眠る前にはあんなに約束したのに、目覚めたときには、繋いだ手は解かれていた。
なぜならお互いがお互いの体をしっかりと抱きしめ合っていたから。
「…夢じゃなかった」
最初に目と目が合った時、おはようを言う前に私はそう呟いていた。ククールが優しく笑う。
「まだ言ってなかったよな。……ただいま」
「おかえり、ククール」
涙ぐむのを抑えきれずククールを見上げると、徐々に彼の顔が近付いてきて…。
キスされるのだ、と寸前で気づいた私はなんとか阻止して、慌てて起き上がった。
「こら、逃げるな」
「やっ…やめてよ」
「なんだよ、朝のチューぐらいさせろよ」
「…っ、ちょ、調子に乗らないでっ。スケベッ」
真っ赤になっているのは隠せない。そういえば昨日、キスした…ククールと。
「そら調子にも乗るってもんだぜ、昨日のあんなカワイイゼシカちゃんを見たらさ」
「~~~ッッ!!」
「もっかい抱きついてきてくれねぇの?」
ククールがにんまりと笑い両手を広げる。
「無理だぜ、もう。お前がなかったことにしても、オレは死ぬまで絶対ぜぇぇったい忘れないからな」
「~~~っい、いじわる!バカッ!もう…っ、知らないっ!!」
あああぁもう!最悪だわ、完全な弱味握られたも同然じゃない…!
昨夜の自分の醜態を思い出せば思い出すほど、全身が火照るほど熱くなり、いてもたってもいられなくなる。
思わず立ち上がろうとしたら、ククールの腕が腰にからみついてそれを許さなかった。
「ちょっともう…ッ!!」
「行くなよ、ゼシカ」
「離してってば…っ」
「離さない」
うわついた声じゃなく、落ち着いた静かな声音に思わず抵抗をおさめる。
「…クク…?」
「行かないでくれ、ゼシカ」
後ろから抱きしめる腕の力が、強い。
これじゃ昨日と逆だった。必死にしがみついてどこにも行かないでと願ったのは私なのに。
「……。」
「……。」
彼がそのまま動かなくなってしまったから、私も身動きが取れなかった。
頬が熱い…。心臓がドクドクいってる。拘束してくる力強さが、同じように強く心をしめつける。
…嬉しい、と。幸せだ、と思ってしまうのは、おかしいだろうか?
こんなにも切実に伝わってくる彼の想いが、自惚れではないと信じていいの?
そして私の想いも、彼に伝わっていると信じていいの…?
―――ダメよ。
私は小さく首を振る。それではダメなのだ。伝わっているつもりでも、わかりあっていたつもりでも、
それだけでは結局なにも残らない。ちゃんと言葉にして伝えたり、勇気を出して行動に移すこと以外に、
後悔しない方法なんて何一つないって、私は昨日痛いほどわかったんだから。
「…ッ」
でも。でもでも。
一体、どんなタイミングで言えばいいの!?
自慢じゃないけど兄さん以外の男の人に自分の好意を伝えたことなんて、一度もない。
ククールの死に受けたショックは、とても仲間という理由だけでは説明できるものじゃなかった。
こんなことになって、自分でもようやく自覚したのよ。あんな奴でも、ずっとずっと
一緒にいたいんだって。離れたくないんだって。……大好きなんだって。
…でも、告白って、告白って、こんな状況で唐突にするものじゃないよね!?
じゃあ、いつ、どんな時にすればいいのよ!?それ以前に…死ぬほど恥ずかしいじゃない!!
「…ゼシカ」
一人で葛藤していた私の耳に、ククールの低い声が直接吹きこまれてドキッとした。
「…………好きだ」
「…!」
今まさに胸中で問題にしていた一言が、どこか苦しげに、控え目に告げられて、激しく動揺する。
さ、先に言われちゃった。
―――でも…そう、よね。…ククールには、なんてことないセリフだもんね。
いつだってどこでだってどんな女の子にだって、簡単に言いまくってるいつものセリフ。
私にだって…旅の仲間になった瞬間から今日まで、言われなかった日なんてないくらいだもの。
だから今の言葉だって、いつもとおんなじ挨拶がわりの…
「……信じられない」
「え」
「そのセリフ、何回目?」
「……え?ぃ、いや…覚えてねぇけど…」
「それどころか、私で何人目?」
明らかな急所を突かれてククールが絶句するのがわかる。
かわいくないこと言ってるのはわかってる。
…でも面白くないんだもん。
ククールにそう言われた女の子は、私だけじゃなくてたくさんいるんでしょうけど。
私のその一言は、まだ誰にも、言ったことがないのに。
ククールだけなのに。
その一言を告げるのに、私はこんなに悩んで困惑して動揺して、それなのにククールはあっさりと簡単に、
別になんでもないことのように言えてしまう。腹が立つ、私ばっかり、バカみたい…。
なんだか切なくて悔しくて、ずっと押し黙っていると、突然ククールの腕が私から離れた。
「…あーーーあっ、クソッ」
ボス、と。ベッドに仰向けで寝転がって、腕で顔を隠して何かを嘆いている。お、怒った?
