so sweet…前編

真昼の空が真紅に染まったあの日の後も、ベルガラックの歓楽街は変わらずの賑わいを見せていた。
聖地ゴルドに降り掛かった災厄のことは風の便りにこの街へも伝わってきていたが、それが遠く離れた土地での出来事のせいか、あるいはこの街独特の雰囲気なのか、行き交う人々の表情は、他所で見られるそれとはどことなく違っていた。

そんなベルガラックを、一行は骨休めの地に選んだ。
煉獄島での過酷な日々の直後に繰り広げられたゴルドの激戦で、今までになく消耗してしまっていたからだ。

「腹が減っては戦はできぬ、と、昔から言われてるでげすからなぁ」
そう言いながら天井を仰ぎ、満足げに自らの腹を叩くヤンガスを見て、エイトとゼシカは噴き出した。
ひとしきり笑った後、ふとゼシカの表情が曇る。
「……ククール、やっぱりまだ辛そうだったわね」
ぽつりと呟いてゼシカは窓の外を見る。
その視線は、ククールが戻ったであろう宿の方角に向けられていた。
「仕方ないよ。色々あった後だからね。色々」
「少しでもメシは食ったんでげすから、今はそれで良しとしやしょう」
「無理矢理って感じもしたわよ?」
プッ、と、ゼシカは再び噴き出した。
食べる気分じゃないと言い張るククールにヤンガスが脚払いを仕掛けた後、樽を扱うが如くに担ぎ上げてレストランへと連れ込み、席に着かせた後もその眼光で無言の圧力をかけていたことを思い出したからだ。
一見して乱暴に映るが、それがヤンガス流の気遣いというやつだった。

「ヤンガスが飲みたいそうだから僕たちは酒場に行くけど、ゼシカはどうする?」
店主に勘定を頼みながらエイトが言った。
「どうするって?」
問い返してはみたものの、ゼシカにはエイトの言わんとしていることは分かっていた。
ククールの様子を伺いに行くか否か、ということだ。
気にはなっていたが、一人でククールの部屋を訪ねることに関しては、ゼシカには正直なところ未だ若干の躊躇があった。
そんなゼシカの心境を見て取ったエイトは後押しをする。
「気になるなら行ってみるといいよ。でないとゼシカが落ち着かないんじゃない?」
「うん……。でも一人で行くのって変じゃない?」
「別に変じゃないと思うけど?……あっ!でも何かあっても室内でメラはだめだよ。ラリホーあたりにしといて」
「それじゃククールを信用してるんだかしてないんだか分からんでげすよ、兄貴」
笑いながらそう言うヤンガスの隣でエイトはしゃがみ込み、小脇に置いてあった道具袋を漁り始める。
「ゼシカが反撃するような展開になるのは、僕たちにとってはむしろ歓迎すべきだと思うけど?」
探し物をしながら話すエイトはどうやら笑いを堪えきれないようで、小刻みにその肩を震わせていた。
そんなエイトを見下ろしながら、ゼシカは少々呆れた口調で返す。
「……荒療治ってわけ?」
「そうなるかどうかはゼシカの加減次第だけどね。はい、これ」
笑顔で返事をしながらエイトはゼシカに、道具袋から探し出した物を差し出した。
「念のため」
「やっぱり信用してないんじゃない」
ゼシカは苦笑すると、エイトからキメラの翼を受け取り腰のポーチにしまい込んだ。

(行くとは言ったものの、どうしよう……)
宿屋の自分の部屋に戻ったゼシカはベッドに腰掛けて悩んでいた。
ただ部屋を訪ねるだけでは、露骨に心配していると言っているようなものだ。
心配しているのはもちろん事実だが、ククールに対してそれを表面に出してはおそらく上手く事は運ばないだろう。

考えがまとまらないままにゼシカはベッドからドレッサーへと移動し、手持ち無沙汰に髪を結び直し始める。
しかしそれもすぐに終わり、鏡を見つめるだけになってしまった。
その後様々な角度に首を傾げながら百面相を始めたゼシカは、先程の食事で紅が薄くなっていたことに気付き、ドレッサーの上のコスメボックスを開ける。
「あ……!」
思わずゼシカは小さな声を漏らし、にんまりと鏡の中の自分に笑いかけた。
手早く紅をひき直すと、足早にククールの部屋へと向かう。

