてて。このじゃじゃ馬は少しばかり危ないから」
美琴(仮)は同じ笑顔を美琴に返す。
「じゃ……ッ、じゃじゃ馬!? ちょっとアンタ! 人をつかまえて良くも……」
「……ヤバくなったら呼べよ?」
「当麻ったらやっさしーい。それでこそマイダーリンよね」
「なっ!? 変な事言うなよ! 俺向こう行ってるからな」
上条は一度振り向き、美琴(仮)に向かって『冗談は止めてくれよ』と言うと、美琴達から離れた土手まで走って振り返る。そこで二人の会話が終わるのを待つつもりらしい。
美琴(仮)は上条に向かって手を振ると、美琴に向き直り
「……さて。何から話そうかな。話してもあなたはたぶん全部忘れちゃうんだけどね。何しろ私も今の今まで『忘れてた』から」
「は? アンタなに訳の分かんない事言ってんの? それより、アンタも電撃使いってんなら私と勝負しなさい。アンタに勝ってから、アンタのご託を聞いたげる」
「はいはいストップストップ。決着の時間ならあとで作ってあげるから、今は私の話を聞いてくれる?」
美琴はいらだたしげに革靴の爪先でトントンと地面を叩いて
「……アンタの話ってのは何? アンタがあの馬鹿の事を馴れ馴れしく名前で呼び捨ててる事? それともダーリンとか呼んでアンタ達がいちゃついてる事?」
「……今にして実物と対面すると、ホント昔の私って気が短かったのね。これじゃ当麻が嫌がる訳だ、うん」
「アンタ一人で何納得してんのよ? さっさと話ってのを始めたら? 私忙しいんだからさ。あの馬鹿がどうしても来てくれって言うからここに来ただけなんだし」
「いやー、過去の自分のツンデレっぷりに頭が痛くなってきたわね。……じゃ、本題に移りましょ。あなた、時間移動能力者って知ってる?」
「……知ってるわよ。まだこの学園都市でも現れていない幻の存在よね。科学者達は念動力の発展系って考えてるらしいけど」
「そう。今も科学者は必死に研究してるだろうけれど、実は一〇年経っても時間移動能力者はまだ現れないのよ。それで、私は別のアプローチで時間移動の研究を始めたの。科学の力で、時間を操ろうとした訳。私が持つ能力を、移動のための動力として使う事でね。私はアンタと同じように空気中の電子線や磁力線を読み取る事ができる。もし、その応用で『時間の波長』を読み取って演算できるとしたら?」
「……できる訳ないでしょ、そんな事。アンタは夢見がちなおばちゃんだったのか」
おばちゃん呼ばわりされても、美琴(仮)はひるまない。
それどころか余裕の笑みを浮かべて
「ところができちゃうんだな、これが。さらに言えばあなたは学園都市第三位にして最高の電撃使い。最高出力は一〇億ボルト。これだけ瞬間的に出せれば、小型発電所並に電力を供給できる。……違う?」
「そりゃ私は学園都市の第三位……あれ? 何でアンタの話なのに、私の話が出てくんのよ?」
「あなたは私。私はあなた。私はね、一〇年後のあなたなのよ。……初めまして、『私』」
そこで美琴(仮)は美琴に向かって優雅に一礼する。
今ここで美琴としゃべっている内容は、美琴自身がすぐに忘れてしまう。だから好きなだけしゃべる事ができる。
何しろ、上条美琴自身も忘れていたのだから。
「今から九年後の学園都市で、私……つまり九年後のアンタは時間移動の研究に着手する。時間移動に使用する試作機のエネルギーは自分の能力でまかなって、研究に研究を重ねて一年、ようやく時間移動実験の第一回目を迎えたの。結構これが大変でさ、それでも初期の予定では『三〇分後の過去』へ飛ぶのが限界のはずだった。ところがどうも計算式に抜けがあったみたいでね、一〇年前の今日へ飛んじゃった、と言う訳。時間移動そのものは成功。けれど、とんだ大失敗……だったんだけど」
