HAPPINESS?
上条当麻の朝は幸せいっぱいで始まる。
「……書き始めていきなりで何だがすげー悲しい気分になってきた」
ごく普通のファミレスの、見晴らしの良い窓際のテーブル席に腰を下ろした上条はシャーペンを握りしめ、安っぽい合板で組み上げられた白いテーブルの上にうだー、とヘッドスライディングを決める。
テーブルの上に広げられたのは近くのコンビニで買ってきた原稿用紙で、お世辞にも綺麗とは言えない字で一行目が埋まっていた。
上条が突っ伏した勢いで小さな風が起き、原稿用紙の端っこがひらひらとはためく。
宿題が、
現国の宿題が終わらない。
上条のお馬鹿な頭脳は煙を噴いてそろそろ限界が近い。
クラスメートの土御門元春に協力を仰いだが電話をかけても留守電のまま、青髪ピアスに至っては『カミやん、宿題忘れてった方が小萌センセも喜ぶでー?』と訳の分からない事を抜かしたので即座に通話を打ち切った。
中学生に宿題を手伝ってもらうのも高校生としてどうかと思うが、この難問を何とかするにあたりこれまでの実績から考えると御坂美琴に頭を下げるのが一番手っ取り早い。
と言う訳で上条は『頼む、この通り!』と土下座せんばかりの勢いで常盤台中学のエースこと美琴を拝み倒して宿題に付き合ってもらっている。
上条が電話をかけた時、美琴は何やら不平たらたらで応対していたが、ファミレスで待ち構えていると忙しいと言ってたくせに一〇分足らずでやってくるし、『アンタがどうしてもって言うから仕方なく手伝ってあげるんだからね』と言う割には妙に嬉しそうだし、おまけに『奢ってあげるから何か食べない? お腹がすいてるとアイデアも浮かばないわよ?』とやけに親切なのでちょっぴり警戒心を抱いている上条だった。
上条の目の前にはドリンクバーのグラス(中身は眠気覚ましのアイスコーヒー)が置かれている。上条は一人でここに来た時からドリンクバーだけでさんざん粘っているので、そろそろドジっ子スキル装備ウェイトレスさんの営業スマイルが怖い。
美琴は上条の悲哀がこもったうめき声にキョトンとした顔で、
「は? 意味がさっぱり分かんないけど、とりあえず原稿用紙を握りしめるのは止めたら? それ提出に使うんでしょ?」
上条の向かいで頬杖をついて『ほら起きなさいよ』と上条を突っつく。
その原稿用紙に何を書くつもりなの? と尋ねる美琴に、
「………………作文」
「作文? 論文じゃなくて?」
私はアンタの宿題を手伝うために呼び出されたのよね? と念押しする美琴に向かって、
「……あのな。俺の学校の教育レベルはお前の通う常盤台中学よりずーっと低いんだよ。そんな学校の生徒が論文なんか書く訳ねーだろが。昨今の日本語の乱れと作文能力の低下を鑑みて、現国の宿題がこれなんだ。何でも良いから話を作って規定枚数三枚以上書いて目指せ新人賞ついでに作家デビュー!」
作文が苦手だったらとりあえず自分を主人公にした夢物語でも良いらしいんだ、と上条は付け加える。
日常が魔術(ファンタジー)に片足突っ込んでいる上条としては切実な日々をそのまま書いてしまいたい所だが、実際にそれをやってしまうとあらゆる方面に迷惑をかけるか正真正銘の痛い子として処理されてしまうかのどちらかなので、書けない。
自分の願望をちょっとだけイントロに書いてみたが、不幸少年上条当麻は『幸せいっぱいの朝』と言う状況が想像できないのである。
美琴は上条の話を一通り聞くとつまらなさそうに、
「……ふーん。とりあえずさ、作り話を書くにしたって、話ってのはアンタ一人じゃ成立しないわよ。まずは他の登場人物を用意して役割を持たせなきゃ」
「役割?」
「そうよ。アンタが朝起きて、お腹がすいたからコンビニに行こうとするじゃない? 当然コンビニには店員がいるでしょ。それと同じで、アンタの物語に必要な人数を数えて役割を与えればいいのよ」