「お願いしたいことがあるんだけど、よかったら屋上に来てくれる?」
ゼシカは部屋の入り口から様子を伺い、ベッドに腰掛けていたククールにそう伝えると屋上へと向かった。
風に揺れる街路樹から漂う緑の香りが、屋上に出たゼシカを包み込む。
その香りに触発されて思わず深呼吸をした後、ゼシカは街の入り口と外の風景を望める側へと移動して満天の星空を眺める。
彼方から瞳に飛び込んでくる不規則に瞬く星の光と、視界の端で規則的に瞬く歓楽街の人工的な光。
それらは昔も今も変わらないのに、明日はあるいは……と考えると、嫌でも感傷的になってしまう。

時間は、あるようで無いのだ。

なのでククールには一刻も早く、いつもの調子に戻ってもらわなくてはならない。
仲間のために。旅の目的達成のために。ひいては、この世界のために。
(……おためごかしなのかな?これって)
ふと脳裏にそんな言葉がよぎって、ゼシカは素直になれない自分に苦笑した。

「星に願いでも?」
乾いた靴音と共に、背後から待っていた声がした。
「ま、女神像も無くなっちまったし、教会もあのザマだし、それが一番いいのかもな」
「そうかもね。お金かからないし、願いも叶ったし」
ゼシカは振り返らずに相槌を打ちながら、歩み寄ってくるククールの気配を耳で追う。
「ふーん、叶ったのか。そいつは良かった」
頃合いを見計らってゼシカはククールの側に向き直ると、上目遣いでやや悪戯っぽい笑みを作りながら言った。
「ククールが来てくれますように、ってお願いしてたから」
「なんだ。そんなことか」
ククールは一瞬呆気に取られ、直後に軽く噴き出した。
その様子を見て、ゼシカは安堵の表情を浮かべる。
「良かった。思ったより元気そうね」
「さっきよりはマシになったかもな。……で?オレに頼みって何?」
単刀直入な物言いをするククールを見て、ゼシカは未だククールの気持ちに余裕がないことを感じ取っていた。
いつものククールならば、ここで茶々のひとつでも入れてくるだろうに……。
ゼシカは意を決して、先程思いついたプランを実行に移すことにした。

「えっとね。頼む人を教えて欲しいの。ククールしか知らない人だから」
「なんだそりゃ?」
首を傾げるククールの前でゼシカはスカートのポケットを探り始める。
「これ、無くなっちゃったから。決戦前に元気のもとが欲しくて」
そう言いながらゼシカがククールに見せたものは、空になった小さな瓶だった。

「まさかゼシカとここに来ることになるとは、思いもしなかったぜ」
ククールは苦笑しながらドニの酒場の扉を開き、手馴れた振る舞いでゼシカを店内へと導く。

「いらっしゃい!久し振りね、ククール。今日はそちらの彼女とデート?」
バニーが口にしたデートという言葉を耳にしたゼシカは、胸の鼓動が心なしか早くなり頬に熱を帯びてしまったことに焦っていた。
そう思っていない……いや、認めようとしないのはゼシカだけで、二人の有り様はどこから見ても立派なデートの光景である。
「まぁ、そんなようなもんなのかな?」
「なっ……!!」
条件反射でククールの言葉を否定しかかったゼシカは慌てて言葉を飲み込んだ。
ここで喧嘩を始めてしまっては、思い描いたプランが台無しになる。
「あら、恥ずかしがらせちゃった?ごめんなさいね、うふふ」
日々あらゆるタイプの客を捌く百戦錬磨のバニーは、すかさず妖艶な微笑みを見せながらゼシカの動揺を鎮めにかかってきた。
もっとも、ゼシカは客のタイプとしてはかなり特異なので、その効果の程は未知数ではあったのだが。

「ゼシカ、頼む相手は彼女だぜ。じゃ、オレは向うで待ってるから」
ポン、とククールはゼシカの肩を軽く叩き、その手をひらひらと振りながらカウンターへと向かう。
カウンター席に腰掛けマスターと言葉を交わし始めたククールの背を見ながら、ゼシカは胸を撫で下ろした。
ゼシカの真の目的……ここでククールにひと時を過ごしてもらおうというプランは、どうやら軌道に乗りそうだ。