美琴(仮)はかつての美琴のようなしゃべり方に戻して、話を続ける。
上条は離れたところに立っていて、二人の会話は彼の耳には入らない。
「予定していた時間への跳躍は失敗し、私は過去へやってきた。ここに来てからだいぶ時間は経ってるけれど、能力の回復はいまだ全快にはほど遠い。そこで私は『気がついた』。この時間跳躍は偶然じゃない。必然だったんだって」
「……意味が分かんないわね」
美琴は横に首を振る。
「アンタは私。だから分かんないふりをすんのは止めた方が良いわよ? 私はね、過去の私、つまりアンタに会うためにここに来たのよ。誰が仕組んだかは知らないけどね」
「はぁ? 何のためによ」
美琴は未来の自分と向かい合うと、自分にどことなく似た女性をキッと睨み付ける。
「アンタさ……好きな人いるでしょ? その人の名前は上条当麻」
美琴(仮)が美琴に指摘すると、美琴は顔を真っ赤にして
「……べっ、べっ、別に、あの馬鹿の事なんてこれっぽっちも好きじゃないわよ。本当よ?」
目に見えて狼狽する。
「あのさ、私が私に向かってごまかしてどうすんのよ。アンタが今ここでちんたらやってっと、未来の私に影響が出る訳。だからさっさとくっついてくれる? 私と当麻が幸せに暮らすためにもね」
「……私と、……当麻?」
「そう。私は一〇年後のアンタなんだけど、一〇年後のアンタは上条当麻と結婚して上条美琴になってんのよ。で、アンタはこれからアイツに告白すんの。今日、この河原でね」
「……馬鹿馬鹿しい。与太話はここまでね」
美琴が唇をギリ、と噛みしめる。
直後、茶色の前髪が静電気を帯びてふわふわと浮かび始めた。
美琴(仮)ではなくなった上条美琴は両手をわたわたと振って
「いやいやホントだから。ちょっと落ち着いてくんない? 毎日ムサシノ牛乳一リットル飲んでたってカルシウム全然足りてないんじゃないのアンタ?」
「ちょ、ちょっと! どうしてアンタがその話を知ってんのよ? 黒子だって知らないわよ?」
美琴は放電を止めると、上条美琴に詰め寄る。
「だから、アンタは私なの。同じ事知ってて当然じゃない。牛乳飲んでる理由も知ってるわよ。……もうちょっと大人っぽいボディになりたい、というより胸が小さいのを気にしてるからよね? でもね、毎日牛乳飲んでもダメだから。アイツに協力してもらった方が早いわよ?」
「……あ、アイツって?」
「あそこにいるツンツン頭だけど?」
上条美琴は、土手でぼけーっとしている上条を指差す。
「ばっ、ばっ……ばはば、馬鹿じゃないのアンタ? 何をどう協力してもらうのか知んないけどさ、そんなんで大きくなる訳……」
「都市伝説とか眉唾もんとか良く言われるけどさ、んー、愛の力って奴? 経験者がここにいんだからちったあ信じなさいよ」
上条美琴は『ほらこんな風に』と親指で自分の胸を指し、美琴がそれを食い入るように見つめる。
「……大体私の話はこんなところかな。で、何か質問とか感想とかってある?」
「……本当に牛乳飲んでもダメなの?」
「質問ってそっちか。……私らしいと言えばらしいけど」
上条美琴は苦笑すると
「うん、ダメダメ。牛乳の習慣は固法先輩を見習って始めた事だけど、先輩が大きくなったのは違う理由だと思うわよ? つか、固法先輩がムサシノ牛乳で大きくなったって言う確証がそもそもどこにもないじゃない」
「…………そうだったんだ…………」
「い、いやあのね、そんな涙目になって落ちこまなくて良いんじゃない? アンタはこれからなんだからさ。元気出しなさいよ、ねっ?」