美琴の言葉にほうほう、そう言う事かと頷く上条。
上条はシャーペンの頭をカチカチと何度も押しながら、
「とは言っても、実在する人物を勝手に出したらまずいだろうし……」
「アンタには話に出しても笑って許してくれそうな友達はいないの?」
「いないわけじゃないけど……出したら出したで現実味がなさそうだしな」
美琴は上条の言葉にそう言うものかしらね、と返して、
「どうせ作り物の夢物語なんでしょ? だったら別に登場人物の性格が少しくらい変わってたって良いじゃない。で、アンタの作文の書き出しは……なになに、『上条当麻の朝は幸せいっぱいで始まる』か。これだったら楽勝ね」
「何が楽勝なんだよ?」
「朝の風景を膨らませるだけで一二〇〇文字くらい余裕で書けるって事よ。アンタにとって幸せな朝って何? 朝起きたら何が見える?」
テーブルの上で両腕を組んで上条の顔をのぞき込む。
上条は美琴の言葉を聞いてシャーペンを握りながらうーん、と唸ると、
「そうだなあ……朝起きても何にも不幸が起きてない事、かな」
「ずいぶん抽象的ねぇ。そうじゃなくて、えーっと……アンタは一人暮らしなんだから、朝ご飯はどうしてるの?」
美琴の問いにギクッ! と上条の背筋が凍る。
上条は一人暮らしではない。いや、厳密に言えば『最初は一人暮らしだった』はずなのだ。
気がついたら銀髪碧眼のシスターと同居していて、彼女の食事の心配をするのは上条の役目だった。しかも銀髪碧眼の同居人は料理の類が一切できない『食べる専門』だ。
上条はそこまで思いだして涙腺が緩みそうなのをぐっと堪えると、
「……朝は自分で作ってる。と言っても前の夜の残りもんばっかだけどな」
「へ、へぇ。そうなんだ。てっきりコンビニでサンドイッチとかそんなので済ませてるんだと思ってたわ」
美琴は横を向いて『わ、私がたまに様子を見に行ってあげた方がいいのかしらね』などと呟く。
「?」
「……あ、あぁ、そう言えばアンタたしか自炊派だったわよね。じゃあさ、アンタが朝起きたらそこに朝食ができあがってて、後はもう食べるだけだったらそれって幸せなんじゃないの? ……ってそこ! 何泣いてんのよ?」
「い、いや……あまりにもあり得ない光景を想像したら不覚にも涙が出ちまって」
上条がまぶしさを堪えきれずに鼻をすすっていると美琴がポケットディッシュを差し出したので左手で受け取り、
「朝起きたら炊きたてのご飯と味噌汁とついでに味海苔なんかがあったらもうそれだけで俺は幸せだ」
一旦シャーペンから手を離し、ポケットティッシュを一枚引き抜いて鼻をチーンとかむ。
美琴は上条の清貧振りに眉を顰めると、
「ちょっと、それだけで良いの? アンタってずいぶん安上がりね。……じゃあ、この展開だと一人暮らしのアンタの部屋でアンタ以外の誰かが朝食を作ってくれたって事でしょ? その役目をする人は誰?」
「……インデックス、は包丁持つ所が全く想像できないし、舞夏はプロの料理人顔負けの腕前だけど俺の部屋で飯を作るなんて事になったら土御門が激怒しかねないし……となると五和かな」
聞き慣れない名前を耳にして美琴のこめかみがひくっ、と震えたが上条はそれに気づかず、
「でも五和はイギリスだしな。姫神……はクラスメートだから作文に名前を出したら後々問題になりそうだし」
「……あのさ。私はアンタの宿題を手伝うために呼び出されたのよね?」
「そうだけど?」
「ってことはアンタの宿題の内容を了解してここにいるのに、何で私を話に出そうとしないのよ?」
「だってお前が料理できるかどうかなんて俺知らねーし」
そんな事言われてもなー、と上条は適当に告げる。
できるわよ!! 少しは人の腕前をあてにしたらどうなのよ? と、ここがファミレスである事を忘れて叫ぶ美琴に上条はうーんと唸って、
「……、じゃあ作文にお前の名前出して良い?」