「…ククール?」
「………………。……オオカミ少年」
「は?」
「いつもいつも適当なことばっか言ってたから、いざ本気だしてホントのこと言った時
誰にも信じてもらえなくて大切なものを失った、ってヤツ。あのまんまだよクソ」
その話は知ってる…羊飼いの少年の話でしょ?いつもいつも適当で…いざ本気だしても…
「―――ぶっ!……っあっはははは!あははははは!!」
「全力で笑うなよ!笑うとこじゃねーし!」
「だっ、だって。は、ハマりすぎ、アンタ…ッ!!」
「ったくよ。いつかゼシカに出会うってわかってたら女遊…や、まぁ、
そーいういい加減なことしてなかったろうによ。過去の自分を殴りたいぜ」
本気で自分に苛ついて舌打ちしている彼に、無性に愛しさがわいた。こういうとこ、可愛い。
まだ笑いがおさまらずクスクスと笑っていると、起き上がったククールが今度は正面から
私の肩を掴んで、まっすぐに真剣に見つめてきて、思わず心臓がはねた。
…ホント、端正な顔。寝起きのくせに、なんでそんなに綺麗なの?
「改めて言うけど、本気でお前が好きなんだよ。なんつーか…惚れてる。女として。
こんな風に好きになったのは、本当にゼシカだけだ」
彼の顔に、声に、言葉に、心ごと見惚れてしまう。
嬉しい。悔しいくらいに嬉しい。どうしてそんなにまっすぐに言えるの?ずるいよ。
「ホントは絶対言わないつもりだったんだけど、一回死にかけたら、もうカッコつけてらんねぇよ」
あぁダメ。やっぱり、好き。好き。この人の全部が好き。
想いが溢れて、これ以上心の中だけに留めておくなんて、言葉にしないなんて、無理だ。
それでも、意地っ張りな私には、目を見て告げるなんて大胆な真似はとてもできない。
「信じてもらえなくても仕方ねぇけど…」
「信じるよ」
「えっ――――…んっ」
だから、顔を見られないように、抱きついた。ついでに、キスした。
「ゼ、ゼシカ!?」
慌てて体をひきはがそうとするククールを許さずに、
ぎゅうううと抱きついて彼の肩に顔をうずめて、絶対に目を合わさないようにした。
恥ずかしさを我慢して、目をつぶって、小さく小さく、囁く。
「――――私のはじめてククールにあげる」
「えっ」
「…………好きよ」
ククールの体が硬直した。
沈黙。沈黙。沈黙。
……ちょっと。なに。なんか言ってよ。それとも聞こえなかった?
「ねぇ…聞こえた?…好き、よ…私も。ククールのこと、好き。仲間なんかじゃなくて、好き…」
「いや聞こえてる…」
「好き、好き、好きよククール。好き、大好き…」
「わかったわかったから!」
一度言い始めると止まらなくて、なぜか泣きそうになった。ククールが焦ってるのがおかしい。照れてるの?
「ククールだけなんだから。はじめてなんだからね。私のはじめての、“好き”」
「え、あっ、はじめてってそういう意味?」
「…そうよ?なんだと思ったの?」
「いやいやいや別に。…マジに?オレがはじめて?」
「兄さん以外はね」
「やっぱそうかよ。まぁいいや。死ぬほど嬉しいし」
「嬉しい?」
「たった今死んでも、もう後悔しないくらい」
「ダメよそんなの。じゃあ簡単に死ねないように私がずーーっと言っててあげるわ。
ククールが、好き好き好き好き好き好き好きすきすき……」
「わ、ちょ、ああああああぁぁぁっっ!!!!!!わかったオレが悪かったやめてくれ!!」
「何よそれ!私に好きって言われるのがそんなにイヤなわけ!?」
さっきは嬉しいって言ったくせに!憤慨して思わず間近に睨みつけたら、
ククールは顔を手の平で覆って私から背け、困り果てた声で言った。
「……恥ずかしいんだよ」
「私の気持ちが?」
「じゃなくて!……幸せすぎて」
よく見ると、ククールの耳は真っ赤だった。思わず吹き出してしまう。
「いいじゃない、幸せなんだったら」
「お前にヤられすぎてどうしようもねぇ…恥ずかしい」
「私のこと好きなんでしょ?」
なんだか、すっかり開き直ってしまったみたい。私って一度ふんぎりつくと止まらないのよね。
ククールの方が先に言ってくれたのに、今では私の方がククールをからかって遊んでいるようだ。
「…ったく、この小悪魔」
すると赤い顔もそのままに、ククールがいきなり私の手首を掴んでベッドに押し倒した。
きょとんしたのも束の間。遮る間もなく口唇をふさがれて目を見開く。
すぐに離されると思っていたのに、いつまで経っても解放されなかった。
口唇だけじゃなく、口腔も、歯列も、舌も、すべてを優しくなぶられて目眩がした。
薄目を開けると、あの切れ長の瞳が私を愛おしげに見つめていて、うっとりする。
長時間の口付けに息を乱す私に、ククールがひそやかに笑いかけた。
「…どう?」
「……ずるい」
「コッチでしか、オレはお前に勝てないみたいだからな。存分に夢中にさせてやるよ」
「さすが、経験豊富な色男さんはキスもお上手なのね」
「…まーだそんなカワイクないこと言うかこのお嬢さんは…」
ひきつった笑みで私を見下ろすその顔に取り繕った余裕がなくなって、私は笑いが抑えきれない。
「そんな憎まれ口叩けねぇように、ずーーっとキスしててやる」
「やだも…っ、ん…っ」
優しいだけじゃない、ちょっと強引なキスに翻弄される。
きっと、さっきの“好き”の仕返しのつもり。
ずっとずっと、ベッドの上で2人抱き合って、お互いの口唇と言わず顔じゅうにキスを降らせていた。
私たち、いつまでこんなことしてるんだろう。どうして仲間たちは起こしにこないんだろう?
そんな些細な疑問が脳裏を横切りながら、熱に浮かされた頭で無意識に囁く。
「…好きよ」
「…好きだよ」
私たちはそれだけを何度も繰り返して、お互いの存在を実感することだけに夢中になった。
最終更新:2010年05月10日 11:41