美琴は上条美琴の励ましに、ううと唇を震わせつつ上空を指差して
「それから、このヘンテコな静電気の発信源はアンタよね? 何でこんな事になってんの?」
上条美琴もつられるように空を見る。
二人の超能力者は、空中に飛び交う電磁波や静電気を能力で読み取ると
「推測だけどね……たぶん私が本来ここにいてはいけない人間だからだと思う。私の存在はこの世界の摂理って奴に反してるから、世界そのものによって排除されかかってんのよ。だから私の体に帯びてる電磁波も静電気も、この世界から『弾かれて』異物として引っかかってんのよ。今こうしてアンタと話している内容も情報という名の『異物』だから、私がこの世界を離れたら、世界の摂理によっておそらく一斉に消去されるわね。例外は当麻の右手……あの右手はいろんなものを跳ね返しちゃうから、当麻に話した内容だけは残っちゃうけど、当麻が人に話してもたぶん誰も信じてくれないと思うわ」
確証のない、推論ばかりの話。
実験データを積み重ねなければ裏付けさえ取れない話。
それでも、一〇年前の自分に聞かせておきたかった。
上条美琴が一〇年前に御坂美琴だった頃、ひょっこりやってきた『上条美琴』に聞かされた話を。
「この世界が私を排除しようとする力を逆手に取って、私は元いた時代へ帰る。手順としてはこうね。まず、私をここから排除しようとする力が、私を『外』へ放り出すために世界に穴を開ける。次に、開いた穴から時間の波を読み取って、元いた時代に向かって『時間のレール』を電撃で作る。最後に、当麻の右手の力を使って、この世界と『私』の接続を断ち切ってもらう。こうすれば、ゴム紐に引っ張られるみたいに、私は世界の『排除する力』を振り切って、元の時代へ帰れるって寸法ね。……一か八かだけど」
「……本当にそんなんで帰れんの? そんな都合のいい話ってあんの? それって失敗するかも……」
「帰るわよ、絶対に。向こうじゃ私の旦那が今頃首を長くして待ってんだから」
上条美琴は揺るぎない自信を微笑みに乗せる。
「ねぇ、最後に聞かせて。……一〇年後のアイツって、どんな感じ?」
「……優しいわよ。優しすぎてフラグ体質に拍車がかかってっけどね」
上条美琴は美琴の肩をポンポンと叩いて
「……そろそろ時間だわ。最後に、私が元の時間に帰るためにアンタに協力してもらいたいんだけど、いい?」
「……いいけど、何やればいいの?」
「アンタの全力を私に叩き込んで。それだけでいいから。アンタの電気をもらって、それで私がレールをかける」
「ちょ、ちょっと! いくらお互い電撃使いと言ったって……それに教えてくれれば私がレールをかける方法だって……」
美琴がうろたえながら『本当にそれで良いの?』と上条美琴に問いかける。
「今のアンタじゃ無理なのよ。より強固な自分だけの現実と高度な演算が必要になるから。……大丈夫、私を信じなさい。きっと最後はうまく行くわよ」
「……やけに自信たっぷりな自分って何かムカつくわね」
「私はツンデレだった過去の自分を穴掘って埋めたいくらいよ。それじゃ、そろそろ当麻を呼ぶから、アンタは私が合図をしたら全力でよろしく」
そこで上条美琴と御坂美琴は顔を見合わせて、同じ顔で大きな声を上げて同時に笑った。
「当麻ー、おまたせー」
上条美琴が土手から戻ってきた上条を『やっぱりかわいいー、連れて帰りたーい』と騒いで抱きしめる。
上条が焦りながら『お、おいこらよせって』と上条美琴を引きはがそうとする。
それを見た美琴のこめかみにビキリと青筋が立つ。
「……で、どんな感じ?」
分かってても堪えきれない何かに美琴が拳をブルブルと震わせながら上条美琴に問いかけると、上条美琴は人差し指で天を指し示して