「良いわよ。どうせ罪のない作り話なんだし、そんな事でいちいち目くじら立てたりしないから」
「そ、そうか? じゃあ書いてみる」
上条はシャーペンを握り直すと原稿用紙に向かって、
『上条当麻の朝は幸せいっぱいで始まる。
朝起きると御坂美琴が炊きたてのご飯と味噌汁とついでに味海苔を用意してくれるのだ』
「……自分で書いてて言うのも何だけど、ちっとも幸せそうに見えねーな、俺」
「朝食のメニューに問題があるんじゃないかしら。いくら何でもこれだけじゃ少ないわよ。もう少し贅沢したら?」
シャーペンを握ったままちょっと涙目の上条と思案顔の美琴。
上条はこのメニューのどこに不足があるんだと呟いてから、
「日本人っつったら朝は和食だろ。つか、常盤台中学の朝食ってどうなってんだ?」
「どうって、うちは普通よ? 朝は大体パンだけど、食パンかロールパンかライ麦パンかが選べて、スープがミネストローネ、オニオンコンソメ、クラムチャウダー……」
「待て待て待て! 普通のご家庭の朝食はそんなにあれこれ選べたりしねーぞ? 大体俺、一度にそんなに出されても何から手をつけたらいいか迷っちまうよ」
「そうでもないわよ? 朝食なんてどうせメニュー決め打ちだもの。アンタの場合は……そうね、おかず増やせば良いんじゃない? 一汁三菜って言うくらいだし。例えば焼き魚とかさ。朝食がご飯とお味噌汁と味海苔だったら、後何が欲しい?」
「そうだな……アジの開きとか、シャケの塩焼きがあるとうれしいぞ。それから……あまり時間がかからない所で卵焼きなんかいいかもな」
それを聞いた美琴は何ともやりきれなさそうにため息をついてから、
「アンタが作るんじゃないんだから、時間だとかそう言った事は考えないの。もう少しわがまま言いなさいよ」
どうせ作り話なんだからアンタの希望を言ってみなさいと上条が手にしていたシャーペンを取り上げると、テーブルの端に備え付けられていた紙ナプキンを一枚取ってテーブルの上に広げた。
どうやらメモ用紙代わりにするつもりらしい。
「……御坂? お前がメモ取って何するつもりなんだ?」
「え? あ、ああ。無責任にあれこれ意見言うのもあんまりだから、私も一緒に書きながら考えようと思って。あ、アンタの好みをメモっとくとかそんなんじゃないから間違えないでよね? で、アンタの朝食の希望は炊きたてご飯、お味噌汁、味海苔と焼き魚に卵焼きで良いの?」
「まあ、それだけあれば十分だな。あとは飯がおかわりできると良いんだけど」
朝は忙しいしそんなに食えるほど量も残ってないだろうしな、と上条は横を向いて小さく息を吐く。
上条には上条の複雑な経済事情というものがあるのだ。
上条は美琴からシャーペンを取り返し、
「と、とりあえず追記してみるぞ」
『上条当麻の朝は幸せいっぱいで始まる。
朝起きると御坂美琴が炊きたてのご飯と味噌汁とシャケの塩焼きと卵焼きとついでに味海苔を用意してくれるのだ』
「……メニューを追加しても文字に直してみると侘びしさ感が倍増するのは何故なんだ?」
どこで間違ったんだろうとしきりに首をひねる上条の向かいで、
「……アンタは最初に『朝起きると』って書いてるけど、アンタ寝る時何使ってんの? お布団? ベッド?」
「……、それが俺の幸せとどんな関係が」
「良いから答えて」
美琴の問いかけに上条はう……ッと口ごもる。
上条の部屋にベッドはある。ベッドはあるのだ。
ただそのベッドを同居人が使用しているだけで、上条は使用していないだけなのだ。
まさか女の子と同棲しているので自分はバスタブで寝ていますなどとは口が裂けても言えない。
上条は事実を伏せつつ、
「…………ベッド、だけど」
「それだけを答えんのに、何でいちいち黙り込むのよ? 何を使ってたってアンタの価値が下がる訳じゃないんだし別に私は気にしないわよ? ……お布団でもベッドでも、そんな事どっちだって良いじゃない」
