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霊子アンテナ - (2007/04/20 (金) 23:07:11) の編集履歴(バックアップ)


1930年以降の大日本帝国、軍事独裁の政権下以前より、その幽子の存在は仮定されており、後のニュートリノ研究などに転化発展していくのだが、その際に発見された副産物が「陽霊子」と「陰霊子」である。

古来より鬼、妖怪、幽霊、神仏などの生体を具象構成していたのが両霊子であるとされる。
「ハレの日、ケの日」と呼び習わしがあるように、光と影、陰陽が自然界には存在し、それを構成する要素である。

軍事独裁の政権下で、この粒子を軍事転用出来ないかと研究され、すなわち、敵国の兵士に怪異を見せることで士気を奪い狂気へと誘わんとする目的である。実際に第二次世界大戦の資料を見る限り用いられた形跡はない。

戦災からの復興時、兼ねてより怪異の頻発する霧生ヶ谷市の市庁舎に奇妙なアンテナが据え付けられた。市に古くから住む真霧間源鎧がその霊子研究に携わっており、それを怪異を治める手段に利用できないかと考えたのだ。
アンテナは霊子の送受信を行い、霊子の拡散波を遮断、結合具象化を防ぐ役割を果たし、また特殊な電波を発信することで通常人の脳波に影響を及ぼし、怪異の存在を脳裏から消すことに成功した。
とはいえ、地域によっては霊子が濃く現れることもあり、完全に怪異の目撃情報を遮断するにはいたっていない。


霧生ヶ谷市第一庁舎には四基のアンテナが取り付けられており、そのディッシュ径(直径)は四九メートルにもなる。


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