「見える? あれが、私をこの時代の外へ吹っ飛ばそうとする力って奴よ。私を追っかけて発生するなんて、まるで掃除機ね。やだなー、推測通りになっちゃった。向こうに帰ったら論文の書き直しだわ」
見上げた空に黒く大きな穴が、渦を巻くように開いていく。
穴は、まるで空に浮かぶ悪意の塊のようだった。
空に開いた巨大な穴から、黒い光が美琴(仮)の両肩にゆっくりと降りそそぐ。
世界の摂理が、いよいよ美琴(仮)を『外』へはじき出すべく干渉を始める。
「……で、このままぼーっとしてっと私はあれに吸い込まれちゃうと思うから、アンタは本気の電撃をよろしくね。で、当麻は最後に、力いっぱい私に向かって右手をぶつけて。……いい?」
「ホントにそんなんで帰れんのか?」
この時代に未来の情報を残さないために、上条は『美琴』が未来に帰る手段について、詳細な説明を聞かされていない。
「あれにつかまったら私は一巻の終わりだからね。当麻は私の足元に伏せて、準備してて」
美琴が走って上条美琴から距離を取ると
「……では、遠慮なく……」
美琴は空に向かって右手を掲げる。
バチバチという火花は、やがて青く揺らめく閃光に、
閃光は大地と空をつなぐ火柱に、
何かがはじけるような音は、やがて足元を震わせる轟音に変わった。
「……いけえっ!」
美琴から虚空へ、虚空から上条美琴に向かって、一〇億ボルトに達する光速の雷撃の槍が発射される。
同じように右手を空に掲げた上条美琴が空から降る雷撃の槍を受け止め、即座に演算を展開し、その身に受けた電気を全て自分の中に蓄えようともがく。
「……、大丈夫か?」
上条美琴の足元にしゃがみ込んでいた上条がおそるおそる目を開けて見上げると
「だい……じょうぶ……演算は成功、充電は……完了、ってね。レベル5同士の電撃の交換なんてやった事ないから本当に一か八かだったけど」
上条美琴は少しだけ笑って
「ありがと、手伝ってくれて。当麻に会えて、あの子に会えてよかった。……当麻」
「……何だ?」
「一〇年後の世界で会いましょ……必ずよ」
「ああ。それじゃ……行くぞ」
上条美琴が空に向かって伸ばした右手から、細い糸のような光が虚空に開いた穴に向かって伸びていく。
「こっちはいつでもオッケー……これで向こうと『つながった』。あとはアンタの全力でお願い」
「元気でな。……また会おうぜ、美琴!」
上条当麻は立ち上がり、大振りに構えた右手の拳を、上条美琴に向かって突き刺すように、
振り抜いた。
何かを殴りつけた感触はなかった。
空に開いた穴はもう見あたらなかった。
上条美琴の姿はどこにもなかった。
上条は手応えのない拳を見つめ、呆然とする。
「夢……じゃ、ねえよな」
上条が人の気配に振り向くと、そこには一瞬で最大出力を使い、虚脱状態となった御坂美琴が立っていた。
「御坂?」
上条の呼びかけに、美琴は夢から覚めたように肩を一度震わせて
「あれ? ……私、ここで何やってたんだっけ? マンガを探して、アンタに呼び出されて、ここへ来て……それから……何してたんだっけ……雷撃の……槍を……」
どういう理屈なのか分からないが、上条の前から一〇年後の美琴は消えていた。
どういう理屈なのか分からないが、御坂美琴の記憶から一〇年後の美琴の事は抜け落ちていた。
詳しい事情を何一つ聞かされていない上条は、『私、こんなところで何してたんだっけ』という美琴の問いに答えられない。
だから、上条は笑ってこう言った。
「お前、立ったまま夢でも見てんじゃねーの?」
「ゆめ? ……そっかこれ、ゆめなんだ……だったら、ゆめなら、いいよね……」