ふ、ふーん、ベッド派なのねやっぱりシングルなのかしらと上条には何の話か理解できない言葉を口にする美琴。
「むしろお前がそれを気にしているのが引っかかるんですけど」
向かい合わせに座る美琴に不審な目を向ける上条。
上条は美琴の手元の紙ナプキンに描かれた図面のようなものをチラリと見てから、
「……それ、俺の部屋の間取り図? つか、んなもん宿題に必要なのか?」
「馬鹿ね。アンタが起きたら視界の範囲内に朝食が置いてないと『朝起きると御坂美琴が炊きたてのご飯と味噌汁と焼きシャケと卵焼きとついでに味海苔を用意してくれるのだ』が成立しないでしょ? 私がアンタの部屋のキッチンでお料理してアンタの目の前に朝食並べるんだから、動線ってもんがわからないとそれを文章に起こしても読む人が皆で頭に『?』マークを浮かべちゃうじゃない。その辺を合理的に説明するために、間取り図が必要なのよ」
「……、それもそうか」
美琴の説明も一理あると納得した上条は美琴の前に広げられた紙ナプキンを取ると、『入り口はここで部屋はこんな感じ』と詳細な図面を書き込んでいく。
美琴は次々と線で埋められていく紙ナプキンを見て、
「へぇ、アンタの部屋ってこんな感じなんだ。そうなると、朝食はテレビとベッドの間に置いてあるこれの上に乗るの? これってテーブルよね?」
「そうそう、ガラスのテーブル。小さいコタツくらいのサイズなんだけど、ローテーブルって言えば分かるか?」
上条は両手で空中に四角を書いて『大体こんなくらいの大きさ』と説明する。
「ああ、分かる分かる。私の部屋にもあるわよ。黒子と共用で使ってるから細長いヤツだけどね」
私達はベッドを椅子代わりにするからそれに合わせてるのよ、と美琴は自分の腰の少し下辺りに掌を水平に差し出す。
上条はその言葉に何か閃くものを感じて、
「……、と言う事は、できたて朝食がテーブルの上に置かれるとベッドで寝ている俺はその匂いを嗅いで起きる事になるんじゃねーのか?」
「ベッドの位置とテーブルの場所を考慮するとそう言う事になるわね」
「つまり、その部分を書き足せばこの話もマシになりそうだな。よし、ちっと待ってろ」
上条は原稿用紙に向かい、サラサラとシャーペンを走らせて文章を継ぎ足していく。
『上条当麻の朝は幸せいっぱいで始まる。
朝起きると御坂美琴が炊きたてのご飯と味噌汁とシャケの塩焼きと卵焼きとついでに味海苔を用意してくれるのだ。
上条はできたての料理が立てる、おいしそうな匂いにつられて目を覚ます』
「……こんな感じでどうだ?」
「良い感じね。でもさ、アンタ朝起きてベッドから降りてパジャマのまま朝ご飯食べる訳じゃないんでしょ? 先に着替えるとか、歯を磨くとかそう言う事はしないの?」
「あー……そういや俺、歯磨きしながら鍋を火にかけたり着替えながらパンを焼いたりしてるからその辺考えてなかった。悪りぃ」
「だらしないわね。となると私は当然、お行儀の悪いアンタに注意するんでしょうね。『ご飯の前にはちゃんと顔を洗うのよ』とかさ」
「ありえるな。つか、お前このときはたぶんエプロンを着けてるんだよな。お前についてちゃんと描写しないと読者から『美琴は何をやってるんだ? 礼儀正しい常盤台のお嬢様が生活習慣について注意しないのか?』ってツッコんで来そうだ。よし、そこら辺もきちんと書いておこう。どれどれ……」
『幸せいっぱいの朝』の描写から若干脱線しているような気もするが、アイデアは浮かんだその場でまとめるのが良い。
上条は原稿用紙の上にシャーペンを走らせる。
『上条当麻の朝は幸せいっぱいで始まる。
朝起きると御坂美琴が炊きたてのご飯と味噌汁とシャケの塩焼きと卵焼きとついでに味海苔を用意してくれるのだ。
上条はできたての料理が立てる、おいしそうな匂いにつられて目を覚ます。