「聡明そうな感じのお嬢さんだね」
カウンター席に斜めに腰掛けゼシカとバニーの様子を見守るククールに、マスターは水を差し出しながら話しかけた。
「そりゃ、ああ見えて実は稀代の大魔法使いだからな。賢者の末裔だし」
二人の視線の先のゼシカは、バニーに頬を触られたり、バニーの動作の真似をして指先をいじったりしていた。
話の内容は酒場の喧噪にかき消されて聞くことはできないが、おそらくは肌の手入れなどの手ほどきを受けているのだろう。
男所帯で過ごしている中ではまず見ることのできない、ゼシカの楽しげな姿を目の当たりにしたククールの目尻が思わず緩む。
「へえぇ、そりゃ凄いや。どうりで、今までぼっちゃんが連れてきた女の子とはどこか違う感じがしたわけだ」
「いい加減、ぼっちゃんは勘弁してくれよマスター」
ククールは苦笑しながらマスターの側に向き直った。
「あと、連れてきたんじゃなくて、オレが連れてこられたんだよ、今日は」
「こりゃまた珍しいこともあったもんだね。それも空が赤くなったせいかな?」
「それは関係ないような……。いや、違うとも言い切れないか」

そんなやりとりをしているうちに、ゼシカがカウンター席にやってきた。
「お待たせ。でももう少し時間がかかっちゃうんだって」
裏口方面の衝立の脇から手を振ってきたバニーにゼシカは軽く会釈をすると、ククールの隣の席に収まる。
「ああ、瓶の消毒とかがあるもんな。どうする?待ってる間、少し飲んでみるかい?」
「うん。何かお奨めってある?」
「あるぜ。マスター、いつものやつを」
ククールはにやりと笑い、呆れるほど気障な素振りで注文を出す。
その様子を見ながら、ゼシカは内心よしよし、と思うのだった。

「これ、ワイングラス?このマーク……?」
ゼシカはマスターがカウンターに置いたグラスを見て呟いた。
それはワイングラスとは似て非なるもので、脚の部分が太く短かい。
グラスの最上部には金色の縁取りがあり、側面には騎馬衛兵を象ったエンブレムが描かれていた。
しげしげとグラスを眺めながら首を傾げるゼシカの様子を見て、ククールは待ってましたとばかりに話し始める。
「これから出してくれるビール専用のグラスで、聖杯型ゴブレットっていうんだ」
「ビール?いつものやつって言うから、ワインだとばっかり思ってたわ」
ビールはジョッキで飲むもの、という固定観念を持っていたゼシカは目を丸くした。
そして、いつもワインを口にしているククールがビールを注文したということにも驚いていた。
「ここのビールは特別でね」
そのククールの言葉を待っていたかのようにマスターがグラスにビールを注ぐと、ゼシカの目が更に丸くなった。

「こんな色のビール、初めて見たわ」
ゼシカが驚くのも無理はない。
マスターが鮮やかな手つきで注いだそのビールは、チョコレートのような色をしていたからだ。
注ぎ終わったビールの上に乗っている泡はミルクティーのような色でまるでメレンゲのようにきめ細かく、緩やかな山を築いていたが不思議と崩れない。

「これは修道院で作られたビールなんですよ」
続いてククールの側に置かれたグラスにビールを注ぎながら、マスターが言った。
「えっ?修道院って、マイエラ?」
「そ。グラスのマークは、ほら、修道院の入り口にあるだろ?」
マスターの言葉を継いでククールが説明を続ける。
「どこかで見たことがあると思ったら、あのマークだったのね」
疑問の一つが氷解したゼシカの表情がパッと明るくなった。
喜怒哀楽いずれの感情にしても、ゼシカの表情はいつもそれを余すところなく表現する。
その清々しいまでの分かりやすさを、ククールは気に入っていた。

「さてと。何に乾杯しようか?」
ククールがグラスを持ちゼシカの側に差し出すと、ゼシカも真似をしてグラスを寄せる。
その動作はアルバート家で身に付けたテーブルマナーとは少々勝手が違うようで、どことなくぎこちがなかったが、それはそれでいいもんだな、と、ククールは考えていた。
「こういうのって初めてだから、よく分からないわ。うーん……」
グラスを掲げたままゼシカはしばらく考え込み、やがてこう言った。
「明日のために、っていうのは?」
「よし。それじゃ、明日のために、乾杯」
「乾杯」
カチンと二人は杯を合わせると、それぞれの口に運んだ。
                ~ 続く ~






最終更新:2008年10月23日 04:54
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