夢と現実の境目が見えなくなったような口ぶりで、美琴が何かを呟きながら、ふらふらと上条に歩み寄る。
おぼつかなげだった美琴の歩みがピタリ、と止まった。
どこかぼんやりとしたまま、肩の力が抜けたままの美琴は、上条を見上げるように
「あのさ。私は、アンタの事が―――――――――――――――」
「――――――――――――――――――――――――美琴ッ!」
重いドアを蹴飛ばして、一人の男が美琴の名前を叫んで病室に転がり込む。
「病室ではお・し・ず・か・に」
ベッドの上の上条美琴は、人差し指を唇に当てると、床に這いつくばるように病室に飛び込んできた上条当麻に微笑んだ。
「馬鹿野郎! 実験の最中に姿が消えたって聞いて、俺は死ぬほどビックリしたんだぞ!? 無事か? 痛いところはねえか? 気分はどうだ? 熱は?」
「大丈夫よ。『向こう』からの時間移動に成功したけど、戻ってきた場所がまたしても歩道だったから、転んでちょっとすりむいただけ。念のため精密検査を受けたけど異常なし。今夜はここにお世話になるけど、明日には退院できるから」
「そうか……よかった……」
上条はほっと安堵の息をついて、備え付けの見舞い客用パイプ椅子に座り込む。
「お前がこの学園都市で最高レベルの電撃使いなのは知ってるけど、だからってもうあんな実験に参加するのは止めてくれ。俺の寿命が縮んじまうよ」
上条は硬く目を閉じ、首を横に振る。
美琴はそんな上条を見て微笑むと
「当麻も過去にこの『私』と出会ってんだから分かってる通り、今回の実験結果は『起こるべくして起きた失敗』だもん。今回の失敗を糧に、より安全な時間移動を目指すつもりよ、私は」
「だけど俺は……」
「ホント、当麻は頭が固いわよね。一歩でも前に進もうとする夢と意欲に溢れてて良いと思うんだけどなー、時間移動って」
「夢に溢れてんのは結構だけど、俺を悲しみの涙で溺れさせないでくれよ。お前がいなくなったら俺はどうすりゃいいんだ」
「あはは、ホント当麻って甘えんぼさんね。昔の当麻が嘘みたい。昔の当麻は、あれはあれでかわいかったけど、こっちの当麻もかわいいわねー」
美琴はぎゅうううっと上条の頭を抱え込んで抱きしめると
「そう言えばさ、向こうの当麻が『私』に言ってたんだけど……『外見は好みなのに性格で全て台無し』ってどういう意味かしら?」
そのまま上条の頬をぎゅううっとつねる。
「いはいいはいいはい!(いたいいたいいたい!)そ、そんな昔の俺が言った事なんて責任取れっかよ! 大体、その頃の俺はお前とまだ付き合ってもいなかっただろ!? だからつねらないでごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
美琴は上条の頬から手を離すと
「でもさ、こうして当麻と私が一緒にいるって事は、向こうの私はうまくやったみたいね」
「……一〇年後のお前がいなくなって、『お前』の記憶がすっぽり抜け落ちたお前が、寝ぼけてるんだと思って俺に告白してくんだからビックリだったな。お前がもっと素直になってくれれば、俺から告白しに言ったのに」
「……だったら時間移動で歴史を変えてくる?」
「止せよ、『今』の俺達の幸せが壊れちまうって。ともかく、約束通り一〇年後のお前に会えて良かったよ、美琴」
とある病院のとある個室で、時間移動から帰ってきた少女と時間移動に出くわした少年が笑いあって、時間が過ぎていく。
一〇年前の二人に思いを馳せて、一〇年後もこうして笑い会える事に感謝して。
一〇年前の二人と、一〇年後の二人の時間移動騒動劇は、こうして幕を下ろした。