上条が寝起きのぼんやりした頭のままふらふらとテーブルに近づくとエプロンを着けた美琴が「馬鹿! ちゃんと歯を磨いて顔を洗って着替えてからにしなさい!!」と注意する』
「……これならどうだ?」
「…………何よこれ」
原稿用紙を手に取って文面を読んだ後渋い顔をする美琴。
「何かおかしいか?」
「……、あのさ、何で私が出会い頭っつーか朝っぱらからアンタを怒鳴ってるのよ?」
「いや、お前のキャラから考えるとこれが普通……」
「んなわけないでしょ! 何で私がこんな扱い受けなきゃいけないのよ!!」
「俺だって好きこのんでこんな風に書いてる訳じゃねえ! ただ現実に照らし合わせるとこうなっちまうって言うか……」
せめてもう少しお前がおしとやかだったら優しく起こしてくれるだろうに、と語る上条。
美琴はしばし上条の顔を見つめた後、
「……それだ」
「どれだ?」
「アンタの目がきっちり覚めるよう起こしてあげればいいのよ」
「……まさか電撃使います、とか言わねーだろうな? 確かにあれなら目は覚めるかも知んねーけど」
上条はビリビリは勘弁してくれよとうんざりした顔で美琴を見る。
美琴は違うわよと否定した上で、
「アンタがしっかり目が覚めるように、それでいて優しく起こしてあげれば幸せ感は倍増しない?」
「お前が? 俺を? 優しく?? それって無理じゃ……」
「言ってくれるわね……ようし、だったら私の本気ってヤツを見せてあげるわよ!! ほら、原稿用紙貸しなさい」
美琴は上条から原稿用紙とシャーペンを取り上げ、
『上条当麻の朝は幸せいっぱいで始まる。
朝起きると御坂美琴が炊きたてのご飯と味噌汁とシャケの塩焼きと卵焼きとついでに味海苔を用意してくれるのだ。
上条はできたての料理が立てる、おいしそうな匂いにつられて目を覚ます。
エプロン姿の美琴がキッチンから姿を見せて
「おはよう。起きて、朝ご飯できてるわよ。早くしないと冷めちゃうぞ?」
にっこり笑いながら上条を揺さぶった。
「ちゃんと顔洗って歯を磨いて、着替えてくんのよ? わかった?」
「……ふぁーい。わかってますよー」
上条はベッドから起き上がると頭をポリポリとかきながら、洗面所へ向かう』
「……、これでどう?」
「えっと……これ誰? まさかお前だなんて言わねーよな? いくらフィクションっつっても美化しすぎじゃねえのか?」
「失礼ね! アンタの幸せ度が少しでもアップするように頑張ってんじゃない!!」
上条は美琴からシャーペンを奪い取ると原稿用紙に何かを書き込み、
「大体さ、幸せ度アップって言うんなら最低これくらいはして欲しいよな」
美琴は上条が書き足した文章を読むと上条からシャーペンをひったくり、
「甘いわね。こんなもんじゃないわよ」
「だったらここをこうしてだな」
「いやいや、ここはこうした方が良くない? だから―――」
二人で宿題の内容についてあーでもないこーでもないと言い合った結果、どうにか規定の原稿用紙三枚分のマス目を埋めるストーリーができあがった。
上条はずり落ち気味に、ファミレスの二人がけソファに背中を預ける。
手にしたシャーペンをテーブルの上にコロンと転がして、
「ふぃー、どうにか話がまとまったぞ。さんきゅー御坂。助かったぜ」
「どういたしまして。ねぇ、ちょっとそれ読ませてくれない?」
「おう、お前だって共同執筆者なんだから読む権利はあるってもんだ」
手にした原稿用紙三枚を美琴にほれ、と手渡す。
美琴は受け取った原稿用紙を広げて目の高さに持ち上げると、
『上条当麻の朝は幸せいっぱいで始まる。
上条はベッドの中からもぞもぞと手を伸ばして枕元の目覚まし時計を掴むと、
「ふぁ……もう朝か。まだ眠い……あと五分……むにゃむにゃ」
「おはよう、お寝坊さん。もう朝よ。朝ご飯冷めちゃうから早く起きて」
常盤台中学の制服の上からエプロンを着けた御坂美琴がキッチンから出てきて、蓑虫状に掛け布団をかぶった上条の体を手で押してぐいぐいと揺らす。
上条は寝ぼけ眼のまま、
「みさかぁ……悪りぃ、夕べ張り切りすぎたから……あと五分だけ……」
「だーめ。そんな事言ってると学校遅刻しちゃうわよ? ほらもう起きて」
「うーん……おはようのキスしてくれたら起きるかもな……むにゃむにゃ」
「……、仕方ないんだから」
美琴は上条の頬にちゅ、とキスをして、
「はい、いつまでもぐずぐずしないで起きてね。ちゃんと歯を磨いて顔を洗うのよ? 着替え終わったら一緒に食べましょ」
「……俺と同じくらい運動したはずなのに何だってお前は疲れが綺麗サッパリなくなってんだ。何だよ、これが若さの力か」
「女の子は秘密がいっぱいあるの」
美琴はベッドから体を起こした上条の手を起きて起きてと引っ張って立たせる。
上条は片手で目をゴシゴシとこすった後、美琴の柔らかい頬にキスをして、
「おはよう御坂。……良い匂いだなー。今朝のメニューは何だ?」
「ちょ、ちょっと! いきなりはずるいんじゃない?」
美琴は赤くなった頬に片手を当てて軽く抗議する。
「……今朝のメニューはだし巻き卵とシャケの塩焼き。お味噌汁の具はジャガイモとダイコンよ。アンタが純和風のメニューが良いって言うから作ったけど、もうちょっと手の込んだものだってできるんだから好きなだけリクエストしてくれれば良いのに」
「女の子が俺の部屋のキッチンに立って料理してくれるだけでも夢みたいなのに、そんなにわがままなんか言えるかよ」
「でもアンタは私がお料理している間ずっと寝てるじゃない? 私がベッドからこっそり抜け出しても気づかないくせに」
美琴がむーと頬を膨らませてむくれると、
「いや、そっちは気づいてたから引き戻そうとしたじゃねーか」
「アンタあの時起きてたの? 寝ぼけてるんだとばかり思ってたわよ。私がシャワー浴びようとしたらやたら腕を引っ張るし」
「あれ、お前シャワー浴びるつもりで起きたのか? 何だよ、だったら起こしてくれれば一緒に浴びたのに」
「やだ、当麻ったら……あ、朝からだなんて」
じわじわと首から顔に向かって真っ赤になっていく美琴。
「て、照れるなよ今さら。俺の方が恥ずかしくなっちまうだろ?」
頭をポリポリとかいて照れをごまかす上条。
美琴は上条と見つめ合っていたが我に返って、
「とっ、とにかく今はアンタが顔を洗ってくるのが先! ほら急いで急いで」
「そ、そうだな。美琴が作ってくれた朝食楽しみだな」
こうして上条当麻の幸せいっぱいの朝は始まるのだ』
全部読み終わった後、美琴の動きがピタリと止まった。
しばしの間を置いて身震いした後すーはーすーはーと深呼吸を繰り返してから、
「ちょ、ちょ、ちょ、ななな、何やってんのよ私!?」
「何やってるって……半分はお前がノリノリで書いたんだぜ? おかげで原稿用紙三枚きっちり埋まって助かったよ」
上条は美琴の手からひょいと原稿用紙を取り上げる。
『上条当麻の幸せな朝』と言うタイトルで書かれた原稿用紙三枚分のフィクションは、
フィクションとは言え一部文章中に著しい誤解を招きそうな表現があった。
下手をすると閲覧の年齢制限に引っかかりそうだ。
美琴は上条の正面で口をパクパクさせながら原稿用紙を指差し、
「ね、ねぇ、それ……提出すんの?」
「当たり前だろ。そのためにお前に手伝ってもらったんだからさ。最初はこんな宿題絶対できっこねえって思ってたけど、まさかこんな力作に仕上がるなんてな。やー、本当に御坂様々ですよ」
「……そうよね。これ宿題だったもんね。……はぁ」
「は?」
上条の耳には良く聞こえなかったが、美琴は何でもないと一言しか答えなかった。
上条はうつむいて黙ったままの美琴に、
「……提出して欲しくないのか?」
「そっ、そんな事ないわよ。これはアンタが苦労して書いたんだし、私だって忙しいのに時間を作って出てきたんだからそんな事は言わないけど、その……」
「? どっかまずいとこでもあったっけ?」
「あったか? って……ありありじゃない。こ、こんな誤解を生みそうな内容で、そ、その……まるで私とアンタが恋人同士みたいで」
上条は美琴の言葉にキョトンとして、
「え? これ宿題で作り話だぜ? そりゃお前の名前は出てるけど先生だってそこら辺分かってるから大丈夫だよ。もし何か聞かれても『これはあくまでもフィクションで実際の人物とは一切関係ありません』って言っておくから」
お前も名前出して良いって言ったじゃないか、と告げる。
それにさ、と上条は一拍置いて、
「お前だって『登場人物の性格が少しくらい変わってたって良い』って言っただろ? 確かにこれって実際のお前と一八〇度態度が違う……けど……あれ? 何故そこで御坂さんは複雑な表情を作ってらっしゃるのでせう?」
「…………………………………………………………………………」
「……、あの、御坂?」
「………………………………何よ」
美琴のどことなく怒っているように見える態度に上条は何でコイツ急に機嫌悪くなったんだろうとげんなりしつつ、
「お前の名前を出すのがまずいって言うなら他の人に変えるけど?」
「い、い、良いわよ! そのまま使いなさいよ!! ここまで頑張って今さら他の誰かに取って代わられるなんてムカつくじゃない!!」
これはただの宿題だ。しかしこれは上条の宿題だった。
ここで美琴にへそを曲げられて『やっぱり名前を出すのは止めて』などと言われたら困る。今さら話を書き直すのも面倒臭い。
ここは一つ穏便に美琴の名前を使わせてもらうのが一番良い。何と言っても美琴はこの宿題の監修者でもあるのだから。
上条は美琴をひとまずなだめるべく、
「……そっ、そういやお前、料理できるって言ってたよな。常盤台じゃお皿の修理を家庭科で教えてるみたいだけど……授業で食べられるもの作ったりすんのか?」
「……うちは能力者育成ばかりが目に行くけど、いちおう女子校よ? いくら何でも能力だけが自慢じゃないわよ」
常盤台中学にはカレーを作った事がなかった婚后光子という少女も在籍中なのだが、その話は脇に置く。
「ふ、ふーん……そっか。俺は最近煮物に凝ってるんだよ」
「へ、へぇ。それはおいしそうね」
美琴はいつの間にか手にした上条のシャーペンで手元の紙ナプキンに何かを書き込んでいる。
上条が訝しげに紙ナプキンをのぞき込んでいるのに気づいた美琴は慌てて手で筆跡を隠しつつ、
「や、やっぱり男だと煮物とか肉じゃがとか和食が好きなわけ?」
「んなことねーぞ。財布の事情が許さないだけで俺は肉料理とかも好きだぞ」
どこで材料を手に入れんのか分かんねーけどイカスミ料理とかも美味かったしな、と告げる上条。
それに合わせて、シャーペンを持つ美琴の手元がまた動いた。
さっきから何をメモってるんだろうコイツ、と紙ナプキンに書かれた内容が上条は気になるのだが、見ようとすると美琴が手で隠してしまう。ちらっとだけ読めた部分には『煮物が得意、和食好き?』と書かれていたように思えたがあれは何なのだろう。
美琴自身も何かを書き込んでいる事を上条に知られたくはないらしく、上条が紙ナプキンを指差すと『何の事?』ととぼける。
美琴は上条の注意を紙ナプキンから逸らすように、
「肉料理、肉料理……だったらカネロニとかバスク風煮こみとかスペアリブなんてどう?」
「か、かね……? 何か想像もつかねー料理だけど、美味いなら何でも良いぞ」
「そ、そう。じゃあ早速作ってあげる」
「ああ、悪りぃな」
良いの良いの、と片手を目の前で軽く振る美琴に対し『飯作ってもらうんだからここでの払いは俺が持つぞ』と伝票立てに丸めて差し込まれた二枚の伝票を掴む上条。
二人同時に席を立ってフロアの片隅にあるレジへ連れ立って向かい、
あれ?
何で俺達、御坂がうちに来て飯を作る話でまとまってんの?
終